DM
敷設駆逐艦、軽敷設艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※機雷戦艦艇籍 Mine Warfare Shipsの軽敷設艦 Light Minelayer(DM)は高速の攻撃型機雷敷設艦として設計され、34隻が艦隊の駆逐艦から転用された。最初の22隻は、就役後にフラッシュ・デッキ駆逐艦 flush deck destroyersから改装された。ストライブリング級は駆逐艦ウィックス級から、トレイシー級は駆逐艦クレムソン級から、それぞれ就役後に改装されたもの。魚雷発射管や対潜水艦戦装備のほとんど撤去され、機雷投下軌条 mine launch railsが追加された。残りは建造中に駆逐艦アレン M. サムナー級から改装されたものである。本来は夜間に敵地に機雷を敷設したり、敵の航路に機雷を敷設するために使用される予定だったが、沖縄でピケットとして運用されたものの中には “神風”で大きな損害を受けたものもある。戦後は、アレン M. サムナー級の改装艦のみが残された。1955年2月7日に敷設駆逐艦 Destroyer Minelayersと名称が変更され、1969年1月1日に高速機雷敷設艦 Fast Minelayers(MMD)と名称が変更
※データは駆逐艦ウィックス級の項を参照
※兵装:50口径102mm単装砲4基、23口径76mm単装対空砲1基(1945年には50口径102mm単装砲3基、40mm連装機関砲1基、20mm機関砲5基〜6基)
※ストライブリング級ともいわれる
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ストライブリング Stribling DM-1 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/8/16 1922/6/26 1936/12/1 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-1)に改める
◎退役後、太平洋予備艦隊に編入
◎1937/7/28 真珠湾沖にて標的として沈没
マリ Murray DM-2 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/8/21 1922/7/1 1936/1/7 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-2)に改める
◎退役後、フィラデルフィアにて大西洋予備艦隊に編入
◎1936/9/29 解体のため、ニュー・ヨークのSchiavone-Bonomo Corp. に売却
イズリアル
12
Israel DM-3 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/9/13 1922/7/7 1937/1/25 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-3)に改める
◎1936 ハルクとなる
◎1939/4/18 解体のため、ボルティモアのユニオン・シップビルディング社に売却
ルース
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Luce DM-4 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/9/11 1931/1/31 1936/1/7 ◎1920/3/18(1920/7/17?) 艦種を軽敷設艦(DM-4)に改める
◎1921/7/5 第1機雷戦隊に編入
◎1922/6/30 フィラデルフィアにて退役、大西洋予備艦隊に編入
◎1930/3/19 再役
◎1936/9/29 解体のため、ニュー・ヨークのSchiavone-Bonomo Corp. に売却
◎1936/11/13 解体
モーリー Maury DM-5 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/9/23 1930/3/19 1930/10/22 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-5)に改める
◎1931/1/17 解体のため、ボルティモアのボストン・アイアン&メタル社に売却
◎1934/5/1 ボルティモアにて解体
ランスデイル Lansdale DM-6 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/10/26 1931/3/24 1937/1/25 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-6)に改める
◎1921/10 ボストンにてオーヴァーホール
◎1922/6/25 フィラデルフィアにて退役、大西洋予備艦隊に編入
◎1930/5/1 フィラデルフィアにて再役
◎1939/3/16 解体のため、ボルティモアのユニオン・シップビルディング社にて売却
◎後にボルティモアにて解体
マハン Mahan DM-7 フォア・リヴァー・シップ&エンジン・ビルディング社 1918/10/24 1930/5/1 1930/10/22 ◎1920/7/17 チャールズタウン海軍工廠で軽敷設艦に改装、艦種を軽敷設艦(DM-7)に改める
◎1931/1/17 解体のため、ボルティモアのボストン・アイアン&メタル社に売却
◎後にボルティモアにて解体
ハート Hart DM-8 ユニオン鉄工所 1919/5/26 1931/6/1 1931/11/11 ◎1920/7/17 メア・アイランド海軍工廠で軽敷設艦に改装、艦種を軽敷設艦(DM-8)に改める
◎1932/2/25 解体のため売却
◎Asiatic Fleet 1920-1930. Yangtze River 1926-1927.
イングラハム Ingraham DM-9 ユニオン鉄工所 1919/5/15 1922/6/29 1936/12/1 ◎1920/7/17 軽敷設艦に改装、艦種を軽敷設艦(DM-9)に改める
◎1937/7/23 ハワイ沖にて標的として沈没
ラドロー
123
Ludlow DM-10 ユニオン鉄工所 1918/12/23 1930/5/24 1930/11/18 ◎1920/7/17 艦種を軽敷設艦(DM-10)に改める
◎1931/3/10(1931/3/19?) 解体のため売却
ギャンブル Gamble DM-15 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1918/11/29 1945/6/1 ◎1930/6/13 メア・アイランド海軍工廠で軽敷設艦に改装、艦種を軽敷設艦(DM-15)に改める
◎1937/12/22 サン・ディエゴにて退役
◎1939/9/25 再役
◎1944/10中旬 サン・ディエゴにてオーヴァーホール
1945/2/18 硫黄島沖にて日本軍機の爆撃により損傷
◎1945/2/19 サイパンへ曳航(1945/2/24到着)、駆逐艦母艦ハムル Hamul(AD-20)により修理
◎1945/7/16 グアムのアプラ湾にて沈没処分(123456789101112
Pearl Harbor, Solomons, New Georgia, Cape Trokina, Iwo Jima.
☆DM-15の撃沈スコア(以下の艦船)
・1942/8/29 日本海軍伊号第一二三潜水艦(サヴォ島南東海域にて撃沈)
ラムジー
12
Ramsay DM-16 ニューポート・ニューズ・シップビルディング&ドライ・ドック社 1919/2/15 1945/10/19 1945/11/13 ◎1930/6/13 艦種を軽敷設艦(DM-16)に改める、真珠湾海軍工廠で軽敷設艦に改装
◎1937/12/14 サン・ディエゴにて退役、太平洋予備艦隊に編入
◎1939/9/25 再役
◎1942/11 ハンターズ・ポイントにてオーヴァーホール
◎1945/2末 サン・ペドロにてオーヴァーホール
◎1945/6/5 艦種を雑役艦(AG-98)に改める
Pearl Harbor, Attu, Kwajalein.


