戦艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略
軽荷排水量 | 45,000t(1982年〜1992年は45,280t) |
満載排水量 | 57,540t(59,331tともいわれる) BB-62は59,300t(1968年〜1969年のBB-62は57,124t、1980年代には57,271t) BB-64は58,751t(1980年代には57,500t) BB-65、BB-66は55,250t |
全長 | 270.43m BB-62は270.53m |
幅 | 32.96m BB-62は32.94m(33.26mともいわれる) BB-64は32.99m |
吃水 | 11.50m BB-62〜BB-64は8.81m(平均) |
主缶 | バブコック&ウィルコックス缶8基 |
主機 | ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン4基 BB-62、BB-64、BB-65はウェスティングハウス式ギアード蒸気タービン4基 |
軸数 | 4軸 |
出力 | 212,000馬力 |
速力 | 32.5kt(33.0ktともいわれる) |
燃料搭載量 | 重油(1980年代現役復帰後は蒸留油)7,073t BB-62〜BB-64は7,251t |
航続力(計画) | 15ktで16,600浬 |
兵装 | 50口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 56口径40mm4連装機関砲15基(BB-62は56口径40mm4連装機関砲16基、BB-63、BB-64は56口径40mm4連装機関砲20基、戦後大部分撤去、BB-62は1968年に全て撤去、他の艦は1980年代の近代化改装で全て撤去) 70口径20mm単装対空機関砲47基〜52基(70口径20mm単装対空機関砲60基ともいわれる、BB-63、BB-64は70口径20mm単装対空機関砲49基、戦後全て撤去) 1977年には50口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 6ポンド砲2基 1977年にはBB-62は50口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 56口径40mm機関砲2基 1977年にはBB-63は50口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 56口径40mm4連装機関砲20基 1980年代にはトマホークSLCM4連装発射機8基(1991年に増強) ハープーンSSM4連装発射機4基(1991年に増強) 50口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲6基 76口径20mmCIWS4基(1991年に増強) |
装甲 | 水線309.88mm(テーパー状で19度傾けて22.2mmSTSを装着、11.76m wide, top 3.23mクラスA、38.1mmSTS
outer hull shell(decapping plate)) 船体内側水線309.88mm〜下端41.27mm(テーパー状で19度傾斜) 甲板(主38.1mm、2nd 120.65mm〜127mmクラスB+31.75mmSTS、3rd 12.7mm〜15.87mm、スプリンター15.87mmSTS(BB-61、BB-62)、19.05mmSTS(BB-63〜BB-66)) 砲塔前楯431.8mm+63.5mmSTS(68.58mmともいわれる) 砲塔側面241.3mm 砲塔後面304.8mm 砲塔天蓋184.15mm 両用砲塔(63.5mmSTS、handling rooms 63.5mm) 隔壁(284.48mm(BB-61、BB-62)、368.3mm(BB-63〜BB-66)) バーベット(2nd deck 439.42mm〜375.92mm〜294.64mm、2nd deck〜3rd deck 76.2mm、below 3rd deck 38.1mm) 司令塔(側面444.5mm、上部184.15mm、床101.6mm、communications tube 406.4mm) |
塔載機 | 水上偵察機2機〜3機(ヴェトナム戦争時には無人ヘリコプター、1950年代初めにはカタパルトを撤去、BB-62は離着艦パッドを増強) |
乗員 | 士官117名、下士官兵1,804名(1945年には士官、下士官兵合わせて2,788名とも2,800名ともいわれる) BB-64は1945年には士官、下士官兵合わせて2,978名、1980年代には士官、下士官兵合わせて1,518名 BB-64は1988年には士官、下士官兵合わせて1,515名 |
- ※計画時に当初、457mm3連装砲搭載の案と457mm連装砲搭載の案が考究されていた
- ※1950年代末から1960年代初頭にかけてポラリスSLBMを塔載する弾道ミサイル戦艦(弾道ミサイル・モニター)、1962年には火力支援能力を持つ強襲揚陸艦(3番砲塔と一部の38口径127mm連装両用砲を撤去し、飛行甲板を設け輸送ヘリコプター20機とLCVP16隻を搭載、海兵1個大隊を乗艦できるようにする)、1980年代現役復帰後の上記の第1段階の改装ののちに、第2段階改装案(第1案から第6案まであった。砲塔3基まで残す案から、全部撤去して代わりにVLSを装備し総数400発の各種ミサイル(トマホークSLCM、スタンダードSM-2 SAM、アスロックSUM)を保有する案まであった。この内、4つまでが前部の第1番砲塔、第2番砲塔を残し、第3番砲塔を撤去してVLSに置き換える案である。また第3番砲塔を撤去し、格納庫と飛行甲板を設け、対潜ヘリコプターもしくはSTOVL攻撃機を搭載する航空戦艦構想)もあった。第2段階改装案で共通していることは、地点防御能力を改善し、海軍戦術データ・システム(Navy Tactical Data System: NTDS)を搭載して旗艦能力を付与することであった
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから)
