アイコン | 意味 |
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戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません |
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戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです |
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映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です |
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参考文献、小説や書籍に登場する事柄です |
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インターネットやTVゲームに登場する事柄です |
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不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略(ABC順)。ドッグ・ウォッチ(Dog Watch)とは、海上監視システムにおいて、標準的な監視期間の半分の長さの作業シフト(“ウォッチ”としても知られる)である。この場合、16時から18時までが“第一”ドッグ・ウォッチ、18時から20時までが“第二”または“最終”ドッグ・ウォッチとなる。この時計が存在するのは、乗組員が全ての時計を回るためには、1日のうち奇数個の時計が必要だからである。1つの当直を半分に分けることで、毎晩1つのチームが中番をする代わりに、船員は別々の当直をすることができる。また、2つの時計がある場合、両方の時計がほぼ同じ時刻に夕飯を食べることができる。語源はオックスフォード英語辞典によると、“ドッグ・ウォッチ”という言葉は、ドイツ語またはオランダ語の類似語を直訳したものである。また、シリウス Siriusが夜間に見ることの出来る最初の星であるという主張から、“犬の星”であるシリウスに由来するとも言われている。別の民間語源としては、これらの“半”見張りを任された者が“見張りをかわす”と言われ、“かわし番”をする、または立っていたと言うことからこの名前が生じたとする説がある。これが短縮されて“ドッグ・ウォッチ”と呼ばれるようになった。また、寝ている人はこの時計では“ドッグ・スリープ dog sleep”しか得られないというヴァリエーションもある
軽荷排水量 | ![]() ![]() |
満載排水量 | 3,315t |
全長 | ![]() ![]() |
幅 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
吃水 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
主缶 | ![]() ![]() |
主機 | ![]() ![]() |
軸数 | 2軸 |
出力(計画) | 60,000馬力 |
速力 | ![]() ![]() |
燃料搭載量(計画) | 重油538t |
航続力(計画) | 15ktで6,500浬(戦時は15ktで4,220浬、20ktで3,240浬) |
兵装 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() DD-735〜DD-740、DD-749〜DD-751、DD-771〜DD-773の兵装 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
乗員 | ![]() ![]() ![]() |
- ※DD-735〜DD-740、DD-749〜DD-751、DD-771〜DD-773は高速敷設艦として竣工したため、ロバート H. スミス級ともいわれる
- ※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから)
- ※アレン M. サムナー級の内部写真
- ※アレン M. サムナー級のアンテナ群
- ※1941年9月30日のScheme "B"案
- 常備排水量:2,150t 公試排水量:2,745t 吃水線長:112.47m 幅:11.73m 吃水:4.02m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.5kt 兵装:38口径127mm単装砲5基、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲2基、533mm5連装魚雷発射管2基
- ※1941年9月30日のScheme "B-I"案
- 常備排水量:2,735t 公試排水量:2,730t 吃水線長:112.47m 幅:11.73m 吃水:4.00m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.6kt 兵装:38口径127mm単装砲5基、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲2基、533mm5連装魚雷発射管1基
- ※1941年9月30日のScheme "B-II"案
- 常備排水量:2,200t 公試排水量:2,795t 吃水線長:112.47m 幅:12.03m 吃水:3.96m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.1kt 兵装:38口径127mm連装両用砲3基、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲2基、533mm5連装魚雷発射管1基
- ※1941年9月30日のScheme "B-III"案
- 常備排水量:2,180t 公試排水量:2,745t 吃水線長:112.47m 幅:11.73m 吃水:4.02m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.5kt 兵装:38口径127mm連装両用砲2基、40mm連装機関砲4基、533mm3連装魚雷発射管2基
- ※1941年9月30日のScheme "B-IV"案
- 常備排水量:2,195t 公試排水量:2,760t 吃水線長:112.47m 幅:12.03m 吃水:4.03m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.4kt 兵装:38口径127mm連装両用砲2基、40mm連装機関砲4基、20mm単装機関砲2基、533mm3連装魚雷発射管2基
- ※1941年9月30日のScheme "B-V"案
- 常備排水量:2,215t 公試排水量:2,795t 吃水線長:112.47m 幅:12.03m 吃水:4.06m(公試) 出力(計画):60,000馬力 速力(計画):37.1kt 兵装:38口径127mm連装両用砲2基、38口径127mm単装砲1基、40mm連装機関砲4基、20mm単装機関砲2基、533mm3連装魚雷発射管2基
- ※1942年3月10日のScheme "B-VII"案
