VFA
戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第23戦闘飛行隊(Fighter Squadron TWENTY THREE: VF-23)として1948年8月6日に発足。 1959年2月23日、第151戦闘飛行隊(Fighter Squadron ONE HUNDRED FIFTY ONE: VF-151)に改編。1986年6月1日、第151戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron ONE HUNDRED FIFTY ONE: VFA-151)に改称。最初の VFA-151の名称を与えられた最初の飛行隊。ニックネームはThe Flashers(1949年〜1959年)、Vigilantes(1959年〜)

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAAS Oceana 1948/8/6
NAS Alameda 1950/8
NAS Moffett Field 1950/11/11
NAS Miramar 1961/7/10
NS Yokosuka (NAF Atsugi & Misawa) 1973/10/5
VF-151は、CVW-5と攻撃航空母艦ミッドウェー Midway(CVA-41)とともに、空母と航空団を海外の母港に恒久的に配属するプログラムの一部だった。ミッドウェーの新しい母港は日本の横須賀海軍基地 NS Yokosukaであった。同飛行隊は、空母が横須賀海軍基地に入港している間は、通常、厚木海軍航空施設 NAF Atsugiまたは三沢から運用される。この任務は1973年6月30日に発効した。しかし、飛行隊が到着したのは1973年10月5日であった
航空団 テイル・コード 割り当て日
CVBG-1/CVG-2 M 1948/8/6
COMFAIRALAMEDA 1950/12/3
CVG-19 B 1951/5/25
CVG-2 M 1951/8/29
ATG-2 1952/5/23
ATG-4 Z 1955/3/30
CVG-15/CVW-15 NL 1957/10/29
CVW-16 AH 1970/9/1
CVW-5 NF 1971/2/16
CVBG-1は1948年9月1日にCVG-2に再指定された。ATG-2は1956年7月までテイル・コードが割り当てられていなかった。テイル・コード“Z”は1956年7月24日にATG-4に割り当てられた。1963年12月20日に空母航空群(Carrier Air Group: CVG)が空母航空団(Carrier Air Wing: CVW)に改称された際、CVG-15はCVW-15に改称された
航空機の割り当て 初受領日
F4U-5 1948/8/6
F6F-5P 1948/8/6
F4U-4 1949/4
F9F-2 1951/1/4
F2H-3 1953/3
F4D-1 1956/12
F3H-2 1959/1/13
F-4B 1964/1/14
F-4J 1977/8
F-4S 1980/12/8
F/A-18A 1986/7/15
F/A-18C 1993/2
F/A-18E 2013/2
日付 主な出来事
1950/9/15 飛行隊は韓国仁川 Inchonでの揚陸作戦を支援
1952/8 飛行隊機は米空軍との共同作戦に参加。平壌とその周辺地域を攻撃
1954/3 1954年3月 ヴェト・ミン Viet Minhがディエン・ビエン・フー Dien Bien Phuでフランス軍を攻撃している間、攻撃航空母艦エセックス Essex(CVA-9)がヴェトナム沖での作戦を命じられ、飛行隊は西太平洋に派遣された
1958/8〜9 中国共産党が金門島 Quemoy Islandを砲撃したのち、飛行隊は台湾海峡を飛行
1961/1 VF-151が乗艦した攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)は、ラオスでパテート・ラオ Pathet Lao軍が戦略拠点を占領したのち、南シナ海で活動した
1965/3 同飛行隊は“ローリング・サンダー作戦 Rolling Thunder operations”(北ヴェトナムの軍事目標に対する組織的爆撃)に参加
1967/10/24 飛行隊の指揮官C. R. ガレスピー中佐 Commander C. R. GillespieとR. C. クラーク中尉 Lieutenant (jg) R. C. Clarkが北ヴェトナム上空での任務中に地対空ミサイルで撃墜される。ガレスピー中佐は捕虜となり、1973年3月14日に釈放されたが、彼のRIOは捕虜のまま死亡した
1968/3 1月に環境調査艦プエブロ Pueblo(AGER-2)が北朝鮮に拿捕されたのち、VF-151を乗せたコーラル・シーが韓国沖で活動
1972/5〜10 同飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加し、北ヴェトナムの目標に対する激しい空爆を行い、物資の流れを妨害し、南ヴェトナムにおける北ヴェトナムの戦争継続能力を低下させた
1975/4〜5 南ヴェトナムのサイゴンが共産主義に陥落した際、飛行隊の航空機が“フリークエント・ウィンド作戦 Operation Frequent Wind”に参加
1976/8〜9 汎用航空母艦ミッドウェー(CV-41)に乗艦し、北朝鮮による非武装地帯での米軍兵士殺害事件を受けて、朝鮮半島付近で飛行作戦を実施
1979/4〜5 VF-151を乗せたミッドウェーは、南北イエメン間の戦闘勃発とイラン国王の失脚後、汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)を支援し、米空母のプレゼンスを維持するため、アデン湾に展開した
1979/11〜1980/2 11月4日にイランがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、アメリカ人が人質に取られた事件を受けて、VF-151を乗せたミッドウェーはオマーン湾に向かい、1980年2月初旬に解任されるまで駐留した
1980/5〜6 VF-151を乗せたミッドウェーは、韓国の内乱と光州 Kwangjuの町での数百人の虐殺のため、韓国沖で活動した
1981/12 韓国での緊張ののち、緊張が収まるまで、飛行隊は韓国沖のミッドウェーで活動した
1986/4〜11 VF-151はF/A-18ホーネットへの移行訓練のため、一時的にリムーア海軍航空基地 NAS Lemooreへ移転。飛行隊の新しいホーネットは11月18日から21日にかけて日本に飛来した。VF-151はF/A-18に移行し、戦闘攻撃飛行隊に再指定された2つのF-4戦闘飛行隊のうちの1つであった
1988/9 韓国のソウルで開催された夏季オリンピックの間、飛行隊はミッドウェーに乗り込み、日本海で平和的なオリンピックに対する米国の支持を示すために活動した
