小型輸送艦、軽輸送艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- 排水量:512t(520tともいわれる、AKL-14は515t) 全長:53.94m(AKL-44は53.79m) 幅:9.98m(10.05mともいわれる、AKL-44は9.75m) 吃水:3.04m(4.34mともいわれる、AKL-44は2.81m) 主機/軸数:ジェネラル・モータース・クリーヴランド部門式6-278A 6-cyl. V6ディーゼル2基/2軸 出力:1,000軸馬力 速力:12.0kt(AKL-2、AKL-14は13.0kt) 兵装:12.7mm機銃2基(AKL-2、AKL-14) 乗員:26名(27名ともいわれる、AKL-14は52名)
- ※大型貨物補給船381型と貨客船381-A型を改装
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
カマーノ (1、2) |
Camano | AKL-1 | Wheeler Shipbuilding Corp. | 1947/7/16 | 1951/7/26 | 1959 | ◎1949/3/31 艦種を軽輸送艦(AKL-1)に改める ◎1949夏 真珠湾にてオーヴァーホール ◎退役後、内務省に移管 ◎1952/12/22 海軍に移管 ◎除籍後、民間に売却されStar 60と改名 ◎1984 Rio Chagresと改名 |
ディール (1、2) |
Deal | AKL-2 | Wheeler Shipbuilding Corp. | 1947/8/3 (1947/8/8?) |
1955/9/8 | 1961/7/1 | ◎1949/3/31 艦種を軽輸送艦(AKL-2)に改める ◎退役後、アストリアにて太平洋予備艦隊に編入 ◎1961/12/18 コロンビアのCarlos A. Saenz Lopez, Sr. に売却されDon Carlosと改名、コロンビア船籍となる ◎1962/1/10 Carlos A. Saenz Lopez, Sr. に引き渡される ◎1963/1/8 本船はまだコロンビアで登録されており、ガルヴェストンではHansen And Tidemannが代表を務め、マイアミのAD S. Cargo, Ltd.がチャーター ◎1963/5 同船はマイアミのビスケイン港にてFlorida Linesに所有されている ◎1964/8/11 Olga Patriciaと改名、パナマ船籍となる ◎1966 Viscaya, Inc. に売却 ◎1966/3 マイアミのDade Drydock Corporationで海賊版ラジオ局に改装 ◎のちにLaissez Faireに改名(1、2、3) ◎現在は、商業漁船Earl J. Conrad, Jr. (USCG Doc. No. 547733)は、Reedvilleにて操業していた |
◎Korea. | |||||||
ヒューウェル (1、2、3、4、5) |
Hewell | AKL-14 | United Concrete Pipe Corp. | 1948/6/5 | 1955/3/15 | 1959/11/1 | ◎1949/3/31 艦種を軽輸送艦(AKL-14)に改める ◎1951/8 真珠湾にてオーヴァーホール ◎1950/8/18 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(North Korean Aggression、〜1950/11/2) ◎1950/9/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Inchon Landing、〜1950/9/17) ◎1950/9 真珠湾にて入渠(〜1950/10) ◎1950/12/6 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Communist China Aggression、〜1951/1/7) ◎1951/12/27 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1951/12/28) ◎1952/1/3 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/1/4) ◎1952/1/5 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/1/10) ◎1952/2/8 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/2/10) ◎1952/2/21 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/2/22) ◎1952/2/27 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/3/1) ◎1952/4/8 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/4/10) ◎1952/4/24 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter、〜1952/4/25) ◎1952/4/30 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Second Korean Winter) ◎1952/5/1 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952) ◎1952/6/13 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/6/16) ◎1952/7/9 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/7/11) ◎1952/7/22 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952) ◎1952/8/20 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/8/21) ◎1952/8/25 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/8/26) ◎1952/9/13 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/9/14) ◎1952/9/26 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/9/30) ◎1952/10/9 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952) ◎1952/10/26 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/10/28) ◎1952/11/22 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/11/25) ◎1952/12/1 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Defense Summer-Fall 1952、〜1952/12/2) ◎1952/12/29 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1952/12/30) ◎1953/1/7 