戦闘機、戦闘攻撃機

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※FYは会計年度 Fiscal Yearの略。kNは1kN=102.0kgf=102.0kg
チャンス・ヴォート・エアクラフト社(現トライアンフ・エアロストラクチャーズ社ヴォート・エアクラフト部門)製 初飛行:1955年3月25日(XF8U-1) 退役日:1980年代 F-8Eデータ=全幅:10.72m 全長:16.61m 全高:4.80m 翼面積:32.52m² 空虚運用重量:9,040kg 最大離陸重量(外部搭載品付き):15,400kg パワープラント:定格推力80.05kNのプラット&ホイットニー製J57-P-20Aターボジェット・エンジン1基 最大速度(12,192m、外部搭載品なし):1,802km/h 制限マッハ数:約1.8 高度17,400mへの上昇時間:6分 実用上昇限度:17,680m 航続距離:1,609km 兵装:機関砲:Mk. 12 Mod. 0 20mm機関砲4門(携行弾薬各144発) 空対空ミサイル:AIM-9サイドワインダー 精密誘導兵器(PGM):AGM-12A/Bブルパップ 無誘導弾薬:M65A1 1000lb(453kg)爆弾2発、500lb(226kg)爆弾8発または250lb(113kg)爆弾12発、127mmズーニ自由飛翔空対空ロケット(FFAR)8発 乗員:1名(TF-8Aは2名)
※社内呼称モデル383(V-383)
※1962年9月18日の3軍統一命名法によりF8UはF-8になる
↑第211戦闘飛行隊(VF-211)“ファイティング・チェックメイツ”所属F-8E
↑San Diego (Dec. 27, 2005) - Crane riggers from the U.S. Navy Public Works Center (PWC) guide a F-8K Crusader aircraft onto a floating barge for delivery to USS Midway (CV-41) museum in downtown San Diego. For over 30 years, the F-8 Crusader served the U.S. Navy and Marine Corps as a front-line fighter and photo reconnaissance aircraft. U.S. Navy photo by Photographer's Mate 1st Class Michael R. McCormick. (RELEASED)

