歩兵揚陸艇(大型)
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
艦種記号 | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
LCIL-286 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/2/26 | ◎1943/1/8 起工 ◎1943/2/17 進水 ◎1943/3/24 イギリスに貸与 ◎1946/3/13 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1947/4 売却(インドにて解体ともいわれる) |
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LCIL-287 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/2/26 | ◎1943/1/9 起工 ◎1943/3/12 進水 ◎1943/3/24 イギリスに貸与 ◎1946/3/13 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1947/4 売却(インドにて解体ともいわれる) |
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LCIL-288 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/15 | ◎1943/1/8 起工 ◎1943/3/27 進水 ◎1943/3/24(1943/4/3?) イギリスに貸与 ◎1944/3/8 カナダ海軍にて就役 ◎1944/9/12 退役 ◎1946/3/13 カナダより返還 ◎後に国務省に移管 ◎1946/4 売却 |
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LCIL-289 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/8/28 | ◎1943/1/30 起工 ◎1943/3/27 進水 ◎1943/3/19 イギリスに貸与、イギリス海軍にて就役 ◎1946/7/9 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/12/10 売却 |
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LCIL-290 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/15 | ◎1943/1/15 起工 ◎1943/2/11 進水 ◎1943/3/2 イギリスに貸与 ◎1946/12/10 イギリスより返還 ◎後に国務省に移管 |
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LCIL-291 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/8/28 | ◎1943/2/20 起工 ◎1943/3/25 進水 ◎1943/3/30 イギリスに貸与 ◎1946/2/27(1946/2/28?) イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/12/18 売却 |
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LCIL-292 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/8 | ◎1943/2/10 起工 ◎1943/3/22 進水 ◎1943/3/27 イギリスに貸与 ◎1946/8/25 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
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LCIL-293 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1943/2/4 起工 ◎1943/3/11 進水 ◎1943/3/20 イギリスに貸与 ◎1948/1 イギリスより返還 ◎1948/1/26 フランスに貸与 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1949/3/21 フランスに売却 |
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LCIL-294 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/29 | ◎1943/2/19 起工 ◎1943/3/25 進水 ◎1943/3/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/23 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
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LCIL-295 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/2/26 | ◎1943/2/12 起工 ◎1943/3/27 進水 ◎1943/4/3 イギリスに貸与 ◎1944/3/8 イギリス海軍にて就役(乗員はカナダ人) ◎1944/9/1 退役 ◎1946/2/13 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-296 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/1/18 | 1946/2/26 | ◎1942/10/18 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/1/18 イギリスに貸与 ◎1946/3/13 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1946/4 売却(インドにて解体ともいわれる) |
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LCIL-297 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/1/19 | 1946/6/5 | ◎1942/10/21 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/1/19 イギリスに貸与 ◎1946/9/24 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1948/2/1 売却 |
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LCIL-298 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/1/23 | 1946/6/5 | ◎1942/10/25 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/1/23 イギリスに貸与 ◎1943/12/4 カナダ海軍にて就役 ◎1944/9/13 退役 ◎1946/2/13(1946/5?) カナダより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-299 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1942/10/24 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/1/25 イギリスに貸与 ◎1944/1/29 カナダ海軍にて就役 ◎1944/9/1 退役 ◎1946/3/14 カナダより返還 ◎1946/4/19 フランスに貸与され部品供給艦となる、艦種記号をLC1299に改める ◎後に解体 |
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LCIL-300 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/1/29 | 1946/6/19 | ◎1942/10/18 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/1/27 イギリスに貸与 ◎1946/5/4(1946/5/17?) イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-301 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/2/2 | 1946/4/17 | ◎1942/10/18 起工 ◎1942/11/21 進水 ◎1943/2/2 イギリスに貸与 ◎1943/12/4 カナダ海軍にて就役 ◎1944/8/28 退役 ◎1946/3/14 カナダより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-302 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/6/5 | ◎1943/2/24 起工 ◎1943/3/31 進水 ◎1943/4/9 イギリスに貸与 ◎1944/3/8 イギリス海軍にて就役(乗員はカナダ人) ◎1944/9/1 退役 ◎1946/4/13 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-303 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1943/2/26 起工 ◎1943/4/1 進水 ◎1943/4/9 イギリスに貸与 ◎1947/10/29 イギリスより返還、ギリシャに売却(1947年4月にギリシャに貸与ともいわれる) |
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LCIL-304 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/2/26 | ◎1943/2/1 起工 ◎1943/2/25 進水 ◎1943/3/16 イギリスに貸与 ◎1946/2/9(1946/2/13?) イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-305 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1954 | ◎1943/2/5 起工 ◎1943/3/9 進水 ◎1943/3/18 イギリスに貸与 ◎1944/2/29 カナダ海軍にて就役 ◎1944/9/1 退役 ◎1948/1 カナダより返還 ◎1948/1/26 フランスに貸与、艦種記号をLCI(L)-103に改める ◎後に艦種記号をL9042に改める ◎1949/3/21 フランスより返還、国務省に移管、フランスに貸与 |
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LCIL-306 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/6/5 | ◎1943/2/13 起工 ◎1943/3/26 進水 ◎1943/4/2 イギリスに貸与 ◎1944/9/29 カナダ海軍にて就役 ◎1944/9/4 退役 ◎1946/4/13(1946/5/27?) カナダより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-307 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/6/5 | ◎1943/2/18 起工 ◎1943/3/23 進水 ◎1943/3/28(1943/3/29?) イギリスに貸与 ◎1946/5/28 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-308 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/29 | ◎1943/2/17 起工 ◎1943/3/25 進水 ◎1943/4/1 イギリスに貸与 ◎1946/9/23 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1948/1/12 売却 |
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LCIL-309 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1943/2/26 起工 ◎1943/3/27 進水 ◎1943/4/5 イギリスに貸与 1943/10/23 沈没 |
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LCIL-310 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1943/2/24 起工 ◎1943/3/31 進水 ◎1943/4/8 イギリスに貸与 ◎1944/3/8 イギリス海軍にて就役(乗員はカナダ人) ◎1944/9/1 退役 ◎1948/1 イギリスより返還 ◎1948/1/26 フランスに貸与 ◎1949/3/21 フランスより返還、国務省に移管、売却 |
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LCIL-311 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/4/17 | ◎1943/3/10 起工 ◎1943/4/1 進水 ◎1943/4/10(1943/4/11?) イギリスに貸与 ◎1944/2/29 イギリス海軍にて就役(乗員はカナダ人) ◎1944/9/1 退役 ◎1946/3/14 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-312 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/2/26 | ◎1943/3/2 起工 ◎1943/3/30 進水 ◎1943/4/6 イギリスに貸与 ◎1946/3/13 イギリスより返還 ◎後に国務省に移管 ◎後に解体のため、インドの業者に売却 |
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LCIL-313 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/6/5 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/4 イギリスに貸与 ◎1946/3/13(1946/5?) イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-314 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/15 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/8 イギリスに貸与 ◎1946/12/10 イギリスより返還、売却 |
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LCIL-315 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/2/10 | 1946/7/3 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/19 イギリスに貸与 ◎1946/5/21 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/10/30 売却 |
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LCIL-316 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/2/13 | 1946/10/15 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/13 イギリスに貸与 ◎1946/12/10 イギリスより返還、売却 |
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LCIL-317 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/16 イギリスに貸与 ◎後に歩兵揚陸艇(司令部)に改装、艦種を歩兵揚陸艇(司令部)(LCH-317)に改める ◎1944 カナダに貸与、後にカナダ海軍にて就役 ◎1946/4/13(1946/5?) カナダより返還 ◎後に国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-318 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1946/10/8 | ◎1942/11/21 起工 ◎1942/12/12 進水 ◎1943/2/18 イギリスに貸与 ◎1946/8/25 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
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LCIL-319 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/5 | 1946/3/26 | 1946/4/17 | ◎1942/11/25 起工 ◎1942/12/21 進水 ◎1944/10 オーヴァーホール ◎1948/5/3 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/3〜1946/3/26 |
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LCIL-320 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/8 | 1946/3/26 | 1946/5/1 | ◎1942/11/26 起工 ◎1942/12/21 進水 ◎1944晩秋? サン・ディエゴにてオーヴァーホール ◎1946/11/9 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/8〜1946/3/25 |
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LCIL-321 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/6 | 1946/4/2 | 1946/6/19 | ◎1942/12/4 起工 ◎1943/1/21 進水 ◎1944晩秋? チャールストンにて修理、オーヴァーホール ◎1947/10/9 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/6〜1946/3/2 |
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LCIL-322 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/15 | 1946/3/26 | 1946/4/17 | ◎1942/12/4 起工 ◎1943/2/3 進水 ◎1944晩秋? チャールストンにて修理、オーヴァーホール ◎1947/10/9 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/15〜1946/3/26 |
