VFA
戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
※1955年6月22日に設立される。2006年8月1日に第213戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 213: VFA-213)に改編。ニックネームはBlacklions、第8空母航空団 Carrier Air Wing 8に所属し、無線コールサインはライオン Lionを使用している

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Moffett Field 1955/6/22
NAS Miramar 1961/6
NAS Oceana 1997
航空機の割り当て 初受領日
F2H 1955/6/22
F4D
F3H
F-4B 1964/2
F-4J 1970
F-14A 1976/9
F-14D 1997/8
F/A-18F 2006/4
日付 主な出来事
1955/6/22 カリフォルニア州のモフェット・フィールド海軍航空基地 NAS Moffett Fieldにて設立。最初のクルーズは航空母艦ボノム・リシャール Bon Homme Richard(CV-31)F2Hを装備。そののち、F4Dに移行し、航空母艦レキシントン Lexington(CV-16)に2度配備されたあとF3Hに移行し、新たに配備されたAIM-7を発射できるようになった。VF-213は次にレキシントンでの3回目のクルーズに参加した
1961/6 VF-213はミラマー海軍航空基地 NAS Miramarに移転し、その後36年間、彼らの本拠地となった
1964/2 VF-213は新しいF-4Bの最初の1機を受け入れた
1965/11~1975/12 1965年11月、VF-213は第11空母航空団11(CVW-11)に加わり、攻撃航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CVA-63)で以下のようにヴェトナムと西太平洋に9回配備された
1963年10月17日から1964年7月20日まで、F-4Bを装備
1965年10月19日から1966年6月13日まで
4月28日、F-4B(Bu.No. 150645)が北ヴェトナム上空で対空砲火を受け、乗員2名は無事脱出し救助された
5月18日、F-4B(Bu.No. 152257)がMu Gia Pass近郊で対空砲火を受けて、乗員2名は無事脱出し救助された
1966年11月5日から1967年6月19日まで
12月20日、VF-213とVF-114の1機がAIM-7でヴェトナム人民空軍(VPAF)のAn-2を2機撃墜した
2月4日、F-4B(Bu.No. 153007)が北ヴェトナム上空の対空射撃で被弾、乗員のドナルド・トンプソン大尉 LT Donald Thompsonとアラン・コーラモア大尉 LT Allan Collamoreは死亡、彼らの遺体は2001年の2月に確認されている
1967年11月18日から1968年6月28日まで
1968年12月30日から1969年9月4日まで
7月3日、F-4B(Bu.No. 153015)が行方不明になり、乗員は2名とも脱出に成功し、救助された
1970年11月6日から1971年7月17日まで、F-4Jに再装備された
1972年2月17日から11月20日まで
6月18日、F-4J(Bu.No. 157273)が対空砲火を受け、乗員は2名とも無事脱出し救助された
1973年11月23日から1974年7月9日まで
1975年5月21日から12月15日まで
1976/9 1976年9月、VF-213はF-14Aへの移行を開始した
1977/10 F-14による最初の巡航は1977年10月、汎用航空母艦キティ・ホーク(CV-63)に搭載されたCVW-11とのものであった。キティ・ホークでのクルーズの後、空母航空団は汎用航空母艦アメリカ(CV-66)に乗り換え、ジョン・モンロー“ホーク”スミス John Monroe "Hawk" Smithを飛行隊長(CO)とする1979年と1981年の2回、地中海クルーズに参加した
1981/2 VF-213は戦術航空偵察ポッドシステム(Tactical Air Reconnaissance Pod System: TARPS)の訓練を開始
1982/9 VF-213は原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)で展開する新たなミッションを追加した。インド洋作戦では、空母から1,775マイル(2,857㎞)のTARPSミッションでトムキャット最長飛行を達成し、新たなマイルストーンを達成した