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/1/8) ◎1953/1/20 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter) ◎1953/2/6 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/2/7) ◎1953/2/23 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/2/24) ◎1953/3/3 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/3/4) ◎1953/3/24 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Third Korean Winter、〜1953/3/30) ◎1953/6/15 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953、〜1953/6/21) ◎1953/6/25 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953) ◎1953/7/2 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953) ◎1953/7/16 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953、〜1953/7/17) ◎1953/7/22 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953) ◎1953/7/26 朝鮮戦争中、戦域に割り当てられる(Korean Summer-Fall 1953) 1954/9/1 ミッドウェー港にて映画会社ワーナー・ブラザースの映画「ミスタア・ロバーツ Mister Roberts」撮影用に用いられる(〜1954/9/16、貨物輸送艦リラクタント Reluctant(AK-601)“通称バケツ号 The Bucket”役として、1、2、3、4) 1954/9/30 カネオヘ・ベイにて映画会社TNT Original Productionsの映画「ミスタア・ロバーツ」撮影用に用いられる(〜1954/10/7、貨物輸送艦リラクタント Reluctant(AK-601)“通称バケツ号 the Bucket”役として、1、2、3、4) ◎退役後、Columbia Riverにて太平洋予備艦隊に編入 ◎1960/6/2 Steve Pickardに売却され商船Betty K. となる ◎1980 Sea Princessと改名 ◎1984 Lady K. と改名 |
1954年8月下旬、ヒューウェルはミッドウェー島に向けてハワイを出発し、映画会社ワーナー・ブラザーズの映画「ミスタア・ロバーツ Mister Roberts」の撮影を手伝うため、8月28日に同地の海軍基地に係留した。ヘンリー・フォンダ Henry Fonda、ジェームズ・キャグニー James Cagney、ウィリアム・パウエル William Powell、ジャック・レモン Jack Lemmonが出演したこの映画は、9月1日から16日にかけてミッドウェー港沖で撮影された航行中の映像とともに、一部がヒューウェル艦内で撮影された。そののち、軽輸送艦は9月24日から29日にかけてハワイに戻り、9月30日から10月7日にかけてカネオヘ湾沖で追加撮影が行われた。フォンダは撮影開始前から演出を担当した監督ジョン・フォードのやり方に満足できず、しまいにフォンダが彼の演出が間違っていると非難し、怒ったフォードはフォンダを殴ったというエピソードがある。1994年、ワシントン州キーポート海軍海中戦センター Keyport, Washington Naval Undersea Warfare Centerのニュースレターに掲載された記事で、「ミスタア・ロバーツ」の撮影に使用されたのはヒューウェルではなく非分類雑役船IX-308(キーポートで海軍のAKL(軽貨物艦)に改装され、魚雷回収任務に就いた別の陸軍FS船)であると主張し、論争を巻き起こした。同船は、同港から米国東海岸沖の米空軍テキサス・タワーズ・レーダー施設 USAF Texas Towers radar facilitiesに勤務していたことから、ニュー・ベッドフォード New Bedfordと命名されていた。海軍のAKLは1隻を除いて全て海軍に移管された米陸軍のFP/FS型貨物船として建造された。そのため、AKLは原作者のトーマス・ヘッゲン Thomas_Heggenが戦時中に乗船した攻撃貨物輸送艦ヴァーゴ Virgo(AKA-20)や貨物輸送艦ロタニン Rotanin(AK-108)よりもはるかに少ない乗員を乗せていた。映画の中でロバーツはドクに対して、AKLには多すぎる乗員“62人”が乗船していると語っている。 映画のために、AKLの外観には多くの変更が加えられた。“ヤシの木”は、AKLの小さなデッキハウスを拡張し、ブリッジとメイン・デッキに映画のセットのはしごを作ることによって、映画のために作られた“デッキ”に設置された。以下の画像は「ミスタア・ロバーツ」の撮影時にヒューウェルで撮影された写真。ブリッジからダイヴしているのは、ジョン・ウェイン John Wayneの息子で当時21歳のパトリック・ウェイン Patrick Wayne。乗員は映画に出演したことで$200の小切手を受け取った。また、乗員全員に、片面がヒューウェル、もう片面がミスター・ロバーツと書かれたライターが贈られた。ライターは、この映画の監督ジョン・フォードからクルーに贈られた | |||||||
ニュー・ベッドフォード | New Bedford | AKL-17 | Wheeler Shipbuilding Corp. | 1995/4/4 | 1950/3/1(1950/7/1?) 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行、艦種を軽輸送艦(AKL-17)に改める ◎1961/11/20 ニュー・ベッドフォードと命名 ◎1963/8/26 ニュー・ベッドフォードという艦名をとる ◎1969/2 艦種を非分類雑役船(IX-308)に改め、ニュー・ベッドフォードと再命名(1、2) |
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ブルール (1、2) |
Brule | T-AKL-28 | スタージョン・ベイ・シップビルディング&ドライ・ドック社 | 1952/10/31 | 1971/11/1 | 1974/11/15 | ◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行、海軍艦艇となったのちも、太平洋諸島は同船の作戦区域であった ◎1952/9/5 ブルールと命名 ◎真珠湾にて就役、艦種記号をAKL-28に改める ◎ハワイ諸島での訓練と作戦行動を経て、マリアナ諸島のグアムに移動し、1955年1月12日にサーヴィス・ディヴィジョン(ServDiv)51の一員となる。同基地からマリアナ諸島の他の島々や、小笠原、沖縄、日本へと航海した。ServDiv 51は1955年末に解隊し、本艦はマリアナ諸島海軍部隊司令官 Commander, Naval Forces, Marianasの指揮下に入った。1956年11月25日にスービック湾に向かい、フィリピン海軍部隊司令官 Commander, Naval Forces, Philippinesに出頭する命令を受けるまで、その体制が続いた。ブルールは12月2日にスービック湾に到着し、1956年12月6日に任務を終え、現役を退いた ◎1956/12/6 退役、そののち約9年間、フィリピン各地に旅客や物資を運び、フィリピンの海を駆け巡った。