戦艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
軽荷排水量 | 35,000t |
満載排水量 | 46,770t(46,795tともいわれる) BB-56は46,710t |
全長 | 222.12m(222.30mともいわれる) BB-56は222.19m |
幅 | 33.02m BB-56は32.91m |
吃水 | 8.12m(10.82mともいわれる) BB-56は11.58m |
主缶 | バブコック&ウィルコックス缶8基 |
主機 | ジェネラル・エレクトリック式ギアード蒸気タービン4基 |
軸数 | 4軸 |
出力 | 121,000馬力 |
速力 | 27.6kt(28.0ktともいわれる) BB-56は27.0kt |
燃料搭載量 | 重油6,592t BB-56は6,583t |
航続力(計画) | 15ktで15,000浬(15ktで16,320浬ともいわれる) |
兵装 | 45口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 56口径40mm4連装機関砲15基 75口径28mm4連装機関砲4基 12.7mm機銃12基 1945年には45口径406mm3連装砲3基 38口径127mm連装両用砲10基 56口径40mm4連装機関砲15基 70口径20mm対空機関砲36基〜38基(70口径20mm対空機関砲48基〜67基ともいわれる)) |
装甲 | 水線304.8mm〜下端19.05mm(15度傾けて167.64mm〜19.05mmSTSを装着(at lower edge)、弾薬庫部側面は95.25mm〜55.88mm) 砲塔前楯406.4mm 砲塔側面248.92mm 砲塔後面299.72mm 砲塔天蓋177.8mm 隔壁48.26mm〜281.94mm バーベット373.38mm〜406.4mm 甲板(主36.83mm、2nd 91.44mm+35.56mm、3rd 15.74mm) 司令塔(側面373.38mm〜406.4mm、上部177.8mm) |
塔載機 | 水上偵察機2機(水上偵察機3機ともいわれる) |
乗員 | 士官108名、下士官兵1,772名(士官、下士官兵合わせて2,340名ともいわれる) |
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから)
- ※装甲、兵装、装備、改装変遷はこちら
- ※戦闘報告はこちら
- ※ノース・カロライナ級とサウス・ダコタ級は、空母任務部隊の護衛艦として優れていると一般委員会(The General board considered)は考えていたが、公称最高速度28ktでは、33ktの航空母艦に容易に歩調を合わせるには遅すぎると考えられていた。この問題に対処するため、海軍艦船局(Bureau of Ships: BuShips)は1946年〜1947年にかけて、これらの船の速度を31ktに上げるためには何が必要かという調査を行った。調査の初期パラメータでは、航空母艦の護衛任務には“過剰な武装”であると考えられていたため、主砲塔の撤去は許容されると考えられていた。31ktの設計目標を達成するために必要なパワー・プラントのサイズを大きくするために、得られた重量と船体容積を利用することができる。BuShipsのレポートによると、ノース・カロライナ級で31ktを達成するためには240,000馬力、サウス・ダコタ級では256,000馬力が必要とされている。これに対し、アイオワ級は212,000馬力で33ktを維持できた(ノース・カロライナ級が35ktを達成するために必要な数値は470,000馬力)。また、サウス・ダコタ級はさらに高い軸馬力を必要とする。いずれの場合も、そのような軸馬力レヴェルに到達するために必要なエンジニアリング・プラントは、主砲塔、バーベット、弾薬庫を撤去しても利用できないほどの船体容積を必要とする。側面装甲の一部を除去すれば、必要な出力レヴェルを下げることができただろうが、プラントを収容するための船体容積の不足は解決できない問題のままだっただろう。さらに、より大きな直径のスクリュー(5.18mから5.79m)が必要になるため、軸線を再調整し、船体後部の全体的な形状を大きなスクリューに合わせて変更しなければならなかった。すぐに必要とされる船型がないこと、1隻あたり$40,000,000のコストがかかることから、このプログラムは中止された
- ※1935年11月15日のI案
- 基準排水量:35,000t 全長:216.40m 幅:32.46m 吃水:9.75m 出力:165,000馬力 速力:30.0kt 兵装:356mm3連装砲3基
- ※1935年11月15日のII案
- 基準排水量:35,743t 全長:216.40m 幅:32.46m 吃水:9.75m 出力:165,000馬力 速力:30.0kt 兵装:356mm3連装砲3基
- ※1935年11月15日のII-A案
- 基準排水量:35,000t 全長:216.40m 幅:32.46m 吃水:9.75m 出力:165,000馬力 速力:30.0kt 兵装:356mm3連装砲3基
- ※1935年11月15日のIII案
- 基準排水量:35,000t 全長:216.40m 幅:32.76m 吃水:9.75m 出力:165,000馬力 速力:30.0kt 兵装:356mm3連装砲3基
- ※1935年11月15日のIV案
- 基準排水量:35,000t 全長:220.98m 幅:32.76m 吃水:9.75m 出力:165,000馬力 速力:30.0kt 兵装:356mm3連装砲3基
- ※1936年4月10日のVII案
- 基準排水量:35,000t 全長:195.07m 幅:32.84m 吃水:10.16m 出力:50,000馬力 速力:22.0kt 兵装:356mm3連装砲4基
- ※1936年8月20日のXVI案
- 全長:217.62m 速力:27.0kt 兵装:356mm4連装砲3基
- ※ゲーム「World of Warships」ではフロリダ Floridaという艦名で登場
↑Image courtesy of Shipbucket.