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LCIL-323 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/9 | 1946/4/15 | 1946/6/5 | ◎1942/12/21 起工 ◎1943/1/22 進水 後に枢軸軍の砲撃により損傷(司令塔に命中、穴) ◎1944/10 チャールストンにて修理、オーヴァーホール ◎1945/9? 和歌山にて入渠 ◎1946/12/13 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/10〜1946/3/15 |
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LCIL-324 (1、2) |
ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/10 | 1946/3/6 | 1946/3/20 | ◎1942/12/21 起工 ◎1943/1/28 進水 ◎1944/10? ジャクソンヴィルのGibbs Shipyardにて修理改装 ◎1944/12 メリーランド州Solomon Islandにてオーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1946/12/12 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/12〜1946/3/7 |
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LCIL-325 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/12 (1943/2/15?) |
1946/5/29 | 1946/6/19 | ◎1942/12/21 起工 ◎1943/1/29 進水 ◎オレンジにて竣工 ◎1944/10 チャールストンにて修理、オーヴァーホール ◎1944晩秋? メリーランド州Solomon Islandにてオーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1946/12/13 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/2/15〜1946/5/31 |
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LCIL-326 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/10/31 (1943/2/15?) |
1946/5/7 | 1946/6/5 | ◎1942/12/22 起工 ◎1943/2/2 進水 ◎オレンジにて竣工 ◎1944/10 ジャクソンヴィルにて入渠、修理、オーヴァーホール ◎1944晩秋? メリーランド州Solomon Islandにてオーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1946/12/13 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/10/31〜1946/3/8 |
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LCIL-327 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/10/31 | 1946/8/29 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/12 進水 ◎1942/10 引き渡される ◎1945/12 浮きドックにて入渠(1、2) ◎ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1947/10/30 Bascombe (Mek) Islandにて破壊処分 |
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LCIL-328 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/10/31 | 1946/4/19 | 1946/6/5 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/12 進水 ◎1945/11/10 売却 |
LCIL-329 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/10/31 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/12 進水 ◎ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1948/3/16 クェゼリン環礁にて沈没処分 |
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LCIL-330 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/8 (1942/11/9?) |
1946/4/11 | 1946/5/8 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/22 進水 ◎1946/11/10 民間に売却され商船Siasconsetとなる(オフィシャル・ナンバー265851) |
LCIL-331 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/9 (1942/11/16?) |
1946/2/8 | 1946/3/12 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/24 進水 ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-331)に改める |
LCIL-332 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/16 (1942/11/17?) |
1946/3/26 | 1946/10/31 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/26 進水 ◎ビキニ環礁にて原爆実験標的として使用 ◎1947/9/28 クェゼリン環礁にて沈没処分 |
LCIL-333 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/17 (1942/11/24?) |
1946/1/2 | 1946/2/7 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/9/26 進水 ◎1946/1/10 破壊処分 |
LCIL-334 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/24 | 1946/3/15 | 1946/4/12 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/10/3 進水 ◎1946/12/4 売却 |
LCIL-335 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/27 | 1946/1/22 | 1946/2/26 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/10/9 進水 ◎1946/5/3 海事委員会に移管 |
LCIL-336 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/3 | 1946/6/21 | 1946/8/15 | ◎1942/7/27 起工 ◎1942/10/13 進水 |
LCIL-337 (1、2) |
ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/21 | 1945/12/14 | 1946/1/21 | ◎1942/9/22 起工 ◎1942/10/21 進水 ◎1944年10月25日の「サマール沖海戦 Battle Off Samar後、沈没したアメリカ艦の生存者を捜索・救助する目的でタスクフォースが編成された。 この捜索と救助の詳細は、ダニエル E. バーベイ中将 Vice Admiral Daniel E. Barbeyの著書「MacArthur's Amphibious Navy」のページより引用した。戦闘当日の1500時、チャールズ・アデア大佐 Captain Charles Adairは、サマール沖の海域で筏や瓦礫にぶら下がっている男性の集団を報告する飛行機からの通信を傍受して見せてくれた。どうやらこの海域には船はいないようだ。アデアは、水陸両用船で救助隊を組織することを提案し、船首にランプがある歩兵揚陸艇(LCI)が特に適していると提案した。すぐに第7艦隊司令官(トーマス C. キンケイド大将 Admiral Thomas C. Kinkaid)に優先的な派遣を行い、救助任務の承認を要請した。アデアは2隻のPCSと5隻のLCIを集結させた。医療関係者と物資は船内に送られた。1時間後には任務群 task groupに編成され、約125マイル離れた救助地域に向けて出発する準備が整った。(駆潜艇(鋼製船体)PC-623の指揮官はジェームズ A. バクスター中佐(合衆国海軍予備役 Lieutenant Commander James A. Baxter, U.S. Naval Reserve)であった)。1600時までに第7艦隊司令官への派遣に対する返信がなかったため、即時承認を求める第2次派遣を行い、ターバック大佐 Captain Tarbuckを約1マイル離れた第7艦隊旗艦である揚陸指揮艦ワサッチ Wasatch(AGC-9)にボートで派遣し、行動を起こさせた。1時間後、救助計画は承認され、バクスターの小任務部隊は出航した。彼らは、拾った1,100名以上の生存者から、常に感謝されながら記憶されている。1隻を除くすべての船の日誌から抜粋して、この物語を語っている。残念ながら、LCI-34の日誌はアーカイヴスで見つけることができなかった ◎1944年10月25日(水曜日) 1600--PC-623 任務群78.12 Task Group 78.12を編成、構成:PC-623(旗艦)、PC-1119、LCI-34、71、337、340と341で生存者の捜索に当たる 1806--PC-623 医療士官ルーカス中尉 Lieutenant (jg) Lucas、PHM1cワッテンゲル PHM, 1c Wattengelが乗船した ◎1944年10月26日(木曜日) 0400--PC-623 任務群は、海軍の生存者の捜索を行うため、その地域に向かった 0650--PC-623 LCI-340と341は、10ktを出すことができず、後退した 0621--LCI-341は、1,000ヤード間隔で横一列に並んで、生存者の捜索を開始した 0623--PC-623 日の出 0810--PC-623は、間隔を2,000ヤードに増やし、より良い視界を確保した 0910--PC-623 数機の飛行機と船を目撃した。太陽と距離のために、接触することができない。生存者に関連する情報を全く、繰り返し受け取っていない 1049--LCI-71は油膜を通過した 1400--LCI-341 3機の友好的な水上飛行機が2マイル上空を通過した 1445--LCI-71 左舷船首から飛行機の腹タンクを目撃、距離は50ヤード 1445--LCI-71 前方に正体不明の航空機3機を目撃した 1500--PC-623 重い油膜を通過した 1645--LCI-340 水中に物体を目撃した。生存者と思われる 1659--PC-1119 50口径の弾薬箱を視認、腹部タンク2個と多数の箱も視認 1700--LCI-340 日本人の生存者を拾った。彼は木箱につかまって浮いていた。生存者は銃器がないか調べられたが、何も見つからなかった。全ての書類と貴重品は、指揮官によって保護された。生存者はそののち、医療処置、食料、水を与えられ、警備下に置かれた 1700--PC-623 水中の物体を回収するために操縦された(日本軍の物体) 1716--LCI-341 全ての船は、徹底的にエリアを検索するために来ている 1812--LCI-341 General Quarters: Ack-ack off port bow 1820--LCI-341 日没。船が暗くなった 1848--LCI-341 Secured from General Quarters 2127--LCI-337 多くの破片と重い油膜を目撃した。水中の物体の調査を完了した。生命の兆候はない 2220--PC-623は、赤、白、緑のフレアを270度T方向に見た 2247--PC-623は、護衛航空母艦ガンビア・ベイ Gambier Bay(CVE-73)からの生存者の幾つかの筏を目撃した 2300--LCI-337 生存者エリアに到着し、水中の男性を拾うために必要に応じて巡航と操縦を行った 2335--PC-623 生存者を受け取るために、横付けする 2335--LCI-340 アメリカ人生存者をピックアップするためにPC-623の周辺に進むように無線メッセージを受信した ◎1944年10月27日(金曜日) 0025--PC-1119 アメリカ海軍の生存者を乗せた3隻の筏を視認 0030--LCI-71 最初の生存者を発見し、彼らをピックアップした 0030--PC-1119 アメリカ海軍の生存者の乗船を開始した 0330--LCI-341 水中に生存者を発見し、エンジンを停止した。小型ボートを吊り上げる 0055--LCI-337 右舷で生存者を発見し救助 0058--LCI-341 ガンビア・ベイから最初の生存者が乗船 0115--LCI-71は、一度に数名の生存者をピックアップし続けた 0121--LCI-341 低速で航行し、生存者を拾った 0122--LCI-340 ガンビア・ベイからアメリカ人の生存者を一名拾った。彼はすぐに医療処置、乾いた衣類、食べ物と飲み物を与えられた 0142--LCI-337 生存者乗船 0156--LCI-340 横に繋がれていた7つの救命筏を引き、ガンビア・ベイの生存者の乗船を開始した 0215--LCI-337 浮いている救命筏を見た。生存者のグループを救助した 0235--LCI-341 救命筏を横付け。生存者を乗船させる。16名の男性 0247--LCI-340 7つのいかだから生存者を引き取ることを完了した(約110名のアメリカ海軍の生存者)。生存者の中には重傷を負った者もおり、本船ができる限りの医療処置を施した 0335--LCI-71 複数の救命いかだから144名をピックアップした 0345--PC-1119 183名の海軍の生存者の乗船を終了した。名前、階級、シリアル・ナンバーはSOPA(Senior Officer Present Afloat)に転送されたリスト通りである 0348--PC-623は、200名の生存者を乗せたままサン・ペドロ湾(レイテ湾)に戻るためにPC-1119を切り離し、CTF第7水陸両用軍司令官 CTF Commander Seventh Amphibious Forceに完全な報告をするように指示した 0415--LCI-341 この時点で報告された船内の生存者は36名で、その多くが榴散弾による負傷と被爆に苦しんでいる 0622--LCI-340 明るくなったので、生存者の捜索を続けた 0654--LCI-337 4名の生存者を発見し救助した。一名は死んだようだ 0745--LCI-337 駆逐艦ホーエル Hoel(DD-533)から集団で約58名の生存者を救出した 0800--PC-623 護衛駆逐艦サミュエル B. ロバーツ Samuel B. Roberts(DE-413)からの生存者を引き受けるために待機している 0830--LCI-341 救命筏が横付けされ、ホーエルの生存者、36名を乗せた 0839--PC-623 ホーエルからのより多くの生存者を目撃した。何名かは乗船した 0840--LCI-337 生存者をピックアップするために操縦している 0849--PC-623 駆逐艦ジョンストン Johnston (DD-557)から生存者をピックアップする 0900--LCI-337 ジョンストンから生存者を救出した 0904--LCI-341 11名が乗っている救命筏を拾った。生存者ジョンストン。散らばった生存者を拾い続けている 0905--LCI-337 ジョンストンから5名の生存者を救出 0920--PC-623 船を軽くするために、5,000ガロンの燃料を船外に汲み上げた。PC-623は、260名の生存者を乗せていた。燃料は、生存者の追加重量を補うために船外に汲み上げられた 0925--LCI-71 さらに8名の生存者を拾った 0930--LCI-71 生存者175名を乗せ、航行中 0930--LCI-337 生存者の大きなグループ、約85名が乗船 0930--LCI-340 救命いかだから13名を定位置に救出:緯度 北緯12度06分30秒、東経125度42秒。男性には、本船が提供できる全ての医療処置が施された。生存者全員に乾燥した衣服、寝床、暖かい食べ物、飲み物を与えようと試みた。これらの兵士の多くはひどく負傷しており、DD-557のものであった 0936--LCI-341 捜索を完了した。報告された乗員の総数は90名であった。非常に混雑した状況と男性の身体的な状態のため、完全なリスト名を得ることは不可能である。コース150度T、列の形成に落ちた 0945--LCI-337は、Sounded General Quartersを鳴らした。船首から敵機1機を視認した。一式陸上攻撃機と確認された 0952--LCI-341 敵機は、船上で機銃掃射を行ったが、損害はなかった。General Quartersから確保された 1130--LCI-341は破片を調査するために隊列を崩した 1140--LCI-341 陣形に戻った 1200--PC-623 コース150度Tで以前と同じように航行している。報告されたのは、ヴューウィグ大佐 Capt. Viewig、トーマス中佐 Cdr. Thomas(DD-533)、 R. コープランド少佐 Lt. Comdr. R. Copeland(DE-413)が拾われたとの報告があった 1806--PC-623 C/S から 9.2kt。不正確な船内の生存者のカウントが行われた。260名と死者名 1840--LCI-337 護衛駆逐艦デッカー Decker(DE-47)の左舷に沿う。医師が乗船してきた 1955--LCI-341 C/C 309度T. レイテ湾に常備 2000--LCI-340 ガンビア・ベイから5名の士官がピックアップされた: J. A. サムダーズ少佐 Lt. Comdr. J. A. Samders, USNR、W.ストリンガー大尉 Lt. W. Stringer, USNR 2400--A. S.ヤング中尉 Lt. (J.g.) A. S. Young、L. L. エッピング少尉 L. L. エッピング少尉 Ens. L. L. Epping, USNR、 A. W. ベトサング少尉 Ens. A. W. Betsang, USNR。また、ガンビア・ベイから98名、ジョンストンから18名。リストが添付されている ◎1944年10月28日(土曜日) 0150--LCI-71 病院船付近で錨を下ろした 0231--PC-623 生存者の乗降のためにボートが接舷した 0345--LCI-71 生存者を移送するために小型ボートが接舷し始めた 0350--LCI-341 生存者を病院船に移送するために小型ボートが接岸した 0401--LCI-340 日本人生存者をワサッチに搬送するため、全ての所持品とともに小型ボートに移乗させた 0645--LCI-340 アメリカ人生存者を治療のため病院船へ輸送するため、小型ボートに移し始めた。病院船は戦車揚陸艦LST-266とLST-464であった 0850--LCI-337 LCMが横付けされ、負傷者を病院船LST-464(改装された病院船)に移送する。ストレッチャー・ケースのみ 0942--LCI-71 最後の生存者が船から移送される 船員日誌の省略されたスタイルで記録された一連の出来事からは、救助地域で繰り広げられていたであろうドラマをうかがい知ることはできない。生存者はサメの棲む海域で、筏や瓦礫にしがみつき、ある者は40時間もの間、負傷し、夜は寒く、昼は炎天下で、ヴェリスの信号灯 Verys signalをため、頭上に飛行機が見えるが自分たちは見えないという状況だった。10月25日の昼間、バクスターの小さな任務部隊は戦域を捜索したが、成果はなかった。海流と風に流され、生存者がいなくなってしまったのだ。夜間に発射されたヴェリス信号が、最終的に任務部隊を適切な方向へ導き、1,153名を救出することができた。この作戦は、これまであまり評価されてこなかったが、優れた捜索・救助活動であった ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-337)に改める |
