VFA
戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
※1955年6月22日に設立される。この飛行隊はもともと“シューティング・スターズ Shooting Stars”と呼ばれていた。当初の“フェリックス・ザ・キャット Felix the Cat”飛行隊はVF-3であった。ミッドウェー海戦(連合軍側呼称:Battle of Midway)後、1943年7月15日にVF-3とVF-6の呼称が入れ替わり、1946年11月15日にVF-3がVF-3Aに再指定され、海軍作戦部長(Chief of Naval Operations: CNO)からフェリックス・ザ・キャットを採用する公式承認を受けるまで、どちらの飛行隊のフェリックス・ネームとエンブレムを所有するかで3年間論争が続いた。そののち、VF-3Aは1948年8月7日にVF-31に再指定された。2006年末に第31戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 31: VFA-31)に改編。トムキャッターズ Tomcattersは、現在運用されている海軍の戦闘攻撃飛行隊の中で2番目に古い飛行隊である。アメリカ海軍の2つの飛行隊がVF-31という呼称を保持していた。最初のVF-31は1943年5月から1945年10月まで存在。2番目のVF-31は、現在のVFA-31に直接つながる血筋を持つ

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Oceana
NAS Miramar 1992
NAS Oceana 1997
航空機の割り当て 初受領日
F4B 1935/7/1
F3F-1
F4F
F6F 1943/7/15
F9F 1948
F2H 1952
F3H 1957
F-4B 1964
F-4J 1966
F-14A 1981初め
F-14D 1992
F/A-18E 2006末
日付 主な出来事
1935/7/1 VF-1Bとして設立され、F4Bに搭乗していた。これは、1919年に設立されたVFA-14に次いで、アメリカ海軍の現役飛行隊としては2番目に古いものだった
1937/7/1 この飛行隊はVF-8Bと統合され、VF-6と改名され、F3Fを飛行させた。1937年から1943年の間、VF-6はF3F-1とF4Fワイルドキャットの2つのヴァリエーションを飛行し、F4F-4で終了
1943/7/15 VF-6はVF-3と呼称を交換し、F6Fの飛行を開始
1948/8/7 VF-3AはVF-31に再指定された。ほぼ4年間、飛行隊は飛行隊初のジェット機であるF9Fパンサーを飛行させた
1952 F2Hに移行
1957 F3Hに移行し、1962年まで飛行していた
1964 VF-31は1964年にF-4に移行し、F-4Jに移行するまでの2年間、B型を飛行させた
1972 北ヴェトナム上空でMiG-21をF-4Jで撃墜し、VF-31は第二次大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争の3つの戦争で空中戦に勝利した唯一の海軍戦闘機隊となった
1980 VF-31と汎用航空母艦サラトガ Saratoga(CV-60)は、アメリカ海軍史上最長となる24年間の連続勤務を終了
1981初め 1981年初頭、VF-31はF-14Aを受領した。この飛行隊の最初のクルーズは汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)に搭載されたものだった
1983 VF-31はケネディと4回目のクルーズに出発した。このクルーズでは、空母とその航空団が北アフリカ沿岸の地中海南部に向かった。VF-31は多国籍平和維持活動 multi-national peacekeeping operationsを支援するため、レバノンやシリアの陣地を定期的に飛行し、しばしばシリアのAAAから発砲を受けた
1983/12初め 2つの飛行隊のF-14に対して、熱探知機SAMのSA-7が発射された。トムキャットは2機とも無事にケネディに帰還できたが、この事件は米海軍の報復攻撃につながった。12月4日、地中海の両空母、ケネディと汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)はシリアのSAMサイトに対して攻撃を開始し、A-7A-6各1機を失った
1985/4 VF-31は1985年4月に空母と航空団を移籍し、姉妹飛行隊であるVF-11“レッド・リッパーズ Red Rippers”とともに汎用航空母艦フォレスタル Forrestal(CV-59)に参加
1986/6 1986年6月、VF-31とフォレスタル戦闘群の残りは地中海に向けて出航した。出航中、同隊は数多くの艦隊演習に参加した
1986/8 1986年8月、VF-31はエジプト空軍および海軍との合同演習に参加
1987/9 1987年9月、VF-31とフォレスタル戦闘群は北極圏上空で北大西洋演習に参加した
1988/4 1988年4月、VF-31とフォレスタル戦闘群は、6ヶ月に及ぶインド洋クルーズ Indian Ocean cruise: IOに出航。IOから帰路につく間、戦闘群は再び北大西洋のNATO演習に参加し、オシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaに帰港した
1992 VF-31は1992年までフォレスタルに所属していたが、飛行隊は航空母艦、飛行機、本拠地を変更した。VF-31(とVF-11)はオシアナ海軍航空基地からミラマー海軍航空基地 NAS Miramar、原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に移り、F-14Aを新しく改良されたF-14Dに交換