- ※1935年11月〜1936年にかけて計画案38ケース(I案〜XVI-D案)が考案
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ノース・カロライナ (1、2) |
North Carolina | BB-55 | ニュー・ヨーク海軍工廠 | 1941/4/9 | 1947/6/27 | 1960/6/1 | ◎1937/10/27 起工 ◎1940/6/13 進水 ◎1941/7/31 引き渡される ◎ニュー・ヨークにて就役 1942/9/15 Espiritu Santo近海にて日本海軍伊号第一五潜水艦の雷撃により損傷(1、2)、のちに真珠湾のDrydock No. 1にて修理(1、2、3) ◎1943/3 真珠湾にて改装(〜1943/4) ◎1944夏 海軍工廠ピュージェット・サウンドにてオーヴァーホール 1945/2/18 硫黄島にて駆逐艦ヘイリー Hailey(DD-556)と衝突 1945/4/6 沖縄海域にて味方艦の誤った砲撃により損傷 ◎1945春 真珠湾にてオーヴァーホール ◎1945/10 ニュー・ヨークにてオーヴァーホール ◎1946秋? 不活性化工事 ◎退役後、Bayonne Naval Supply Depotにて保管(1、2、3) ◎1961/9/6 ノース・カロライナ州に移管 1962/4/29 ノース・カロライナ州ウィルミントンにて記念艦となる(1、2) |
◎Pearl Harbor Arrived - 4 November 1943, Complete - 8 November 1943. SK
antenna and pedestal removed and ex-USS BUSHNELL SK being installed. Check
and repair of SK radar coaxial line completed. Miscellaneous ordnance work
underway. Guadalcanal-Tulagi, Eastern Solomons, Gilbert Is., Kwajalein,
Raid on Truk, Marianas Raid Feb 1944, Palau-Yap Raids Mar 1944, Hollandia,
Truk Raid Apr 1944, Saipan, Philippine Sea, Luzon Raids Oct 1944, Formosa
Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei
Shoto Raid Jan 1945, Honshu Raid Feb 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945,
Raids on Japan Jul-Aug 1945, Operation Magic Carpet. ☆BB-55の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/1/30 兵員輸送船Eiko Maru(ロイ島西方海域にて撃沈(1944年1月30日、ノース・カロライナがロイ・ナムールの海岸施設を砲撃中、Eiko Maruは戦艦の索敵機に発砲した。発見された16発の弾丸が艦に向けて発射され、直撃弾を受けた同艦は猛烈な勢いで炎上し、クェゼリン環礁北方環礁沖の浅瀬でマストを水面に残したまま急速に沈没した)) #BB-55の搭載レーダー ◎1941 SG対水上レーダー、CXAM-1対空レーダー ◎1942春 SG対水上レーダー、CXAM-1対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー、Mk. 4対空射撃指揮レーダー ◎1944/4 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー ◎1944/9 SG対水上レーダー、SK-2対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1945春 SG対水上レーダー、SK-2対空レーダー、SR対空レーダー、SCR-720対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー |
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ワシントン (1、2) |
Washington | BB-56 | フィラデルフィア海軍工廠 | 1941/5/15 (1、2、3) |
1947/6/27 | 1960/6/1 | ◎1938/6/14 起工 ◎1940/6/1 進水(1、2、3、4、5、6、7) 1941/5/31 公試中、22ktに達すると船体が激しく振動(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1941/6/17 リーグ・アイラインドのDrydock No. 3にて入渠(〜1941/6/20、スクリュー交換工事、推進部門のあらゆるものが補強、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1941/6/22 最適の状態とはいえず再び入渠(〜1941/7、5.18mから4.80mもしくは4.77mに切り落とされた新型プロペラがふたたび取り付けられた、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1941/7/13 