戦闘機、戦闘攻撃機

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※FYは会計年度 Fiscal Yearの略。kNは1kN=102.0kgf=102.0kg
グラマン社(現ノースロップ・グラマン社)製 初飛行:1947年11月24日(XF9F-2) F9F-5データ=全幅:11.58m 全長:11.85m 全高:3.76m 翼面積:23.23m² 空虚運用重量:4,603kg 最大離陸重量:8,492kg パワープラント:定格推力27.80kNのプラット&ホイットニー製J48-P-6Aターボジェット・エンジン1基 水平飛行最大速度(海面高度):972km/h 初期上昇率:1,829m/min 実用上昇限度:13,045m 航続距離:2,092km 兵装:機関砲:M3 20mm機関砲4門 無誘導弾薬:爆弾、ロケット弾最大1.361t 乗員:1名
※社内呼称モデル79D(G-79D)
※1962年9月18日の3軍統一命名法によりF9FはF-9になる
↑F9F-5
↑Grumman F9F-2 "Panther" jet fighter. On the deck edge elevator of USS Franklin D. Roosevelt (CVB-42), circa 1950. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.

↑Image courtesy of Shipbucket.
FY Block No. Bu.No. 機数、備考1 備考2
XF9F-2 122475 ◎1機
XF9F-3 122476 ◎1機
XF9F-2 122477 ◎1機
F9F-3 122560~122562 ◎3機
F9F-2 122563 ◎1機
F9F-3 122564~122566 ◎3機
F9F-2 122567 ◎1機
F9F-3 122568 ◎1機
F9F-2 122569、122570 ◎2機
F9F-3 122571 ◎1機
F9F-2 122572 ◎1機
F9F-3 122573~122585 ◎13機
F9F-2 122586~122589 ◎4機
F9F-2 123016~123019 ◎4機
F9F-3 123020~123043 ◎24機
F9F-2 123044~123067 ◎24機
F9F-3 123068~123076 ◎9機 123072は民間登録No. N72WPを割り当てられる
F9F-2 123077~123083 ◎7機 123078は1997年に民間登録No. N9525Aを割り当てられる
XF9F-4 123084 ◎1機
XF9F-5 123085 ◎1機
XF9F-4 123086 ◎1機 静的試験のテストベットに使用
F9F-3 123087(キャンセル) ◎1機
F9F-2 123397~123740 ◎344機 123714~123740はキャンセル 1950年9月17日にエドワード・ジャクソン Jr. 少尉 ENS Edward Jackson Jr. はVF-112所属のF9F-2B Bu.No. 123511(Modex No. V-216)に乗って敵地の上空100フィートを高速で飛行していたところ、ソウルのすぐ南にある漢江に張られたケーブルに衝突した。戦闘機のキャノピーが破壊され、ジャクソンは約20秒間意識を失った。意識を取り戻すと、ジェット機が急上昇旋回をしており、顔の裂傷から目の中に血が流れ込んで視界がほぼ100%損なわれていた。ジャクソンは僚機のデイル・クロウ少尉 Ens Dayl Crowに無線連絡し、高度と方向の指示を求めた。そののち、機体を減速させ、航空母艦フィリピン・シー Philippine Sea(CV-47)まで120マイル飛行した。下降区間では、CVG-11の着艦信号士官(Landing Signal Officer: LSO)、L. K. ブルーストル中尉 Lt(jg) L. K. Bruestleがクロウから交代し、無線指示でジャクソンを空母の短く揺れるフライト・デッキに奇跡的に“通常の”着艦に導いた。Bu.No. 123511はすぐに修理され、残りのクルーズを完了した。このジェット機は1951年9月にVF-191に引き継がれ、1952年3月にVF-23に、その5か月後にはVF-93に加わった。1952年12月にCVG-9の一部として後者の部隊に展開したが、1953年1月31日、CVG-9が朝鮮半島での戦闘作戦を開始したまさにその日に、攻撃航空母艦フィリピン・シー(CVA-47)に乗ってハード・ランディング、機体は廃棄されたTHE AVIATION GEEK CLUBより
F9F-5 125080 ◎1機
F9F-4 125081 ◎1機
F9F-5 125082 ◎1機
F9F-2 125083~125155 ◎73機
F9F-4 125156~125227 ◎72機
F9F-5 125228~125313 ◎86機
F9F-5P 125314~125321 ◎8機
F9F-5 125414~125443 ◎30機
F9F-5 125447~125476(キャンセル) ◎30機
F9F-5 125489~125499 ◎11機
F9F-5 125533~125648 ◎116機
F9F-5 125893~125912 ◎20機
F9F-4 125913~125948 ◎36機 何機かはF9F-5として引き渡される
F9F-5 125949~126256 ◎308機 126226は1983年にカンザス州トペカの空戦博物館に展示
F9F-5P 126265~126290 ◎26機
F9F-5 126627~126669 ◎43機 126668は後にに民間登録No. N780を割り当てられる
F9F-2 127086~127215 ◎130機 127092(アルゼンチン海軍のシリアル・ナンバー0422)、127139(0420)、127187(0424)、127190(0423)、127207(0425)は1958年12月にアルゼンチン海軍へ。127087(0449)は1961年1月にアルゼンチン海軍へ。127099(0450)、127102(0451)、127109(0454)、127171(0452)、127184(0456)、127189(0457)、127193(0458)、127206(0453)は1963年4月にアルゼンチン海軍へ。127147(0455)、127186(0417)は後にアルゼンチン海軍へ
F9F-5P 127471、127472 ◎2機


Update 24/11/14