- 常備排水量:2,270t 公試排水量:2,880t 吃水線長:112.47m 幅:12.19m 吃水:3.96m(公試) 出力(計画):60,000馬力 兵装:38口径127mm連装両用砲3基、40mm連装機関砲2基、20mm単装機関砲4基、533mm5連装魚雷発射管2基
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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アレン M. サムナー (1、2、3) |
Allen M. Sumner | DD-692 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/1/26 | 1973/8/15 | 1973/8/15 | ◎1943/7/7 起工 ◎1943/12/15 進水 ◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて艤装(〜1944/3/3) ◎1944/4/8 ニュー・ヨークにてPSA(〜1944/5/3) ![]() ◎1944/12/4 サン・ペドロ湾にて保全、修理(〜1944/12/12) ![]() ◎1945/2/13 ハンターズ・ポイントにて修理(〜1945/4/10) ◎1952 ボストン海軍工廠にて入渠 ◎1961/5/17 チャールストン海軍造船所にてFRAM改装(〜1962/1/2) ◎1962/6/8 コート・ダジュールにて座礁、のちにToulonにて入渠 ◎1971/7/1 海軍予備練習船となる(〜1973/8/15) ◎1974/11/13 解体のため、ニュー・ヨークのUnion Minerals & Alloy Corp. に売却(売却額$163,132) ◎のちにフィラデルフィアにて解体 |
◎Luzon Raids Oct 1944, Lingayen, Mindro. Operation Crossroads. ☆DD-692の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/12/3 日本海軍駆逐艦桑(オルモック湾にて撃沈(駆逐艦モール(DD-693)、クーパー(DD-695)と共同で)) ![]() ◎Korea ( ![]() ![]() |
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モール (1、2) |
Moale | DD-693 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/2/28 | 1973/7/2 | 1973/7/2 | ◎1974/11/13 解体のため売却 |
☆DD-693の撃沈スコア(以下の艦船) ・1944/12/3 日本海軍駆逐艦桑(オルモック湾にて撃沈(駆逐艦アレン M. サムナー(DD-692)、クーパー(DD-695)と共同で)) ![]() |
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イングラハム (1、2) |
Ingraham | DD-694 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/3/10 | 1971/7/16 | 1971/7/16 | ◎1971/7/16 ギリシャに譲渡されMiaouris(D 211)と改名 ◎1992 除籍 ◎2001/10/9 標的として沈没 |
クーパー (1、2) |
Cooper | DD-695 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/3/27 | ― | 1945/1/20 | ◎1943/8/30 起工 ◎1944/2/9 進水 ◎ニュー・ヨーク海軍工廠にて就役 ◎1944/6/26 ニュー・ヨーク海軍工廠にてPSA(〜1944/7/6、艦橋と上部構造の大規模な改装) ![]() ![]() ![]() ![]() |
◎Torpedoed and sunk by Japanese destroyer Take in Ormoc Bay, broke in two,
3 Dec 1944 (191 killed). Luzon Raids Oct 1944. ☆DD-695の撃沈スコア、撃墜スコア(以下の艦船、航空機) ・1944/12/2 日本軍機1機(オルモック湾にて撃墜) ・1944/12/3 日本海軍駆逐艦桑(オルモック湾にて撃沈(駆逐艦アレン M. サムナー(DD-692)、モール(DD-693)と共同で)) ![]() |
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イングリッシュ | English | DD-696 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/5/4 | 1970/5/15 | 1970/5/15 | ◎1970/8/11 台湾に譲渡され恵陽 Huei Yang(906)と改名 ◎1999/8/16 退役 |
チャールズ S. スペリー | Charles S. Sperry | DD-697 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/5/17 | 1973/12/15 | 1973/12/15 | ◎1959 FRAM改装(〜1960) ◎1974/1/8 チリに譲渡されMinistro Zentenoと改名 ◎1990 除籍、解体のため売却 |
オールト (1、2) |
Ault | DD-698 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/5/31 | 1973/7/2 (1973/7/16?) |
1973/7/16 (1973/9/1?) |
◎1943/11/15 起工 ◎1944/3/26 進水 ◎1946/4/26 ボストンにてオーヴァーホール(〜1947/3/15) ◎1948/2/24 ボストンにてオーヴァーホール(〜1948/5/11) ◎1950/1/26 ノーフォークにて不活性化工事 ◎1950/5/31 退役、チャールストン海軍造船所にて予備艦隊に編入 ◎1950/11/15 チャールストンにて再役 ◎1953/3/11 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール ![]() ◎1962/6 ボストン海軍工廠にてFRAMII改装(〜1963/2) ◎1966/4/12 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1966/9/14) ◎1967/5/1 スービック湾にて保全(〜1967/5/7) ◎1967秋 メイポートにて保全(〜1968/2) ◎1970/1/1 予備練習艦となる ◎1974/4/30(1974/5/9?) 解体のため、ボルティモアのボストン・メタルズ社に売却 |
◎Palau, Philippines Raids Sep 1944, Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids
