陸軍輸送船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※United States Army Transport(合衆国陸軍輸送船)の略。SCAJAPは、1945年10月10日にGHQが設置した日本商船管理局 Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marineの略。12月9日にGHQが100総t以上の全船舶にSCAJAP番号を表示し、運行許可証携帯のうえ、日本水域の航行を許可
軽荷排水量:2,382t 満載排水量:7,450t 全長:118.46m 幅:15.24m 吃水:6.42m 主機/軸数:Nordberg式TSM6ディーゼル機関1基/1軸 出力:1,750馬力 速力:11.5kt
C1-M-AV1型貨物船を改装
※貨物搭載量は積貨重量トン数:3,945積貨重量t、冷凍貨物が278.35立方m、ドライ・カーゴが6,448.59立方m
※30tクレーンを搭載
艦名 NAME 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
マスキンガム Muskingum Globe Shipbuilding Co., Superior ◎退役後、陸軍に移管、のちにSCAJAPに貸与(SCAJAP番号V108(V208?))
◎1950/4/1(1950/7/1?) 海軍に移管、籍をもどす、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運航(T-AK-198)
ジョー R. ヘイスティングス二等兵 Pvt. Joe R. Hastings Leatham D. Smith Ship Building Co.
(Leatham D. Smith Shipbuilding Co.?)
◎1947 陸軍に移管、ジョー R. ヘイスティングス二等兵 Pvt. Joe R. Hastingsと改名
◎1950 海事局に移管
◎1955 コースタル・クルーセーダーと改名
◎1963 空軍に移管、ミサイル実験支援艦[ミサイル追跡艦]に改装、艦種をミサイル実験支援艦[ミサイル追跡艦](E-45-1851)に改める、大西洋の空軍東部試験場(Air Force Eastern Test Range)にて運用
フェアフィールド Fairfield Kaiser Company, Inc., Richmond No. 4 Yard ◎1946/2/5 War Shipping Administrationに移管、陸軍に移管
1946/12/18 Babuyan Islandの東海岸にて座礁(以下は、中型揚陸艦LSM-432に少尉として配属されていたダグラス・スタール大佐 CAPT Douglas Stahlのオーラル・ヒストリー(口述歴史)からの引用。なお、座礁した日付は海軍の記録と異なるが、個人の手記によって裏付けられている。 陸軍輸送船フェアフィールド FairfieldはC1-M-AV1型貨物船であった。1945年3月に貨物輸送艦フェアフィールド(AK-178)として就役した。1946年1月に退役し、陸軍に移管。太平洋の島々から日本兵を日本へ帰還させるために使われたとされる日本人クルーが乗船していた。フェアフィールドは1946年12月18日にBabuyan Island(フィリピン・ルソン島北端の北約70マイル)の北海岸で座礁した。スービック湾を拠点とする中型揚陸艦LSM-432は、フェアフィールドの乗員の救助と船の状態を調査するために派遣された。天候が荒れていたため、フェアフィールドの調査はできなかったが、船員の乗った救命ボートを回収した。日本人乗員はマニラに移送され、中国国民党海兵隊 Chinese Marinesに引き渡された(憎しみを考えると、その乗員は今までどうなっていたのだろう)。 LSM-432は、調査のためBabuyanへ戻された。LSM-432とフェアフィールド間の輸送を支援するため、Babuyanから南へ約30海里のカミギン島 Camiguin Islandに立ち寄り、現地のバンカ・ボート banca boat 2隻とその乗組員を乗船させた。バンカ・ボートは、1947年1月6日に荒波で破壊される前に、1回だけ成功したことがある。乗員を回収するため、陸上でハイラインが敷かれた。ハイライン作業中、LSM-432は岩に乗り上げ、エンジン・ルームに突き刺さった。船が沈没したため、乗員はハイラインを使い、物資と乗員を陸に送った。無線機のバッテリーが切れていたため、SOSは送信されなかった。翌日、少尉と無線師がLSM-432に再乗船し、ルソン島北部の陸軍基地に簡単なSOSを発信することができた。その直後、PBYが飛来し、島の反対側に移動して救助するよう閃光メッセージを送った。乗員は、崖を登りジャングルを抜ける困難な道のりを、フェアフィールドを略奪するために仮設キャンプを構えていた現地の原住民に助けられた。救助を待っている間に、地元の原住民はバブヤンに残っていた一人の日本軍兵士を捕らえ、アメリカ人に引き渡した。約5日後、LSM-432の乗員は戦車揚陸艦LST-844に救助され、マニラに帰還。捕虜の日本人はマニラの中国国民党海兵隊に引き渡された(彼はどうなったのだろう?)。Babuyan Islandの北海岸にある2隻のアメリカの沈没船は、19.33N、121.56Eにほぼ位置している)
1947/4/29 全損と認定
エイコーン・ノット Acorn Knot Walter Butler Shipbuilders, Inc. ◎1946/7/28 海事委員会に移管、陸軍輸送隊に移管
◎1948/7 オークランドのムーア・ドライ・ドック社で兵員輸送船に改装(1949/3上旬)
◎1949/3/15 ジョージ D. キースリー三等軍曹 Sgt. George D. Keathleyと改名
◎1950/7/1 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行
スピンドル・アイ Spindle Eye Kaiser Company, Inc., Richmond No. 4 Yard ◎1946/7/26 陸軍がチャーター
◎1947末 カーティス F. シャウプ三等軍曹 Sgt. Curtis F. Shoupと改名
◎1950/1/25 海事委員会に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1963/1/16 軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行
◎1963/3/1 海軍に移管
ヒッコリー・ノール Hickory Knoll コンソリデーテッド・スチール社 ◎1950/11/24 陸軍輸送隊に移管
◎1974 ウィリアム J. サットン大将 General William J. Suttonと改名
◎1987/5 海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入
◎1988/6/10 解体のため売却
ベル・リンガー Bell Ringer J. A. Jones Construction Company ◎1946/8/30 陸軍輸送隊に移管
◎1971/3/4 解体のため、American Ship Dismantlers, Inc. に売却(売却額$35,105.00)
◎1978 解体
ジョン F. ソーソン二等兵 vt. John F. Thorson サウスイースタン・シップビルディング社 ◎1946/7/23 ニュー・オーリンズにて陸軍に移管、ジョン F. ソーソン二等兵 Pvt. John F. Thorsonと改名
◎1946/7/25 運用開始
◎1947/10/31 ジョン F. ソーソン二等兵 Pvt. John F. Thorsonと改名
◎1950/3/1 運用終了、海軍に移管
リンク・スプライス Link Splice サウスイースタン・シップビルディング社 ◎1946/6/20 海事委員会に移管、陸軍輸送隊に移管
◎1947/10/31 ジョナ E. ケリー三等軍曹 Sgt. Jonah E. Kelleyと改名
◎1948春 兵員輸送船に改装
◎1950/3/1(1950/7/1?) 海軍に移管、軍事海上輸送部隊(MSTS)が管理運行


Update 23/09/30