ふたたび入渠(〜1941/7下旬、一連のスクリュー追加と後部主砲照準器の支柱補強、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1941/7下旬 砲弾積み込み中、砲弾がチーク材の甲板に落下し甲板損傷(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1941/7/31 引き渡される ◎1941/11/7 リーグ・アイラインドのDrydock No. 3にて入渠(〜1941/11/18、また新たなプロペラ装備とスケグの内部補強、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1941/11/26 救命胴衣が燃えたとの報告(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1941/2上旬? リーグ・アイラインドにて入渠(〜1942/2中旬、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1941/3/27 大西洋にて荒海により左舷のフランクリン救命ブイをなくす、艦載機のスペア・フロートが損傷(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1941/4/29 大西洋にて左舷の防雷具をなくす 1942/5/1 北大西洋にてイギリス海軍駆逐艦Punjabi(F.21)とイギリス海軍戦艦King George V(41)が衝突しPunjabiは真っ二つになる、ワシントンは船体が二つに折れたPunjabiとの衝突を回避すべく転舵するもPunjabiの搭載していた爆雷の爆発により損傷(全電気回路に影響を与える。艦内のほとんどの全ての電球が壊れ照準器の精巧なメカニズムが狂い、28mm機関砲の挿弾子を怖し甲板中にばらまいた(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より)、繊細な火器管制システムやレーダーの一部が損傷し、ディーゼル・オイル・タンクから少量の漏れが発生(Dictionary of American Naval Fighting Ships(DANFS)より)) (↑イギリス海軍戦艦キング・ジョージV世(1940年時)) ◎1942/6/3 スカパ・フローにてハロルド R. スターク大将 Adm Harold R. Stark、イギリス国王ジョージ6世 King George VI乗艦のため、艦内を大清掃、救命索を再塗装(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/6/7 イギリス国王ジョージ6世 King George VI乗艦(1、2、3、4、5) ◎1942/7/23 ニュー・ヨーク海軍工廠にてオーヴァーホール(〜1942/8/23、1、2、3、4) ◎1942/8/1 ニュー・ヨーク海軍工廠のDrydock No. 2にて入渠(作業中、艦船局からの指示で航空管制所のすぐ下に新しい外付け梯子を設置するも間違った設置方法になってしまった、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1942/8/21 ニュー・ヨーク海軍工廠のDrydock No. 2にて出渠(1、2、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/9/27 トンガ島にて乗組員のロッカー内出火(消し止められボヤで済んだ、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/9/29 トンガ島にて給油後、給油艦サビーン Sabine(AO-25)がワシントンの左舷から離れるとき、右舷錨が8番127mm砲架の出入りハッチに引っ掛かる。何回も艦を戻して外そうとし続けやっと外れるも錨はその鎖を引きずってワシントンの船体中央部舷側に落下。砲架の手動旋回機に傷が付き、甲板支柱が2本折れた。水面下をダイヴァーが調査したが左舷の湾曲部の突き出した縦通剤がわずかに曲がった(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/10上旬 ソロモンへ向かう途中、演習中に6番127mm砲架で砲弾が遅発。砲長が慎重に砲身から抜き出して受け皿に置いたものを2名の砲手が舷側へ運んで艦外から投棄。このため、艦内の重要な配線を隅々まで調べる(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/10/20 第3砲塔が仮装標的に向けて旋回中、砲身がカタパルトのOS2Uにぶつかり右翼と胴体と尾部をかすり取って甲板に落とす(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1942/11/15 第三次ソロモン海戦(連合軍側呼称:ガダルカナル海戦 Naval Battle of Guadalcanal)にて日本海軍艦艇の砲撃により損傷(檣楼のCXAM対空レーダーの左手上隅に5インチ砲弾位の穴のみ)、前方を行く損傷した戦艦サウス・ダコタ South Dakota(BB-57)から重油が漏出、ワシントンの蒸留装置に流れ込む(ダンビア湾に停泊中、係はいくつかの管の汚れを取るために毎日外していた「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1942晩秋〜冬 