VA
攻撃飛行隊 Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1943年8月15日、第19雷撃飛行隊(Torpedo Squadron NINETEEN: VT-19)として創設。1946年11月15日、第20A攻撃飛行隊(Attack Squadron TWENTY A: VA-20A)に改編。1948年8月24日、第195攻撃飛行隊(Attack Squadron ONE HUNDRED NINETY FIVE: VA-195)に改編。1985年4月1日、第195戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron ONE HUNDRED NINETY FIVE: VFA-195)に改称。VA-195およびVFA-195の呼称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはTigers(1949年~1950年代前半)、Dambusters(1950年代前半~現在)
所在地 駐留日
NAAS Los Alamitos 1943/8/15
NAS Kahului 1944/2/29
NAS San Diego 1944/12/14
NAS Alameda 1945/1/20
NAAS Santa Rosa 1945/2/5
NAS Kahului 1945/8/9
NAS Barbers Point 1945/11/3
NAS Alameda 1946/8/19
NAS Moffett Field 1952/11/3
NAS Lemoore 1961/12/13
NS Yokosuka, Japan (NAF Atsugi & Misawa) 1986/7/1
戦闘配備に備えて飛行隊が訓練を行う間、一時的に陸上任務に就く。VFA-195は、海外の母港に空母と航空団を常駐させるプログラムの一環として、1986年7月1日にCVW-5に配属された。CVW-5と汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)の母港は日本の横須賀海軍基地であった。飛行隊が日本に到着したのは1986年11月であった
航空団 テイル・コード 割り当て日
CVG-19/CVAG-19/CVG-19/CVW-19 A/B/NM 1943/8/15
COMFAIRLEMOORE 1969/12/1
CVW-11 NH 1970
CVW-15 NL 1982/1/18
COMLATWINGPAC 1982/10/1
CVW-9 NG 1982/11/12
COMLATWINGPAC 1984/9/15
CVW-5 NF 1986/7/1
1946年11月15日、CVG-19はCVAG-19に改称。1948年9月1日、CVAG-19はCVG-19に改称。1963年12月20日に空母航空群(Carrier Air Group: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wing: CVW)に改称された際、CVG-19はCVW-19に改称された。1946年12月12日にテイル・コード“A”がCVAG-19に割り当てられ、1948年8月4日に“B”に変更された。テイル・コード“B”は1957年に“NM”に変更された。この変更の発効日はおそらく1958年度の初め(1957年7月1日)であった
航空機の割り当て 初受領日
TBM-1 1943
TBM-1C 1943/11/4
TBM-3 1945/2
TBM-3E 1945/4
TBM-3Q 1946
AD-1 1947/5/3
AD-2 1948/8/25
AD-3 1949/1/10
AD-4 1950/7
AD-4L 1952/6
AD-4B 1953/1
AD-4NA 1953/2
AD-6 1954/5
A4D-2 1959/7/1
A4D-2N/A-4C 1960/5
A-4E 1968/9
TA-4F 1968/10
A-7E 1970/2
F/A-18A 1985/9/30
F/A-18C 1991/8
F/A-18C(N) 1998/7
F/A-18E 2010後半
飛行隊は1943年8月下旬か9月上旬に最初のTBM-1を受領した。A4D-2Nの呼称は1962年にA-4Cに変更された
日付 主な出来事
1944/7/18 飛行隊はグアムに対する侵攻前攻撃を行い、最初の戦闘任務を行った
1944/7~10 飛行隊はグアム、パラオ、小笠原諸島、ヴォルケーノ諸島 Volcano Islands、ミンダナオ島、ヴィサヤ諸島 Visayans、ルソン島、沖縄、台湾に対して戦闘攻撃を行った。
1944/10/24 飛行隊の航空機は、戦艦武蔵を含むシブヤン海の日本機動部隊に対する攻撃に参加。飛行隊の3人の隊員、ジョセフ C. ブラック大尉 Lieutenant Joseph C. Blackとマックス E. グレッグ大尉 Lieutenant Max E. Gregg、そしてエドワード H. シュルケ中尉 Lieutenant (jg) Edward H. Schulkeの3名が、この攻撃での行動により銀星章 Silver Starを授与された

