AKA
攻撃貨物輸送艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※補助艦艇籍 Auxiliary shipsの攻撃貨物輸送艦 Attack Cargo Shipは1947年7月に揚陸艦艇籍 Amphibious Warfare Shipsに編入。1969年1月1日に貨物揚陸艦 Amphibious Cargo Shipと変更される。通常の貨物輸送艦、貨物輸送船、車両貨物輸送船(AK)兵員輸送艦(AP)は港から港への輸送に備えた積み込み方をするのに対し、攻撃貨物輸送艦や攻撃輸送艦(APA)は艦上から陸岸への輸送に備えて“戦闘搭載”(揚陸艇を最初に降ろせるよう、積み込んである)とでも呼ぶべき積み込み方をする。PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略
※データは貨物輸送艦アークトゥルス級の項を参照

↑Boat plan stowage for USS Arcturus (AKA-1) dated December 1944. US Navy Bureau of Ships photo from "U.S. Amphibious Ships and Craft" by Norman Friedman. Image courtesy of NavSource.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アークトゥルス Arcturus AKA-1 サン・シップビルディング&ドライ・ドック社 1940/10/26 1946/4/3 1946/6/5 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-1)に改める
◎1943/3/13 チャールズタウン海軍工廠にて修理改装(〜1943/4/4)
◎1943/7/9 シシリー島の占拠(Scoglitti、〜1943/7/15)
◎1943/9/9 サレルノにて揚陸作戦(Paestum、〜1943/9/21)
1943/12 嵐により損傷
◎1944/1上旬 フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1944/8/15 南フランスへの侵攻(La Nartelle、〜1944/9/25)
◎1944/11/10 フィラデルフィア海軍工廠にてオーヴァーホール(〜1944/12中旬)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(Hagushi beachhead、〜1945/4/15)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/28)
◎1945/9/29 中国方面での行動(〜1945/10/11)
◎1945/11/8 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/11)
◎1945/11/12 中国方面での行動(〜1945/12/6)
◎1946/7/2 海事委員会に移管
◎1947/6/24 パナマのCompania Naveira Puerto del Sur, S.A. (船主はスウェーデンのJohnson Line)に売却されStar Arcturusと改名、パナマ船籍となる
◎1969初め 解体のため売却
◎1969/5/17 Kaohsiungの業者に引き渡される(1971年8月15日に多度津のMiyachi Salvage KKに引き渡されるともいわれる)
プロキオン Procyon AKA-2 タンパ・シップビルディング&ドライドック社 1941/8/8 1946/3/23 1946/4/12 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-2)に改める
◎1943/4 フィラデルフィアにて改装
◎1943/7/9 シシリー島の占拠(〜1943/7/15)
◎1943/9/9 サレルノにて揚陸作戦(〜1943/9/21)
◎1944/8/15 南フランスへの侵攻(Golfe de St. Tropez landing、〜1944/9/25)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/7)
◎1945/10/13 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/1)
◎1946/7/1 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1973 解体のため売却
アルキバ
12
Alchiba AKA-6 サン・シップビルディング&ドライ・ドック社 1941/6/15 1946/1/14 1946/2/25 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-6)に改める
◎1943/11 Treasury-ブーゲンヴィルにて作戦の任務
◎1943/11/1 ガダルカナル島の奪取、防衛(〜1943/11/13)
◎1944/5末 オークランドのムーア・ドライドック社にて改装(〜1944/8末)
◎1944/9/1 オークランドのムーア・ドライドック社にてエンジン修理
◎1944/10上旬 エンジン修理
◎1944/11/29 メア・アイランド海軍工廠にてエンジン修理
◎1945春 サン・フランシスコのジェネラル・エンジニアリング&ドライドック社にてエンジン修理
◎1945/6下旬 ハワイにてエンジン修理
◎1946/7/1 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1946/7/19 海事委員会に移管
◎1948 オランダの業者に売却され商船に改装、Tjipanasと改名
◎1967 売却されTong Jitと改名、シンガポール船籍となる
◎1973 解体のため、Whampoaの業者に売却
AKA-7
AKA-8
AKA-11


※データは貨物輸送艦ベラトリックス級の項を参照
↑USS Bellatrix (AKA-3). Photographed circa the mid-1950s. Official U.S. Navy Photograph, from the collections of the Naval Historical Center.
↑USS Bellatrix (AKA-3). Annotated antenna arrangement photograph, taken at the San Francisco Naval Shipyard, California, 1 February 1955. The lines of light radio antennas have been retouched to make them more visible. Official U.S. Navy Photograph, from the collections of the Naval Historical Center.

↑BAP Independencia (31). ex-USS Bellatrix (AKA-3). Image courtesy of Shipbucket.

艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ベラトリックス
123
Bellatrix AKA-3 タンパ・シップビルディング&ドライドック社 1942/2/17 1955/6/3 1963/11/14 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-3)に改める
◎1943/2上旬 サン・ディエゴにて洗浄、エンジン修理(〜1943/2中旬)
◎1943/3上旬 チャールストン海軍工廠で攻撃貨物輸送艦に改装(〜1943/4中旬)
◎1943/7/9 シシリー島の占拠
◎のちにアジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon Ten、TransDiv One(旗艦)所属)
◎1943/11/20 タラワにて揚陸作戦(〜1943/12/7)
1943/11下旬 エンジン故障
◎1943/12上旬? Funafutiにて駆逐艦母艦カスケード Cascade(AD-16)により一時的な修理(〜1943/12上旬)
◎1944/1上旬 サン・フランシスコのベスレヘム・シップビルディング社にてオーヴァーホール(〜1944/3/16)
◎1944/6/16 サイパンの奪取、占拠(〜1944/6/22)
◎1945/8/27 サン・ペドロで貨物輸送艦に改装(〜1945/9中旬)
◎1946/4/1 退役
◎1946/5/1 除籍
◎1946/6/30 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1951/7/17 海軍に移管、籍をもどす
◎1951/8下旬 メア・アイランド海軍造船所にて修理、改装
◎1952/3/15(1952/5/15?) 再役
◎1952/10/17 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/10/18)
◎1955/1上旬 サン・フランシスコ海軍造船所にて不活性化工事
◎退役後、ブレマートンの太平洋予備艦隊に編入
◎1960/6/6 除籍、海事局に移管
◎1963/3/15 籍をもどす
◎1963/7/20 ペルーに貸与されIndependencia(D 21)と改名
◎1964/3/20 ペルーに売却(12
◎のちに艦種記号をD 31に改める(12
◎のちに艦種記号をD 130に改める(12
◎1991/10 解体のため売却
エレクトラ Electra AKA-4 タンパ・シップビルディング&ドライドック社 1942/3/17 1955/5/13 1961/7/1 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-4)に改める
◎1943/5 チャールストンにて修理、オーヴァーホール
◎1944/1/31 Kwajaleinとマジュロ環礁の占拠(〜1944/2/8)
◎1944/2/17 エニウェトク環礁の占拠(〜1944/2/25)
◎1944/6/15 サイパンの奪取、占拠(〜1944/6/26)
◎1944/9/6 パラオ諸島南方の奪取、占拠(〜1944/10/14)
◎1944/10/13 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/10/30)
◎1944/11/19 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/11/29)
◎1945/1/9 リンガエン湾にて揚陸作戦(〜1945/1/17)
◎1945/2/9 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/3/15)
◎1945春 西海岸にてオーヴァーホール
◎1946/3/19 退役、サン・フランシスコにて保管
◎1946/7/1 除籍、海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1951/10/16 海軍に移管、籍をもどす
◎1952/5/3 再役
◎除籍後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入


※データは貨物輸送艦フォーマルホートの項を参照
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
フォーマルホート Fomalhaut AKA-5 ペンシルヴェニア・シップヤーズ社 1942/3/2
(1942/5/2?)
1946/6/25 1962/9 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-5)に改める
◎1944/8中旬 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール
◎1944/8/25 艦種を貨物輸送艦(AK-22)に改める