Jan 1945, Formosa Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945, Nansei Shoto
Raid Jan 1945, Iwo Jima, Honshu Raids Feb 1945, Fleet Raids 1945, Raids
on Japan Jul-Aug 1945, Tokyo Bay. ◎Lebanon Oct 1958, Cuba Mar-May 1961, Vietnam Mar-Aug 1967. |
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ウォルドロン | Waldron | DD-699 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/6/8 | 1973/10/30 | 1973/10/31 | ◎1950/5/17 予備役に編入 ◎1950/11/20 再役 ◎1962/6 FRAM改装 ![]() ◎1973/10/30 コロンビアに譲渡されSantander(DD 03)と改名 ◎1986 除籍、解体のため売却 |
ヘインズワース (1、2) |
Haynsworth | DD-700 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/6/22 | 1970/1/30 | 1970/1/30 | ◎1943/12/16 起工 ◎1944/4/15 進水 ![]() ◎1945/7/17 トレジャー・アイランドにて練習船となる(〜1945/9/5) ◎1946/4/26 ボストンにて退役、予備艦隊に編入 ◎1947/3 再役 ◎1950/5/19 チャールストンにて退役、予備艦隊に編入 ◎1950/9/22 再役 ![]() ◎1963秋 ニュー・オーリンズとオレンジにてオーヴァーホール ◎1964/2/28 ガルヴェストンにて海軍予備練習船となる(第34予備駆逐隊所属) ◎1970/5/12 台湾に譲渡され岳陽 Yuen Yang(DD 5)と改名(1、2) ◎のちに艦種をミサイル駆逐艦(DDG 5)に改める ◎1976 艦種記号をDDG 944に改める ◎1979/10/1 艦種記号をDDG 905に改める ◎1999/1/6 退役 ◎1999/1/15 除籍 ◎2001/10/13 人工環礁のため沈没処分 |
◎Formosa Raids Jan 1945, Luzon Raids Jan 1945, China Coast Raids Jan 1945,
Nansei Shoto Raid Jan 1945, Honshu Raids Feb 1945, Iwo Jima, Fleet Raids
1945. ☆DD-700の撃沈スコア(以下の艦船) ・1945/2/17 特設監視艇第三十六南進丸(日本近海にて撃沈といわれる) ・1945/2/17 特設駆潜艇和風丸(日本近海にて撃沈といわれる) ◎Lebanon Oct 1958, Cuba Apr-May 1961, May-Jun 1962, Cuban missile crisis Oct-Nov 1962. |
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ジョン W. ウィークス | John W. Weeks | DD-701 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/7/21 | 1970/8/12 | 1970/8/12 | ◎1950/2/8 退役 ◎1950/10/24 再役 ◎1970/11/19 ヴァージニア沖にて標的として沈没 |
![]() ↑Segui (D 25). ex-Hank (DD-702). Image courtesy of Shipbucket. |
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ハンク (1、2) |
Hank | DD-702 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/8/28 | 1972/7/1 | 1972/7/1 | ◎1972/7/1 アルゼンチンに譲渡されSegui(D 25)と改名(1、2) ◎1983 除籍、解体のため売却 |
ウォーレス L. リンド | Wallace L. Lind | DD-703 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/9/8 | 1973/12/4 | 1973/12/4 | ◎1961/10/16 FRAM II改装(〜1962) ◎1973 予備役に編入 ◎1973/12/4 韓国に譲渡されDae Gue(DD 97)と改名 ◎DD 917となる |
ボリー | Borie | DD-704 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/9/21 | 1972/7/1 | 1972/7/1 | ![]() ◎1972/7/1 アルゼンチンに譲渡されHipolito Bouchardと改名 ◎1984 除籍、解体のため売却 |
![]() ↑Mato Grosso (D 34). ex-Compton (DD-705). Image courtesy of Shipbucket. |
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コンプトン (1、2) |
Compton | DD-705 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/11/4 | 1972/9/27 | 1972/9/27 | ◎1972/9/27 ブラジルに譲渡されMato Grosso(D 34)と改名(1、2) ◎1990/7 除籍、解体のため売却 |
ゲイナード | Gainard | DD-706 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/11/23 | 1971/2/26 | 1971/2/26 | ◎1974/3/26 解体のため売却 |
ソーリー | Soley | DD-707 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1944/12/4 | 1970/2 | 1970/2/13 | ◎1947/4/15 予備役に編入 ◎1950 再役 ![]() ◎1970/9/18 標的として沈没 |
ハーラン R. ディクソン | Harlan R. Dickson | DD-708 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1945/2/17 | 1972/7/1 | ◎1973/5/18 解体のため売却 | |
ヒュー・パーヴィス | Hugh Purvis | DD-709 | フェデラル・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1945/3/1 | 1972/6/15 | 1973/2/1 | ◎最初の予定艦名はパーヴィス Purvisだった ◎1960/3 FRAM改装 ◎1972/7/1 トルコに譲渡されZafer(D 356)と改名 ◎1993 除籍 ◎1994 解体のため売却 |