- ※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
- ※戦闘報告はこちら
- ※下の画像はアイオワ級の予備設計図2つで、1つはサウス・ダコタ級の船体を長くして45口径16インチMk. 6砲9門で武装した30ktの高速戦艦。もう1隻は、サウス・ダコタ級の船体に47口径18インチMk. A砲9門を搭載した、より低速の27kt重武装重装甲艦である。55,000tと表示されているが、条約のエスカレーター条項に従い、標準的な排水量は45,000tである
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1942年6月にアイオワ級を航空母艦に改装する案を作成
- 飛行甲板長:263.34m
- ※1942年6月のアイオワ級戦艦から航空母艦への改装案。当時建造中の船体の空母化の検討の一環として検討された設計図
- ※アーネスト・キング元帥 Fleet Admiral Ernest Joseph Kingとチェスター・ウィリアム・ニミッツ元帥 Fleet Admiral Chester William Nimitzが構想したと思われる“ナプキンヴァッフェ napkinwaffe”的と思われる新型艦。これは1946年に対空火力を強化するために再設計されたアイオワ級戦艦である
- ※計画時に当初、457mm3連装砲搭載の案と457mm連装砲搭載の案が考究されていた(ゲーム「World of Warships」ではジョージア Georgiaという艦名で登場(1、2))
↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アイオワ (1、2、3、4) |
Iowa | BB-61 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1943/2/22 | 1990/10/26 | 2006/3/17 | ◎1940/6/27 起工 ◎1942/8/27 進水 ◎1943/3/28 引き渡される 1943/7/16 カスコ湾沖にて艦底損傷 ◎のちに修理 1944/3/18 ミリ島にて日本軍の陸上砲台(152mm砲)の砲撃により損傷 1944/12/17 台風によりスクリュー損傷(スクリュー推進器軸の捩れ発生) ◎1944/12/28 分割式浮きドック(ABSD-2)にて入渠(1、2、3、4、5、6、7) ◎1945/1中旬 サン・フランシスコ海軍工廠にて入渠、オーヴァーホール ◎1949/3/24 退役、保管 ◎1951/7 再活性化工事 ◎1951/8/25 再役 ◎1952初め サン・フランシスコ海軍造船所にて入渠 ◎1952/10 ノーフォークにてオーヴァーホール ◎1958/2/24 フィラデルフィア海軍造船所にて退役、フィラデルフィアにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1962/8/2 フィラデルフィア海軍造船所にて入渠 ◎1982/9 ニュー・オーリンズのエイヴォンデール・シップビルディング社とPascagoulaのインガルス・シップビルディング社にて近代化改装(修理額約$4,521,397、1、2、3、4、3、4、5、6) ◎1984/4/28 再役 ◎1985/4上旬 ノーフォーク海軍造船所にてPSA(1、2、3、4、5、6) 1989/4/19 プエルト・リコ海域にてフリーテックス89演習中に2番主砲塔内で爆発事故(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14) ◎退役後、フィラデルフィア海軍造船所の保管施設(NISMF)にて保管(1、2) ◎1995/1/12 除籍、部品供給艦となる ◎1998/9/24 フィラデルフィア海軍造船所が閉鎖のため、ニューポートの海軍教育訓練センターへ回航 ◎1999/1/4 籍をもどす、カテゴリー“B”保管(1、2) ◎2001/4 Susian Bayへ曳航 2011/9/6 パシフィック・バトルシップ・センターに寄贈、ロサンゼルスにて記念艦となる ◎2011/10/27 サン・ペドロへ曳航、リッチモンドにて係船(1、2) ◎2012/1 リッチモンドのピア3にて工事(1、2、3) ◎2012/5末 Naval Weapons Station Seal Beachへ曳航(1、2、3) ◎2012/6/9 サン・ペドロに到着 ◎2012/7/7 一般公開 2012秋 会社TNT Original ProductionsのTVドラマ「ザ・ラストシップ The Last Ship (Season 1, Episode 3, Episode 8)」撮影用に用いられる(ロシア海軍原子力ミサイル巡洋艦ヴェルニ Vyerniの役として艦内シーンを撮影) (↑ロシア海軍キーロフ級重原子力ミサイル巡洋艦) |
◎ニックネームはビッグ・スティック Big Stick(1952年時)、ザ・グレイ・ゴースト The Grey Ghost(朝鮮戦争時) ◎North Atrantic Aug-Oct 1943. Carried President Roosvelt to Casablanca conference, Nov 1943. Kwajalein, Raid on Truk, Marianas Raid Feb 1944, Palau Raid Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Tinian, Guam, Palau-Yap Raids Jul 1944, Palau, Philippines Raids Sep 1944, Okinawa Raid Oct 1944, N. Luzon-Formosa Raids Oct 1944, Luzon Raids Oct 1944, Visayas Is. Raids Oct 1944, Surigao Strait, Fleet Raids 1945, Raids on Japan Jul-Aug 1945, Tokyo