戦闘機、戦闘攻撃機

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※FYは会計年度 Fiscal Yearの略。kNは1kN=102.0kgf=102.0kg。Gは1.0G=9.80665m/s²。各機のBu.No. や備考欄は次ページへ。“ハード・デッキ hard deck”とはトップガン Topgun(海軍戦闘機兵器学校 United States Navy Fighter Weapons School:NFWS)の空戦ルール一つで、地上5,000フィート(1,524m)以下での機動は許可されてないという意味。逆に地上10,000フィート(3,048m)以下でのみ許される意味は“ソフト・デッキ soft deck”といわれる「F-14トップガンデイズ 最強の海軍戦闘機部隊」(並木書房、原著は"TOPGUN DAYS: DOGFIGHTING, CHEATING DEATH, AND HOLLYWOOD GLORY AS ONE OF AMERICA'S BEST FIGHTER JOCKS" Skyhorse Publishing, Inc., 2012.)
グラマン社(現ノースロップ・グラマン社)製 初飛行:1970年12月21日(F-14A-01-GR) 退役日:2006年9月22日
スペック F-14A F-14B F-14D
全幅 19.54m(前進時)
11.65m(後退時)
10.15m(格納最大後退時)
全長 19.10m(プローブ先端から)
全高 4.88m
翼面積 52.49m²
(空戦時の翼面荷重は90psf(440kg/m²)となるが、後退角を68゚にすると、VG翼と一体となり、翼面積が41.16m²に相当する揚力を発揮するため、総主翼面積は93.65m²となり、翼面荷重は55psf(269kg/m²)と低減する)
空虚運用重量 18,191kg 18,951kg 19,838kg
最大離陸重量 32,659kg(全てのヴァージョンに共通する運用制限)
33,735kg(製造者指定の制限)
パワープラント アフターバーナー使用時片側定格推力92.97kNのプラット&ホイットニー製TF30-P-412A/414Aターボファン・エンジン2基
直径1,245mm、重量1,824.80kg、風量117.93kg/秒、バイパス比0.73、最大燃焼室温度1,590K。エンジン比燃料消費量は68.03kg/kNh、アフターバーナー使用時は254.91kg/kNh。1982年からのTF30-P-414Aは推力89kNをあえて76kNに減格させて操縦の自由度を高めた。推力による性能はそれほど変わらず。P-412より大きな加速度(G)や迎え角(AOA)で操作することもでき、コンプレッサー・ストールも生じにくかった)
参考文献:週刊「F-14トムキャット」第77号(アシェット・コレクションズ・ジャパン)
アフターバーナー使用時片側定格推力122.8kNのジェネラル・エレクトリック製F110-GE-400ターボファン・エンジン2基
直径1,180mm、重量1,741.79kg、風量約120.20kg/秒、バイパス比0.85、最大燃焼室温度1,745K。エンジン比燃料消費量は200.94kg/kNh、アフターバーナー使用時は74.84kg/kNh。海面ではアフターバーナーを使用して104kNを発生させ、マッハ0.9では134kNにまで上昇することができる)

参考文献:NAVAIR 01-F-14AAD-1A F-14D NATOPS FLIGHT MANUAL
水平飛行最大速度 高高度2,485km/h
低高度1,466km/h
チャック・ハンター氏 Chuck Hunterの回想録“翼を前に突き出したら(緊急翼掃引ハンドル pulling up on the emergency wing sweep handleを引き上げ、物理的に翼を位置づけることで、手動で好きな場所に翼を配置できる能力)どれくらいの速度が出るものなのか。あるいは、推力と抗力から見て、物理的にどれくらいの速度が出せるのか?私は、F-14を90度機首下げ、無負荷、バーナー点火で、130ktから1.2マッハまで瞬く間に飛ばしたことがある。この20゚の翼は、そこに到達するための要因にはならないだろう。1.2マッハ(800kt)で止まったのは、それが低高度での機体速度の限界だったからだ。だから、答えは2つ。マッハ0.5のために設計されたもので、推力比からすると、高度がある限り、あるいはさまざまな理由で飛ばなくなるまで引っ張っていく”
高高度2,485km/h
低高度1,466km/h
非公式の低高度速度記録は1,731km/h(マッハ1.35))