![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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バートン | Barton | DD-722 | バス鉄工所 | 1943/12/30 | 1968/10/1 | ◎1947/1/22 予備役に編入 ◎1949/4/11 再役 ◎1969/10/8 ヴァージニア沖にて標的として沈没 |
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![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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ウォーク | Walke | DD-723 | バス鉄工所 | 1944/1/21 | 1970/11/30 | 1974/2/1 | ◎1947/5/30 予備役に編入 ◎1950/10/5 再役 ◎1961 FRAM II改装 ◎1970/11/30 予備役に編入 ◎1975/3/19 解体のため売却 |
![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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ラフィー (1、2、3、4) |
Laffey | DD-724 | バス鉄工所 | 1944/2/8 | 1975/3/29 | 1975/3/29 | ◎1943/6/28 起工 ◎1943/11/21 進水 ◎1944/2/8 引き渡される ![]() ◎1944/7上旬? ボストンにてオーヴァーホール ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ◎1945/5下旬 シアトルの トッド・シップヤード社にてオーヴァーホール(〜1945/9/6) ![]() ◎1947/6/30 サン・ディエゴにて退役、太平洋予備艦隊に編入 ◎1951/1/26 再役 ◎1951/2 ノーフォークにてオーヴァーホール ◎1952年5月30日に横須賀で短時間の改装を行ったのち、韓国に戻り、第77任務部隊 Task Force 77に復帰した。6月22日、ラフィーは 東海岸に向けて出港し、スエズ運河を通過して8月19日にノーフォークに到着した ◎1961年4月8日から9日にかけて、汽船Daraの遭難に遭遇し、3隻のイギリス海軍フリゲイトLoch Ruthven(K.645)、Loch Fyne(K.429)、Loch Alvie(K.428)とともに支援を提供したラフィーの一連の画像(1、2、3、4、5、6、7、8)。4月9日の夜明けに、ラフィーは消火と生存者の確認のためにDaraに接舷した。 ![]() ◎1962/9 FRAM II改装 ◎1970/11/30 予備役に編入 ![]() ![]() ◎2009/8 ノース・チャールストンのDetyens Shipyardにてオーヴァーホール(〜2009/12) |
◎ニックネームはザ・シップ・ザット・ウッド・ノット・ダイ The Ship That Would Not Die ◎Normandy, Luzon Raids Oct 1944, Ormoc, Mindoro, Lingayen, Iwo Jima, Honshu Raids Feb 1945, Okinawa, PUC. ◎Korea ( ![]() ![]() |
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オブライエン (1、2) |
O'Brien | DD-725 | バス鉄工所 | 1944/2/25 | 1972/2/18 | ◎1947/10/4 退役 ◎1950/10/5 再役 ◎1961/2 FRAM II改装(〜1961/10) ![]() ◎1966/12下旬? スービック湾にて修理 ◎1970/11/30 予備役に編入 ◎1972/7/13 カリフォルニア沖にて標的として沈没 |
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メレディス (1、2) |
Meredith | DD-726 | バス鉄工所 | 1944/3/14 | ― | 1944/7/29 | ◎1943/7/26 起工 ◎1943/12/21 進水 ◎チャールズタウン海軍工廠にて就役。新しく就役した同艦は、海軍基地で艤装や修理改装を実施し、忙しい2週間を過ごした。艦内では、複数の艦船訓練、消磁調整を実施、無線方向探知機調整、レーダー調整、ボストン港沖にて磁気コンパス調整を実施。30日にはCape Cod沖で構造試射とソナー・テストを行い、翌日には磁気コンパス調整、ボストン港沖での無線機、無線方向探知機、レーダー調整を完了。バミューダ沖にてシェイクダウン・クルーズを行ったメレディスは、1944年4月初旬に大西洋艦隊のDD/DEシェイクダウン・グループの支援のもと、更に大規模な訓練をこなした。攻撃教官による対潜シナリオ、火器管制調整、火器管制レーダー調整、バッテリー・チェックなどの授業が行われ、厳しい訓練が行われた。検査官は“砲術部門は平均的な状態であり、兵器資材の整備は、特にバミューダへの航海中に遭遇した悪天候を考慮すると、極めて良好であることが判明した”と報告した。ボストンを出港したTCU-24B船団は、第二次大戦の欧州海域へと向かい、イギリスのプリマスへと進路を取った(1944年5月8日〜27日)。艦長のジョージ・クヌファー中佐 Comdr. George Knuepferはプリマスに到着後、“ネプチューン”作戦 Operation Neptune(ドイツ占領下のノルマンディー地方への連合軍上陸作戦)の密命を受け、報告した。クヌファーと彼のスタッフは、彼が“オールド・シアター Old Theatre”と呼ぶ場所(恐らくプリマスの有名な宮殿)で行われた特別なブリーフィングに出席し、ブリーフィング担当者から艦の役割について説明を受けたという。メレディスとその護衛艦は、アメリカ第1軍第7軍団(指揮官はJ. ロートン・コリンズ少将 Maj. Gen. J. Lawton Collins)により、第4歩兵師団(指揮官はレイモンド O. バートン少将 Maj. Gen. Raymond O. Barton)をBaie de la Seine沿いの“ユタ・ビーチ”に上陸させるための支援を行うものであった。クヌファーはU-3船団の護衛司令官として、沿岸警備隊の護衛艦4隻、自由フランス海軍コルヴェットAconit(K 58、1、2)とRenoncule(K 117)、そしてイギリスのトロール船3隻を護衛することになったのである。これらの護衛艦は、7,500名近い兵士とその装備を積んだ16隻の戦車揚陸艦(LST)と6隻のライノ型艀 Rhino bargesを護送することになっていた。 この膨大な数の連合軍艦船を全て時間通りに目標地点に到達させるために、メレディスとU-3の艦船はプリマスではなく、プリマスからExmouthまでの距離の半分強にあるDevonの小さな海辺の町トーキー(Torquay、推理小説作家のアガサ・クリスティー Dame Agatha Mary Clarissa Christieの出生地)を集合・出発した(1944年6月5日〜6日)。