VA
攻撃飛行隊 Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
※1943年1月1日、第17雷撃飛行隊(Torpedo Squadron SEVENTEEN: VT-17)として創設。1946年11月15日、第6B攻撃飛行隊(Attack Squadron SIX B: VA-6B)に改称。1948年7月27日、第65攻撃飛行隊(Attack Squadron SIXTY FIVE: VA-65)に改編。1959年7月1日、第25攻撃飛行隊(Attack Squadron TWENTY FIVE: VA-25)に改編。1983年7月1日、第25戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron TWENTY FIVE: VFA-25)に改編。VFA-25の名称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはFist of the Fleet(1949~)
所在地 駐留日
NAS Norfolk 1943/1/1
NAS Kaneohe 1943/10/3
NAS Alameda 1944/3/10
NAS Hilo 1944/11/12
NAB Agana 1944/12/28
NAS Alameda 1945/7/8
NAAS Fallon 1945/9
NAS Brunswick 1946/2/1
NAS Norfolk 1946/8/15
NAAS Oceana 1949/3/5
NAS Alameda 1950/8/15
NALF Santa Rosa 1951/7/11
NAS Alameda 1952/9/25
NAS Moffett Field 1961/9/28
NAS Lemoore 1963/1/7
飛行隊が戦闘配備に備えて訓練を行っている間、一時的な陸上配属。飛行隊の再編成と訓練サイクルの間、モントリー海軍航空補助基地 NAAS Monterey、ヴァーナリス海軍航空補助基地 NAAS Vernalis、アルカタ海軍航空補助基地 NAAS Arcataなど、多数の陸上基地で活動した
航空機の割り当て 初受領日
TBF-1 1943/1
TBF-1C 1943/10
TBM-1 1944/5
TBM-1C 1944/10
TBM-3 1945/2
TBM-3E 1945/9
SB2C-4E 1946/3
SB2C-5 1946/11
AD-1 1947/9/23
AD-1Q 1948/7
AD-4 1949/12/2
AD-3 1950/11/14
AD-2 1950/12/5
AD-4Q 1950/12/5
AD-1/2/3/4 1951
AD-4NA 1952/12/3
AD-4B 1952/12/23
AD-5 1955/7
AD-6/A-1H 1955/7
AD-7/A-1J 1959/4
A-7E 1968/10
A-7E 1969/12
F/A-18A 1984/11/11
F/A-18C 1989/6
F/A-18E 2012
F/A-18F 2007
1951年7月から12月にかけて、飛行隊はADスカイレイダーの多数のモデルを受領し、譲渡した。AD-6とAD-7の呼称は1962年にそれぞれA-1HとA-1Jに変更された
航空団 テイル・コード 割り当て日
CVG-17/CVBG-17/CVBG-5/CVG-6 C 1943/1/1
CVG-2/CVW-2 M/NE 1950/8/1
CVW-15 NL 1967/3/31
COMFAIRALAMEDA 1968
CVW-16 AH 1968
CVW-2 NE 1970
CVW-14 NK 1984/1
CVG-17は1943年1月1日に設立された。1946年1月22日にCVBG-17に再指定され、1946年11月15日にCVBG-5となった。CVGB-5の呼称は1948年7月27日にCVG-6に変更された。1946年12月12日、テイル・コードがCVBG-5に割り当てられた。1957年にテイル・コードがMからNEに変更された。この変更の発効日はおそらく58年度の初め(1957年7月1日)であろう。1963年12月20日に空母航空群(CVG)が空母航空団(CVW)に改称された際、CVG-2はCVW-2に改称された。飛行隊のA-7BコルセアIIへの移行中、管理上の上司はアラメダ艦隊航空司令官 Commander Fleet Air Alamedaであった。移行が完了するとCVW-16に配属された。CVW-2は1970年6月1日にWestPacデプロイメントから帰還し、VA-25は1970年の夏か秋に航空団に配属された
日付 主な出来事
飛行隊の最初の徽章 insigniaは1944年9月28日に海軍作戦部長(Chief of Naval Operations: CNO)によって承認され、魚雷飛行隊としての任務を示すもので、四葉のクローヴァー、馬蹄、航空魚雷で構成されていた。 黄色のフィールドに赤い稲妻を握り締める黒い拳が飛行隊の第二の記章となり、1949年6月9日のCNOの承認以来、いくつかの修正を加えながら使用されている。徽章の拳はギリシャ神話に登場するゼウスの拳である。1959年7月24日、CNOは徽章にVA-25と書かれた巻物を追加する修正を承認した。1974年1月24日、CNOは徽章に3つの黒い星を追加する修正を承認した。飛行隊がVFA-25に指定されたとき、拳と稲妻の徽章を使い続けたが、3つの星は削除された。4つの星はVFA-25が戦闘に参加した戦争(第二次大戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、そして最近ではイラク戦争)を表している
