対潜駆逐艦、護衛駆逐艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略。RAVは限定的な有用性(Restricted Availability)の略
- ※データは駆逐艦フレッチャー級の項を参照
- ※1948年の長期見積もりで、ソヴィエトには1951年までにヴァルター潜水艦26隻そのほかが就役すると報告され、フレッチャー全数を大急ぎでDDEに改装する方針が立てられた。まず同年度で9隻、1949年度で3隻の改装費を獲得。1950年度で11隻の改装が議会を通過し、大統領はその内7隻の実施を直ちに承認した。ところが1950年に、ソヴィエトの潜水艦整備の速度が予想外に遅いことが判明した。ただ将来の脅威に対して現有の対潜兵器では能力不足だった。開発待ちということになり、1951年度からの改装は当分見合わせることに決定した。1950年度の7隻の内1隻分の費用は水中高速標的、すなわちのちの調査潜水艦[実験潜水艦]アルバコア(AGSS-569)に回され、DDEへの改装は結局18隻で取り止めになった
- ※兵装は38口径127mm単装両用砲が従来の1番、5番砲の2基だけになり、3番、4番砲のあとに76mm連装速射砲、2番砲の後にMk. 108磁気感応式対潜ロケット弾用発射機またはMk. 15ヘッジホッグを搭載した。前部01甲板両舷のボフォース40mm連装機関砲はエリコン20mm連装機関砲または固定式ヘッジホッグに換装された。なお、エリコン20mm連装機関砲は艦尾のブルワーク内に2基据えられた。改装艦には大戦末期に特攻機対策による改装を施した5隻が含まれており、ボフォース40mm連装機関砲の搭載数は一定しなかった。爆雷は艦尾に投下軌条だけを残した。爆雷投射機(K砲)は撤去され、両舷に対潜専用のMk. 32短魚雷用の落射機が設けられた。533mm5連装魚雷発射管は撤去され、後部上構両舷にMk. 24長魚雷発射管が2門ずつ装備された。指揮装置は、対空用がMk. 56とMk. 63になり、対潜用にMk. 100が装備された。この後継のMk. 102が、1951年から実験護衛駆逐艦ソーフリー(EDDE-465)とバッチ(DDE-470)で実用実験が行われている。1955年頃ソナー室を拡張し、QHBを低周波大出力のにSQS-4に換装したが、重量を補償するためにボフォース40mm連装機関砲を陸揚げしたといわれる。その際に水中攻撃指揮装置はMk. 105に変わったと推定。Mk. 44魚雷の実用化によって1957年以降、それまでの短魚雷落射機は3連装のMk. 32発射管に換装されている。落射機を備えなかった艦でも1960年ごろからボフォース40mm連装機関砲と長魚雷発射機を降ろしてMk. 32発射管を両舷に搭載するものが増えた。もっともこれは在役艦だけに施された
- ※兵装、装備、改装変遷はこちら
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
フレッチャー | Fletcher | DDE-445 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/6/30 | 1969/8/1 | 1969/8/1 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-445)に改める ◎1949/10/3 再役 1952/5/31 Yangdoにて座礁 ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-445)に改める |
◎Korea (North Korean Aggression, 27 Jun-2 Nov 1950. Inchon Landing, 13-17 Sep 1950. 2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), Quemoy-Matsu 21 Sep 1959, Vietnam Jan 1961. | |||||||
ラドフォード | Radford | DDE-446 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/7/22 | 1969/11/10 | 1969/11/10 | ◎1949/3/26 護衛駆逐艦に改装、艦種を護衛駆逐艦(DDE-446)に改める ◎1949/10/17 サン・フランシスコにて再役 ◎1951 真珠湾にてオーヴァーホール ◎1960/3下旬 真珠湾海軍造船所にてFRAM II改装(〜1960/11) ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-446)に改める |
◎Korea (North Korean Aggression, 27 Jun-2 Nov 1950. Inchon Landing, 13-17 Sep 1950. 2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952.), Taiwan Straits Aug-Sep 1958, Quemoy-Matsu 21 Sep-Nov 1959, Mar, May 1962, Vietnam Mar 1962. | |||||||
ジェンキンス | Jenkins | DDE-447 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/7/31 | 1969/7/2 | 1969/7/2 | ◎1951/1/2 艦種を護衛駆逐艦(DDE-447)に改める ◎1951/11/2 再役 ◎のちに真珠湾海軍造船所にてFRAM II工事(〜1961/1) ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-447)に改める |