この間、ダンビア湾にて塗装剥離作業、赤錆や腐食、フジツボ等甲殻生物の除去、地肌に鉛丹や亜鉛黄を塗装(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1942/12 ダンビア湾にて艦橋の後ろの提督室を新しいレーダー室として開設(海軍初の戦闘情報センター(CIC)を形成「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1943/5上旬 真珠湾海軍工廠にて28mm機関砲撤去、40mm機関砲設置、レーダー室改装等(〜1943/5下旬、「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1943/6/1 真珠湾海軍工廠のDrydock No. 2にて入渠(〜1943/6下旬「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) ◎1943/7 West Lochの製設内消磁場の埠頭にて消磁(「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より) 1943/7/28 真珠湾沖にて射撃訓練支援のため、OS2Uが発艦するも燃料を噴出、無事着水し収容後、漏出箇所を塞いで翌日離艦 1943/8/4 艦内洗濯所にてボヤ(5分たらずで消火「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より 1943/8/7 ニュー・ヘブリデーズ諸島Efate島にて投錨中、艦長の指示ミスで右舷錨鎖が勢いよく落としてしまい、巻錨機の制動装置は回転胴が生む摩擦熱で膨張して動かなくなる。右舷錨は海底に消える「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より ◎1943/9/6 艦隊曳船スー Sioux(AT-75)が潜水夫を海底に送り錨鎖止めを探り出し、備え付けのウィンチで引き揚げる。ワシントンの右舷錨鎖孔から錨鎖を取り付ける「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より 1943/10/8 演習中、右舷舵板の操舵装置故障。ワシントンは隊列から外れる。操舵は後部の平甲板に移すも舵板は動かなかった。全エンジンを止め、左エンジンを3分の2はずしてから故障発生灯を付けた。応急対策班はタービンの一つの蒸気コイルが焼き切れたのが原因だとわかった。操舵機関の動力は補助ディーゼル発電機に移され舵板の制御は回復。隊列に戻って事故発生灯は消灯した「戦艦ワシントン -米主力艦から見た太平洋戦争-」(光人社)より 1944/2/1 クェゼリン南方海域にて戦艦インディアナ Indiana(BB-58)と衝突し艦首損傷(1、2、3) ◎1944/2上旬 マジュロにて艦首修理 ◎1944/2中旬 真珠湾海軍工廠にて入渠、一時的な艦首修理 ◎1944/3/13 海軍工廠ピュージェット・サウンドにて入渠、修理 ◎1945夏 改装 ◎退役後、ニュー・ヨークにて大西洋予備艦隊に編入(1、2、3) ◎1961/5/24 解体のため、ニュー・ヨークのLuria Bros. のLipsett Divisionに売却 ◎のちにKearnyにて解体 |
◎ニックネームはマイティW Mighty W ◎Flag of RADM John W. Wilcox, who lost overboard in North Atlantic, 27 Mar 1942. North Atrantic Mar-Jul 1942. Russian Convoys, Solomons, Battle of Guadalcanal, Gilbert Is., Kavieng Raid Jan 1944, Kwajalein, Saipan, Philippine Sea, Guam, Palau-Yap Raids Jul 1944, Palau, Philippines Raids Sep 1944, Okinawa Raid Oct 1944, N. Luzon-Formosa Raids Oct 1944, Visayas Is. Raids 1944, Surigao Strait, Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto Raid Jan 1945, Honshu Raid Feb 1945, Iwo Jima, Fleet Raids 1945, Okinawa, Operation Magic Carpet. ☆BB-56の撃沈スコア(以下の艦船) ・1942/11/15 日本海軍戦艦霧島(1、2、サヴォ島西方海域にて損傷を与える、のちに自沈) (←日本海軍戦艦霧島(1941年時)) #BB-56の搭載レーダー ◎1941 SG対水上レーダー、CXAM-1対空レーダー ◎1942春 SG対水上レーダー、CXAM-1対空レーダー、Mk. 3対水上射撃指揮レーダー、Mk. 4対空射撃指揮レーダー ◎1944/4 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー ◎1944/9 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー ◎1946 SG対水上レーダー、SK対空レーダー、SR対空レーダー、Mk. 8対水上射撃指揮レーダー、Mk. 12/22対空射撃指揮レーダー |
Update 24/12/22