海兵戦闘飛行隊 Marine Fighter Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第223海兵戦闘飛行隊(Marine Fighter Squadron 223: VMF-223)は1942年5月1日、ハワイ・オアフ島のエワ海兵航空基地 MCAS Ewaで就役した。のちに第223海兵攻撃飛行隊(Marine Attack Squadron 223: VMA-223)はに改編。ニックネームはBulldogs
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAS Ewa | 1942/5/1 |
MCAS El Toro | |
MCAS Cherry Point | 1948 |
MCAS El Toro | 1970/2 |
MCAS Yuma | |
MCAS Iwakuni | 1976/6 |
MCAS Cherry Point | 1977/8 |
日付 | 主な出来ごと |
1942/5 | 第223海兵戦闘飛行隊(Marine Fighter Squadron 223: VMF-223)は1942年5月1日、ハワイ・オアフ島のエワ海兵航空基地 MCAS Ewaで就役した。“ブルドッグ Bulldogs”最初の作戦機はF2Aであった。彼らはF4Fを装備して戦闘のためにハワイを出発した。VMA-223は、1942年8月20日にヘンダーソン・フィールド Henderson Fieldに着陸したとき、ガダルカナルの戦いで戦闘に投入された最初の戦闘機飛行隊となった。到着後、飛行隊は“カクタス空軍 Cactus Air Force”の一部となり、そののち2ヶ月間、ガダルカナル上空の支配権をめぐってラバウルを拠点とする日本軍パイロットと激戦を繰り広げた。VMF-223は1942年10月13日、日本のエース笹井淳一の撃墜を含む83機の敵機撃墜を記録してガダルカナル島を出発した。飛行隊の二大エースは、19機の撃墜を確認した指揮官ジョン L. スミス少佐 Major John L. Smithと16機の撃墜を記録したマリオン E. カール大尉 Captain Marion E. Carlであった。スミスは英雄的行為に対して名誉勲章 Medal of Honorを授与されることになり、カール大尉はこれらの行動に対して2つの海軍十字章 Navy Crossのうち最初のものを授与されることになった。これらの勝利は6名のパイロットの死傷という犠牲を払うことになり、まだ運用可能なワイルドキャットは8機のみであった。新型のF4Uを装備した“ブルドッグ”は、フィリピンや沖縄などで戦い続けた。戦争中、2つの大統領部隊賞 Presidential Unit Citationが授与され、飛行隊の戦闘色に付けられた |
1948 | 1948年にエル・トロ海兵航空基地 MCAS El Toroからチェリー・ポイント海兵航空基地に移転したのち、VMA-223は空母飛行隊となった。同飛行隊は1949年、航空母艦レイテ Leyte(CV-32)で地中海に展開した |
1950/7 | “ブルドッグ”は1950年7月にジェット時代に入り、最初のジェット機であるグラマンF9Fパンサーを受領した。1957年8月、飛行隊はFJ-4Bを装備した。比較的短期間の1961年1月、フューリーはA4Dに取って代わられた |
1965/12 | 1965年12月、“ブルドッグ”はふたたび極東での戦闘任務の要請を受け、今度は南ヴェトナムのチュー・ライ Chu Laiに赴いた。同盟軍の地上部隊を支援し、飛行時間は32,000時間を超えた |
1967/5 | 1967年5月、同飛行隊は記録的な1,234回の戦闘出撃を行い、これはヴェトナムで活動する攻撃飛行隊としては月間の総飛行回数としては断トツの記録であった |
1970/2 | 1970年2月、極東での約5年半の活動ののち、“ブルドッグ”は第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)に編入され、エル・トロ海兵航空基地に戻った |
1975/5 | 1975年5月、飛行隊は新しいA-4Mを受領した |
1976/7 | 1976年7月、VMA-223はユマ海兵航空基地 MCAS Yumaから日本のMCAS岩国 MCAS Iwakuniに移転した |
1977/8 | 1977年8月、VMA-223は日本から戻り、ノース・カロライナ州チェリー・ポイントに駐留する第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)に合流した。1970年代後半から1987年に移行するまで、VMA-223はA-4MスカイホークIIを飛行させた。VMA-223は、機体側面にA-4スカイホークを運用した各国の国旗が描かれた特別記念塗装を施されたA-4Mの最終生産機を運用した。1987年10月、VMA-223はAV-8Bに移行した。VMA-223ハリアーIIは、第二次大戦における飛行隊の歴史へのオマージュとして、特徴的な“旭日旗 rising sun”ラダー・パターンを採用している |