軽荷排水量:7,101t(7,151tともいわれる) 満載排水量:15,080t 全長:146.20m 幅:20.11m(20.24mともいわれる) 吃水:6.32m(最大、8.25mともいわれる) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶2基 主機/軸数:ベスレヘム・シップビルディング式蒸気タービン1基/1軸 出力:6,300馬力 速力:16.5kt(16.6ktともいわれる) 航続力:12ktで11,000浬 兵装:38口径127mm単装両用砲1基、40mm連装機関砲4基、20mm連装対空機関砲14基 乗員:345名(士官75名、下士官兵371名ともいわれる)
C2-S型貨物船を改装
※30tクレーンを搭載
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アルヘナ
12
Alhena AKA-9 ベスレヘム・スチール社スパローズ・ポイント造船所 1941/6/15 1946/5/22 1946/8/15 ◎1942/11/26 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-9)に改める
◎1944/6/15 サイパンの奪取、占拠(〜1944/6/23)
◎1944/7上旬 オーヴァーホール
1944/11/10 アドミラルティ諸島のゼーアドラー湾にて給兵艦マウント・フッド Mount Hood(AE-11)の爆発事故により損傷、のちに修理
◎1945/1/9 リンガエン湾にて揚陸作戦
◎1945/3/9 硫黄島への強襲、占拠
◎1945/9/12 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/21)
◎1945/10/13 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/19)
◎1946/1/22 極東にて占領作戦の任務(〜1946/1/23)
◎1946/1/25 中国方面での行動(〜1946/2/2)
◎1946/9/12 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入、ロビン・ケタリング Robin Ketteringと改名
◎1947/10/16 Seas Shipping Co. に売却
◎1957/6 Flying Hawk, Inc. に売却されFlying Hawkと改名
◎1962/6 American Export Lines(1965年にAmerican Export-Isbrandtsen Linesと改名)に売却
◎1971 Kaohsiungにて解体


※データは貨物輸送艦アルマーク級の項を参照
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アルマーク
12
Almaack AKA-10 ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 1941/6/15 1946/5/23 1946/8/15 ◎1943年1月31日に艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-10)に改める。 アルマークは1943年3月3日にふたたびDrydockに入れられ、3月末日までそこに留まった。そののち、フランス領モロッコのカサブランカに曳航され、貨物船は5月3日、艦隊航洋曳船アラパホ Arapaho(ATF-68)の後尾で帰国のための長い航海を開始した。そののち数ヶ月間、アルマックはノーフォーク海軍工廠で修理と改造を受け、その間に全体的にメジャー11 Measure 11、シー・ブルー Sea Blueに再塗装され、同艦に配属された揚陸艇の群れに対応するために新しいマストを得た。その中には、この歴史の著者の父であるウィルマー H. クレスマン少尉 Ens. Wilmer H. Cressman, USNRも含まれていた。 試運転ののち、アルマークは東海岸を下ってフロリダ州ジャクソンヴィルに向かい、フロリダ産オレンジ・ジュースの積荷を積んだ。西海岸に向かい、サン・ペドロで貨物を積み下ろし、サン・ディエゴに向かい、1944年1月まで主にオーシャンサイドとコロナドで水陸両用訓練を行った
◎1944/1/31 Kwajaleinとマジュロ環礁の占拠(〜1944/2/8)
◎1944/6/15 サイパンの奪取、占拠(〜1944/6/24)
◎1944/7/22 グアム島の奪取、占拠
(〜1944/7/29)
◎1944/10/20 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/11/14)
◎1945/1/9 リンガエン湾にて揚陸作戦
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/3/6)
◎1945/10/27 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/13)
◎1946/1/6 中国方面での行動(〜1946/1/30)
◎1946/9/12 海事委員会に移管、ニュー・ヨーク・グループのハドソン川にて国家防衛予備船隊に編入
◎1947/9/9 Shepard Lineに売却され、Bunker Hillと改名
◎1949/9 American Export Lines Inc. に売却されExcellencyと改名
◎1964/3/12 海事局に返還され、ニュー・ヨーク・グループのハドソン川にて国家防衛予備船隊に編入
◎1965/9/2 American Export Isbrandtsen Lines, Inc. にリース
◎1967/10/5 海事局に返還され、カリフォルニア州Beneciaの国家防衛予備船隊Suisun Bay Groupに所属
◎1970/5/15 解体のため、Nation Metal & Scrap Corp. に売却
◎1970/6 ターミナル・アイランドにて解体


軽荷排水量:6,944t 満載排水量:11,600t 全長:139.95m 幅:19.20m 吃水:8.05m 主缶:フォスターホイーラーD型缶2基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン1基/1軸 出力:6,000馬力 航続力:12ktで18,180浬 速力:15.5kt(16.4ktともいわれる) 兵装:38口径127mm単装両用砲1基、40mm連装対空機関砲4基(1945年以降には38口径127mm単装両用砲1基、40mm連装機関砲基、20mm単装対空機関砲18基) 乗員:士官49名、下士官兵445名(士官、下士官兵合わせて334名ともいわれる、LCM(3)8隻、LCPL1隻、LCVP16隻、兵員190名、貨物4,605tを塔載)
※3組のキング・ポストを設置。ポストに40t1基、30t3基、10t6基、5t2基のデリック・ブームを設置
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
リブラ
12
Libra AKA-12 フェデラル・シップビルディング&ドライドック社 1942/5/13 1955/10/6 1977/1/1 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-12)に改める
◎1943/4/7 ソロモン諸島南方にて作戦の任務
◎1943/8 ニュー・ジーランドにて修理
◎1943/11/1 Cape Torokinaの占拠と防衛
◎1943/11/8 Cape Torokinaの占拠と防衛(〜1943/11/9)
◎1944/6/30 New Georgia-Rendova-Vangunuの占拠
◎1944/7/21 グアム島の奪取、占拠(〜1944/7/25)
◎1945/1/11 リンガエン湾にて揚陸作戦
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/3/6)
1945/2/27 硫黄島にて駆逐艦カルホーン Colhoun(DD-801)に衝突される(リブラの錨に衝突したため、リブラ自体に損傷なし)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/17)
◎1945/11/5 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/22)
◎1946/10/11 メア・アイランド海軍造船所にて修理(〜1946/12/13)
◎1948/4/19 退役、大西洋予備艦隊に編入
◎1950/8/28 再役
◎退役後、チャールストンにて大西洋予備艦隊に編入
◎1964/7 海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-12)に改める
AKA-13 フェデラル・シップビルディング&ドライドック社
AKA-14 フェデラル・シップビルディング&ドライドック社


軽荷排水量:6,556t 満載排水量:13,910t(AKA-16は14,200t) 全長:139.95m(139.97mともいわれる) 幅:19.20m 吃水:8.02m 主缶:コンバッション・エンジニアリング缶2基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン1基/1軸 出力:6,000馬力 航続力:12ktで16,046浬 速力(公試):16.5kt(AKA-92は18.6kt) 兵装:38口径127mm単装両用砲1基、50口径76mm単装両用砲4基、20mm単装対空機関砲18基(1944年12月23日以降には38口径127mm単装両用砲1基、40mm連装機関砲4基、20mm単装対空機関砲18基) 乗員:士官44名、下士官兵360名(AKA-20は士官、下士官兵合わせて473名、AKA-54は士官、下士官兵合わせて429名、AKA-91は士官、下士官兵合わせて366名、AKA-92は士官、下士官兵合わせて368名、LCM(3)2隻、LCM(6)6隻、LCPL1隻、LCVP15隻、兵員88名、貨物4,515tを塔載)
C2-S-B1型貨物船を改装
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12
※船体前後に四脚ラティス構造のデリック・ポストを設置。ポストの中心線上にLCMや大重量物用の30tブーム、LCVPや通常物資用の10tと4tブームは左右にずらして設置
※内部構造図はこちら

↑USS Whitley (AKA-91) underway at Hampton Roads, VA., 11 August 1952. This was one of six later Moore-built units, (AKA 88-93), fitted during construction with lattice radar masts just forward of the stack. The radar mast also supports a yardarm for signal flag halyards. A small anti-aircraft fire control director is mounted on a stand forward of the radar mast. US Naval History and heritage Command photo # 483292. Image courtesy of NavSource.

艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アンドロメダ Andromeda AKA-15 フェデラル・シップビルディング&ドライドック社 1943/4/2 1956/5/1 1960/7/1 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-15)に改める
◎1943/3/30 海軍に移管
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
◎1944/1/3 ノーフォークにてオーヴァーホール
◎第二次大戦中、ヨーロッパ戦域に割り当てられる、のちにアジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1943/7/9 シシリー島の占拠(〜1943/7/15)
◎1943/11/6 KMF-25A船団
◎1943/9/9 サレルノにて揚陸作戦(〜1943/9/21)
◎1944/9/15 南フランスへの侵攻(〜1944/9/25)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/6/14)
◎1945/9/15 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/26)
◎1945/10/26 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/6)
◎1946/2/26 中国方面での行動(〜1946/3/5)
◎1949/10/1 軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行
◎1951/4/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(First UN Counteroffensive、〜1951/4/17)
◎1951/4/26 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Spring Offensive、〜1951/5/10)
◎1951/8/10 中国方面での行動(〜1951/8/13)
◎1951/8/31 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(UN Summer-Fall Offensive、〜1951/9/2)
◎1951/9/8 中国方面での行動(〜1951/9/14)
◎1951/10/18 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(UN Summer-Fall Offensive)
◎1951/11/6 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(UN Summer-Fall Offensive)
◎1951/12/2 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter)
◎1952/12/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter)
◎1953/1/3 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/1/16)
◎1953/2/13 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/2/15)
◎1953/3/13 中国方面での行動(〜1953/3/15)
◎退役後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1971/3/12 解体のため、シアトルのMarine Power & Equipment Co. に売却
◎1971 シアトルにて解体
アクエリアス
12
Aquarius AKA-16 フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 1943/8/21 1946/5/23 1946/11/13 ◎1943/8/20 海軍に移管
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon Twelve、TransDiv Thirty-Six所属)
◎1944/1/31 Kwajaleinとマジュロ環礁とロイナムル島の占拠(〜1944/2/8)
◎1944/4/11 アドミラルティ諸島にて揚陸作戦(〜1945/4/12)
◎1944/6/15 サイパンの奪取、占拠(〜1944/6/25)
◎1944/7/21 グアム島の奪取、占拠(〜1944/7/26)
◎1944/9/6 パラオ諸島南方の奪取、占拠(〜1944/10/14)
◎1944/10/13 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/10/27)
◎1944/11/5 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/11/20)
◎1945/1/4 リンガエン湾にて揚陸作戦(〜1945/1/10)
◎1945/1/29 Zambales-スービック湾にて作戦の任務(〜1945/1/31)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/19)
◎1945/5/4 シアトルにてオーヴァーホール(〜1945/7/12)
◎1945/9/10 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/25)
◎1945/11/21 中国方面での行動(〜1945/11/23)
◎1945/11/25 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/27)
◎1946/9/12 War Shipping Administrationに移管、ハドソン川予備船団に編入
◎1947/2/24 一般代理店契約に基づき、United States Lines Co. に管理権を移譲
◎1947/5/24 US Shipbuilding Corp. Shipyardで商船に改装
◎1947/12/23 United States Lines Co. に売却されPioneer Lakeと改名(オフィシャル・ナンバー252678)
◎1956/10 American Trapperと改名
◎1961/1/11 海事局に返還され所有権移転、United States Lines Co. に裸用船(裸傭船)契約(傭船者としての船舶運航者が行う傭船形式)
◎1965/7/24  海事局に移管、James River予備船団に編入
◎1965/8/28 軍事海上輸送部隊(MSTS)運航のためにUnited States Lines Co. に一般代理店契約でリースされる
◎1967/3/16 海事局に移管、ハドソン川予備船団に編入
◎1967/5/8 解体のため、KearnyのUnion Minerals & Alloysに売却
沿岸警備隊員が乗員していた期間
1943/8/30〜1946/5/23
AKA-17
沿岸警備隊員が乗員していた期間
1943/10/20〜1946/4/30
AKA-18
沿岸警備隊員が乗員していた期間
1944/1/19〜1946/5/22
AKA-19
ヴァーゴ
123
Virgo AKA-20 フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 1943/7/16 1971/2/18 1971/1/1 ◎1943/2/1 艦種を攻撃貨物輸送艦(AKA-20)に改める
◎1943/3/9 起工
◎1943/6/4 進水
◎1943/7/15 海軍に移管
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon Eleven、Trans Div Thirty-Three所属)
◎1943/11/20 タラワ環礁ベティオ島にて作戦の任務(〜1943/11/29)
◎1944/1/31 Kwajaleinとマジュロ環礁の占拠(〜1944/2/4)
◎1944/4/21 Humboldt Bay-Tanahmerah Bayにて作戦の任務(〜1944/4/27)
◎1944/5/1 Humboldt Bay-Tanahmerah Bayにて作戦の任務(〜1944/5/5)
◎1944/7/21 グアム島の奪取、占拠(〜1944/7/27)
◎1944/9/9 パラオ諸島南方の奪取、占拠(〜1944/9/24)
◎1944/10末 サン・フランシスコ海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1945/2/17 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/3/2)
◎1945/5/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/5/15)
◎1945/6下旬 サン・フランシスコのMoore's Shipyardにてオーヴァーホール
◎1945/9/15 極東にて占領作戦の任務(〜1946/4/10)
◎1946/5中旬 サン・フランシスコ海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1946/8)
◎1947/3/27 中国方面での行動(〜1947/4/12)
◎1947/5/16 極東にて占領作戦の任務(〜1947/5/25)
◎1949/3/22 極東にて占領作戦の任務(〜1949/3/29)
◎1947/7/1 極東にて占領作戦の任務(〜1945/7/7)
◎1949/10/1 軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行
◎1949/10 ピュージェット・サウンド海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1950初め)
◎1950/9/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Inchon Landing、〜1950/9/17)
◎1950/9/18 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(North Korean Aggression、〜1950/10/8)
◎1950/11中旬 サン・フランシスコのPacific Repair Co. にて修理
◎1951/3/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(First UN Counteroffensive、〜1951/3/18)
◎1951/3/31 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(First UN Counteroffensive、〜1951/4/11)
◎1951/4/26 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Spring Offensive、〜1951/5/6)
◎1951/5/14 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Spring Offensive、〜1951/5/18)
◎1951/6中旬 ロング・ビーチ海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1951/8)
◎1951/11/1 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(UN Summer-Fall Offensive、〜1951/11/21)
◎1951/11/30 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1951/12/16)
◎1951/12/29 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/1/10)
◎1952/1/22 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/2/3)
◎1952/2/14 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/2/26)
◎1952/3/10 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/3/27)
◎1952/4/5 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/4/12)
◎1952/5/24 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/6/5)
◎1952/6/14 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/7/17)
◎1952/7/30 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/7/31)
◎1952/8下旬 サン・フランシスコのTriple "A" Machine Shopにて修理改装(〜1952/10)
◎1952/12/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter)
◎1953/1/3 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/1/16)
◎1953/1/4 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/1/22)
◎1953/2/2 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/2/10)
◎1953/2/18 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/2/24)
◎1953/3/2 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/3/7)
◎1953/3/22 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/4/1)
◎1953/4/13 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/4/19)
◎1953/4/29 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/4/30)
◎1953/5/1 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953、〜1953/5/5)
◎1953/5/14 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953、〜1953/5/17)
◎1953/6下旬 メア・アイランド海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1953/9)
◎1957/3/5 メア・アイランドにて修理(〜1957/5/13)
◎1958/4/3 退役、アストリアにて太平洋予備艦隊に編入
◎1961/7/1 除籍
◎退役後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1965/8/19 シアトルへ曳航
◎1965/9 海軍に移管、籍をもどす
◎1965/11/1 艦種を給兵艦(AE-30)に改める
AKA-53
アルゴル Algol AKA-54 ムーア・ドライ・ドック社 1944/7/21 1969/10/27
(1970/7/23?)
1977/1/1 ◎のちに海軍に移管
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon Thirteen、Trans Div Thirty-Nine所属)
◎1945/1/11 リンガエン湾にて揚陸作戦(〜1945/1/15)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/10)
◎1945/9/8 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/20、中国方面での行動も含む)
◎1947/3/23 極東にて占領作戦の任務(〜1947/4/5、中国方面での行動も含む)
◎1947/5/23 メア・アイランドにて修理(〜1947/6/7)
◎1947/5/28 メア・アイランドにて入渠(〜1947/6/6)
◎1947年7月、退役準備のため限定的な就役
◎1947/11/25 メア・アイランドにて不活性化オーヴァーホール(〜1948/5/26)
◎1947/12/1 メア・アイランドにて入渠(〜1948/1/13)
◎1948/4/5 メア・アイランドにて入渠(〜1948/4/16)
◎1949年晩夏には、ヴァージニア州Little CreekにてCommander, Amphibious Forces, Atlantic Fleetの下、ふたたび現役に復帰
◎1949/9/16 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1950/1/18)
◎1950/9/20 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(North Korean Aggression、〜1950/11/1)
◎1950/11/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Aggression、〜1951/1/19)
◎1951/2/23 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Aggression、〜1951/3/27)
◎1951/4/28 中国方面での行動(〜1951/5/5)
◎1951/5/9 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Spring Offensive、〜1951/5/14)
◎1952/5/9 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/5/13)
◎1952/5/9 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/8/13)
◎1958/1/2 退役
◎ワシントン州ブレマートンにて太平洋予備艦隊に編入
◎1961/11/17 オレゴン州ポートランドのNorthwest Marine Iron Worksにて再役
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-54)に改める
◎海事局に移管、バージニア州フォート・ユースティスのJames Riverにある国家予備船隊に編入
◎のちに海事局のJames River予備船隊から引き離され、ニュー・ジャージー州ウィルミントンのEagle Island Marineへ曳航、New Jersey Shark River Artificial Reefの一部となる準備が進められた
◎1991/11/22 人工環礁のため沈没処分(12
◎Subic Bay, Okinawa.
◎Korea. Passage to Freedom, Cuban missile crisis Oct-Dec 1962.
AKA-55
AKA-56
AKA-57
AKA-58
AKA-59
AKA-60
AKA-61
AKA-62
沿岸警備隊員が乗員していた期間
1944/12/1〜1946/5/10
AKA-63
沿岸警備隊員が乗員していた期間
1944/12/14〜1946/5/10
AKA-88
AKA-89
AKA-90
ウィットリー
12
Whitley AKA-91 ムーア・ドライ・ドック社 1944/9/21 1955/8/16 1973/5/1 ◎1944/9/21 海軍に移管
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon Sixteen、TransDiv Forty-Seven所属)
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/2/27)
1945/2/28 硫黄島にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷
◎1945/4中旬 真珠湾にて修理
◎1945/9/24 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/4、陸軍第27連隊戦闘団 Army's 27th Regimental Combat Team(RCT)を運ぶ))
◎1946初め ノーフォークにて修理
◎1949/6/4 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1949/6/19)
1950/11/2 ニュー・ジャージーにて重巡洋艦セイレム Salem(CA-139)と衝突し損傷
◎1952/5/20 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1952/6/14)
◎1953/4/18 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1953/5/20)
◎1953/11/24 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1953/12/13)
◎1954/3/17 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1954/4/10)
◎1954/8/12 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1954/9/7)
◎1955/1/29 ブルックリンのMonti Marine Shipyardにて不活性化オーヴァーホール(〜1955/4)
◎退役後、チャールストンにて大西洋予備艦隊に編入
◎1960/7/1 除籍
◎除籍後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1961/12/1 海軍に移管、籍をもどす
◎1962/2/1 イタリアに貸与されEtna(A 5328)として改名(1234
◎1962 艦種記号をL 9870に改める
◎1973/5/1 イタリアより返還、同日にイタリアに売却(123
◎1979/7 Naplesにて解体
ワイアンドット Wyandot AKA-92 ムーア・ドライ・ドック社 1944/9/30 1962/12 1986/3/31 ◎1944/9/30 海軍に移管
第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 16、TransDiv 48所属)
◎1945/3/26 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/29)
1945/3/29 沖縄にて日本軍機の爆撃により損傷、のちに一時的な修理
1945/4/12 沖縄にて他の艦船と衝突
◎1945/6/6 ターミナル・アイランドにて入渠、修理
◎1951初め グリーンランド北部への建設資材の輸送を目的としたブルージェイ作戦 Operation "Bluejay"に参加するために選ばれる
◎1951/5 この任務に従事(〜1951/9)
◎1952 “SuNAC”作戦 Operation "SuNAC"(北大西洋建設補給作戦 Supply Northern Atlantic Constructionの略)の一環として同地に帰還
◎1953 カリブ海にて後方支援任務を遂行、のちに北極圏の気象観測所とのアメリカとカナダの合同補給作戦に参加
◎1954/11/21 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1954/12/8)
1955 “戦闘効率賞 Battle Efficiency Award”を受賞
◎1955春 南極での“ディープフリーズI”作戦 Operation "Deepfreeze I"のために第43任務部隊 Task Force 43に参加。短期間の修理改装後、Davisvilleにて物資や装備品を積み込み
◎1955/6/15 ヨーロッパにて占領作戦の任務(〜1955/7/2)
◎1955/11/14 ノーフォークに向けて出航。パナマ運河とニュー・ジーランドのPort Lyttletonを経由して航海(12
◎1955/12/27 南極のMcMurdo Soundに到着。寒冷な南半球では、南極計画を担当したリチャード E. バード少将 Rear Admiral Richard E. Byrdの旗艦として活躍
◎1959/7/10 退役
◎1960/7/1 除籍
◎除籍後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1961/9/1 海軍に移管、籍をもどす
◎1961/11/28 再役
◎1963/3 軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行、艦種記号をT-AKA-92に改める
◎1969/1/1 艦種を貨物輸送艦(T-AK-283)に改める
◎Deployed to the Mediterranean and Caribbean areas between 1953 and 1955. Antarctic 1955, 1957, 1958, 1959.
AKA-93
AKA-94
AKA-95
AKA-96
AKA-97
AKA-98
AKA-99
AKA-100
AKA-109
AKA-110
AKA-111


