戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron
| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| 不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
- ※第143戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 143: VFA-143)、別名“ピューキン・ドッグス Pukin Dogs”は、ヴァージニア州オシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaを拠点とするアメリカ海軍の戦闘攻撃飛行隊。“ピューキン・ドッグス”は実戦運用可能な艦隊飛行隊であり、F/A-18Eスーパー・ホーネットを運用している。現在は第1空母航空団 Carrier Air Wing Oneおよび原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S Truman(CVN-75)に所属している。拠点はオシアナ海軍航空基地。無線コールサインは“タップルーム Taproom”
| 所在地 | 駐留日 |
| NAS Oceana NAS Alameda | 1950/7/20 |
| NAS Oceana | 1976 |
| 航空機の割り当て | 初受領日 |
| F4U-4 | 1950/7 |
| F9F-2 | 1953/2 |
| F3H | 1958/4 |
| F-8K | |
| F-8H | 1970/12 |
| F-4N | 1976/2 |
| F-4S | 1984/2 |
| F-14A | 1987初め |
| F-14A+/F-14B |
1990/3 |
| F/A-18E | 2005 |
| 日付 | 主な出来事 |
| 飛行隊は1953年に現在の記章、青い盾に翼のある黒いグリフォンを採用した。特徴的な飛行隊名“ピューキン・ドッグス Pukin Dogs”は、飛行隊長の妻がこの生き物の垂れ下がった頭と大きく口を開けたデザインを見たことに由来している。彼女は飛行隊のパイロットたちの前で、“ピューキン・ドッグス”のようだと述べた。パイロットたちはこの言葉に感銘を受け、この名称は定着しました。1991年のテイルフック事件 Tailhook scandalののち、飛行隊は正式に“ドッグス Dogs”に改名せざるを得なかった。この公式な改名は広く無視されていたが、1996年にアメリカ大西洋艦隊海軍航空隊司令官ジョン・マザック大将 Admiral John Mazach, Commander, Naval Air Force U.S. Atlantic Fleetが飛行隊への演説でこの方針を撤回した | |
| 海軍には2つの飛行隊がVF-143の名称を保持している。最初のVF-143飛行隊は1950年7月20日にVF-821として設立され、1953年2月4日にVF-143に改称され、1958年4月1日に閉隊。2番目のVF-143飛行隊は1950年に設立され、最終的にVFA-143に改称され、この記事の対象となっている | |
| 1950/7 | VF-871はアラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaを拠点とする予備役のF4U-4コルセア飛行隊で、1950年7月20日に現役に召集された。同飛行隊は朝鮮戦争中に2度派遣され、1951年5月31日から8月25日までは航空母艦プリンストン Princeton(CV-37)、1952年6月16日から1953年2月6日までは航空母艦エセックス Essex(CV-9)から出撃した。1953年2月4日、同飛行隊はVF-123に改称され、F9F-2パンサーに移行した。1958年4月、同飛行隊はF3Hディーモンに移行し、VF-53に改称された |
| 1962 | 1962年6月20日、部隊はVF-143に改称され、F-4ファントムIIへの移行を開始した。ヴェトナム戦争中、部隊は7回派遣された。飛行隊は1964年5月5日から1965年2月1日まで攻撃航空母艦コンステレーション Constellation(CVA-64)に配備された。飛行隊は1965年12月10日から1966年8月25日まで攻撃航空母艦レンジャー Ranger(CVA-61)に配備された。飛行隊は1967年4月27日から12月4日までふたたびコンステレーションに配備された。 |
| 1971/6 | 飛行隊は1971年6月11日から1972年2月12日まで、原子力攻撃航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVAN-65)に配備された。VF-143の最後のヴェトナム派遣は、1972年9月12日、エンタープライズに配備された。 |
| 1973/6 | 飛行隊は1973年6月12日にミラマー海軍航空基地 NAS Miramarに戻り、3か月後にはファントムIIによる最後の地中海デプロイメントを行った。1974年、VF-143はF-14トムキャットに乗り換え、1976年には拠点をオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaに変更した。VF-143と姉妹飛行隊のVF-142は、1976年の汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)に搭乗して処女航海を行った |
| 1980 | 1980年、VF-143はイラン・イラク戦争への対応としてインド洋に展開し、海軍の航行記録として153日間を樹立した。VF-143はすぐに戦術航空偵察ポッド・システム(Tactical
Air Reconnaissance Pod System: TARPS)の運用能力を獲得し、ソヴィエトの新型空母Novorossiyskと新型スラヴァ級ミサイル巡洋艦の画像を初めて提供した。1983年8月5日、VF-143は地中海で、原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)の南約220km(140マイル)の海域でリビア空軍のMiG-23戦闘機5機を迎撃した。これらの遭遇戦で武器の発射は行われなかったが、状況は“非常に緊迫していた”と評された。同飛行隊は1983年秋、レバノン上空で45回の戦闘偵察出撃を行い、TARPS戦闘任務を遂行した最初の飛行隊となった (↑キエフ級重航空巡洋艦) (↑スラヴァ級ミサイル巡洋艦) |