制限マッハ数 高高度2.38;2.43達成
達成後も加速を続けた
参考文献:THE AVIATION GEEK CLUBもしくは週刊「F-14トムキャット」第77号(アシェット・コレクションズ・ジャパン))
海面高度最大上昇率 9,144m/min
(マッハ0.8から1.8までの加速時間1.25分)
13,716m以上/min
(加速時間約40%改善)
実用上昇限度 15,240m以上
(17,556mともいわれる
(Hi-Hi-Hiミッション))
16,154m以上
(17,221mともいわれる
(Hi-Hi-Hiミッション))
絶対上昇記録 17,070m
参考文献:週刊「ワールド・エアクラフト -世界の航空機 完全データファイル-」創刊号
(FILE 133 SHEET 02、デアゴスティーニ・ジャパン)

18,684.24m(JO contestの勝者)
制限重力加速度 +6.5G
フェリー航続距離
(増槽2個搭載)
3,213km 3,796km
戦闘行動半径
(戦闘空中哨戒)
1,229km 1,993km
戦闘行動半径
(AIM-7スパロー4発、280ガロン増槽2個使用時のHi-Hi-Hiミッション)
n/a n/a 1,394km
戦闘行動半径
(Hi-Lo-Hi攻撃ミッション)
n/a 703km
陸上飛行場での離陸滑走距離
(最大離陸重量時)
427m 762m
陸上飛行場での着陸滑走距離 884m 732m
兵装 ◎機関砲:M61A1ヴァルカン20mm回転式機関砲1門(携行弾薬675発(例えばVF-213のあるF-14は2001年10月7日夜の作戦第1夜では678発携行参考文献:オスプレイエアコンバットシリーズ スペシャルエディション 4「アメリカ海軍F-14トムキャット飛行隊【不朽の自由作戦編】」(大日本絵画、原著は"COMBAT AIRCRAFT 70 F-14 TOMCAT UNITS OF OPERATION ENDURING FREEDOM" Osprey Publishing, 2012.))
◎空対空ミサイル:AIM-54フェニックス(6発搭載を“ドゥームズデイ Doomsday”兵装という)、AAAM(計画のみ、AIM-152&AIM-155(12))、AIM-120 AMRAAM(運用試験のみ)、AIM-7スパロー、AIM-9サイドワインダー
◎精密誘導兵器(PGM):AGM-65マヴェリック(運用試験のみ)、AGM-88 HARM(運用試験のみ)、GBU-10/12/16/24レーザー誘導爆弾、GBU-31/32/35 JDAM
◎無誘導弾薬:Mk. 80シリーズ汎用爆弾、Mk. 7子弾ディスペンサー(Mk. 20ロックアイII、CBU-78ゲイター地雷ディスペンサー、CBU-99/100ロックアイを含む)、LAU-10/97ズーニ自由飛翔空対空ロケット(FFAR)ポッド
乗員 2名
ユニット・コスト $38,000,000(1973年時、現在(2021年)のインフレを反映して調整すると、1機あたり$234,000,000以上) n/a $74,000,000(1988年時、現在(2021年)のインフレを反映して調整すると、1機あたり$171,000,000)
※社内呼称モデル303(G-303)
グラマン社は制限重力加速度+9G~-5.5Gで開発したが(AIM-54を6発搭載時には8GまでOK)、あるNAVAIRのパイロットは“海軍は100年使えるようにしたかったから、6.5Gに落としたんだ!”と言っている。1970年代末には6.5Gとするも訓練中、7Gで飛ぶこともあったそうである。あるトムキャットライダーは、資格訓練中にA-4との対戦で8.5gの負荷をかけたところ、教官からその攻撃性を肯定的に評価されたと語っている(1975年当時)イラン・イラク戦争中、ペルシャ湾のノウルズ油田 Nowruz oil field近海にてイラン空軍のF-14(パイロットはJ. Shokraee-Fard少佐)は5機のミラージュF1との空戦機動中に11.5Gを記録(6発のマトラ製IRミサイルと機関砲弾を避けるため)するも翼とラダーにいくつかのクラックができ、修理再生(航空機の縦軸に沿って19ヶ所の亀裂と破壊)するのに2年を要した(空戦中、1機のミラージュF1は海面に激突)。パイロットは重傷(6ヶ月間の首・頸椎用サポーター装着、膝を負傷し退役後も2回の手術)を負う。湾岸戦争中、海軍のデイル“スノート”スノッドグラス氏(最終階級は大佐) Dale "Snort" Snodgrassは、マッハ4で接近するイラク軍SA-2をよけるのに8~10Gでかわした(12
