高速掃海艇、掃海駆逐艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※機雷戦艦艇籍 Mine Warfare Shipsの高速掃海艇 High Speed Minesweeperは1940年に設けられ、1955年に掃海駆逐艦 Minesweeper Destroyerと名称が変更される。この艦種記号は1960年ごろに廃止される
- ※データは駆逐艦ウィックス級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ドーゼー | Dorsey | DMS-1 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1918/9/16 | 1945/12/8 | 1946 | ◎1940/11/19 艦種を高速掃海艇(DMS-1)に改める ◎1944夏 サン・フランシスコにてオーヴァーホール 1945/3/27 沖縄海域にて日本軍機の攻撃により損傷 ◎1945/4/4 真珠湾にて修理 1945/10/9 沖縄にて台風により難破 ◎1946/1/1 標的として沈没 |
ランバートン | Lamberton | DMS-2 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1918/8/22 | 1946/12/13 | 1947/1/28 | ◎1940/11/19 艦種を高速掃海艇(DMS-2)に改める 1942/7/27 アリューシャン列島海域にて濃霧により高速掃海艇チャンドラー(DMS-9)と衝突し損傷 ◎1946/6/5 艦種を雑役艦(AG-21)に改める |
ボッグス | Boggs | DMS-3 | メア・アイランド海軍工廠 | 1918/9/23 | 1946/3/20 | 1946/4/12 | ◎1940/11/19 艦種を高速掃海艇(DMS-3)に改める ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-19)に改める |
◎Pearl Harbor Arrived - 13 November 1943, Complete - Indefinite, Dock - 13 November 1943, Undock - Indefinite. Available for realignment of port shaft, other miscellaneous machinery and hull jobs to be accomplished. | |||||||
エリオット | Elliot | DMS-4 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1919/1/26 | 1945/10/12 | 1945/10/25 | ◎1940/11/19 真珠湾にて高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-4)に改める ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-104)に改める |
パーマ | Palmer | DMS-5 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1918/11/22 | ― | ◎1940/11/19 高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-5)に改める 1945/1/7 リンガエン湾にて日本軍機の爆撃により沈没 |
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ホーガン | Hogan | DMS-6 | ユニオン鉄工所 | 1919/10/1 | 1945/10/11 | 1945/11/1 | ◎1940/11/19 メア・アイランドにて高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-6)に改める ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-105)に改める |
ハワード | Howard | DMS-7 | ユニオン鉄工所 | 1920/1/29 | 1945/10/11 | 1945/12/19 | ◎1940/11/19 高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-7)に改める ◎1943/12 サン・ディエゴにて修理 ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-106)に改める |
スタンズベリー | Stansbury | DMS-8 | ユニオン鉄工所 | 1920/1/8 | 1945/10/11 | 1946/1/3 | ◎1940/11/19 艦種を高速掃海艇(DMS-8)に改める ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-107)に改める |
- ※データは駆逐艦クレムソン級の項を参照
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、1、2)
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
チャンドラー | Chandler | DMS-9 | ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1918/9/5 | 1945/11/21 | 1945/12/5 | ◎1941/10/19 メア・アイランド海軍工廠で高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-9)に改める 1942/7/27 アリューシャン列島海域にて濃霧により高速掃海艇ランバートン(DMS-2)と衝突し損傷 ◎1942/8/11 メア・アイランド海軍工廠にて修理(〜1942/9/27) ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-108)に改める |
☆DMS-9の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/6/22 日本海軍伊号第一八五潜水艦(サイパン北東海域にて撃沈(駆逐艦ニューコム Newcomb(DD-586)と共同で)) |
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ゼイン (1、2) |
Zane | DMS-14 | メア・アイランド海軍工廠 | 1921/2/15 | 1945/12/15 | 1946/1/8 | ◎1940/11/19 真珠湾海軍工廠で高速掃海艇に改装、艦種を高速掃海艇(DMS-14)に改める 1942/10/25 Sealark Channelにて日本海軍駆逐艦暁、雷、白露の砲撃により損傷 1943/6/30 ニュー・ジョージアにて座礁より損傷 ◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-109)に改める |