◎Korea (Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952.), Taiwan Straits 14 Oct 1958. | |||||||
ニコラス | Nicholas | DDE-449 | バス鉄工所 | 1942/6/4 | 1970/1/30 | 1970/1/30 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-449)に改める ◎1950/11 護衛駆逐艦に改装 ◎1951/2/19 再役 ◎1959/12 真珠湾海軍造船所にてFRAM II工事(〜1960/7) ◎1962/7/1 艦種を駆逐艦(DD-449)に改める |
◎Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. 3rd Korean Winter, 1 Dec 1952-30 Apr 1953. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.). | |||||||
オバノン | O'Bannon | DDE-450 | バス鉄工所 | 1942/6/26 | 1970/1/30 | 1970/1/30 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-450)に改める ◎1951/2/19 再役 ◎のちに真珠湾にてオーヴァーホール ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-450)に改める |
◎Korea (2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), Taiwan Straits Aug-Sep 1958, Quemoy-Matsu Jan, Mar 1960. | |||||||
ソーフリー | Saufley | DDE-465 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/8/29 | 1965/1/29 | 1966/9/1 | ◎1949/3/15(1949/3/26?) 艦種を護衛駆逐艦(DDE-465)に改める ◎1949/12/15 再役 ◎1951/1/1 艦種を実験護衛駆逐艦(EDDE-465)に改める |
ウォーラー | Waller | DDE-466 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/10/1 | 1969/7/15 | 1969/7/15 | ◎1949/3/26 護衛駆逐艦に改装、艦種を護衛駆逐艦(DDE-466)に改める ◎1950/7/5 チャールストンにて再役 ◎1956末 ノーフォーク海軍造船所にて近代化改装 ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-466)に改める |
◎Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951.), Cuba Apr 1961, Apr-Jun 1962. | |||||||
テイラー | Taylor | DDE-468 | バス鉄工所 | 1942/8/28 | 1969/6/3 | 1969/7/2 | ◎1951/1/2 艦種を護衛駆逐艦(DDE-468)に改める ◎1951/12/3 サン・フランシスコにて再役 ◎1953/1? 真珠湾海軍造船所にて修理 ◎1953/8上旬 真珠湾海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1960/12 真珠湾海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1962/6/30(1962/7/1?、1962/8/7?) 艦種を駆逐艦(DD-468)に改める |
◎Korea (Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), Taiwan Strais Oct 1958, Quemoy-Matsu Jan 1959. | |||||||
バッチ | Bache | DDE-470 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1942/11/14 | 1968/2/26 (1968/3/1?) |
1968/3/1 | ◎1951/1/2 艦種を対潜駆逐艦(DDE-470)に改める ◎1951/10/1 再役 ◎1951晩秋 対潜駆逐艦に改装(〜1952初め) ◎1952春 ボストンにてPSA ◎1953/10上旬 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール ◎1956/7中旬 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1956/11初め) ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-470)に改める |
◎Cuba Apr 1961, Jun-Aug 1962. | |||||||
ビール (1、2) |
Beale | DDE-471 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1942/12/23 | 1968/9/20 (1968/9/30?) |
