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※ニュー・イングランド・シップビルディング社は、メイン州 State of Maineのサウス・ポートランド市 City of South Portlandにある造船所であった。造船所は、第二次世界大戦によって生じた需要を満たす為に、それぞれ1940年と1941年に設立されたトッド・バス・アイアン・シップビルディング社 Todd-Bath Iron Shipbuilding Corporationとサウス・ポートランド・シップビルディング社 South Portland Shipbuilding Corporationを1943年に合併させて出来た造船所である。ニュー・イングランド・シップビルディング社のイースト・ヤード East Yardとウェスト・ヤードWest Yardで船を建造し続けた。ニュー・イングランド・シップビルディング社は、第二次世界大戦の軍事生産契約の価値において、アメリカ企業の97位にランクイン。イースト・ヤードとウェスト・ヤード両方とも戦争後に閉鎖。2ヤードは合計266隻の船を建造。イースト・ヤードで154隻、ウェスト・ヤードで112隻。イースト・ヤードで建造された最初の30隻は、イギリス向けに建造されたオーシャン級貨物船であった。残りの船舶は、海洋クラスから派生したEC2-S-C1型貨物船“リバティ・シップ”の設計であり、海事委員会の為に建造。その中にはサン・フランシスコの博物館船として保存されている“リバティ・シップ”のEC2-S-C1型貨物船ジェレマイア・オブライエン Jeremiah O'Brien(MCハル806)があった。多くの博物館船とは対照的に、彼女はサン・フランシスコ湾で定期的なクルーズを行い、米国沿岸警備隊とアメリカ海運局の基準に準拠して航行可能な状態にある
※アメリカ国内で各造船所が1942年8月16日に8隻同時進水という記録を打ち立てている。イギリスのオーシャン級貨物船5隻(造船所記号ハル19〜ハル23)Ocean Wayfarer、Ocean Stranger、Ocean Traveller、Ocean Seaman、Ocean Gallant、バス鉄工所 Bath Iron Worksの2隻の駆逐艦コンウェー Conway(DD-507)、コニー Cony(DD-508)、そして“リバティ・シップ”のEC2-S-C1型貨物船イーサン・アレン Ethan Allen(MCハル204)。この日はイーサン・アレンが先に進水した
※建造ピーク時に造船所には30,000人の労働者がいた

↑Image courtesy of Navy History - Oilers.


※ヴァージニア州 State of Virginiaの大西洋に面したニューポート・ニューズ Newport Newsにあるこの造船所。1886年にチェサピーク・ドライ・ドック&コンストラクション社 Chesapeake Dry Dock & Construction Co. として創立され、1890年にニューポート・ニューズ造船所 Newport News Shipbuilding & Construction Co. と社名を変更。当初は小型商船の建造を手がけていたが、1897年に砲艦3隻を引き渡した事でアメリカ海軍との取り引きが始まる。その後、戦艦も建造したが、第一時大戦後のネイヴァル・ホリデーに遭遇して軍艦建造契約が多数キャンセルされ、豪華客船等を含む商船以外にも水力タービンや鉄道車両も生産せざるおえなくなったという。第二次大戦の1941年には、ノース・カロライナ州 State of North Carolinaに別の造船所を設立して、戦争終了まで貨物船243隻を建造したが、戦後閉鎖している。他に多数の航空母艦を建造。戦後も多数の航空母艦を建造している。同社は航空母艦から駆逐艦等の水上艦船はもとより、原子力潜水艦まで切れ目無く建造を続けてきた。1968年9月に石油開発等で有名なテネコ・グループ Tenneco Groupの傘下に入る。1996年にテネコ・グループの傘下を離れ独立会社に戻ったが、2001年11月からノースロップ・グラマン社 Northrop Grummanの傘下に入り、ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ社 Northrop Grumman Newport Newsと社名を変更
※従来の工場から程近いジェームズ・リヴァー James Riverを干拓して0.60平方qのノース・ヤードを建設した。この結果、現在の工場敷地は2.22平方qになっている。建造ドックを含め7個の乾ドック(1番ドック〜4番ドック、10番ドック〜12番ドック)と1個の浮きドックがある。付帯するクレーンは、ガントリーを含め22t〜900tに及ぶ。作業環境を良くして能率を向上する為、材料加工からブロック組み立てまでに至るまで建屋内での作業を推進おり、現在は全部で44,540平方mの建屋内で300tまでのブロックを建造出来る。1983年にモジュール建造方式の採用に踏み切る。この結果、広さ11,150平方m、高さ10階建てのモジュール艤装施設が完成。この建物は空気調整も行え、デリケートな電子機器の厳格な保守要求にも応じられる。同社の営業活動は、艦船建造、艦船オーヴァーホールと核燃料補給、水上艦と潜水艦の新造と改造の設計及び商船建造と修理の4本柱で支えられている。目下の最大の計画は、12番ドックの拡張工事(約490m→662m)、内業工場の自動化、総合核燃料補給施設の建設。そして、最近は「全力前進」工程革新計画という艦船と商船の建造時間を半減する計画を始めている
↑Northrop Grumman Newport News aerial of 900-ton crane.
↑Northrop Grumman Newport News aerial view North looking South.
↑Newport News, Va. (March 29, 2006) - The signal bridge is lifted off of the island of the Nimitz-class aircraft carrier USS Carl Vinson (CVN-70) as the ship goes through its refueling complex overhaul (RCOH) at Northrop Grumman Newport News shipyard. RCOH is an extensive yard period that all Nimitz-class aircraft carriers go through near the mid-point of their 50-year life cycle. During RCOH Vinson's nuclear fuel will be replenished and the ship's services and infrastructure will be upgraded to make her the most state-of-the-art aircraft carrier in the fleet and prepare for another 25 years or more of service. U.S. Navy photo by Photographer's Mate 3rd Class Matthew Todhunter. (RELEASED)

