アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略
- 軽荷排水量:1,630t 満載排水量:2,000t(2,525tともいわれる) 全長:106.47m(DD-456は106.01m、DD-461、DD-483、DD-497は106.17m、DD-463、DD-464は106.09m、DD-484は106.14m) 幅:10.99m(DD-456は10.97m、DD-461、DD-497は9.16m) 吃水:4.01m(DD-456は4.26m(平均)、DD-461、DD-463、DD-464は4.77m、DD-483は5.33m、DD-484は5.30m、DD-497は3.60m) 主缶:バブコック&ウィルコックス式水管缶(重油専焼)4基 主機/軸数:ウェスティングハウス式オール・ギアード蒸気タービン2基(DD-441~DD-444、DD-453~DD-456、DD-461~DD-464、DD-493~DD-497、DD-632~DD-641、DD-645はジェネラル・エレクトリック式オール・ギアード蒸気タービン)/2軸 出力(計画):50,000馬力 速力(計画):35.0kt(37.4ktともいわれる、DD-461、DD-464は38.0kt、DD-497は37.0kt) 燃料搭載量(計画):重油500t 航続力(計画):12ktで6,500浬 兵装:38口径127mm単装両用砲5基、12.7mm単装機銃10基、533mm5連装魚雷発射管2基(DD-453以降は38口径127mm単装両用砲4基、28mm4連装機関砲1基、12.7mm単装機銃10基、533mm5連装魚雷発射管1基に改正、後期艦はさらに機関砲兵装を40mm連装機関砲2基、20mm機関砲8基に増強)、爆雷投射機1基、爆雷投下軌条2条、爆雷10個 乗員:276名(DD-456は270名、DD-461、DD-464、DD-497は208名、DD-483は272名)
- ※同じギブス&コックス社製の図面によったため、ベンソン級のDD-423、DD-424と本級を一緒にしてグリーヴス級ともいわれる
- ※兵装の差異から、DD-453以降をブリストル級ともいわれる
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
リヴァモア | Livermore | DD-429 | バス鉄工所 | 1940/10/7 | 1947/1/24 | 1956/7/19 | ◎最初の予定艦名はグレイソンだった(1938/12/23改名) ◎1946/5/1 予備役に編入 ◎1961/3/3 解体のため売却 |
↑Image courtesy of Shipbucket. |
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エバール | Eberle | DD-430 | バス鉄工所 | 1940/12/4 | 1951/1/22 | 1951/1/24 | ◎1946/6/3 予備役に編入 ◎1950/11/21 再役 ◎1951/1/22 ギリシャに譲渡されNikiと改名 ◎1972 除籍、解体のため売却 |
プランケット | Plunkett | DD-431 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1940/7/17 | 1946/5/3 | 1972/11/1 | ◎1946/5/3 予備役に編入 ◎1954/2/16 台湾に譲渡されNan Yang(DD 17)と改名 ◎1975 除籍、解体のため売却 |
キアニー | Kearny | DD-432 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1940/9/13 | 1946/3/7 | 1971/6/1 | ◎1946/3/7 予備役に編入 ◎1972/10/6 解体のため売却 |
↑Image courtesy of Shipbucket. |
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グウィン | Gwin | DD-433 | チャールズタウン海軍工廠 | 1941/1/15 | ― | 1943/7/13 コロンバンガラ島沖夜戦にて日本海軍艦艇の雷撃により損傷、処分 | |
↑Image courtesy of Shipbucket. |
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メレディス | Meredith | DD-434 | チャールズタウン海軍工廠 | 1941/3/1 | ― | 1942/10/15 サン・クリストバル沖にて日本海軍機の攻撃により沈没 | |
グレイソン | Grayson | DD-435 | チャールストン海軍工廠 | 1941/2/14 | 1947/2/4 | 1972/6/1 | ◎最初の予定艦名はリヴァモアだった ◎1947/2/4 予備役に編入 ◎1974/6/12 解体のため売却 |
モンセン (1、2) |
Monssen | DD-436 | 海軍工廠ピュージェット・サウンド | 1941/3/14 | ― | 1942/11/13 第三次ソロモン海戦にて日本海軍艦艇の砲雷撃により沈没 | |
ウールゼー | Woolsey | DD-437 | バス鉄工所 | 1941/5/7 | 1946/6/13 | 1971/7/1 | ◎1946/3/8 予備役に編入 ◎1974/6/12 解体のため売却 |
ラドロー | Ludlow | DD-438 | バス鉄工所 | 1941/3/5 | 1951/1/22 | 1951/1/24 | ◎1946/5/20 予備役に編入 ◎1951/1/22 ギリシャに譲渡されDoxaと改名 ◎1972 除籍、解体のため売却 |
エディソン | Edison | DD-439 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1941/1/31 | 1946/5/18 | 1966/4/1 | ◎1946/5/18 予備役に編入 ◎1966/12/29 解体のため売却 |
エリクソン | Ericsson | DD-440 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1941/3/13 | 1946/3/15 | 1970/6/1 | ◎1946/3/15 予備役に編入 ◎1970/11/17 標的として沈没 |
ウィルクス | Wilkes | DD-441 | チャールズタウン海軍工廠 | 1941/4/22 | 1946/3/6 | 1971/3/1 | ◎1946/3/4 予備役に編入 ◎1972/6/29 解体のため売却 |
ニコルソン | Nicholson | DD-442 | チャールズタウン海軍工廠 | 1941/6/3 | 1951/1/15 | 1951/1/22 | ◎1946/2/26 退役 ◎1948/11/30 予備役に編入 ◎1950/7/17 再役 ◎1951/1/15 イタリアに譲渡されAviereと改名 ◎1970 試験砲艦となる ◎1975 標的として沈没 |
スワンソン | Swanson | DD-443 | チャールストン海軍工廠 | 1941/5/29 | 1946/3/6 | 1971/3/1 | ◎1945/12/10 予備役に編入 ◎1972/9/29 解体のため売却 |