1968/10/1 | ◎1951/1/2 艦種を対潜駆逐艦(DDE-471)に改める ◎1951/11/1 ボストンにて再役 ◎1952/3下旬 ボストンにてPSA(〜1952/5初め) ◎1953/10上旬 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール ◎1955晩秋 ノーフォークにて修理 ◎1956/7中旬 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1956/11初め) ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-471)に改める |
◎Cuba Apr 1961, Jun-Aug 1962. | |||||||
フィリップ (1、2) |
Philip | DDE-498 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/11/21 | 1968/9/30 | 1968/10/1 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-498)に改める ◎1950/6/30 チャールストンにて再役 ◎1951年9月11日には横須賀に入港して保全整備を行った ◎1952/10下旬 入渠 ◎1953/6下旬 真珠湾海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1954/6下旬 横須賀にて駆逐艦母艦ハムル Hamul(AD-20)により修理改装 ◎1954/7 佐世保にてRAV ◎1955/3? 真珠湾にてオーヴァーホール ◎1962/6/30(1962/7/1?) 艦種を駆逐艦(DD-498)に改める |
◎Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. 3rd Korean Winter, 1 Dec 1952-30 Apr 1953. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), OpCastle 1954. | |||||||
レンショー | Renshaw | DDE-499 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1942/12/5 | 1970/2/14 | 1970/2/14 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-499)に改める ◎1950/6/2 再役 ◎1962/6/30(1962/7/1?、1962/8/7?) 艦種を駆逐艦(DD-499)に改める |
◎Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952. 3rd Korean Winter, 1 Dec 1952-30 Apr 1953. Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), OpCastle 1954. | |||||||
コンウェー | Conway | DDE-507 | バス鉄工所 | 1942/10/9 | 1969/11/15 | 1969/11/15 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-507)に改める ◎1950/11/8 再役 ◎1962/6/30(1962/7/1?) 艦種を駆逐艦(DD-507)に改める |
◎Korea (UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951.), Cuba Apr 1961, Apr-Jul 1962. | |||||||
コニー (1、2) |
Cony | DDE-508 | バス鉄工所 | 1942/10/30 | 1969/7/2 | 1969/7/2 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-508)に改める ◎1949/11/17 再役 ◎1962/6/30(1962/7/1?) 艦種を駆逐艦(DD-508)に改める |
◎Korea (Communist China Spring Offensive, 22 Apr-8 Jul 1951. UN Summer Offensive, 9 Jul-27 Nov 1951.), Cuba Apr 1961, Apr-Jul 1962. | |||||||
イートン | Eaton | DDE-510 | バス鉄工所 | 1942/12/4 | 1969/7/2 | 1969/7/2 | ◎1951/1/2 艦種を護衛駆逐艦(DDE-510)に改める ◎1951/12/11 再役 1956/5/6 ノーフォーク沖にて戦艦ウィスコンシン Wisconsin(BB-64)と衝突し損傷(1、2、3)、のちに修理 ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-510)に改める |
◎Cuba Apr, Jun-Jul 1961, Cuban missile crisis Oct-Nov 1962. | |||||||
ウォーカー | Walker | DDE-517 | バス鉄工所 | 1943/4/3 | 1969/7/2 | 1969/7/2 | ◎1950/9/15 再役 ◎1962/7/1 艦種を駆逐艦(DD-517)に改める |
◎Korea (2nd Korean Winter, 28 Nov 1952-30 Apr 1952. Korean Defense, 1 May-30 Nov 1952.). | |||||||