LCIL-338 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/11/26 (1942/12/26?) |
1946/4/19 | 1947/5/22 | ◎1942/9/22 起工 ◎1942/10/24 進水 ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-338)に改める |
LCIL-339 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/30 | ― | ◎1942/9/30 起工 ◎1942/10/30 進水 1943/9/4 ニュー・ギニア島ラエにて日本海軍機の攻撃により沈没 |
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LCIL-340 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/12 | 1946/3/14 | 1946/4/17 | ◎1942/10/1 起工 ◎1942/10/31 進水 ◎1944年10月25日の「サマール沖海戦 Battle Off Samar後、沈没したアメリカ艦の生存者を捜索・救助する目的でタスクフォースが編成された。 この捜索と救助の詳細は、ダニエル E. バーベイ中将 Vice Admiral Daniel E. Barbeyの著書「MacArthur's Amphibious Navy」のページより引用した。戦闘当日の1500時、チャールズ・アデア大佐 Captain Charles Adairは、サマール沖の海域で筏や瓦礫にぶら下がっている男性の集団を報告する飛行機からの通信を傍受して見せてくれた。どうやらこの海域には船はいないようだ。アデアは、水陸両用船で救助隊を組織することを提案し、船首にランプがある歩兵揚陸艇(LCI)が特に適していると提案した。すぐに第7艦隊司令官(トーマス C. キンケイド大将 Admiral Thomas C. Kinkaid)に優先的な派遣を行い、救助任務の承認を要請した。アデアは2隻のPCSと5隻のLCIを集結させた。医療関係者と物資は船内に送られた。1時間後には任務群 task groupに編成され、約125マイル離れた救助地域に向けて出発する準備が整った。(駆潜艇(鋼製船体)PC-623の指揮官はジェームズ A. バクスター中佐(合衆国海軍予備役 Lieutenant Commander James A. Baxter, U.S. Naval Reserve)であった)。1600時までに第7艦隊司令官への派遣に対する返信がなかったため、即時承認を求める第2次派遣を行い、ターバック大佐 Captain Tarbuckを約1マイル離れた第7艦隊旗艦である揚陸指揮艦ワサッチ(AGC-9)にボートで派遣し、行動を起こさせた。1時間後、救助計画は承認され、バクスターの小任務部隊は出航した。彼らは、拾った1,100名以上の生存者から、常に感謝されながら記憶されている。1隻を除くすべての船の日誌から抜粋して、この物語を語っている。残念ながら、LCI-34の日誌はアーカイヴスで見つけることができなかった ◎1944年10月25日(水曜日) 1600--PC-623 任務群78.12 Task Group 78.12を編成、構成:PC-623(旗艦)、PC-1119、LCI-34、71、337、340と341で生存者の捜索に当たる 1806--PC-623 医療士官ルーカス中尉 Lieutenant (jg) Lucas、PHM1cワッテンゲル PHM, 1c Wattengelが乗船した ◎1944年10月26日(木曜日) 0400--PC-623 任務群は、海軍の生存者の捜索を行うため、その地域に向かった 0650--PC-623 LCI-340と341は、10ktを出すことができず、後退した 0621--LCI-341は、1,000ヤード間隔で横一列に並んで、生存者の捜索を開始した 0623--PC-623 日の出 0810--PC-623は、間隔を2,000ヤードに増やし、より良い視界を確保した 0910--PC-623 数機の飛行機と船を目撃した。太陽と距離のために、接触することができない。生存者に関連する情報を全く、繰り返し受け取っていない 1049--LCI-71は油膜を通過した 1400--LCI-341 3機の友好的な水上飛行機が2マイル上空を通過した 1445--LCI-71 左舷船首から飛行機の腹タンクを目撃、距離は50ヤード 1445--LCI-71 前方に正体不明の航空機3機を目撃した 1500--PC-623 重い油膜を通過した 1645--LCI-340 水中に物体を目撃した。生存者と思われる 1659--PC-1119 50口径の弾薬箱を視認、腹部タンク2個と多数の箱も視認 1700--LCI-340 日本人の生存者を拾った。彼は木箱につかまって浮いていた。生存者は銃器がないか調べられたが、何も見つからなかった。全ての書類と貴重品は、指揮官によって保護された。生存者はそののち、医療処置、食料、水を与えられ、警備下に置かれた 1700--PC-623 水中の物体を回収するために操縦された(日本軍の物体) 1716--LCI-341 全ての船は、徹底的にエリアを検索するために来ている 1812--LCI-341 General Quarters: Ack-ack off port bow 1820--LCI-341 日没。船が暗くなった 1848--LCI-341 Secured from General Quarters 2127--LCI-337 多くの破片と重い油膜を目撃した。水中の物体の調査を完了した。生命の兆候はない 2220--PC-623は、赤、白、緑のフレアを270度T方向に見た 2247--PC-623は、護衛航空母艦ガンビア・ベイ(CVE-73)からの生存者の幾つかの筏を目撃した 2300--LCI-337 生存者エリアに到着し、水中の男性を拾うために必要に応じて巡航と操縦を行った 2335--PC-623 生存者を受け取るために、横付けする 2335--LCI-340 アメリカ人生存者をピックアップするためにPC-623の周辺に進むように無線メッセージを受信した ◎1944年10月27日(金曜日) 0025--PC-1119 アメリカ海軍の生存者を乗せた3隻の筏を視認 0030--LCI-71 最初の生存者を発見し、彼らをピックアップした 0030--PC-1119 アメリカ海軍の生存者の乗船を開始した 0330--LCI-341 水中に生存者を発見し、エンジンを停止した。小型ボートを吊り上げる 0055--LCI-337 右舷で生存者を発見し救助 0058--LCI-341 ガンビア・ベイから最初の生存者が乗船 0115--LCI-71は、一度に数名の生存者をピックアップし続けた 0121--LCI-341 低速で航行し、生存者を拾った 0122--LCI-340 ガンビア・ベイからアメリカ人の生存者を一名拾った。彼はすぐに医療処置、乾いた衣類、食べ物と飲み物を与えられた 0142--LCI-337 生存者乗船 0156--LCI-340 横に繋がれていた7つの救命筏を引き、ガンビア・ベイの生存者の乗船を開始した 0215--LCI-337 浮いている救命筏を見た。生存者のグループを救助した 0235--LCI-341 救命筏を横付け。生存者を乗船させる。16名の男性 0247--LCI-340 7つのいかだから生存者を引き取ることを完了した(約110名のアメリカ海軍の生存者)。生存者の中には重傷を負った者もおり、本船ができる限りの医療処置を施した 0335--LCI-71 複数の救命いかだから144名をピックアップした 0345--PC-1119 183名の海軍の生存者の乗船を終了した。名前、階級、シリアル・ナンバーはSOPA(Senior Officer Present Afloat)に転送されたリスト通りである 0348--PC-623は、200名の生存者を乗せたままサン・ペドロ湾(レイテ湾)に戻るためにPC-1119を切り離し、CTF第7水陸両用軍司令官 CTF Commander Seventh Amphibious Forceに完全な報告をするように指示した 0415--LCI-341 この時点で報告された船内の生存者は36名で、その多くが榴散弾による負傷と被爆に苦しんでいる 0622--LCI-340 明るくなったので、生存者の捜索を続けた 0654--LCI-337 4名の生存者を発見し救助した。一名は死んだようだ 0745--LCI-337 駆逐艦ホーエル(DD-533)から集団で約58名の生存者を救出した 0800--PC-623 護衛駆逐艦サミュエル B. ロバーツ(DE-413)からの生存者を引き受けるために待機している 0830--LCI-341 救命筏が横付けされ、ホーエルの生存者、36名を乗せた 0839--PC-623 ホーエルからのより多くの生存者を目撃した。何名かは乗船した 0840--LCI-337 生存者をピックアップするために操縦している 0849--PC-623 駆逐艦ジョンストン (DD-557)から生存者をピックアップする 0900--LCI-337 ジョンストンから生存者を救出した 0904--LCI-341 11名が乗っている救命筏を拾った。生存者ジョンストン。散らばった生存者を拾い続けている 0905--LCI-337 ジョンストンから5名の生存者を救出 0920--PC-623 船を軽くするために、5,000ガロンの燃料を船外に汲み上げた。PC-623は、260名の生存者を乗せていた。燃料は、生存者の追加重量を補うために船外に汲み上げられた 0925--LCI-71 さらに8名の生存者を拾った 0930--LCI-71 生存者175名を乗せ、航行中 0930--LCI-337 生存者の大きなグループ、約85名が乗船 0930--LCI-340 救命いかだから13名を定位置に救出:緯度 北緯12度06分30秒、東経125度42秒。男性には、本船が提供できる全ての医療処置が施された。生存者全員に乾燥した衣服、寝床、暖かい食べ物、飲み物を与えようと試みた。これらの兵士の多くはひどく負傷しており、DD-557のものであった 0936--LCI-341 捜索を完了した。報告された乗員の総数は90名であった。非常に混雑した状況と男性の身体的な状態のため、完全なリスト名を得ることは不可能である。コース150度T、列の形成に落ちた 0945--LCI-337は、Sounded General Quartersを鳴らした。船首から敵機1機を視認した。一式陸上攻撃機と確認された 0952--LCI-341 敵機は、船上で機銃掃射を行ったが、損害はなかった。General Quartersから確保された 1130--LCI-341は破片を調査するために隊列を崩した 1140--LCI-341 陣形に戻った 1200--PC-623 コース150度Tで以前と同じように航行している。報告されたのは、ヴューウィグ大佐 Capt. Viewig、トーマス中佐 Cdr. Thomas(DD-533)、 R. コープランド少佐 Lt. Comdr. R. Copeland(DE-413)が拾われたとの報告があった 1806--PC-623 C/S から 9.2kt。不正確な船内の生存者のカウントが行われた。260名と死者名 1840--LCI-337 護衛駆逐艦デッカー(DE-47)の左舷に沿う。医師が乗船してきた 1955--LCI-341 C/C 309度T. レイテ湾に常備 2000--LCI-340 ガンビア・ベイから5名の士官がピックアップされた: J. A. サムダーズ少佐 Lt. Comdr. J. A. Samders, USNR、W.ストリンガー大尉 Lt. W. Stringer, USNR 2400--A. S.ヤング中尉 Lt. (J.g.) A. S. Young、L. L. エッピング少尉 L. L. エッピング少尉 Ens. L. L. Epping, USNR、 A. W. ベトサング少尉 Ens. A. W. Betsang, USNR。また、ガンビア・ベイから98名、ジョンストンから18名。リストが添付されている ◎1944年10月28日(土曜日) 0150--LCI-71 病院船付近で錨を下ろした 0231--PC-623 生存者の乗降のためにボートが接舷した 0345--LCI-71 生存者を移送するために小型ボートが接舷し始めた 0350--LCI-341 生存者を病院船に移送するために小型ボートが接岸した 0401--LCI-340 日本人生存者をワサッチに搬送するため、全ての所持品とともに小型ボートに移乗させた 0645--LCI-340 アメリカ人生存者を治療のため病院船へ輸送するため、小型ボートに移し始めた。病院船は戦車揚陸艦LST-266とLST-464であった 0850--LCI-337 LCMが横付けされ、負傷者を病院船LST-464(改装された病院船)に移送する。ストレッチャー・ケースのみ 0942--LCI-71 最後の生存者が船から移送される 船員日誌の省略されたスタイルで記録された一連の出来事からは、救助地域で繰り広げられていたであろうドラマをうかがい知ることはできない。生存者はサメの棲む海域で、筏や瓦礫にしがみつき、ある者は40時間もの間、負傷し、夜は寒く、昼は炎天下で、ヴェリスの信号灯 Verys signalをため、頭上に飛行機が見えるが自分たちは見えないという状況だった。10月25日の昼間、バクスターの小さな任務部隊は戦域を捜索したが、成果はなかった。海流と風に流され、生存者がいなくなってしまったのだ。夜間に発射されたヴェリス信号が、最終的に任務部隊を適切な方向へ導き、1,153名を救出することができた。この作戦は、これまであまり評価されてこなかったが、優れた捜索・救助活動であった ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-340)に改める |
LCIL-341 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/26 | 1946/2/6 | 1946/2/25 | ◎1942/10/3 起工 ◎1942/11/7 進水 ◎1944年10月25日の「サマール沖海戦 Battle Off Samar後、沈没したアメリカ艦の生存者を捜索・救助する目的でタスクフォースが編成された。 この捜索と救助の詳細は、ダニエル E. バーベイ中将 Vice Admiral Daniel E. Barbeyの著書「MacArthur's Amphibious Navy」のページより引用した。戦闘当日の1500時、チャールズ・アデア大佐 Captain Charles Adairは、サマール沖の海域で筏や瓦礫にぶら下がっている男性の集団を報告する飛行機からの通信を傍受して見せてくれた。どうやらこの海域には船はいないようだ。アデアは、水陸両用船で救助隊を組織することを提案し、船首にランプがある歩兵揚陸艇(LCI)が特に適していると提案した。すぐに第7艦隊司令官(トーマス C. キンケイド大将 Admiral Thomas C. Kinkaid)に優先的な派遣を行い、救助任務の承認を要請した。アデアは2隻のPCSと5隻のLCIを集結させた。医療関係者と物資は船内に送られた。1時間後には任務群 task groupに編成され、約125マイル離れた救助地域に向けて出発する準備が整った。(駆潜艇(鋼製船体)PC-623の指揮官はジェームズ A. バクスター中佐(合衆国海軍予備役 Lieutenant Commander James A. Baxter, U.S. Naval Reserve)であった)。1600時までに第7艦隊司令官への派遣に対する返信がなかったため、即時承認を求める第2次派遣を行い、ターバック大佐 Captain Tarbuckを約1マイル離れた第7艦隊旗艦である揚陸指揮艦ワサッチ(AGC-9)にボートで派遣し、行動を起こさせた。1時間後、救助計画は承認され、バクスターの小任務部隊は出航した。彼らは、拾った1,100名以上の生存者から、常に感謝されながら記憶されている。1隻を除くすべての船の日誌から抜粋して、この物語を語っている。残念ながら、LCI-34の日誌はアーカイヴスで見つけることができなかった ◎1944年10月25日(水曜日) 1600--PC-623 任務群78.12 Task Group 78.12を編成、構成:PC-623(旗艦)、PC-1119、LCI-34、71、337、340と341で生存者の捜索に当たる 1806--PC-623 医療士官ルーカス中尉 Lieutenant (jg) Lucas、PHM1cワッテンゲル PHM, 1c Wattengelが乗船した ◎1944年10月26日(木曜日) 0400--PC-623 任務群は、海軍の生存者の捜索を行うため、その地域に向かった 0650--PC-623 LCI-340と341は、10ktを出すことができず、後退した 0621--LCI-341は、1,000ヤード間隔で横一列に並んで、生存者の捜索を開始した 0623--PC-623 日の出 0810--PC-623は、間隔を2,000ヤードに増やし、より良い視界を確保した 0910--PC-623 数機の飛行機と船を目撃した。太陽と距離のために、接触することができない。生存者に関連する情報を全く、繰り返し受け取っていない 1049--LCI-71は油膜を通過した 1400--LCI-341 3機の友好的な水上飛行機が2マイル上空を通過した 1445--LCI-71 左舷船首から飛行機の腹タンクを目撃、距離は50ヤード 1445--LCI-71 前方に正体不明の航空機3機を目撃した 1500--PC-623 重い油膜を通過した 1645--LCI-340 水中に物体を目撃した。生存者と思われる 1659--PC-1119 50口径の弾薬箱を視認、腹部タンク2個と多数の箱も視認 1700--LCI-340 日本人の生存者を拾った。彼は木箱につかまって浮いていた。生存者は銃器がないか調べられたが、何も見つからなかった。全ての書類と貴重品は、指揮官によって保護された。生存者はそののち、医療処置、食料、水を与えられ、警備下に置かれた 1700--PC-623 水中の物体を回収するために操縦された(日本軍の物体) 1716--LCI-341 全ての船は、徹底的にエリアを検索するために来ている 1812--LCI-341 General Quarters: Ack-ack off port bow 1820--LCI-341 日没。船が暗くなった 1848--LCI-341 Secured from General Quarters 2127--LCI-337 多くの破片と重い油膜を目撃した。水中の物体の調査を完了した。生命の兆候はない 2220--PC-623は、赤、白、緑のフレアを270度T方向に見た 2247--PC-623は、護衛航空母艦ガンビア・ベイ(CVE-73)からの生存者の幾つかの筏を目撃した 2300--LCI-337 生存者エリアに到着し、水中の男性を拾うために必要に応じて巡航と操縦を行った 2335--PC-623 生存者を受け取るために、横付けする 2335--LCI-340 アメリカ人生存者をピックアップするためにPC-623の周辺に進むように無線メッセージを受信した ◎1944年10月27日(金曜日) 0025--PC-1119 アメリカ海軍の生存者を乗せた3隻の筏を視認 0030--LCI-71 最初の生存者を発見し、彼らをピックアップした 0030--PC-1119 アメリカ海軍の生存者の乗船を開始した 0330--LCI-341 水中に生存者を発見し、エンジンを停止した。