アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 軽荷排水量:27,000t(1927年には28,700t) 満載排水量:28,367t(28,820tともいわれる、1927年には30,000t、1945年には32,200t(戦時通常)) 全長:174.65m 幅:29.00m(29.03mともいわれる、1927年には32.30m、BB-35は29.01m(水線)) 吃水:8.68m(BB-35は9.01m) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶14基(近代化改装時にビューロー・エクスプレス缶6基に換装) 主機/軸数:4サイクルvertical triple-expansion機関2基/2軸 出力(計画):28,100馬力 速力:21.0kt(19.7kt(近代化改装時。1945年には19.0kt)、BB-35は21.05kt(公試)) 燃料搭載量:石炭2,850t、重油267t(近代化改装時には重油2,810t。1945年には重油5,467t(戦時最大)) 航続力:12ktで7,684浬(1927年には15ktで15,400浬、1945年には19ktで6,300浬、15ktで10,600浬) 兵装:45口径356mm連装砲5基、51口径127mm単装砲21基、533mm水中魚雷発射管4門(1916年には50口径76mm対空単装砲2基を増強、51口径127mm単装砲5基を撤去。1927年には45口径356mm連装砲5基、51口径127mm単装砲16基、50口径76mm単装対空砲8基。1945年には45口径356mm連装砲5基、51口径127mm単装砲6基、56口径40mm4連装機関砲10基、70口径20mm連装機関砲1基(BB-35)、70口径20mm単装機関砲44基〜48基(BB-35)) 装甲:水線254mm〜304.8mm、砲塔前楯355.6mm、砲塔天蓋101.6mm(近代化改装時には146.05mm)、砲郭254mm〜279.4mm、甲板50.8mm(近代化改装時には95.25mm、139.7mm(主要部))、隔壁165.1mm〜279.4mm、バーベット127mm〜304.8mm、司令塔304.8mm 搭載機:なし(近代化改装時には水上偵察機5機(最大。1945年には2機〜3機(通常)) 乗員:士官58名、下士官兵994名(士官、下士官兵合わせて1,042名〜1,540名ともいわれる、BB-35は士官、下士官兵合わせて954名ともいわれる)
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから)
- ※当初は305mm砲搭載艦として計画
- ※1925年〜1927年に篭マストを三脚檣に換装、煙突を1本撤去。戦時中、メインマストをカット・ダウン
- ※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
- ※1919年3月9日にエドワード O. マクドネル少佐 Lieutenant Commander Edward O. McDonnellによってイギリス製のソッピース・キャメルがテキサスから発艦に成功した。これによって、テキサスはアメリカで最初の航空機を発進させた戦艦となる
※1913年4月1日のBattleships Nos. 34 & 35案
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ニュー・ヨーク (1、2) |
New York | BB-34 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1914/4/15 | 1946/8/29 | 1948/7/13 | ◎1911/9/11 起工 ◎1912/10/30 進水 ◎1914/4/26 引き渡される ◎1919 メンテナンス ◎1925 海軍工廠ノーフォークにて入渠、近代化改装(〜1927/10/10、1、2) ◎1945/3初め Manusの分割式浮きドック(ABSD-4)にて入渠、プロペラ修理(1、2) 1945/4/14 沖縄海域にて日本軍機の特攻機の攻撃により損傷 ◎1946/7/1 ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1946/7/25 ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1948/7/8 オアフ島近海にて航空機と艦砲標的として沈没(1、2) |
◎Mexican Intervention, 1914. Grand Fleet
1917-1918. Pacific Fleet 1919-1925. Gunnery
TS 1943-1944. North Africa, Iwo Jima, Okinawa,
Operation Magic Carpet. #BB-34の搭載レーダー ◎1938 XAF対空レーダー ◎1941/11 SC対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー ◎1945 SK対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー |
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テキサス (1、2、3、4、5) |
Texas | BB-35 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1914/3/12 | 1948/4/21 | 1948/4/30 | ◎1911/4/17 起工 ◎1912/5/18 進水 ◎1914/3/12 引き渡される ◎1914/3/27 ニュー・ヨーク海軍工廠にて射撃管制機器を設置 ◎1914/12/28 ニュー・ヨーク海軍工廠にて修理(〜1915/2/16) ◎1917/8中旬 ニュー・ヨーク海軍工廠にて修理(〜1917/9/26) 1917/9/27 Block Islandにて座礁 ◎1917/9/30 離礁、のちに修理(〜1917/12) ◎1918/12下旬 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール 1919/3/9 エドワード O. マクドネル少佐によってイギリス製のソッピース・キャメルが発艦に成功した。これによって、テキサスはアメリカで最初の航空機を発進させた戦艦となる 1923/9/13 Point Arguelloにて商船Steel Seafarerと衝突 ◎1925/8/1 海軍工廠ノーフォークにて近代化改装(〜1926/11/23(1927?)