◎Pearl Harbor, Guadalcanal-Tulagi, Solomons, New Georgia, Kwajalein, Eniwetok, Saipan, 2nd Bonins Raid, 3rd Bonins Raid, Guam. |
- ※データは駆逐艦リヴァモア級の項を参照
- ※兵装:38口径127mm単装両用砲3基、40mm連装機関砲2基、20mm機関砲7基、掃海具
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ロッドマン (1、2) |
Rodman | DMS-21 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/1/27 | 1955/7/28 | 1972/11/1 | ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-21)に改める 1945/4/6 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 ◎1945/4/7 慶良間列島にて一時的な修理(1945/5/5) ◎1945/6 チャールストンにて修理(1945/10中旬) 1953 チャールストンにて映画会社コロンビアの映画「ケイン号の叛乱 The Caine Mutiny」撮影用に用いられる(駆逐艦ケイン Cain役として) ◎退役後、予備役に編入 ◎1955/1/15 艦種を駆逐艦(DD-456)に改める |
◎Okinawa. | |||||||
エモンズ | Emmons | DMS-22 | バス鉄工所 | 1941/12/5 | ― | ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-22)に改める 1945/4/6 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 ◎1945/4/7 沈没処分 |
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フォレスト (1、2) |
Forrest | DMS-24 | チャールズタウン海軍工廠 | 1942/1/13 | 1945/11/30 | 1945/12/9 | ◎1944/11/15 艦種を高速掃海艇(DMS-24)に改める 1945/5/27 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷(1、2、3)、のちに慶良間列島へ曳航、修理 ◎1946/11/20 解体のため売却 |
◎Okinawa. | |||||||
ホブソン (1、2) |
Hobson | DMS-26 | チャールストン海軍工廠 | 1942/1/22 | ― | ◎1944年10月25日に米国に向けて出航し、11月10日にバミューダ経由でチャールストンに到着。そこで海軍造船所に入り、高速掃海艇に改造され、1944年11月15日に艦種を高速掃海艇(DMS-26)に改める。12月までチャールストンとノーフォーク沖で試運転とシェイクダウン訓練を受けた ◎ホブソンは1945年1月4日、パナマ運河を経由し、太平洋の対日作戦に参加するため出航した。2月11日に真珠湾に到着したホブソンは、さらに水雷戦訓練を受けたのち、2月24日にエニウェトクに向け出航し、太平洋水陸両用作戦の最後にして最大の舞台である沖縄に参加した ◎3月19日、掃海部隊とともに出航したホブソンは、突撃部隊よりかなり早く沖縄に到着し、沖合海域を掃海した。4月1日に攻撃が始まると、ホブソンは哨戒任務に就き、作戦の最初の重要な数日間、夜間照明を提供した。敵の必死の特攻が大損害で撃退される中、ホブソンは4月13日に召集を受け、前夜の激しい攻撃で沈没した駆逐艦マナート L. エーブル Mannert L. Abele(DD-733)のレーダー・ピケット・ステーションを引き継いだ。ピケットと掃海の任務は4月16日まで続けられたが、0900時ごろにまた特攻が接近。ホブソンは攻撃機の1機をはね飛ばしたが、もう1機がプリングル Pringle(DD-477)に激突し、激しい爆発を引き起こした。わずか数分後、もう1機がホブソンの右舷のすぐ近くではね飛ばされたが、その爆弾はメイン・デッキで爆発し、大火災を引き起こした。それでも神風に発砲しながら、船は電力を復旧し、火災と戦い、沈没したプリングルから100名以上の生存者を救出した。攻撃後、慶良間列島に停泊し、4月29日にウルシーに、5月16日に真珠湾に戻った。ホブソンはそののち、サンディエゴと運河地帯を経由してノーフォーク海軍造船所に向かい、修理のため1945年6月16日に到着した ◎シェイクダウン訓練を終えたホブソンは、1946年2月、ヴァージニア州ヨークタウンを出航し、掃海活動に従事した。残りの1年はカリブ海とノーフォーク沖での訓練と準備演習に費やされた。1950年まで東海岸沖とカリブ海海域で水陸両用と機雷戦の作戦を続けた。1948年後半には、カナダ艦船との掃海作戦でアルゼンチンとノヴァ・スコシア州ハリファックスを訪問。 1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、ホブソンの訓練スケジュールは激化した。1950年から51年にかけて、ノース・カロライナ沖とプエルト・リコで水陸両用演習に参加し、飛行機見張り兼哨戒艦として空母の作戦に参加した。そのような作戦の1つで、航空母艦ワスプ Wasp(CV-18)とともに、ホブソンは1952年4月26日の夜、アゾレス諸島の西700マイルで編隊を組んで航行していた。ワスプが航空機を回収するために艦が風上に旋回したとき、ホブソンは空母の艦首を右舷から左舷に横切り、中腹に衝突した。衝突の勢いで高速掃海艇は横転し、真っ二つになった。ロッドマン(DMS-21)とワスプは多くの生存者を救助したが、艦と乗組員176名(艦長W. J. ティアニー少佐 Lt. Comdr. W. J. Tierneyを含む)を失った。こうして、勇敢な艦の長いキャリアは悲劇に終わった(1、2、3、4、5、6、7、8) |
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◎Damaged by Kamikaze bomb, Okinawa, 16 Apr 1945. Okinawa. ◎Sunk collision with carrier Wasp 700 miles west of Azores, 27 Apr 1952 (176 killed). |
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マックック | McCook | DMS-36 | シアトルタコマ・シップビルディング社 | 1943/3/15 | 1949/5/27 | 1972/1/15 | ◎1945/5/30 艦種を高速掃海艇(DMS-36)に改める 1945/12/14 和歌山〜佐世保間にて台風により損傷 ◎1945/12中旬 佐世保にて修理(〜1946/1) ◎1949/1 不活性化工事 ◎1949/5/27 サン・ディエゴにて太平洋予備艦隊に編入 ◎のちにブレマートンにて太平洋予備艦隊に編入 ◎1955/7/15 艦種を駆逐艦(DD-496)に改める |
◎Minesweeping 1945. |
Update 24/08/21