軽荷排水量:4,087t 満載排水量:6,800t(7,000tともいわれる) 全長:129.84m 幅:17.67m 吃水:4.87m(AKA-34は7.31m) 主缶:WickesD型缶2基 主機/軸数:ウェスティングハウス式ターボエレクトリック2基/2軸 出力:6,000馬力 航続力:12ktで9,500浬 速力:16.5ktもしくは17.8kt(16.9kt(公試)ともいわれる、AKA-34は17.0kt) 兵装:38口径127mm単装両用砲1基(船尾)、40mm連装機関砲4基、20mm単装対空機関砲10基〜12基 乗員:士官27名、下士官兵276名(士官、下士官兵合わせて304名ともいわれる、AKA-25、AKA-36、AKA-47、AKA-49は士官、下士官兵合わせて303名、AKA-34は士官、下士官兵合わせて300名、LCM(3)2隻、LCPL1隻、LCVP12隻、兵員267名、貨物980tを塔載)
S4-SE2-BE1型貨物船を改装
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12
※船体後部に四脚ラティス構造のデリック・ポストを設置。デリック・ブーム30t2基、5t8基

↑CNS Presidente Pinto (AKA 41). ex-Zenobia (AKA-52). Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アルテミス Artemis AKA-21 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1944/8/28 1947/1/10 1947/2/25 ◎1944/8/28 海軍に移管
◎ボストンにて艤装
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 15、TransDiv 43所属)
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/2/27)
◎1945/3上旬 ウルシーにて修理
◎1945/8/24 真珠湾海軍工廠にて入渠、オーヴァーホール(〜1945/9中旬)
◎1945/10/4 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/24)
◎1946/7 ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用
◎1948/4/1 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1960年代 解体のため、ニュー・ヨークのUnion Minerals & Alloys Corp. に売却
◎1966 解体
AKA-22
AKA-23
AKA-24
キルケ
1234
Circe AKA-25 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1944/11/10 1946/5/20 1946/6/26 ◎1944/11/10 海軍に移管
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 15、TransDiv 45所属)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/6)
◎1945/10/8 極東にて占領作戦の任務(〜1945/12/12)
◎1946/6/26 War Shipping Administrationに移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1964/1/22 解体のため、First Steel & Ship Corp. に売却
AKA-26
AKA-27
AKA-28
AKA-29
AKA-30
AKA-31
AKA-32
AKA-33
パミナ
12
Pamina AKA-34 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1945/2/10 1969/7/14 1969/8/1 ◎のちに海軍に移管
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 21、TransDiv 62所属)
◎1945/5/16 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/5/19)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/10)
◎1945/9/19 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/13)
◎1946 ノーフォーク海軍造船所で測量艦に改装(〜1946/11)
◎1946/5/15 艦種を測量艦(AGS-15)に改め、タナー Tannarと改名
◎Tokyo Bay.
AKA-35
レナート
12
Renate AKA-36 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1945/2/28 1969/12/19 1969/12/19 ◎のちに海軍に移管
◎プロヴィデンスにて就役
◎ボストンにて艤装
◎1945/3/19 ノーフォーク海軍工廠にてPSA
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 22、TransDiv 65所属)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/28)
◎1945/10/19 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/28)
◎1946/6 ポーツマス海軍造船所で測量艦に改装(〜1946/10)
◎1946/7/12 艦種を測量艦(AGS-16)に改め、モーリー Mauryと改名
AKA-37
AKA-38
AKA-39
AKA-40
AKA-41
AKA-42
AKA-43
AKA-44
AKA-45
AKA-46
トゥーランドット
12
Turandot AKA-47 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1945/6/18 1973/10/1 1985/2/28 ◎のちに海軍に移管
◎のちにチャールズタウン海軍工廠にて艤装、改装
◎1945/7 ノーフォークにて修理改装
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1945/12 サン・ペドロにて修理
◎1946/3/21 退役
◎1946/6/25 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1947/4/17 除籍
◎1954/11/4 海軍に移管、籍をもどす
◎1955/6/30 ベスレヘム・スチール社Key Highway Plantで電纜敷設艦に改装
◎1955/3/17 艦種を電纜敷設艦(ARC-3)に改め、イオラス Aeolusと改名
AKA-48
ヴァナディス
12
Vanadis AKA-49 Walsh-Kaiser Co., Inc. 1945/7/9 1973/7/2 1978/3/1 ◎1945/7/9 海軍に移管
◎1946/3/27 退役
◎1946/6/5 除籍
◎1946/7/2 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1955/4/14 海軍に移管、籍をもどす
◎1955/6/30 ボルティモアのベスレヘム・スチール社で電纜敷設艦に改装
◎1955/11/14 艦種を電纜敷設艦(ARC-4)に改め、ソー Thorと改名
AKA-50
AKA-51
AKA-52