Bay. ☆BB-61の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/2/17 日本海軍練習巡洋艦香取(トラック諸島北西海域にて損傷を与える) (←日本海軍練習巡洋艦香取(1940年時)) ◎Bombarded shore targets in Korea, 8 Apr-16 Oct 1952. Mediterranean 1955. Korea (2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952.), Libya Dec 1987-Feb 1988. #BB-61の搭載レーダー ◎1943 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 4対空射撃指揮レーダー ◎1944 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1945 SG対水上レーダー、SU対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1951 SG-6対水上レーダー、SU対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1953 SG-6対水上レーダー、SU対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1955 SG-6対水上レーダー、SU対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 25対空射撃指揮レーダー ◎1984 SPS-67対水上レーダー、SPS-49対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー ◎1989 SPS-67対水上レーダー、SPS-49対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPQ-9対水上・対空指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー |
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ニュー・ジャージー (1、2、3) |
New Jersey | BB-62 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1943/5/23 | 1991/2/28 (1991/9/8?) |
1999/1/4 | ◎1940/9/16 起工 ◎1942/12/7 進水 ◎フィラデルフィアにて就役 ◎1943/6/30 引き渡される 1945/4/2 沖縄南東海域にて駆逐艦フランクス Franks(DD-554)と衝突し損傷 ◎1945/4? 海軍工廠ピュージェット・サウンドにてオーヴァーホール ◎1946/9 ピュージェット・サウンド海軍造船所にて入渠、オーヴァーホール ◎1947/10/18 ニュー・ヨーク海軍造船所にて不活性化工事 ◎1948/6/30 ベイヨーンにて退役、ニュー・ヨークにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1950/11 再活性化工事(1、2) ◎1950/11/21 再役 1951/5/20 元山沖にて共産軍の陸上砲台(102mm砲)の砲撃により小破 ◎1956/12中旬 ニュー・ヨーク海軍造船所にて不活性化工事 ◎1957/8/21 ベイヨーンにて退役、保管 ◎1967/11 フィラデルフィア海軍造船所にて入渠、再活性化工事 ◎1968/4/6 再役 ◎1969/9上旬 ロング・ビーチ海軍造船所にて不活性化工事 ◎1969/12/17 退役、ピュージェット・サウンド海軍造船所の保管施設(Inactive Ship Maintenance Facility)にて保管(1、2、3、4) ◎1982/2/5 ロング・ビーチ海軍造船所にて入渠、再活性化工事(〜1982/3/13、1、2、3、4、5、6、7、8) ◎1982/12/28 再役 ◎1990/8/24 ロング・ビーチにて入渠(〜1990/11/28、1、2、3、4、5、6、7、8) ◎退役後、ピュージェット・サウンド海軍造船所の保管施設(Ship Intermediate Maintenance Facility)にて保管 ◎1995/1/12 除籍 ◎1998/2/12 籍をもどす ◎1999/9/12 フィラデルフィア海軍造船所の保管施設(NISMF)にて保管(〜1999/9/11) 2000/7/27(2001/10?) Camdenにて記念艦となる(1、2、3、4、5、6) 2012 TV・ラジオ・ネットワーク会社CBS放送のTVドラマ「NCIS 〜ネイビー犯罪捜査班 NCIS: Naval Criminal Investigative Service (Season 9, Episode 19)」撮影用に用いられる(駆逐艦ヘイゲン Hagen(DD-350)の役として艦内の医務室シーンを撮影) ◎2024/3/21 フィラデルフィア海軍造船所へMcAllister Towingの曳船が曳航、ニュー・ジャージー州Paulsboroにある Paulsboro Marine Terminalに一時係留、3月27日、ニュー・ジャージーはフィラデルフィア海軍造船所に曳航され、1940年代初頭に建造されたDrydock No. 3に誘導される。博物館関係者によれば、乾ドックでのメンテナンス期間は約60日かかるという。この間、船体は徹底的に検査され、再塗装され、必要に応じて修理される。Philadelphia Ship Repairがメンテナンス作業を行う。戦艦が乾ドックに入っている間、見学者向けに特別ツアーが催行され、62,000tの戦艦のユニークで貴重な姿を水面から眺めることができる。ニュー・ジャージーは2024年6月にCamden waterfrontの定位置に戻り、ツアー用に再オープンする予定である($10,000,000と見積もられたこの乾ドックの目的は、ニュー・ジャージーが退役してから一度も乾ドックに入っていなかったため、重要な保存作業を行うことだった。3月27日から6月14日まで乾ドックに入られていた間、船体の水中部分は鋼鉄むき出しの状態まで圧力洗浄され、何度も塗り直され、雨漏りが修理され、船体のリヴェットで留められた鋼板の継ぎ目がコーキングされ、カソード保護用の陽極が交換され、薄く錆びた船体の一部は余分な鋼鉄で補強され、プロペラ・シャフトが通る場所など、いくつかの船体の開口部が閉鎖された、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、50、51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73、74) |
