アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
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- ※1920年7月17日、巡洋艦籍 Cruisersの一等軽巡洋艦 Light Cruiser, First Lineは1930年4月にロンドン軍縮条約に基づき、軽巡洋艦 Light Cruiserと名称が変更される
- ※データは防護巡洋艦シカゴの項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
シカゴ (1、2) |
Chicago | CL-14 | ジョン・ローチ&サンズ造船所 | 1889/4/17 | 1923/9/30 | 1935/8/16 | ◎1921/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-14)に改める ◎退役後、真珠湾にて宿泊艦となる(〜1935) ◎1928/7/16 艦種を非分類雑役船(IX-5)に改め、アルトン Altonと改名 |
◎Flagship, submarine force, 1917-1923. |
- ※データは防護巡洋艦オリンピアの項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
オリンピア (1、2) |
Olympia | CL-15 | ユニオン鉄工所 | 1895/2/5 | 1922/12/9 | 1957/9/11 | ◎1921/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-15)に改める ◎1922春 フィラデルフィア海軍工廠にて入渠(1、2) ◎1931/6/30 艦種を非分類雑役船(IX-40)に改める |
◎Carried body of Unknown Soldier from France, 25 Oct 1921. |
- ※データは防護巡洋艦デンヴァー級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
デンヴァー (1、2) |
Denver | CL-16 | ニーフィ&レヴィ・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1904/5/17 | 1931/2/14 | 1931/3/12 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-16)に改める ◎1922秋 ボストンにてオーヴァーホール ◎1928 チャールズタウン海軍工廠にて入渠(1、2) ◎1930 チャールズタウン海軍工廠にて入渠(1、2) ◎1933/9/13 解体のため売却 |
◎Central America 1922-1929. Nicaragua 1926-1930. | |||||||
デ・モイン | Des Moines | CL-17 | フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 | 1904/3/5 | 1921/4/9 | 1929/12/13 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-17)に改める ◎1930/3/11 解体のため売却 ◎のちにボルティモアにて解体 |
チャタヌーガ (1、2) |
Chattanooga | CL-18 | クレセント造船所 | 1904/10/11 | 1921/7/19 | 1929/12/13 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-18)に改める ◎退役後、ポーツマス海軍工廠にて係船 ◎1930/3/8(1930/3/11?) 解体のため売却 ◎後にボルティモアにて解体 |
◎Flagship US Naval Forces Europe 1919 and in Turkish waters 1920-1921. | |||||||
ガルヴェストン (1、2) |
Galveston | CL-19 | ウィリアム R. トリッグ社 | 1905/2/15 | 1930/9/2 | 1930/11/1 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-19)に改める ◎1923/11/30 チャールストン海軍工廠にて退役 ◎1924/2/5 再役 ◎1929秋 チャールズタウン海軍工廠にてオーヴァーホール ◎1930/6 フィラデルフィア海軍工廠にて不活性化オーヴァーホール ◎1933/9/13 解体のため、フィラデルフィアのノーザン・メタルズ社に売却 ◎のちにフィラデルフィアにて解体 |
◎Nicaragua 1926-1930. | |||||||
タコマ | Tacoma | CL-20 | ユニオン鉄工所 | 1904/1/30 | ― | 1924/2/7 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-20)に改める 1924/1/16 Vera Cruz近海のBlanquilla Reefにて嵐により座礁、難破 ◎1924/9/5 Vera Cruzにてアメリカ領事館のR. Sebastianに売却 |
クリーヴランド (1、2) |
Cleveland | CL-21 | バス鉄工所 | 1903/11/2 | 1929/11/1 | 1929/12/13 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-21)に改める ◎1930/3/7 解体のため売却 ◎後にボルティモアにて解体 |