軽荷排水量:6,318t 満載排水量:13,050t(13,910tともいわれる、AKA-76、AKA-104は14,160t) 全長:139.95m 幅:19.20m(AKA-103は19.25m) 吃水:8.02m(AKA-103は7.46m) 主缶:バブコック&ウィルコックス缶2基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式ギアード・タービン1基/1軸 出力:6,000馬力 速力(公試):16.5kt 兵装:38口径127mm単装両用砲1基、40mm連装機関砲4基、20mm単装対空機関砲16基 乗員:士官48名、下士官兵320名(士官、下士官兵合わせて374名とも375名ともいわれる、AKA-65、AKA-76、AKA-77は士官、下士官兵合わせて395名、AKA-84は士官、下士官兵合わせて357名、AKA-103は士官38名、下士官兵387名、LCM(3)2隻、LCM(6)6隻、LCPL1隻、LCVP13隻、兵員62名、貨物5,275tを塔載)
C2-S-AJ3型貨物船を改装
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12
※デリック・ブーム35t2基、10t6基、5t6基、積荷容量:積貨重量トン数5,275t、非冷蔵1,0760.40立方m、燃料容量:海軍標準/特殊燃料油(Navy Standard/Special Fuel Oil: NSFO)10,425 bbls、ディーゼル805 bbls

↑USS Towner (AKA-77) Underway, circa 1944-1945. Courtesy of James Russell. U.S. Naval Historical Center Photograph. Image courtesy of HyperWar.

↑USS Seminole (AKA-104) at San Francisco Naval Shipyard (Hunters Point), 15 March 1952 and 8 February 1954. These series of photos shows antenna arrangement. Photos from the US National Archives. Image courtesy of NavSource.

艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
トーランド
12
Tolland AKA-64 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1944/9/4 1946/7/1 1946/7/19 ◎1944/8/13 海軍に移管
◎チャールストンにて就役
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 16、TransDiv 46所属)
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/2/28)
1945/2/19 硫黄島にて日本軍の攻撃により搭載していたLCM1隻とLCVP3隻を喪失
1945/2/27 硫黄島にて無人の揚陸艇と衝突し損傷、日本軍の砲撃によりラジオ・アンテナを切断
◎1945/2下旬 Espiritu Santoにて入渠
◎1945/4/9 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/4/15)
◎1945/9/25 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/14)
◎1945/11/2 中国方面での行動(〜1945/11/20)
◎1946/7/2 War Shipping Administrationに移管
◎1947/10/3 Luckenbach Steamship Co. に売却され商船Edgar F. Luckenbachとなる
◎1959/10 States Marine Lineに売却されBlue Grass Stateと改名
◎1970/11/6 売却されReliance Cordialityと改名、パナマ船籍となる
◎1971/6 Kaohsiungにて解体
◎Tokyo Bay.
ショーショーニ
12
Shoshone AKA-65 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1944/9/24 1946/6/28 1946/7/19 ◎のちに海軍に移管
◎1944/9上旬 チャールストン海軍工廠にて艤装
◎チャールストン海軍工廠にて就役
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 15、TransDiv 43所属)
1945/1/13 真珠湾にて攻撃貨物輸送艦マリフェン Muliphen(AKA-61)と衝突し損傷
◎1945/1/14 真珠湾にて修理(〜1945/1/25)
◎1945/2/19 硫黄島への強襲、占拠(〜1945/3/1)
◎1945/4/1 沖縄群島への強襲、占拠
◎1945/10/1 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/18)
◎1945/11/4 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/22)
◎1945/11/29 シアトルにて修理(〜1945/12/23)
◎1946/6/30 War Shipping Administrationに移管
◎1947 Oceanic Steamship Corp. に売却され商船Alamedaとなる
◎1961 Matson Linesに売却されHawaiian Traderと改名
◎1961末 Waterman Steamship Corp. に売却されShort Hillsと改名
◎1964 Coloradoと改名
◎1966 ニュー・ヨークのAEC Shipping Corp. に売却されU.S. Mateと改名
◎1971/2 Kaohsuingにて解体
AKA-66
AKA-67
AKA-68
AKA-69
AKA-70
AKA-71
AKA-72
AKA-73
AKA-74
AKA-75
トーランス
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Torrance AKA-76 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1944/11/18 1946/6/20 1946/7/3 ◎1944/6/20 海軍に移管、Hobokenのベスレヘム・スチール社へ曳航、攻撃貨物輸送艦に改装
◎就役後、トーランスはロング・アイランド海峡にて10日間の公試を行い、11月28日にハンプトン・ローズに向け進路をとった。翌日ノーフォークに到着するとすぐに、貨物船はハンプトン・ローズにてシェイクダウン訓練を実施。シェイクダウンを終えたトーランスはノーフォークを離れ、西海岸に向かった。12月17日、カリブ海に到着すると、サン・フランシスコへの進航命令を受けた。クリスマス・イヴにパナマ運河から太平洋に入り、1945年1月2日にサン・フランシスコに到着した。そこで南太平洋基地向けの物資を積み込み、13日に南洋諸島に向けて出航した
◎1月31日にニュー・ギニアのMilne Bayに入港し、アドミラルティ諸島のManusへ向かい、2月3日に到着した。次にニュー・ギニア沿岸に戻ったトーランスは、今度はHollandiaに向かい、セント・ヴァレンタイン・デイに到着した。フィリピン行きの命令を受け、レイテ島に向かう第17輸送戦隊の第49輸送隊Transport Division 49, Transport Squadron 17に合流。トーランスと同部隊の他の艦艇は、3月中旬にレイテ島近郊のCabuagan Islandにて集中演習を行った。3月21日、攻撃貨物輸送艦は陸軍工兵隊第305連隊戦闘団 Army Engineers 305th Regimental Combat Teamの人員と物資を乗せ、琉球へ向かう輸送隊に合流。トーランスは作戦開始早々に沖縄沖に到着したが、1945年4月19日に師団が沖縄南東部沿岸にフェイント攻撃と上陸を開始するまで渡具知ビーチ Hagushi beaches沖にて待機していた。陽動作戦を完了し、渡具知ビーチに一時帰還したのち、伊江島に戦闘物資を輸送しました。そして渡具知ビーチに戻って、広い船倉に積まれた貨物の残りを降ろした。日本本国から“神風”が吹き荒れる中、大海原と強風をものともせず、アメリカの脆弱な揚陸艇が海岸に荷物を運んだ。トーランスの対空砲兵は、武器を持って立ち上がり、曳光弾 tracerの流れを発射し、攻撃機を引っ掻き回し、2機を海に沈めた
◎日本軍の攻撃は、空からの“神風”、海からの小型高速モーター・ボートによる軍艦と補助艦の両方を危険にさらすだけでなく、戦略的に配置され巧妙に隠された海岸砲台からも行われた。これらの砲は、輸送船とその護衛の掃討戦に不愉快なほど接近して着弾し、その存在をアピールした。駆逐艦や巡洋艦の砲撃、航空母艦の艦載機が厄介な陸上砲に対処する中、トーランスを含む輸送船は怯えたウズラのように安全な海域に停泊場所を移した。 風や波、特攻機や陸上砲台が巻き起こす困難にもかかわらず、沖縄征服は着実に前進していった。トーランスは戦域を離れ、5月5日にサイパンに錨を下ろして次の命令を待つ。5月22日、マーシャル諸島を出港し、アメリカ西海岸を目指した。6月6日にサン・フランシスコに到着し、24日にワシントン州シアトルに向け出港するまでの間、航海のための修理を開始した。そののち、トーランスは北西の沿岸海域に留まり、再び西へ太平洋を目指した。7月17日にエニウェトクに到着し、11日間の停泊の後、アメリカからの積荷を降ろした
◎1945/8 グアムの分割式浮きドック(ABSD-6)にて入渠
◎戦争が終わるまで、この攻撃貨物輸送艦はフィリピン海域と朝鮮半島沖で艦隊とその基地を支援し、日本本土のアメリカ占領軍に物資を提供するために活動した
◎1945/11/23 佐世保に入港し、初めて日本に到着。そこから再びシアトルに向かい、12月10日に到着して新年を迎えた。1月下旬に南下し、1946年1月27日にサン・フランシスコに係留された。そののち、真珠湾まで貨物を運ぶ航海をしたのち、西海岸に戻り、運河地帯に向かった。4月29日、パナマ運河を通過したトーランスは、船首をジャクソンヴィルに向け、ノーフォークの第5海軍区司令官 Commandant of the 5th Naval Districtに処分を報告するよう命令を受けた
◎1946/5/9 ハンプトン・ローズに到着
◎1946/6/22 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1947/9/15 ニュー・ヨークのAlcoa Steamship Co. に売却されAlcoa Roamerと改名(1234
◎1968/3/30 ニュー・ヨークのClairship Navigation Corp. に売却されEldoradoと改名
◎1970/1/20 U.S.マーシャルによるオークションでLevin Metals Corp. に落札された
◎1970/5/4 Richmond Shipping Co. に売却されRichmondと改名、パナマ船籍となる
◎1970年末 極東の造船会社に転売される
◎1971 再販されSingapore Traderと改名
1971/10/14 日本からデトロイトへの一般貨物の航海中、セント・ローレンス海路にて座礁
◎1971/10/28 離礁後、Montrealにて取り押さえられ1972年5月に競売にかけられた
◎1972/8 Santanderにて解体
タウナー
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Towner AKA-77 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1944/12/3 1946/6/10 1946/6/19 ◎1944/6/27 海軍に移管、攻撃貨物輸送艦に改装
◎12月14日から23日までチェサピーク湾周辺でシェイクダウン訓練を行ったのち、ニュー・ジャージー州Bayonneで貨物を積み込み、1945年1月4日にシェリアック Sheliak(AKA-62)とともに太平洋に向けて出航した。2隻は1月10日にパナマ運河を通過し、翌日ハワイに向かい、25日に真珠湾に到着した
◎タウナーは2月9日、ニュー・カレドニアに向けてふたたび出航し、10日後にNoumeaに到着した。そののち2ヵ月半、Uarai Bayへのシャトルランを行い、水陸両用訓練に参加した。4月下旬、タウナーは第710戦車大隊 710th Tank Battalionの部隊を搭載し、5月3日、第33輸送師団 Transport Division 33とともにフィリピンに向けて出航した。16日にDulagで荷揚げし、翌週に第7艦隊 7th Fleetに報告。5月27日、単独でHollandia経由でMilne Bayに向かい、ボートの甲板貨物を積み込み、Manusに引き渡した。6月上旬には、フィリピンへの輸送のためにラエで基地病院ユニットを積み込み、16日にマニラで荷揚げした。6月中旬から10月中旬まで、部隊と貨物をニュー・ギニアからフィリピンへ輸送した
◎8月26日、タウナーはセブで第3水陸両用部隊 3d Amphibious Forceの輸送師団に合流し、アメリカ師団の兵員と装備を日本に運ぶのを支援した。輸送船団は9月1日に出港し、1週間後に横浜に到着した。タウナーは兵員と積荷を下ろし、17日にフィリピンに戻った。10月上旬には、再び東京湾を往復した。貨物船は10月24日にレイテ島を出航し、沖縄と多久に寄港したのち、11月17日に青島に到着した。1945年12月2日、タウナーはグアム、ガダルカナル、ラッセル諸島、ハワイを経由して米国に向かった
◎1945/9/6 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/14)
◎1945/10/10 極東にて占領作戦の任務(〜1945/10/19)
◎1945/10/25 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/15)
◎1945/10/28 中国方面での行動(〜1945/11/15)
◎1945/11/16 中国方面での行動(〜1945/12/5)
◎1946年1月25日、シアトルに到着したタウナーは、航海修理のためブレマートン海軍造船所に入所。3月19日に東海岸に向けて出航し、4月10日にノーフォークに到着
◎1947初め 海事委員会に移管、ヴァージニア州Fort EustisのJames Riverの国家防衛予備船隊に編入
◎1947年初めに国防予備船隊から引き揚げられ、商業運航に再改装するためにミネソタ州バスへ曳航
◎1947/9/19 Pacific Far East Lines, Inc. に売却されPhilippine Bearと改名
◎1957/3 Trans-Pacific Co. に売却
◎1958/11/13 Kaimanaと改名
◎1959/6/23 Darama, Inc. に売却
◎1960/5/3 Long Island Tankers Corp. に売却
◎1960/7/13 Guam Bearと改名
◎1961/9/7 Pacific Far East Lines, Inc. に売却
1967/1/13 グアムにてHumble OilのタンカーEsso Seattleと衝突し損傷(1967年1月13日、Guam Bearはグアムのアプラ港外でタンカーのEsso Seattleと衝突した。4番船倉と5番船倉の横に大きな穴が開き、メインデッキからキールまで貫通した。海軍の曳船が防波堤に接岸し、船尾は水深40フィートの棚に置かれ、船首は突き出ていた。深海へのスリップを防ぐため、キングポストから岸までギアが装備されたが、その代わりに船倉とエンジン・ルームが水没し、潮の満ち引きでさらに沈下した。 全損と認定され、損傷した状態で横たわったため、オーナーは引き取り手を募集した。1967年7月、沈没船は引き上げられ、海軍の曳船で港から曳航された。解体用爆薬が発射され、港から約2マイル沖に沈んだ)
◎1967/3 推定全損と宣告
◎1967/7/3 グアムにて沈没処分
AKA-78
AKA-79
AKA-80
AKA-81
AKA-82
AKA-83
ウォーケシャ
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Waukesha AKA-84 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1944/9/20
(1945/2/23?)
1946/5/24 1946/7/31 ◎1944/9/30 海軍に移管、ニュー・ヨークのTodd-Erie Shipyardへ曳航、攻撃貨物輸送艦に改装
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 24、TransDiv 71所属)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1945/9/27)
◎1945/10/21 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/10)
◎1946/1/21 極東にて占領作戦の任務(〜1946/3/2)
◎1946/3/10 極東にて占領作戦の任務(〜1946/3/30)
◎1946/5/3 中国方面での行動(〜1946/5/9)
◎1946/7/10 War Shipping Administrationに移管
◎1947 ニュー・ヨークのLuckenbach Steamship Co. に売却され商船Mary Luckenbachとなる
1950/8/25 サン・フランシスコの金門湾にて病院船ベネヴォレンス Benevolence(AH-13)と衝突し損傷、ベネヴォレンスを沈没させる(12)、のちに修理
◎1959 ニュー・ヨークのStates Marine Lines, Inc. に売却されBayou Stateと改名(12
◎1970/10/20 解体のため、KaohsiungのYi Ho Steel Enterprises Corp. に売却
◎1970/10 Kaohsiungにて解体
AKA-85
AKA-86
AKA-87
AKA-101
AKA-102
ランキン
12
Rankin AKA-103 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1945/2/25 1971/5/11 1977/1/1 ◎1945/1/25 海軍に移管、運用開始
