CG
ミサイル巡洋艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※CG-15は欠番。COHはコンプレックス・オーヴァーホール(Complex Overhaul:包括修理)の略。MRAはMajor Restricted Availabilityの略(ABC順)
※データは軽巡洋艦クリーヴランド級の項を参照
※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
リトル・ロック
1234
Little Rock CG-4 ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 1945/6/17 1976/11/22 1976/11/22 ◎1975/7/1 艦種をミサイル巡洋艦(CG-4)に改める
◎1976/5/2 Naplesにて修理(~1976/5/7)
◎1976/10/1 フィラデルフィア海軍造船所にて不活性化工事
1977/6/1 バッファローのBuffalo & Erie County Naval & Military Park(旧名Buffalo Naval and Servicemen's Park)にて記念艦となる
◎1977/7 バッファローに到着、のちに一般公開(12345678910111213141516
オクラホマ・シティ
12
Oklahoma City CG-5 ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 1944/12/22 1979/12/15 1979/12/15 ◎1975/7/1 艦種をミサイル巡洋艦(CG-5)に改める
◎除籍後、ピュージェット・サウンド海軍造船所にて保管(123
◎のちにSuisun Bayにて予備艦隊に編入
◎1999/3/25 グアム島沖にて韓国海軍攻撃型潜水艦李阡 Lee Chun(Yi Chon?、SS 062)の標的として沈没
プロヴィデンス Providence CG-6 ベスレヘム・スチール社 1945/5/15 1973/8/31 1978/7/31 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-6)となる
◎1980/7/31 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため売却
スプリングフィールド Springfield CG-7 ベスレヘム・スチール社 1944/9/9 1974/5/15 1978/7/31 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-7)となる
◎1980/3/11 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため売却


※データは重巡洋艦オレゴン・シティ級の項を参照
※軽荷排水量:13,000t 満載排水量:18,500t 主缶:バブコック&ウィルコックス缶4基 改装後の兵装:タロスSAM連装発射機2基、ターターSAM連装発射機2基、55口径203mm3連装砲2基、アスロックSUM8連装発射機1基、324mm3連装短魚雷発射管2基 搭載機:ヘリコプター2機
※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
↑Albany (CG-10) in Boston harbor, 26 November 1968. Note the radical difference in her appearance after her conversion to a guided-missile cruiser from a gun cruiser.

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
オールバニー Albany CG-10 ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 1946/6/15 1980/8/29 1985/6/30 ◎1958/11/1 艦種をミサイル巡洋艦(CG-10)に改める
◎1962/11/3 再役
◎1967/3/1 退役、ボストン海軍造船所にて近代化改装(~1969夏)
◎1968/11/9 再役
◎退役後、ノーフォークにて予備艦隊に編入(123456
◎1990/8/12 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため売却
ロチェスター
12
Rochester CG-13 ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 1946/12/20 1961/8/15 1973/10/1 ◎のちに艦種をミサイル巡洋艦(CG-13)に改める(のちに改装中止)


※データは重巡洋艦ボルティモア級の項を参照
※軽荷排水量:13,000t 満載排水量:18,500t 主缶:バブコック&ウィルコックス缶4基 改装後の兵装:タロスSAM連装発射機2基、ターターSAM連装発射機2基、55口径203mm3連装砲2基、アスロックSUM8連装発射機1基、324mm3連装短魚雷発射管2基 搭載機:ヘリコプター2機
※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
↑USS Columbus (CG-12). Steaming off San Diego, California, 19 February 1965. Official U.S. Navy Photograph, from the collections of the Naval Historical Center.