↑大和型戦艦武蔵(1944年時)
1944/10/25 飛行隊の航空機はエンガノ岬沖海戦(連合軍側呼称:Battle off Cape Engaño)に参加し、主に空母で構成された日本軍北方部隊を攻撃した。この戦闘で以下の飛行隊員が海軍十字章 Navy Crossを授与された:フランク C. ペリー少佐 Lieutenant Commander Frank C. Perry、レナード R. プラター大尉 Lieutenant Leonard R. Prater、ジョセフ C. ブラック大尉、マックス E. グレッグ大尉、フレデリック・ドール Jr. 大尉 Lieutenant Frederick Doll, Jr.、ジェームズ C. ウェスト Lieutenant James C. West、レナード P. マティアス大尉 Lieutenant Leonard P. Mathias、ドナルド W. マクミラン大尉 Lieutenant Donald W. McMillan、リチャード・D・グリア Jr. 大尉 Lieutenant Richard D. Greer, Jr.、ゴードン B. ウェルプリー 大尉 Lieutenant Gordon B. Whelpley、フランク A. フォックス中尉 Lieutenant (jg) Frank A. Fox、モリス R. ゲーベル中尉 Lieutenant (jg) Morris R. Goebel、ジェームズ H. ラングロール中尉 Lieutenant (jg) James H. Langrall、レイ J. ステイシー中尉 Lieutenant (jg) Ray J. Stacy、ロバート F. ドリアン中尉 Lieutenant (jg) Robert F. Durian、ウィリアム R. ギャレット中尉 Lieutenant (jg) William R. Garrett、ジョン S. マクドナルド中尉 Lieutenant (jg) John S. McDonald、エドワード H. シュルケ中尉、エドワード・C・マイヤーズ Jr. 中尉 Lieutenant (jg) Edward C. Myers, Jr.、アーヴィン・クレイマー Jr. 中尉 Lieutenant (jg) Irvin Kramer, Jr.、ジェームズ E. シップレル中尉 Lieutenant (jg) James E. Sipprell、マーサー L. ジャクソン Jr. 少尉 Ensign Mercer L. Jackson, Jr.、ウォレス F. リーカー少尉 Ensign Wallace F. Leeker、フレデリック・シューラー少尉 Ensign Frederick Schuler、ワーナー W. タイラー少尉 Ensign Warner W. Tyler
1944/11/5 飛行隊の航空機は、マニラ湾から出撃していた日本の重巡洋艦那智の攻撃に参加。巡洋艦は撃沈され、ロバート F. ドリアン中尉、ジェームズ E. シップレル中尉、レイ J. ステイシー中尉はこの交戦での行動により、2度目の海軍十字章の代わりに金星 Gold Starを授与された。ジョセフ C. ヘベール大尉 Lieutenant Joseph C. Hebertはこの攻撃での行動により海軍十字章を授与された

↑日本海軍重巡洋艦那智(1940年時)
1950/12/5 同飛行隊は第二次大戦終結後初の戦闘任務を行い、北朝鮮のチョウセン貯水池 Chosen Reservoir付近で米海兵隊の近接航空支援任務を行った
1951/5/1 飛行隊のAD-4が華川貯水池ダム Hwachon Reservoir Damの水門に対して魚雷攻撃を行った(12)。この作戦の目的は、水門を破壊して川の水位を上げ、敵の進撃に対する天然の障壁を形成することであった。この任務から、飛行隊のニックネームは“ダムバスターズ Dambusters”と呼ばれるようになった
1952/6/23 飛行隊は、他の2つの空母航空群および第5航空軍 Fifth Air Forceの部隊とともに、鴨緑江 Yalu Riverの水穂水力発電所 Suiho hydroelectric plantおよび京泉第三水力発電所 Kyosen Number Three hydroelectric plantに対する連携空爆を行った。飛行隊は翌日、他の水力発電所に対する攻撃にも参加した
1952/7/11 飛行隊の航空機が海軍、空軍、海兵隊の合同空爆に参加し、北朝鮮の首都平壌の工業目標を攻撃
1964/8~10 飛行隊は特殊作戦に参加。作戦に参加。ヴェトナムとラオスにおける米国の作戦を支援した
1967/4/20 ハイフォンの火力発電所に対する攻撃を計画・実行し、航空機を1機も失うことなく作戦を成功させた功績により、飛行隊の幹部であるS. R. チェスマン中佐 Commander S. R. Chessmanが銀星章を授与される
