戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
- ※1950年5月25日、第35混成飛行隊(Composite Squadron THIRTY FIVE: VC-35)として設立。1956年7月1日、第35攻撃飛行隊(全天候型)(Attack Squadron (All Weather) THIRTY FIVE: VA(AW)-35)に改称。1959年6月29日、第122攻撃飛行隊(Attack Squadron ONE TWENTY TWO: VA-122)に改編。1991年5月31日に閉隊。VA-122の名称を与えられた最初の飛行隊。1999年1月、第122戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 122: VFA-122)として再設立。ニックネームはFlying Eagles(1971年~1991年、1999年~)
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
NAS San Diego/North Island | 1950/5/25 |
NAS Moffett Field | 1961/7/1 |
NAS Lemoore | 1963/1/1 |
サン・ディエゴ海軍航空基地 NAS San Diegoは1955年にノース・アイランド海軍航空基地 NAS North Islandに改称された |
航空機の割り当て | 初受領日 |
AD-4N | 1950/6 |
AD-3Q | 1950/6 |
AD-4Q | 1950/7 |
AD-2Q | 1950/7 |
AD-3 | 1950/7 |
TBM-3E/N | 1950/7 |
AD-1Q | 1950/8 |
AD-3N | 1950/12 |
AD-4NL | 1951/8 |
AD-4N | 1952/1 |
AD-4B | 1952/2 |
F3D-1 | 1953/2 |
AD-5N | 1954/3 |
AD-5/A-1E | 1954/5 |
AD-6/A-1H | 1954/5 |
S2F-1 | 1956/10 |
TF-1Q | 1957/1/18 |
AD-5Q | 1957/11/20 |
AD-7/A-1J | 1958/12/5 |
T-28B | 1959/3/1 |
A-7A | 1966/11/5 |
A-7B | 1968/5 |
A-7E | 1969/7/14 |
A-7C | 1971/7 |
T-39D | 1971 |
T-28C | 1973 |
TA-7C | 1978 |
F/A-18E/F | 1999 |
AD-5/6/7の呼称は1962年にA-1E/H/Jに変更された |
航空団 | テイル・コード | 割り当て日 |
COMAIRPAC | NR/VV | |
RCVG-12/RCVW-12 | NJ | 1959/6/29 |
COMFAIRLEMOORE | NJ | 1970/7/1 |
COMLATWINGPAC | NJ | 1973/6/20 |
テイル・コード“NR”は 1950 年 7 月 19 日付 Aviation Circular Letter No. 43-50 によりVC-35に割り当てられた。テイル・コードは1957年に“NR”から“VV”に変更された。この変更の発効日はおそらく1958年度の初め(1957年7月1日)であった。1963年4月1日、第12航空群(Air Group 12: CVG-12)は第12戦闘準備航空群(Combat Readiness Air Group 12: RCVG-12)に改称された。第12戦闘準備航空群は1963年12月20日に第12戦闘準備航空団(Combat Readiness Air Wing 12: RCVW-12)に改称された。RCVW-12は1970年7月1日に閉隊され、飛行隊はコマンダー・フリート・エア・リムーア Commander Fleet Air Lemooreへ配属された。しかし、RCVW-12に割り当てられていたテイル・コード“NJ”はVA-122とRCVW-12に割り当てられていたほかの飛行隊に引き継がれた。 1973年6月30日、COMFAIRLEMOOREは太平洋司令軽攻撃航空団(Commander Light Attack Wing, Pacific: COMLATWINGPAC)に改称された |
日付 | 主な出来事 |
1950/5 | 飛行隊は全天候攻撃とASWを任務として設立された。飛行隊は空母配備のための分遣隊を訓練し、西海岸で行われた様々な演習にも参加した |
1950/11/9~1951/6/9 | VC-35 Det. 3は飛行隊の最初の派遣分遣隊であった。韓国に展開し、ASW哨戒、夜間ヘッカー・ミッション night heckler missions、そのほかの戦闘出撃を行った。これらは韓国に展開した飛行隊の分遣隊の標準任務となった |
1959/6/29 | 飛行隊の任務は全天候型攻撃 all-weather attackから艦隊代替訓練 fleet replacement trainingに変更された。地上学校を含むフリート・プロップ・パイロットの計器飛行訓練、スカイレイダー整備要員の入隊地上訓練、AD-6/7スカイレイダーのフリート代替パイロットの訓練を担当した |
1960/6~8 | 飛行隊は南ヴェトナム空軍の将校8名にADスカイレイダーの操縦訓練を行った |