輸送船団は機雷原を迂回して英仏海峡を進んだが、どんよりとした曇り空と穏やかな海が海水を泡立てて、強いうねりに突き当たった。英仏海峡の潮流は、特にフランス沿岸に近づくにつれ、満潮時には平均6ノットに達するが、護衛艦の最も遅い船は、皮肉にも6ktが限界であった。そのため、クヌファーは進路を86゚ずらして補い、乗組員もレーダーによる航法修正を繰り返し、厳しいスケジュールをこなした。クヌファーは、いくつかの緊張したポイントで、見張りやブリッジの監視員が“Sボート(ニックネームはEボート。ドイツの事実上の駆潜艇、通常は魚雷艇)の存在を示す照明弾(曳光弾)やsnowflakesに照らされた無数の船を見たと報告している。しかし、どれも私の船団に接近して本当の危険をもたらすことはなく、私は我々の位置を明らかにしないことが最も賢明な方法であると感じた”。指揮官はさらに、遅い輸送船団との横断を“この旅で最も危険なこと”であったと振り返っている。それでも、混雑した輸送船団航路を通過する連合国船は、しばしば互いに合図を送り、多くの英国船がメレディスに“good luck and happy hunting”の変奏曲を贈っている。潮の流れや航法上の問題にもかかわらず、メレディス達は予定通り輸送地点に到着し、駆逐艦は輸送船団を任務部隊の司令官に引き渡した。メレディスはフランス沿岸から約5マイル離れた輸送海域の北東部に停泊する船舶の護衛につき、ほかの5隻の駆逐艦と共にSボートのパトロールを行った。1944年6月6日のDデイで“ユタ・ビーチ”に強襲部隊を上陸させる際にも、脆弱な輸送船と揚陸艇を監視し続けた ◎1944/6/7 午前6時ごろ、メレディスは命令により、フランス海岸から約1.5〜2マイルの地点にある第2火力支援施設に向かった。メレディスは、海軍や陸軍の砲撃隊の呼びかけに応じ、初発砲を行った。メレディスはGrandcamps-les-Bainsのやや南西で作戦を展開し、ビーチヘッドを封じ込めようとするドイツ軍の戦車や兵力に対して5インチ砲を何度も放った。同艦のドナルド B. アマージュ中佐 Lt. Cmdr. Donald B. Amageは、戦闘情報センター(CIC)チームを率いて効率的に軍艦の位置を維持し、その情報に基づいて砲手に射撃データを提供した。クヌファーは“我々の一斉射撃が相手に届いたとき、“よくやった、メレディス、第一撃で仕留めた”と言ってもらえたのは、ありがたいことだった”と振り返る。連合軍が勝利を収め、上陸に成功した理由はいくつかあるが、そのひとつに艦砲射撃がある。西部海軍任務部隊司令官 Commander, Western Naval Task Forceのアラン G. カーク少将 Rear Adm. Alan G. Kirkは、その報告書の中で次のように結んでいる。海軍作戦本部長兼合衆国艦隊司令官 Chief of Naval Operations, and Commander in Chief United States Fleetのアーネスト J. キング大将 Flt. Adm. Ernest J. Kingへの報告書では、次のように結んでいる。 ![]() ![]() ![]() ◎1944/6/7 メレディスは午前0時4分前まで敵部隊を叩いたが、砲援領域でより重武装の戦艦や巡洋艦の北方に進み、Sボートに対してスクリーンするようにとの命令を受けた。ドイツ軍はこの地域を徘徊しており、メレディスが新しい基地に到着する直前に、コタンタン半島のシェルブール海岸からその地域にSボートが集中しているとの報告を受けた。駆逐艦はSaint-Marcoufからわずか5マイルの位置の北方に進路を取り、他の6隻の駆逐艦とともにステーションのパトロールを開始した。大規模な掃海活動にもかかわらず、機雷はこの地域の船舶に致命的な脅威を与えており、メレディスはきちんと消磁コイルをセットしていた。海は荒れ模様で爽やかな風が吹き、空は低く曇り、天井は1,000フィート程もある。時折、雲の切れ間から月が顔を出す。中盤から1時間半余り、戦艦ネヴァダ(BB-36)はメレディスから3マイルの距離で350度、重巡洋艦クインシー Quincy(CA-71)は130゚、1.7マイル、タスカルーサ Tuscaloosa(CA-37)は070゚で1.3マイルを照射した ![]() ![]() ![]() ◎1960/8/5 解体のため、フランスのSt. Francaise de Recheriesに売却 ◎1960/9/1 Baie de Seineにて引き揚げられ、解体が開始された ◎2000〜2002 この間、海軍歴史遺産部水中考古学課 Naval History & Heritage Command's Underwater Archeology BranchがD-Day沈没船のリモート・センシング調査 remote sensing surveyを行った結果、少なくとも駆逐艦の一部が海底に残っている可能性があることが判明し、船尾の一部は引き揚げ時の衝撃で、イギリス海峡 English Channel's floorの底部から約9.5フィート隆起していた |
◎Sunk by mine by Normandy, 8-9 Jun 1944 (32 killed). Normandy. | |||||||
![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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ド・ヘイヴン | De Haven | DD-727 | バス鉄工所 | 1944/3/31 | 1973 | 1973/12/3 | ◎1960/2/1 FRAM改装(〜1960/9) ◎1973/12/5 韓国に譲渡されInchon(DD 98)と改名 ◎DD 918となる ◎1993 除籍、解体のため売却 |
マンスフィールド (1、2) |
Mansfield | DD-728 | バス鉄工所 | 1944/4/14 | 1971/2/4 | 1974/2/1 | ![]() ![]() ◎1960 FRAM II改装 ◎1974/6/4 アルゼンチンに譲渡され部品供給艦となる |
ライマン K. スウェンソン (1、2) |
Lyman K. Swenson | DD-729 | バス鉄工所 | 1944/5/2 | 1971/2/12 | 1974/2/1 | ![]() ![]() ◎1960/6/27 FRAM II改装(1、2) ◎1974/5/6 台湾に譲渡され部品供給艦となる |
コレット (1、2) |
Collett | DD-730 | バス鉄工所 | 1944/5/16 | 1970/12/18 | 1974/2/1 | ![]() ![]() ◎1974/6/4 アルゼンチンに譲渡されPiedra Buenaと改名(1、2) ◎1984 除籍 ◎1988 標的として沈没 |
マドックス (1、2) |
Maddox | DD-731 | バス鉄工所 | 1944/6/2 | 1972/7/1 | 1972/7/2 (1972/7/6?) |