1989/12 VFA-151が乗艦するミッドウェーは、フィリピンでクーデターが未遂に終わる中、フィリピン沖で駐留を続けた
1990/11〜1991/1 イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するため、またイラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一環として、アメリカ軍と連合軍の戦力を増強した“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”を支援するため、飛行隊は任務を遂行した。VFA-151は1990年10月、“砂漠の盾作戦”を支援するためミッドウェーに配備された。イラクでの敵対関係が激化し、1991年1月17日、同飛行隊は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”の初期空爆に参加した。作戦期間中、飛行隊はイラク、クウェート、ペルシャ湾北部の主要目標に817,000ポンド以上の兵器を投下した
1991/8 1991年8月、同飛行隊はミッドウェー最後の航行期間中、ミッドウェーで日本を離れ、ハワイの真珠湾海軍基地 NS Pearl Harborに向かった。そののち、VFA-151はCVW-2に移籍し、カリフォルニア州リムーア海軍航空基地へ移動した。1993年2月、飛行隊は航空機をアップグレードされたLot 15のF/A-18Cホーネットに移行した。1993年5月、飛行隊はコンステレーションに乗艦し、東海岸から南米ホーン岬を回ってカリフォルニア州サン・ディエゴの新しい母港に向かった
1994 同飛行隊は、1994年から1995年にかけての“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援するため、西太平洋の戦闘区域に派遣され、イラク南部の“飛行禁止”区域 "no-fly" zonesの実施に貢献した。“サザン・ウォッチ作戦”を支援するため、1997年と1999年にもコンステレーションに搭載され、WESTPACへの追加派遣が続けられた
同飛行隊はCY2000でストライク・ファイター・ウイング・パシフィックのバトル“E”賞 Strike Fighter Wing Pacific's Battle "E" awardを受賞し、2001年にはふたたびコンステレーションに配備された
2002 同飛行隊は2002年11月、コンステレーションでの最終配備を行った。戦闘配備の成功ののち、コンステレーションは2003年8月7日にカリフォルニア州サン・ディエゴで退役した。VFA-151はCVW-2とともに原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)に移った。2004年10月、同飛行隊は米海軍の新艦隊対応計画を支援するため、初のWESTPAC/Surgeに派遣された。派遣中、同飛行隊は2004年12月26日に東南アジアを襲った津波の生存者を支援する人道支援活動である“ユニファイド・アシスタンス作戦 Operation Unified Assistance”に参加した
2006 2006年3月24日から31日にかけて行われたFoal Eagle 2006演習では、CVW-2のVFA-2、VFA-34、VFA-137、VFA-151飛行隊は、嘉手納基地を拠点とする第18航空団 18th Wingのアメリカ空軍機とチームを組み、演習の統合航空作戦センターを通じて戦闘空中哨戒と調整爆撃を行った
2008 2008年、VFA-151はふたたびエイブラハム・リンカーンに搭載され、第5艦隊責任領域(Fifth Fleet Area of Responsibility: AOR)に派遣された。帰還後、ふたたび2008年のバトル“E”を受賞した
2010 同飛行隊は2010年10月から2011年3月まで、エイブラハム・リンカーンに乗艦し、第5艦隊AORの“新たなる夜明け作戦 Operation New Dawn”と“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援した。同飛行隊は2010年のバトル“E”とマイケル J. エストシン賞 Michael J. Estocin awardを授与された
2011 2011年12月、同飛行隊は“不朽の自由作戦”を支援するため、第5艦隊AORに5ヶ月間の“サージ”展開のためふたたび派遣された。2度の延長を経て、飛行隊は2012年8月に帰国した。F/A-18Cを5ヶ月間飛行させたのち、VFA-151は2013年2月にLot 35/36のF/A-18Eスーパー・ホーネットへの移行を開始した。移行に伴い飛行隊はCVW-2を離れ、2013年6月1日に原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)所属のCVW-9に移動した。2019年8月、飛行隊はリムーア海軍航空基地から飛来したF/A-18Eスーパー・ホーネットを失い、チャイナ・レイクの海軍航空兵器基地 Naval Air Weapons Station近くの“スター・ウォーズ・キャニオン Star Wars Canyon”として知られる壁に墜落した。飛行士は助からなかった
同飛行隊は、人道奉仕勲章 Humanitarian Service Medal、大統領部隊賞 Presidential Unit Citation、8つの軍隊遠征勲章 Armed Forces Expeditionary Medal、4つのバトル“E”賞、6つの安全“S”賞 Safety S、6つの海軍部隊表彰 Navy Unit Commendation、マイケル J. エストシン賞、7つのヴェトナム共和国功労部隊表彰 Republic of Vietnam Meritorious Unit Citationを授与されている

↑PACIFIC OCEAN (Jan. 31, 2024) - An F/A-18E Super Hornet assigned to Strike Fighter Squadron (VFA) 151 prepares to launch from the flight deck of the Nimitz-class aircraft carrier USS Abraham Lincoln (CVN-72). The Abraham Lincoln Carrier Strike Group is underway in the U.S. 3rd Fleet area of operations conducting advanced tactical training that increases warfighting capability and tactical proficiency across all domains. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Clayton A. Wren)


Update 24/02/10