1989 | 1989年、飛行隊の一部はHMM-264に所属する強襲揚陸艦(汎用)ナッソー Nassau(LHA-4)に6ヶ月間配備された。イタリア、スペイン、ポルトガル、モナコ、フランス、イスラエルなどを訪問した |
1990/3 | 1990年3月、“ブルドッグ”は第22海兵遠征ユニット 22 MEUを支援するため、強襲揚陸艦(汎用)サイパン Saipan(LHA-2)に2度目の第6艦隊デプロイメント 6th Fleet Deploymentを行った。この分遣隊は“シャープ・エッジ作戦 Operation Sharp Edge”に参加し、リベリア上空での非戦闘員避難作戦(non-combatant evacuation operations: NEO)を支援する武装戦闘航空哨戒任務を飛行した |
1991/1 | 1991年1月、“ブルドッグ”は6機の分遣隊をスペインのロタ海軍基地に派遣し、“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”を支援した。ブルドッグはナッソーと強襲揚陸艦イオー・ジマ Iwo Jima(LPH-2)の甲板を短期間占拠した。分遣隊は2月までロタに留まり、スペイン軍と訓練を行った |
2001 | VMA-223は2001年から2002年にかけて、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”の初期段階においてアフガニスタン上空で戦闘任務を遂行した |
2003/1 | 2003年1月、同飛行隊は第2海兵遠征旅団(2nd Marine Expeditionary Brigade: 2nd MEB)の一員として強襲揚陸艦(多目的)キアサージ Kearsarge(LHD-3)に配備された。ペルシャ湾北部に到着後、強襲揚陸艦(多目的)バターン Bataan(LHD-5)に移動し、2003年のイラク侵攻を支援する戦闘任務を開始した。この間、飛行隊は無事故飛行時間50,000時間を突破した |
2005夏 | VMA-223は2005年夏の終わり、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するためにイラクに展開した。2006年2月10日のイラク上空での戦闘任務中に、飛行隊は60,000クラスA無事故飛行時間の大台を突破した。このマイルストーンは、AV-8B機に関連するメンテナンスと安全性の問題を考慮すると、さらに印象的である。2011年10月から2012年4月まで、VMA-223は不朽の自由作戦を支援するために派遣された |
VMA-223は現在もAV-8BハリアーIIを運用しているが、2027年に退役させ、F-35に置き換える計画である | |
米海軍および米海兵隊の航空飛行隊では、フライング・エースまたはファイター・エースとは、空中戦で5機以上の敵機を撃墜した功績を持つ海軍飛行士または海軍飛行士を指す。VMA-223の以下の海兵隊員は5回以上の戦果を挙げている ジョン・ルシアン・スミス John Lucian Smith→19.0機 マリオン・ユージーン・カール Marion Eugene Carl→18.5機 ケネス D. フレイジャー Kenneth D. Frazier→12.5機 ローレン D. エヴァートン Loren D. Everton→12.0機 ユージン A. トローブリッジ Eugene A. Trowbridge→12.0機 フレッド E. ガット Fred E. Gutt→8.0機 フレデリック R. ペイン Frederick R. Payne→7.5機 ゼネス A. ポンド Zenneth A. Pond→6.0機 チャールズ・ケンドリック Charles Kendrick→5.0機 ハイド・フィリップス Hyde Phillips→5.0機 オーヴィン H. ラムロ Orvin H. Ramlo→5.0機 |
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VMA-223の2機のハリアーIIとそのパイロットは映画会社20世紀フォックスの1994年の映画「トゥルーライズ True Lies」で使用された。VMA-223の2機のAV-8BハリアーIIは、2010年8月21日にテネシー州ブリストルで開催されたNASCARレースのフライオーヴァーに使用された |
↑Grumman F9F-2 "Panther" jet fighter. On the deck edge elevator of USS Franklin D. Roosevelt (CVB-42), circa 1950. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.
Update 23/11/11