ブルー・エンジェルズ
飛行デモンストレーション飛行隊 Flight Demonstration Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1946年設立。1931年に結成されたフランスの“パトルイユ・ド・フランス Patrouille de France”に次いで、世界で2番目に古い公式曲芸飛行隊。海軍5名のパイロットと海兵隊1名のパイロットで構成されるチーム。“ブルー・エンジェルズ”は通常、全米30か所で年間60回以上、カナダの1か所で2回の航空ショーを行っている。1946年以来、“ブルー・エンジェルズ”は505,000,000人以上の観客のために飛行している。2011年11月現在、ブルー・エンジェルズは国防総省の年間予算から年間$37,000,000を受け取っている。ニックネームはBlue Angels(1946年~)

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 駐留日
NAS Jacksonville 1946
NAS Corpus Christi 1947/5
NAAS Whiting Field 1949/9/10
NAS Pensacola 1954冬
NAF El Centro 1954/12
冬期
航空機の割り当て 初受領日
F6F-5 1946/6
F8F-1 1946/8
F9F-2B 1949/7/13
F9F-5 1951
F7U 1952末
F9F-8 1954冬
F11F-1 1957中頃
F-4J 1969
A-4F 1974/12
F/A-18A(7番機はF/A-18B 1986/11/8
F/A-18C(7番機はF/A-18D 2010
F/A-18E(7番機はF/A-18F 2020/11/4
1952年後半に2機のF7Uを受領し、1953年のシーズン中にサイドデモンストレーションとして飛行したが、当時F9Fを使用していた正規のフォーメーションには含まれない。パイロットと地上職員はこの機体に満足できず、チームの主力機として使用する計画は中止された
日付 主な出来事
1946/4/24 ラルフ・デイヴィソン中将 Rear Admiral Ralph Davisonは、第二次大戦の戦闘機エースであったロイ・マーリン“バッチ”ヴォーリズ少佐 Lieutenant Commander Roy Marlin "Butch" Vorisを自ら選び、飛行デモンストレーション・チームの編成と訓練を担当させ、責任者兼フライト・リーダーとして任命した。“ブルー・エンジェルズ”は元々1946年4月に海軍飛行展示チーム Navy Flight Exhibition Teamとして結成された。ニュー・ヨークのナイトクラブ“ブルー・エンジェル・サパー・クラブ The Blue Angel Supper Club”としても知られるブルー・エンジェル The Blue Angelの広告をニュー・ヨークー・マガジン New Yorker Magazineで見て、“ブルー・エンジェルズ”と改名した
1946/7 航空ショーで初めて“ブルー・エンジェルズ”として発表された
最初のブルー・エンジェルズのデモ機はネイヴィー・ブルー navy blue(ほぼ黒)に金の文字が入った服を着ていた。現在の青と黄色の色合いは、1946年8月に最初のデモ機がF6F-5からF8F-1に移行した際に採用されたもので、1949年のショー・シーズン show season中は青いマーキングのある黄色一色の機体を使用していた
1948/1 1948年1月、ローリー・ローズ中佐がブルーエンジェルス・チームの指揮を執り、4機のベアキャットと“ビートル・ボム Beetle Bomb”と呼ばれるアメリカ海軍のマーキングが施された黄色い塗装のSNJを飛行させ、ベアキャットとの航空ショーでの空中戦ではSNJが日本の零戦を演出していた。また、ベアキャットには“ブルー・エンジェルズ”の名前が描かれていた
1949 3代目フライトリーダーで初のジェット戦闘機リーダーであるローリー“ダスティ”ローズ中佐 Lt. Commander Raleigh "Dusty" Rhodesによって、オリジナルの徽章または紋章がデザインされた。航空機のシルエットは、チームが航空機を変更するたびに変化する
1949 1949年には、ショー会場への輸送用にR4Dを導入。また、SNJの代わりに、空戦用に黄色に塗装されたベアキャットが導入され、“ビートル・ボム”のニックネームが受け継がれた
1949/8 プロペラ機から青と金のジェット機(F9F-2B)へ移行した
1950/4/24 ペンサコラで行われた訓練ショーで離陸時に墜落し、“ブルーズ”パイロットのロバート・ロングワース大尉 Lt. Robert Longworthが死亡するまで、F8F-1“ビートル・ボム”はメインショーの前のソロ曲技飛行に追いやられた
1950 7月30日にテキサス州のダラス海軍航空基地 NAS Dallasで行われた展示会の後、飛行隊とそのメンバーは“戦闘準備状態”を命じられた。ブルー・エンジェルズは解散し、そのパイロットは航空母艦に乗艦されることになった。11月9日に航空母艦プリンストン Princeton(CV-37)に乗艦したグループは、第二次大戦の戦闘機エースで1950年のブルー・エンジェルズ司令官/フライト・リーダー Blue Angels Commander/Flight Leaderのジョン・マグダ中佐 Lt. Commander John Magdaの指揮下で“サタンズ・キトンズ Satan's Kittens”こと第191戦闘飛行隊(VF-191)の中核を形成したが、彼は1951年3月8日に戦死している
1951/10/25 “ブルー・エンジェルズ”は飛行デモンストレーション・チームとして再活動を命じられ、テキサス州のコーパス・クリスティ海軍航空基地 NAS Corpus Christiに報告した。ヴォーリズ少佐は再びチームの編成を任された(彼は2度チームを率いた2人の指揮官のうちの最初の一人である)
1952 “ブルー・エンジェルズ”デモンストレーション・チームは、1952年に革ジャンと“ブルー・エンジェルズ”徽章の入った特別な色のフライト・スーツ flight suitsを着用するようになった。1953年には、シーズンの最初のショーや飛行実演隊のマイルストーンを記念して、金色をした飛行服を着用するようになった