1943/9/10~10/2 飛行隊は航空母艦バンカー・ヒル Bunker Hill(CV-17)に乗艦し、ノーフォークからパナマ運河、サン・ディエゴを経由して真珠湾に向かう
1943/11/11 飛行隊はラバウルの標的を攻撃し、最初の戦闘出撃を行った
1943/11~1944/2 同飛行隊はカビエン Kavieng、クェゼリン Kwajalein、エニウェトク Eniwetok、トラック Truk、テニアン Tinianの標的を攻撃し、数多くの戦闘任務を行った
1944/2/2 エニウェトク上空での作戦中、飛行隊の指揮官であったF. M. ウィテカー少佐 Lieutenant Commander F. M. Whitakerが空中衝突で死亡
1945/2 飛行隊は日本と小笠原諸島の目標に対して多くの戦闘任務を行い、硫黄島侵攻の地上支援を行った。
1945/3/19 瀬戸内海の呉湾地域における日本艦隊に対する行動により、以下の飛行隊員に海軍十字章 Navy Crossが授与された:W. M. ロンバーガー少佐 Lieutenant Commander W. M. Romberger、H. E. クラーク大尉 Lieutenant H. E. Clark、T. J. コグラン中尉 Lieutenant (jg) T. J. Coghlan、H. W. フート中尉 Lieutenant (jg) H. W. Foote、H. C. ジョンソン中尉 Lieutenant (jg) H. C. Johnson、A. C. トラクスラー中尉 Lieutenant (jg) A. C. Traxler、J. ベール少尉 Ensign J. Behl。J. A. テウ J. A. Tew大尉 Lieutenant J. A. Tewはこの攻撃での行動により銀星章 Silver Starを授与された
1945/3 飛行隊の航空機は東シナ海、瀬戸内海、琉球列島周辺の日本艦船と沖縄周辺の陸上目標を攻撃した
1945/4/7 VT-17は任務部隊 task forceのほかの部隊とともに、日本海軍戦艦大和とその護衛艦からなる日本海軍部隊を攻撃した。飛行隊の航空機は大和に魚雷を数発命中させ、護衛の駆逐艦1隻を撃沈した。この戦闘での活躍により、以下の飛行隊員が海軍十字章を授与された:T. C. ダーキン大尉 Lieutenant T. C. Durkin、S. G. サリヴァン大尉 Lieutenant S. G. Sullivan、J. F. モナハン中尉 Lieutenant (jg) J. F. Monaghan、W. F. ニッケル少尉 Ensign W. F. Nickel。H. E. クラーク大尉 Lieutenant H. E. Clark、T. J. コグラン中尉、R. S. ハンロン少尉 Ensign R. S. Hanlonはその功績により銀星章を授与された

↑大和型戦艦大和(1945年時)
1945/4 沖縄侵攻に備えて、沖縄とその周辺の目標に対して戦闘任務が行われた
1945/5~6 VT-17の航空機が沖縄、九州、四国および東シナ海の艦船を攻撃
1949/10/27~11/23 1949年10月27日-11月23日 大型航空母艦フランクリン D. ルーズベルト Franklin D. Roosevelt(CVB-42)に搭載されたVA-65は、デイヴィス海峡 Davis Straitsで寒冷地演習を行った
1950/9/15 飛行隊の航空機は、インチョン Inchon上陸の直前、韓国のインチョンとその周辺の海岸防衛に対する戦闘攻撃に参加した
1950/10/1 飛行隊の航空機は北朝鮮の首都ピョンヤン P'yongyangを攻撃し、飛行場を攻撃し、大規模な発電所を直撃した
1952/6/23 飛行隊の航空機は、北朝鮮の水力発電所に対する4隻の空母の連携攻撃に参加。VA-65のスカイレイダーが鴨緑江の水穂発電所 Suiho power plantを攻撃
1952/8/6 航空母艦ボクサー Boxer(CV-21)に乗艦した飛行隊は、日常的な戦闘作戦の準備をしていたが、格納庫甲板で火災が発生。飛行隊員は飛行甲板で飛行機から武装兵器を取り除くのを手伝い、格納庫甲板で消火活動を手伝った。この火災により飛行隊は1名の死傷者を出した
1955/2 攻撃航空母艦エセックス Essex(CVA-9)に乗艦し、台湾海峡で活動中、中華人民共和国の砲撃を受けた大陳群島 Tachen Islandsから国民党軍を避難させる際に航空支援を行った
1958/8/25 VA-65を搭載した攻撃航空母艦ミッドウェー Midway(CVA-41)は、8月23日の中国共産党による金門諸島 Quemoy Islandsへの砲撃を受けて、ORIを中止し、台湾付近へ向かうよう命じられた
1961/3 ラオス危機のため、ミッドウェーに乗艦中の飛行隊は南シナ海で活動
1965/4 同飛行隊はヴェトナム戦線で初の戦闘作戦に従事
1965/6/20 飛行隊のスカイレイダー4機が北ヴェトナム上空で敵戦闘機と交戦し、MiG-17撃墜。クリントン B. ジョンソン大尉 Lieutenant Clinton B. Johnsonとチャールズ W. ハートマン三世中尉 Lieutenant (jg) Charles W. Hartman IIIはMiG-17撃墜の功績により銀星章を授与された