◎1945/1/27 運用終了、チャールストン海軍工廠で攻撃貨物輸送艦に改装
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(TransRon 23、TransDiv 69所属)
◎大西洋でのシェイクダウンを経て、1945年3月26日、高速輸送艦トールバーグ Tollberg(APD-103)と共に運河地帯へ向けて出航
◎4月1日に太平洋艦隊に合流し、サンフランシスコで海兵隊の交換機材を積み込み、4月17日にハワイに向けて単独で出航。のちに船内手続きや水陸両用技術の集中的な訓練が行われた。のちにホノルルにて5,000tの陸軍弾薬を積み込み、5月25日に給油艦トロヴァナ Tolovana(AO-64)と共にウルシーに向けて出港した。高速輸送艦エンライト Enright(APD-66)に護衛され、2隻は直ちに沖縄で重要な貨物を引き渡した。弾薬は空襲の間に全て放出された
◎1945/6/11 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/6/28)
◎ランキンは1945年6月28日に沖縄を出港し、船団でサイパンに向かった。そこで船団を離れサン・フランシスコに向けて単独で航行し、7月20日に到着しました。船荷を引き受けたのち、修理のため、シアトルに入港
◎荷役中に戦争が終了したため、弾薬の搬出を行い、フィリピンに向けて出航
◎1945年9月9日にマニラへ到着。TransRon20に配属され、リンガエン湾に向けて航行。途中、スービック湾に寄港し、同地のボート・プールに揚陸艇を提供したのち、サン・ファビアン・ビーチから陸軍第25師団 25th Army Divisionの装備の引き取りを開始した
◎1945/9/18 極東にて占領作戦の任務(〜1945/11/3)
◎1945年10月1日、同艦隊は日本に向けて出港した。3週間近く停泊し、名古屋への機雷除去を行ったのち、10月27日に名古屋に入港した。ランキンはそこで海軍の人員を乗せ、サマール島で使用不能の揚陸艇を引き取り、本国へ向けて出航、11月25日にサン・フランシスコに到着した
◎1946/9/22 極東にて占領作戦の任務(〜1946/10/27)
◎1946/10/28 中国方面での行動(〜1947/1/5)
◎1947/5/21 サン・フランシスコにて退役、太平洋予備艦隊に編入
◎1952/3/22 アラメダのTodd Shipyardにて再役。シェイクダウン後、パナマ運河を通過して大西洋艦隊の揚陸部隊に参加し。ノーフォークを拠点に、東海岸やカリブ海、地中海での水陸両用訓練作戦を支援する長期の第二のキャリアをスタートさせた
◎1953/1/20 ヨーロッパ方面での行動(〜1953/5/9)
◎1958年7月18日、レバノン政府からの内戦回避の支援要請に応え、レバノンのベイルートに5,000名の海兵隊を上陸させる揚陸部隊の一員となった。1959年以来、ランキンは垂直離着陸能力を持つ高速揚陸戦隊である第10揚陸戦隊 Amphibious Squadron 10とともにカリブ海に定期的に派遣されている。カリブ海で定期的に活動し、プエルト・リコ、ヴァージン諸島、ハイチ、ジャマイカ、キューバに繰り返し寄港している
◎1962年10月から11月にかけて、ソヴィエトの中距離弾道ミサイルがキューバで発見された危機に際しては、キューバ海域に集結した部隊の中で活動し、あらゆる事態に備えた
◎1963/1 ランキンはフィブロン10 PhibRon 10と第2海兵大隊 2nd Marine Battalionの諸部隊とともにノーフォークを出港。2月下旬にはフアン・ボッシュ大統領 President Juan Boschの就任式に強襲揚陸艦ボクサー Boxer(LPH-4)とともにドミニカ共和国のサント・ドミンゴを訪問。4月から6月にかけては、ノーフォーク海軍造船所での訓練と操舵のためにふたたび派遣された。1964年1月初旬にはグアンタナモ湾で再訓練を行った。ランキンはそののち、9月28日から12月3日までスペイン沿岸で行われた“スチール・パイクI演習 exercise Steel Pike I”に参加。ノーフォークに戻ると、工作艦アンフィオン Amphion(AR-13)により修理改装、のちに沿岸訓練と準備作業、カリブ海両用即応戦隊 Caribbean Amphibious Ready Squadronとの配備を再スタート
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-103)に改める
◎Cuba Feb, Jun 1961-Mar 1962, Jul-Aug 1962, Cuban missile crisis Oct-Dec 1962, Dominican Rep Apr-Jun 1965.
セミノール
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Seminole AKA-104 ノース・カロライナ・シップビルディング社 1945/3/8 1970/12/23 1976/9/1 ◎1945/2/6 海軍に移管、運用開始
◎1945/2/8 運用終了、チャールストン海軍工廠で攻撃貨物輸送艦に改装
◎チェサピーク湾でのシェイクダウン(1945年3月25日〜28日)ののち、撃貨物輸送艦は東海岸で操業し、4月8日にノーフォークから運河地帯へ向けて出航した。セミノールは4月14日から15日にかけてパナマ運河を通過し、30日に真珠湾に到着した
◎1945年5月1日から27日まで、セミノールはハワイ海域での訓練に従事した。6月17日から21日にかけて、カロリン諸島ウルシーまで単独でジグザグに移動し、沖縄作戦用の対戦車地雷を積載した。7月14日に沖縄のBuckner Bayに到着したセミノールは、17日に荷揚げを行った。7月18日、台風を避けるために南下し、7月21日にBuckner Bayに帰港した。8月1日から3日にかけての台風警報発令中も同様の措置をとった(それでも衝突し損傷)。8月6日のBuckner Bayを出航してウルシーに向かい、燃料パイプのトラブルにもかかわらず10日に到着した。13日、パラオに向けて出航し、翌日ペリリューに到着した
◎ペリリューで貨物を積み込み、8月21日にマリアナ諸島へ向けて出航した。24日にサイパン沖に停泊し、タナパグ、テニアンで貨物を積み下ろし、グアムに向けて出港した。9月1日から4日までグアムのアプラ港に停泊した後、フィリピンに向けて出航した。9月8日にレイテ島のサン・ペドロ湾に到着した後、10日にサマール島のGuiuanまで航行し、LCVP4隻とLCM8隻を移送し、12日にPanay IslandのIloiloに航行した。9月12日から17日まで、第40師団 40th Division向けの一般貨物、弾薬、車両、揚陸艇、ガソリンを積み込んだ。そののち、18日に朝鮮半島の金泉に向け出航し、1週間後に同地に停泊した
◎セミノールは1945年10月7日にレイテ島に帰港した。そののち、18日にルソン島のSan Fernando港から韓国に向けて出航するまで、フィリピン海域に留まり、各地で貨物を積み込んだ。仁川にて装備を降ろし、第6師団 6th Divisionの84名の将兵を降ろすと、ふたたびフィリピンを目指し、11月5日にサマール島のGuiuan港に停泊した。1945年12月1日、レイテ湾を出航し、青島、グアム、真珠湾を経て1946年3月2日にサン・フランシスコに到着した。戦後の1946年から1950年まで、セミノールはアメリカ西海岸から西太平洋にかけて活動し、Point Barrowの補給航海を5回実施した
◎1950年夏、韓国で戦争が勃発した時、セミノールは同型艦ウォッシュバーン Washburne(AKA-108)とともに横須賀に向けて出航した。途中で迂回し、翌日には神戸に到着。三菱造船所での航海修理、台風“ジェーン”のための固縛を経て、9月4日、攻撃輸送艦ピカウェー Pickaway(APA-222)ドック型揚陸艦フォート・マリオン Fort Marion(LSD-22)をともなって韓国の釜山に向けて出航した。セミノールは同日神戸に戻り、燃料を補給し、5日午前0時27分に単独で出航した
◎セミノールは1950年9月6日、釜山港に係留された。9月8日、第1海兵臨時旅団 1st Marine Provisional Brigadeの貨物、物資、装備の積み込みを開始した。11日には5名の戦場記者達が乗船し、翌日には米海兵隊301名と韓国海兵隊58名が乗船した。9月15日、セミノールは仁川“レッドビーチ Red Beach”への反対側からの上陸のためにボートを下ろし、派遣した。9月16日から20日にかけて、攻撃貨物輸送艦は荷物の積み下ろしを続けた。21日には海兵隊の負傷者6名を収容し、23日に佐世保で引き揚げた。 船とボートの修理後、セミノールは1950年10月5日に神戸を出航し、8日に仁川に到着、翌日から第1海兵師団 1st Marine Divisionの兵員と装備を積み込み、17日に出航するまで兵員と貨物を追加して積載した。セミノールと随伴船は元山の機雷原がなくなるまで、何度も進路を反転させた。10月25日に元山港に入港し、30日まで海兵隊の上陸と貨物の積み下ろしを行った。 セミノールは1950年11月1日に元山港を出航し、翌日に釜山に到着した。第65連隊戦闘団 65th Regimental Combat Teamと第58野戦砲兵大隊 58th Field Artillery Battalionの兵士を乗せ、11月7日に元山で下船させた。その2日後、釜山に向けて出港し、途中小銃と20mm機関砲の射撃を受けて機雷を破壊。Seminoleは11月10日に釜山に停泊し、第10軍団 X Corpsの兵員を乗せ、翌日に出航した
◎11月12日に元山に戻り、釜山から輸送した兵士を下船させ、11月17日に日本に向けて出航するまでの間、整備・維持作業を行った。 11月20日に横須賀港に到着し、月末まで横須賀に留まった。12月上旬、中国共産党軍の参戦で危機に瀕した部隊を避難させるため、再び朝鮮半島へ。4日に元山港に入港し、第3歩兵師団 3rd Infantry Divisionの1小隊とその装備を乗せた。12月5日から7日にかけて、師団軍楽隊 Division Bandを含む第3歩兵師団の追加分隊が乗船した。12月9日には、韓国のHungnamに入港した。1950の残りの期間、この船はHungnamと釜山の間を数回往復し、日本人の荷役労働者や第3師団と韓国兵を乗せた。12月29日、セミノールは神戸に錨を下ろした。1951年1月13日、セミノールは韓国に向かうため神戸を出航し、翌日釜山外港に錨を下ろした。1月23日から28日まで、北朝鮮と中国の捕虜を釜山からSadung-Niに移送した。29日にはこの作業を中断し、東部海岸での揚陸行動と強襲上陸の模擬作戦に従事した。1月29日から31日にかけて行われたこの策略により、敵は国連軍を脅かさない場所に兵力を展開するようになった。任務を終えたセミノールは、1951年2月2日に捕虜の輸送に復帰した。月8日には、さらに強襲上陸のシミュレーションが行われた。2月10日、仁川から日本へ向かい、12日に佐世保に到着。同月、韓国と日本を往復し、25日に横須賀港に帰港した。1951年4月4日、佐世保を出港し、16日に香港に到着。7月9日にサン・ディエゴ港に立ち、1952年11月29日に横須賀に戻るまで西海岸で活動した。12月5日に横須賀を出港したセミノールは、韓国と日本の海域で活動を再開した。1953年4月10日、第5騎兵連隊戦闘団 5th Cavalry Regimental Combat Teamを韓国の釜山と巨済島から日本の小樽に再移動させる第90.9任務群 Task Group 90.9の一員として日本を出航した。4月13日に釜山に到着したセミノールは、車両に荷物を積み込み、運転手と500名の兵士を乗せ、4月27日に小樽に戻った。 1953年7月27日の休戦協定調印後も、セミノールは日本と韓国の海域で活動を続けた。7月28日から9月12日まで、“ビッグ・スイッチ”作戦 Operation Big Switchで北朝鮮と中国の捕虜1万名近くを巨済島から仁川に運んだ。9月22日、極東を出発し、1953年のコロンブス・デイ Columbus Dayにサン・ディエゴに到着した
◎のちにサン・フランシスコ海軍造船所にて改装
◎1954年9月14日、セミノールは西海岸を出発。10月2日に横須賀に、10日に香港に、29日に佐世保に到着
1954年9月14日、セミノールは西海岸を出航した。10月2日に横須賀、10日に香港、29日に佐世保に到着した。1955年11月30日、フィリピンのスービック湾に立ち、大晦日にはヴェトナムのサイゴンに到着した。北ヴェトナムや大陳群島からの難民を避難させたのち、1956年1月11日にサイゴンを出航した。セミノールは日本に帰国し、27日に神戸に入港した。 2月6日に神戸を出航し、沖縄のBuckner Bayに向かった。2月24日、琉球から日本へ向かい、真珠湾を経由してサン・ディエゴへ向かった。1956年の残りの期間、セミノールは西海岸とアラスカで活動した。1957年1月、再び横須賀に向け出航。9月26日にサン・ディエゴに戻るまで、セミノールは日本、沖縄、朝鮮半島沖で活動した。1958年7月3日に横須賀に戻ると、12月8日にサン・ディエゴに戻るまで東アジア海域で活動した
◎セミノールは1960年代に入っても現役を続けた。1966年7月1日、第9両用戦隊 Amphibious Squadron 9に配属された。1967年2月24日、同隊は沖縄のChin Wanを出航し、3月1日に南ヴェトナムのCua Viet River河口に到着した。そこで海兵隊員を乗せ、ローテーションを行い、3月13日にChin Wanに到着した。4月14日、台風“ヴァイオレット”で座礁した汽船Silver Peakの生存者28名の救助を支援。 セミノールは1967年4月28日から5月13日まで、第1海兵師団 1st Marine Divisionを支援する水陸両用およびヘリコプターによる襲撃作戦、“ビーヴァー・ケージ”作戦 Operation Beaver Cageに参加した。“ボー・チャージャー”作戦 Operation Beau Chargerは、非武装地帯付近の捜索と破壊のための水陸両用機とヘリコプターによる攻撃で、ただちに計画が開始された。この作戦は5月18日から22日にかけて実施され、敵が聖域とみなしていた地域で損失を与えた。6月18日、“ビーコン・トーチ”作戦 Operation Beacon TorchがHoi An近郊で開始された。敵の基地、要塞、通信網を破壊した後、7月2日に第5海兵隊 5th Marinesは撤退し、非武装地帯の真南に投入されて、緊急の北ヴェトナムの脅威に対する“ベア・トラック”作戦 Operation Bear Track(7月4-17日)に協力することになった。その3日後、フエ南方の敵拠点に対する“ベアー・チェーン”作戦 Operation Bear Chainが開始され、7月25日に終了し、そののち、内陸部の捜索と破壊を行う“カンガルー・キック”作戦 Operation Kangaroo Kickが行われた。セミノールは次に、1967年8月5日にスービック湾に到着し、必要な保全作業を行った。8月27日、Quang Tri付近への水陸両用上陸作戦がこの派遣の最後の作戦となった。“ベルト・ドライヴ”作戦 Operation Belt Driveは9月5日に成功裏に終了し、選挙期間中の敵のテロを抑止することができた。しかし、セミノール部隊は9月1日にヴェトナム海域を離れ、香港、スービック湾を経由してアメリカ西海岸に帰還した。9月21日に母港であるサン・ディエゴに到着した
◎1968年4月24日から5月3日まで、コロナド島とサン・クレメンテ島沖で行われた“ビーグル・リーシュ”艦隊演習 fleet exercise Beagle Leashに参加。8月1日には、サン・ディエゴから真珠湾への移動中に、合同輸送船団演習 joint convoy exerciseに参加した
◎1968年10月10日、スービック湾での保全作業中、攻撃貨物輸送艦メリック Merrick(AKA-97)と入れ代わる。23日には高雄に入港。10月28日に単独で行動し、30日にDa NangでARGと合流。11月13日にシンガポールへの往復航海のために切り離され、11月26日に任務群に再合流した。12月6日に香港に向けて出港し、8日に到着した。香港でクリスマスを過ごしたのち、1968年12月27日、Da Nangに近いヴェトナム沿岸で部隊に復帰するため、港から立ち去った
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-104)に改める
AKA-105
AKA-106
AKA-107
AKA-108