◎1943/10/28 起工 ◎1944/3/19 進水 ![]() ![]() ![]() ◎1947/3下旬? サン・ディエゴにて予備練習艦となる ◎1952夏 オーヴァーホール ![]() ◎1964秋 ロング・ビーチにて保全、修理(〜1965/1中旬) ◎1967/10/13 ロング・ビーチ海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1968/2) ◎1968/12 オーヴァーホール、保全 ◎1972/7/6 台湾に譲渡されPo Yang(928)となる ◎のちに艦種記号を910に改める ◎1985 除籍、解体 |
◎Luzon Raids Oct 1944, Formosa Raids Jan
1945, Luzon Raids 1945, China Coast
Raids
Jan 1945, Fleet Raids 1945, Raids on
Japan
Jul-Aug 1945. ◎Attacked by North Vietnam torpedo boats off coast of Vietnam, 2-4 Aug 1964; Gulf of Tonkin incident, 2-5 Aug 1964. Korea ( ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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ハイマン | Hyman | DD-732 | バス鉄工所 | 1944/6/16 | 1969/11/16 | ◎1970/10/13 解体のため売却 | |
マナート L. エーブル (1、2) |
Mannert L. Abele | DD-733 | バス鉄工所 | 1944/7/4 | ― | ◎1943/12/9 起工 ◎1944/4/23 進水(1、2、3) ◎ボストンにて就役 ![]() ![]() (↑日本海軍空技廠特殊攻撃機桜花一一型(MXY7)) ![]() |
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◎Iwo Jima, Okinawa. | |||||||
パーディ | Purdy | DD-734 | バス鉄工所 | 1944/7/18 | 1973/7/1 | ◎1974/6/11 解体のため売却 | |
ロバート H. スミス | Robert H. Smith | DD-735 | バス鉄工所 | 1944/8/4 | 1955/6/30 | 1971/2/26 | ◎1944/7/19 軽敷設艦(DM-23)となる ◎1947/1/29 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-23)となる ◎1973/12/3 解体のため売却 |
トーマス E. フレイザー | Thomas E. Fraser | DD-736 | バス鉄工所 | 1944/8/22 | 1955/6/30 | 1970/11/1 | ◎1944/7/20 軽敷設艦(DM-24)となる ◎1955/6/10 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-24)となる ◎1974/6/12 解体のため売却 |
シャノン | Shannon | DD-737 | バス鉄工所 | 1944/9/8 | 1955/6/30 | 1970/11/1 | ◎1944/7/19 軽敷設艦(DM-25)となる ◎1955/7/7 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-25)となる ◎1973/5/18 解体のため売却 |
ハリー F. バウアー | Harry F. Bauer | DD-738 | バス鉄工所 | 1944/9/22 | 1956/3/12 | 1971/8/15 | ◎軽敷設艦(DM-26)となる ◎1956/3/12 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-26)となる ◎1974/6/12 解体のため売却 |
アダムス | Adams | DD-739 | バス鉄工所 | 1944/10/10 | 1947/1/29 | 1970/12/1 | ◎1944/7/20 軽敷設艦(DM-27)となる ◎1947/1/29 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-27)となる ◎1971/12/16 解体のため売却 |
トールマン | Tolman | DD-740 | バス鉄工所 | 1944/10/27 | 1947/1/29 | 1970/12/1 | ◎1944/7/19 軽敷設艦(DM-28)となる ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-28)となる ◎1971/12/16 解体のため売却 |
ドレックスラー | Drexler | DD-741 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/11/14 | ― | ![]() |
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ブルー | Blue | DD-744 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/3/20 | 1971/1/27 | 1974/2/1 | ◎1947/2/14 予備役に編入 ◎1949/3/14 再役 ◎1977/4/28 カリフォルニア沖にて標的として沈没 |
ブラッシュ | Brush | DD-745 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/4/17 | 1969/10/27 | 1969/10/27 | ![]() ◎1969/12/9 台湾に譲渡されHsiang Yangと改名 ◎1984 除籍、解体のため売却 |
![]() ↑Image courtesy of Shipbucket. |
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タウシッグ | Taussig | DD-746 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/5/20 | 1970/12/1 | 1974/2/1 | ◎1962/1/22 FRAM改装(〜1962/10/11) ◎1970/12/1 予備役に編入 ◎1974/5/6 台湾に譲渡され洛陽 Lo Yang(DD 14)と改名 ◎914となる ◎2000/2/16 退役 |
サミュエル N. ムーア | Samuel N. Moore | DD-747 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/6/24 | 1969/10/24 | 1969/10/24 | ◎1969/12/9 台湾に譲渡されHeng Yang(DD-2)と改名 ◎1995 除籍 |