イングラハム | Ingraham | DD-444 | チャールストン海軍工廠 | 1941/7/17 | ― | 1942/9/11 | 1942/8/22 ノヴァ・スコシア沖にて給油艦シェマング Chemung(AO-30)と衝突し沈没 |
ブリストル | Bristol | DD-453 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1941/10/22 | ― | 1943/10/13 アルジェ沖にてドイツ海軍潜水艦U371の雷撃により沈没 | |
エリソン | Ellyson | DD-454 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1941/11/28 | 1954/10/19 | 1970/2/1 | ◎1944/11/15 艦種を掃海駆逐艦(DMS-19)に改める ◎1954/5/4 艦種を駆逐艦(DD-454)に改める ◎1954/10/19 日本に貸与され警備艦あさかぜ(DD-181)となる ◎1960/10/1 艦種を護衛艦に改める ◎1969/10/19 除籍 ◎1969/12/3 日本より返還 ◎1970/8 台湾に売却され部品供給艦となる |
ハンブルトン | Hambleton | DD-455 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1941/12/22 | 1955/1/15 | 1971/6/1 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-20)となる ◎1955/1/15 予備役に編入 ◎1955/1/16 駆逐艦(DD-455)となる ◎1972/11/22 解体のため売却 |
☆DD-455の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/5/17 ドイツ海軍潜水艦U616(Cartagenaにて撃沈(他艦と共同で)) (←ドイツ海軍VIIC型潜水艦) |
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ロッドマン | Rodman | DD-456 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/1/27 | 1955/7/28 | 1972/11/1 | ◎1940/12/26 起工 ◎1941/9/26 進水 ◎1942秋 ボストンにてオーヴァーホール ◎1942/11下旬 ボストンにて改装(~1942/12、28mm機関砲から40mm機関砲、20mm機関砲に換装) ◎1944/11 ボストンで掃海駆逐艦に改装(~1944/12) ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-21)に改める◎1955/1/15 艦種を駆逐艦(DD-456)に改める ◎1955/7/28 台湾に譲渡され咸陽 Hsuen Yang(DD 16)と改名 1970/5/22 Matsu Islandにて座礁 ◎1973/4/4 売却 1976 映画撮影用にロケに用いられ沈没 |
◎North Africa, Normandy, Southern France. ☆DD-456の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/5/17 ドイツ海軍潜水艦U616(Cartagenaにて撃沈(他艦と共同で)) (←ドイツ海軍VIIC型潜水艦) |
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エモンズ (1、2) |
Emmons | DD-457 | バス鉄工所 | 1941/12/5 | ― | ◎1940/11/14 起工 ◎1941/8/23 進水 ◎1942/12? ボストンにてオーヴァーホール ◎1944/11上旬 ボストンで高速掃海艇に改装 ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-22)に改める |
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☆DD-457の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/5/17 ドイツ海軍潜水艦U616(Cartagenaにて撃沈(他艦と共同で)) (←ドイツ海軍VIIC型潜水艦) |
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メイコム | Macomb | DD-458 | バス鉄工所 | 1942/1/26 | 1954/10/19 | 1970/2/1 | ◎1944/11/15 艦種を掃海駆逐艦(DMS-23)に改める ◎1954/5/4 艦種を駆逐艦(DD-458)に改める ◎1954/7 予備役に編入 ◎1954/10/19 日本に貸与され警備艦はたかぜ(DD-182)となる ◎1960/10/1 艦種を護衛艦に改める ◎1969/10/19 除籍 ◎1969/12/3 日本より返還 ◎1970/8/6 台湾に売却され咸陽と改名(~1974) |
☆DD-458の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/5/17 ドイツ海軍潜水艦U616(Cartagenaにて撃沈(他艦と共同で)) (←ドイツ海軍VIIC型潜水艦) |
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フォレスト (1、2) |
Forrest | DD-461 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/1/13 | 1945/11/30 | 1945/12/9 | ◎1941/1/6 起工 ◎1941/6/14 進水 ◎1943/12/3 ボストンにてオーヴァーホール 1944/10/1 Marseilleにて衝突し損傷 ◎1944/11/8 ノーフォークで高速掃海駆逐艇に改装 ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-24)に改める |
◎North Africa, Norway Raid, Task Group 21.12, Normandy, Southern France. | |||||||
フィッチ | Fitch | DD-462 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/2/3 | 1956/2/24 | 1971/7/1 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-25)となる ◎1955/7/16 駆逐艦(DD-462)となる ◎1956/2/24 予備役に編入 ◎1973/11/15 フロリダの東海岸にて標的として沈没 |
コリー (1、2) |