イラン・イラク戦争中のエピソードを1つ。1980年10月29日、“スルターン・テン”作戦中(イラン空軍初のイラク領内長距離侵攻作戦)にイラクのドホーク平野上空にてK. セジー大尉 Captain K. Shedgiの操縦するF-14A“スルターン7”は3機のイラク空軍のMiG-23MFMiG-23ML?、1機目と2機目はAIM-54Aで、3機目はAIM-9Pで撃墜)撃墜後、4機目のMiG-23に“6時方向”いわゆる後ろを取られる。セジー大尉は“回避旋回”という機動(操縦桿を目いっぱい引き、ラダーを踏み込み、大きな方向転換率と横転率でF-14を高迎え角にして“凧”のように立て減速する機動)を行う。操縦桿を一番後ろに倒したまま、フルラダーで急旋回すると高速シザーズ機動により巨大なG荷重が発生、F-14の速度は数秒で150kt(277km/h)まで落ちた。機首は垂直にまで上がり、MiG-23をオーヴァーシュートさせる。アフターバーナーを作動させ追跡しAIM-9で撃墜する(イラン空軍のパイロット達は高AOAでの超低空ドッグファイト能力など、自身のF-14操縦技術を磨いた。このような機動はアメリカ海軍では危険すぎると考えられていたが、イラン空軍のパイロットは日常的に用いていた。こうした戦術により、F-14搭乗員達は最大14機のイラク空軍戦闘機との空戦で生き残るだけでなく、撃墜を達成することも珍しくなかった参考文献:オスプレイエアコンバットシリーズ スペシャルエディション 2「イラン空軍のF-14トムキャット飛行隊」(大日本絵画、原著は"COMBAT AIRCRAFT 49 IRANIAN F-14 TOMCAT UNITS IN COMBAT" Osprey Publishing, 2004.)
チャック“マンブルズ”スコット氏 Chuck "Mumbles" Scottの回想録。1983年夏にベイルートのアメリカ海兵隊兵舎が爆破され多数の命が失われた。頭上のシリア軍機により、海兵隊は飛行場付近に釘付けにされる。私達は汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)で地中海へ進出。戦術航空偵察ポッド・システム(TARPS)飛行による結果、シリアの濃密な対空兵力の前に偵察飛行のやり方を変える。誰も見たことのない海面高度高速飛行で偵察しなければならなくなった。まずAIM-54と増槽を装備から外す、海軍航空システム軍団(NAVAIR)がやって来て、海軍航空訓練業務標準手順(NATOPS)の速度制限を解除。各機のコクピットにライフル銃のスコープと市販の車載レーダー探知機を取り付けた。任務のたびに私達は撃たれたが、損害はごくわずかだった。だがいかんせん、私達はグラマン鉄工所製のこの飛行機をボロボロにしてしまった。ソーティから戻ると毎回パネルや給油プローブドアに塗装、はてはチャフ/フレアディスペンサーまでもが脱落していた。ある飛行でトラック搭載型のSA-7発射台がミサイルを6発真横から撃ちこんできたが、こちらのスピードが速すぎて誘導追跡出来なかったとのこと参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)
ジョー“ホウザー”サトラパ氏 Joe "Hoser" Satrapaの回想録。モンロー“ホーク”スミス氏 Monroe "Hawk" Smith(初期のトップガンにてT-38を操っていた一人)が、“ホウザー”の後ろを取ったとき“ガンズ・オン・ホウザー”(ホウザーを銃撃)と宣言。“ガンズ”と聞いた瞬間、“ホウザー”は操縦していたF-14を瞬間最大加速12Gのブレイクに入れた。後席のRIOヒル“ヒル・ビリー”ヒル氏 Bill "Hill Billy" Hillはちょっと下を向いた所、頭が足首まで下がった。もし後席に操縦桿があったら死んでいたそうだ。帰還後、グラマン社がその機体を調査した所、キズ一つ付いていなかったとのこと参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)
ジョン“スタッシュ”フリスターチ氏 John "Stash" Fristachiの回想録。アドヴァーサリー機を飛ばしていたころ、W-72演習場高度12,000フィート(3,657m)にてデイル“スノート”スノッドグラス氏のF-14Aと“スタッシュ”が弾道飛行になり、直径500フィート(152m)の回転機動しながら“スタッシュ”が目撃した。弾道飛行しながら“スノート”はどうにか爪先旋回でこちらに軸線を向けることに成功。エンジン出力を非対称にする空中機動(1980年代末にトップガンのマニュアルに書かれていた教科書的なラダー逆転操縦法。上手く“運”とコンプレッサー・ストールが組み合わさると、A型を水平スピン寸前にできた。しかし、この技は手練れのパイロットしかできない危険な技)。“スタッシュ”もF-16F/A-18相手にここぞの状況で使用。これはいつも大受けだったそうだ参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)
