戦車揚陸艦
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略。RAVは限定的有用性期間(Restricted Availability Period)の略(ABC順)
- 軽荷排水量:2,590t(LST-1163は2,440t) 満載排水量:5,800t(LST-1158は6,225t、LST-1160〜LST-1162、LST-1166、LST-1169は5,777t) 全長:117.04m 幅:16.76m(LST-1158、LST-1163、LST-1164は17.06m、LST-1160〜LST-1162、LST-1165〜LST-1167、LST-1169は17.22m、LST-1168、LST-1170は16.91m) 吃水:5.18m(LST-1158、LST-1165、LST-1169は4.90m、LST-1162は3.20m、LST-1168、LST-1170は4.92m) 主機/軸数:ジェネラル・モータース式16-278Aディーゼル4基/2軸 出力:6,000制動馬力 速力:14.0kt(15.0ktともいわれる、LST-1160〜LST-1162、LST-1165〜LST-1167、LST-1169は14.5kt、LST-1163は13.0kt(公試)) 航続力:10.0ktで10,000浬 兵装:50口径76mm単装砲3基(のちに50口径76mm連装砲3基に換装)、20mm単装機関砲5基 乗員:115名(160名とも士官16名、下士官兵189名ともいわれる、LST-1157、LST-1159は116名、LST-1158は151名、LST-1162、LST-1165、LST-1167、LST-1169は153名、LST-1168、LST-1170は157名、LCPL1隻、LCVP3隻、貨物500t、兵員392名(士官15名、下士官兵380名ともいわれる、LST-1162は兵員366名、LST-1164、LST-1169は兵員376名)を塔載)
- ※テレボン・パリッシュ級ともいわれる
艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
LST-1156 (1、2) |
バス鉄工所 | 1952/11/21 | 1971/10/29 | 1976/11/1 | ◎1952/1/2 起工 ◎1952/8/9 進水 ◎1952/12? ノーフォーク海軍造船所にて修理改装 ◎1953秋 ノーフォーク海軍造船所にて改装 ◎1955/7/1 テレボン・パリッシュ Terrebonne Parishと命名 ◎1955? チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1958/2 オーヴァーホール ◎1961 オーヴァーホール ◎1963/3? ジャクソンヴィルにてオーヴァーホール ◎1965春 ボルティモアのベスレヘム・スチール社にてオーヴァーホール ◎1961/1 サン・ファンにて改装 ◎1971/10/29 スペインに貸与されVelasco(L 11)と改名 ◎退役後、La Carracaにて特殊部隊用の係留練習艦となる ◎1994ごろ 解体 |
◎Cuban missile crisis Nov-Dec 1962, Dominican Rep Mar, May-Jun, Aug-Sep 1966. | |||||
LST-1157 (1、2) |
バス鉄工所 | 1953/3/14 (1954/3/14?) |
1971/3/25 | 1976/11/1 | ◎1952/3/3 起工 ◎1952/12/6(1953/12/6?) 進水 ◎1955/7/1 テレル・カウンティ Terrell Countyと命名 ◎1959/11 サン・ディエゴにてオーヴァーホール(〜1960/6?) ◎1965/3 横須賀にてオーヴァーホール 1965/11/23? Tuy Hoa近海にて座礁 ◎1965/11/24 艦隊航洋曳船モララ Molala(ATF-106)、マホパック Mahopac(ATF-196)が曳航し離礁 ◎1965/12上旬 応急修理、横須賀へ曳航 ◎1965/12上旬? 横須賀にて修理(〜1966/2/22) 1966/5 右舷シャフトが故障 1968/3上旬 荒波によりcauseway section2つをなくす ◎1968夏 横須賀にてオーヴァーホール ◎1970/11/24 ブレマートンにて保管 ◎退役後、ピュージェット・サウンド海軍造船所にて予備艦隊に編入 ◎1977/3/17 ギリシャに売却されInouse(Oinoussai?、L 104)と改名 ◎2003/3/20 退役 ◎2003 除籍 |
◎OpCastle 1954, Quemoy-Matsu May-Jun, Aug-Sep 1959, Apr-May, Aug-Sep, Nov 1961, Mar, Jul 1962, Mar-May 1963, Vietnam Nov 1961, Mar, Jul-Aug, Oct-Dec 1965, Mar-Dec 1966, Feb, May, Jul-Sep 1967, Mar-Jun 1968, Dec 1968-Feb, May-Jun, Sep-Dec 1969, Mar-May, Oct 1970. | |||||
LST-1158 (1、2) |
バス鉄工所 | 1953/6/20 | 1970/11/25 (1970/12/23?) |