◎ニックネームはビッグJ Big J、またはビッグ・ジェイ
Big Jay ◎Kwajalein, Raid on Truk, Palau Raid Mar 1944, Hollandia, Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Guam, Palau-Yap Raids Jul 1944, Palau, Philippines Raids Sep 1944, Okinawa Raid Oct 1944, N. Luzon-Formosa Raids Oct 1944, Luzon Raids Oct 1944, Visayas Is. Raids Oct 1944, Surigao Strait, Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Honshu Raid Feb 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945, Operation Magic Carpet. ☆BB-62の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/2/17 特設哨戒艇第一五湘南丸(トラック諸島北西海域にて撃沈(他艦と共同で)) ・1944/2/17 日本海軍駆逐艦舞風(トラック諸島北西海域にて撃沈(他艦と共同で)) (←日本海軍駆逐艦陽炎) ・1944/2/17 日本海軍駆逐艦野分(トラック諸島北西海域にて損傷を与える(至近弾)) (←日本海軍駆逐艦陽炎) ◎Bombarded targets in area of Wonsan, then Kansong and Chongjin, May-Nov 1951. Again bombarded targets in east coast of Korea, Apr-Oct 1952. Mediterranean 1955. Bombarded targets near DMZ, Vietnam, Sep 1968-Mar 1969. Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951. 3rd Korean Winter, 1 Dec 1952-30 Apr 1953. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), Vietnam Sep 1968-Mar 1969, Lebanon Sep 1983-Apr 1984, Libya Dec 1989. #BB-62の搭載レーダー ◎1943 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 4対空射撃指揮レーダー ◎1944 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1945 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1951 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1953 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1955 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 25対空射撃指揮レーダー ◎1968 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6C対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー ◎1982 SPS-10F対水上レーダー、SPS-49対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー |
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ミズーリ (1、2、3) |
Missouri | BB-63 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1944/6/11 | 1992/3/31 | 1995/1/12 | ◎1941/1/6 起工 ◎1944/1/29 進水 ◎1944/7/24 引き渡される 1945/4/11 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷(1、2、3、4、5) 1945/4/16 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷 1945/6/5 フィリピン海にて台風により損傷 1945/9/2 東京湾にて日本の降伏文書調印式 ◎1945/10末? ニュー・ヨーク海軍工廠にてオーヴァーホール ◎1946/3/21 病死したトルコ大使の遺体をイスタンブールへ運ぶ(〜1945/4/2到着) ◎1947/9/23 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール(〜1948/3/10) ◎1949/9/23 