日付 |
主な出来事 |
1942 |
第224海兵戦闘機隊(Marine Fighter Squadron 224: VMF-224)は1942年5月1日、ハワイのバーバーズ・ポイント海軍航空基地 NAS Barbers Pointで就役した。F4Fに搭乗した“ベンガルズ Bengals”は、ガダルカナルのヘンダーソン・フィールド Henderson Fieldに駐留する“カクタス空軍 Cactus
Air Force”の一員として第二次大戦に参戦。名誉勲章を受章したロバート・ガラー少佐 Maj Robert Galerに率いられた同飛行隊は、2カ月足らずで60機以上の日本軍機を撃墜した。同飛行隊はまた、日本の海陸軍からの絶え間ない攻撃を受けながら、近接航空支援(close
air support: CAS)任務を遂行した。VMF-224はガダルカナル作戦でのアメリカの勝利に大きく貢献し、その結果、南太平洋を横切る日本軍の進撃の流れを止め、日本に対する長い島巡り作戦の重要な足がかりを確保した |
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ガダルカナルののち、飛行隊はF4Uに転換され、マーシャル諸島作戦 Marshall Islands Campaignに参加した。1945年春、VMF-224は太平洋戦争最後の大きな戦いに参加した。沖縄戦の間、飛行隊は当初読谷飛行場から、そして7月1日からはチム飛行場 Chimu Airfieldから運用された。沖縄戦の間、ベンガル隊は歩兵支援と対空任務を遂行し、さらに55機の敵機を撃墜した |
1951 |
同飛行隊は1951年、F2H-2を受領し、ジェット機時代に突入した。1952年、大型航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CVB-42)での地中海クルーズを終えたのち、飛行隊はF9Fパンサーを受け入れ、第224海兵攻撃飛行隊(Marine Attack Squadron 224: VMA-224)と改名された |
1956 |
1956年9月29日、同飛行隊はA4Dを実戦配備した最初の海兵隊となった |
1965 |
1965年、“ベンガルズ”はヴェトナム戦争における米国の軍備増強の一環として南ヴェトナムに展開した。ほぼ1年間、“ベンガルズ”はチュー・ライ
Chu Laiの遠征フィールドで“スクーター”を運用した |
1966/11 |
1966年11月1日、飛行隊はA-6を取得し、第224海兵攻撃飛行隊(全天候、Marine All Weather Attack Squadron 224: VMA(AW)-224)として再指定された |
1971 |
1971年、“ベンガルズ”は攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)で南シナ海に展開。第15空母航空団(Carrier Air Wing 15: CVW-15)の一員として、同飛行隊は“ヤンキー・ステーション Yankee Station”で6回の作戦期間を終え、歴史的なハイ・フォン港 Hai Phong Harborの“ポケット・マネー作戦 Operation Pocket Money”を含む数多くの作戦に参加した |
1990/8 |
“ベンガルズ”は1990年8月28日、南西アジアに配備された。バーレーンのシャイクイサ空軍基地 Shaikh-Isa Air Baseで運用され、飛行隊は“砂漠の盾作戦
Operation Desert Shield”に参加した。1991年1月16日から2月28日まで、ベンガルズは“砂漠の嵐作戦 Operation
Desert Storm”に参加し、422回の戦闘出撃で2300,000ポンド以上の兵器を使用した。 |
1992/5 |
1992年5月24日、ノース・カロライナ州チェリーポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointに帰還した直後、“ベンガルズ”は創立50周年を迎えた。それから1年も経たない1993年3月5日、飛行隊はVMFA(AW)-224と再指定され、サウス・カロライナ州ビューフォート海兵隊航空基地
MCAS Beaufortに移動し、“ベンガルズ”はマルチミッションF/A-18Dを受領した |
1994 |
1994年4月から9月まで、“ベンガルズ”はボスニアヘルツェゴヴィナでの“デナイ・フライト作戦 Operation Deny Flight”と“プロヴァイド・プロミス作戦
Operation Provide Promise”のための国連軍の一員としてイタリアのアヴィアーノ Avianoに展開した。同飛行隊は1,150回の出撃、3,485飛行時間(うち夜間飛行時間1,150時間)を飛行した。VMFA(AW)-224の海兵隊は1995年9月、NATOの“デリバレート・フォース作戦
Operation Deliberate Force”と“ジョイント・エンデヴァー作戦 Operation Joint Endeavor”の一環として、再びイタリアのアヴィアーノに展開した |
2005/1 |
2005年1月11日、VMFA(AW)-224はイラクのアル・アサド空軍基地 Al Asad Airbaseに派遣され、“イラクの自由作戦 Operation
Iraqi Freedom: OIF”を支援した。OIFの支援中、ベンガルは65,225ポンドの兵器を使用し、海兵隊、陸軍、連合軍の地上部隊を直接支援し、2,500回以上の出撃と7,000時間以上の飛行を行った |
2010/3/20 |
2010年3月12日、同飛行隊のF/A-18Dがビューフォート北方のセント・ヘレナ海峡 St. Helena Sound沖35マイル(56km)でエンジン火災により墜落した。パイロットと兵器システム士官(Weapons Systems Officer: WSO)は安全に脱出することができた |
2015/2/22 |
2015年2月22日、F/A-18Dがジョージア州スタテンヴィル Statenville近郊の森林地帯と湿地帯で低空戦術訓練中に墜落した。パイロットと兵器システム士官はともに安全に脱出することができ、軽傷で手当てを受けた |
2021/5 |
2021年5月7日、VMFA(AW)-224は、アフガニスタンからの米軍撤退と“生来の決意作戦 Operation Inherent Resolve”を支援するため、サウジ・アラビアのプリンス・スルタン空軍基地 Prince Sultan Air Baseに動的戦力投入(Dynamic Force Employment: DFE)のために展開した |
2023/8 |
2023年8月24日、ミラマー海兵航空基地 MCAS Miramar東にあるI-15高速道路 I-15 highway近くにて墜落。パイロットは死亡 |