※データは駆逐艦アレン M. サムナー級の項を参照
※ロバート H. スミス級 Robert H. Smith-classともいわれる。12隻のロバート H. スミス級は、アレン M. サムナー級(当初はDD-735〜DD-740、DD-749〜DD-751、DD-771〜DD-773)として建造が開始された。建造中に軽敷設艦に改装され、新たにDM-23〜DM-34と命名された。敵地や航路に機雷を敷設するのが目的であった。皮肉なことに、このクラスは第二次大戦中、機雷敷設に使用されることはなかったが、就役初期の写真の中には機雷を積んでいるものもあった。このクラスは掃海任務と通常の駆逐艦としての任務、そして沖縄沖のレーダー・ピケットの任務に就いていた。機雷投下軌条は、ロバート H. スミス級の全長の大部分、ウェザー・デッキの両側に沿って敷設されていた。どちらの軌条にも最大60個の機雷を搭載することができ、理論上は船尾から航跡上に展開されることになる。アレン M. サムナー級に搭載されていた魚雷発射管はこの軽敷設艦では省略され、後部魚雷発射管の代わりにMk. 6(K砲)爆雷発射機4基と収納棚が搭載され、これらは機雷軌条のために上部構造デッキに移動させられたものである。煙突の間には、前部魚雷架の代わりに緊急用司令ステーションが設置されていた。アレン M. サムナー級のファンテイル(扇形船尾でアヒルのクチバシの様な船尾張り出し部のこと)に搭載されていた20mm対空機関砲架も機雷軌条に対応するために取り外され、深度装薬架は船内側に移動させられた。ロバート H. スミス級は、ギアリング級アレン M. サムナー級の後期改装型に見られるような、後期型の艦橋はオープン・ブリッジで建造された。下の画像は就役直後(1944年10月28日)のアーロン・ウォード(DM-34)が、1944年11月にカリフォルニア沖にてシェイクダウン・クルーズを行っている様子を描いたもの

↑Image courtesy of Shipbucket.
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
シア
12
Shea DM-30 ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 1944/9/30 1958/4/9 1973/9/1 ◎1944/7/19(1944/7/20?) 艦種を軽敷設艦(DM-30)に改める
◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役
1945/4/22 沖縄海域にて日本軍の特攻機の攻撃により損傷
1945/5/4 沖縄海域にて日本海軍の特攻機(桜花一一型)の攻撃により損傷、のちに慶良間列島にて修理

(↑日本海軍空技廠特殊攻撃機桜花一一型(MXY7))
◎1945夏 フィラデルフィアにて修理(〜1945/10/11、12
◎退役後、保管
◎1969/1/1 艦種を高速機雷敷設艦(MMD-30)に改める
◎OpCastle 1954.
リンジー
12
Lindsey DM-32 ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 1944/8/20 1946/5/25 1970/10/1 ◎1944/7/19 艦種を軽敷設艦(DM-32)に改める
1945/4/12 沖縄海域にて日本海軍の特攻機の攻撃により損傷(12345)、慶良間列島へ艦隊航洋曳船タワコニ Tawakoni(ATF-114)が曳航、大型修理浮きドック(非自走)(ARD-26)にて入渠
◎1945/5/6 グアムにて一時的な修理(〜1945/7、12456
◎1945/8/19 ノーフォーク海軍工廠にて修理
◎退役後、大西洋予備艦隊に編入
◎1969/1/1 艦種を高速機雷敷設艦(MMD-32)に改める
◎Iwo Jima, Okinawa.
☆DM-32の撃沈、撃墜スコア(以下の艦船、航空機)
・1945/4/12 日本軍機7機(沖縄にて撃墜)
アーロン・ウォード
12
Aaron Ward DM-34 ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 1944/10/28 1945/9/28 1945/10/11 ◎1944/7/19 艦種を軽敷設艦(DM-34)に改める
◎1945/4/10 グアムにて修理
1945/5/3 沖縄海域にて日本海軍の特攻機の攻撃により損傷(1223456
◎1946/7/12 解体のため売却
◎Okinawa. PUC.


Update 24/05/29