マーク“モンク”バスリック氏 Mark "Monk" Bathrickの回想録。低空で侵入後、F/A-18隊と地表から27,000フィート(8,229m)まで上昇を開始。上昇中、“モンク”のB型は戦闘スプレッド編隊をMILパワーでも余裕で維持していたが、F/A-18Cに搭乗していた攻撃隊長は27,000フィートの攻撃開始地点までフルバーナーで上昇。兵装投下後、両編隊は地表をあとにすると、マッハ0.95で超音速回廊を目指したが、またしても先導機はフルバーナー(燃料消費量は二倍)なのに対し、“モンク”達のB型はミリタリー未満相当の推力だった。回廊でF110ターボファン・エンジンのバーナーに点火すると、カタパルト射出のようにシートに押し付けられる。あっという間に機体はマッハ1.35を超えた。この急加速でF/A-18隊から3マイル(4,828m)先行したが、まだF/A-18隊の出撃時よりも燃料残量が多かった。デブリーフィングで知ったのだが、両方の編隊が超音速回廊に入った直後にSA-3を撃たれていたのだった。衝撃と畏怖に包まれて、勢揃いしていた攻撃隊参加者は映像を見て口をあんぐりと開けていた。攻撃隊長のF/A-18の近くに小さな棺桶が出現したのに対し、“モンク”達を狙ったミサイルは邁進するトムキャットを捉える前に燃料が尽きた。部屋のF-14側から喝采のどよめきが起こった。ちなみにイスラエル軍ではスピードは命だという参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)
ジェリー“テスティ”パーソンズ氏 Gerry "Testy" Parsonsの回想録。ある日、F/A-18に守勢に立たされていた。“テスティ”は後席で新人RIO、前席はバレット“ボブ”アレン氏。機体は必死の旋回をし続け、経験した事のないGに耐えていた。あと、“撃墜判定”まで半秒のとき、突然機体は改良ロムチェヴォクの最中に強引に機首を下に直立し、F/A-18が消え去った。再び発見したとき、相手は一段下に来ていた。“ボブ”は高速ヨーヨーを打つとピパーを相手のヘルメットの後ろにピタリと付けた(“ボブ”が操縦していたのはA型でTF30ターボファン・エンジンはずっと快調だった)。後に士官クラブで“ボブ”に訊くと、“激しすぎる引き起こしで高荷重機動から抜け出し、F-14を超高AOAにした。最高速域での“継続旋回”にデカい迎撃機の納屋の扉にみたいに巨大な空気抵抗が組み合わさり、ちっこいホーネットが俺たちの前に転がり出てきたのさ”参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)
アレックス“バトラー”ラッカー氏 Alex "Battler" Ruckerの回想録。1975年に“バトラー”はトップガンのスタッフで、“ホウザー”はネリスでAIM/ACE(空対空ミサイル評価/空戦評価)に没頭していた。チョコレートマウンテンの砂漠の上空で2人で落ち合い模擬空戦が始まった。F-5を第二の皮膚のように感じていた“バトラー”は、“ホウザー”のF-14に挑むも“撃墜判定”を食らう。最後に“ホウザー”は彼の後方1,500フィート(457m)に“バトラー”を着けてから始めてみようと提案。“バトラー”は意気込んで“撃墜判定”を狙うも“ホウザー”は急激に機首を上げ、有名な得意技“ヴォーボシュカ”機動 'Vorboschka' manoeuvreを行う。操縦桿を斜め前方に倒しきり、ラダーを反対側へ盛大に切った。間もなく“バトラー”は巨大なF-14の平面形が空中に静止したかと思うと、こちらがその前に滑り出る。瞬間、F-14の機種がくるりと戻るの目撃。またしても後方から“撃墜判定”を食らってしまう参考文献:F-14トムキャット写真集(大日本絵画、原著は"TOMCAT BYE-BYE, BABY...!" Zenith Press, 2006.)もしくはTHE AVIATION GEEK CLUB
F-14歴史の中で最高得点のパイロットになったのはイラン空軍のジャリル・ザンディ Jalil Zandi(最終階級は准将)。4機のMiG-23、2機のSu-22、2機のMiG-21、および3機のミラージュF1(8機+非公認3機)