小型ボートを吊り上げる 0055--LCI-337 右舷で生存者を発見し救助 0058--LCI-341 ガンビア・ベイから最初の生存者が乗船 0115--LCI-71は、一度に数名の生存者をピックアップし続けた 0121--LCI-341 低速で航行し、生存者を拾った 0122--LCI-340 ガンビア・ベイからアメリカ人の生存者を一名拾った。彼はすぐに医療処置、乾いた衣類、食べ物と飲み物を与えられた 0142--LCI-337 生存者乗船 0156--LCI-340 横に繋がれていた7つの救命筏を引き、ガンビア・ベイの生存者の乗船を開始した 0215--LCI-337 浮いている救命筏を見た。生存者のグループを救助した 0235--LCI-341 救命筏を横付け。生存者を乗船させる。16名の男性 0247--LCI-340 7つのいかだから生存者を引き取ることを完了した(約110名のアメリカ海軍の生存者)。生存者の中には重傷を負った者もおり、本船ができる限りの医療処置を施した 0335--LCI-71 複数の救命いかだから144名をピックアップした 0345--PC-1119 183名の海軍の生存者の乗船を終了した。名前、階級、シリアル・ナンバーはSOPA(Senior Officer Present Afloat)に転送されたリスト通りである 0348--PC-623は、200名の生存者を乗せたままサン・ペドロ湾(レイテ湾)に戻るためにPC-1119を切り離し、CTF第7水陸両用軍司令官 CTF Commander Seventh Amphibious Forceに完全な報告をするように指示した 0415--LCI-341 この時点で報告された船内の生存者は36名で、その多くが榴散弾による負傷と被爆に苦しんでいる 0622--LCI-340 明るくなったので、生存者の捜索を続けた 0654--LCI-337 4名の生存者を発見し救助した。一名は死んだようだ 0745--LCI-337 駆逐艦ホーエル(DD-533)から集団で約58名の生存者を救出した 0800--PC-623 護衛駆逐艦サミュエル B. ロバーツ(DE-413)からの生存者を引き受けるために待機している 0830--LCI-341 救命筏が横付けされ、ホーエルの生存者、36名を乗せた 0839--PC-623 ホーエルからのより多くの生存者を目撃した。何名かは乗船した 0840--LCI-337 生存者をピックアップするために操縦している 0849--PC-623 駆逐艦ジョンストン (DD-557)から生存者をピックアップする 0900--LCI-337 ジョンストンから生存者を救出した 0904--LCI-341 11名が乗っている救命筏を拾った。生存者ジョンストン。散らばった生存者を拾い続けている 0905--LCI-337 ジョンストンから5名の生存者を救出 0920--PC-623 船を軽くするために、5,000ガロンの燃料を船外に汲み上げた。PC-623は、260名の生存者を乗せていた。燃料は、生存者の追加重量を補うために船外に汲み上げられた 0925--LCI-71 さらに8名の生存者を拾った 0930--LCI-71 生存者175名を乗せ、航行中 0930--LCI-337 生存者の大きなグループ、約85名が乗船 0930--LCI-340 救命いかだから13名を定位置に救出:緯度 北緯12度06分30秒、東経125度42秒。男性には、本船が提供できる全ての医療処置が施された。生存者全員に乾燥した衣服、寝床、暖かい食べ物、飲み物を与えようと試みた。これらの兵士の多くはひどく負傷しており、DD-557のものであった 0936--LCI-341 捜索を完了した。報告された乗員の総数は90名であった。非常に混雑した状況と男性の身体的な状態のため、完全なリスト名を得ることは不可能である。コース150度T、列の形成に落ちた 0945--LCI-337は、Sounded General Quartersを鳴らした。船首から敵機1機を視認した。一式陸上攻撃機と確認された 0952--LCI-341 敵機は、船上で機銃掃射を行ったが、損害はなかった。General Quartersから確保された 1130--LCI-341は破片を調査するために隊列を崩した 1140--LCI-341 陣形に戻った 1200--PC-623 コース150度Tで以前と同じように航行している。報告されたのは、ヴューウィグ大佐 Capt. Viewig、トーマス中佐 Cdr. Thomas(DD-533)、R. コープランド少佐 Lt. Comdr. R. Copeland(DE-413)が拾われたとの報告があった 1806--PC-623 C/S から 9.2kt。不正確な船内の生存者のカウントが行われた。260名と死者名 1840--LCI-337 護衛駆逐艦デッカー(DE-47)の左舷に沿う。医師が乗船してきた 1955--LCI-341 C/C 309度T. レイテ湾に常備 2000--LCI-340 ガンビア・ベイから5名の士官がピックアップされた: J. A. サムダーズ少佐 Lt. Comdr. J. A. Samders, USNR、W.ストリンガー大尉 Lt. W. Stringer, USNR 2400--A. S.ヤング中尉 Lt. (J.g.) A. S. Young、L. L. エッピング少尉 L. L. エッピング少尉 Ens. L. L. Epping, USNR、 A. W. ベトサング少尉 Ens. A. W. Betsang, USNR。また、ガンビア・ベイから98名、ジョンストンから18名。リストが添付されている ◎1944年10月28日(土曜日) 0150--LCI-71 病院船付近で錨を下ろした 0231--PC-623 生存者の乗降のためにボートが接舷した 0345--LCI-71 生存者を移送するために小型ボートが接舷し始めた 0350--LCI-341 生存者を病院船に移送するために小型ボートが接岸した 0401--LCI-340 日本人生存者をワサッチに搬送するため、全ての所持品とともに小型ボートに移乗させた 0645--LCI-340 アメリカ人生存者を治療のため病院船へ輸送するため、小型ボートに移し始めた。病院船は戦車揚陸艦LST-266とLST-464であった 0850--LCI-337 LCMが横付けされ、負傷者を病院船LST-464(改装された病院船)に移送する。ストレッチャー・ケースのみ 0942--LCI-71 最後の生存者が船から移送される 船員日誌の省略されたスタイルで記録された一連の出来事からは、救助地域で繰り広げられていたであろうドラマをうかがい知ることはできない。生存者はサメの棲む海域で、筏や瓦礫にしがみつき、ある者は40時間もの間、負傷し、夜は寒く、昼は炎天下で、ヴェリスの信号灯 Verys signalをため、頭上に飛行機が見えるが自分たちは見えないという状況だった。10月25日の昼間、バクスターの小さな任務部隊は戦域を捜索したが、成果はなかった。海流と風に流され、生存者がいなくなってしまったのだ。夜間に発射されたヴェリス信号が、最終的に任務部隊を適切な方向へ導き、1,153名を救出することができた。この作戦は、これまであまり評価されてこなかったが、優れた捜索・救助活動であった ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-341)に改める |
LCIL-342 | ブラウン・シップビルディング社 | 1942/12/30 | 1946/1/25 | 1946/4/12 | ◎1942/10/12(1942/10/13?) 起工 ◎1942/11/7 進水 ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(ロケット)(LCIR-342)に改める |
LCIL-343 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/8 | 1946/3/25 | 1946/4/17 | ◎1942/10/13 起工 ◎1942/11/12(1942/11/14?) 進水 ◎1946/12/2 売却 |
LCIL-344 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/18 | 1946/3/15 | 1946/4/17 | ◎1942/10/26 起工 ◎1942/12/2 進水 ◎1948/4/1 海事委員会に移管 |
LCIL-345 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/22 | 1946/2/11 | 1946/2/26 | ◎1942/10/31 起工 ◎1942/12/2(1942/12/3?) 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-345)に改める |
LCIL-346 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/25 | 1946/3/22 | 1946/6/5 | ◎1942/10/31 起工 ◎1942/12/2(1942/12/3?) 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-346)に改める |
LCIL-347 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/28 | 1945/12/14 | 1946/2/26 | ◎1942/10/31 起工 ◎1942/12/2(1942/12/3?) 進水 ◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる(LCI Flotilla 3、LCI Group 7、LCI Division 13所属) ◎1944/1/31 Kwajaleinとマジュロ環礁の占拠(〜1944/2/8) ◎1944/6/15 サイパンの奪取、占拠(〜1944/7/28) ◎1944/7/24 テニアン島の奪取、占拠(〜1944/7/28) ◎1944/9/6 パラオ諸島南方の奪取、占拠(〜1944/10/14) 1945/2/24 硫黄島にて攻撃輸送艦ハンスフォード Hansford(APA-106)と衝突し損傷 ◎1945/3/24 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/6/14) ◎後に艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-347)に改める |
LCIL-348 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/27 | 1946/2/8 | 1946/6/5 | ◎1942/11/7 起工 ◎1942/12/21 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-348)に改める |
LCIL-349 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/1/31 | 1946/4/2 | 1946/6/19 | ◎1942/11/7 起工 ◎1942/12/21 進水 ◎1944/10 メリーランド州Solomon IslandのMerrill Stevens Dry Docking & Repair Co. にて修理改装、オーヴァーホール ◎1944晩秋? メリーランド州Solomon Islandにてオーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1947/11/18 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/12/26〜1946/4/2 |
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LCIL-350 | ブラウン・シップビルディング社 | 1943/2/4 | 1946/5/3 | 1946/6/19 | ◎1942/11/14 起工 ◎1942/12/21 進水 ◎オレンジにて竣工 ◎1944/10 チャールストンにて修理、オーヴァーホール ◎1944晩秋? メリーランド州Solomon Islandにてオーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 1945/9/17〜18 台風により座礁、損傷 ◎1947/6/23 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1943/5/15〜1946/5/3 |
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LCIL-351 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/5/14 | 1946/5/28 | 1946/7/3 | ◎1943/3/5 起工 ◎1943/4/8 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-351)に改める |
LCIL-352 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/5/18 | 1946/7/19 | 1946/9/16 | ◎1943/3/5 起工 ◎1943/4/10 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-352)に改める |
LCIL-353 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/5/26 | 1946/6/25 | 1946/8/15 | ◎1943/3/30 起工 ◎1943/4/30 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-353)に改める |
LCIL-354 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/6/1 (1943/6/3?) |
1946/7/19 | 1947/9/16 | ◎1943/4/1 起工 ◎1943/5/6 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-354)に改める |
LCIL-355 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/6/9 | 1946/7/3 | 1946/7/31 | ◎1943/4/11 起工 ◎1943/5/20 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-355)に改める |
LCIL-356 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/6/12 | 1946/6/4 | 1946/7/3 | ◎1943/4/13 起工 ◎1943/5/27 進水 ◎1943/9/28 Noumeaの浮きドックにて入渠 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-356)に改める |
LCIL-357 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/6/17 | 1946/3/26 | 1946/4/17 | ◎1943/5/4 起工 ◎1943/6/4 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-358 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/6/20 (1943/6/23?) |
1946/3/14 | 1946/3/28 | ◎1943/5/8 起工 ◎1943/6/10 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-359 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/2 | 1946/1/31 | 1946/2/25 | ◎1943/5/25 起工 ◎1943/6/21 進水 ◎1945/4/30 艦種を歩兵揚陸艇(迫撃砲)(LCIM-359)に改める |
LCIL-360 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/12 | 1946/1/29 | 1946/2/25 | ◎1943/6/1 起工 ◎1943/6/29 進水 ◎1948/4/20 海事委員会に移管 |
LCIL-361 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/23 | 1946/3/12 | 1946/3/28 | ◎1943/6/11 起工 ◎1943/7/9 進水 ◎1946/12 売却 |
LCIL-362 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/26 | 1946 | ◎1943/6/15 起工 ◎1943/7/16 進水 ◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる ◎1944/4/21 Hollandiaにて作戦の任務(〜1944/4/25) ◎1944/5/27 ビアク島にて作戦の任務(〜1944/6/1、1、2) ◎1945/1/4 リンガエン湾にて揚陸作戦(〜1945/1/18) ◎1945/1/31 パラワン島にて揚陸作戦(〜1945/2/2) ◎1945/2/28 パラワン島にて揚陸作戦(〜1945/3/7) ◎1945/3/10 ミンダナオ島にて揚陸作戦(〜1945/3/16) ◎1945/4/2 バシラン島にて作戦の任務(〜1945/4/4) ◎1945/4/9 バシラン島にて作戦の任務(〜1945/4/11) ◎のちに歩兵揚陸艇(迫撃砲)に改装 ◎1945/4/30 艦種を歩兵揚陸艇(迫撃砲)(LCIM-362)に改める |
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LCIL-363 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/31 | 1946/6/7 | 1946/7/3 | ◎1943/6/26 起工 ◎1943/7/22 進水 ◎1948/5/3 海事委員会に移管 |
LCIL-364 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/7/31 (1943/8/6?) |
1946/3/23 | 1946/4/13 | ◎1943/6/30 起工 ◎1943/7/28 進水 ◎1948/5/3 海事委員会に移管 |
LCIL-365 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/8/12 | ◎1943/7/9 起工 ◎1943/8/3 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-365)に改める |
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LCIL-366 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/8/17 | 1946/5/23 | 1947/6/10 | ◎1943/7/18 起工 ◎1943/8/9 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-366)に改める |