1973/11/1 | ◎1952/6/16 起工 ◎1953/4/11 進水 ◎1953/6/20 引き渡される ◎1955/7/1(1955/7/2?) タイオガ・カウンティ Tioga Countyと命名 ◎1965/6 シー・スパローSAMの試験 ◎1966初春 スービック湾にて入渠、スクリュー修理 ◎1967初夏 スービック湾にて修理 ◎退役後、サン・ディエゴにて太平洋予備艦隊に編入 ◎1972/6 軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1158) ◎1972/12/17(1973?) 海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入 ◎2005/7/21 解体のため、BrownsvilleのESCO Marineに売却 ◎2005/8/17 解体のため曳航、後に解体 |
◎Taiwan Straits 26 Dec 1958, Vietnam Jan-Mar 1966, Apr-Sep 1967. | |||||
LST-1159 (1、2) |
バス鉄工所 | 1953/9/12 | 1972/1/5 | 1976/11/1 | ◎1952/9/2 起工 ◎1953/7/2 進水 ◎1955/7/1 トム・グリーン・カウンティ Tom Green Countyと命名 ◎1955/10中旬 メア・アイランド海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1956/2) ◎1960 横須賀にてメンテナンス ◎1967/8/16 横須賀にてオーヴァーホール(〜1967/11/17) 1968/4/15 メコン・デルタ地帯にて南ヴェトナム民族解放戦線の攻撃により損傷、後に修理 1969/1/12 Can Tho近郊のBassac Riverにて南ヴェトナム民族解放戦線の攻撃により損傷、Vung Tau Bayにて一時的な修理 ◎1969/2上旬 横須賀にて修理 ◎1972/1/5(1978/5/1?) スペインに売却されConde de Venadito(Conde del Venadito?、L 13)と改名 ◎1990 除籍 |
LST-1160 (1、2) |
バス鉄工所 | 1953/12/19 | 1970/12/1 | 1973/11/1 | ◎1952/12/18 起工 ◎1953/10/3 進水 ◎1953/12/19 引き渡される ◎1954年1月下旬、戦車揚陸艦は艤装を終えたボストンからヴァージニア州Little Creekの海軍水陸両用基地 Naval Amphibious Baseに移動した。3月26日、ヴァージニア州の岬の作戦区域で7週間のシェイクダウン訓練とシェイクダウン後の3週間の使用可能期間を経て、LST-1160は大西洋艦隊水陸両用部隊 Atlantic Fleet Amphibious Forceの活動部隊となった。1954年春から1955年夏にかけて、LST-1160は水陸両用戦艦としての技量を磨くために7回の訓練を行った。これらの訓練ではたびたび西インド諸島に南下し、最も多かったのはプエルト・リコ近くのVieques Islandで、乗組海兵隊が水陸両用上陸の訓練を行った ◎のちに間もなく、第4戦車揚陸小艦艇 LST Flotilla 4の優秀艦として戦闘効率“E” Battle Efficiency "E"を授与された ◎1955/7/1 トラヴァース・カウンティ Traverse Countyと命名 ◎1955後半 フィラデルフィア海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1956/4) ◎1970/5 Panama Canal Company's Mt. Hope Shipyardにて修理(〜1970/6/11) ◎退役後、オレンジにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1972/6/7 軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1160) ◎除籍後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入 ◎1984/8/1(1999/4/26?) ペルーに貸与されEten(DT 144)と改名 |
LST-1161 (1、2) |
インガルス造船所 | 1953/5/18 | 1973/6/14 | 1977/12/1 | ◎1952/4/14 起工 ◎1952/11/25 進水 ◎1954/7末 フィラデルフィア海軍造船所にて改装 ◎1955/7/1 ヴァーノン・カウンティ Vernon Countyと命名 ◎1966/12/8 横須賀にてオーヴァーホール(〜1967/3/15) ◎1968初春 横須賀にてオーヴァーホール ◎1968/7中旬 横須賀にて発電機修理 ◎1969/7 スービック湾にて修理 ◎1971/1 横須賀のDrydock No. 1にて修理、船体を再塗装 ◎1973/6/29 ヴェネズエラに貸与されAmazonas(T-21)と改名 ◎1977/12/1 ヴェネズエラに売却 ◎のちに艦種記号をT-51に改める ◎2004 標的として沈没 |
LST-1162 (1、2) |