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1950/1/17) 1950/1/17 Old Point Comfort近海にて座礁(1、2) ◎1950/2/1 離礁(1、2) ◎1951/10中旬 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1952/1/30) ◎1953/11/20 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1954/4/2) ◎1955/2/26 ピュージェット・サウンド海軍造船所にて退役、ブレマートンにて太平洋予備艦隊に編入(1、2、3、4) 1979/10 映画会社Paramount Pictures, Inc. のTV映画「戦争の嵐 The Winds of War」撮影用に用いられる(原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)の乗組員400名がエキストラで参加) ◎1984/8 ロング・ビーチ海軍造船所のDrydock No. 1にて近代化改装 ◎1986/5/10 サン・フランシスコにて再役 ◎1990/1上旬 ロング・ビーチ海軍造船所にて入渠、メンテナンス(1、2、3) 1991/2/25 イラク軍のシルクワームSSMを迎撃中、味方艦の誤った砲撃により損傷(ミサイル・フリゲイト・ジャレット Jarrett(FFG-33)の20mmCIWSが誤作動し、発射された20mm弾が隔壁の薄い上部金属に侵入) ◎退役後、ピュージェット・サウンド海軍造船所の保管施設にて保管 1998/5/4(1999/1/29?) 真珠湾にて記念艦となる ◎2009/10中旬 真珠湾海軍造船所にて入渠、メンテナンス、修理(〜2010/1/7、修理額約$18,000,000、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12) 2010 TV・ラジオ・ネットワーク会社CBS放送のTVドラマ「HAWAII FIVE-0 (Season 1, Episode 7)」撮影用に用いられる 2010 映画会社ユニバーサル・ピクチャーズの映画「バトルシップ Battleship」撮影用に用いられる 2013 映画会社ワーナー・ブラザース・エンターテイメントの映画「GODZILLA ゴジラ Godzilla」撮影用に用いられる ◎2014/3/7 艦内をメンテナンス ◎2014/6/30 甲板をメンテナンス(1、2) ◎2017/2 上部構造部補修工事(〜2018/下旬(2018年2月27日に上部構造部が見学再開)、1、2、3) |
◎ニックネームはビッグ・モー Big Mo、マイティ・モー Mighty Mo ◎Honshu Raid Feb 1945, Iwo Jima, Honshu Raid Feb 1945, Fleet Raids 1945, Raids on Japan Jul-Aug 1945, Tokyo Bay. Japanese surrender signed on board in Tokyo Bay, 2 Sep 1945. Carried President Truman from Rio de Janeiro to U.S., 7-19 Sep 1947. Bombarded Samchok, Korea, 15 Sep 1950, and then in area of Wonsan and Hungnam, Oct-Dec 1950, through Mar 1951. Attacked targets at Chongjin and other east coast areas, Oct 1951-Apr 1952. Escorted carriers and bombarded shore targets in Iraq, 1991. Korea (North Korean Aggression, 27 Jun-2 Nov 1950. Communist China Aggression, 3 Nov 1950-24 Jan 1951. 1st UN counteroffensive. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. 3rd Korean Winter, 1 Dec 1952-30 Apr 1953.), Libya Sep-Nov 1987, Gulf War Jan-Mar 1991. ☆BB-63の撃沈、撃墜スコア(以下の艦船、航空機) ・1945/3/18 日本軍機4機(日本にて撃墜(他艦と共同で)) ・1945/4〜5 日本軍機5機(沖縄にて撃墜) ・1945/4〜5 日本軍機6機(沖縄にて撃墜(他艦と共同で)) #BB-63の搭載レーダー ◎1944 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1945 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1948 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、SR対空レーダー、SP対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 25対空射撃指揮レーダー ◎1953 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1955 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー ◎1986 SPS-67対水上レーダー、SPS-49対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー |
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ウィスコンシン (1、2) |