LCIL-367 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/8/23 | 1946/7/11 | ◎1943/7/26 起工 ◎1943/8/17 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-367)に改める |
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LCIL-368 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/8/28 | 1946/7/15 | 1948/8/28 | ◎1943/8/3 起工 ◎1943/8/23 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-368)に改める |
LCIL-369 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/8/31 | ◎1943/8/9 起工 ◎1943/8/27 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-369)に改める |
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LCIL-370 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/9/13 | 1946/5/20 | ◎1943/8/11 起工 ◎1943/9/8 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-370)に改める |
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LCIL-371 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/9/18 | 1946/7/1 | 1946 | ◎1943/8/23 起工 ◎1943/9/13 進水 1944/1/6 サン・クレメンテ島にて座礁 ◎1944/2/7 離礁、サン・ディエゴへ曳航、修理 ◎1947/12/29 海事委員会に移管 |
LCIL-372 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/9/24 | 1946/7/11 | 1946/8/15 | ◎1943/8/31 起工 ◎1943/9/19 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-372)に改める |
LCIL-373 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/9/29 | 1946/6/18 | 1946/8/15 | ◎1943/9/17 起工 ◎1943/9/23 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-373)に改める |
LCIL-374 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/9/30 | 1946/5/16 | 1946/6/19 | ◎1943/9/11 起工 ◎1943/9/27 進水 ◎1943/10/1 イギリスに貸与 ◎1946/5/4 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
LCIL-375 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/10/9 | 1946/3/29 | 1946/5/1 | ◎1943/9/17 起工 ◎1943/10/3 進水 ◎1943/10/9 イギリスに貸与 ◎1946/3/27 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/1/30 売却 |
LCIL-376 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/8/13 | ◎1943/9/21 起工 ◎1943/10/8 進水 ◎1943/10/13 イギリスに貸与 ◎1946/3/27 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/3/17 売却 |
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LCIL-377 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/10/15 | ◎1943/9/25 起工 ◎1943/10/14 進水 ◎1943/10/18 イギリスに貸与 ◎1946/12/10 イギリスより返還、売却 |
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LCIL-378 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/6/19 | ◎1943/9/23 起工 ◎1943/10/18 進水 ◎1943/10/23 イギリスに貸与 ◎1946/3/20(1946/4/12?) イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/6/23 売却 |
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LCIL-379 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/7/3 | ◎1943/10/6 起工 ◎1943/10/23 進水 ◎1943/10/28(1943/10/31?) イギリスに貸与 ◎1943/10/31 イギリス海軍にて就役 ◎1946/3/18(1946/3/27?) イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/3/18 売却 |
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LCIL-380 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/6/19 | ◎1943/10/11 起工 ◎1943/10/28 進水 ◎1943/10/31 イギリスに貸与 ◎1946/3/27 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/6/13 売却 |
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LCIL-381 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/4/17 | ◎1943/10/9 起工 ◎1943/10/29 進水 ◎1943/11/1 イギリスに貸与、イギリス海軍にて就役 ◎1946/3/14 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-382 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/6/19 | ◎1943/10/17 起工 ◎1943/11/4 進水 ◎1943/11/8 イギリスに貸与 ◎1946/5/4(1946/5/28?) イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-383 | George Lawley & Sons Corp. | 1947/1/22 | ◎1943/10/16 起工 ◎1943/11/7 進水 ◎1943/11/11 イギリスに貸与 ◎1946/9/24 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/6/9 売却 |
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LCIL-384 | George Lawley & Sons Corp. | 1947/1/22 | ◎1943/10/20 起工 ◎1943/11/11 進水 ◎1943/11/15 イギリスに貸与 ◎1946/8/30(1946/9/25?) イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
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LCIL-385 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/10/8 | ◎1943/10/24 起工 ◎1943/11/15 進水 ◎1943/11/19 イギリスに貸与 ◎1946/6/19 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/21 売却 |
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LCIL-386 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/6/19 | ◎1943/11/3 起工 ◎1943/11/17 進水 ◎1943/11/22 イギリスに貸与、イギリス海軍にて就役 ◎1946/5/4(1946/5/28?) イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1948/2/13 売却 |
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LCIL-387 | George Lawley & Sons Corp. | 1946/6/19 | ◎1943/11/1 起工 ◎1943/11/20 進水 ◎1943/11/24 イギリスに貸与 ◎第二次大戦中、HM LCI(L)-387は、1944年6月6日、ノルマンディー侵攻作戦に266 Flotillaとして参加し、“スウォード・ビーチ”の女王エリア Queen areaにロイヤル・アルスター・ライフル Royal Ulster Riflesの部隊を上陸させた(フランク・ベンソン Frank Benson氏は第二次大戦中の任務について多くを語らなかったが、何度か息子のイアン Ianに自分とLCI(L)-387に起こったいくつかの考えを語ってくれたことがある。彼はイアンに、“スウォード・ビーチ”への進入時に機雷にぶつかったが、スロープを下げるには十分な距離だった、と話した。彼はロープをつないで最初に降り、兵士たちはそれに続いた。しかし、潮が引くと、タラップの底から数十センチ離れたところに、さらに地雷が発見された。しかし、潮が引くと、タラップの底の数センチ先に地雷が発見されたのだ。その日は運も味方してくれた) ◎1946/3/20 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/2/28 売却 |
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LCIL-388 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/11/29 | 1946/6/5 | ◎1943/11/15 起工 ◎1943/11/25 進水 ◎1943/11/29 イギリスに貸与 ◎1946/3/27 イギリスより返還 ◎1947/10/8 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-389 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/11/30 | 1946/4/17 | ◎1943/11/17 起工 ◎1943/11/27 進水 ◎1943/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/3/14 イギリスより返還 ◎1948/2/27 国務省に移管、売却 |
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LCIL-390 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/11/30 | 1946/10/8 | ◎1943/11/21 起工 ◎1943/11/28 進水 ◎1943/12/1 イギリスに貸与 ◎1946/6/19 イギリスより返還 ◎1947/5/14 海事委員会に移管、ニュー・ヨークのNew York Circle Lineに売却され観光船に改装、Knickerbockerと命名 ◎後にDay Line Iと改名 ◎後にCircle Line IVと改名 |
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LCIL-391 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/7 | 1946/6/19 | ◎1943/11/25 起工 ◎1943/12/2 進水 ◎1943/12/7 イギリスに貸与 ◎1946/5/4(1946/5/28?) イギリスより返還 ◎1948/2/13 国務省に移管、売却 |
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LCIL-392 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/8 | 1946/2/14 | 1946/3/28 | ◎1943/11/28 起工 ◎1943/12/4 進水 ◎1947/1/13 売却 |
LCIL-393 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/11 | 1946/2/15 | 1946/3/20 | ◎1943/11/30 起工 ◎1943/12/7 進水 ◎1948/2/27 海事委員会に移管 |
LCIL-394 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/14 | 1946/2/15 | 1946/3/20 | ◎1943/12/3 起工 ◎1943/12/10 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-395 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/20 | 1946/1/31 | 1946/4/12 | ◎1943/12/5 起工 ◎1943/12/12 進水 ◎1946/12/2 売却 |
LCIL-396 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/20 | 1946/1/5 | ◎1943/12/7 起工 ◎1943/12/15 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-396)に改める |
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LCIL-397 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/21 (1943/12/23?) |
1946/4/12 | 1947/2/7 | ◎1943/12/10 起工 ◎1943/12/19 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-397)に改める |
LCIL-398 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/27 (1943/12/30?) |
1946/5/11 | 1946 (1947/1/22?) |
◎1943/12/13 起工 ◎1943/12/20 進水 ◎1944/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-398)に改める |
LCIL-399 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/30 | 1945/12/8 (1945/12/16?) |
◎1943/12/15 起工 ◎1943/12/23 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-399)に改める |
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LCIL-400 | George Lawley & Sons Corp. | 1943/12/31 | 1947/3/14 | ◎1943/12/19 起工 ◎1943/12/29 進水 ◎1945/3/10 艦種を特設沿岸掃海艇(AMCU-8)に改める |
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LCIL-401 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/8 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1943/12/21 起工 ◎1944/1/2 進水 ◎1944/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-401)に改める |
LCIL-402 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/11 | 1946/4/22 | 1946/7/3 | ◎1943/12/24 起工 ◎1944/1/5 進水 ◎1947/5/3 海事委員会に移管 |
LCIL-403 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/13 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1943/12/29 起工 ◎1944/1/7 進水 ◎1944/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-403)に改める |
LCIL-404 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/15 | 1946/6/25 | ◎1944/1/2 起工 ◎1944/1/9 進水 ◎1945/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-404)に改める |
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LCIL-405 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/18 | 1946/4/19 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1944/1/5 起工 ◎1944/1/12 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-405)に改める |
LCIL-406 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/20 | 1946/2/18 | 1946/3/12 | ◎1944/1/8 起工 ◎1944/1/15 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-406)に改める |