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
シカゴ
12
Chicago CG-11 フィラデルフィア海軍工廠 1945/1/10 1980/3/1 1984/1/31 ◎1958/11/1 艦種をミサイル巡洋艦(CG-11)に改める
◎1959/7/1 サン・フランシスコ海軍造船所でミサイル巡洋艦に改装(123456
◎1964/5/2 サン・フランシスコ海軍造船所にて再役(12
◎1966/5/12 シカゴは最初のヴェトナム派遣の為に出航した。真珠湾と横須賀に立ち寄り、新しいレーダー・アンテナを設置したのち、6月12日にスービック湾海軍基地に到着。翌日、ヘリコプター部隊を引き取り、トンキン湾の“ヤンキー・ステーション Yankee Station”にて第77任務部隊 Task Force 77の任務のために出発
◎6月15日から7月13日まで、シカゴ(コールサイン“レッド・クラウン Red Crown”)は、湾岸と北ヴェトナムの指定区域における海軍の全航空作戦をレーダーで監視するというコンセプトの評価を開始した。PIRAZはPositive Identification and Radar Advisory Zoneとして知られ、友軍機の追跡という当初の任務は空軍機を含むように拡大され、障壁戦闘航空隊の制御、支援機への助言、南ヴェトナムDa Nangの空軍報告センター Air Force reporting centerとの攻撃情報の調整等が行われた
◎7月5日、シカゴから運航していたSH-3が、7月4日に北ヴェトナム沖で脱出した攻撃航空母艦コンステレーション Constellation(CVA-64)A-4Eのパイロットを救助した
◎7月17日に台風を避けて香港に寄港したのち、同船は香港に向かった
◎7月29日から8月11日までの2回目のPIRAZツアーで、シカゴは短期間対空戦司令官 anti-air warfare commanderの任務を担い、複雑な航空作戦を追跡するCGの能力を発揮した。8月27日に沖縄沖でタロスSAMの発射練習を行い、台湾の基隆 Keelungを短期間訪問したのち、9月7日から9月29日までPIRAZ基地に復帰。再び航空任務を拡大したシカゴは、MiG警告情報の主な供給源となり、北ヴェトナムと中国の国境を監視する役割を担った。10月25日から11月12日までの4回目のPIRAZツアーでは、特に空軍と海軍の共同作業の分野で、この手順の改善に貢献
◎11月18日には、スービック湾を経由して佐世保に向かう途中、沖縄ミサイル発射場 Okinawa Missile Rangeに立ち寄り、更に2発の練習用ミサイルを発射
◎11月19日に日本に到着し、横須賀を訪問した後、11月27日に帰国の途につく。荒天の中、12月7日に無着陸航海を完了。のちにシカゴはサン・ディエゴに留まった
◎1967/1 訓練、演習、視察と忙しい日常に突入した。海軍長官のゲスト・クルーズ、第1艦隊旗艦 First Fleet flagship、攻撃航空母艦コンステレーション(CVA-64)との航空戦演習等、多岐にわたる任務のために航海中のシカゴは、この年の最初の5ヶ月をカリフォルニア沖で過ごした。4月と5月には、ミサイルの汎用性を実証するため、地上の目標に対してタロスSAMの実験的なテストを実施
◎準備検査の後、6月6日に出港し、第1艦隊司令官 Commander First Fleetとともにアラスカ・クルーズに出発。6月10日にアラスカ州ジュノーに到着し、同市を公式訪問したのち、11日後にサン・ディエゴに帰港。7月にも艦隊演習を行い、シカゴのタロスSAMが射程96マイルのドローンを直撃したのち、8月にはシアトル、British Columbia州Vancouver、British Columbia州Esquimaltを公式訪問
◎9月1日にテンダー・アベイラビリティ tender availabilityに指定され、ボイラーやその他の修理や点検を駆逐艦母艦アイル・ロイヤル Isle Royale(AD-29)から受け、1967年10月11日に再び西太平洋へ向けて出発
◎10月18日に真珠湾を出発後、海軍F-8の墜落現場への航空機の誘導を支援し、パイロットの救出に成功した。横須賀、沖縄、スービック湾を経て3週間後にトンキン湾に到着した同艦は、ミサイル・フリゲイト・ベルナップ(DLG-26)と交代し、11月12日から12月14日までPIRAZ任務を開始。この1年間で、レーダー監視、バリアCAPや救助活動の調整、MiGや国境の警告、さまざまな通信やリアルタイムのデータ共有サーヴィスなど、より充実した任務となった
12月16日から21日まで香港を訪問したのち、シカゴはスービック湾に移動し、1968年1月3日にimport availability periodを終了した。1月13日から1月28日までPIRAZ基地へ戻り、北朝鮮による環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)の拿捕を受け、“フォメーション・スター Formation Star”作戦の一環として第70.6任務群 Task Group 70.6の航空母艦の航空活動を調整するために日本海へ赴いた。危機が緩和された2月7日、シカゴはトンキン湾でのPIRAZ任務を再開する為、2月12日から3月6日にかけて出港した
◎3月23日から4月17日までの最後のPIRAZ巡航ののち、シカゴは5月1日にスービック湾を出発し、グアム、真珠湾を経て5月15日にサン・ディエゴに到着した。太平洋ミサイル発射場 Pacific Missile Rangeで航空機の追跡とミサイル発射の実験を行ったのち、7月1日にロング・ビーチ海軍造船所に入港し、定期修理期間と機械・電子機器の海上試験と点検を行い、1968年の残りを過した