1968/3 VA-195はCVW-19のほかの飛行隊とともに、攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)から日本海で飛行作戦を実施。“フォーメーション・スター作戦 Operation Formation Star”の一環であるこの作戦は、1968年1月23日に北朝鮮が環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)を拿捕したのち、同海域におけるアメリカ軍の継続的な示威活動の一環として実施された
1972/3/6 フィリピン海域の攻撃航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CVA-63)沖での夜間作戦中、飛行隊の指揮官であったD. L. ホール中佐 Commander D. L. Hallの航空機が空母後方の海面に墜落し、行方不明となった
1972/4 北ヴェトナムによる南ヴェトナム侵攻後、飛行隊は北ヴェトナムの軍事・兵站目標に対する戦術航空出撃に参加
1972/5/9 飛行隊の航空機は北ヴェトナムの港湾の機雷敷設に参加した
1972/5/10 VA-195は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”の開始に参加し、20度線より上の北ヴェトナムの標的に対する集中空爆を行った
1973/11/23 VA-195は汎用航空母艦キティ・ホーク(CV-63)に搭載されたCVW-11とともに、西海岸における最初のCVコンセプトの航空団配備の一部として展開。このコンセプトは、空母航空戦のあらゆる側面を1つの甲板に配備された1つの航空団に統合するものであった
1983/7~8 VA-195を搭載した汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)は、中米の不安定な情勢とニカラグアによるホンジュラス侵攻の可能性に対応するため、ニカラグア沖での作戦を命じられた
1983/10~1984/1 VA-195を搭載したレンジャー、 イランによるペルシャ湾からの石油輸出阻止の脅威により、アラビア海での駐留を延長した
1986/11 横須賀海軍基地に母港を持つCVW-5と汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)との作戦のため、飛行隊はF/A-18Aをリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreから日本の厚木海軍施設 NAF Atsugiに飛ばした
1987/11~1988/2 飛行隊は“アーネスト・ウィル作戦 Earnest Will Operations”に参加。クウェートのタンカーを護衛
1988/9 韓国ソウルで開催された夏季オリンピックの期間中、飛行隊はミッドウェーに乗艦し、平和的なオリンピックを米国が支援することを示すため、日本海で活動した
1989/12 フィリピンでクーデターが未遂に終わる中、VFA-195が乗艦するミッドウェーはフィリピン沖で駐留を続けた
1990/11~1991/1 イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、またイラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一環として、アメリカ軍と連合軍の戦力を増強した“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”を支援するため、飛行隊は任務を遂行した
1990/8 1990年8月、イラクがクウェートに侵攻した際、VFA-195はミッドウェーに配備された。“砂漠の盾作戦”と“砂漠の嵐作戦 Operations Desert Storm”の間、同飛行隊は564回の戦闘任務を遂行し、356tの兵器を輸送した。戦争中(おそらく1991年1月24日)VFA-195は、ウム・カスル Umm Qasrのイラク海軍本部に対する空爆で、戦闘中にウォールアイII Walleye II滑空爆弾を運搬した最初のホーネット飛行隊であり、最初のCVW-5飛行隊となった。空爆中、LCDR. ジェフリー S. アシュビー少佐 LCDR. Jeffery S. AshbyはウォールアイIIをウム・カスル海軍基地のT字型の建物に誘導した。翌日、TARPSを装備したF-14がウォールアイの命中成功を確認し、翌日に予定されていた攻撃は中止された。戦争が始まって約3~4週間後、アシュビー少佐は、イラクのバスラ Basra北端にある通信ビルに対する6~8機の大規模な攻撃を指揮しようとしていた。諜報部は、エクゾセASMミサイルを装備したイラクのシュペル・フルロン・ヘリコプターの存在によって警戒していた