| 1990/3 | VF-143は、1990年3月にドワイト D. アイゼンハワーに搭載され、F-14A+(のちにF-14Bに改称)を配備した最初の飛行隊の一つであった。1990年8月にイラクがクウェートに侵攻した際、ドワイト D. アイゼンハワーとその戦闘群 battle groupは、イラク軍のサウジ・アラビアへのさらなる進撃を阻止するため、紅海へ急行した。8月下旬、汎用航空母艦サラトガ Saratoga(CV-60)がドワイト D. アイゼンハワーと交代した |
| 1991初め | |
| 1992/8 | 1992年8月、VF-143飛行隊と第7空母航空団 Carrier Air Wing Sevenの残りの隊員は、海軍最新鋭の原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に空母を切り替えた。VF-143はジョージ・ワシントンの処女航海に派遣され、1994年5月には同艦初の地中海デプロイメントに臨み、ノルマンディ上陸作戦50周年記念式典と“デナイ・フライト作戦
Operation Deny Flight”に参加した。VF-143は1994年12月にオシアナ海軍航空基地に帰還した。 |
| 1996/1 | 1996年1月、VF-143は13ヶ月ぶりのデプロイメントに出発し、“ディサシヴ・エンデヴァー作戦 Operation Decisive Endeavour”と“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”を支援した。飛行隊はTARPS運用、前線航空管制 Forward Air Controller,、制空権確保、空対地戦闘任務を担当した。 VF-143は1996年7月にオセアナに帰還した |
| 1997初め | 1997年初め、VF-143は海軍最新鋭原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)に移籍し、1998年にデプロイメントを開始した。最初の展開ではペルシャ湾に展開し、“サザン・ウォッチ作戦”の支援のため131日間を過ごした。VF-143は、LANTIRN、暗視ゴーグル、デジタルTARPSを用いて重要な役割を担った。 |
| VF-143は、“サザン・ウォッチ作戦”、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”、そして“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するためにデプロイメントした。F-14が最後にデプロイメントしたのは2004年、“イラクの自由作戦”を支援するため、空母ジョージ・ワシントンに搭乗してデプロイメントした。この間、飛行隊は4月28日から29日にかけてファルージャ Fallujah上空での攻撃に参加した | |
| 2005 | 2005年、VF-143はF/A-18Eスーパー・ホーネットに移行し、第143戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 143: VFA-143)と改称された |
| 2006 | F/A-18Eの最初のデプロイメントは2006年に開始され、2007年春に終了した。空母ドワイト D. アイゼンハワーでのクルーズ中、VFA-143は“イラクの自由作戦”、“不朽の自由作戦”、そしてソマリア沖での作戦を支援した |
| 2009/2 | 2009年2月21日、VFA-143とCVW-7は、“不朽の自由作戦”とペルシャ湾での海上安全保障活動を支援するために、ドワイト D. アイゼンハワーに乗艦した。2009年7月30日、ドワイト D. アイゼンハワーは、約6か月の展開を終えてノーフォーク海軍基地 NS Norfolkに帰還した |
| 2010 | VFA-143とCVW-7の残りの部隊は、2010年1月2日に空母ドワイト D. アイゼンハワーに乗艦し、第5艦隊および第6艦隊 5th and
6th Fleetの作戦支援のため7ヶ月間のデプロイメントに出発した。 |
| 2015 | 2年間の整備期間を経て、“ピューキン・ドッグス”とCVW-7の残りの隊員は、2015年11月15日に原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)に乗艦し、“生来の決意作戦 Operation Inherent Resolve”を支援する7ヶ月間のデプロイメントに出発した。CVW-7は、イラクのファルージャ Fallujah、ラマディ Ramadi、モスル Mosul近郊の標的に対し、記録的な数とトン数の兵器を投下した。また、シリア西部の連合軍を支援した。VFA-143は、422発の精密誘導兵器を投下し、総重量は約40万ポンドに達した。 VFA-143は1か月の延長を経て、2016年7月12日にヴァージニア・オーシャナ海軍航空基地 NAS Oceana Virginiaに帰還した |
| 2023/10 | CVW-7に45年間所属したのち、同飛行隊は2023年10月より第1空母航空団 Carrier Air Wing Oneに移管された |
| 2024/9 | 2024年9月下旬、VFA-143と所属のF/A-18Eは、CVW-1の一部として、ハリー S. トルーマンに搭乗し、予定通りデプロイメントのため米国を出発した |
| 欧州各国軍との複数回の演習ののち、VFA-143とCVW-1は、イエメンからのフーシ派/イラン代理軍による攻撃から国際航路とイスラエルを守るため、紅海での作戦行動を命じられた。VFA-143とCVW-1は2024年12月中旬にCENTCOM(中央軍)管轄区域に到着し、紅海到着と同時にフーシ派/イランに対する戦闘作戦を開始した | |
| 2024/12 | 2024年12月後半から2025年4月にかけて、フーシ派/イランに対する空爆が行われた。2025年3月15日以降、イエメンのフーシ派/イラン代理軍部隊に対する攻撃が大幅に増加し、VFA-143とCVW-1はより広範な敵標的への出撃を増加させた |
↑VFA-143 F/A-18E Super Hornet takes off from USS Dwight D. Eisenhower. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 26/01/14