この10年近い任務の間、ブルールがフィリピンを離れたのは、香港への短期訪問の2回だけだった ◎1965/9/1 スービック湾にて再役 ◎1966/1/4 フィリピンでの数週間の訓練ののち、ブルルは南ヴェトナムに向けて出港した。An Thoiに到着後、メコン・デルタ周辺で河川戦を行うタスク・フォース(TF)115、116、117に所属する小舟を管理する母船に食料を供給する任務を開始した。約6年間、ブルールは補給任務のためにデルタの海を奔走した。少なくとも2回は民族解放戦線の砲撃を受け、乗員は戦闘行動章 Combat Action Ribbonを受けることになった ◎1966/1/7 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/28) ◎1966/4/22 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/29) ◎1966/7/24 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/8/18) ◎1966/8/29 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/9/28) ◎1966/10/22 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/11/20) ◎1966/11/28 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/12/15) ◎1967/1/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1967/5/31) ◎1967/6/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1967/10/30) ◎1968/4/8 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV、〜1968/6/30) ◎1968/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase V、〜1968/11/1) ◎1968/11/2 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VI、〜1969/2/2) ◎1969/3/2 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet 69/Counteroffensive、〜1969/6/8) ◎1969/6/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/10/31) ◎1969/11/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1969/12/31) ◎1970/6/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Sanctuary Counteroffensive、〜1970/6/30) ◎1970/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1970/12/1) ◎1971/1/28 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1971/6/30、1、2) ◎1971/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Consolidation I、〜1971/10/10) ◎1971年後半、ブルールは大韓民国に貸し出されることになった。10月、日本を経由して韓国・鎮海に入港。1971年11月1日、同地で廃船となった ◎韓国側に貸与され蔚山 Ulsan(AKL 910)として就役、1974年中ごろまで貸与されたのち、売却が決定された ◎1974/11/15 韓民に売却 |
― | ― | T-AKL-30 (1、2) |
インガルス・シップビルディングDecatur造船所 | 1961 | ◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行、艦種を軽輸送艦(T-AKL-30)に改める ◎1961 運用終了 ◎1962 魚類野生生物局の商業漁業局(United States Fish and Wildlife Service's Bureau of Commercial Fisheries)に移管、シアトルにて漁業調査船に改装(修理額約$100,000、USFWSの乗員が改装作業のほとんどを行い、漁具、海洋学的機器、特殊な電気・冷蔵システムなどの新しい機器を購入・設置し、船長と乗員の宿舎を改装)、船種を漁業調査船(CRS 41)に改め、ジョージ B. ケレス George B. Kelezと命名 |
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プエブロ (1、2、3、4) |
Pueblo | AKL-44 | キウォーニー・シップビルディング&エンジニアリング社 | 1967/5/13 | ― | ◎1966/4/12 海軍に移管 ◎1966/4/18 艦種を軽輸送艦(AKL-44)に改め、プエブロと命名 ◎1966/7/5 ピュージェット・サウンド海軍造船所で軽輸送艦に改装 ◎1967/5/2(1967/6/1?) 艦種を環境調査艦(AGER-2)に改める |
- 排水量:512t 全長:53.94m(T-AKL-15、AKL-18、AKL-19は50.67m) 幅:9.98m(10.05mともいわれる) 吃水:3.04m(4.34mともいわれる) 主機/軸数:ジェネラル・モータース・クリーヴランド部門式6-278A 6-cyl. V6ディーゼル2基/2軸 出力:1,000馬力 速力:12.0kt 乗員:27名(42名ともいわれる)
- ※大型貨物補給船330型を改装
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
― | ― | T-AKL-15 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1959/5/1 | ◎1950/3/1(1950/7/1?) 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行。艦種を軽輸送艦(T-AKL-15)に改める ◎除籍後、売却され商船Mereghan IIとなる |
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― | ― | T-AKL-16 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1959/5/1 | ◎1950/3/1(1950/7/1?) 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行。艦種を軽輸送艦(T-AKL-16)に改める ◎1959 売却され商船Martha Anneとなる ◎1982 King Towerと改名 |