1954 初の海兵隊パイロットであるチャック・ヒエット大尉 Captain Chuck Hiettが海軍の飛行デモンストレーション・チームに参加した。ブルー・エンジェルズはまた、特別な色のフライト・スーツを受け取った
1956/9 チームは6機目を追加してオポージング・ソロ Opposing Solo positionの位置で飛行実演を行い、カナダのオンタリオ Ontario州トロント Torontoで開催された国際航空博覧会でアメリカ国外初の公演を実施した。また、兵站用の航空機をR5Dにアップグレードした
1957 デモンストレーション・チーム(“エンジェル6 Angel 6”を加えた)は、そのシーズン最初の航空ショーで金色のフライト・スーツを着用
1958 このシーズンから初めて6機のデルタ・マニューヴァ Six-Plane Delta Maneuversが追加された
1950年代 1950年代、チームのVIP輸送機としてT-33が使用された
1968 輸送機C-54VC-121Jに変更
1969 1969年、“ブルーズ”は2人乗りのF-4Jに移行し、飛行デモンストレーションではほぼ常に後部座席を空席にした。ファントムIIは、“ブルーズ”とアメリカ空軍の“サンダーバーズ Thunderbirds”(“バード”)の両方で飛行した唯一の機体
1970 “ブルーズ”は海兵隊のKC-130Fを初めて受領し、全員が海兵隊員で乗務
1972 “ブルー・エンジェルズ”は1970年3月1日から1971年12月31日までの2年間に対して、海軍功労部隊表彰 Navy's Meritorious Unit Commendationを受賞した。1973年にもヨーロッパ・ツアーを行い、テヘラン、イラン、イギリス、フランス、スペイン、トルコ、ギリシャ、イタリアで航空ショーを行った
1973/12/10 海軍飛行展示隊 Navy Flight Exhibition Teamは再編され、アメリカ海軍飛行デモンストレーション飛行隊 United States Navy Flight Demonstration Squadronに改編された。“ブルーズ”の任務は、より海軍の勧誘にあった
1974 “ブルー・エンジェルズ”は新型のA-4Fに移行した。海軍のアンソニー・レス司令官 Navy Commander Anthony Lessは、飛行隊の最初の隊長とフライト・リーダーになった
1975 “ファット・アルバート Fat Albert”はジェット・アシスト離陸 Jet Assisted Take Off: JATO)と特定の会場でのメイン・イヴェントの直前の短い空中デモンストレーションに使用されたが、JATOデモンストレーションはロケットの供給が減少したため2009年に終了した。“ファット・アルバート航空 Fat Albert Airlines”は3名の士官と5名の下士官からなる“オールマリーン”の乗員で飛行
1986 ドニー・コクラン少佐 LCDR Donnie Cochranはアフリカ系アメリカ人初の海軍飛行士として“ブルー・エンジェルズ”に入隊した。彼は更に2年間、3番機のA-4Fの左翼手として飛行隊で勤務し、1995年と1996年に“ブルー・エンジェルズ”を指揮するために戻って来た
1986/11/8 “ブルー・エンジェルズ”は40周年記念の年を終え、75周年記念の年まで使用することになるF/A-18の除幕式が行われた
1998 パトリック・ドリスコル中佐 CDR Patrick Driscollは、“霞がかった灰色で航行中”の原子力汎用航空母艦ハリー・S・トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)に初めて“ブルー・ジェット”による着艦を成功
1999/10/8 “ブルー・エンジェルズ”は2名のパイロットを失った。LCDRキエロン・オコナー少佐 LCDR Kieron O'Connorとケヴィン・コリング大尉 LT Kevin Collingは航空ショーの前の練習飛行から戻る途中、F/A-18Bがジョージア南部の森林地帯に墜落した
2000 海軍は1999年10月に発生した“ブルー・エンジェルズ”パイロット2名の遭難事件に関連した調査を実施していた。F/A-18のパイロットはGスーツを着用する必要がなく、現在も着用していない
2007/4/21 サウス・カロライナ州のビューフォート海兵隊航空基地 MCAS Beaufortでの航空ショー中に、6号機がコントロールを失い、Gフォースによる意識喪失(G-force-induced Loss Of Consciousness: G-LOC)で墜落し、パイロットのケヴィン“コジャック”デイヴィス Kevin "Kojak" Davisが死亡、地上の8名が負傷した
2009 “ファット・アルバート”は2009年のペンサコラ・ホームカミング・ショー Pensacola Homecoming showで最後のJATOデモンストレーションを行い、残りの8本のJATOボトルを使い果たした。このデモンストレーションは、飛行隊の最後のJATOパフォーマンスであっただけでなく、アメリカ海兵隊の最後のJATO使用でもあった。2009年、“ブルー・エンジェルズ”はサン・ディエゴ航空宇宙博物館 San Diego Air & Space Museumにて国際航空宇宙殿堂 International Air & Space Hall of Fame入りを果たした
2011/5/22 “ブルー・エンジェルズ”はヴァージニア州リンチバーグ Lynchburgで開催されたリンチバーグ・リージョナル・エアショー Lynchburg Regional Airshowでパフォーマンスを行っていたが、ダイアモンド編隊 Diamond formationが必要最低高度より低い高度でバレル・ロール・ブレーク・マニューヴァ Barrel Roll Break maneuverを行った。このマニューヴァは中止され、残りのデモはキャンセルされ全機無事着地した。5月26日、“ブルー・エンジェルズ”は海軍兵学校卒業式 Naval Academy Graduation Ceremonyでの伝統的な飛行を行わないこと、ニュー・ジャージー州ミルヴィル Millvilleで行われるミルヴィル・ウィングス・アンド・ウィールズ・エアショー Millville Wings and Wheels Airshowでの2011年5月28日から29日の公演を中止することを発表した