1966/9/14 北ヴェトナムのヴィン Vinh近郊に出撃中、飛行隊の指揮官であったC. W. ストッダード中佐 Commander C. W. Stoddardが地対空ミサイルで撃墜され、海上で行方不明となる
1968/1 飛行隊の航空機が南ヴェトナムのケ・サン Khe Sanhで包囲された米海兵隊の近接航空支援を行った
1968/4/6 飛行隊はヴェトナムへの戦闘配備からリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreへ帰還し、A-1スカイレイダーの一時代が幕を閉じた。A-1を配備し運用した最後の攻撃飛行隊となった。A-1は2月20日、攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)の甲板に着艦し、VA-25との最後の戦闘任務が終了した
1969/4 北朝鮮による海軍機EC-121撃墜事件を受け、VA-25を搭載した攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)が日本海に向かう
1970/11/21 飛行隊の航空機が戦闘空中哨戒機を飛ばす一方、陸軍と空軍の捜索救助チームがアメリカ人捕虜を解放するため、ハノイ Hanoiの西20マイルにあるソン・タイ捕虜収容所 Son Tay POW compoundを襲撃。残念なことに、捕虜収容所はすでに北ヴェトナムによって避難されていた
1972/12 飛行隊は“ラインバッカーII作戦 Linebacker II Operations”に参加し、主にハノイとハイフォン Haiphong周辺の目標に対する激しい空爆を行った
1973/1/15 飛行隊はほかのいくつかの飛行隊とともに、北ヴェトナムの橋の目標に対する大規模なレーザー爆撃攻撃に参加した。この連携攻撃はA-6のペイヴナイフ・レーザー指定システム Pave Knife Laser Designation Systemを使用し、A-7航空機が投下したレーザー誘導爆弾を誘導するものであった
1973/1~2 1月27日の北ヴェトナムとの停戦後、同国との合意に達するまで、飛行隊はラオスの通信線目標に対する攻撃に集中した
1976/7 イスラエルによるエンテベ Entebbe強襲と、ウガンダによるケニアに対する軍事作戦の脅威を受け、VA-25を搭載した汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)は南シナ海から西インド洋を通過し、ケニア沖で活動するよう命じられた
1985/2/21 汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)に搭載されたVFA-25と113は、F/A-18を搭載した最初の配備であった。展開中、ホーネットは西太平洋とインド洋で活動した
1987/7 イラン・イラク戦争でペルシャ湾の商船やタンカーが攻撃されるようになったため、米国はクウェートの石油タンカーを護衛するようになった。“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”の間、VFA-25はホルムズ海峡 Straits of Hormuzを通過するリフラッグ・タンカー reflagged tankersを航空援護した
1990/8 1990年8月: イラクによるクウェート侵攻のため、VFA-25を搭載した汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)はオマーン湾での作戦を命じられた
1990/8~11 VFA-25は、イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、またイラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一環として、アメリカ軍と連合軍の戦力を増強した“デザート・シールド作戦 Operation Desert Shield”を支援するため、インディペンデンスから出撃した。10月2日、インディペンデンスはペルシャ湾に入り、2日間その海域で活動したのち、アラビア海北部に戻り、汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)に任務を引き継いだ
1994 1994年、飛行隊は原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)に乗り、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援するためイラク上空で任務を遂行し、ペルシャ湾で広範囲に活動した
1996 1996年、飛行隊は引き続き“サザン・ウォッチ作戦”と“デザート・ストライク作戦 Operation Desert Strike”に参加。3ヶ月以上駐留したのち、1996年11月12日、飛行隊は配備から帰還した
1998 1998年、飛行隊は原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に配備され、イラクで国連の飛行禁止区域を実施した
2000 2000年、飛行隊はイラク南部の特定の戦術目標に数発の爆弾を投下し、ペルシャ湾の空をパトロールし続けた