1966/11 | A-7AコルセアIIの受領に伴い、飛行隊はこの新しい航空機の艦隊代替訓練という追加任務を引き受けた |
1967 | VA-147はVA-122によってA-7の訓練を受けた最初の飛行隊となる |
1969/12 | 飛行隊はVA-125と合同で、3週間の集中的な座学と飛行シラバス訓練で攻撃航空の全段階をカヴァーする大学院レヴェルの軽攻撃兵器学校 Light Attack Weapons Schoolを開催した |
1973/10/15 | 軽攻撃兵器学校を実施していたVA-122の兵器訓練センター Weapons Training Centerが独立し、太平洋軽攻撃兵器学校 Light Attack Weapons School, Pacificとなる |
1988/6/30 | A-7の東海岸艦隊即応飛行隊 east coast Fleet Readiness SquadronであったVA-174の廃止に伴い、VA-122は両海岸におけるA-7訓練の責任を負う |
1991/5 | 1991年5月 VA-122は艦隊代替訓練飛行隊 fleet replacement training squadronとして5,000名以上の軽攻撃機パイロットと55,000名以上の熟練整備兵を訓練し、卒業させた |
1999/1 | 1999年1月、新たな“フライング・イーグルス Flying Eagles”飛行隊が第122戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 122: VFA-122)として設立され、F/A-18E/Fスーパー・ホーネットを運用する最初の飛行隊となった |
2010/10/1 | 2010年10月1日、VFA-125(同じくリムーア海軍航空基地 NAS Lemoore駐留の“レガシー”F/A-18ホーネットFRS)は活動を停止し、同飛行隊の航空機と人員はVFA-122に吸収された。この合併は、“レガシー”F/A-18ホーネットが今後数年でスーパー・ホーネットとF-35ライトニングIIによって段階的に廃止されることを見越して、管理コストを削減し、生産を合理化することを目的としていた。統合された飛行隊は“フライング・イーグルス”のインシグニアを保持し、VFA-125の“ラフ・レイダーズ”はF-35C FRSとして再活性化される2016年まで活動停止となった |
西海岸のホーネットおよびスーパー・ホーネット艦隊代替飛行隊として、飛行隊の使命は海軍と海兵隊のF/A-18A/B/C/D/E/F代替パイロットと武器システム士官(Weapon Systems Officers: WSOs)を訓練し、艦隊の任務を支援することである。6週間ごとに8~12名の新米海軍パイロットと海軍飛行士官のクラスが9ヶ月の訓練コースを開始し、空対空と空対地任務の基本を学び、昼夜の空母資格とそののちの艦隊ホーネット飛行隊への配属でクライマックスを迎える。VFA-122の東海岸での対応部隊は、オシアナ海軍航空基地 NAS OceanaのVFA-106である。非飛行任務から復帰した搭乗員は、艦隊に復帰する前にVFA-122で再訓練を受ける。さらに、VFA-122は(海軍航空技術訓練センター(Center of Naval Aviation Technical Training Unit:また、VFA-122は(海軍航空技術訓練センター(Center of Naval Aviation Technical Training Unit: CNATTTU)の協力を得て)整備要員を訓練し、艦隊の部隊に代替機を提供している。VFA-122は現在、約225名の士官と408名の下士官を擁し、60機以上の航空機を運用している。同飛行隊はしばしば、ネヴァダ州ファロン海軍航空基地 NAS Fallonやカリフォルニア州エル・セントロ海軍航空施設 NAF El Centro、また空母資格試験(carrier qualifications: CQ)のためにさまざまな空母に航空機を派遣している | |
2011/4 | 2011年4月6日、飛行隊パイロットのマシュー I. ロウ Matthew I. Lowe(33歳)と兵器システム士官のネイサン H. ウィリアムズ Nathan H. Williams(26歳)は、F/A-18が定期訓練任務中にリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreから半マイルの地点で墜落し、死亡した |
2011 | 2011年、海軍航空百周年を記念して、F/A-18Fスーパー・ホーネットBu.No. 165677はユニークな“デジタル迷彩”ルックに塗装された |
↑An F/A-18F Super Hornet from the "Flying Eagles" of Strike Fighter Squadron (VFA) 122 launches from the flight deck of the aircraft carrier USS Nimitz (CVN-68) in the Pacific Ocean, July 26, 2024. Nimitz is underway conducting routine operations. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Carson Croom)
Update 24/10/14