日付 |
主な出来事 |
飛行隊の最初の徽章 insigniaは1944年9月28日に海軍作戦部長(Chief of Naval Operations: CNO)によって承認され、魚雷飛行隊としての任務を示すもので、四葉のクローヴァー、馬蹄、航空魚雷で構成されていた。
黄色のフィールドに赤い稲妻を握り締める黒い拳が飛行隊の第二の記章となり、1949年6月9日のCNOの承認以来、いくつかの修正を加えながら使用されている。徽章の拳はギリシャ神話に登場するゼウスの拳である。1959年7月24日、CNOは徽章にVA-25と書かれた巻物を追加する修正を承認した。1974年1月24日、CNOは徽章に3つの黒い星を追加する修正を承認した。飛行隊がVFA-25に指定されたとき、拳と稲妻の徽章を使い続けたが、3つの星は削除された。4つの星はVFA-25が戦闘に参加した戦争(第二次大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、そして最近ではイラク戦争)を表している |
1943/9/10~10/2 |
飛行隊は航空母艦バンカー・ヒル Bunker Hill(CV-17)に乗艦し、ノーフォークからパナマ運河、サン・ディエゴを経由して真珠湾に向かう |
1943/11/11 |
飛行隊はラバウルの標的を攻撃し、最初の戦闘出撃を行った |
1943/11~1944/2 |
同飛行隊はカビエン Kavieng、クェゼリン Kwajalein、エニウェトク Eniwetok、トラック Truk、テニアン Tinianの標的を攻撃し、数多くの戦闘任務を行った |
1944/2/2 |
エニウェトク上空での作戦中、飛行隊の指揮官であったF. M. ウィテカー少佐 Lieutenant Commander F. M. Whitakerが空中衝突で死亡 |
1945/2 |
飛行隊は日本と小笠原諸島の目標に対して多くの戦闘任務を行い、硫黄島侵攻の地上支援を行った。 |
1945/3/19 |
瀬戸内海の呉湾地域における日本艦隊に対する行動により、以下の飛行隊員に海軍十字章 Navy Crossが授与された:W. M. ロンバーガー少佐
Lieutenant Commander W. M. Romberger、H. E. クラーク大尉 Lieutenant H. E. Clark、T.
J. コグラン中尉 Lieutenant (jg) T. J. Coghlan、H. W. フート中尉 Lieutenant (jg) H.
W. Foote、H. C. ジョンソン中尉 Lieutenant (jg) H. C. Johnson、A. C. トラクスラー中尉 Lieutenant
(jg) A. C. Traxler、J. ベール少尉 Ensign J. Behl。J. A. テウ J. A. Tew大尉 Lieutenant J. A. Tewはこの攻撃での行動により銀星章 Silver Starを授与された |
1945/3 |
飛行隊の航空機は東シナ海、瀬戸内海、琉球列島周辺の日本艦船と沖縄周辺の陸上目標を攻撃した |
1945/4/7 |
VT-17は任務部隊 task forceのほかの部隊とともに、日本海軍戦艦大和とその護衛艦からなる日本海軍部隊を攻撃した。飛行隊の航空機は大和に魚雷を数発命中させ、護衛の駆逐艦1隻を撃沈した。この戦闘での活躍により、以下の飛行隊員が海軍十字章を授与された:T. C. ダーキン大尉 Lieutenant T. C. Durkin、S.
G. サリヴァン大尉 Lieutenant S. G. Sullivan、J. F. モナハン中尉 Lieutenant (jg) J. F.
Monaghan、W. F. ニッケル少尉 Ensign W. F. Nickel。H. E. クラーク大尉 Lieutenant H. E. Clark、T. J. コグラン中尉、R. S. ハンロン少尉 Ensign R.