Corry | DD-463 | チャールストン海軍工廠 | 1941/12/18 | ― | 1944/7/29 | ◎1940/9/4 起工 ◎1941/7/28 進水(1、2、3) ◎大西洋艦隊に配属 ◎1942/5/18 アナポリスの海軍兵学校に係留された。5月18日から20日まで、海軍のラジオ・ワシントン Navy's Radio Washingtonと連携し、Severn Riverにて行われたある特別作戦に参加した ◎1942/5/21 最初の任務であるイギリス海軍補助艦Queen Elizabethの護衛に出発。5月22日、最初の寄港地であるブルックリンで燃料を補給し、そののちまもなく目的の船とのランデヴーに出発した。5月23日の明け方、コリーはQueen Elizabethと接触し、ニュー・ヨーク港まで同船を護衛した。Queen Elizabethを無事にニュー・ヨークへ送り届けたその日、コリーはバミューダに進路をとった ◎1942/5/24 ポート・ロイヤル港に到着し、第26任務部隊 Task Force (TF) 26に合流。重巡洋艦オーガスタ Augusta(CA-31)の対潜警戒網として、ノーフォークへの航海に従事することになった。短い航海ののち、5月26日にオーガスタと共にノーフォークに到着した。数日後の5月31日、TF22司令官の下、オーガスタ、フォレスト(DD-461)とともにニューポートに向かい、6月1日に同地に到着、数日間同地に留まった。同地での活動中、戦艦インディアナ Indiana(BB-58)の海上試運転の際にも護衛を行った ◎1942/6/2 TF22に所属するコリーはニューファンドランドのArgentiaに向けて出航した。この間、オーガスタや航空母艦レンジャー Ranger(CV-4)の対潜警戒網船として行動した。そののち、数週間ニューファウンドランド近海に留まったが、6月23日に母港のチャールズタウン海軍工廠に帰港し、定期修理に入った。修理が完了した直後の6月30日にニューポートでTF22と合流し、7月1日にTrinidadへ向けて出港 ◎1942/7/6 Trinidadに入港した。7月8日まで同地域で哨戒活動を行った。7月31日にPort of Spainを出港し、ハンプトン・ローズへ向けて進路を取った。8月5日にノーフォークに到着して航海を終了し、修理改装。8月22日までチェサピーク湾にて各種演習に参加し、8月23日にTF22とともにボストンに向けて出航。8月30日、オーガスタに随伴してノーフォークに向かい、同日Colonに向け進路を取った ◎1942/9/3 Colonに到着し、翌日駆逐艦ローワン Rowan(DD-405)、メイラント Mayrant(DD-402)とともに、ノーフォークに向かう第6輸送分艦隊 Transport Division 6を護衛するために出港した。そののち、9月11日にノーフォークに到着した。そののち1ヶ月近く滞在し、10月3日、第22.1任務群 Task Group (TG)22.1の一員としてバミューダに向かい、ふたたび海に出る。10月6日に目的地に到着し、丸1週間、演習や哨戒に参加した。10月14日にノーフォークに戻り、数日後にふたたびバミューダへ向かい、10月19日に到着した。1942年10月25日、第10駆逐戦隊 Destroyer Squadron 10、TG34.2の一員として、コリーはフランス領モロッコへの航海に出発した。11月8日に指定された地域に到着し、“トーチ”作戦に参加した。これはアメリカ軍がヨーロッパ戦域で行った最初の大規模な軍事行動で、米英が共同でヴィシー・フランス領北アフリカに侵攻し、大陸からドイツ軍を追い出してシシリー、そしてイタリアへの侵攻の道を開くというものだった。コリー、レンジャー、軽巡洋艦クリーヴランド Cleveland(CL-55)は、カサブランカの北に位置した。コリーはレンジャーとクリーヴランドの対潜警戒網として機能し、レンジャーは侵攻を支援するために飛行作戦を開始した同地での作戦終了後、11月16日に戦艦テキサス Texas(BB-35)とともに出航し、11月26日にノーフォークに帰着した。11月27日、ボストンに向けて北上し、途中、給油艦メリマック Merrimac(AO-37)、駆逐艦ホブソン(DD-464)、トリップ Trippe(DD-403)とともにニュー・ヨークまで護衛艦の一員として活動した。11月28日、コリーとホブソンは輸送船団から切り離され、そのままボストンに向かい、11月29日に到着。チャールズタウン海軍工廠での10日間の修理改装、オーヴァーホールを受けた。20mm機関砲3基を搭載し、1942年12月2日に新艦長ロット・エンジー中佐 Lt. Cmdr. Lot Enseyを迎え入れた。12月11日に駆逐艦はホブソン、マドックス(DD-622)とともに戦艦マサチューセッツ Massachusetts(BB-59)を護衛し、Casco Bayに出航した。ポートランド沖にて対潜作戦と射撃訓練を行った。ポートランドでの活動に続き、12月16日にノーフォークに錨を下ろした ◎1942/12/17 コリーは軽巡洋艦モントピーリア Montpelier(CL-57)、給油艦パタクセント Patuxent(AO-44)、駆逐艦ラヴァレット La Vallette(DD-448)、シュヴァリエ Chevalier(DD-451)、ストロング Strong(DD-467)、テイラー Taylor(DD-468)とともに出航した。航海を始めてわずか数日後の1942年12月21日、モントピーリアは潜航中の潜水艦を目撃したが、モントピーリアもコリーも攻撃を開始する事ができなかった。コリーは航海を続け、それ以上の興奮はなく、12月24日にパナマに入港した。パナマ入港の翌日にはふたたび出航し、補助航空母艦ボーグ Bogue(ACV-9)を護衛してノーフォークに帰港した。この2隻は12月31日に無事到着した。それからわずか1週間後の1943年1月8日にふたたびノーフォークを出航し、TF22とともに大西洋で演習と哨戒を実施した。1月30日にノーフォークに戻り、定期修理のため、乾ドックに入れられた ◎1943/2/13 ノーフォークを出発し、北アフリカに向かうTF22の対潜警戒網船として行動した。無事に任務を終え、3月6日にノーフォークに帰着。コリーは数ヶ月間、東海岸と北方海域の多数の哨戒と演習に参加し続けた。ニューポート、Casco Bay、ボストン、Argentia、ニュー・ヨーク、ノヴァ・スコシア州ハリファックス、ノヴァ・スコシアへの航海が含まれる。特に注目すべきは、5月にArgentia近海にてイギリス海軍潜水艦P.554と演習を行ったことである。8月9日現在、コリーはノヴァ・スコシア州ハリファックスに停泊している ◎1943/8/11 コリーはTF22の一員としてスコットランドのスカパ・フローに向け進路を取った。8月19日、オークニー諸島のロング・ホープに無事到着。そののち、11月末までイギリス本国艦隊の哨戒・演習に参加。ドイツ艦隊がスピッツベルゲン島を襲撃したため、英米海軍は同地に残る守備隊を救援するために行動していたのである。コリーは連合軍艦艇の護衛の役割を担い、可能な限りドイツ軍基地とスピッツベルゲン島の間に位置するようになった。その間、おおむねスカパ・フロー周辺に留まっていたが、10月初旬、第二次大戦中に北欧海域で行われた唯一のアメリカ海軍空母作戦となる“リーダー”作戦 Operation Leaderの一環としてノルウェーに向けて出撃。レンジャーの搭載機によって行われたこの空襲は、ノルウェー沿岸の2つの輸送船団とノルウェーのBodø港の船舶に“評価できる損失”を与えた。コリーは他に2回アイスランドのAkureyri Harborに航海し、この地域での任務を終える前に、アルタフィヨルド近海でソ連の輸送船団と出会うイギリス海軍戦艦Anson(79)の護衛に参加した。1943年11月25日、アイスランドのHvalfjordur Harborに錨を下ろした。