軽荷排水量:9,050t(9,190tともいわれる) 満載排水量:17,500t 全長:171.90m 幅:23.16m 吃水:7.92m(8.53mともいわれる) 主缶:コンバッション・エンジニアリング缶2基 主機/軸数:ド・ラヴァル式ギアード蒸気タービン1基/1軸 出力:22,000馬力 速力:20.0kt(22.0ktともいわれる) 航続力:20.0ktで10,000浬 兵装:50口径76mm連装両用砲6基、12.7mm機銃6基(1975年には50口径76mm連装両用砲3基) 乗員:425名(435名とも437名ともいわれる、LCM(6)9隻、LCVPもしくはLCPL14隻、車両300両、兵員319名を塔載)
C4-S-1a型貨物船を改装
※基本計画番号SCB-77
※四脚ラティス構造檣の60tデリックを前後に1基ずつを搭載。攻撃貨物輸送艦としては初の後部ヘリコプター甲板を設置
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
トゥレーア Tulare AKA-112 ベスレヘム・パシフィック・コースト・スチール社 1956/1/12 1980/2/15 1992/8/31 ◎1956/1/10 海軍に移管、攻撃貨物輸送艦に改装
◎1963/4中旬 西海岸にてオーヴァーホール
◎1966/3/6 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/10)
◎1966/3/25 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/29)
◎1966/5/6 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/5/9)
◎1966/5/17 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/5/22)
◎1966/5/29 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/5/31)
◎1966/6/10 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/12)
◎1966/6/21 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/26)
◎1966/7/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/7/25)
◎1966/8/5 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/8/14)
◎1966/8? リッチモンドにて入渠
◎1967/12/6 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1968/1/27)
◎1968/2/5 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet Counteroffensive、〜1968/2/7)
◎1968/2/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet Counteroffensive、〜1968/2/20)
◎1968/2/23 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet Counteroffensive、〜1968/4/1)
◎1968/4/2 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV、〜1968/4/20)
◎1968/5/19 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV、〜1968/5/24)
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-112)に改める


※データは貨物揚陸艦チャールストン級の項を参照
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
チャールストン Charleston AKA-113 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1968/12/14 1992/4/27 2015/8/15 ◎1966/12/5 起工
◎1967/12/2 進水
◎1968/12/5 引き渡される
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-113)に改める
ダーラム Durham AKA-114 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1969/5/24 1994/2/25 2015/8/15 ◎1967/7/10 起工
◎1968/3/29 進水(12
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-114)に改める
モービル Mobile AKA-115 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1969/9/29 1994/2/4 2015/8/15 ◎1968/1/15 起工
◎1968/10/19 進水
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-115)に改める
セント・ルイス St. Louis AKA-116 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1969/11/22 1992/11/2 2015/8/15 ◎1968/4/3 起工
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-116)に改める
エル・パソ El Paso AKA-117 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1970/1/17 1994/4/21 2015/8/15 ◎1968/10/22 起工
◎1969/1/1 艦種を貨物揚陸艦(LKA-117)に改める


Update 24/08/31