◎1969/1/31 シカゴはミサイル・ドローンに対するタロスSAMの試射を含むミサイル・システムの資格試験を終了し、2月13日に西太平洋への3度目の巡航に出発した。スービック湾で10日間の保全作業と型式訓練を受けたのち、3月11日にPIRAZ艦としての任務に就いた。その12日後、同船は湾岸で捜索救助(SAR)任務を開始。これは、海軍の航空機偵察任務の救助をカヴァーするために、2機のヘリコプターを哨戒所に維持することであった
◎4月17日、シカゴは第71任務部隊 Task Force 71の任務のため、韓国沖の日本海に向かうよう命じられた。4月14日、北朝鮮の戦闘機によってEC-121が撃墜され、乗員31名全員が死亡した事件を受けて、タスク・フォースはその後の危機の間、日本海をパトロールした。4月27日、佐世保での保全作業のために出港するまで、空母のPIRAZと監視任務、および常時航空パトロールを提供
◎修理、沖縄ミサイル発射場でのタロスSAM及びターターSAMのテスト、5月23日にダ・ナンでgroup of midshipmenをピックアップしたのち、シカゴは5月23日から7月1日まで再び長いPIRAZ/SARツアーを実施。横須賀での保全作業、香港訪問、台風回避を経て、8月1日にトンキン湾に戻り、レーダー監視、電子対策、ミサイル・スクリーン任務を継続した。8月25日に出港し、スービック湾、グアム、真珠湾を経て、9月17日にサン・ディエゴに帰港した
◎そののち、ズーニ・チャフ・ディスペンサーを設置するtender availabilityを経て、定期検査、現地での訓練、ミサイル試験場での作戦を実施し、その年を終えた。作家のT. J. ジャクソン・リアーズ T. J. Jackson Learsはこの時、シカゴの通信士であった。アイザック C. キッド Jr. 中将 Vice Admiral Isaac C. Kidd, Jr. の下でアメリカ第1艦隊旗艦を務めていたシカゴは、サン・ディエゴの艦隊対潜水艦戦学校 Fleet Anti-Submarine Warfare schoolでのチーム訓練で静かに新年を迎えた
◎1970/6/12 2週間の修理・改造期間を迎えるまで、幾つかの艦隊演習、2回のミサイル発射テスト、検査で月日を費やした。4つのタロスSAM火器管制システムは全て対艦目標を含むように改良され、実験的なヴィデオ目標追跡装置 experimental video target trackerも設置。通信安全、原子力安全、運用準備の検査、およびエンジニアリングの最終チェックは、8月末までに完了した
◎乗員数の大幅な削減にもかかわらず、1970年9月9日にヴェトナムに向けて出港。10月3日に着任したシカゴは、10月14日から26日にかけて超大型台風“ジョーン Joan”と“ケイト Kate”を回避しながらPIRAZと捜索調整任務を実施。10月27日の給油事故により数名が負傷したのち、シカゴは11月1日にトンキン湾を離れ、11月7日に横須賀に到着する前にスタンレー・トーマス・カウントス大佐 Captain Stanley Thomas Countsが指揮を執ることになった。シカゴは11月17日に横須賀を出港し、11月20日から12月19日までPIRAZの駐留を再開した。シカゴは1970年のクリスマスを香港で過ごし、新年をスービック湾で祝った。シカゴは1月11日にスービック湾を出港し、2月18日までPIRAZに再就航。シカゴは2月24日にスービック湾を出港し、護衛艦ノックス Knox(DE-1052)に護衛されてサン・ディエゴに向かった。ノックスは、2月26日に海に飛び込んだシカゴの乗員を救助した(彼はこれで除隊できると思ったのだろう)。2月27日にグアムで給油したのち、3月3日にノックスは機関部のJP-5火災による出力喪失に見舞われた。シカゴはノックスを曳航し、3月5日に真珠湾から艦隊のタグが現場に到着した
◎3月11日にサン・ディエゴに到着すると、シカゴは配備後の休暇と保全作業を開始した。6月から7月にかけては補給、検査、ミッドシップ・クルーズが行われ、10月にかけては演習、検査、従属ゲスト・クルーズ dependent-guest cruiseが行われた
◎最終準備テストと海軍長官 Secretary of the Navyのゲスト5名を乗せたのち、シカゴはトーマス・ウィリアム・マクナマラ大佐 Captain Thomas William McNamaraの指揮の下、1971年11月6日に再び配備に向けて出港した。週末に真珠湾に寄港して乗客を降ろすと、グアム、スービック湾に立ち寄り、12月6日にトンキン湾のPIRAZ基地に到着した。シカゴは12月28日にシンガポールで新年を祝うためにPIRAZステーションを出発し、1月4日に東経105度30分での赤道祭 line-crossing ceremonyのために一時赤道を通過。そののち、シカゴはスービック湾で1週間過ごし、1月18日から2月10日までPIRAZステーションを再開。2月と3月に北ヴェトナムの陸上レーダー・ステーションに対して4発のRIM-8HタロスARMを発射したが、命中しなかった。スービック湾での数日間ののち、レーダー監視と航空調整は3月3日から3月21日に香港へ向けて出発するまでPIRAZステーションで継続された。その後、北ヴェトナム軍の南部侵攻を受け、1972年4月3日にPIRAZステーションへ呼び戻され、サン・ディエゴへ向かう