1996後半 1996年後半、VF-31はカール・ヴィンソンでの2度目の西太平洋派遣から戻り、ペルシャ湾やイラク南部で“サザン・ウォッチ作戦 Operations Southern Watch”と“デザート・ストライク作戦 Operation Desert Strike”を支援する任務を遂行した
1997 1997年、VF-31はオシアナ海軍航空基地に戻った。同飛行隊は1997年のパリ航空ショーにF-14Dとクルーを1機派遣し、主に新型F-14 LANTIRNのプロモーションを行った
1998 原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)とともにペルシャ湾に派遣され、サザン・ウォッチ作戦を支援
2000 2000年はエイブラハム・リンカーンでのWESTPAC展開で始まった
2002/7 VF-31は2002年7月にエイブラハム・リンカーンで展開し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するためアフガニスタン上空で活動し、再びイラクの上空でサザン・ウォッチ作戦を支援。帰国後、1月1日に戦闘群全体が“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”の開始に向けて回頭。VF-31は戦闘開始初日の夜から飛行し、連合軍を直接支援するため、バグダッドと南部近郊の目標に弾薬を届ける役割を担った。その展開中、VF-31は海軍の過去30年の歴史の中で最も長いクルーズを行い、2003年5月2日にオシアナ海軍航空基地へ帰還するという不名誉な栄誉を得た。同飛行隊は585回の出撃を行い、276個のLGB/JDAM/Mk. 82を投下した
2004 2004年、VF-31と第14空母航空団 CVW-14は原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)に乗船し、WESTPACクルーズを行い、2004年10月31日にアメリカに帰還した
2004/12 2004年12月、VF-31は第14空母航空団から第8空母航空団 CVW-8と原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)とともに現在の本拠地に移った
2005/9 2005年9月、飛行隊はCVW-8とともにセオドア・ルーズヴェルトに乗り込み、再びペルシャ湾に最後のF-14配備を行った。2006年2月7日、戦闘任務からのF-14トムキャットの最後の回収が行われた。セオドア・ルーズヴェルトからイラクの自由作戦を支援していたVF-31は、戦闘で爆弾を投下した最後のF-14部隊として評価された。VF-31は2006年3月10日、最後のF-14フライインのためにオシアナ海軍航空基地に帰還した
2006/7/28 VF-31は2006年7月28日までセオドア・ルーズヴェルトで運用され、最後のトムキャット着艦とカタパルト発艦がヴァージニア岬沖で行われ、世界各国(メキシコ、英国、オランダ、ドイツ、アメリカ)のジャーナリストが目撃した。VF-31は最後のトムキャット飛行隊で、2006年10月4日、Bu.No. 164603がオシアナ海軍航空基地からリパブリック空港へ飛行し、最後のF-14フライトが行われた。アメリカン・エアパワー・ミュージアム American Airpower Museumで1年間過ごしたのち、現在はニュー・ヨーク州ベスページ Bethpageの旧グラマン・エアロスペース・コーポレーショ ンGrumman Aerospace Corporation本社の外に静態展示されています。
2006後半 VF-31はF/A-18Eに移行し、2006年末にVFA-31と改名されました
2007/5/18 VFA-31は、CVW-8、セオドア・ルーズヴェルトとともに、2008年7月21日から7月31日にかけてノース・カロライナ州沖で行われた合同任務部隊演習08-4 Joint Task Force Exercise 08-4“ブリムストーン作戦 Operation Brimstone”に参加。イギリス海軍V/STOL航空母艦アーク・ロイヤル Ark Royal(R.07)、強襲揚陸艦(多目的)イオー・ジマ Iwo Jima(LHD-7)と関連部隊、ブラジル海軍フリゲイト・グリーンハル Greenhalgh(F 46)とフランス海軍潜水艦アルティスト Améthyste(S 605)も参加した

(↑イギリス海軍V/STOL航空母艦インヴィンシブル(1982年時))
2008/9/8 VFA-31とCVW-8の残りのメンバーはセオドア・ルーズヴェルトに定期配備された
2008/10/4 10月4日、セオドア・ルーズヴェルト空母群は1967年以来、アメリカの空母が訪れるのは初めてである南アフリカのケープタウンに到着、3日後に空母がケープタウンを離れた。CVW-8とCVN-71は不朽の自由作戦を支援し、アフガニスタンのISAF部隊を近接航空支援しながら3,100回以上の出撃と59,500ポンド以上の弾薬を投下
2011/5/11 CVW-8の飛行隊は原子力汎用航空母艦ジョージ H. W. ブッシュ George H. W. Bush(CVN-77)の処女航海に乗船し、アメリカ第5艦隊と第6艦隊の作戦区域で活動を行った。2011年12月、ジョージ H. W. ブッシュの帰還の数日前にオシアナ海軍航空基地へ戻ってきた。VFA-31は、“生来の決意”作戦(Operation Inherent Resolve: OIR)でシリアのISの標的に対して広範囲な地上攻撃任務を行い、MiG-29を平和的に迎撃した


Update 23/05/04