Wisconsin | BB-64 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1944/4/16 | 1991/3/30 | 2006/3/17 | ◎1941/1/25 起工 ◎1943/12/7 進水 ◎1944/5/26 引き渡される ◎1944夏 フィラデルフィア海軍工廠にてPSA 1944/12/18 フィリピン海にて台風により水上偵察機をなくす(航空戦史シリーズNo. 55「神風、米艦隊撃滅」(朝日ソノラマ)より) ◎1946/1 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1948/7/1 ノーフォークにて退役、大西洋予備艦隊に編入 ◎1950 ノーフォーク海軍造船所にて再活性化工事 ◎1951/3/3 再役 1952/3/15 朝鮮沿岸にて共産軍の152mm砲の砲撃により損傷 ◎1952/4/4 Oroteの大型浮きドック(非自走)(AFDB-1)にて入渠(〜1952/4/5) ◎1952秋? ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1953/8上旬 ノーフォーク海軍造船所にて修理、改装 ◎1954/6中旬 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1954秋? ノーフォーク海軍造船所にて修理 ◎1955秋? ニュー・ヨーク海軍造船所にてオーヴァーホール 1956/5/6 ノーフォーク沖にて護衛駆逐艦イートン Eaton(DDE-510)と衝突し艦首を損傷(1、2、3、4、5) ◎1956/5中旬 ノーフォーク海軍造船所にて修理(〜1956/6、未成戦艦ケンタッキー(BB-66)の艦首部21m切り取って接合) ◎1956/11中旬 ノーフォーク海軍造船所にて修理(〜1957/1/2) ◎1957/11上旬 ベイヨーンにて不活性化工事 ◎1958/3/8 ベイヨーンにて退役、保管 ◎のちにフィラデルフィア海軍造船所にて保管(1、2、3) ◎1987 Pascagoulaのインガルス・シップビルディング社にて近代化改装(1、2、3、4、5、6、7、8) ◎1988/10/22 再役 ◎1991/3/30 予備役に編入、ノーフォーク海軍造船所でモスボール保管 ◎1995/1/12 除籍 ◎1998/2/12 籍をもどす、保管 2000/12/12 ノーフォークのナショナル・マリタイム・センターにて記念艦となる ◎2009/12/14 ノーフォーク市に寄贈 2012/3/28 アメリカ合衆国国家歴史登録財となる ◎2012/10/5 隔壁を再塗装(1、2、3) ◎2013/6/7 図書室を再塗装 |
◎ニックネームはウィスキー Wisky(もしくはWisKy) ◎Luzon Raids Oct 1944, Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Honshu Raid Feb 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945, Raids on Japan Jul-Aug 1945, Tokyo Bay, Operation Magic Carpet. Bombarded targets in areas of Kaesong and east coast, Nov-Dec 1951 and Jan 1952. Korea (2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952.), Gulf War Aug 1990-Mar 1991. #BB-64の搭載レーダー ◎1944 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1945 SG対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SC-2対空レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1951 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1953 SG-6対水上レーダー、Mk. 27対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1955 SG-6対水上レーダー、SPS-4対水上レーダー、SPS-6もしくはSPS-12対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、Mk. 25対空射撃指揮レーダー ◎1988 SPS-67対水上レーダー、SPS-49対空レーダー、SPS-8高角測定レーダー、Mk. 13対水上射撃指揮レーダー、SPG-53射撃指揮レーダー |
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イリノイ | Illinois | BB-65 | フィラデルフィア海軍工廠 | ― | ― | ◎1945/1/15 起工 ◎1945/8/11(1945/8/12?) 22%の完成度で建造中止、解体 ◎1958/9 解体 |
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ケンタッキー (1、2) |
Kentucky | BB-66 | ノーフォーク海軍工廠 | ― | ― | 1958/6/9 | ◎1942/3/7 起工するも解体(航空母艦レイク・シャンプレーン Lake Champlain(CV-39)を先に建造するため) ◎1944/12/6 起工 ◎1947/2/17 72.1%の完成度で建造中断 ◎1948/8/17 建造再開。1940年代末、ミサイル戦艦(BBG)への改装計画が浮上するが具体的進展を見せず終わる ◎1950/1/20 進水後建造中止 1954/10/15 ノーフォーク海軍造船所を襲ったハリケーン“ヘイゼル”により座礁 ◎1958/10/31 解体のため、ボルティモアのボストン・メタルズ社に売却 ◎1959/2 解体 |
Update 24/10/20