◎アメリカ軍の航空作戦の規模は飛躍的に拡大し、人員や物資の移動を制限するための攻撃・阻止任務が北ヴェトナム全域で行われた。シカゴは湾岸上空を飛ぶ全ての航空機を監視し、味方CAPを指示し、激しい電子妨害にもかかわらず、4月中旬のB-52による北ヴェトナムへの空襲の際に戦闘機の護衛を調整した。完全な航空写真を維持することによって、シカゴは敵のミサイル・サイトを避けて損傷した爆撃機を誘導し、燃料の少ない飛行機のためにタンカーのランデヴー・ポイントを設定し、救助活動でヘリコプターを誘導した。また、北ヴェトナム機に対する友軍戦闘機の誘導も行った。4月と5月には、シカゴの航空迎撃管制官が海軍と空軍の航空機にCAPミッションを指示し、14機のMiGを撃墜した事が評価された。その中には海軍のエースであるランダル H. カニンガム大尉 Lt. Randall H. Cunninghamウィリアム P. ドリスコル中尉 Lt. JG William P. Driscollによる2機目のMiGの撃墜も含まれていた
◎シカゴの前方タロスSAM発射機は5月9日、ハイ・フォン港 Hai Phong harborの機雷敷設中に遠距離からMiGを撃墜した。シカゴと原子力ミサイル巡洋艦ロング・ビーチ Long Beach(CGN-9)は、“ポケット・マネー Pocket Money”作戦の間、ハイ・フォン港を低空で機雷敷設するA-6A-7を保護するという珍しい任務を与えられていた。F-4が北ヴェトナムの地上対空防衛にさらされるのを避けるため、沖合をパトロールしていたこれらの艦はタロスSAMの自由発射区域を与えられ、ハノイ Hanoi Hanoi近郊フック・イェン Phúc Yênおよびケップ Kép飛行場から海岸に接近する防衛中のMiG戦闘機と交戦した。シカゴは北ヴェトナム沿岸砲台から砲撃を受けたが、被害を受ける前に砲撃範囲外に移動しつつミサイル包囲を維持することが出来た。1ヶ月の監視とハイ・フォンの港湾交通に対する空爆の指示ののち、シカゴは1972年6月21日にようやくサン・ディエゴに向けて出発した
◎7月8日に本国に到着したシカゴは、8月25日にロング・ビーチ海軍造船所でCOHのために入港する前に、local availabilityを実施した。この改装でシカゴは、古いアナログ・コンピューターに代わる新しいデジタル火器管制システム digital fire control systemsを受け取り、新しいミサイル・ランチャーを設置し、電子機器を拡張した
◎1973/5/15 シカゴは6ヶ月に及ぶ海上試運転、試験、訓練航海を開始した。新しい装備と戦闘調整手順も導入され、シカゴの作戦準備期日は12月14日まで延長された。そして、再訓練、艦隊演習、武器搭載を経て、1974年5月21日に西太平洋へ向けて出港した。6月15日にスービック湾に到着後、護衛艦ファニング Fanning(DE-1076)駆逐艦ジョージ K. マッケンジー George K. MacKenzie(DD-836)艦隊給油艦パサンプシック Passumpsic(AO-107)とともに長期巡航の準備を行った。インド洋のソマリアとアデンにおけるソヴィエト海軍のプレゼンスに対抗するため、“インド洋はロシアの湖ではない”ことを示すための控えめな寄港であった
◎6月25日にスービック湾を出発した同艦隊は、7月2日にマラッカ海峡を通過し、6日後にパキスタンのカラチに到着した。7月13日に出港したシカゴとその護衛艦は、アラビア海やアデン湾で“旗を見せる”1ヶ月間の洋上生活に入り、8月9日にケニアのモンバサ Mombassaに到着。その1週間後、モーリシャス諸島の基地の権利に関するロシアの交渉に影響を与えるため、飛行隊はポート・ルイス Port Louisで外交的な港湾訪問を行った。この目的のために、シカゴは8月21日に数名のモーリシャス政府高官を乗せ、ロドリゲス島 Rodrigues Islandへの2日間のクルーズに出発した。8月23日に出港し、シンガポールを経由して9月11日にスービック湾に帰港し、保全作業を行った
◎10月初旬に香港を訪問したのち、11月17日にグアムに向けて出港するまで、フィリピン方面で訓練と 艦隊演習を実施した。アプラ港で1週間過ごしたのち、11月29日にサン・ディエゴに向けて出航した。12月14日に帰港した本艦は、休暇、修理、保全作業のため1975年3月まで入港していた。フランス政府高官一行の訪問をはさみ、技術検査と装備の変更が4月まで続き、南カリフォルニアの作戦区域で中間リフレッシュ訓練を実施した
◎5月下旬の一連のミサイル試験、太平洋海軍部隊との艦隊演習を経て、7月4日の祝日にシアトルを訪問。翌週にVancouverを訪問したのち、シカゴはオーヴァーホール(MRA)の準備を始めるためにサン・ディエゴに戻った。9月9日から10月24日まで、燃料タンク、ボイラー・ケーシング boiler casings、主推進プラントの修理が行われたため、シカゴは大規模な制限稼働を実施した。更に新たな配備に備え、年明けまで追加保全作業、tender availability、型式訓練が続けらた
◎1976/2 作戦部 Operations departmentの乗員は3月の艦隊演習に備え、対空、対潜、電子戦の大規模なチーム訓練を受けた。この作戦は、カナダ、イギリス、ニュー・ジーランド、アメリカからの部隊により、3月2日から11日まで行われた“ヴァリアント・ヘリテージ Valiant Heritage”演習であった。1ヶ月の入港と幾つかのサーヴィス検査を経て、シカゴは4月13日にサン・ディエゴを出航し、西太平洋に展開した。両用群 amphibious groupとともに出港したシカゴは、真珠湾攻撃の前後に複数艦による演習を行い、5月3日に横須賀に入港。汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)との任務群演習、5月19日から25日までの“マルチプレックス2-76 Multiplex 2-76”、6月4日から7日までの南シナ海での“マルチプレックス3-76 Multiplex 3-76”、スービック湾と基隆への寄港を経て、6月までシカゴを占領した。7月上旬に横須賀からフィリピンへのミッドシップ・クルーズを行ったのち、8月2日までimport periodに入る