2011/7/29 ウィスコンシン州オシコシ Oshkoshで7月25日から31日まで開催された実験航空機協会エアヴェンチャー・オシコシ Experimental Aircraft Association AirVenture Oshkosh(オシコシ航空ショーOshkosh Air Show)の毎年恒例の夏の航空愛好家の集まりで、541,000人の参加者と2,522機の展示機が競り落とされたブルー・エンジェルズ・マスタングGT Blue Angels Mustang GTが$400,000で、落札された
2014/7 海兵隊のC-130パイロット、ケイティ・ヒギンズ大尉 Capt. Katie Higginsは“ブルー・エンジェルズ”に参加する最初の女性パイロットとなり、2015年と2016年のショー・シーズンで支援機“ファット・アルバート”を操縦していた
2016/6/2 2016年6月2日、テネシー州スマーナ Smyrnaで行われたThe Great Tennessee Air Showの練習飛行中に、ジェフ“クーチ”クス大尉 Captain Jeff "Kooch" Kussがオポジング・ソロ Opposing SoloのホーネットでSplit-Sマニューヴァ Split-S maneuverを実行中に離陸直後死亡した。海軍の調査によると、クス大尉はアフターバーナーからスロットルを戻し損ねたまま操縦を行ったため、落下速度が速すぎ、地上での回復速度が低すぎたことが判明。クス大尉は脱出したが、パラシュートはすぐに炎に包まれ、そのまま落下して死亡
2016/7 2016年7月、ボーイングはF/A-18E/Fを“ブルー・エンジェルズ”用に改造するためのエンジニアリング提案を開始する$12,000,000の契約を獲得し、提案は2017年9月に完了する予定である
2019/5 “ファット・アルバート”(Bu.No. 164763)は、2019年5月に30,000飛行時間で現役を退いた。“ブルー・エンジェルズ”は元イギリス空軍のC-130J(Bu.No. 170000)に置き換えた
2020 コロナ・ウイルス Coronavirus outbreakの発生に対応して、“ブルー・エンジェルズ”は医療と最前線の労働者に敬意を表して、アメリカの複数の都市の上空を飛行した
2020/11/4 F/A-18E/Fに正式に移行
2022/7 アマンダ・リー大尉 Lt. Amanda Leeが“ブルー・エンジェルズ”でデモンストレーション・パイロットを務める初の女性として発表された
The Blue Angels」は、デニス・クロス Dennis Crossドン・ゴードン Don Gordonが主演したドラマチックなTVシリーズで、チームの活躍に着想を得て、海軍の協力を得て撮影された。1960年9月26日から1961年7月3日までシンジケーション放送された
Threshold: The Blue Angels Experience」は1975年のドキュメンタリー映画で、「デューン Dune」の作者フランク・ハーバート Frank Herbertが脚本を担当し、F-4JファントムII時代のチームの練習とパフォーマンスをフィーチャーした。「Threshold」で開拓された航空写真技術の多くは、のちに映画会社パラマウントの映画「トップガン Top Gun」で使用された
1976年の開館以来、スミソニアン航空宇宙博物館 Smithsonian Air and Space Museumで上映されているIMAXの短編映画「To Fly!」では、“ブルー・エンジェルズ”のA-4スカイホークの尾翼に設置されたカメラからの映像をパイロットがショーでパフォーマンスする際に使用している
1981年、“ブルー・エンジェルズ”はアメリカ空軍の“サンダーバーズ Thunderbirds”とともに、日本で発売されたレーザーディスク「ブルーエンジェルス/サンダーバーズ」で特集された
“ブルー・エンジェルズ”は、ロック・アーティスト、ヴァン・ヘイレン Van Halenの1986年のミュージック・ヴィデオ「Dreams」にA-4スカイホークが登場
1987年、“ブルー・エンジェルズ”は「Rolling in the Sky: F/A-18 Blue Angels」に登場した
1996年、“ブルー・エンジェルズ”はIMAX短編映画「The Magic of Flight」に出演。「The Magic of Flight」は“ブルー・エンジェルズ”・ジェット機のコックピットに観客を没入させ、高性能飛行のスリルを体験させる。トム・セレック Tom Selleckがナレーションを務め、1903年のライト兄弟のキティホークでの初飛行から今日の超音速飛行まで、飛行の歴史をたどる。このエネルギッシュな作品は、飛行の楽しさを伝えると同時に、訓練と技術の重要性を強調している
2005年、ケーブルTVネットワーク・チャンネルのディスカバリー・コミュニケーションズ社(ディスカバリー・チャンネル)のドキュメンタリー・ミニシリーズ「Blue Angels: A Year in the Life」を放映した。その年の訓練とパフォーマンス・スケジュールの複雑な日々の詳細に焦点を当てた
2009年、ケーブルTVネットワーク・チャンネルのディスカバリー・コミュニケーションズ社(ディスカバリー・チャンネル)のドキュメント番組「怪しい伝説 MythBusters」は“ブルー・エンジェルズ”の協力を得て、ソニックブームがガラスを砕くという俗説を検証した
「Blue Angels and the Thunderbirds」は4枚組のスカイ・トラックスDVDセットで、2012年TOPICS Entertainment, Inc. から発売された。「Blue Angels and the Thunderbirds」は、1947年から2008年までの2つの飛行飛行隊の歴史、議会予算と研究プログラム資金の変化に関する画面上の注釈、フォト・ギャラリーのスライドショー、F/A-18ホーネットのC、E、F型の開発(10分)と解説付きF-22の映像(20分)を含む、コックピットの内側と外側から撮影された米国で行われた航空ショーのハイライトを収録している
2024年、“ブルー・エンジェルズ”はIMAXの長編映画「The Blue Angels」に出演した。海軍と海兵隊の飛行隊のヴェテランと新米クラスが、激しい訓練を経て、心臓が止まるような空中芸術のシーズンに入るまでを追う