↑NEWPORT NEWS, Va. (June 22, 2017) - A crane moves the lower stern into place on the nuclear-powered aircraft carrier USS John F. Kennedy (CVN-79) at Huntington Ingalls Shipbuilding in Newport News, Va. John F. Kennedy is the second Gerald R. Ford-class aircraft carrier which is now 50 percent structurally complete. U.S. Navy photo. (Released)
↑Newport News Shipbuilding and Dry Dock Company, Newport News, Virginia. Photograph of the shipyard's waterfront, showing warships fitting out circa mid-1904, published on a color-tinted postal card by the Detroit Publishing Company. USS Virginia (Battleship # 13) is in the foreground. Those in the left background are USS West Virginia (Armored Cruiser # 5) and USS Maryland (Armored Cruiser # 8), one with four smokestacks installed and the other with three. Note the large number of sailing vessels in the right distance, and the message (dated 15 October 1906) written in the card's margins. Courtesy of Carter Rila, 1986. U.S. Naval Historical Center Photograph.


※非公式にブルックリン海軍工廠 Brooklyn Navy Yardとして知られている。ニュー・ヨーク海軍造船所は、またニュー・ヨーク海軍工廠 New York Navy Yardや合衆国海軍工廠、ニュー・ヨーク United States Navy Yard, New Yorkと、時代によって公式名称が変化していた。以前のニュー・ヨーク海軍工廠は、ウォーラバウト盆地 Wallabout Basinにおけるイースト・リヴァー East Riverのブルックリン Brooklyn側の2.72qの北東にあった。3つの埠頭があり、G. J. & K. These埠頭は、ニュー・ヨーク市所有で改装や修理の為にSeatrain Shipbuilding & Coastal Drydock & Repair Corporationによって使用されている。MLWに全長106.68m〜271.27m、高さ3.04m、吃水7.62m〜12.19mの10のバースがある。海軍工廠は、ウォーラバウト湾 Wallabout Bayにある。海軍工廠は1801年に政府によって設立された。1814年に進水したロバート・フルトン Robert Fultonの設計した戦闘外輪蒸気艦フルトン Fultonが有名。南北戦争時に、従業員に6,000名に膨れ上がった。第二次世界大戦の前日に、海軍工廠は8qを超える舗装道路によって横切られ、99.36m〜213.36mまでの4つの乾ドック、2つの巨大なスチール船台、および6つの大きなポンツーンと引き揚げ作業の為の円筒形のフロートを含んだ。たくさんの鋳造工場や機械工場及び倉庫に加えて、それは海兵隊員用、発電所、大きな無線局及び支線の為にバラックを所有。1938年の海軍工廠は約1万人の従業員になった(それのうちの、3分の1はWPA労働者であった)。1952年9月〜12月にアメリカの最初のアングルドデッキ航空母艦として、アンティータム Antietam(CVA-36)の改装が行われている。海軍工廠は1966年に閉鎖された。閉鎖後10年以内に、それは民間工場と商業地区になった。現在、ブルックリン海軍工廠地域開発会社 Brooklyn Navy Yard Development Corporationは、ニュー・ヨーク市の所有。海軍工廠、都市の主要な工業団地は3,500人を超える従業員と200を超えるテナントを持っている
↑New York Navy Yard, Brooklyn, New York. Aerial photograph, taken 9 March 1944. USS Missouri (BB-63) is fitting out in the center. Carrier at the bottom is probably USS Bennington (CV-20). U.S. Naval Historical Center Photograph.