マリ | Murray | DDE-576 | コンソリデーテッド・スチール社 | 1943/4/20 | 1965/5/15 | 1965/6/1 | ◎1951/1/2 再役、艦種を護衛駆逐艦(DDE-576)に改める ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-576)に改める |
スプロストン | Sproston | DDE-577 | コンソリデーテッド・スチール社 | 1943/5/19 | 1968/9/30 | 1968/10/1 | ◎1949/3/26 艦種を護衛駆逐艦(DDE-577)に改める ◎1950/9/15 再役 ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-577)に改める |
- ※データは対潜駆逐艦ギアリング級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ケプラー | Keppler | DDE-765 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1947/5/23 | 1972/7/1 | 1972/7/1 | ◎1950/3/4 艦種を護衛駆逐艦(DDE-765)に改める ◎1950年7月5日に地中海に向けてニューポートを出航した。7月27日にギリシャに到着した対潜駆逐艦は、韓国における共産主義の侵略を撃退するため、極東への派遣を命じられた ◎スエズ運河を通過しインド洋を横断したケプラーは、8月中旬に第7艦隊に合流。11月17日に航空母艦フィリピン・シー Philippine Sea(CV-47)に合流するまでの2ヶ月間、台湾海峡を哨戒。そののち3ヶ月間、韓国本土の共産主義陣地に対する空母の空爆が続く中、任務部隊を監視した。1951年2月7日、横須賀に到着。3日後、米国に向けて出航し、3月14日にニューポートに到着。彼女はオーヴァーホールを受け、その年の残りは再訓練とASW作戦に従事した。ケプラーは1952年1月9日、再びニューポートを出航し、強力な第6艦隊 6th Fleetとの対潜演習に参加した。この巡航はNATO演習“グランズラム Grandslam”で最高潮に達し、自由を愛する数カ国の艦船が侵略を防ぐための演習で一緒に行動した。対潜駆逐艦は3月26日にニューポートに戻り、大西洋沿岸での活動を再開した。1952年から1957年まで、ケプラーはニューポートやカリブ海を拠点に、NATO作戦や第6艦隊との地中海クルーズに加えて、重要なASW演習を続けた。この間、増大するソヴィエト潜水艦の脅威から国家を守る能力を着実に完成させていった ◎1957年1月4日、訓練と親善のため南米海域に向けて出航。3月18日にニューポートに戻る前に、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、パナマの港を訪れた。9月中、共産主義者がシリア軍を掌握し、ヨルダンの親西欧政府を脅かしていたため、スエズ運河を通過して紅海での戦力を強化した。このアメリカの決意表明が危機を和らげ、ケプラーは12月21日にニューポートに戻ることができた。1958年から1961年まで、対潜駆逐艦は大西洋沿岸での集中的なASW作戦やカリブ海でのNATO演習、1959年のミッドシップメン・クルーズ、1960年夏の第6艦隊派遣などに従事した 1961/1/14 ノース・カロライナにて駆逐艦ジョンストン Johnston(DD-821)と衝突 ◎1961年3月1日、ケプラーはニュー・ヨーク海軍造船所に入港し、FRAM IIのオーヴァーホールを受けた。オーヴァーホール後、10月25日にニューポートに帰港し、1962年3月8日に対潜任務を再開した。ケプラーは6月4日、ヨーロッパへの夏季ミッドシップ・クルーズに出航し、8月30日にニューポートに戻った ◎1962/6/30 艦種を駆逐艦(DD-765)に改める |
◎Korea (Communist China Aggression, 3 Nov 1950-24 Jan 1951. 1st UN counteroffensive.). | |||||||
カーペンター (1、2) |
Carpenter | DDE-825 | コンソリデーテッド・スチール社 | 1949/12/15 | 1981/2/20 | 1981/2/20 (1987/8/6?) |
◎1950/3/4 艦種を護衛駆逐艦(DDE-825)に改める ◎1953/6 佐世保にて修理改装 ◎1953年7月29日に横須賀に戻り短期改装を行ったのち、カーペンターは8月11日に台湾哨戒のために出航した ◎1953/11 真珠湾にて修理、改装 ◎1956/6上旬 真珠湾にてオーヴァーホール ◎1957秋 オーヴァーホール(70口径76mm連装両用砲2基を設置) ◎1958秋? オーヴァーホール ◎1960/8 駆逐艦母艦ブライス・キャニオン Bryce Canyon(AD-36)により修理改装 ◎1960/9 入渠、修理 ◎1960/5/22 真珠湾海軍造船所にてASW近代化改装 ◎1962/5下旬 真珠湾にて駆逐艦母艦ブライス・キャニオン(AD-36)により修理改装 ◎1962/6/29(1962/6/30?) 艦種を駆逐艦(DD-825)に改める |
◎Korea (Korean Summer-Fall, 1 May-17 Jul 1953.), Quemoy-Matsu Sep-Dec 1959, Vietnam Dec 1960-Jan 1961, Apr 1961. | |||||||
ロバート A. オーウェンス | Robert A. Owens | DDE-827 | バス鉄工所 | 1949/11/5 | 1982 | 1987/8/6 | ◎1950/3/4 艦種を護衛駆逐艦(DDE-827)に改める ◎1962/8/7 艦種を駆逐艦(DD-827)に改める |
Update 24/07/14