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主な出来事 |
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猪の頭は、ゴードンズ・ジン Gordon's Ginのボトルのラベルに使われているものから取った。頭の下の巻物は、リンク・ソーセージの紐で、飛行隊の全メンバーが“射撃”を得意とするボローニャの良いラインだ。盾の上の玉は火の玉と呼ばれるかもしれないが、実際には、善良で強い男らしさを象徴するものとされていた。稲妻は私生児の不吉なバーだった(右上から左下にかけての線)。このテーマ全体は、隊員たちが良い飲み会の最初と最後に行う乾杯の音頭や信条のようなものに組み込まれていた。公式のリッパーの乾杯の音頭は、“我々レッド・リッパーズに乾杯-ジンを飲み、ボローニャをほおばり、ツーボールを打ち、野郎どもに乾杯”である。2011年、バーレーンでの自由行動中に、高官当局がこの乾杯は不適切で不快であると宣言した。そののち、まもなく乾杯は禁止された。それ以来、乾杯は徐々に非公式な場で復活している |
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VFA-11は1950年に第43戦闘飛行隊(Fighter Squadron 43: VF-43)として創設され、最終的にVF-11“レッド・リッパーズ
Red Rippers”と改称された。他の2つの飛行隊も以前はVF-11と指定されていた。最初のVF-11(“レッド・リッパーズ”として知られることはなかった)は1942年に設立され、1948年にVF-111と再指定され、1959年1月に閉隊した。2番目のVF-11(最初に“レッド・リッパーズ”と命名された)は、1927年にVF-5として設立され、1959年2月に閉隊するまでに何度も再指定を繰り返した。公式には、アメリカ海軍は同じ呼称で新しい飛行隊が編成された場合、廃止された飛行隊との直接の血統を認めない。多くの場合、新しい飛行隊は以前の飛行隊の愛称、記章、伝統を引き継ぐ |
1950/9/1 |
1950年9月1日、“リーベルズ・レイダーズ Rebel's Raiders”として知られる第43戦闘飛行隊(VF-43)がフロリダ州ジャクソンヴィル海軍航空基地
NAS Jacksonvilleに設立された。1950年9月18日にセシル・フィールド海軍航空基地 NAS Cecil Fieldに移転し、当初は新型のF4U-5N夜間戦闘機を装備していた。1950年10月、飛行隊は夜間戦闘機をF4U-5(昼間戦闘機)と交換した。飛行隊の最初の派遣は航空母艦オリスカニー Oriskany(CV-34)で1951年4月から10月まで地中海に派遣された |
1952/2 |
1952年2月、飛行隊はF4U-4に移行し、大型航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVB-43)で中近東に展開した |
1950年代半ば |
1950年代半ば、飛行隊はF9F-8に移行し、のちにF2Hに移行した。1958年2月、飛行隊はF2H-4を搭載して攻撃航空母艦エセックス Essex(CVA-9)で地中海に展開した。レバノン上陸作戦の航空援護を行い、中国共産党による金門馬祖島砲撃の際にはスエズ運河を通って台湾海峡に送られた。しかし、1959年2月16日(二代目VF-11が閉隊した翌日)、VF-43はセシル・フィールド海軍航空基地でVF-11として再指定され、F8Uに搭乗した。彼らは初代“レッド・リッパーズ”の伝統と記章を採用した(ただし、血統は主張していない) |
1961 |
VF-11は攻撃航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CVA-42)に配備され、1961年のラファエル・トルヒーヨ Rafael Trujillo暗殺後のドミニカ共和国の動乱に対処した。VF-11はF8U-2NEを受領した最初の飛行隊であり、1962年2月8日に初号機を受領した |
1966 |
1966年1月、飛行隊はF-8EをF-8Dに交換した。1966年後半にはオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ移動し、F-4Bに移行した |
1970 |
1970年代、飛行隊は攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)で何度か地中海クルーズを行った。1972年にはイギリス海軍航空母艦アーク・ロイヤル Ark Royal(R.09)にF-4Bを着艦させ、クロスデッキ演習を行った |
1973 |
1973年8月20日、飛行隊は最初のF-4Jを受領し、F-4Bからの移行を開始した |
1980 |
飛行隊は1980年にF-14Aに移行し、1982年にスエズ運河を通ってインド洋に派遣され、7月14日に帰還した。2年後の1983年12月初旬、飛行隊のF-14での戦闘デビューは、VF-11の航空機がレバノン上空で8機のシリア空軍ミグと交戦し、シリアの地対空ミサイル(Surface-to-air
missile: SAM)と高射砲の攻撃を受けたときに起こった。1983年12月4日、同飛行隊は汎用空母ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)からの海軍攻撃飛行隊の上空で戦闘空中哨戒を行い、ジョン F. ケネディからのA-6Eはベカー渓谷のシリア陣地を攻撃した。この攻撃は、シリアのSAMとAAAとの交戦に対応するものであった。汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)のA-7とジョン F. ケネディのA-6の2機が撃墜された。A-6乗員のパイロットは死亡し、爆撃手兼ナヴィゲーター bombardier/navigatorのボビー・グッドマン大尉 Lt Bobby Goodmanは解放されるまで30日間シリア軍の捕虜となった。レバノンでの作戦展開中、1機が地対空ミサイルの疑いで損害を受けた。VF-11とCVW-3およびジョン F. ケネディのほかの3飛行隊は1983年のバトルE Battle E'sを獲得。VF-11はセーフティ“S” Safety 'S'も獲得 |
1980年代 |
第3空母航空団(Carrier Air Wing 3: CVW-3)とケネディ戦闘群 Kennedy Battle Groupでの3回のクルーズののち、VF-11とその姉妹飛行隊は第6空母航空団(Carrier