S. Hanlonはその功績により銀星章を授与された
↑大和型戦艦大和(1945年時) |
1945/4 |
沖縄侵攻に備えて、沖縄とその周辺の目標に対して戦闘任務が行われた |
1945/5~6 |
VT-17の航空機が沖縄、九州、四国および東シナ海の艦船を攻撃 |
1949/10/27~11/23 |
1949年10月27日-11月23日 大型航空母艦フランクリン D. ルーズベルト Franklin D. Roosevelt(CVB-42)に搭載されたVA-65は、デイヴィス海峡 Davis Straitsで寒冷地演習を行った |
1950/9/15 |
飛行隊の航空機は、インチョン Inchon上陸の直前、韓国のインチョンとその周辺の海岸防衛に対する戦闘攻撃に参加した |
1950/10/1 |
飛行隊の航空機は北朝鮮の首都ピョンヤン P'yongyangを攻撃し、飛行場を攻撃し、大規模な発電所を直撃した |
1952/6/23 |
飛行隊の航空機は、北朝鮮の水力発電所に対する4隻の空母の連携攻撃に参加。VA-65のスカイレイダーが鴨緑江の水穂発電所 Suiho power plantを攻撃 |
1952/8/6 |
航空母艦ボクサー Boxer(CV-21)に乗艦した飛行隊は、日常的な戦闘作戦の準備をしていたが、格納庫甲板で火災が発生。飛行隊員は飛行甲板で飛行機から武装兵器を取り除くのを手伝い、格納庫甲板で消火活動を手伝った。この火災により飛行隊は1名の死傷者を出した |
1955/2 |
攻撃航空母艦エセックス Essex(CVA-9)に乗艦し、台湾海峡で活動中、中華人民共和国の砲撃を受けた大陳群島 Tachen Islandsから国民党軍を避難させる際に航空支援を行った |
1958/8/25 |
VA-65を搭載した攻撃航空母艦ミッドウェー Midway(CVA-41)は、8月23日の中国共産党による金門諸島 Quemoy Islandsへの砲撃を受けて、ORIを中止し、台湾付近へ向かうよう命じられた |
1961/3 |
ラオス危機のため、ミッドウェーに乗艦中の飛行隊は南シナ海で活動 |
1965/4 |
同飛行隊はヴェトナム戦線で初の戦闘作戦に従事 |
1965/6/20 |
飛行隊のスカイレイダー4機が北ヴェトナム上空で敵戦闘機と交戦し、MiG-17を撃墜。クリントン B. ジョンソン大尉 Lieutenant Clinton B. Johnsonとチャールズ W. ハートマン三世中尉 Lieutenant
(jg) Charles W. Hartman IIIはMiG-17撃墜の功績により銀星章を授与された |
1966/9/14 |
北ヴェトナムのヴィン Vinh近郊に出撃中、飛行隊の指揮官であったC. W. ストッダード中佐 Commander C. W. Stoddardが地対空ミサイルで撃墜され、海上で行方不明となる |
1968/1 |
飛行隊の航空機が南ヴェトナムのケ・サン Khe Sanhで包囲された米海兵隊の近接航空支援を行った |
1968/4/6 |
飛行隊はヴェトナムへの戦闘配備からリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreへ帰還し、A-1スカイレイダーの一時代が幕を閉じた。A-1を配備し運用した最後の攻撃飛行隊となった。A-1は2月20日、攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)の甲板に着艦し、VA-25との最後の戦闘任務が終了した |
1969/4 |
北朝鮮による海軍機EC-121撃墜事件を受け、VA-25を搭載した攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)が日本海に向かう |
1970/11/21 |
飛行隊の航空機が戦闘空中哨戒機を飛ばす一方、陸軍と空軍の捜索救助チームがアメリカ人捕虜を解放するため、ハノイ Hanoiの西20マイルにあるソン・タイ捕虜収容所
Son Tay POW compoundを襲撃。残念なことに、捕虜収容所はすでに北ヴェトナムによって避難されていた |
1972/12 |
飛行隊は“ラインバッカーII作戦 Linebacker II Operations”に参加し、主にハノイとハイフォン Haiphong周辺の目標に対する激しい空爆を行った |
1973/1/15 |
飛行隊はほかのいくつかの飛行隊とともに、北ヴェトナムの橋の目標に対する大規模なレーザー爆撃攻撃に参加した。この連携攻撃はA-6のペイヴナイフ・レーザー指定システム Pave Knife Laser Designation Systemを使用し、A-7航空機が投下したレーザー誘導爆弾を誘導するものであった |
1973/1~2 |
1月27日の北ヴェトナムとの停戦後、同国との合意に達するまで、飛行隊はラオスの通信線目標に対する攻撃に集中した |
1976/7 |
イスラエルによるエンテベ Entebbe強襲と、ウガンダによるケニアに対する軍事作戦の脅威を受け、VA-25を搭載した汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)は南シナ海から西インド洋を通過し、ケニア沖で活動するよう命じられた |
1985/2/21 |
汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)に搭載されたVFA-25と113は、F/A-18を搭載した最初の配備であった。展開中、ホーネットは西太平洋とインド洋で活動した |
1987/7 |
イラン・イラク戦争でペルシャ湾の商船やタンカーが攻撃されるようになったため、米国はクウェートの石油タンカーを護衛するようになった。“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”の間、VFA-25はホルムズ海峡 Straits of Hormuzを通過するリフラッグ・タンカー reflagged tankersを航空援護した |
1990/8 |
1990年8月: イラクによるクウェート侵攻のため、VFA-25を搭載した汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)はオマーン湾での作戦を命じられた |