インガルス造船所 | 1953/8/13 | 1970/10/16 | 1973/11/1 | ◎1952/7/21 起工 ◎1953/1/23 進水 ◎1953/8/13 引き渡される ◎1955/7/1 ワカイアカム・カウンティ Wahkiakum Countyと命名 ◎1961 ニューポート・ニューズにてオーヴァーホール ◎1972/4/10 ブルックリンにて軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1162) ◎1973/11/1 運行終了 ◎1992/7/25 海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入(〜2005/8/24) ◎2005/6/22 解体のため、BrownsvilleのESCO Marineに売却 ◎2005 Brownsvilleにて解体 |
LST-1163 (1、2) |
インガルス造船所 | 1953/9/17 | 1970/12/21 | 1973/11/1 | ◎1952/8/4 起工 ◎1953/3/17 進水 ◎1953/9/17 引き渡される ◎1955/1中旬 フィラデルフィア海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1955/5) ◎1955/7/1 ウォルド・カウンティ Waldo Countyと命名 ◎退役後、オレンジにて大西洋予備艦隊に編入 ◎1972 軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1163) ◎運用終了後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入 ◎1984/8/7 ペルーに貸与されPisco(DT 142)と改名 ◎1999/4/26 ペルーに売却 |
LST-1164 (1、2) |
インガルス造船所 | 1953/10/26 | 1971/4/2 | 1973/11/1 (1999/4/26?) |
◎1952/9/22 起工 ◎1953/5/15 進水 ◎1953/10/26 引き渡される ◎1954/7 ノーフォーク海軍造船所にて修理 ◎1955/3末 フィラデルフィア海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1955/7/1 ウォルワース・カウンティ Walworth Countyと命名 ◎1958/12/12 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1959/2/24) ◎1961/9 チャールストン海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1962/3上旬 ノーフォークにてRAV(〜1962/5/15) ◎1963年の初期、ウォルワース・カウンティはLittle Creek地域で現地活動を行った。4月3日にフロリダ州ジャクソンヴィルのギブス造船所 Gibbs Shipyardに入港後、予定されていたヤード期間と海上試験を終え、6月10日にLittle Creekに向かった。7月から8月にかけては水陸両用リフレッシュ訓練 amphibious refresher trainingに参加し、そののち3週間のRAVに入った。1963年の残りの期間は、地元での作戦に参加し、LST-1156級の戦術データを得るためにメイン州Rocklandを訪問し、オーヴァーホールを受けた ◎1964年1月、ウォルワース・カウンティはパナマに向けて出航し、4ヶ月以上かけて運河を16回通過した。5月下旬、Little Creekに戻り、テンダーが使用可能になったのち、“MEBLEX”とミッドシップマンの演習 midshipman exercisesに参加した。そののち、万国博覧会のためにニュー・ヨークに寄港し、8月11日にLittle Creekに戻った。寄港中、ウォルワース・カウンティは医療看護局 Bureau of Medicine and Surgery(米国海軍と米国海兵隊の医療活動を管理する米国海軍省の機関)の精神衛生映画の制作に使用された。8月下旬、LST-1164はキューバのグアンタナモ湾に向かうためふたたび出航し、1964年9月13日にフロリダ州マイアミ経由で帰港した ◎1964/12下旬 修理改装(〜1965/1) ◎1966/10/18 修理改装 ◎1966/11末? サン・ファンにて修理 ◎1967/1 ノーフォーク海軍造船所にてプロペラ修理 ◎1967/5上旬 リトル・クリークにてメンテナンス ◎1967/11中旬 リトル・クリークにてオーヴァーホール ◎1968/6上旬 リトル・クリークにてメンテナンス ◎1968/7下旬 修理改装(〜1968/8) ◎1970/1/30 ノーフォーク海軍基地の工作艦ヴァルカン Vulcan(AR-5)により修理改装(〜1970/2/20) ◎1971/1上旬 ノーフォークにてInactive Ship Maintenance Facilityにより不活性化工事 ◎1971/4/14 オレンジへ曳航 ◎1971/5/11 入渠、不活性化工事、後に大西洋予備艦隊に編入 ◎1972/5 軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1164) ◎1974/6/19 海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入 ◎1984/8/7 ペルーに貸与されPaita(DT 141)と改名 ◎1999/4/26 ペルーに売却 |
LST-1165 (1、2、3) |