※デラウェア州 State of Delawareのウィルミントン Wilmingtonのハーラン&ホリングスワース造船所 Harlan & Hollingsworth shipyardの社長ヘンリー G. モース Henry G. Morseが立案した。アンドリュー・メロン Andrew Mellonとヘンリー・フリック Henry Frickの財政援助によって、モースは最先端の造船所を建てる事を試みた。それが、元来、スタテン・アイランド Staten Islandに置かれる事を意図していたので、彼は会社をニュー・ヨーク造船所と名付けた。1899年に命名。ニュー・ヨーク造船所は1900年に開いた。この造船所は、当時、最も効率的な造船所とした5つの特徴がある。第一にテンプレート・システム template systemを使用(組み立てとアセンブリが別々にされる事)。第二は、すべての大部分がプレハブ方式。第三に、オーヴァーヘッド・クレーンは効率的な動きの為に造船所内で、どこでもコントロール出来た。第四は造船所は、悪天候によって作業遅延を避けるために覆われている事。第五は、進水前に艤装が完遂される事である。最初の船である商船ダラー Dollarは1901年に進水した。第一次大戦前の間に建造されたので有名なのは、ガルフ・オイル Gulf Oil向けのタンカー群。そして、ニュー・ヨーク造船所最初の軍艦である装甲巡洋艦ワシントン Washington(ACR-11)だった。最初のド級戦艦であるミシガン Michigan(BB-27)の成功は、ユタ Utah(BB-31)アーカンソー Arkansas(BB-33)、およびオクラホマ Oklahoma(BB-37)を含む戦艦等一連の契約をもたらした。1914年までに、ニュー・ヨーク造船所(NYS)は海軍艦船建造にてリーダー的存在になった。第一次世界大戦時にmiddle yardとsouthern yardを建設する工事によって世界で最も大きな造船所になる。 これらの追加分は、民間と海軍の艦船建造命令の増える残務のため必要であった。第二次大戦において同造船所が戦時体制に入るのはあまりにも遅く、戦艦オクラホマ、アイダホ Idaho(BB-42)コロラド Colorado(BB-45)を含む多くの艦船は、第二次世界大戦中に完成。この間、NYSによって建造かれた最も有名な艦は、サラトガ Saratogaであった。元来、巡洋戦艦(CC-3)として予定されていたが、海軍の軍備を制限する「ワシントン条約」に従って航空母艦(CV-3)に改装された。ニュー・ヨーク造船所が、絶えず増大する労働力を集めて、収納するために設計されたコミュニティを建て始めたのはまた第一次大戦時あった。フェアヴュー Fairviewとして今日知られているヨークシップ・ヴィレッジ Yorkship Villageは、このタイプの自己完結型の例であった。第二次世界大戦時に、ニュー・ヨーク造船所は26隻の大型戦闘艦艇を建造した。2隻の駆逐艦母艦、3隻の水上機母艦、1隻の工作艦、8隻の軽巡洋艦、9隻の軽航空母艦、2隻の巡洋戦艦、および1隻の戦艦がこの数の内訳。全部で、海軍の為にNYSによって建造された70隻の艦船が第二次大戦時に作戦を行った。この数は1942年の間にNYSで組み立てられた148隻の揚陸艇(歩兵揚陸艇(LCI)と戦車揚陸艇(LCT))を含まない。ニュー・ヨーク造船所は、最初の43年の間は民間船の主要な建造所であった。軍への提供は、第二次世界大戦の間の海軍の戦闘用艦艇の生産にその施設全体の変換を必要としていた。1942年3月15日から1943年3月15日までの期間に造船所は、217,000,000ドル総計相当の新しい海軍艦船を建造した。これらは12,000tから35,000tの戦闘艦艇から成った(それは、契約受け渡し日の8ヶ月〜13ヶ月前で完遂された)。戦争中、ピーク生産期間に、30,000以上の男女がニュー・ヨーク造船所で雇用された。大戦後、一連の原子力潜水艦と最初の商業用の原子力船であるP2-N1-MA40a型貨客船サヴァンナ Savannah(MAハル55)を建造する事によって、ニュー・ヨーク造船所は原子時代を迎えた。攻撃航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CVA-63)を建造する契約は、しばらく造船所経営を続けられたけれども、軍との契約が1960年代半ば切れ、会社は続く事が出来なかった。造船所最後の艦船、原子力攻撃型潜水艦ガードフィッシュ Guardfish(SSN-612)は1967年10月に完成し、それから、ニュー・ヨーク造船所は廃業状態になった
↑Inscription: "Bird's Eye View of New York Shipbuilding Corporation, Camden, N.J." Copyright 1921, this view shows all the elements of the World War I expansion, as well as Yorkship Village rising from the former Cooper farm at top center. Image courtesy of YORKSHIP.
↑最初の弩級戦艦を建造する為、帝政ロシア海軍はイギリス、ドイツ、イタリア等の外国造船所に技術協力を求め、1907年に国内も含め27社51種の設計案を受ける。この時、ニュー・ヨーク造船所もこのコンペティションに参加。1907年8月20日にこの設計案を提出。奇抜な主砲塔が特徴(3砲身中、中央砲身が一段高い)。結局、ロシア国内での設計、建造に落ち着いた


