航空試験評価飛行隊 Air Test and Evaluation Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NAWSは海軍航空兵器基地(Naval Air Weapons Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略。NWESは海軍兵器評価施設(Naval Weapons Evaluation Facilityの略(ABC順)
- ※第4航空試験評価飛行隊(Air Test and Evaluation Squadron Four: AIRTEVRON FOUR: VX-4)は、一般に“エヴァリュエーターズ The Evaluators”というニックネームで呼ばれ、カリフォルニア州ポイント・マグー海軍航空基地 NAS Point Muguを拠点とするアメリカ海軍の航空試験評価飛行隊であった。テイル・コードは“XF”で、1994年9月30日に閉隊するまで、マクドネル・ダグラスF-4ファントムII、グラマンF-14トムキャット、マクドネル・ダグラスF/A-18ホーネットを飛ばしていた
所在地 | 駐留日 |
NAS Point Mugu | 1952 |
日付 | 主な出来事 |
1946 | VX-4という呼称を使用した飛行隊は2つあった。最初の飛行隊は1946年にクォンセット・ポイント海軍航空基地 NAS Quonset Pointに第4実験開発飛行隊(Experimental and Development squadron Four)として設立され、PB-1Wを装備し、空中早期警戒装置と手順を評価・開発した。1950年に第4航空開発飛行隊(Air Development Squadron Four)としてアトランティック・シティ海軍航空基地 NAS Atlantic Cityに移転した。同飛行隊は1951年にパトセント・リヴァー海軍航空基地 NAS Patuxent Riverに移転し、割り当てられたプロジェクトの失効により同年後半に閉隊した |
1952 | VX-4の呼称を持つ2番目の飛行隊は1952年にポイント・マグー海軍航空基地 NAS Point Muguに設立され、運用試験評価軍司令官 Commander, Operational Test and Evaluation Forceから割り当てられた空中発射誘導ミサイルの評価を実施した。その飛行隊がこのページの主題である |
1960 | 1960年、飛行隊は誘導ミサイルとは関係のない追加プロジェクトを含むようになった。作戦試験や地形クリアランス・レーダー terrain clearance radar、ドップラー航法システム Doppler navigation systems、空対空距離測定装置 and air-to-air distance measuring equipmentなどのプロジェクトが飛行隊の任務に含まれるようになった |
1958 | 軽攻撃型空中給油攻撃技術 light attack in-flight refueling strike techniqueを評価 |
VX-4は、現在アメリカ海軍で運用されている航空機に搭乗し、チャンス・ヴォートF7Uカトラスでその生涯をスタートさせた。そののち、マクドネル・ダグラスF3Dスカイナイトに移行し、F-10と改称された。AIM-7スパロー・ミサイルが使用されるようになると、カトラスとスカイナイトに代わってノース・アメリカンFJフューリー、ダグラスA-4スカイホーク、マクドネルF3Hディーモンが使用された。AIM-9サイドワインダーが登場すると、F-8クルセイダーがVX-4に導入され、1960年代初頭にはF-4ファントムIIがVX-4でデビューした。1970年代初めにはF-14Aトムキャットが登場し、F/A-18ホーネットが配備されたときもVX-4で登場し、さらにF-14トムキャットの新型も登場した。空中戦闘機兵器システム airborne fighter weapons
systemsの運用試験と評価には、AIM-7スパロー、AIM-9サイドワインダー、AIM-54フェニックス・ミサイル、レーダー警告装置 radar
warning devices、自己防御ジャマー self-protection jammersなどが含まれる (↑AIM-7スパロー) (↑AIM-9サイドワインダー) |