1990/8~11 |
VFA-25は、イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、またイラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一環として、アメリカ軍と連合軍の戦力を増強した“デザート・シールド作戦
Operation Desert Shield”を支援するため、インディペンデンスから出撃した。10月2日、インディペンデンスはペルシャ湾に入り、2日間その海域で活動したのち、アラビア海北部に戻り、汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)に任務を引き継いだ |
1994 |
1994年、飛行隊は原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に乗り、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援するためイラク上空で任務を遂行し、ペルシャ湾で広範囲に活動した |
1996 |
1996年、飛行隊は引き続き“サザン・ウォッチ作戦”と“デザート・ストライク作戦 Operation Desert Strike”に参加。3ヶ月以上駐留したのち、1996年11月12日、飛行隊は配備から帰還した |
1998 |
1998年、飛行隊は原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に配備され、イラクで国連の飛行禁止区域を実施した |
2000 |
2000年、飛行隊はイラク南部の特定の戦術目標に数発の爆弾を投下し、ペルシャ湾の空をパトロールし続けた |
2002 |
2002年7月、飛行隊はリムーア海軍航空基地からエイブラハム・リンカーンに乗り込み、6ヶ月間の定期的な派遣に出発。“不朽の自由作戦 Operation
Enduring Freedom”の一環としてアフガニスタン上空で、また“サザン・ウォッチ作戦”の支援としてイラク上空で活動した。2002年後半、米国が対イラク軍事行動に近づくにつれ、エイブラハム・リンカーンはペルシャ湾での駐留を命じられた。合計3回の延長を経て、本国を離れて10ヶ月目に差し掛かった頃、イラク戦争が始まった |
2003 |
2003年3月19日、飛行隊は戦闘出撃を開始し、バグダッドへ Baghdadの初夜空爆に参加した。中隊は、バスラ Basra、アン・ナシリヤ
An Nasiriya、アル・クト Al Kut、ナジャフ Najaf、アル・ヒラ Al Hillah、そして最終的にはバグダッドの標的を攻撃しながら、1日平均20回の戦闘出撃を続けた。飛行隊の18日間連続272回の戦闘出撃は、イラク政権のメディナ
Medina、バグダッド、ネブカドネザル機甲師団 Nebuchadnezzar Armored Divisions、軍の飛行場、施設、指揮統制インフラを攻撃した。VFA-25は2003年5月に米国に帰還した |
2004 |
VFA-25は2004年5月に原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)で西太平洋にデプロイメントし、2004年11月1日に帰還 |
2006 |
2006年1月から7月6日まで、VFA-25は第14空母航空団(Carrier Air Wing Fourteen: CVW-14)とともにイラク戦争を支援し、原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)の処女航海で“ヴァリアント・シールド Valiant Shield”に参加した |
2007 |
2007年1月、VFA-25は米第7艦隊 7th Fleet作戦地域へ3ヶ月の“サージ・デプロイメント surge deployment” |
2008/6 |
VFA-25は2008年6月から11月までふたたびWESTPACに派遣された |
2009/5 |
2009年5月28日、VFA-25とCVW-14はロナルド・レーガンとともに第7艦隊と第5艦隊 5th Fleetの作戦地域に展開した |
2010 |
2010年、VFA-25はカール・ヴィンソンに配備された第17空母航空団(Carrier Air Wing Seventeen: CVW-17)とともに、CVW-14とテイル・コード“NK”からテイル・コード“AA”へと数十年ぶりに離脱した |
2012 |
2012年に“不朽の自由作戦”の支援で戦闘配備を成功させたのち、VFA-25はF/A-18Eに移行するためにリムーア海軍航空基地へ戻り、2013年1月下旬に移行を完了し、第9空母航空団(Carrier Air Wing 9: CVW-9)に再配属された |
2019 |
2019年、同飛行隊はエイブラハム・リンカーンの母港をサン・ディエゴに変更するため、第7空母航空団(Carrier Air Wing 7: CVW-7)の一部としてエイブラハム・リンカーンに配備された |
2021 |
2021年、飛行隊は太平洋艦隊空母航空団 Pacific Fleet Carrier Air Wing、具体的には第11空母航空団(Carrier
Air Wing 11: CVW-11)に復帰した |
この飛行隊のパッチと徽章は、映画会社パラマウントの映画「トップガン Top Gun」において、この飛行隊がF-14を運用したことはなく、代わりにF/A-18ホーネットを運用していたという事実にもかかわらず、大きく取り上げられた。ヴァル・キルマー Val Kilmer演じる“アイス・マン Ice Man”が三ツ星のデザインに基づいた同様の記章のフライトスーツを着用し、飛行隊の呼称が“VF-213”であったことから、若干の混乱が生じるかもしれない
放送局National Broadcasting Company(NBC)のTVドラマ「となりのサインフェルド Seinfeld (Season 2, Episode 12)」でバスボーイのアントニオが着ていたのは、トップガン版の徽章のTシャツだった |