Air Wing 6: CVW-6)と汎用航空母艦フォレスタル(CV-59)に移った。1985年、VF-11は大西洋艦隊の最優秀戦闘飛行隊としてバトルE賞を、海軍の最優秀戦闘飛行隊としてジョセフ C. クリフトン賞 Joseph
C. Clifton awardを受賞。1986年にふたたび配備され、1991年の最後のクルーズまでCVW-6/フォレスタルにとどまり、合計5回の配備を行った |
1992/1 |
1992年1月、VF-11とVF-31はミラマー海軍航空基地 NAS Miramarに移転し、F-14Dに移行した。VF-11のF-14AはVF-24とVF-211に移った |
1994/2 |
1994年2月、VF-11と第14空母航空団(Carrier Air Wing 14: CVW-14)は“サザン・ウォッチ作戦 Operation
Southern Watch”を支援するため、原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に配備され、8月15日にミラマー海軍航空基地に帰還した |
1994後半 |
1994年後半、VF-11は暗視ゴーグル Night vision goggleを取得し、F-14の内部および計器照明の大幅な変更を必要とした |
1995 |
1995年、VF-11はミッション・コンピュータのアップグレードを受け、空対地兵器能力を提供した。1995年9月、VF-11は最初の搭乗員を前方航空管制官学校 Forward Air Controller schoolに送り込んだ。また1995年、VF-11はカール・ヴィンソンが日本戦勝50周年記念日にハワイを訪問した際、同艦に乗艦した |
1996/5 |
1996年5月、CVW-14はカール・ヴィンソンとともにサザン・ウォッチ作戦を支援するため派遣された。8月31日、イラク軍がイラク北部のイルビル
Irbilの町を攻撃し、米軍機に対して数発のSAMミサイルが発射された。米国は、VF-11のトムキャットに護衛されたB-52から発射された巡航ミサイルで南部飛行禁止区域の標的を攻撃する“デザート・ストライク作戦 Operation Desert Strike”で応戦した。カール・ヴィンソンは10月1日に湾岸を離れた |
1996 |
米海兵隊がミラマーを引き継ぐと、VF-11はオシアナ海軍航空基地へ移った。同時にVF-11はF-14Bに移行し、航空団を第7空母航空団(Carrier Air Wing 7: CVW-7)に変更した |
1997 |
1997年、VF-11は飛行隊創立70周年を記念し、バトル“E”賞とクリフトン賞を受賞。またこの年、VF-11はLANTIRN赤外線照準ポッド infrared targeting podを受領し、初のGBU-16レーザー誘導爆弾を投下した |
1998/2 |
1998年2月、飛行隊はCVW-7とともに原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)の処女航海/世界デプロイメントのためノーフォークを出発。“サザン・ウォッチ作戦”を支援し、オーストラリアと真珠湾を訪問したのち、空母は新しい本拠地であるノース・アイランド海軍航空基地
NAS North Islandに到着した |
2000 |
VF-11は2000年に原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)に乗艦し、“サザン・ウォッチ作戦”を支援した |
2001/9 |
9月11日の同時多発テロの7時間後、VF-11は全飛行隊機をジョン F. ケネディに緊急出撃させ、“ノーブル・イーグル作戦 Operation
Noble Eagle”を支援した |
2002/2 |
2002年2月初旬には“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するために展開し、2002年3月11日には戦闘で初めてF-14からJDAM爆弾を使用した |
2004 |
2004年、VF-11は“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するため、原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に搭載されたF-14を最後に展開した。その巡航中、VF-11のF-14は4月28日から29日までの48時間、ファルージャ Fallujahの爆撃に参加した |
2005/4 |
2005年4月20日、VF-11は最後のF-14をアリゾナ州ツーソン Tucsonのデイヴィスモンサン空軍基地 Davis-Monthan Air
Force Baseの“ボーンヤード boneyard”に引き渡した |
2005/11 |
2005年11月5日、同飛行隊はF/A-18スーパー・ホーネットへの移行訓練のためVFA-106に出頭し、訓練を終えた |
2006/5 |
2006年5月、VFA-11は第17空母航空団(Carrier Air Wing 17: CVW-17)の一員としてカリブ海に展開し、“パートナーシップ・オブ・アメリカズ
Partnership of the Americas”を2カ月間支援した |
2007/11 |
2007年11月、VFA-11はCVW-3に編入され、原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)とともにペルシャ湾に派遣された |
2011/1 |
2011年1月、VFA-11は第1空母航空団(Carrier Air Wing 1: CVW-1)と合流し、原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)に搭載され、アメリカ第5艦隊の責任領域 U.S. 5th Fleet area of responsibilityで“不朽の自由作戦”を支援するために展開した。2012年12月のエンタープライズの退役後、CVW-1は原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)に再割り当てされた |
2015/3 |
2015年3月11日、セオドア・ルーズベルト空母打撃群 Theodore Roosevelt Carrier Strike Groupはノーフォーク海軍基地
NS Norfolkを出港し、米国第5艦隊、第6艦隊 6th Fleet、第7艦隊 7th Fleetへの配備をともなうワールド・ツアーののち、新しい母港であるカリフォルニア州サン・ディエゴに到着した |