そののちまもなく、母港のボストンに戻るコースを設定し、12月3日に無事到着した ◎1943/12/24 ニュー・オーリンズに向け進路をとった。12月31日にニュー・オーリンズ沖に到着し、同日にColon行きの商船隊の護衛任務に就いた。1944年1月5日、輸送船団とともに到着。Colon到着の翌日にはふたたびび出航し、イギリス海軍護衛航空母艦Begum(D.38)に随伴してノーフォークに向かい、1月11日に無事到着した。コリーの乗組員はノーフォークで数日間の陸上休暇を得たのち、1月15日にフォレスト(DD-461)、ホブソンと共にバミューダ付近での航空母艦ホーネット Hornet(CV-12)のシェイクダウンにともなう護衛に出発した ◎1944/2/2 コリーはノーフォークに帰還した。TG21.16に所属し、2月16日に護衛航空母艦ブロック・アイランド Block Island(CVE-21)、護衛駆逐艦トーマス Thomas(DE-102)、ブリーマン Breeman(DE-104)、ブロンスタイン Bronstein(DE-189)、ボストウィック Bostwick(DE-103)とともに大西洋での対潜作戦のため出航。任務群は3月8日にカサブランカに到着した ◎1944/3/11 ブロック・アイランドとともにカサブランカを出発 ◎1944/3/19 ドイツ海軍潜水艦U1059とブロック・アイランドの艦載機が戦闘後、乗組員を救助中、減速機の異音を確認するために機関室が右舷エンジンを一時停止。1005に右舷エンジンが再稼働したことを報告 ◎1944/3/27 コリーはブロック・アイランドに最近の戦闘に関する報告書を転送したのち、ボストンに向けて進路を取り、3月31日に目的地に到着、開港した港湾網を1330に通過してPresident Roadsに待機、South Boston Annexのバースに進み、1415に東側の第1埠頭に係留。コリーは1944年4月8日までチャールズタウン海軍工廠に留まっていた。4月10日にはCasco Bayでの訓練任務のために出航し、最終的に4月15日にボストンに戻ってきた。4月18日にノーフォークに到着し、4月20日にTG27.9の一員としてイギリスへ向かった。5月2日にベルファーストに到着 1944/6/6 連合国は“オーヴァーロード”作戦 Operation Overlordを開始し、ドイツ占領下のフランス、ノルマンディーに侵攻した。コリーは、ドイツ軍が防衛する海岸線に侵入しようとする連合軍の槍の先端にいた。その日の最初の任務は、英仏海峡を渡る重巡や輸送船を護衛することであった。のちにノルマンディ海岸“ユタ・ビーチ”への部隊上陸を支援するため、“ユタ・ビーチ”沿いのドイツ軍防御網を砲撃する任務に就いた。0633、海岸の向こうの敵の陣地を砲撃し、同時にドイツの砲撃を避けようとしていた時、コリーはほぼ真横に機雷が当たった。公式報告によると、この機雷の爆発により、前方の機関室と火災室がただちに浸水した。機雷が爆発したとき、“床板がはがれ、水の流れる音が聞こえた”という目撃証言がある。さらに、全電源喪失と舵が効かなくなるなど、状況は悪化した。高速で右に急旋回しようとした矢先にこの故障が発生し、波間を旋回するような動きになってしまった。艦長と乗組員は迅速かつ勇敢に行動し、“浅瀬で駆逐艦を曳航するためにボートが海に下ろされた”。 コリーは、船体の中央部が破損し、大きく沈んでいた。水が主甲板に達した0639ころ、艦長のジョージ D. ホフマン中佐 Lt. Cmdr. George D. Hoffmanは、船を捨てる準備をするように指示を出した。数分後、甲板は約2フィートの水中に潜り、乗組員は迅速に船を捨て艦長は最後に出発し、そのリーダーシップのある行動はのちに銀星章 Silver Starを授与されることになった。コリーの船体は水深約6ファゾムから突き出ており、乗組員は周囲の波に流されながら、浮くことができるものなら何にでもしがみついた。ドイツ連邦海軍のフレドリッヒ・リューゲ中将 Vice Adm. Fredrich Rugeが書いたノルマンディー上陸作戦中のドイツの作戦記録によると、この日コリーと交戦していたドイツ海軍の砲台はシェルブールの東にあるサン・マルコフ砦 Ft. St. Marcoufにあった210mmの陸上砲台であったという。ドイツ側は、この砲台の砲撃が機雷に衝突してコリーを沈めたとみている。コリーの乗組員の何人かは、将校も下士官も、機雷よりもドイツ軍の砲撃のせいで沈んだと信じていた。重巡洋艦クインシー Quincy(CA-71)に乗船していたジョン R. ブラックバーン大佐(退役) Capt. John R. Blackburn USN (Ret.)は、後年書いた文章で、少し離れたところから見たコリーの沈没を回想し、“この気の小さいブリキ缶は機雷の爆発で致命傷を負って、急速に沈んでいった”と述べている。“煙突から白い蒸気の霧が吹き上げていた”と述べている。クインシーは、落ち込んでいるコリーの乗組員に向けられるドイツ軍の砲撃を食い止めるため、8インチ砲で海岸線に砲撃した。コリーの乗組員の中には、小さな筏に乗ったり、浮き具を持っている者もいたが、MM2cアーニー・マッケイ MM2c Earnie Mckayのような多くの船員は、浮き具が無いことに気がついた。マッケイもそうであったように、船が沈んだのち、溺れないように残骸のところまで泳いで戻った。そのおかげで沈没は免れたが、コリーがバラバラになったのちも、ドイツ軍の砲撃は続き、コリーの位置は狙われていた。生き残った乗組員は、ドイツ軍の弾薬が爆発し続ける中、2時間近く水中で過ごした。この悲劇的な状況は、さらに勇敢な船員を犠牲者のリストに加えることになった。ホフマン中佐が回想するように、“おそらく大多数の死傷者は、船が沈んでから1時間半も水中で発生し、砲台は水中の兵士に砲撃を続けた”のである。取り残された船員たちは、コリーの残骸の方にも、敵の海岸線にも引き寄せられる波と格闘することが困難であることがわかった。砲撃と海から生還した人々の救助は、フィッチ(DD-462)とホブソンがこの地域に入り、敵の海岸砲台を撃退した830時にようやく行われた。彼らはバトラー(DD-636)と魚雷艇PT-199とともに、コリーの乗組員の救出を支援した。生存者は最終的に攻撃輸送艦バーネット Barnett(APA-5)に移され、のちにイギリスのFalmouthのアメリカ海軍前進基地 U.S. Naval Advanced Baseに運び込まれた。乗組員は沈没時にかなりの犠牲を強いられた。戦闘開始の6時半には、右舷に落下した至近弾の破片で左肩を負傷した者がいた。その結果、6名の下士官が命を落とし、1名の将校と15名の下士官が行方不明となり、1名の将校と32名の下士官が負傷した。この日は、悲劇に満ちた日であったが、ジョン・オリヴァー・パロット大尉 Lt. John Oliver Parrottのように、戦闘の混乱の中で大胆な行動をとり、海軍十字章 Navy Crossを授与された船員もおり、驚くべき勇気ある行動も見られた。パロット大尉は、船を捨てるように言われたのち、命がけで前方の火災室に入り、格子の下に閉じ込められたWT3cを救出した。火室内の水は油と混ざり、空気中には蒸気が充満しており、爆発する可能性があったにもかかわらず、パロットは下士官を安全な場所まで引き上げたのである(1、2) |
◎Sunk by mine off Utah Beach, Normandy, Broke in two, 6 Jun 1944 (22 killed).