◎8月4日には“Multiplex 1-7T”に参加し、8月7日にはルソン島のポロ・ポイント Poro Point沖でミサイル発射演習を行い、成功させた。スービック湾に戻り、2週間の保全作業を行ったのち、8月22日に香港に向けて出港した。3日後、3度目の台風を回避して香港に到着し、6日間を自由港 liberty portで過ごした。8月31日に香港を出航したシカゴは、原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)と合流して9月8日まで洋上演習を行い、そののちスービックに戻り長期間の保全作業を行った。外装の再塗装と内装の改修は9月27日まで行われ、本国へ向けて出航。10月1日にグアムで給油、10月9日に真珠湾で寄港し、10月16日にサンディエゴに帰港
◎シカゴはボイラーの修理と機器のアップグレードを受けながら、2月23日まで港に留まり、修理後の海上試運転と乗員の訓練を開始。3月3日、シール・ビーチ Seal Beachでの検査と兵器の積み込みののち、シカゴはサン・ディエゴから定期的な訓練活動を開始。これらの訓練は、ヘリコプター・パッドの訓練、ミサイルや魚雷の模擬攻撃、その他同様の訓練を含み、9月6日に8回目の西太平洋ツアーに出航するまで続けられた
◎シカゴは、航行中に4回のミサイル発射を含む複数艦による演習を経て、9月30日にスービック湾に到着し、第7艦隊 7th Fleetとの一連の作戦を開始した。ミンドロ島沖でのミサイル発射や輸送船団演習、バックナー湾 Buckner Bayでの防壁演習、横須賀、基隆、香港への訪問は11月下旬まで続いた。12月4日、汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)とのランデヴーの後、日本海で活動を開始。2日後、ソヴィエトのTu-16 2機に旋回され、ヘリコプターと水中補給は中断されたが、演習は12月8日まで続けられた。シカゴはこの地域を離れ、原子力攻撃型潜水艦クイーンフィッシュ Queenfish(SSN-651)とのソナー演習のためにスービック湾まで南下し、12月23日にシンガポールに到着した。休暇を終えたシカゴは、12月30日にタイのパタヤ湾 Phattaya Bayに移動した
◎1978/1/4 出港し、スービック湾と香港を訪問したのち、フィリピン海での1ヶ月間の演習を開始した。砲撃訓練、ヘリコプター運用、underway replenishment(UNREP) 、その他の訓練は、2月28日の実際の海難救助を含めて、シカゴがマニラに係留する3月4日まで続いた。修理と保全作業ののち、3月16日にグアムに向けて出航し、5日後に燃料補給のために到着、3月31日に真珠湾に到着した
◎4月7日にサン・ディエゴに戻った後も、1978年7月24日にロング・ビーチに移動して定期オーヴァーホールを開始するまで、保全作業状態が続いた。ロング・ビーチ海軍造船所での修理は、シカゴが2日間の海上試運転を行う10月18日まで続いた。仕上げ作業は10月25日にシカゴが造船所を出発するまで続けられた。ミサイル巡洋艦イングランド England(CG-22)攻撃型潜水艦ダーター Darter(SS-576)との2日間の作戦ののち、シカゴはサン・ディエゴに戻り、定期的な訓練スケジュールを開始。これらの短期間の巡航は、砲術と航行訓練に重点を置き、1979年2月まで続いた。また、多くの推進装置や電子機器の検査も行われた。3月5日、南カリフォルニア沖での演習で、このシカゴは11回連続で“ミサイルE Missile E”を獲得
◎1ヶ月に及ぶ配備前の期間を経て、5月30日、西太平洋への最後の巡航に出発。キティ・ホークとその戦闘群を真珠湾まで護衛し、途中、ミサイル巡洋艦ジュエット Jouett(CG-29)フリゲイト・ラング Lang(FF-1060)洋上艦隊給油艦ウォバッシュ Wabash(AOR-5)と演習を行い、6月13日にスービック湾へ向けて出航。沖縄沖での艦隊演習、7月末の韓国・釜山 Pusanへの寄港に続き、南シナ海で難民の監視を行った。第7艦隊の他の艦艇とともに、本土から逃れてきたヴェトナム難民の救助に協力し、自身も5名を救助
キティ・ホークの護衛任務は9月まで続き、10月6日にオーストラリアに向けて出航。10月15日、第二次大戦中のソロモン諸島の戦いで失われた2隻の巡洋艦、 Canberra(D.33)と先代のシカゴ(CA-29)の追悼式典ののち、珊瑚海での2週間の演習を開始。米艦7隻、豪州・ニュー・ジーランド艦20隻が参加した演習の後、豪州シドニーに1週間寄港し(1234)、スービック湾、真珠湾を経て西海岸へ出港、12月17日にサンディエゴに着岸した
◎1980年度には徹底的なオーヴァーホールと近代化のための予算が議会で承認されたが、検査の結果、シカゴはこれ以上経済的な海軍の任務に適さないと分類され、1980年3月1日、シカゴはサンディエゴで退役させられた
◎1979/12中旬? サン・ディエゴにて不活性化工事
◎除籍後、ブレマートンのInactive Ship Facilityにて保管(~1989/2/9)
◎1989/8/11 装備を撤去
◎1991/12/9 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため、ターミナル・アイランドのSouthwest Recycling, Inc. に売却