Joe F. Edwards氏の回想録。1980年代末にVF-142に所属し、デザード・シールド作戦前のF-14A+のテスト・フライトの仕上げにて、5~6機のF-5、A-4、F-16Nの混成群(VF-43所属機)とその日最後の模擬空戦をした。オシアナ海軍航空基地を出発し、4機でボギー何機かを撃墜判定したのち、急いでオシアナに逃げ去った。1機のF-16Nが追跡するもアフタバーナー全開で高度を下げ、逃げ切ることに成功。デブリーフィングで大画面に表示された低高度で飛ぶ航空機の対気速度とマッハ数のデジタル表示は1,731km/h(マッハ1.35)だった(非公式の低空高速記録となる)
サム“スラマー”リチャードソン退役大佐 Retired US Navy Captain Captain Sam "Slammer" Richardson氏の回想録。VF-101(東海岸のF-14訓練飛行隊)の指揮官になったとき、より強力なエンジンを搭載したF-14Dに乗る教官パイロットと対戦することになり、彼はF-14Aでの飛行を好んだ。“スラマー”が勝利したことで、相手の教官は自分がトムキャットについて学ぶべきことが多く、エンジンに頼っていてはあらゆる状況を打開できないことを悟ったという。もっとも注目を集めそうなのは、“スラマー”がVF-14に所属していた1990年代後半にドイツ空軍のMiG-29を相手に1対1の訓練を行ったときの話だ。“ある日、私はMiG-29と戦った。忘れもしない最初の戦いは、私にとってうまくいかなかった。積極的にプレッシャーをかける戦い方をしてみたが、惨敗だった”最初の交戦ののち、彼は“頭の中がごちゃごちゃになってしまった。どうすればいいんだ?飛行機とは戦えない、パイロットと戦わなければならないと悟ったんだ”そして、2回目の戦闘開始時、“スラマー”は“わざと彼の真下を飛んだ。彼が地獄のように攻撃的であることは知っていたが、案の定、彼は噛み付いてきた。彼の2つのアフターバーナーを見ました。彼は恐らく500ノットのスピードで下降していて、2つのアフターバーナーを使っていました。そこで私は“やった!”と思い、上空に上がって機首の位置を変え、弧を描くMiG-29を見たのです”“スラマー”は、相手の機体の限界を知ることで、有利な状況に持ち込むことができた。“レティクルにMiGが写っているガン・カメラ(映像)を見ると、とても感動します”彼はMiG-29のパイロットに“Knock it off”のコールを強要した。そののち、フルクラムのパイロットは、トムキャットとの戦いに負けたことしか語れなかったという。“スラマー”は “私は彼の頭の中に入り込んだ”と言った。フォン・リヒトホーフェン Manfred Albrecht Freiherr von Richthofenの“木箱の質はほとんど重要ではない”という言葉をさらに裏付けるものだ。重要なのは、その中にいる人間の質である
1999年1月5日早朝、VF-213の2機のAIM-54C搭載のF-14Dが、AIM-120搭載F/A-18Cの部隊とともにイラク南部上空に飛来した。トムキャットのクルーは、LCDR Vince `Bluto' SparitoとLCDR Bob 'Jumby' Castleton(Bu.No. 163903, Modex NH-107) とLT Jonathan 'Shoe' ShoemakerとLT Mike `BuFi' Bilzor(Bu.No. 159619, Modex NH-106)であった。イラクの迎撃機は夜明けから南NFZ上空で活動し、そのうちの1編隊はアメリカ空軍のF-15C編隊と交戦した。アメリカ空軍は長距離からAIM-7M 1機とAIM-120 3機を発射したが全て失敗した。約15分後、イラクの別の編隊が現れた。第93飛行隊のハッサン・アルハシェマウィ中佐 Lieutenant-Colonel Hassan al-Hashemawiが率いる2機のMiG-23MLが、RemoraECMポッドを装備してスワイラ飛行場からスクランブル発進したのである。トムキャットの進入と同時に、地上管制官は両イラク・パイロットに基地に引き返すよう進言し、敵を待ち伏せに誘い込もうとした。AWACSは3機のイラク軍機を探知し、トムキャットとホーネットのパイロットに発砲を許可した。F-14が交戦すると、イラク側はマッハ1.5まで加速したMiG-25をスクランブル発進させた。トムキャットはマッハ1.2、高度12,192m(40,000ft)、ホーネットの前方129.64km(70nm)を飛行中であったが、新たな脅威に遭遇し、先頭のF-14DがAIM-54Cを1発、後続が2発目を発射し、交戦した。しかし、原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)の甲板から発艦する前に誤った武装をしていたため、フェニックス・ミサイルは2機ともエンジンを作動させることなく、地上に落下した。フォックスバットはしばらく接近を続けたが、トムキャットの乗員は合流しないよう忠告され、南方へ向けて離脱した。