North Africa, Norway Raid, Task Group 21.16, Normandy. ☆DD-463の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/3/17 ドイツ海軍潜水艦U801(Cape Verde Is. にて撃沈(他艦と共同で)) |
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↑Image courtesy of Shipbucket. |
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ホブソン (1、2) |
Hobson | DD-464 | チャールストン海軍工廠 | 1942/1/22 | ― | ◎1940/11/14 起工 ◎1941/9/8 進水 ◎R. N. マクファーレン中佐 Comdr. R. N. McFarlaneが指揮 ◎メイン州カスコ湾での大規模なシェイクダウンと訓練作戦ののち、新型駆逐艦はノーフォークのヴェテラン航空母艦レンジャー Ranger(CV-4)と合流し、7月1日、アフリカへの護衛のため出航した。72機のP-40という重要な貨物を搭載。レンジャーはTrinidad経由で無事到着し、航空機を降ろし、ホブソンとともに1942年8月5日に帰還した。駆逐艦はそののち、10月3日までニューポート沖とノーフォーク沖で訓練演習を行い、ノーフォークからバミューダに向けて護衛任務に就いた ◎連合国が大西洋を横断する大胆な水陸両用攻撃で北アフリカに上陸する準備を進める中、ホブソンは中央攻撃グループに参加。彼女の主な仕事は、空母の機動航空戦力が突撃を支援する間、レンジャーを遮蔽し保護することだった。10月25日にバミューダを出発したホブソンのグループは、11月8日にFedhala沖に到着し、上陸作戦が進むにつれて不可欠な航空支援を提供した。レンジャーの飛行機は陸上砲台や不動なヴィシー・フランス海軍戦艦Jean Bartを攻撃し、そののちフランス艦船による輸送区域への攻撃を退けるのに貢献した。ホブソンは、11月11日にノーフォークに向けて出航するまでレンジャーを監視し、連合国が攻撃区域を完全に指揮できるようにした ◎1942年11月27日にノーフォークに戻ると、駆逐艦はカスコ湾での演習に参加し、そののち12月に運河地帯への輸送船団とともに航行した。1943年初めにはふたたびレンジャーと合流し、対潜哨戒グループは西大西洋を哨戒するために1月8日に出港した。レンジャーのようなグループは、大西洋の連合国海運をUボートから守り、最終的なヨーロッパの勝利に大きく貢献した。ホブソンの多才な活躍の典型は、1943年3月2日、バミューダ沖で汽船St. Margaretからの生存者グループを救助したことである ◎4月、ホブソンとレンジャーはアルジェンティアに到着し、同基地を拠点に作戦を開始した。同艦は輸送船団の航空援護と対潜哨戒を行い、1943年7月にはチャーチル首相 British Prime Minister Winston Churchillをケベック会議に運ぶイギリス海軍兵員輸送船Queen Maryを護衛する栄誉に浴した。ヴェテラン駆逐艦は7月27日にボストンに到着し、新たな任務に備えた ↑客船クイーン・メアリー ◎ホブソンはレンジャーやほかの艦船とともに8月5日に出港し、スカパ・フローで英国本国艦隊に合流した。8月19日に到着し、英国海軍の命令で北方海域で活動し、ロシアへの重要な補給船団の援護に貢献した。9月21日、スカパ・フローでノックス海軍長官 Secretary of the Navy Knoxとスターク大将 Admiral Starkの視察を受けた。ホブソンは、1943年10月2~4日、空母艦載機がノルウェーのBodoでドイツ海運を壊滅的に攻撃した際、レンジャーに同行して大胆な襲撃を行った。この作戦ののち、駆逐艦は本国艦隊と行動をともにした。11月の飛行作戦ではイギリス海軍航空母艦Formidable(67)を護衛し、アイスランドへの2回の輸送船団航海ののち、1943年12月3日にボストンと米国の管理下に戻った。1944年の最初の2ヶ月間、ホブソンはチェサピーク湾で訓練を受け、東海岸とバミューダの間で空母とともに行動した。ノーフォークで護衛航空母艦ボーグ Bogue(CVE-9)やほかの護衛艦と合流し、2月26日に出港。これらのハンター・キラー・グループは、ドイツのUボートをシーレーンから追い払うのに大きな役割を果たしたが、この巡航も例外ではなかった。駆逐艦は2週間以上哨戒したのち、油膜を発見し、ソナーで接触、3月13日午後に深度爆雷攻撃を開始した。ドイツ海軍気象通報潜水艦U575は大損害を受け、浮上を余儀なくされたのち、ホブソンとほかの艦艇の砲撃で撃沈された。さらに東のアゾレス諸島まで対潜掃海を行ったのち、ホブソンは4月2日にボストンに戻った ◎1944年4月21日、この駆逐艦は、兵士を輸送し保護する大艦隊に加わるため出航した。北アイルランド沖で1ヵ月間哨戒し、5月21日にイギリスのプリマスに到着して侵攻の最終準備を行った。ムーン少将 Rear Admiral Moonのユタ・ビーチ強襲群 Utah Beach Assault Groupに配属されたホブソンは、6月6日0140時に砲撃群のほかの艦船とともにノルマンディー沖に到着し、ドイツ軍の陸上砲台を掃射した。早朝、コリー(DD-463)が機雷に衝突して沈没したのち、ホブソンとフィッチ(DD-462)はドイツ軍の海岸陣地に砲撃を加え、同時に生存者を水中から救出した。ホブソンはその日の午後にイギリスのプリマスに戻るまで、強力な射撃支援を続けた ◎しかし、この駆逐艦が戦いから離れたのは長くは続かず、6月8日には突撃海域を遮蔽するために戻ってきた。また、6月9日から11日にかけては、ギルダー爆弾の無線周波数を妨害し、輸送船団を保護した。連合国がフランスで良港を切実に必要としていたため、ホブソンは砲撃を支援するため、6月25日にシェルブールに向かった。戦艦テキサス Texas(BB-35)とアーカンソー Arkansas(BB-33)が危険な状態になると、ホブソンとプランケット(DD-431)は援護射撃を行い、すべての戦艦を退却させた。数日後、連合軍はシェルブールを占領した ◎7月11日、アルジェリアのMers-el-Kebirに到着したホブソンは、次の任務で地中海に向かい、1ヶ月間イタリアのタラントとの間で輸送船団任務を行った。ロジャーズ少将デルタ突撃部隊 Joining Rear Admiral Rodgers Delta Assault Forceと合流し、8月11日、南フランス侵攻のためタラントを出航。8月15日未明には、ネヴァダ Nevada(BB-36)の予備砲撃の索敵役を務め、部隊が上陸すると、自身の砲台で直接砲撃支援を行った。駆逐艦は翌日の夕方まで攻撃地域に留まり、8月17日にPalermoに到着して地中海の輸送船団任務に就いた。 ヨーロッパでの連合軍の攻勢が勢いを増す中、ホブソンはアルジェリア、イタリア、フランス間の輸送船団護衛艦として重要な物資と兵員を守りながら航行した ◎1944年10月25日に米国に向けて出航し、11月10日にバミューダ経由でチャールストンに到着。そこで海軍造船所に入り、高速掃海艇に改造され、1944年11月15日に艦種を高速掃海艇(DMS-26)に改める。12月までチャールストンとノーフォーク沖で試運転とシェイクダウン訓練を受けた |
