SERVRON
補給支援戦隊 Service Squadron

※サーヴィス・スコードロン(Service Squadron:補給支援戦隊、略称ServRon)は、米海軍の戦闘艦や補助艦を支援する部隊だった。1943年の編成から1980年代初めにかけて運用され、特に第二次大戦中には、米海軍が広大な太平洋全域で長期間にわたる作戦行動を行うことを可能にした。これらの戦隊は一時的な前線基地を構築することで、艦隊が移動に費やす時間を減らし、戦闘海域での活動時間を増やす役割を果たした。中部太平洋にある小さな火山性環礁、ウルシー環礁は、こうした補給用前線基地へと転用された場所の一例。補給支援戦隊は実質的に、作戦海域の近くに大規模な海軍基地を作り出した。ウルシーのような基地で補給、修理、整備を行うことで、多くの艦船が主要港へ戻ることなく、1年以上もの間、西太平洋でデプロイメント・活動することが可能になった。補給支援戦隊には、タンカー、艦隊給油艦、冷蔵運搬船、弾薬輸送艦、補給艦、浮きドック、工作艦などが配属され、ディーゼル燃料、兵器・弾薬、航空燃料、食料、そのほかあらゆる物資を供給した。ウルシーのような場所で同様に重要だったのが、可搬式桟橋や浮きドックでだ。これらのおかげで、敵の攻撃や太平洋の嵐で損傷した艦船は、数千マイル離れた米国の主要海軍基地まで戻ることなく修理を受けることができた。ウルシーは、サン・フランシスコの米海軍基地から見て、サン・フランシスコ基地から英国ロンドンまでの距離に匹敵するほど前方に位置していた。太平洋の真ん中に機能の充実した主要港が存在することは、米海軍の作戦遂行にとって大きな助けとなった。補給支援戦隊の指揮官は、その戦隊に属するすべての艦船、ドック、修理施設の運用に責任を負った。指揮官は“ComServRon コムサーヴロン”と呼ばれ、その肩書きのあとに“ComServRon 10”のように戦隊の番号が続いた。1970年代後半に入ると、艦隊の戦闘支援機能が民間運用の“軍事海上輸送軍団 Military Sealift Command”へと移管されるにともない、補給支援戦隊は順次して閉隊していった。第二次大戦中の太平洋戦線において、補給支援戦隊は極めて重要な役割を果たした。広大な太平洋という地理的条件は、克服すべき大きな障壁だった。日本側は対米戦争を構想する際、太平洋の広大さそのものが防壁として機能すると見込んでいた。米海軍が日本に対して作戦行動を起こす場合、その活動は必然的に母港から遠く離れた場所で行う必要があった。戦闘海域への移動だけで艦隊の燃料や食料は消費され、西太平洋における米海軍戦力の作戦可能期間が制限されることになる。日本の海軍戦略(「艦隊決戦」思想)は、この状況こそが、一回の決戦で米海軍を戦いから脱落させる好機をもたらすという考えに基づいていた。日本側は戦争を通じて、そのような機会を追い求めていたのだ。太平洋戦争の遂行と勝利に向けた計画を策定する中で、チェスター・ニミッツ大将 Admiral Chester Nimitzは、米国の圧倒的な生産力がやがて大日本帝国の戦力を凌駕する規模の戦力を自分に与えてくれるだろうと確信していた。彼はこの将来の戦力を“ビッグ・ブルー・フリート Big Blue Fleet”と呼んでいた。その戦力を有効にデプロイメントさせるためには、補給を維持し、つねに戦闘可能な状態に保つための方法を考案する必要があった。広大な太平洋全域にわたって大規模な海軍部隊への継続的な補給を行うことは、それまでどこの海軍も成し遂げたことのない偉業を米海軍に要求するものだった。1943年秋、ニミッツ大将は2つの支援部隊の創設を命じた。これらは太平洋を移動する艦隊に対して移動式の支援を提供するもので、一方が艦隊の拠点として機能する間、もう一方は後方に待機するという体制をとった。艦隊が新たな拠点を確保すると、後方の部隊が前線へ移動し、新たな艦隊拠点としての役割を引き継ぐことになっていた。指揮官であるウォラル R. カーター代将 Commodore Worrall R. Carterは、正規の海軍港から数千マイルも離れた場所で修理施設や補給施設を構築・運用可能にする、この移動式支援部隊の構想を練り上げた。彼は実質的に、“港そのものを海軍(艦隊)のもとへ持ってくる”という手法をとったのだ。ニミッツ大将は、第4補給支援戦隊(Service Squadron 4)と第10補給支援戦隊(Service Squadron 10)を自身の“秘密兵器”と呼んでいた。第4補給支援戦隊は1943年11月1日に編成され、その任務は浮体式移動基地から艦隊の作戦行動に対して兵站支援を行うことであった。同戦隊は当初24隻の艦船で構成され、南太平洋のフナフティ環礁にあるフナフティ海軍基地を拠点としていた。同地はソロモン諸島の東1,000マイル(1,600km)、マーシャル諸島の南1,200マイル(1,900km)に位置していた。サミュエル・オグデン大佐 Captain Samuel Ogdenの指揮下にある駆逐艦母艦カスケード Cascade(AD-16)が同戦隊の旗艦を務めた。指揮下には戦傷修理工作艦ファオン Phaon(ARB-3)および工作艦ヴェスタル Vestal(AR-4)も含まれていた。第4補給支援戦隊に所属していたそのほかの艦船には、内燃機関修理艦ルソン Luzon(ARG-2)艦隊曳船ケオサンクア Keosanqua(AT-38)給油艦トラッキー Truckee(AO-147)病院船サマリタン Samaritan(AH-10)攻撃貨物輸送艦アルチバ Alchiba(AKA-6)、そして兵員輸送・兵舎船であるリパブリック Republic(AP-33)ヘンダーソン Henderson(AP-1)ハリス Harris(APA-2)セント・ミヘル St. Mihiel(AP-32)U. S. グラント U. S. Grant(AP-29)などがあった。カスケードは1943年11月21日にFunafutiに到着し、1944年2月まで同地に留まった。この期間中、ウォラル・リード・カーター大佐 Captain Worrall Reed Carterは第2の支援戦隊となる第10補給支援戦隊の編成を進めていた。第10補給支援戦隊は1944年1月15日に真珠湾で編成された。第10補給支援戦隊は1944年1月15日に真珠湾で編成された。第1補給支援戦隊 Service Squadron 1および第3補給支援戦隊 Service Squadron 3は太平洋で活動した。第2補給支援戦隊 Service Squadron 2および第4補給支援戦隊は大西洋で活動した。第10補給支援戦隊は大西洋においてアメリカ第8艦隊 United States Eighth Fleetと連携して活動した。第9補給支援戦隊 Service Squadron 9は真珠湾にて駆潜艇部隊として編成された。第6補給支援戦隊 Service Squadron 6は地中海で活動した
太平洋 Pacific Fleet squadrons
大西洋 Atlantic Fleet squadrons


Update 26/09/13