インガルス造船所 | 1953/11/30 | 1971/3/25 | 1973/11/1 | ◎1952/12/1 起工 ◎1953/7/14 進水 ◎1953/11/30 引き渡される ◎1955/7/1 ワショー・カウンティ Washoe Countyと命名 ◎1960/10 RAV(〜1960/10/17) ◎1960/12/7 横須賀にてオーヴァーホール(〜1961/2/8) ◎1962/12上旬 横須賀にてオーヴァーホール ◎1965/9/16 横須賀にてオーヴァーホール(〜1965/12/10) ◎1966/5末 横須賀にて修理 ◎1968/3中旬 シャフト損傷 ◎1968/3/21 スービック湾にて修理(〜1968/3/25) ◎1968/4? スービック湾にて修理(〜1968/4/29) ◎1969/1/19 横須賀にてオーヴァーホール(〜1969/4/10) ◎1970/11/25 ブレマートンにて保管 ◎1973/1 軍事海上輸送軍団(MSC)が管理運行(T-LST-1165) ◎除籍後、海事局に移管、国家防衛予備船隊に編入 ◎1984/8/7 ペルーに貸与されCallao(DT 143)と改名 ◎1999/4/26 ペルーに売却 |
LST-1166 (1、2、3) |
クリスティ・シップビルディング社 | 1953/10/29 | 1973/2/9 | 1973/8/30 | ◎1951/11/29 起工 ◎1952/11/22 進水 ◎ニュー・オーリンズ海軍基地にて就役 ◎1954/10 フィラデルフィア海軍造船所にて修理(〜1955/3) ◎1955/7/1 ワシュテノー・カウンティ Washtenaw Countyと命名 ◎1958/10上旬 メーア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール ◎1960/7中旬 横須賀にて修理 ◎1968/4下旬 横須賀にて修理 ◎1968/8上旬 横須賀にて修理 ◎1969/1 スービック湾にて修理 ◎1969/4上旬 横須賀にて修理(〜1969/8下旬) 1970/5/18 香港沖にて商船Kota Selatanと衝突し損傷(1、2、3)、香港にて一時的な修理(〜1970/5/29) ◎1970/6/12 横須賀にて入渠、修理(〜1970/7/22) ◎1971/1 横須賀にてRAV ◎1971/4中旬 日本にて修理 ◎1971夏 横須賀にてRAV ◎1972/3下旬 横須賀にて修理改装 ◎1972/11下旬 横須賀にて修理、近代化改装(〜1973) ◎1973/2/9 艦種を特殊《器材》掃海艇(MSS-2)に改める |
LST-1167 (1、2、3、4) |
クリスティ・シップビルディング社 | 1954/3/10 | 1973/8/30 | ◎1952/1/11 起工 ◎1953/4/18 進水 ◎1954/3/10 引き渡される ◎1955/7/1 ウェストチェスター・カウンティ Westchester Countyと命名 ◎1956/9/21 スタテン・アイランドのBrewer Dry Dock Companyにてオーヴァーホール(〜1956/11下旬) ◎1958/1/31 サン・フランシスコ海軍造船所にてオーヴァーホール(〜1958/4/2) ◎1959/11/30 アラメダのTodd Shipyardにてオーヴァーホール(〜1960/2/12) ◎1960/12/1 横須賀海軍基地にてオーヴァーホール(〜1960/12/31) ◎1962/7/30 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1962/8/9) 1963/10上旬 沖縄にて揚搭用門扉を損傷、佐世保にて修理(〜1963/10/29) ◎1963/12/27 横須賀にて入渠、修理(〜1964/1/31) ◎1964/8/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1964/9/28) ◎1965/3/19 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1965/3/25) ◎1965/4/13 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1965/4/16) ◎1965/5/3 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1965/5/12) ◎1965/5/20 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Advisory Campaign、〜1965/5/24) ◎1965/7/6 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Defense Campaign、〜1965/7/10) ◎1965/8/13 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Defense Campaign、〜1965/8/17) ◎1965/10/31 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Defense Campaign、〜1965/12/8) ◎1966/1/4 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/1/8) ◎1966/1/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/2/2) ◎1966/3/6 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/10) ◎1966/3/20 