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◎North Africa, Norway Raid, Normandy, Southern France. ☆DD-464の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/3/13 ドイツ海軍潜水艦U575(アゾレス諸島北方海域にて撃沈(他艦と共同で)) (←ドイツ海軍VIIC型潜水艦) |
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アーロン・ウォード (1、2) |
Aaron Ward | DD-483 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/3/4 | ― | ◎1941/2/11 起工 ◎1941/11/22 進水 ◎1942春 ニュー・ヨーク海軍工廠にてPSA(~1942/5) 1942/11/13 第三次ソロモン海戦(連合軍側呼称:ガダルカナル海戦 Naval Battle of Guadalcanal)にて日本海軍艦艇の砲雷撃により損傷 ◎1942/12/20 真珠湾にて修理(~1943/2) 1943/4/7 ツラギ島南方海域にて日本軍機の攻撃により沈没(1、2、3、4) 1994/9/4 海底にて船体がダイヴァーにより発見 |
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◎Battle of Guadalcanal, Solomons. | |||||||
↑Image courtesy of Shipbucket. |
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ブキャナン (1、2) |
Buchanan | DD-484 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/3/21 | 1949/4/28 | ◎1941/2/11 起工 ◎1941/11/22 進水 1942/11/12 サヴォ島沖海戦にて味方艦の誤った砲撃により損傷 1943/4/30 ガダルカナル島南沿岸にて座礁、のちに離礁、のちにEspiritu Santoにて修理 1943/7/13 コロンバンガラ島沖海戦にて駆逐艦ウッドワース Woodworth(DD-460)と衝突し損傷、後にNoumeaにて修理 1944/2/24 カヴィエンにて日本軍の沿岸砲台の砲撃により損傷 ◎1944/4/20 メア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール(~1944/6/24、1、2、3) 1944/12/18 フィリピン海にて台風により損傷(ジャイロコンパス使用不能航空戦史シリーズNo. 55「神風、米艦隊撃滅」(朝日ソノラマ)より) ◎1945晩秋 チャールストンにて不活性化オーヴァーホール ◎1946/5/21 退役、保管 ◎1948/12/11 再役 ◎1949/3/29 トルコに譲渡されGelibolu(G_1)と改名(1、2) ◎のちに艦種記号をD 23に改める ◎のちに艦種記号をD 346に改める(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10) ◎1976(1977?) 除籍、解体 |
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◎Damaged in error by gunfire of U.S. warships, Battle of Guadalcanal,
12 Nov 1942 (5 killed). Guadalcanal-Tulagi (1, 2), Cape Esperance, Battle of Guadalcanal, Solomons, New Georgia, Kolombangara,
Green I. Ldgs., Rabaul and Kavieng Bombard., Buka Raid, 1st Rabaul Raid,
Palau, Philippines Raids Sep 1944, Luzon Raids Oct 1944, Luzon Raids Jan 1945,
Formosa Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Iwo Jima, Okinawa,
Raids on Japan Jul-Aug 1945. PUC. ☆DD-484の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/1/22 日本海軍呂号第三七潜水艦(サン・クリストバル南方海域にて撃沈) |
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ダンカン | Duncan | DD-485 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/4/16 | ― | 1942/10/12 サヴォ島沖夜戦にて日本海軍艦艇の砲雷撃により沈没 | |
ランズダウン | Lansdowne | DD-486 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/4/29 | 1946/5/2 | 1949/8/15 | ◎1946/5/2 予備役に編入 ◎1949/6/10 トルコに譲渡されGaziantep(D 344)と改名 ◎1973 除籍、解体のため売却 |
ラードナー | Lardner | DD-487 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/5/13 | 1946/5/16 | 1949/8/15 | ◎1946/5/16 予備役に編入 ◎1949/6/10 トルコに譲渡されGemlik(D 347)と改名 ◎1974 除籍 ◎1982/11/21 東地中海にて標的として沈没 |
↑Image courtesy of Shipbucket. |
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マッカラ | MaCalla | DD-488 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/5/27 | 1949/4/28 | 1949/6/7 | ◎1946/5/17 予備役に編入 ◎1948/12/11 再役 ◎1949/4/28 トルコに譲渡されGiresun(D 345)と改名 ◎1973 除籍、解体のため売却 |
マーヴィン | Mervine | DD-489 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/6/17 | 1949/5/27 | 1968/7/31 | ◎1945/5/30 掃海駆逐艦(DMS-31)となる ◎1949/5/27 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-489)となる ◎1969/10/27 解体のため売却 |
クイック | Quick | DD-490 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/7/3 | 1949/5/28 | 1972/1/15 | ◎1945/6/23 掃海駆逐艦(DMS-32)となる ◎1949/5/28 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-490)となる ◎1973/8/27 解体のため売却 |