錨は保存され、1995年11月11日にシカゴのネイヴィー・ピア Navy Pierに展示された
◎Vietnam Jun-Nov 1966, Nov 1967-Apr 1968, May-Aug 1969, Oct 1970-Feb 1971, Dec 1971-Jun 1972, Korea Jan-Mar 1968, Apr 1969.
☆CG-11の撃沈、撃墜スコア(以下の艦船、航空機)
・1972/5/9 北ヴェトナム空軍MiG 1機(ハイ・フォン港にて撃墜)
フォール・リヴァー
12
Fall River CG-12 ニュー・ヨーク・シップビルディング社 1945/7/1  1947/10/31 1971/2/19  ◎1958/11/1 艦種をミサイル巡洋艦(CG-12)に改めるも改装中止
コロンバス
12
Columbus CG-12 ベスレヘム・スチール社 1945/6/8 1975/1/31 1976/8/9 ◎1959/9/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-12)に改める
◎1962/12/1 再役
◎1977/10/3 Defense Reutilization & Marketing Service(DRMS)により解体のため、Brownsvilleのコンソリデーテッド・アンディ社に売却
◎のちにポートランドにて解体
◎Quemoy-Matsu Apr 1962, Vietnam Sep-Oct 1964.
ブレマートン
12
Bremerton CG-14 ニュー・ヨーク・シップビルディング社 1945/4/29 1960/7/29 1973/10/1 ◎のちに艦種をミサイル巡洋艦(CG-14)に改めるも改装中止


↑The CG design illustrated below had an displacement of 15,900 tons and could sail with an sustained speed of 32 knots. At 20 knots, the range would be 8,000 miles. The fire control radar would be an new phased array type, and the search radar would be the SPS-32/33 combination. She would have two Mk. 10 launchers on board for a total of 120 (80+40) Super Talos missiles and four Mk. 13 launchers on board for a total of 160 Super Tartar missiles. In addition, the ship would carry 8 ASROC in an Mk 16 ASROC launcher, 2 sets of tripple Mk. 32 SVTT Torpedo tubes, 18 Mk. 44 torpedoes and 2 Manned helicopters. The approximate cost would be $206 Million for the lead ship and $184 Million for the following ships. Image courtesy of Shipbucket.

↑In the event interim installations would become necessary, the same hull could also use two different arrangements. The first would use 4 Advanced Dish type radars for fire control, use only two Mk. 10 launchers with 120 (80+ 40) Super Talos missiles, so no MR missiles or Polaris. The other armament would be the same as the base ship. The lead ship would cost $163 Million and following ships would cost $141 Million. It should be noted that this interim installation does not exploit the full capability of the ships. Image courtesy of Shipbucket.

↑The second would use 8 Advanced Dish type radars for fire control, use two Mk. 10 launchers with 120 (80+ 40) Super Talos missilesand 2 Mk. 13 launchers for an total of 80 Super Tartar missiles. The other armament would be the same as the base ship. The lead ship would cost $211 Million and following ships would cost $189 Million. Image courtesy of Shipbucket.