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1984/6 | 1984年6月30日、ポイント・マグー海軍航空基地から発進したのち、6発のAIM-54Cミサイルを搭載したVX-4のパイロット、エド・ライリー大尉 Lt Ed RileyとRIOのスコット・ラモロー大尉 Lt Scott Lamoreauxが操縦するトムキャットが汎用航空母艦コンステレーションConstellation(CV-64)に着艦された。AIM-54Cの実用性評価(Operational Evaluation: OPEVAL)の一環として、運用試験(operational testing: OT)で運用適性と運用効果を決定する必要があり、それには統計的に有意な数の“キャリーキャット carry-cats(発艦)”と“トラップ traps(着艦)”を空母ですることが含まれていた。これを達成するため、2年間にわたり、AIM-54Cミサイルを複数搭載したトムキャットが空母の環境にさらされたのち、さまざまなシナリオで行われ、空母の運用に伴うストレスにさらされたあとでも確実に性能を発揮することを証明した。フェニックス・ミサイル6発の搭載については、“最大着艦重量 Max Trap”で燃料も残っているため、実用的ではないという“都市伝説”がある。ライリー大尉いわく“私はフェニックス6機/サイドワインダー2機を搭載して、20時間以上の飛行時間を積み重ねたクロスカントリー飛行を何度も行ってきた。このCV着艦に備えるため、6+2ミサイル搭載を含む様々なロードアウトで定期的なバウンス・ワークアップ regular bounce workupを行い、高負荷時のハンドリングの資質を探った。特に“インクローズ・ウェーヴ・オフ in-close wave off”と潜在的な“ボルター bolter”技術に注意が払われた”“ポイント・マグーに戻るのに十分な燃料を搭載したケースIIIのトラップへのストレート・イン・アプローチが使用されることが決定された。トムキャットが“トリック・オア・トリート”することを知っていたので、必要であれば、ランデヴーし、2回目のトライのために十分な燃料を渡すために、専用のA-7(給油ポッド搭載)が支援できるように用意されていた。着陸に加えて、最大重量の離陸“キャット・ショット cat shot”も同様に重要だった。フルアフターバーナーのカタパルトは、最大重量でTF30エンジンのバーナーブローや失速に遭遇した場合、危険な状況になる可能性があった。適切なテクニックと適切なコントロールの早期発見と適用が、うまく飛び立つためには絶対に必要だった”参考文献:THE AVIATION GEEK CLUB |
1990/1 | 1990年1月、30年近くVX-4で活躍したF-4ファントムが終わりを告げ、その数ヵ月後にF-14Dスーパー・トムキャットが登場した。また同年、F-14DとT-45ゴスホークの最初の運用試験を監督した。この年、VX-4はALR-67レーダー警報受信機の戦術を開発し、F-14への搭載に貢献した。VX-4はまた、AIM-120
AMRAAMミサイル採用のための戦術開発にも着手した (↑AIM-120 AMRAAM) |
1990/8 | 1990年8月のイラクのクウェート侵攻と1991年の湾岸戦争後、VX-4は“砂漠の盾 Desert Shield”、“砂漠の嵐 Desert Storm”、およびそれに続く南西アジアでの作戦において、戦闘機兵器システムの欠陥の特定、試験、修正の実戦配備に貢献した。1991年1月に砂漠の嵐が始まったあとも、VX-4は紅海やアラビア海北部の空母に配備されたVX-4搭乗員によるメッセージやブリーフィングを通じて、艦隊に最新情報を流し続けた |
砂漠の嵐のあと、VX-4のテンポはより通常のペースに戻った。F/A-18に搭載されたAMRAAMの試験は1991年に開始され、年間を通じて継続された。1990年に始まったF-14Dの評価も同様に続けられた。そのほかの1991年のプロジェクトには、F-14でのスウェーデン製BOLチャフ・ディスペンサーの試験、様々なサイドワインダー、スパロー、フェニックス・ミサイルの評価、F-14Dでの赤外線サーチとトラック・セットの試験などがあった。F/A-18でのALR-67(ECP-510)試験は、1991年後半から1992年にかけての飛行隊のより重要なプロジェクトの一つであった。AMRAAMの試験は1994年初めにようやく完了した | |
1993年後半には、ホーネットのテストはVX-4で終了し、2つの飛行隊の統合の初期段階として、すべてのF/A-18プロジェクトとF/A-18C/D機をチャイナ・レイクの第5航空評価飛行隊(Air Development Squadron 5: VX-5)に移す準備が進められていた。最初のホーネットは1993年末までにチャイナ・レイクへ向けて出発し、残りの飛行隊の航空機は1994年初めに続いて出発した。1994年9月30日、VX-4は閉隊され、その資産は第9航空評価飛行隊(Air Development Squadron 9: VX-9、ポイント・マグー分遣隊 Detachment Point Mugu)“ヴァンパイアーズ Vampires”に再割り当てされた |
↑The YF-4J Phantom II prototype from VX-4, painted with a USA bicentennial theme. Image courtesy of en.wikipedia.org.
↑VX-4 F-14 tail markings. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 24/07/12