1986/1/24 彼らはエンタープライズと共に西太平洋とインド洋に展開し、VF-213はしばしばソヴィエトとインドの航空機を迎撃した。この派遣期間中、アメリカとリビアの緊張が高まり、エンタープライズをスエズ運河を通って地中海に移動させる決断が必要となった。シドラ湾に到着後、CVW-11の航空機が2ヶ月間哨戒飛行を行ったが、リビア航空機との遭遇は稀だった。そののち、ジブラルタル海峡、喜望峰を経て、オーストラリアのパースへ向かい、太平洋を横断して母港に到着した
1988 VF-213はペルシャ湾で石油タンカーの援護飛行を行い、“プレイイング・マンティス作戦 Operation Praying Mantis”に参加した
1989/3 すべてのミサイル試験発射をプロフェッショナルに完了させたとして“BOOLA BOOLA”賞を受賞した
1989後半 VF-213とCVW-11はエンタープライズで世界一周し、WESTPACの展開のためにノーフォーク海軍航空基地でリシュタブリッシュメントを終えた
1990 VF-213と他の航空団は空母を原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に変更。エイブラハム・リンカーンでの最初のクルーズは、ノーフォーク海軍航空基地 NAS Norfolkからホーン岬を経由してアラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaまでの6週間のトランジットだった
1991/5 国連の対イラク制裁を支援するため、エイブラハム・リンカーンで西太平洋に派遣された。VF-213は戦闘空中哨戒 combat air patrol とTARPSミッションを行い、クウェートの油田の惨状を記録した
1993 VF-213はエイブラハム・リンカーンの唯一のF-14飛行隊となった。同年、VF-213はソマリアでの“レストア・ホープ作戦 Operation Restore Hope”とイラクでの“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”の支援で飛行した
1994/10/25 アメリカ海軍初の女性F-14パイロットであるカーラ・ハルトグリーン Kara HultgreenはVF-213に配属され、1994年10月25日、彼女のF-14はエイブラハム・リンカーンへのアプローチ中に墜落。彼女とRIOは共に脱出したが、RIOだけが生き残った
1995 西太平洋クルーズでは、再びイラク南部の上空を飛行することになった
1996 VF-213はキティ・ホークに移り、1996年から1997年のWESTPAC展開に参加した。この展開の間、VF-213は26発のAIM-54と6発のAIM-9を発射し、6機が12発のフェニックス・ミサイルを発射したイヴェントもあった。このような大量発射は、旧式のフェニックス・ミサイルの在庫数を減らすために行われたもので、その理由は、旧式のフェニックス・ミサイルの運用が終了したため
1997 1997年のクルーズ後、VF-213はミラマー海軍航空基地からオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ移動し、F-14Dに移行し、Dモデルを受領した4番目のF-14飛行隊となった
1998 1998年には原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に移動し、次の巡航に向けたワークアップを開始
1998~1999 1998年から1999年の間、VF-213はナイト・ヴィジョン・ゴーグル night vision goggleを装着してAIM-54Cを発射した最初の飛行隊となった。展開の2ヶ月後には、VF-213は湾岸戦争以来の海軍最大の戦闘展開である“デザート・フォックス作戦 Operation Desert Fox”に参加。VF-213のF-14Dは、カール・ヴィンソンに搭載された他の空母航空団と同様に、この作戦の最終攻撃に参加。この作戦のハイライトは、19の攻撃の実行、20のレーザー誘導爆弾の投下、11の複合攻撃のサポート、70ミッション、580以上のターゲットを撮影した45の偵察ミッションを含む230戦闘出撃を記録することだった
1999/1/5 1999年1月5日、イラク上空をパトロールしていた2機のF-14Dは、“ノー・フライ・ゾーン no fly zone”の南で2機のイラクのMiG-25を迎撃するよう指示された。トムキャットは2発のAIM-54を発射したが、これはアメリカ海軍による史上初のフェニックス戦闘発射であった。イラクのジェット機は北に向きを変え、ミサイルは目標に届かなかった。VF-213/CVW-11は1999年の春に帰国した