◎Nicaragua 1926-1929. |
- ※データは防護巡洋艦ニュー・オーリンズ級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ニュー・オーリンズ (1、2) |
New Orleans | CL-22 | Armstrong Mitchell & Co. (W. G. Armstrong, Whitworth, & Co., Ltd.?) |
1898/3/18 | 1922/11/16 | 1929/11/13 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-22)に改める ◎1930/2/11 解体のため、サン・フランシスコのD. C. Seagravesに売却 |
◎Siberia 1919-1922. | |||||||
オールバニー | Albany | CL-23 | W. G. Armstrong, Whitworth, & Co., Ltd. | 1900/5/29 | 1922/10/10 | 1929/11/3 | ◎1921/8/8 艦種を一等軽巡洋艦(CL-23)に改める ◎1930/2/11 解体のため売却 ◎後にサン・フランシスコにて解体 |
◎Asiatic Fleet 1920-1922. |
- ※データは重巡洋艦ペンサコラ級の項を参照
- ※1923年11月16日頃のSketch A案
- 常備排水量:11,500t 吃水線長:195.07m 幅:19.76m 速力:34.0kt 兵装:152mm3連装砲4基
- ※予備設計書No. 292 Preliminary Design Book No. 292からの図面で、4つの3連装砲塔に12門の8インチ砲を主砲とし、最大速度34ktで11,500tである。この設計はペンサコラの設計開発で検討された多くの設計の一つである
- ※1925年1月頃のDesidn No. 10案
- 常備排水量:11,140t 吃水線長:182.88m 幅:18.51m 速力:32.8kt 兵装:152mm3連装砲3基
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ペンサコラ (1、2) |
Pensacola | CL-24 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1930/2/6 | 1946/8/26 | ◎1926/10/27 起工 ◎1929/4/25 進水 ◎1931/7/1 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-24)に改める |
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ソールト・レイク・シティ (1、2) |
Salt Lake City | CL-25 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1929/12/11 | 1946/8/29 | 1948/6/18 | ◎ニックネームはスウェイバック・マル Swayback
Maru ◎1927/6/9 起工 ◎1929/1/23 進水 ◎フィラデルフィア海軍工廠にて就役 ◎1931/7/1 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-25)に改める |
- ※データは重巡洋艦ノーザンプトン級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ノーザンプトン (1、2) |
Northampton | CL-26 | ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 | 1930/5/17 | ― | ◎1928/4/12 起工 ◎1929/9/5 進水 ◎1931/8 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-26)に改める |
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チェスター (1、2) |
Chester | CL-27 | ニュー・ヨーク・シップビルディング社 | 1930/6/24 | 1946/6/10 | 1959 | ◎1928/3/6 起工 ◎1929/7/3 進水 ◎チェスターはニュー・ヨーク州ブルックリンのニュー・ヨーク海軍工廠に(1930年7月25日から8月7日まで)赴き、そこで最初の航空機であるO2U-3と弾薬と貯蔵品を受け取った。1930年8月8日、マサチューセッツ湾を航行中、Lt. James R. TagueとAMM2c Alvin Brinkleyがチェスターから発艦した最初の搭乗員となった。8月13日、スペインのバルセロナに向けて出航。数日後、チェスターは貨物船Korantonから緊急援助の無線連絡を受けた。商船の船員の一人が病気になり、Korantonには医療スタッフがいなかった。無線を使って、チェスターの医療士官オーヴィル R. ゴス少佐 Lt. Cmdr. Orville R. Gossが診断し、患者の適切な治療を処方した。チェスターはジブラルタル海峡を通過し、8月25日にバルセロナに到着した。イタリアのナポリに寄港(1930年9月2日〜11日)したのち、チェスターは9月11日にトルコのイスタンブール[コンスタンティノープル]に向けて出航した。