一方、VFA-22とVFA-97の2機のF/A-18は、バグダッド方面に超音速で疾走する2機のMiG-23MLを遮断すべく北にヴェクタリングしていた。相手との距離は約130kmまで接近していたが、海軍パイロットは相手を追い詰めることはできないと判断し、両機は南方へ離脱した。この時、MiG-23MLは2機とも燃料が極端に不足していたため、ハシェマウィは1980年代半ば以降、空軍基地となっていなかったラシッド基地への緊急着陸に踏み切った。リーダーは無事に着陸したが、彼の僚機ファラ・マンディ・アルアザウィ少佐 Major Fallah Mandi al-Azzawiは最初の試みでオーヴァーシュートし、旋回飛行を強いられた。2度目の着陸を試みるために接近中、彼の飛行機は燃料切れで失速し、滑走路のわずか200m手前に墜落し、不運なパイロットは死亡した。アメリカ海軍の公式な撃墜(キル kill)記録には残っていないが、CVW-11司令官 commander of the CVW-11のジェームス T. ナイト大佐 CAPT James T. Knightは“ふざけるな、キルはキルだ”と論理的な結論を下した
元米海軍F-14テスト・パイロットのドイル・ボーチャーズ Doyle Borchersは、トムキャットで飛行したマッハ2以上の爽快なテスト飛行をQuoraで回想している。“私はF-14Aプロジェクトの海軍テスト・パイロットだったので、トムキャットでたくさんの超音速飛行を経験した。テスト飛行でF-14飛行隊を指揮したとき、新任のレーダー迎撃担当官 Radar Intercept Officerを初めて超音速に乗せたんだ。マッハ2を出すのもすてきなことだった。”“F-14は表示マッハ1.7程度が限界だった。マッハ・メーターはその領域でぐにゃぐにゃになった。機体はもっと高い真のマッハに制限されていた。私はその朝の気象情報を調べ、45,000フィート(13,716m)の気温をチェックした。真マッハは気温の関数である)”“とにかく、その朝、表示マッハ1.72まで上げれば、その高度で真のマッハ2を超えられると思った。だから発進して高度を上げ、バーナーに点火して表示マッハ1.72まで加速した。ミッションは達成された”。ボーチャーズはこう締めくくっている“着陸して、タキシングでラインに入ったとき、機長が興奮しているように見えた。私は降りて飛行機をポスト・フライト post flightedさせた。機体の後部全体が焦げていた。デブリーフィングに入り、45,000での気温を再チェックしたところ、メトロがしくじっていた。機体のエポキシ塗料は2.4Mまでの温度に耐えられるように設計されているので、実際に飛行した温度ではマッハ2をかなり超えていたに違いない”参考文献:THE AVIATION GEEK CLUB
F-14の展示、墜落位置やF-14に関する事柄と日時を表示GooglMapにて作成した素晴らしいグループWhere have all the Tomcats gone
↑第1戦闘飛行隊(VF-1)“ウルフパック”所属F-14A

↑第14戦闘飛行隊(VF-14)“トップハッターズ”所属F-14A

↑第84戦闘飛行隊(VF-84)“ジョリー・ロジャース”所属F-14A
↑第111戦闘飛行隊(VF-111)“サンダウナーズ”所属F-14A

↑第154戦闘飛行隊(VF-154)“ブラック・ナイツ”所属F-14A
↑At sea with USS George Washington (CVN-73) Sep. 24, 2002 -- Lt. West McCall, an F-14 "Tomcat" pilot from Deland, Fla., and Lt. Kimberly Arrington, a Radar Intercept Officer from King, N.C., both assigned to the "Jolly Rogers" of Fighter Squadron One Zero Three (VF-103), test fire a Phoenix air to air missile as part of the annual proficiency test during Exercise Mediterranean Shark. The Phoenix missile is the Navy's only long-range air-to-air missile. It is an airborne weapons control system with multiple-target handling