2002 2002年7月、飛行隊はリムーア海軍航空基地からエイブラハム・リンカーンに乗り込み、6ヶ月間の定期的な派遣に出発。“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”の一環としてアフガニスタン上空で、また“サザン・ウォッチ作戦”の支援としてイラク上空で活動した。2002年後半、米国が対イラク軍事行動に近づくにつれ、エイブラハム・リンカーンはペルシャ湾での駐留を命じられた。合計3回の延長を経て、本国を離れて10ヶ月目に差し掛かった頃、イラク戦争が始まった
2003 2003年3月19日、飛行隊は戦闘出撃を開始し、バグダッドへ Baghdadの初夜空爆に参加した。中隊は、バスラ Basra、アン・ナシリヤ An Nasiriya、アル・クト Al Kut、ナジャフ Najaf、アル・ヒラ Al Hillah、そして最終的にはバグダッドの標的を攻撃しながら、1日平均20回の戦闘出撃を続けた。飛行隊の18日間連続272回の戦闘出撃は、イラク政権のメディナ Medina、バグダッド、ネブカドネザル機甲師団 Nebuchadnezzar Armored Divisions、軍の飛行場、施設、指揮統制インフラを攻撃した。VFA-25は2003年5月に米国に帰還した
2004 VFA-25は2004年5月に原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)で西太平洋にデプロイメントし、2004年11月1日に帰還
2006 2006年1月から7月6日まで、VFA-25は第14空母航空団(Carrier Air Wing Fourteen: CVW-14)とともにイラク戦争を支援し、原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)の処女航海で“ヴァリアント・シールド Valiant Shield”に参加した
2007 2007年1月、VFA-25は米第7艦隊 7th Fleet作戦地域へ3ヶ月の“サージ・デプロイメント surge deployment”
2008/6 VFA-25は2008年6月から11月までふたたびWESTPACに派遣された
2009/5 2009年5月28日、VFA-25とCVW-14はロナルド・レーガンとともに第7艦隊と第5艦隊 5th Fleetの作戦地域に展開した
2010 2010年、VFA-25はカール・ヴィンソンに配備された第17空母航空団(Carrier Air Wing Seventeen: CVW-17)とともに、CVW-14とテイル・コード“NK”からテイル・コード“AA”へと数十年ぶりに離脱した
2012 2012年に“不朽の自由作戦”の支援で戦闘配備を成功させたのち、VFA-25はF/A-18Eに移行するためにリムーア海軍航空基地へ戻り、2013年1月下旬に移行を完了し、第9空母航空団(Carrier Air Wing 9: CVW-9)に再配属された
2019 2019年、同飛行隊はエイブラハム・リンカーンの母港をサン・ディエゴに変更するため、第7空母航空団(Carrier Air Wing 7: CVW-7)の一部としてエイブラハム・リンカーンに配備された
2021 2021年、飛行隊は太平洋艦隊空母航空団 Pacific Fleet Carrier Air Wing、具体的には第11空母航空団(Carrier Air Wing 11: CVW-11)に復帰した
この飛行隊のパッチと徽章は、映画会社パラマウントの映画「トップガン Top Gun」において、この飛行隊がF-14を運用したことはなく、代わりにF/A-18ホーネットを運用していたという事実にもかかわらず、大きく取り上げられた。ヴァル・キルマー Val Kilmer演じる“アイス・マン Ice Man”が三ツ星のデザインに基づいた同様の記章のフライトスーツを着用し、飛行隊の呼称が“VF-213”であったことから、若干の混乱が生じるかもしれない
放送局National Broadcasting Company(NBC)のTVドラマ「となりのサインフェルド Seinfeld (Season 2, Episode 12)」でバスボーイのアントニオが着ていたのは、トップガン版の徽章のTシャツだった
1965年11月4日に攻撃航空母艦ミッドウェー(CVA-41)搭載のA-1H(VA-25所属機、Modex No. NE-572、Bu.No. 135297)“ペイパー・タイガーII Paper Tiger II”(この1フライトだけに使われるコールサイン)6,000,000ポンド(2,721.55t)の兵器を運搬したことを記念して、NE-572には特別な“爆弾”が搭載された。572はC. W. “ビル”ストッダード中佐 CDR C. W. 'Bill' Stoddardが操縦していた。577の彼のウィングマンはロビン・ベーコン少佐 LCDR Robin Baconで、彼は翼のステーションにマウントしたムーヴィー・カメラ(第二次大戦から艦隊に残っている唯一のもの)を持っていた。ストッダード中佐はのちに1966年10月に572を飛行中に死亡した。彼はヴィン Vinh上空で3発のSAMに被弾した。下のヴィデオは、“ペイパー・タイガーII”がトイレ爆弾を運んでいるところを、NE-572の機長であったJames E. Youngの息子、Ken Young経由でRussell Falbが撮影したものである

VA-25 Toilet Bomb. Chris Stoddard.


Update 24/03/17