カーミック | Carmick | DD-493 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1942/12/28 | 1954/2/15 | 1971/7/1 | ◎1945/6/23 掃海駆逐艦(DMS-33)となる ◎1954/2/28 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-493)となる ◎1972/8/7 解体のため売却 |
ドイル (1、2) |
Doyle | DD-494 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/1/27 | 1955/5/19 | 1970/12/1 | ◎1945/6/23 艦種を掃海駆逐艦(DMS-34)に改める 1953 映画会社コロンビアの映画「ケイン号の叛乱 The Caine Mutiny」撮影用に用いられる(ドイルの病室を写した「ケイン号の叛乱」ロビー・カード) ◎1955/5/19 予備役に編入 ◎1972/10/6 解体のため売却 |
エンディコット | Endicott | DD-495 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/2/25 | 1955/8/17 | 1969/11/1 | ◎1945/5/30 掃海駆逐艦(DMS-35)となる ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-495)となる ◎1955/8/17 予備役に編入 ◎1970/10/6 解体のため売却 |
マックック (1、2) |
McCook | DD-496 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/3/15 | 1949/5/27 | 1972/1/15 | ◎1941/5/1 起工 ◎1942/4/30 進水 1944/5/28 Weymouthにて枢軸軍機の爆撃(至近弾)により損傷、のちに駆逐艦母艦メルヴィル Melville(AD-2)により修理 1944/6/6 ノルマンディ海岸にて艦底を損傷(上陸部隊援護のためにギリギリまで海岸に接近し、ドイツ軍陣地を砲撃、海岸に接近しすぎたために艦底を擦る程度の損傷) ◎1945/5下旬 フィラデルフィア海軍工廠で高速掃海艇に改装(~1945/7/12) ◎1945/5/30 艦種を高速掃海艇(DMS-36)に改める ◎1955/7/15 艦種を駆逐艦(DD-496)に改める ◎1973/8/1 Defense Reutilization & Marketing Serviceにより解体のため売却 |
◎Normandy, Southern France. | |||||||
フランクフォード (1、2) |
Frankford | DD-497 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/3/31 | 1946/3/4 | 1971/6/1 | ◎1941/6/5 起工 ◎1942/5/17 進水 ◎1944/10/3 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール ◎退役後、チャールストンにて保管 ◎1973/12/4 プエルト・リコ沖にて標的として沈没 |
◎Normandy, Southern France. ☆DD-497の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/8/18 ドイツ海軍魚雷艇3隻(南フランスにて撃沈(他艦と共同で)) |
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ダヴィソン | Davison | DD-618 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/9/11 | 1949/6/24 | 1972/1/15 | ◎1945/6/23 掃海駆逐艦(DMS-37)となる ◎1949/6/24 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-618)となる ◎1973/8/27 解体のため売却 |
エドワーズ | Edwards | DD-619 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/9/18 | 1946/4/11 | 1971/7/1 | ◎1973/5/25 解体のため売却 |
グレノン | Glennon | DD-620 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/10/8 | ― | 1944/6/8 ノルマンディ沖にて機雷により損傷 1944/6/10 沈没 |
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ジェファーズ | Jeffers | DD-621 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/11/5 | 1955/5/23 | 1971/7/1 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-27)となる ◎1955/5/23 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-621)となる ◎1973/5/25 解体のため売却 |
マドックス | Maddox | DD-622 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/10/31 | ― | 1943/8/19 | 1943/7/10 シシリー島沖にてドイツ空軍機の爆撃により沈没 |
ネルソン | Nelson | DD-623 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/11/26 | 1947/1 | 1968/3/1 | ◎1947/1 予備役に編入 ◎1969/7/18 解体のため売却 |
ボールドウィン | Baldwin | DD-624 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/4/30 | 1946/6/20 | ◎1946/6/20 予備役に編入 1961/4/19 モントーク・ポイントにて座礁 1961/6/5 放棄 |
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ハーディング | Harding | DD-625 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/5/25 | 1945/11/2 | 1945/11/16 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-28)となる 1945/4/16 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 ◎1947/4/16 解体のため売却 |