軽荷排水量:4,650t 満載排水量:7,630t 全長:162.45m 幅:16.71m 吃水:7.46m(CG-20は7.92m) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶4基(CG-19~CG-24はフォスターホイーラー缶) 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン2基(CG-19~CG-22はド・ラヴァル式ギアード蒸気タービン、CG-23、CG-24はアリスチャルマー式ギアード蒸気タービン)/2軸 出力:85,000馬力 速力:34.0kt 航続力:20ktで8,000浬 兵装:テリアSAM連装発射機2基、アスロックSUM8連装発射機1基、50口径76mm連装両用砲2基、3連装短魚雷発射管2基(1980年代にはハープーンSSM4連装発射機2基、テリアSAM/スタンダードER SAM連装発射機2基、アスロックSUM8連装発射機1基、76口径20mmCIWS2基、324mm3連装短魚雷発射管2基) 乗員:379名~423名(1987年時、CG-20は士官18名、下士官兵359名)

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
レイヒ Leahy CG-16 バス鉄工所 1962/8/4 1993/10/1 1993/10/1 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-16)となる
◎1987 近代化改装
ハリー E. ヤーネル Harry E. Yarnell CG-17 バス鉄工所 1963/2/2 1993/10/29 1993/10/29 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-17)となる
◎1987 近代化改装
◎1994/2/15 再び登録され、予備役に編入
◎1995/2/16 解体のため売却
◎1997/1/7 解体業者の契約不履行のため解体されず
ウォーデン Worden CG-18 バス鉄工所 1963/8/3 1993/10/1 1993/10/1 ◎1975/6/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-18)に改める
◎1987 近代化改装
◎2000/1/17 リムパック2000演習に、標的として沈没
◎Iran/Indian Ocean Apr-Jul 1980, Persian Gulf Jun-Jul 1987, Gulf War Oct 1990-Feb 1991.
デイル
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Dale CG-19 ニュー・ヨーク・シップビルディング社 1963/11/23 1994/9/22 1994/9/22 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-19)となる
◎1987 近代化改装
◎除籍後、演習の標的として沈没
リッチモンド K. ターナー Richmond K. Turner CG-20 ニュー・ヨーク・シップビルディング社 1964/6/13 1995/4/13 1995/4/13
(1995/6/30?)
◎1975/6/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-20)に改める
◎1988 近代化改装
1992/9/24 SM-2ER Block IIを使った試験・FTV-1を実施(成功)
1995/3/4 SM-2ER Block IIを使った試験・FTV-3を実施(失敗)
1995/3/28 SM-2ER Block IIを使った試験・FTV-4を実施(失敗)
◎1998/8/9 プエルト・リコ近海にて標的として沈没
◎Grenada Oct-Nov 1983, Lebanon Nov 1983-Feb 1984, Jan-Mar 1986, Libya Oct 1987-Feb 1988, Gulf War Jan-Apr 1991.
グリッドリー Gridley CG-21 ピュージェット・サウンド・ブリッジ&ドライドック社 1963/5/25 1994/1/21 1994/1/21 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-21)となる
◎1989 近代化改装
◎1994/1/21 予備役に編入
イングランド England CG-22 トッド・パシフィック造船所 1963/12/7 1994/1/21 1994/1/21 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-22)となる
◎1986 近代化改装
ハルゼー Halsey CG-23 サン・フランシスコ海軍造船所 1963/7/20 1994/1/28 1994/1/28 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-23)となる
◎1989 近代化改装
◎1994/3/7 予備役に編入
リーヴス Reeves CG-24 ピュージェット・サウンド海軍造船所 1964/5/15 1993/11/12 1993/11/12 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-24)となる
◎1988 近代化改装
1989/10/30 ディエゴ・ガルシア島南方海域にて艦載機の誤った爆撃により損傷(汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)搭載のF/A-18が目標と誤認し225kg訓練爆弾を投下)


軽荷排水量:5,340t(6,570tともいわれる) 満載排水量:7,900t(7,970t~8,575tともいわれる、CG-31は7,940t) 全長:166.72m 幅:16.71m(CG-28、CG-31は16.76m、CG-29は16.68m) 吃水:8.83m(CG-28は8.78m、CG-29は4.49m) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶4基(CG-29~CG-31、CG-33はコンバッション・エンジニアリング缶) 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン2基(CG-29~CG-31、CG-33はド・ラヴァル式ギアード蒸気タービン)/2軸 出力:85,000馬力 速力:32.5kt(33.0ktともいわれる、CG-28、CG-31は30.0kt(公試)、CG-29は30.0kt+) 航続力:20ktで7,100浬 兵装:テリアSAM/アスロックSUM連装発射機1基、54口径127mm単装両用砲1基、50口径76mm連装両用砲2基、533mm連装魚雷発射管2基(1980年代にはハープーンSSM4連装発射機2基、スタンダードER SAM連装発射機1基、54口径127mm単装両用砲1基、76口径20mmCIWS2基、324mm3連装短魚雷発射管2基) 乗員:477名(CG-28、CG-29、CG-31は418名)

USS BELKNAP CG 26 - US NAVY - Life on board a warship. AGO THE DUDE!.