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/3/25) ◎1966/5/25 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/3) ◎1966/6/9 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/16) ◎1966/6/25 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive、〜1966/6/30) ◎1966/7/15 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/7/18) ◎1966/8/27 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1966/10/9) ◎1967/2/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase II、〜1967/2/28) ◎1967/3/15 横須賀海軍基地にてオーヴァーホール ◎1967/8/22 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1967/9/2) ◎1967/9/11 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1967/9/16) ◎1967/10/21 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase III、〜1968/1/24) ◎1968/3/14 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet Counteroffensive、〜1968/3/20) ◎1968/4/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV、〜1968/5/18) ◎1968/6/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase IV、〜1968/6/25) ◎1968/9/20 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase V、〜1968/11/1) 1968/11/1 Mytho Riverにて機雷により損傷、Dong Tarnにて浜に引き上げられる、その場にて一時的な修理(ウェストチェスター・カウンティは1968年11月1日、メコン・デルタで被雷された。この被雷は、ヴェトナム戦争中、就役中の海軍艦艇の一度の行動で最大の犠牲者を出した。また、敵の行動による海軍艦船の唯一の破壊をもたらした可能性もある。爆発物の専門家であるロバート・シェルビー大尉 Captain Robert Shelbyによる戦後の分析によると、兵器と燃料の積荷は小型核兵器に匹敵する爆発をもたらした可能性があるという。上記の理由から、リチャード K. コルブ Richard K. Kolbはこの出来事を「ベトナムの残酷な戦い Brutal Battles of Vietnam: America's Deadliest Days, 1965-1972」と題する著書の中で取り上げている:この2つの機雷は、作戦と一等停泊所 operations and first-class berthingの横で爆発し、水兵17名、陸軍歩兵5名、第111河川突撃師団 River Assault Division 111の水兵1名、南ヴェトナム海軍の水兵2人が死亡した。全体で22名の水兵と陸軍歩兵が負傷した。そのため、この艦は乗員の4分の1を失い、ダメージ・コントロールや修理部隊の現場指揮を執るはずだった一等兵曹のほぼ全員を失った。爆発はまた、200,000ガロンを収容する巨大なディーゼル燃料タンクを破裂させ、第9歩兵部隊 9th Infantryの宿泊施設を崩落させ、5名の兵士が死亡した。ほとんどの地域で停電となった。燃料は壊れた区画に流れ込んだ。露出した表面はすべて、今にも発火しそうな軽油の霧で覆われていた。空気はほとんど呼吸できないほどだった。船はすぐに右舷に傾き始めた。その夜とそののちの数日間、乗員の勇気ある断固とした行動が、受けたダメージを抑え、国家を恐怖に陥れるような大惨事を防いだ。指揮官のジョン・ブラニン少佐 LCDR. John Braninは、リック・ラッセル二等兵曹 Petty Officer 2nd Class Rick Russellに右舷タンク前方のバラスト除去を指示し、増大するリストの緊急問題に対処した。下士官と非正規船員は、浸水の進行を防ぐために区画を密閉することで、状況をさらに安定させた。ジョン・サリヴァン一等衛生兵 Hospital corpsman first class John Sullivanは爆風から生還し、重傷を負いながらも捕虜や負傷者の看護にあたった。被害対策と救助活動は、ディーゼル油膜のために切断トーチや金属製のこぎりが使えず、支障をきたした。船員たちは、艦が搭載していた350tの軍需品、爆薬、火工品の大部分を爆心地から素早く移動させた。 11月14日に応急修理が完了すると、船は横須賀母港までの2,500マイルの旅に出た。船はフィリピンに接近する3つの台風のうち最悪のものを避け、11月25日に到着した。