、1、2、3) ◎1929初め ニュー・ヨークにてオーヴァーホール(〜1929/3) 1944/6/25 シェルブールにてドイツ軍の陸上砲台の砲撃により損傷 ◎1944/9中旬 ニュー・ヨークにて修理 ◎1946/2中旬 ノーフォークにて不活性化工事 1948/4/21 テキサス州サン・ジャシント古戦場公園にて記念艦となる 1966 映画会社20世紀フォックスの映画「砲艦サンパブロ The Sand Pebbles」撮影用に用いられる(船内でのシーンが撮影されるも映画の最終カットから削除され、そののち行方不明になった) ◎1989 Todd Galvestonにて入渠、修理、保全(1、2) テキサス州議会 Texas Legislatureは1995年に戦艦テキサスを公式の” テキサス州船 State Ship of Texas”に指定した 2000 映画会社のTouchstone Picturesの映画「パール・ハーバー Pearl Harbor」撮影用に用いられる(戦艦ウェスト・バージニア West Virginia(BB-48)の役として船内でのシーンを撮影。また、テキサス艦内のいくつかの場所が航空母艦ホーネット Hornet(CV-8)の艦内として描写) 2005 映画会社パラマウントの映画「父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers」、映画「硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima」撮影用に用いられる(テキサスを描くために、撮影スタッフによって撮影された外観の実際のフィルム映像が使用された。テキサスの小型砲を操る俳優のクローズアップ・ショットも使われた。ポストプロダクションで追加されたのは、主砲塔が回転して発射する様子を描いたCG映像だけだった) 2010/6 右舷側からの漏水により、テキサスは係留場所から2〜3フィート(0.60〜0.91m)沈んだ。この漏水は、ポンプの焼損により、通常よりも多くの水を船内に取り込んでしまったことが原因。その結果、喫水線の下に縫い目の剥離が生じ、2度目の水漏れが発生した。水漏れが発見されると、故障したポンプが交換された。105,000ガロン(400,000l/87,000英ガロン)の水が船から汲み上げられなければならなかった。水漏れが再び喫水線より上になったのち、一時的な処置としてボロ布が詰め込まれた 2012/6/9 1インチ(25.4mm)の穴と2平方フィート(0.185平方m)の隙間の間の約30の新しい漏れが発見され、最終的に3週間の訪問者に対する船の閉鎖を必要とした。これらの漏れの水の除去と修理はテキサスの燃料バンカー内の残留油の存在により複雑になった(検証失敗)。1ヶ月未満で漏れは修正された(1、2) 2017/6/12 喫水線の下約15フィート(約4.57m)にある6×8インチ(15.2×20.3cm)の穴が、船を右舷に6度リスト(傾斜)させる事態となった。緊急修理ののち、乗組員は15時間以上にわたって船から毎分約2,000ガロン(約7,600l)の水を汲み出した ◎2019年5月28日、テキサスは$35,000,000相当の修理を受け、そののち、現在の場所での観光客の減少が主な原因となって、テキサス沿岸のさらに上方に移動することが報告された。その年の終わりに、テキサスは、来るべき修復作業のために必要な準備ができるように一般公開を中止した ◎2020/5/5 高射砲とその他の甲板搭載機器、修復のため撤去 2020/9 ハリケーンにより浸水 ◎2022/8/31 潜在的な浸水を制限するために穴を塞ぎ、泡で空洞を埋める数ヶ月の準備ののち、テキサスはバースから引き出され、現在ガルヴェストンへ牽引中で、そこで船は大規模な修理のために浮きドックで引き上げられる予定である。中部夏時間午前6時頃、テキサスは停泊場所からヒューストン船舶航路に引き出され、曳航のための方向付けと準備が行われた。ガルヴェストンへの移動は、曳船Cecile Mの曳航とWesley A、Dolphin、Audreyが支援し午前6時38分に始まり(1、2)、テキサスは中部夏時間午後3時57分に水中ドックへの移動を完了(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、修理額$35,000,000) ◎ガルヴェストンをはじめ、テキサス州の多くの都市が関心を寄せていたが、2023年3月、ベイタウン Baytownとボーモント Beaumontは、もはや考慮されていないと財団から告げられた。テキサス州政府から$35,000,000を受け取る条件の一部として、テキサスは修理後、テキサス州の上流沿岸地域にのみ停泊することができる。つまり、サン・バーナード国立野生生物保護区 San Bernard National Wildlife Refugeからルイジアナ州境までのテキサス州沿岸のあらゆる場所である。テキサスはまた、修理のために米国政府から同額の$35,000,000の連邦補助金を受け取った。この$70,000,000は戦艦の修理にのみ使用され、木製甲板の交換や艦の塗装といった外観関連の整備には使用できない。また、駐車場や博物館の建物など、新しい母港のためのインフラ関連のプロジェクトも、この資金で賄うことはできない ◎2023年11月、ガルヴェストン港理事会 Port of Galveston boardはガルヴェストンがテキサスの新しい本拠地になることを承認した。新居はガルヴェストンのピア20で、賃料は年間$480,000。2024年3月5日に乾ドックを出たが(1、2、3、4)、今後18ヶ月から24ヶ月の間、浮揚中に上部構造、小型砲、内部スペースの修理が行われる(1、2、3、4、5、6、7) ◎テキサスは、博物館船としてガルヴェストン港に残るが、その正確な場所については、同市の埠頭の管理委員会と戦艦をリースしている非営利財団の間で新たな交渉が行われている。 2024年11月4日の臨時会合で、ガルヴェストン港湾管理委員会は、戦艦テキサスが市内に留まるための可能な合意に達するため、戦艦テキサス財団 Battleship Texas Foundationと“必要に応じて会合”する3人の委員を任命することを承認した |
◎Mexican Intervention, 1914. Grand Fleet 1918. Texas fitted with flying off ramps on superfiring turrets, Mar 1919. Pacific Fleet 1919-1925. North Africa, Normandy, Southern France, Iwo Jima, Okinawa, Operation Magic Carpet. #BB-35の搭載レーダー ◎1938 CXZ対空レーダー ◎1942 Mk. 3対水上射撃指揮レーダー ◎1943 SC対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー ◎1948 SK対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー |
Update 24/12/05