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― | ― | AKL-18 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1959/5/1 | ◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行。艦種を軽輸送艦(AKL-18)に改める ◎除籍後、売却され商船Ariesとなる ◎のちにGatun IIと改名 ◎のちにHermosilloと改名 ◎のちにCharlie Petersonと改名 |
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― | ― | AKL-19 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1959/5/1 | ◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行。艦種を軽輸送艦(AKL-19)に改める ◎除籍後、売却され商船President Laurelとなる ◎のちにLaurelと改名 |
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― | ― | T-AKL-20 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1961/7/1 | ◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行。艦種を軽輸送艦(T-AKL-20)に改める ◎除籍後、売却され商船Star 50となる ◎1965 Mereghan IVと改名 |
- 排水量:693t 全長:54.86m 幅:10.05m 吃水:3.04m 主機/軸数:ジェネラル・モータース・クリーヴランド部門式6-278A 6-cyl. V6ディーゼル2基/2軸 出力:1,000馬力 速力:13.0kt 乗員:33名
- ※大型貨物補給船427型を改装
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
マーク (1、2) |
Mark | AKL-12 | ヒギンズ・インダストリーズ | 1976/4/15 | ◎1949/3/13 艦種を軽輸送艦(AKL-12)に改める ◎1956 運用終了 ◎1965/10/1 運用開始 ◎1965/12/29 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/1/11) ◎1966/1/21 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/2/5) ◎1966/2/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/3) ◎1966/3/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/4/5) ◎1966/4/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/5/5) ◎1966/5/17 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/30) ◎1966/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/7/27) ◎1966/8/30 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/10/25) ◎1966/11/15 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/12/16) ◎1967/1/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1967/5/31) ◎1967/6/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1967/6/17) ◎1967/10/24 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III) ◎1968/6/30 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV) ◎1968/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase V、〜1968/12/31) ◎1969/6/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet 69/Counteroffensive、〜1969/6/8) ◎1969/6/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/7/21) ◎1970/1/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1970/4/30) 1970/4 艀と衝突し損傷(1、2、3)、のちに日本にて入渠 ◎1970/5/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Sanctuary Counteroffensive、〜1970/6/30) ◎1970/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1970/8/2) ◎1970/10/31 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1971/3/27) ◎1971/7/1 運用終了、台湾に貸与されYung Kang(A 514)と改名(1、2) ◎1976/5/1 台湾に売却 |
- ※データは設標船180フィート型C群の項を参照
艦名 | NAME | 艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
レッドバド (1、2) |
Redbud | AKL-398 | Marin Iron & Ship Building Co. | 1947/7/23 | 1952/2/28 | 1970/11/20 | ◎1949/3/18(1949/3/25?) 海軍がチャーター、ロング・ビーチで軽輸送艦で改装、艦種を軽輸送艦(AKL-398)に改める シェイクダウン後、レッドバドは1949年8月3日にロング・ビーチを出発し、東海岸に向かった。9月18日にボストンに到着し、そこからArgentiaに向かい、北大西洋と北極圏の航空基地と早期警戒施設の建設と維持のための支援部隊に参加。年末から1950年にかけては、グリーンランド南西部の海岸沿いを航行し(1、2、3)、暖かい時期にはより北にある港やBaffin Bayのカナダ側の港をスケジュールに加えた。1952年2月28日まで、アメリカ海軍の徴用艦として北極圏の基地を支援し、航行補助装置の修復、海底石油ラインの起動と修理、バルク石油と一般貨物の配送を行 ◎退役後、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行(T-AKL-398) ◎乗員とともに北東軍(Northeast Command: SUNEC)の海上輸送支援に復帰(1、2) ◎1956 レッドバドのスケジュールは、テキサス・タワーズ Texas Towersへの冬季(11月から3月)の補給と、温暖な気候(4月から10月)のSUNECの任務を交互に行うように変更さた。1960年代までそのスケジュールを維持し、SUNECの任務を主な任務とし、1970年まで、新しい補給シーズンの幕開けに極北に到着する最初のMSTS船として活躍 ◎1970/11/10 運用終了、沿岸警備隊に移管 |
Update 24/05/22