capabilities. Exercise Mediterranean Shark is a bilateral training exercise conducted in Morocco by a U.S. Marine Expeditionary Unit MEU/SOC (Special Operations Capable), to show the effectiveness of the Marine Air Ground Task Force (MAGTF). George Washington and her embarked Carrier Air Wing Seventeen (CVW-17) are on a scheduled six month deployment and have participated in combat missions in support of Operation Enduring Freedom and Operation Southern Watch. U.S. Navy photo by Capt. Dana Potts. (RELEASED)
↑Atlantic Ocean (Oct. 17, 2002) -- An F-14D "Tomcat" assigned to the Evaluators of VX-9 Det. Point Mugu. heads back to Key West Naval Air Station (NAS) after intense "dog fight" training over the Atlantic Ocean during exercise Cope Snapper 2002. Cope Snapper is a multi-aircraft exercise that engages dissimilar air combat training with on fighter data link and joint operations with the Navy. The members involved in Cope Snapper consist of the 159th Fighter Wing from Louisiana, the 169th AGS McEntire Air National Guard from South Carolina, and the Navy's F/A-18 "Hornet" and F-14 "Tomcat" fighter jets. U.S. Air Force photo by Staff Sgt. Shane A. Cuomo. (RELEASED)

↑First combat missions for the F-14 Tomcat. A VF-1 bird on CAP over South Vietnam as cover for operation "Frequent WInd", April, 1975.


Grumman F-14 Tomcat. Lars Christensen.
Dale "Snort" Snodgrass incredible instant turn rate with F14A. maxsin1972.
f-14 flyby also gun strafing. bob reed.

F-14 versus Everything (with soundtrack). okisoba.

↑Image courtesy of Shipbucket.
※下の機体F-14A-95-GRは次ページのBu.No. 別の機体履歴でも書いているが、このBu.No. 160377(イラン空軍のシリアル・ナンバー3-6079)は1980年秋(81st TFS所属機)にイラク空軍のMiG-21MiG-23を各1機撃墜。1988年2月9日にイラク空軍のミラージュF1EQを3機撃墜した(2時間に2回の空戦で。撃墜した3機のミラージュF1EQの内、ミラージュF1EQ-5は2機)参考文献:オスプレイエアコンバットシリーズ スペシャルエディション 2「イラン空軍のF-14トムキャット飛行隊」(大日本絵画、原著は"COMBAT AIRCRAFT 49 IRANIAN F-14 TOMCAT UNITS IN COMBAT" Osprey Publishing, 2004.)

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※以下は提案するも採用されなかった国々

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