ハリー E. ハバード | Harry E. Hubbard | DD-748 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/7/22 | 1969 | 1969/10/17 | ◎1947/1/15 予備役に編入 ◎1949/5/14 再役 ◎1949/12/12 退役 ◎1950/10/27 再役 ◎1970/7 解体のため売却 |
ヘンリー A. ワイリー | Henry A. Wiley | DD-749 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/8/31 | 1947/1/29 | 1970/10/15 | ◎1944/7/20 軽敷設艦(DM-29)となる ◎1947/1/29 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-29)となる ◎1972/5/30 解体のため売却 |
シア | Shea | DD-750 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/9/30 | 1958/4/9 | 1973/9/1 | ◎1943/12/23(1943/12/28?) 起工 ◎1944/5/20 進水 ◎1944/7/19(1944/7/20?) 艦種を軽敷設艦(DM-30)に改める |
J. ウィリアム・ディター | J. William Ditter | DD-751 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/10/28 | 1945/9/28 | 1945/10/11 | ◎1944/7/19 軽敷設艦(DM-31)となる![]() ◎1946/7 解体のため売却 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-31)となる |
アルフレッド A. カニンガム | Alfred A. Cunningham | DD-752 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/11/23 | 1971/2/24 | 1974/2/1 | ◎1947/5/12 予備役に編入 ◎1949/8 退役 ◎1950/10/5 再役 ◎1957/12 ロング・ビーチ海軍造船所にて修理改装 ◎1961/1 FRAM改装(〜1961) ![]() ◎1964年2月20日、本艦は6ヶ月間の西太平洋遠征のため、第232駆逐小艦隊 DesDiv 232のほかの艦とともにロング・ビーチを出発した。2月28日に真珠湾に到着したアルフレッド A. カニンガムは、3月23日に極東へ向けて出航するまで、現地で活動した。ハワイ出航直後、駆逐艦は沖縄沖で“クレイジー・ホース”作戦 Operation "Crazy Horse"に参加。4月7日、横須賀で1週間の保全整備を開始。この間、呉、佐世保、香港などに寄港した。6月9日から7月4日まで、台湾の高雄を出港し、台湾海峡の哨戒活動を行った。そののち、アルフレッド A. カニンガムは、海上自衛隊の艦船との共同作戦である“クロス・ティー”作戦 Operation "Crossed Tee"のため、日本海に赴いた。そののち、函館と横須賀に寄港、8月11日にロング・ビーチに帰着し、休暇、保全、現地での作戦に従事した。 11月15日、オーヴァーホールのためロング・ビーチ海軍造船所に入港。1965年3月15日にこのオーヴァーホール作業が完了すると、同艦はサン・ディエゴ海域での7週間の再訓練のためにロング・ビーチを出航した ◎1971/2/24 予備役に編入 ◎1979/10/12 カリフォルニア沖にて標的として沈没 |
ジョン R. ピアース | John R. Pierce | DD-753 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1944/12/30 | 1973/7/1 | ◎1947/1/24 退役 ◎1947/5/1 予備役に編入 ◎1949/4/5 再役 ◎1974/11/6 解体のため売却 |
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フランク E. エヴァンス (1、2、3) |
Frank E. Evans | DD-754 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1945/2/3 | 1969/7/1 | 1969/7/1 | ![]() ◎1969年6月6日、スービック湾の大型修理浮きドック(非自走)ウィンザー Windsor(ARD-22)で損傷したフランク E. エヴァンス。エヴァンスの 艦尾に掲げられたユニオン・ジャック Union Jackに注目。写真:PN2 Ron Treser 1971年4月26日、PAO CINCPAC Det-WESPAC。米国国立公文書館 United States National Archives、Photo No. NHF-124 ◎衝突事故後の査問委員会の招集 ◎1969/10/10 スービック湾にて標的として沈没 |
ジョン A. ボール | John A. Bole | DD-755 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1945/3/3 | 1970/11/6 | 1974/2/1 | ◎1961 FRAM改装(〜1962) ◎1974/5/6 台湾に譲渡され部品供給艦となる |
ビーティ | Beatty | DD-756 | ベスレヘム・スチール社スタテン・アイランド造船所 | 1945/3/31 | 1972/7/14 | 1972/7/14 | ◎1972/7/14 ヴェネズエラに譲渡されCaraboboと改名 ◎1981 除籍、解体のため売却 |
パトナム (1、2) |
Putnam | DD-757 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1944/10/12 | 1973/8/6 | ◎1950/10 予備役に編入![]() ◎1962/6 FRAM II改装(〜1963/3) ◎1974/6/24 解体のため売却 |
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ストロング | Strong | DD-758 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1945/3/8 | 1973/10/31 | 1973/10/31 | ◎1947/5/9 予備役に編入 ◎1949/5/14 再役 ◎1962/3 FRAM II改装(〜1962/12) ◎1973/10/31 ブラジルに譲渡されRio Grande Del Norte(D 35)と改名 ◎1995/12 退役 ◎1996/2/6 除籍 ![]() |
ロフバーグ | Lofberg | DD-759 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1945/4/26 | 1971/1/15 | 1973/2/1 | ◎1961 FRAM II改装(〜1962/7/23) ◎1974/5/6 台湾に譲渡され部品供給艦となる |