LCIL-407 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/22 | 1946/7/9 | 1947/9/16 | ◎1944/1/10 起工 ◎1944/1/16 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-407)に改める |
LCIL-408 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/24 | 1945/10/29 | 1945/11/13 | ◎1944/1/12(1944/1/15?) 起工 ◎1944/1/18 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-408)に改める |
LCIL-409 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/25 | 1947/6/23 | ◎1944/1/15 起工 ◎1944/1/20 進水 ◎1945/3/10 艦種を特設沿岸掃海艇(AMCU-9)に改める |
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LCIL-410 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/27 | 1946/5/2 | 1947/4/23 | ◎1944/1/17 起工 ◎1944/1/22 進水 ◎1948/7/8 海事委員会に移管 |
LCIL-411 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/29 | 1944/11/30 | 1947/1/22 | ◎1944/1/18 起工 ◎1944/1/24 進水 ◎1943/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/24(1946/9/25?) イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/10/20 売却 |
LCIL-412 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/1/31 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1944/1/21 起工 ◎1944/1/26 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-412)に改める |
LCIL-413 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/7 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1944/1/22 起工 ◎1944/1/29 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-413)に改める |
LCIL-414 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/9 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1944/1/24 起工 ◎1944/2/1 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-414)に改める |
LCIL-415 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/11 | 1945/10/29 | 1945/11/13 (1946?) |
◎1944/1/26 起工 ◎1944/2/4 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-415)に改める |
LCIL-416 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/14 | ― | ◎1944/1/29 起工 ◎1944/2/7 進水 1944/6/6 ノルマンディの“オマハ・ビーチ”にてドイツ軍の攻撃により損傷、放棄 |
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LCIL-417 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/16 | 1946/6/25 | ◎1944/2/1 起工 ◎1944/2/9 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-417)に改める |
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LCIL-418 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/18 | ◎1944/2/4 起工 ◎1944/2/11 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-418)に改める |
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LCIL-419 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/21 | 1946/5/1 | 1947/6/10 | ◎1944/2/7 起工 ◎1944/2/14 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-419)に改める |
LCIL-420 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/23 | 1946/5/29 | 1945〜1946頃 | ◎1944/2/9 起工 ◎1944/2/16 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-420)に改める |
LCIL-421 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/25 | 1946/4/26 | 1947/1/22 | ◎1944/2/11 起工 ◎1944/2/19 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-421)に改める |
LCIL-422 | George Lawley & Sons Corp. | 1944/2/28 | 1946/6/22 | 1946/8/15 | ◎1944/2/15 起工 ◎1944/2/21 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-422)に改める |
LCIL-423 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/6/11 | 1946/4/18 | 1946/6/5 | ◎1943/3/13 起工 ◎1943/5/17 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-423)に改める |
LCIL-424 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/6/17 | 1946/6/27 | 1946/8/15 | ◎1943/3/27 起工 ◎1943/5/19 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-424)に改める |
LCIL-425 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/6/22 | 1946/6/21 | ◎1943/3/16 起工 ◎1943/5/24 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-425)に改める |
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LCIL-426 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/6/26 | 1946/7/18 | 1946/8/28 | ◎1943/4/1 起工 ◎1943/6/2 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-426)に改める |
LCIL-427 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/1 | 1946/6/19 | 1946/7/31 | ◎1943/4/6 起工 ◎1943/6/10 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-427)に改める |
LCIL-428 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/5 | 1946/2/21 | 1946 (1948/11/13?) |
◎1943/4/7 起工 ◎1943/6/12 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-428)に改める |
LCIL-429 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/10 | 1946/5/18 | 1946/7/19 | ◎1943/4/6 起工 ◎1943/6/16 進水 ◎1947/5/16 海事委員会に移管 |
LCIL-430 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/13 | 1946/5/23 | 1946/7/19 | ◎1943/4/9 起工 ◎1943/6/21 進水 ◎1948/4/29 海事委員会に移管 |
LCIL-431 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/15 | 1946/2/28 | 1946/3/28 | ◎1943/4/9 起工 ◎1943/6/24 進水 ◎1945/4/30 艦種を歩兵揚陸艇(迫撃砲)(LCIM-431)に改める |
LCIL-432 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/19 | 1946/3/18 | 1946/4/17 | ◎1943/4/9 起工 ◎1943/6/29 進水 ◎1946/12/2 売却 |
LCIL-433 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/21 | 1946/6/13 | 1946/8/15 | ◎1943/4/21 起工 ◎1943/7/1 進水 ◎1947/1/10 売却 |
LCIL-434 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/24 | 1946/4/30 | 1946/6/5 | ◎1943/4/22 起工 ◎1943/7/3 進水 ◎1946/11/13 売却 |
LCIL-435 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/27 | 1946/5/2 | 1946/6/5 | ◎1943/4/22 起工 ◎1943/7/8 進水 ◎1946/11/7 売却 |
LCIL-436 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/29 | 1946/5/28 | 1946/7/3 | ◎1943/4/22 起工 ◎1943/7/13 進水 ◎1948/4/6 海事委員会に移管 |
LCIL-437 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/7/31 | 1946/2/4 | 1946/2/25 | ◎1943/4/23 起工 ◎1943/7/17 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-437)に改める |
LCIL-438 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/3 | 1946/4/15 | 1946/6/5 | ◎1943/4/23 起工 ◎1943/7/17 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-438)に改める |
LCIL-439 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/6 | 1946/6/18 | 1946/8/15 | ◎1943/4/29 起工 ◎1943/7/21 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-439)に改める |
LCIL-440 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/6 | 1946/6/27 | 1947/2/7 | ◎1943/4/29 起工 ◎1943/7/24 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-440)に改める |
LCIL-441 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/7 | 1946/5/23 | 1946/7/31 | ◎1943/4/30 起工 ◎1943/7/20 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-441)に改める |
LCIL-442 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/11 | 1946/6/24 | 1946 (1947/2/28?) |
◎1943/5/7 起工 ◎1943/7/31 進水 ◎1944/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-442)に改める |
LCIL-443 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/13 | 1946/3/15 | 1946/4/12 | ◎1943/5/19 起工 ◎1943/8/2 進水 ◎1943/9上旬? ニュー・ヨーク海軍工廠にて入渠、改装(1、2) ◎1946/12/2 売却 |
LCIL-444 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/15 | 1946/3/21 | 1946/4/17 | ◎1943/5/21 起工 ◎1943/8/4 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-445 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/17 | 1946/6/12 | 1947/12/23 | ◎1943/5/27 起工 ◎1943/8/5 進水 ◎1947/12/29 海事委員会に移管 |
LCIL-446 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/19 | 1946/6/24 | 1946/8/15 | ◎1943/6/3 起工 ◎1943/8/6 進水 ◎1948/4/1 海事委員会に移管 |
LCIL-447 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/21 | 1946/4/5 | 1946/6/19 | ◎1943/6/12 起工 ◎1943/8/10 進水 ◎1947/5/6 海事委員会に移管 |
LCIL-448 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/22 | 1946/4/5 | 1946/5/8 | ◎1943/6/15 起工 ◎1943/8/12 進水 ◎非公式に艦種を歩兵揚陸艇(破壊工作)(LCID-448)に改める ◎1948/2/25 海事委員会に移管 |
LCIL-449 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/25 | 1946/1 (1947/2/8?) |
1946/5/8 | ◎1943/6/17 起工 ◎1943/8/14 進水 ◎1944/6/16 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-449)に改める |
LCIL-450 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/26 | 1946/6/18 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1943/6/22 起工 ◎1943/8/18 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-450)に改める |
LCIL-451 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/28 | 1946/7/19 | 1946/8/28 | ◎1943/6/26 起工 ◎1943/8/19 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-451)に改める |
LCIL-452 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/30 | 1946/6/27 | 1946/8/15 | ◎1943/6/30 起工 ◎1943/8/20 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-452)に改める |
LCIL-453 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/8/31 | 1946/5/7 | 1947/9/29 | ◎1943/7/2 起工 ◎1943/8/21 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-453)に改める |
LCIL-454 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/2 | 1946/7/3 | 1946/7/31 | ◎1943/7/5 起工 ◎1943/8/25 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-454)に改める |
LCIL-455 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/4 | 1946/7/11 | 1946/8/15 | ◎1943/7/10 起工 ◎1943/8/26 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-455)に改める |
LCIL-456 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/7 | 1946/4/25 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1943/7/13 起工 ◎1943/8/27 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-456)に改める |
LCIL-457 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/8 | 1946/4/4 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1943/7/15 起工 ◎1943/8/28 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-457)に改める |