サターリー | Satterlee | DD-626 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/7/1 | 1946/3/16 | 1970/12/1 | ◎1946/3/16 予備役に編入 ◎1972/5/8 解体のため売却 |
トムソン (1、2) |
Thompson | DD-627 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/7/10 | 1955/5/23 | 1971/7/1 | ◎1945/5/30 艦種を掃海駆逐艦(DMS-38)に改める 1953/6/8 映画会社コロンビアの映画「ケイン号の叛乱 The Caine Mutiny」撮影用に用いられる(サン・フランシスコから1週間、トンプソンはケインになりきると同時に、船上シーンの撮影に使用されたコロンビア・セットの多くのモデルとなった) ◎1955/5/23 予備役に編入 ◎1955/7/15 艦種を駆逐艦(DD-627)に改める ◎1972/8/7 解体のため、ポートランドのAmerican Ship Dismantlers, Inc. に売却 |
ウェルズ | Welles | DD-628 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/8/16 | 1946/2/4 | 1968/3/1 | ◎1946/2/4 予備役に編入 ◎1969/7/18 解体のため売却 |
コウィー | Cowie | DD-632 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/6/1 | 1947/4/27 | 1970/12/1 | ◎1945/5/30 掃海駆逐艦(DMS-39)となる ◎1947/4/27 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-632)となる ◎1972/2/22 解体のため売却 |
ナイト | Knight | DD-633 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/6/23 | 1947/3/19 | 1966/12/1 | ◎1945/6/23 掃海駆逐艦(DMS-40)となる ◎1947/3/19 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-633)となる ◎1967/10/27 カリフォルニア沖にて標的として沈没 |
ドラン | Doran | DD-634 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/8/4 | 1947/1/29 | 1972/1/15 | ◎1945/5/30 掃海駆逐艦(DMS-41)となる ◎1947/1/29 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-634)となる ◎1973/8/27 解体のため売却 |
アール | Earle | DD-635 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/9/1 | 1947/5/17 | 1969/12/1 | ◎1945/6/23 掃海駆逐艦(DMS-42)となる ◎1947/5/17 予備役に編入 ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-635)となる ◎1970/10 解体のため売却 |
バトラー | Butler | DD-636 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1942/8/15 | 1945/11/8 | 1945/11/28 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-29)となる 1945/5/25 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 ◎1948/1/10 解体のため売却 |
ゲラルディ | Gherardi | DD-637 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1942/9/15 | 1955/12/17 | 1971/6/1 | ◎1944/11/15 掃海駆逐艦(DMS-30)となる ◎1955/7/15 駆逐艦(DD-637)となる ◎1955/12/17 予備役に編入 ◎1973/6/3 プエルト・リコ沖にて標的として沈没 |
ハーンドン | Herndon | DD-638 | ノーフォーク海軍工廠 | 1942/12/20 | 1946/5/8 | 1971/6/1 | ◎1946/5/8 予備役に編入 1945/1/11 ボストン港にて内燃機掃海艇YMS-14と衝突、YMS-14を沈没させる ◎1973/5/24 フロリダ沖にて標的として沈没 |
シャブリック | Shubrick | DD-639 | ノーフォーク海軍工廠 | 1943/2/7 | 1945/10/19 | 1945/11/28 | 1943/8/4 Palermoにてドイツ空軍機の爆撃により損傷(1、2) 1945/5/29 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 ◎1948/9/27 解体のため売却 |
ビーティ | Beatty | DD-640 | チャールストン海軍工廠 | 1942/5/7 | ― | 1943/11/6 アルジェリア沖にてドイツ軍機の雷撃にて沈没 | |
ティルマン | Tillman | DD-641 | チャールストン海軍工廠 | 1942/6/4 | 1946/3/16 | 1970/6/1 | ◎1972/5/8 解体のため売却 |
スティーヴンソン | Stevenson | DD-645 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/12/15 | 1946/4/27 | 1968/6/1 | ◎1946/4/27 予備役に編入 ◎1970/6/2 解体のため売却 |
ストックトン | Stockton | DD-646 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1943/1/11 | 1946/5/15 | 1971/7/1 | 1944/4/28 ビアク島にて日本軍の陸上砲台の砲撃により損傷 ◎1946/5/15 予備役に編入 ◎1973/5/25 解体のため売却 |
ソーン | Thorn | DD-647 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1943/4/1 | 1946/5/6 | 1971/7/1 | ◎1946/5/6 予備役に編入 ◎1974/8/26 フロリダ沖にて海軍機の爆撃標的として沈没 |
ターナー (1、2) |
Turner | DD-648 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1943/4/16 | ― | 1944/4/8 | 1944/1/3 ニュー・ヨーク沖にて事故により沈没(1、2、3、4、5) |
Update 24/08/21