1991/12 1991年2月13日、Modex. No. NF-104を操縦するアシュビー少佐とVFA-195の別のホーネットは砂漠でヘリコプターを発見し、アシュビーはウォールアイI Walleye Iでこれを破壊した。NF-104はのちに日本で開催されたWINGS 1991エアショー WINGS 1991 airshowに展示された際、機体にシュペル・フルロンのキル・マークが付けられた
1991/8 1991年8月10日、CVW-5はミッドウェーとともに最後の航海を行い、8月22日にハワイに到着し、CVW-14を擁する新しく前方展開する汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)入れ替わった。“大空母航空団スワップ・エクス Great Carrier Air Wing SwapEx”の間、VFA-195はF/A-18Cに移行し、CVW-5にとどまった
1992/4 1992年4月15日、VFA-195はCVW-5とともにペルシャ湾に派遣された。6月、VFA-195はカタールのドーハ Dohaにホーネットの1機を派遣し、カタール空軍とDACTを行った。1992年8月23日、CVW-5が米海軍の部隊として初めて参加し、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”が開始された。1992年10月11日、VFA-195はF/A-18Cの1機(Modex. No. NF-403)の尾翼に特別塗装の白鷲を付けて厚木に帰還した。1993年2月、VFA-195は日本海で韓国との“チームスピリット'93演習 Exercise Team Spirit '93”に参加。9月には海上自衛隊と“ANNUALEX '93”にも参加した
1996/3 1996年3月、CVW-5とVFA-195は、台湾初の総統直接選挙をめぐる台湾海峡の緊張を鎮めるために派遣された。3月27日、VFA-195とCVW-5は第3次台湾海峡危機ののち、厚木に帰還した。5月18日、VFA-195はCVW-5とともに、6月18日に終了した“リムパック1996 RIMPAC 1996”に参加するため、インディペンデンスとともに出発した。1997年3月10日から3月22日まで、VFA-195とインディペンデンスはオーストラリア軍と“タンデム・スラスト'97演習 Exercise Tandem Thrust '97”に参加。1997年10月16日から20日にかけて、VFA-195は韓国との“Foal Eagle '97”にも参加し、1997年11月6日から12日にかけて、自衛隊との“ANNUALEX 09G”にも参加した
1998/1 1998年1月21日、入港中のインディペンデンスをウィリアム・コーエン米国防長官 U.S. Secretary of Defense William Cohenが訪問したのち、VFA-195とCVW-5は1月23日、“サザン・ウォッチ作戦”に参加するため配備された。VFA-195はOSWに参加する前の2月5日にペルシャ湾に到着した。4ヶ月後、VFA-195は1998年6月5日に厚木海軍航空施設に帰還した
1998/7 1998年7月7日、インディペンデンス、CVW-5、VFA-195は、CVW-5の新本拠地となるキティ・ホークと入れ替わるために日本を出港した。インディペンデンスは7月17日に真珠湾に到着した。クロスデッキの間、VFA-195はF/A-18CをF/A-18C(N)ナイト・アタック・ホーネットに換装した。1998年7月24日午前7時、VFA-195とCVW-5はキティ・ホークとともに真珠湾を出港し、日本へ向かった。VFA-195は8月11日に帰着した
2001 VFA-195は2001年に“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援するため飛行し、アフガニスタン奥地の標的を攻撃した
2003/1 2003年1月23日、VFA-195は北朝鮮の核兵器開発計画をめぐる緊張に直面し、北朝鮮沖に展開した際、VFA-195は任務に召集され、また北朝鮮が同年のペルシャ湾への米軍展開を利用するのを防いだ。 2月、VFA-195とキティ・ホークは最後の“サザン・ウォッチ”に参加するため、ペルシャ湾に向かった。2003年3月19日、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”の最初の夜間攻撃の一環として、VFA-195の8機のF/A-18C(N)とVF-154のF-14A、VFA-192のナイト・アタック・ホーネットがイラク西部のSAMサイトを攻撃した
2003/4 2003年4月2日、VFA-195のF/A-18C(N)であるModex. No. NF-405はバグダッドに接近する連合軍を支援中にペイトリオットPAC-2 SAMサイトによってフレンドリー・ファイアで撃墜され、パイロットのネイサン D. ホワイト大尉 Lieutenant Nathan D. Whiteが死亡した。同飛行隊はイラクの自由を支援するために278回の戦闘出撃を行い、1ヶ月の間に軍事目標に対して179,000ポンドの精密誘導弾を投下した。2003年4月23日、“イラクの自由作戦”はVFA-195、CVW-5、キティ・ホークにとって終わりを告げ、以後は日本へ向かう