しかし、台風による強風と高波のため、一時は毎分3,200ガロンを汲み上げるポンプが限界に達するほど仮設の修理が破断したため、船旅は悲惨なものになりかけた。乗組員は、爆破された船体の96×28フィートの部分に水密を回復させなければならなかった。その部分には、何tもの8インチ鋼の“I”ビームと1インチ鋼板が当てられ、今にも折れてしまいそうだった。この最後の問題は、極めて困難で危険な状況を克服するために、乗員による最も勇敢でプロフェッショナルな、断固とした対応を必要とした。彼らの勇気と決断力によって、ヴェトナム戦争で海軍が被ったであろう最も壊滅的な戦闘損失を防ぐことができた。S/Sノーラン・ネルソン、U.S.S.ウェストチェスター・カウンティ・アソシエーション、セクレタリー・トレジャラー S/S Nolan Nelson, Secretary/Treasurer, U.S.S. Westchester County Association) ◎1968/11/2 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VI、〜1968/11/17) ◎1968年11月26日にフィリピンのスービック湾を経由して日本の横須賀に戻った。ウェストチェスター・カウンティは米国海軍船舶修理施設 United States Naval Ship Repair Facilityで乾ドックに入り、1969年2月5日までそこに留まった ◎1969/3/20 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Tet 69/Counteroffensive、〜1969/5/12) ◎1969/7/12 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/7/14) ◎1969/7/25 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/7/27) ◎1969/8/10 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/8/15) ◎1969/10/5 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Summer-Fall 1969、〜1969/10/9) ◎1969/11/3 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1969/11/7) ◎1969/12/7 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1969/12/15) ◎1969/12/29 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1970/1/9) ◎1969年の残りの期間は、韓国、日本、沖縄からヴェトナムへの人員と装備の輸送に費やされ、断続的に修理と自由時間が設けられた ◎1970/2/18 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Winter-Spring 1970、〜1970/2/21) ◎1970/3/4 横須賀にてRAV ◎1970/7/30 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1970/10/12) ◎1970/10/30 横須賀にてRAV ◎1971/2/3 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1971/3/8) ◎1971/3 横須賀にてRAV ◎1971/6/19 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnamese Counteroffensive - Phase VII、〜1971/6/30) ◎1971/7/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Consolidation I、〜1971/8/2) ◎8月6日から9月1日まで、ウェストチェスター・カウンティは香港の洋上駐在上級士官(senior officer present afloat: SOPA)としての管理業務を引き受けた。横須賀でのRAVののち、陸軍警備機関の人員と装備を韓国の釜山に輸送し、12月6日に沖縄に戻した。この間、日本から沖縄へ海兵隊員を輸送し、11月24日に沖縄を出港して横須賀で感謝祭を過ごした。12月6日に陸軍要員を降ろしたのち、ウェストチェスター・カウンティは休暇のため横須賀に戻り、12月10日に到着した。ウェストチェスター・カウンティは、1972年1月17日、RAVを完了し、フィリピンのスービック湾への揚陸に出発した。戦車揚陸艦は2月をスービック湾で修理と現地作業を行った。3月15日から31日まで香港でSOPA任務を行った ◎1972/4/1 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Ceasefire、〜1972/5/1) ◎1972/5/7 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Ceasefire、〜1972/5/10) ◎1972/7/20 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Ceasefire、〜1972/7/26) ◎1972/8/3 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Ceasefire、〜1972/8/10) ◎1972/8/29 ヴェトナム戦争中、戦域に割り当てられる(Vietnam Ceasefire、〜1972/9/4) ◎1972年8月30日までヴェトナムのトンキン湾への人員輸送と貨物輸送を再開した。