LCIL-458 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/10 | 1946/3/21 | 1946/4/17 | ◎1943/7/19 起工 ◎1943/9/1 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-458)に改める |
LCIL-459 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/11 | ― | ◎1943/7/22 起工 ◎1943/9/2 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-459)に改める |
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LCIL-460 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/13 | 1946/4/9 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1943/7/26 起工 ◎1943/9/3 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-460)に改める |
LCIL-461 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/14 | 1946/6/21 | 1946/8/15 | ◎1943/7/29 起工 ◎1943/9/4 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-461)に改める |
LCIL-462 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/16 | 1946/7/18 | 1946/8/15 | ◎1943/8/2 起工 ◎1943/9/8 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-462)に改める |
LCIL-463 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/17 | 1946/3/21 | 1946/4/17 | ◎1943/8/3 起工 ◎1943/9/9 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-463)に改める |
LCIL-464 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/20 | 1946/6/27 | 1946/8/15 | ◎1943/8/5 起工 ◎1943/9/10 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-464)に改める |
LCIL-465 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/21 | 1946/7/15 | 1946/8/28 | ◎1943/8/6 起工 ◎1943/9/11 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-465)に改める |
LCIL-466 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/22 | 1946/2/8 | 1946/6/5 | ◎1943/8/7 起工 ◎1943/9/15 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-466)に改める |
LCIL-467 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/24 | 1945〜1946頃 (1946/5/29?) |
1945〜1946頃 (1947/6/10?) |
◎1943/8/11 起工 ◎1943/9/16 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-467)に改める |
LCIL-468 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/25 | ― | ◎1943/8/13 起工 ◎1943/9/17 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-468)に改める |
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LCIL-469 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/27 | 1946/4/19 | 1947/2/7 | ◎1943/8/15 起工 ◎1943/9/18 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-469)に改める |
LCIL-470 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/28 | 1946/4/1 | 1946 (1947/5/1?) |
◎1943/8/19 起工 ◎1943/9/22 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-470)に改める |
LCIL-471 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/9/30 | 1946/1/3 | 1946/5/8 | ◎1943/8/20 起工 ◎1943/9/23 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-471)に改める |
LCIL-472 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/2 | 1946/6/28 | 1946/8/15 | ◎1943/8/22 起工 ◎1943/9/24 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-472)に改める |
LCIL-473 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/4 | 1946/6/7 | 1946/7/8 | ◎1943/8/23 起工 ◎1943/9/25 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-473)に改める |
LCIL-474 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/5 | ― | ◎1943/8/26 起工 ◎1943/9下旬 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-474)に改める |
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LCIL-475 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/7 | 1946/6/27 | 1946 (1947/2/7?) |
◎1943/8/28 起工 ◎1943/9/30 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-475)に改める |
LCIL-476 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/9 | 1946/2/18 | 1946/3/28 | ◎1943/8/29 起工 ◎1943/10/2 進水 ◎1952 フランスに貸与されCapitain Le Gallと命名 ◎1955 カンボジアに貸与 |
LCIL-477 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/11 | 1946/2/25 | 1946/3/28 | ◎1943/8/31 起工 ◎1943/10/4 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-478 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/12 | 1946/2/13 | 1946/3/28 | ◎1943/9/3 起工 ◎1943/10/6 進水 ◎1946/9 中国国民党に貸与 |
LCIL-479 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/14 | 1946/2/13 | 1946/3/28 | ◎1943/9/3 起工 ◎1943/10/7 進水 ◎1947/1/10 売却 |
LCIL-480 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/15 | 1946/2/21 | 1946/7/28 | ◎1943/9/4 起工 ◎1943/10/8 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-481 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/18 | 1946/2/14 | 1946/3/12 | ◎1943/9/6 起工 ◎1943/10/9 進水 ◎1947/1/2 売却 |
LCIL-482 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/19 | 1946/3/5 | 1946/4/12 | ◎1943/9/9 起工 ◎1943/10/13 進水 ◎1946/12/3 売却 |
LCIL-483 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/20 | 1946/3/11 | 1946/3/28 | ◎1943/9/11 起工 ◎1943/10/14 進水 |
LCIL-484 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/21 | 1946/5/29 | 1946 | ◎1943/9/12 起工 ◎1943/10/15 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-484)に改める |
LCIL-485 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/23 | 1946/7/20 | ◎1943/9/13 起工 ◎1943/10/16 進水 ◎後に艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-485)に改める |
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LCIL-486 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/25 | 1945/12/22 | 1946/11/2 | ◎1943/9/16 起工 ◎1943/10/19 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-486)に改める |
LCIL-487 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/28 | 1946/5/17 | 1946/6/19 | ◎1943/9/18 起工 ◎1943/10/20 進水 ◎1944/11/20 イギリスに貸与 ◎1946/5/4 イギリスより返還 ◎1948/2/13 国務省に移管 |
LCIL-488 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/30 | 1944/11/20 (1946/5/17?) |
1946/6/5 | ◎1943/9/19 起工 ◎1943/10/21 進水 ◎1944/11/20 イギリスに貸与 ◎1946/4/13 イギリスより返還 ◎1948/2/13 国務省に移管 ◎後に売却 ◎後に中国国民党に貸与 |
LCIL-489 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/10/30 | 1944/11/20 | 1946/10/29 | ◎1943/9/22 起工 ◎1943/10/22 進水 ◎1944/11/20 イギリスに貸与 ◎1946/6/19 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1949/2/28 売却 |
LCIL-490 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/1 | 1946/10/29 | ◎1943/9/23 起工 ◎1943/10/23 進水 ◎1944/11/20 イギリスに貸与 ◎1946/6/19 イギリスより返還 ◎1947/11/12 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-491 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/3 | 1944/11/18 | 1946/2/26 | ◎1943/9/24 起工 ◎1943/10/27 進水 ◎1944/11/18 イギリスに貸与 ◎1946/3/14 イギリスより返還 ◎除籍後、国務省に移管 ◎1947/6/9 売却 |
LCIL-492 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/4 | 1944/11/20 | 1946/7/3 | ◎1943/9/29 起工 ◎1943/10/28 進水 ◎1944/11/20 イギリスに貸与 ◎1946/5/4 イギリスより返還 ◎1946/5 国務省に移管、バミューダに売却 |
LCIL-493 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/6 | 1944/11/30 | 1946/12/13 | ◎1943/9/29 起工 ◎1943/10/30 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/24 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/10/28 売却 |
LCIL-494 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/8 | 1946/10/29 | ◎1943/10/2 起工 ◎1943/10/30 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/8/15 イギリスより返還 ◎1947/9/24 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-495 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/10 | 1944/11/30 | 1946/6/5 | ◎1943/10/3 起工 ◎1943/11/3 進水 ◎第二次大戦中、ヨーロッパアフリカ中東戦域に割り当てられる ◎1944/6/6 ノルマンディへの侵攻(〜1944/6/25) ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎のちに入渠 ◎1946/4/13(1946/5/17?) イギリスより返還 ◎1948/2/13 国務省に移管、売却 |
LCIL-496 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/11 | 1946 | 1946/12/13 | ◎1943/10/5 起工 ◎1943/11/4 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/25 イギリスより返還 ◎1947/11/10 海事委員会に移管、売却 |
LCIL-497 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/13 | ― | ◎1943/10/7 起工 ◎1943/11/5 進水 1944/6/6(1944/6/23?) ノルマンディの“オマハ・ビーチ”にて機雷により損傷、放棄(1、2、3、4、5、6、7) |
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LCIL-498 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/15 | 1944/11/30 | 1946/12/13 | ◎1943/10/9 起工 ◎1943/11/6 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/25(1946/9/26?) イギリスより返還 ◎1947/10/28 海事委員会に移管、売却 |
LCIL-499 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/16 | 1946 (1947/6/10?) |
◎1943/10/10 起工 ◎1943/11/8 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/5/13(1946/5/14?) イギリスより返還 ◎1947/6/13 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-500 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/17 | 1944/11/30 | 1946/10/29 | ◎1943/10/11 起工 ◎1943/11/10 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/7/27 イギリスより返還 ◎後に海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
LCIL-501 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/18 | 1946/10/29 | ◎1943/10/13 起工 ◎1943/11/11 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎後にAlloaにて改装 ◎後にジブラルタルにて入渠、改装 ◎1946/8/15 イギリスより返還 ◎1947/1/31 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-502 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/20 | 1944/11/26 | 1947/1/22 | ◎1943/10/19 起工 ◎1943/11/13 進水 ◎1944/11/26(1944/11/30?) イギリスに貸与 ◎1946/9/24 イギリスより返還 ◎1949/12/20 売却 |
LCIL-503 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/22 | 1946/4/9 | ◎1943/10/20 起工 ◎1943/11/17 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-503)に改める |