出港直後、イタリアのストロンボリ島の火山が噴火したことを伝えるラジオ・メッセージを傍受。チェスターの航路はストロンボリ島の近くを通過したため、艦長のアーサー P. フェアフィールド大佐 Capt. Arthur P. Fairfieldはイタリア政府にメッセージを送り、自分の船が何か助けになれるかどうか尋ねた。巡洋艦がストロンボリに到着したとき、フェアフィールドは援助は必要ないというメッセージを受け取った。チェスターは9月15日にイスタンブールに到着し、1930年9月22日まで港に留まった。アテネで5日間(9月22日〜27日)を過ごしたのち、1930年10月3日に米国に向けて出港する前に、英国王室植民地ジブラルタルへの短期訪問(10月1日〜2日) チェスターは1930年10月13日にChesterに入港し、一般客に通路を開放した。その後数日間(10月13日〜16日)にわたり、推定60,000人の訪問者を迎えた。10月17日にハンプトン・ローズの海軍作戦基地(Naval Operating Base: NOB)に到着し、そこからノーフォーク海軍工廠に入港する前の訓練に従事した(11月20日〜29日)チェスターは11月29日にハンプトン・ローズで最終受入試験を開始し、1930年12月2日に無事終了した。1931年3月4日まで、シェイクダウン後の修理と改造を受けていた。オーヴァーホール終了後、チェスターは偵察艦隊の軽巡洋艦部門 Scout Fleet's Light Cruiser Divisionの旗艦となった。チャールズ F. アダムズ海軍長官 Secretary of the Navy Charles F. Adamsの乗艦のもと、チェスターは毎年恒例の艦隊問題のためにパナマのCristobalに向かった。3月13日にパナマ地峡を通過したのち、アダムズ長官はパナマ湾での艦隊作戦を観察するために戦艦テキサス Texas(BB-35)に乗り換えた。アダムスは進化が終わるとチェスターに戻り、1931年3月19日にマイアミに向けて出航した。長官を目的地に送り届けたのち、チェスターはキューバのグアンタナモに向かった。5月7日にハンプトン・ローズに戻るまで、カリブ海で複数の演習に参加した(3月12日〜4月28日)。チェスターは1931年6月13日まで続くオーヴァーホールのため、5月9日にニュー・ヨーク海軍工廠に入った。そして数週間の砲撃訓練(6月1日〜30日)を行った ◎1931/7/1(1931/8?) ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-27)に改める |
ルイヴィル (1、2) |
Louisville | CL-28 | 海軍工廠ピュージェット・サウンド | 1931/1/15 | 1946/6/17 | 1959/3/1 | ◎1928/7/4 起工 ◎1930/9/1 進水 ◎1931/7/1(1931/8?) ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-28)に改める |
シカゴ (1、2) |
Chicago | CL-29 | メア・アイランド海軍工廠 | 1931/3/9 | ― | ◎1928/9/10 起工 ◎1930/4/10 進水 ◎1931/8 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-29)に改める |
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ヒューストン (1、2) |
Houston | CL-30 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1930/6/17 | ― | ◎1928/5/1 起工 ◎1929/9/7 進水 ◎1931/7/1 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-30)に改める |
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オーガスタ (1、2) |
Augusta | CL-31 | ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1931/1/30 | 1946/7/16 | 1959/3/1 | ◎1928/7/2 起工 ◎1930/2/1 進水 ◎ノーフォーク海軍工廠にて就役 公試中、エンジン故障 ◎1931/8 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-31)に改める |
- ※データは重巡洋艦ニュー・オーリンズ級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ニュー・オーリンズ (1、2) |
New Orleans | CL-32 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1934/2/15 | 1947/2/10 | 1959/3/1 | ◎のちにロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-32)に改める |
アストリア (1、2) |
Astoria | CL-34 | 海軍工廠ピュージェット・サウンド | 1934/4/28 | ― | ◎1930/9/1 起工 ◎1931/7/1 ロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-34)に改める |