↑Image courtesy of Shipbucket.
FY Block No. Bu.No. 機数、備考1 備考2
Bu.No. 直後の()内の
番号は製造番号
XF8U-1 138899~138901 ◎3機 138901はキャンセル 138899はスミソニアン協会に寄贈されメリーランド州SuitlandのSilver Hill facilityにて保管。現在はシアトルの飛行博物館のレストア施設にある
◎138900は460回飛行したのちにスクラップ
F8U-1 140444~140448 ◎5機 1962年以降の名称はF-8A。140447、140448はXF8U-2に改造 140444は1956年2月1日にエドワーズ空軍基地北方にて墜落。乗員(テスト・パイロット)は死亡
145357は1961年10月21日に攻撃航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CVA-42)への着艦中、アレステイング・フックの破損により墜落(VF-11所属機)。パイロットは脱出
F8U-1 141336~141363 ◎28機 1962年以降の名称はF-8A。141351はDF-8Fに改造。141354は1956年12月10日にNACAに移管(~1959年2月5日)。141363はF8U-1Pとして完成
F8U-1 142408~142415 ◎8機 1962年以降の名称はF-8A
F8U-1 143677~143821 ◎145機 1962年以降の名称はF-8A。143693、143730、143732、143738、143793、143814はDF-8Fに改造。143710はF8U-1Tとして完成。143711はDF-8Aに改造 143703はのちに国立海軍航空博物館から貸与されサン・フランシスコ湾のホーネット博物館 USS Hornet Museumにて展示(123456
◎143719(c/n 86)
F8U-1 144427~144606 ◎180機 1962年以降の名称はF-8A。144427は1963年にDF-8Fに改造。144443、144449、144456はのちにDF-8Fに改造。144462~144606はキャンセル
F8U-1P 144607~144625 ◎19機 1962年以降の名称はRF-8A。144607は空軍フライト・テスト・センターに移管。144608はRF-8Gに改造 ◎144607(c/n 66)
◎144615(c/n 154)
◎144617(c/n 5533)
F8U-1 145318~145415 ◎98機 1962年以降の名称はF-8A。145319はDF-8Fに改造。145382はDF-8Dに改造。145385はNASAに移管(NASA 816)
F8U-1E 145416~145545 ◎130機 1962年以降の名称はF-8B。145450、145498、145527、145528はDF-8Lに改造。145527はのちにThunderbird Aviationにより再生され民間登録No. N37TBを割り当てられる ◎145498(c/n 453)
F8U-2 145546~145603 ◎58機 1962年以降の名称はF-8C。クルーセイダーII Crusader IIとも呼ばれる。145546はNASAに移管(NASA 802)されフライバイワイア試験に使用。145592はF-8Kとして再生産。のちにThunderbird Aviationによりレストアされ民間登録No. N19TBを割り当てられる
F8U-1P 145604~145647 ◎44機 1962年以降の名称はRF-8A。145628はNRF-8Aに改造
F8U-1T 145648~145659(キャンセル) ◎12機
F8U-1P 146822~146905 ◎84機 1962年以降の名称はRF-8A。146860はRF-8Gに改造 ◎146897(c/n 724)
F8U-2 146906~147034 ◎129機 1962年以降の名称はF-8C。クルーセイダーII Crusader IIとも呼ばれる
F8U-2N 147035~147077 ◎43機 1962年以降の名称はF-8D。147041、147045はNF-8Dに改造。147073~147077はキャンセル ◎147056(c/n 99)
F8U-1P 147078~147084(キャンセル) ◎7機 1962年以降の名称はRF-8A
F8U-2N 147896~147925 ◎30機 1962年以降の名称はF-8D ◎147899はUSS Coral Sea CVB-43 CVA-43 CV-43 トリビュート・サイトからの文章: (投稿者: Randy Kelso)-この一連の写真は、ジャック・ターヒューン大尉 LT Jack Terhuneが中国海上空で損傷した[F-8Dクルセイダー、Bu.No. 147899、Modex No. NL-406]から脱出するところを写している[1965年10月14日]。彼は攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)からのヘリコプターによってピックアップされた 写真はVFP-63のロイ A. ジンク中尉 LT(JG) Roy A. Zinkが[RF-8A]フォトバードから撮影したもの。F-8D, Bu.No. 148670, NL-411]を操縦するジム・ギン少佐 LCDR Jim Ginnが写っている。ジャック・ターヒューン氏の機体は北ヴェトナムに突入した際に撃墜され、彼は空母に戻ろうとしたが、作動油を全て失ってしまった。F-8でこのようなことが起こると、全てが風にあおられ(ギア、フラップ、スピードブレーキ、主翼の上げ下げ、フックなど、そして操縦桿が凍りつく!)、垂れ下がる。 ターヒューン氏は、右側のジム・ギン氏と左側のロイ・ジンク氏(フォト・クルーセーダー)に、これからパンチングすることを告げた。ジンク氏は右側のカメラで高速撮影を開始し、その結果、一連の放出写真が撮影された。この写真は新聞やいくつかの海軍の出版物に掲載された。このようなシークエンスがフィルムに収められたのは初めてのことだったようだ。 コーラル・シー、第154戦闘飛行隊(VF-154)“ブラック・ナイツ Black Knights”、第15空母航空団(CVW-15)
NS0243cg「オール・ハンズ All Hands」1966年1月号
NS0243cga米国立公文書記録管理局 National Archives and Records Administration (NARA), # USN 1113584
NS0243cgb:米国立公文書記録管理局(NARA)、# USN 1113585。注:この事件の日付は1965年8月11日とされることがあるが、これは正しくない。コーラル・シーは香港に停泊しており、0730に出航した(出典:コーラル・シー航海日誌
◎147922(c/n 843)
F8U-2N 148627~148710 ◎84機 1962年以降の名称はF-8D ◎148678(c/n 898)
◎148693(c/n 913)
F8U-2NE 149134~149227 ◎94機 1962年以降の名称はF-8E 149212は1969年11月22日、カリフォルニア州アンザボレゴ・デザート・パーク上空にてF-4B(Bu.No. 150473、VMFA-513所属機)と衝突。F-8Jは後部胴体下部に衝突して空中分解し、F-4Bは前方のコクピット付近に深刻な損傷を受けた。F-8JのパイロットとF-4BのRIOは脱出し、軽傷を負った。F-4Bは地上に衝突して爆発。パイロットは死亡(VF-124所属機、Modex No. NJ-412)
F8U-2NE 150284~150355 ◎72機 1962年以降の名称はF-8E
F8U-2NE 150654~150683 ◎30機 1962年以降の名称はF-8E
F8U-2NE 150843~150932 ◎99機 1962年以降の名称はF-8E
F-8E(FN) 151732~151775 ◎44機 フランス海軍向け。151767は1993年頃にF-8Pに改造。151774、151775はキャンセル ◎151732(c/n EFN01/1202)
◎151736(c/n EFN05/1218)
◎151738(c/n EFN07/1224)
◎151741(c/n FN 10)
◎151754(c/n EFN23/1240)
◎151765(c/n 1251)
◎151767(c/n 1252)
◎151768(c/n EFN37/2154)


Update 24/06/02