2001 9月11日の同時多発テロの後、CVW-11を擁するカール・ヴィンソンは、エンタープライズに次ぐ空母戦闘群として北アラビア海に駐留し、アフガニスタンへの攻撃を準備した。2001年10月7日、CVW-11の攻撃で、VF-213はカブール国際空港 Kabul International Airport近くのSA-3サイトに“不朽の自由”作戦(Operation Enduring Freedom: OEF)の最初の爆弾を落とした。VF-213はまた、TARPSポッドを利用して偵察を行い、F/A-18にレーザー武器誘導、ホーネットと米空軍攻撃機にGPS武器座標も与えた。VF-213はOEFを支援していた10週間の間に、500回以上の戦闘出撃、2,600時間以上の戦闘飛行を行い、435,000ポンドの兵器を消費し、TARPSポッドを使用して偵察を行っていた。また、VF-213はマザール・エ・シャリフの戦いで、F-14の部隊として初めて内部20㎜砲を戦闘で使用した。VF-213は2001年のパフォーマンスに対して、2001年海軍航空太平洋艦隊司令官戦闘“E” 2001 Commander Naval Air Pacific Fleet Battle "E"、海軍作戦部長(CNO)安全“S” Chief of Naval Operations (CNO) Safety "S"、クリフトン賞 Clifton Awardおよび大西洋司令官戦闘機隊ゴールデン・レンチ Commander Fighter Wing Atlantic Golden Wrenchを受賞した
2002 2001年のクルーズが終了した2002年、VF-213はCVW-11からCVW-8へ変更した
2003/3/22 2003年3月22日、VF-213は原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)に搭載され、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するため地中海に展開した。戦争中、VF-213は198の攻撃、戦闘空中哨戒、地上軍支援ミッションを飛行し、102のレーザー誘導爆弾と94のJDAM爆弾を届けることになる
2005~2006 VF-213はVF-31とペアを組み、セオドア・ルーズヴェルトで2005年から2006年にかけて行われたF-14トムキャットクルーズに参加した。クルーズ中、VF-213とVF-31はRemotely Operated Video Enhanced Receiver(ROVER)のアップグレードを受け、LANTIRNセンサーからの画像をリアルタイムで地上オペレーターに送信できるようになった。VF-31と213は合計で1,163回の戦闘出撃を行い、OIFを支援するための偵察、監視、近接航空支援ミッションで9,500ポンドの弾薬を投下
2006/3/10 2006年3月10日、VF-213は最後のF-14クルーズを終えてオシアナへ海軍航空基地へ帰還した。22機のトムキャットはオシアナ海軍航空基地上空で楔状編隊で一緒に飛行
2006/4 VF-213は2006年4月にF/A-18Fへの移行を開始し、2006年4月2日にVFA-213と再指定された。VFA-213は、AESAを搭載したスーパー・ホーネットを飛行させた最初の飛行隊である
2007/5/18 2007年5月18日に後部コックピットのJHMCS(Joint Helmet Mounted Cueing System)に改修されたパイロットと海軍飛行士用のデュアルコクピット・キューイング・システム Dual-Cockpit Cueing Systemを受け取った最初の飛行隊である
2008/5/13 セオドア・ルーズヴェルトから出撃していた飛行隊のF/A-18Fが、オカラ国有林 Ocala National Forest近くのパインキャッスル爆撃場 Pinecastle bombing rangeから3マイル(4.8㎞)離れた場所に500ポンドのレーザー誘導爆弾を誤って投下。この爆弾の爆発により山火事が発生し、257エーカー(1.04km2)の植生が焼失。この火災で負傷者は出なかったが、緊急対応に$342,946の費用がかかった。海軍の調査では、技術的な誤解と乗組員の疲労が災難の原因と判断された。このジェット機の2名の乗員はそののち、委員会の審査を経て飛行状態に戻された
2008/7/21~31 VFA-213は、CVW-8、セオドア・ルーズヴェルトとともに、2008年7月21日から31日にかけてノース・カロライナ州沖で行われた合同任務部隊演習08-4 Joint Task Force Exercise 08-4“ブリムストーン作戦 Operation Brimstone”に参加。イギリス海軍V/STOL航空母艦アーク・ロイヤル Ark Royal(R.07)、強襲揚陸艦(多目的)イオー・ジマ Iwo Jima(LHD-7)と関連部隊、ブラジル海軍フリゲイト・グリーンハル Greenhalgh(F 46)、フランス海軍潜水艦アルティスト Améthyste(S 605)も参加した