- ※データは重巡洋艦ポートランド級の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ポートランド (1、2) |
Portland | CL-33 | ベスレヘム・スチール社クインシー造船所 | 1933/2/23 | 1946/7/12 | 1959/3/1 | ◎のちにロンドン軍縮条約にて艦種を重巡洋艦(CA-33)に改める |
- ※1934年3月12日のScheme 2案
- 公試排水量:9,250t 吃水線長:169.46m 幅:16.45m 吃水:5.71m 出力:94,000馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで9,000浬 兵装:47口径152mm3連装砲4基、127mm対空単装砲6基
- ※1934年12月12日のScheme A案
- 基準排水量:8,000t 常備排水量:11,572t 吃水線長:186.53m 出力:91,000馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで10,000浬 兵装:152mm4連装砲4基、25口径127mm砲8基
- ※1934年12月12日のScheme B案
- 基準排水量:8,000t 常備排水量:9,250t 吃水線長:169.46m 出力:94,000馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで9,000浬 兵装:152mm3連装砲4基、25口径127mm砲6基
- ※1934年12月12日のScheme C案
- 基準排水量:10,000t 常備排水量:9,250t 吃水線長:175.56m 出力:86,000馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで9,250浬 兵装:152mm連装砲5基、25口径127mm砲6基
- ※1934年12月12日のScheme D案
- 基準排水量:7,000t 常備排水量:8,100t 吃水線長:169.46m 出力:77,500馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで8,000浬 兵装:152mm砲8基、25口径127mm砲6基
- ※1934年12月12日のScheme E案
- 基準排水量:5,000t 常備排水量:6,150t 吃水線長:149.35m 出力:27,000馬力(76,000馬力 alternative) 速力:27.0kt(33.0kt alternative) 兵装:152mm砲6基、25口径127mm砲4基
- ※1934年12月12日のScheme 4-C案
- 基準排水量:7,000t 常備排水量:8,100t 吃水線長:169.46m 幅:15.11m 吃水:5.79m 出力:77,500馬力 速力:32.5kt 航続力:15ktで8,000浬 兵装:152mm連装砲4基、25口径127mm単装砲6基
- ※ゲーム「World of Warships」ではダラス Dallasという艦名で登場
- ※1938年のScheme 8案
- 基準排水量:8,000t 満載排水量:10,490t 吃水線長:175.26m 幅:17.98m 吃水:6.09m 出力:99,000馬力 速力:33.0kt 航続力:15ktで10,000浬 兵装:47口径152mm3連装砲3基、38口径127mm連装両用砲4基、28mm4連装機関砲2基、12.7mm機銃4基、533mm4連装魚雷発射管2基
- ※1940年3月29日に設計された4,000tの偵察巡洋艦、デザイン507。47口径6インチ連装両用砲マウントを装備したものと、47口径5インチ連装両用砲マウントを装備したものがある。AA用に8基のブラウニングM2、4基の3連装発射管に12基の魚雷発射管を備えている。偵察用に2基のSOCシーガルを搭載しており、クレーンで発進させる。最高速力は35kt、装甲防御は最小限で、砲と機関スペースに限られていた
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1940年7月25日のScheme 2案
- 基準排水量:13,200t 公試排水量:16,200t 吃水線長:207.64m 幅:水線20.72m 吃水:6.70m 出力:120,000馬力 速力:34.0kt+ 兵装:47口径152mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※1940年7月28日のScheme 2案
- 基準排水量:13,200t 公試排水量:16,200t 吃水線長:207.64m 幅:水線20.72m 吃水:6.70m 出力:120,000馬力 速力:34.0kt+ 兵装:47口径152mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※上の改良案。船体構造が中央に位置している。これは、後部船体を1デッキ減らすことで重量を制御し、安定性を向上させる努力を表している。艦中央のカタパルトのすぐ後方に4連装魚雷発射管を備えている
- ※1940年7月28日のScheme 1案
- 基準排水量:13,300t 公試排水量:16,200t 吃水線長:207.64m 幅:水線20.72m 吃水:6.70m 出力:120,000馬力 速力:34.0kt+ 兵装:47口径152mm3連装砲4基、38口径127mm連装両用砲6基
- ※上のScheme 2案と違い、船体中央に4連装魚雷発射管を備えている。カタパルトは艦尾に備えている
Update 24/11/24