2004/5 2004年5月7日、VFA-27のF/A-18Eスーパー・ホーネットへの移行に伴い、VFA-27のF/A-18C(N)はVFA-192に譲渡された。その結果、VFA-195は岩国海兵航空基地 MCAS IwakuniのVMFA-212と同様にVFA-192ナイト・アタック・ホーネットを受領した。7月19日、VFA-195をはじめとするCVW-5とキティ・ホークは、キティ・ホーク空母戦闘群 Kitty Hawk CVBGを含む7つの空母戦闘群が参加する海軍演習“サマーパルス2004 Summer Pulse 2004”に参加するため、西太平洋に展開した。演習中、VFA-195とCVW-5は原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)、CVW-14とともに、伊王島の東600海里で行われたJASEX 04に参加した
2006/6 VFA-195は2006年6月19日から23日にかけて、米海兵隊および米空軍(B-2Aスピリットを含む)とともに“ヴァリアント・シールド2006演習 Exercise Valiant Shield 2006”に参加した。約1年後、同飛行隊は“ヴァリアント・シールド2007 Valiant Shield 2007”に参加した。同年、CVW-11、オーストラリア海軍、海上自衛隊、シンガポール海軍、インド海軍とともに“マラバール07-2演習 Exercise Malabar 07-2”にも参加し、9月9日に終了した
2008/5 2008年5月28日、キティ・ホークは横須賀を離れ、CVW-5とVFA-195とともに真珠湾に向かった。キティ・ホーク、CVW-5、VFA-195はまず7月1日にハワイに到着し、そののち7月8日に“リムパック2008 RIMPAC 2008”に参加した。そののちハワイに戻り、2008年8月1日にサン・ディエゴに向けて出発した。VFA-195と残りのCVW-5は8月6日にキティ・ホークを飛び立ち、8月7日にサン・ディエゴに到着した。VFA-195がアメリカ本土に到着するのは1986年以来である。VFA-195と残りのCVW-5はそののち原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に移行し、8月20日に横須賀に向けて出発した。2008年9月25日、VFA-195は日本に帰着した
2009/3 2009年3月、VFA-195は6機をVFA-27とともに派遣し、VFA-27は8機を派遣してタイで開催された“コープ・タイガー2009 Cope Tiger 2009”にタイ軍、シンガポール、米空軍とともに参加した
2010後半 2010年後半、飛行隊はF/A-18Eスーパー・ホーネットに移行した
2015後半 2015年後半、CVW-5はジョージ・ワシントンに代わって日本の横須賀に米海軍の前方展開空母として配備された原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)に移籍する予定だった

↑A Douglas AD-4 Skyraider from Attack Squadron (VA) 195 "Tigers" carrying a Mk. 13 torpedo en route to the Hwacheon Dam in Korea, 1 May 1951. The nose of the torpedo is surrounded by a plywood "drag ring" that slowed its flight and entry into the water, and a protective plywood box around the tailfins and propeller that would likewise break off on impact. VA-195 was assigned to Carrier Air Group (CVG) 19 aboard USS Princeton (CV-37) for a deployment to Korea from 9 November 1950 to 29 May 1951. The squadron was renamed "Dambusters" following this successful attack. U.S. Navy photo. Image courtesy of NavSource.

↓の画像の上がVA-195所属機

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 24/08/01