ジョン W. トーマソン | John W. Thomason | DD-760 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1945/10/11 | 1970/12/8 | 1974/2/1 | ◎1959/3 FRAM改装 ◎1974/5/6 台湾に譲渡され南陽 Nan Yang(917)と改名 ◎2000/1/16 退役 |
バック | Buck | DD-761 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1946/6/28 | 1973/7/15 | ◎1973/7/16 ブラジルに譲渡されAlagoas(D 36)と改名 ◎1995/6/30 退役、除籍 |
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ヘンリー | Henley | DD-762 | ベスレヘム・スチール社サン・フランシスコ造船所 | 1946/10/8 | 1973/7/1 | ◎1950/3/15 予備役に編入 ◎1950/9 再役 ◎1974/6/24 解体のため売却 |
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ロウリー | Lowry | DD-770 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/7/23 | 1973/10/31 | ◎1947/6/30 予備役に編入 ◎1950/12/27 再役 ◎1960 FRAM II改装(〜1961/1/14) ◎1973/10/31 ブラジルに譲渡されEspirito Santo(D 38)と改名 ◎1996/2/2 除籍 |
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リンジー (1、2) |
Lindsey | DD-771 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/8/20 | 1946/5/25 | 1970/10/1 | ◎1943/9/12 起工 ◎1944/3/5 進水 ◎1944/7/19 艦種を軽敷設艦(DM-32)に改める |
グウィン | Gwin | DD-772 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/9/30 | 1958/4/3 | 1971/10/22 | ◎高速敷設艦(DM-33)となる ◎1946/9/3 予備役に編入 ◎1952/7/8 再役 ◎1958/4/3 予備役に編入 ◎1969/1/1 高速機雷敷設艦(MMD-33)となる ◎1971/8/15 トルコに譲渡されMuavenet(DM 357)と改名 ![]() ◎1992 除籍、解体のため売却 |
アーロン・ウォード (1、2) |
Aaron Ward | DD-773 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/10/28 | 1945/9/28 | 1945/10/11 | ◎1943/12/12 起工 ◎1944/5/5 進水 ◎1944/7/19 艦種を軽敷設艦(DM-34)に改める |
ヒュー W. ハドリー (1、2) |
Hugh W. Hadley | DD-774 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/11/25 | 1945/12/15 | 1946/1/8 | ◎1944/2/6 起工 ◎1944/7/16 進水 ![]() ◎1945/7/15 慶良間列島の浮きドックにて入渠、Buckner Bayへ艦隊航洋曳船アヴォイエル Avoyel(ATF-150)が曳航、のちに本国へ曳航(1945/9/26到着) ![]() (↑日本海軍空技廠特殊攻撃機桜花一一型(MXY7)) ◎1947/9/2 解体のため、サン・フランシスコのWalter W. Johnson Co. に売却 |
◎Okinawa. | |||||||
ウィラード・キース | Willard Keith | DD-775 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1944/12/27 | 1972/7/1 | 1972/7/1 | ◎1946/6/20 予備役に編入 ◎1950/10/23 再役 ◎1972/7/1 コロンビアに譲渡されCaldas(DD 02)と改名 ◎1977 除籍、解体のため売却 |
ジェームズ C. オーウェンス | James C. Owens | DD-776 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1945/2/17 | 1973/7/15 | 1973/7/15 | ◎1950/4/3 退役 ◎1950/9/20 再役 ◎1962/1/11 FRAM II改装(〜1962) ◎1973/7/15 ブラジルに譲渡されSergipe(D 35)と改名 ◎1995/10/17 除籍 |
ゼラーズ | Zellars | DD-777 | トッド・パシフィック造船所 | 1944/10/25 | 1971/3/19 | 1971/3/19 | ◎1959 FRAM II改装(〜1960/6) ◎1971/3/19 イランに譲渡されBabr(DDG 7)と改名 ◎61となる ◎1994 解体のため売却 |
マッシー | Massey | DD-778 | トッド・パシフィック造船所 | 1944/11/24 | 1969 | 1973/9/17 | ◎1963/4 FRAM改装 ◎1974/11/13 解体のため売却 |
ダグラス H. フォックス | Douglas H. Fox | DD-779 | トッド・パシフィック造船所 | 1944/12/26 | 1973/12/15 | 1973/12/15 | ◎1950/4/21 予備役に編入 ◎1950/11/15 再役 ◎1974/1/8 チリに譲渡されMinistro Portalesと改名 ◎1990 除籍、解体のため売却 |
ストームズ (1、2) |
Stormes | DD-780 | トッド・パシフィック造船所 | 1945/1/27 | 1970/12/5 | 1972/2/16 | ![]() ◎1960/6/3 FRAM II改装(〜1961/1/5) ◎退役後、保管 ◎1972/2/16 イランに譲渡されPalang(DDG 9)と改名(1、2、3、4) ◎1980年代 艦種記号をD 62に改める ◎1994 解体 |
ロバート K. ハンティントン | Robert K. Huntington | DD-781 | トッド・パシフィック造船所 | 1945/3/3 | 1973/10/31 | 1973/10/31 | ◎1960 FRAM改装(〜1961) ◎1973/10/31 ヴェネズエラに譲渡されFalconと改名 ◎1981 除籍、解体のため売却 |
ブリストル | Bristol | DD-857 | ベスレヘム・スチール社サン・ペドロ造船所 | 1945/3/17 | 1969/11/21 | ◎1969/12/5 台湾に譲渡されHua Yang(903)と改名 ◎1993 除籍、解体のため売却 |
Update 24/08/19