この期間中、戦車揚陸艦は7週間のRAVを経て、日本の横須賀で再訓練を受けた ◎1972年9月7日から10月1日まで、ウェストチェスター・カウンティは第1機雷小艦隊 Mine Flotilla 1の後方支援任務に就いた。10月15日に横須賀に戻り、修理改装と検査を受けた。11月30日に出航し、沖縄へ向かった。1972年12月5日に横須賀に帰港し、クリスマス休暇を楽しんだ ◎3月14日に開始されたスービック湾での修理改装と陸上砲撃演習ののち、ウェストチェスター・カウンティは7月18日に完了した“エンド・スイープ作戦 Operation End Sweep”を支援するためにヴェトナムに戻った。スービック湾、フィリピン、沖縄に寄港したのち、7月30日に日本の横須賀に到着した ◎1974/8/27 トルコに貸与されSerdar(L 402)と改名(1、2、3、4、5) ◎2005 退役、除籍 |
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◎Damaged by underwater explosion in Mytho River, 1 Nov 1968. Taiwan Straits Aug 1958, Quemoy-Matsu 22 Jul 1961. | |||||
LST-1168 (1、2) |
クリスティ・シップビルディング社 | 1954/6/15 | 1971/10/29 | 1971/10/29 (1976/11/1?) |
◎1952/2/27 起工 ◎1953/11/28 進水 ◎1955/7/1 ウェックスフォード・カウンティ Wexford Countyと命名 ◎1955末 フィラデルフィアにてオーヴァーホール(〜1956/4) ◎1957/1 ロング・ビーチにてオーヴァーホール(〜1957/4) ◎1963/7/10 ロング・ビーチのベスレヘム・スチール社にてオーヴァーホール(〜1963/11末) ◎1964/3 RAV(〜1964/4) ◎1966/7中旬 ロング・ビーチ海軍造船所にてオーヴァーホール ◎1967/1末 ロング・ビーチにて修理 ◎1967/9 サン・ディエゴにて修理改装 ◎1968/6下旬 サン・ディエゴにてRAV ◎1968/11/15 サン・ディエゴにて入渠 ◎1969/2 サン・ディエゴにてメンテナンス(〜1969/3) ◎1969/4 エンジン損傷 ◎1969/5 サン・ディエゴにてエンジン修理 ◎1969/9 サン・ディエゴにてオーヴァーホール ◎1971/10/29 スペインに売却されMartin Alvarez(L 12)と改名 ◎1995 退役、除籍 ◎後に解体 |
LST-1169 (1、2) |
クリスティ・シップビルディング社 | 1954/9/14 | 1973/3/15 | 1977/5 | ◎1952/11/26 起工 ◎1953/8/22 進水 ◎1954/10/25 ノーフォーク海軍造船所にて修理改装(〜1954/11/4) ◎1955/1/5 ノーフォーク海軍造船所にて修理改装(〜1955/1/22) ◎1955/7/1 ホイットフィールド・カウンティ Whitfield Countyと命名 ◎1956/1/21 ノーフォークにてオーヴァーホール(〜1956/5/23) 1956/8/20 Rodman海軍基地にて爆発事故により損傷、修理 ◎1958/4/14 サン・ディエゴのナショナル・スチール&シップビルディング社にてオーヴァーホール(〜1958/5/3) ◎1958秋? Todd Shipyard Corp. にてオーヴァーホール ◎1959/10中旬 佐世保にて修理 ◎1965/4上旬 横須賀にてオーヴァーホール ◎1968春? RAV ◎1968秋 横須賀にて修理 ◎1969夏 横須賀にてオーヴァーホール ◎1977/3/17 ギリシャに売却されKos(L 116)と改名 ◎2000/6/1 退役、除籍 ◎2004/6/24 標的として沈没 |
LST-1170 (1、2) |
クリスティ・シップビルディング社 | 1954/12/15 | 1973/6/1 | 1989/8/9 | ◎1953/4/21 起工 ◎1954/5/22 進水 ◎1954/12/14 引き渡される ◎1955/7/1 ウィンダム・カウンティ Windham Countyと命名 ◎1956/2下旬 ノーフォーク海軍造船所にてオーヴァーホール、改装 ◎1959/12上旬 サン・フランシスコにてオーヴァーホール ◎1961/8上旬 横須賀のShip Repair Facilityにてオーヴァーホール ◎1963/5 佐世保と横須賀にてオーヴァーホール(〜1963/9) ◎1965/9/5 横須賀にてオーヴァーホール(〜1965/10/12) ◎1966/6上旬 横須賀にて修理 ◎1966/8/1 横須賀にてオーヴァーホール(〜1965/10/12) ◎1968/1上旬 横須賀にて検査 ◎1969/1 横須賀にて検査 ◎1970 横須賀にてオーヴァーホール(〜1970/4/7) ◎1971/9/27 横須賀にてRAV(〜1971/11上旬) ◎1973/6/1 トルコに貸与されErtugrul(L 401)と命名 |
Update 24/07/14