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ベルナップ Belknap CG-26 バス鉄工所 1964/11/7 1995/2/15 1995/2/15 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-26)となる
1975/11/22 シシリー島沖にて演習中に汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)と衝突し損傷(上構を大破)
◎1976/1 修理改装(~1980/5)
◎1985/5 旗艦設備工事(~1986/3)
◎1998/9/24 標的として沈没
ジョセファス・ダニエルス Josephus Daniels CG-27 バス鉄工所 1965/5/8 1994/1/21 1994/1/21 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-27)となる
◎1991 近代化改装
◎1999/2/10 解体のため売却
ウェインライト Wainwright CG-28 バス鉄工所 1966/1/8 1993/11/10 1993/11/10 ◎1975/6/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-28)に改める
◎1978/2下旬 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール(~1979/3)
◎1991 近代化改装
◎1999/2/10 解体のため売却
◎Lebanon Sep-Oct 1982, Libya Feb-Jun 1988.
☆CG-28の撃沈、撃墜スコア(以下の艦船、航空機)
・1988/4/18 イラン海軍哨戒艇Joshan(P225、ペルシャ湾にて撃沈(ミサイル・フリゲイト・シンプソン Simpson(FFG-56)フリゲイト・バグリー Bagley(FF-1069)と共同で))
・1988/4/18 イラン空軍F-4 1機(ペルシャ湾にて損傷を与える)
ジュエット
12
Jouett CG-29 ピュージェット・サウンド海軍造船所 1966/12/3 1994/1/28 1994/1/28 ◎1975/6/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-29)に改める
◎1979/9 スービック湾にて入渠(12
◎1988 近代化改装
1993/9/27 SM-2ER Block IIを使った試験・FTV-2を実施(成功)
◎1994/3/30 Susin Bayにて保管(123
◎2007/8/10 ヴァリアント・シールド演習に標的として沈没(12
◎Iran/Indian Ocean Nov 1979-Jan 1980. Gulf War Aug-Nov 1990.
ホーン Horne CG-30 サン・フランシスコ海軍造船所 1967/4/15 1994/2/4 1994/2/4 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-30)となる
◎1988 近代化改装
◎1994/3/17 予備役に編入
◎2008 リムパック2008演習に、標的として沈没
スタレット Sterett CG-31 ピュージェット・サウンド海軍造船所 1967/4/8 1994/3/24 1994/3/24 ◎1975/6/30 艦種をミサイル巡洋艦(CG-31)に改める
◎1979/7 ロング・ビーチ海軍造船所にてオーヴァーホール(~1980/10)
◎1991 近代化改装
◎1994/5/12 保管◎2005/7/29 解体のため、BrownsvilleのInternational Shipbreaking Corp. に売却
◎2006/11/30 解体終了
◎Iran/Indian Ocean Dec 1978-Jan 1979, Mar-Apr 1979, Libya Dec 1989.
ウィリアム H. スタンドリー William H. Standley CG-32 バス鉄工所 1966/7/9 1994/2/11 1994/2/11 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-32)となる
◎1990 近代化改装
◎1994/3/31 予備役に編入
◎2005/6/23 珊瑚海にてTalisman Sabre 2005演習に、標的として沈没
フォックス Fox CG-33 トッド・パシフィック造船所 1966/5/28 1994/4/15 1994/4/15 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-33)となる
◎1989 近代化改装
ビドル Biddle CG-34 バス鉄工所 1967/1/21 1993/11/30 1993/11/30 ◎1975/6/30 ミサイル巡洋艦(CG-34)となる
◎1975 オーヴァーホール
◎1980 オーヴァーホール
◎1987/6 近代化改装
◎1995/4/15 解体のため売却
◎1997/1/6 解体業者の契約不履行のため解体されず



満載排水量:15,944t 全長:185.90m 幅:24.60m 吃水:8.20m 主機/軸数:統合電気推進 出力:119,680馬力 速力(計画):30.0kt 兵装:戦術型トマホークSLCM/発展型シー・スパロー短SAM(ESSM)/アドヴァンスト・ランド・アタック・ミサイル(ALAM)用VLS162セル、57mm近接防御砲(単装)2基 搭載機:ヘリコプター2機もしくはヘリコプター1機と垂直発着艦戦術無人機(VTUAV)3機
※以上のデータはあくまでも計画値である。水上戦闘艦グループ SCF(Surface Combatant Family)の一部で建造隻数は未定。タイコンデロガ級の後継。ズムウォルト級ミサイル駆逐艦で検討されたステルス船体や電動機推進を含む統合電動システム(Integrated Power System)などをベースにすることになる。弾道ミサイル防衛機能を強化した対空戦を主任務にするため、ズムウォルト級の2周波数帯レーダー(Dual Band Radar)より高いレーダーを装備し、弾道ミサイル迎撃ミサイルとして新規開発中のKEI(Kinetic Energy Intercepter)を搭載する予定。計画当時、燃料価格高騰のため、ガス・タービンではなく原子力機関の案(CG(X)N)も出ている
※2010年に計画自体がキャンセル
↑Image courtesy of GlobalSecurity.org.

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 24/02/16