↑海軍飛行展示飛行隊“ブルー・エンジェルズ”所属F11F-1(後期生産型)

↑海軍飛行展示飛行隊“ブルー・エンジェルズ”所属F/A-18A

↑PENSACOLA, Fla. (July 26, 2023) - A T-6A Texan II assigned to the "Wildcats" of Training Squadron (VT) 10, a T-45C Goshawk assigned to the "Sabrehawks" of VT-86 and a F/A-18F Super Hornet assigned to the U.S. Navy Flight Demonstration Squadron the Blue Angels fly in formation over the Gulf of Mexico, south of Pensacola, Florida, July 26, 2023. VT-10 and VT-86 are two of the Navy's premier Naval Flight Officer (NFO) training squadrons assigned to the Chief of Naval Air Training (CNATRA). In addition, CNATRA oversees the operations of the Blue Angels. CNATRA's mission is to train, mentor and deliver the highest quality Naval Aviators who prevail in crisis, competition and conflict. (U.S. Navy photo by Lt. Antonio "Gemma" Moré)

↑North Kingstown, R.I. (June 26, 2003) - The U.S. Navy's Flight Demonstration Team, "Blue Angels" soars over Old Glory as they perform the "Delta Formation" during an air show in North Kingstown, R.I., celebrating the centennial of powered flight. U.S. Navy photo by Photographer's Mate 2nd Class Saul McSween. (RELEASED)

↑US Navy Blue Angels. Image courtesy of Naval Analyses.

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 24/05/25