※イギリス時代の1767年11月1日に、商人で船のオーナーであるアンドリュー・スプローウル Andrew Sprowleは、エリザベス川 Elizabeth Riverの西岸にゴスポート造船所 Gosport Shipyardを設立。造船所が創立され、海軍および商業造船所の両方として栄えた。アメリカ独立戦争革が、1775年に始まった時、アンドリュー・スプローウルはここから逃れる。彼の所有物は、ヴァージニア州 State of Virginiaが没収。ヴァージニア州が運営するも1779年に造船所はイギリス軍の焼き討ちにあう。ノーフォーク海軍造船所は、アメリカ海軍最古の造船所であり、東海岸の最大の造船所である。ゴスポート Gosportは1862年にノーフォーク Norfolkと改名される。造船所は、アメリカ合衆国軍(北軍)がアメリカ連合国軍(南軍)から奪還した時に、海軍工廠ノーフォーク Navy Yard, Norfolkと改名。1929年にはノーフォーク海軍工廠、ポーツマス Norfolk Navy Yard, Portsmouthと改名、1945年にはノーフォーク海軍造船所 Norfolk Naval Shipyardと改名している
※1794年から1799年に、フリゲイト・チェサピーク Chesapeakeコンスティチューション Constitutionの同型艦と、独立戦争後に海軍の為に建造された最初の6隻の艦船は、ここで建造。造船所は1953年に最後の艦船、木製の掃海艇を竣工するまで100以上の艦船を建造した。アメリカ連合国海軍の砲郭装甲艦ヴァージニアもここで改装した。海軍の戦艦テキサス Texasは、1889年から1892年にここで建造。海軍最初の航空母艦ラングリー Langley給炭艦ジュピター Jupiterから1919年と1922年の間、ここで改装された。造船所は、約30隻の主要な艦船を建造し、6,850隻のアメリカと連合軍の艦船を修理した時に、ほぼ43,000人の雇用労働者が第二次世界大戦中のピークに在籍した(1984年には海軍軍人150人、民間人13,270人)。また、20隻の戦車揚陸艦と50隻の機械化揚陸艇[機動揚陸艇]を建造。朝鮮戦争の3年の間に、1,250隻を超える海軍艦艇の作業を完了し、2隻の木製掃海艇を建造した。1965年の前半に、大規模なオーヴァーホールを同造船所で受ける最初の近代的な潜水艦となった原子力攻撃型潜水艦スケート Skate(SSN-578)。その時に核技術能力を達成


Update 17/09/23