(↑イギリス海軍V/STOL航空母艦インヴィンシブル(1982年時))
2008/9/8 2008年9月8日、VFA-213とCVW-8の残りのメンバーはセオドア・ルーズヴェルトに定期配備された
2008/10/4 10月4日、ルーズヴェルト空母群は1967年以来、アメリカの空母が訪れたのは初めてで、南アフリカのケープタウンに到着、3日後に空母がケープタウンを離れた。CVW-8とCVN-71はアフガニスタンのISAF軍に接近航空支援をしながら不朽の自由作戦に参加、3,100以上の飛行と59,500ポンドの兵器の投下をした
2011/5/11 2011年5月11日、CVW-8の飛行隊は原子力汎用航空母艦ジョージ H. W. ブッシュ George H. W. Bush(CVN-77)の処女航海に乗り出し、アメリカ第5艦隊と第6艦隊の作戦区域で活動を行う予定だった
2017/1/27 VFA-213はジョージ H. W. ブッシュに乗艦し、“生来の決意”作戦(Operation Inherent Resolve: OIR)を支援する戦闘展開に出発
2017/2/10~2017/3/9 地中海からOIR戦闘作戦を実施した
2017/3/23~2017/5/22 VFA-213は2017年3月23日にペルシャ湾から2017年5月22日まで戦闘作戦を再開
2018/1 2018年1月、VFA-213はアメリカ海軍の原子力汎用航空母艦ジェラルド R. フォード Gerald R. Ford(CVN-78)の初期飛行甲板認証 initial flight deck certificationに参加した
2018/3/14 VFA-213のスーパー・ホーネットがキー・ウェスト近郊で墜落し、パイロットと海軍航空士官 naval flight officerが死亡した
2018/4~5 2018年4月から5月にかけて、CVW-8の飛行隊はオシアナ海軍航空基地からフランス海軍と共同作戦を行っている。これらの作戦の後、航空団とフランスの航空機はジョージ H. W. ブッシュに乗艦し、攻撃任務を実施した
2018/9 2018年9月、VFA-213はフロリダ州ティンダル空軍基地 Tyndall Air Force Baseから海軍兵器システム評価プログラム(Naval Weapons Systems Evaluation Program: NWSEP)に5機のデタッチメント detachmentで参加。デタッチメント中、VFA-213は9発のAIM-7、7発のAIM-9M、1発のAIM-9X、2発のAIM-9XブロックIIを含む19発の空対空ミサイルを採用した。そののち、同司令部は空対空ミサイル兵器システムの維持・活用に最高の能力を発揮したとして、2018年海軍航空部隊大西洋司令官グランドスラム賞 2018 Commander, Naval Air Forces Atlantic Grand Slam awardを受賞した

↑ATLANTIC OCEAN (March 3, 2023) - An F/A-18F Super Hornet attached to the "Blacklions" of Strike Fighter Squadron (VFA) 213, is chocked and chained on the first-in-class aircraft carrier USS Gerald R. Ford (CVN-78) flight deck, March 3, 2023. Gerald R. Ford is underway in the Atlantic Ocean executing its composite training unit exercise (COMPTUEX), an intense, multi-week exercise designed to fully integrate a carrier strike group as a cohesive, multi-mission fighting force and to test their ability to carry out sustained combat operations from the sea. As the first-in-class ship of Ford-class aircraft carriers, CVN-78 represents a generational leap in the U.S. Navy's capacity to project power on a global scale. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Jennifer A. Newsome)


Update 23/05/05