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LCIL-504 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/23 | 1946/8/17 | 1956 | ◎1943/10/22 起工 ◎1943/11/18 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-504)に改める |
LCIL-505 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/25 | 1946/11/13 | ◎1943/10/18 起工 ◎1943/11/19 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/9/24 イギリスより返還 ◎1947/10/28 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-506 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/26 | 1945/12/19 | 1946/1/8 | ◎1943/10/21 起工 ◎1943/11/20 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-506)に改める |
LCIL-507 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/29 | 1946/10/8 | ◎1943/10/27 起工 ◎1943/11/23 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎1946/9/11(1946/9/21?) イギリスより返還 ◎1947/9/26 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-508 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/11/30 | 1946/10/15 | ◎1943/10(1943/11/1?) 起工 ◎1943/11/24 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎後にイギリスより返還 ◎1946/12/10 フランスに貸与され艦種記号をLCI-508(LCI-9050?)に改める 1953/4/3 南ヴェトナムにて機雷により損傷、放棄 ◎1954 サイゴンにて解体 |
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LCIL-509 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/1 | 1946/10/8 | ◎1943/11/2 起工 ◎1943/11/26 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎1946/8/9(1946/9/11?) イギリスより返還 ◎1947/3/18 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-510 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/3 | 1944/12/5 | 1946/10/29 | ◎1943/11/3 起工 ◎1943/11/27 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎1946/7/27 イギリスより返還 ◎除籍後、海事委員会に移管 ◎1947/11/12 売却 |
LCIL-511 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/4 | 1946/11/13 | ◎1943/11/4 起工 ◎1943/11/30 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎1946/8/30(1946/9/24?) イギリスより返還 ◎1947/5/13 海事委員会に移管、売却 |
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LCIL-512 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/6 | 1944/12/5 | 1946/10/15 | ◎1943/11/3 起工 ◎1943/12/1 進水 ◎1944/12/5 イギリスに貸与 ◎1946/9 イギリスより返還 ◎1947/12/10 売却 |
LCIL-513 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/9 | 1948/1/22 | ◎1943/11/5 起工 ◎1943/12/3 進水 ◎1945/3/10 艦種を特設沿岸掃海艇(AMCU-10)に改める |
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LCIL-514 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/9 | ◎1943/11/5 起工 ◎1943/12/3 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-514)に改める |
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LCIL-515 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/10 | 1958/4/2 | 1960/1 | ◎1943/11/9 起工 ◎1943/12/4 進水 ◎1945/3/10 艦種を特設沿岸掃海艇(AMCU-11)に改める |
LCIL-516 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/11 | 1946/4/29 | 1946 | ◎1943/11/9 起工 ◎1943/12/8 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-516)に改める |
LCIL-517 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/13 | ◎1943/11/14 起工 ◎1943/12/9 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-517)に改める |
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LCIL-518 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/15 | 1946/7/8 | ◎1943/11/14 起工 ◎1943/12/10 進水 ◎1946/7/8 国務省に移管 ◎1946/7/8(1946/7/10?) 中国国民党に貸与 |
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LCIL-519 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/17 | 1946/6/13 | 1946/8/15 | ◎1943/11/14 起工 ◎1943/12/12 進水 ◎1947/12/3 海事委員会に移管 |
LCIL-520 (1、2) |
ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/18 | 1946/3/26 (1946/3/27?) |
1946/4/17 | ◎1943/11/17 起工 ◎1943/12/14 進水 ◎後に艦種を歩兵揚陸艇(司令部)(LCIH-520)に改める ◎1944/12初め 修理、オーヴァーホール ◎1945初め サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1946 インドネシアに貸与 ◎後にインドネシアより返還 ◎1948/2/10 海事委員会に移管 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1945/1/10〜1946/3/26 |
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LCIL-521 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/20 | 1955/12/2 | ◎1943/11/17 起工 ◎1943/12/15 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) ソヴィエトに貸与 ◎1955/6 Cold Harborにてソヴィエトより返還 |
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LCIL-522 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/21 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/18 起工 ◎1943/12/17 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-47に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-523 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/23 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/23 起工 ◎1943/12/17 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-48に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-524 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/24 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/22 起工 ◎1943/12/21 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-49に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-525 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/29 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/24 起工 ◎1943/12/22 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-50に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-526 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1943/12/31 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/28 起工 ◎1943/12/22 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-1に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-527 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/1 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1943/11/28 起工 ◎1943/12/23 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-2に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-528 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/4 | 1946/7/2 | 1946/8/15 | ◎1943/11/28 起工 ◎1943/12/23 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-528)に改める |
LCIL-529 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/6 | 1946/4/1 | 1946/5/8 | ◎1943/11/29 起工 ◎1943/12/30 進水 ◎1946/11/10 民間の業者に売却 |
LCIL-530 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/7 | 1947/2/20 | 1947/3/14 | ◎1943/12/2 起工 ◎1943/12/31 進水 ◎後に艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-530)に改める |
LCIL-531 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/8 | 1946/5/23 | ◎1943/12/7 起工 ◎1944/1/1 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-531)に改める |
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LCIL-532 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/10 | 1946/6/26 | ◎1943/12/7 起工 ◎1944/1/5 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-532)に改める |
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LCIL-533 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/12 | 1946/7/31 | ◎1943/12/4 起工 ◎1944/1/6 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-533)に改める |
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LCIL-534 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/13 | 1947/2/14 | 1946 (1947/3/14?) |
◎1943/12/4 起工 ◎1944/1/8 進水 ◎1947/7/7 海事委員会に移管 |
LCIL-535 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/15 | 1946/9/23 | 1956/8/5 | ◎1943/12/7 起工 ◎1944/1/11 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-535)に改める |
LCIL-536 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/17 | 1946/4/15 | 1946/6/5 | ◎1943/12/10 起工 ◎1944/1/12 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-536)に改める |
LCIL-537 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/20 | 1944/11/30 | 1946/10/29 | ◎1943/12/11 起工 ◎1944/1/13 進水 ◎1944/11/30 イギリスに貸与 ◎1946/5/4 イギリスより返還 ◎1947/1/7 国務省に移管、売却 |
LCIL-538 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/20 | 1946/3/27 | 1946/4/12 | ◎1943/12/13 起工 ◎1944/1/14 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-538)に改める |
LCIL-539 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/22 | 1945/12/19 | 1946/1/8 | ◎1943/12/13 起工 ◎1944/1/18 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-539)に改める |
LCIL-540 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/22 | 1945/12/19 | 1946/1/8 | ◎1943/12/15 起工 ◎1944/1/19 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-540)に改める |
LCIL-541 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/24 | 1945/12/17 | 1946/1/8 | ◎1943/12/16 起工 ◎1944/1/20 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-541)に改める |
LCIL-542 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/26 | 1946/7/2 | 1946/8/15 | ◎1943/12/18 起工 ◎1944/1/21 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-542)に改める |
LCIL-543 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/29 | 1949/3/16 | 1955/2/10 (1957/2/2?) |
◎1943/12/24 起工 ◎1944/1/21 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-543)に改める ◎1945/9/10 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-543)に改める ◎1951/2 フロリダにて予備艦隊に編入 |
LCIL-544 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/1/31 | 1949/3/16 | 1956/7/12 | ◎1943/12/24 起工 ◎1944/1/25 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-544)に改める ◎1945/9/10 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-544)に改める ◎退役後、フィラデルフィアにて予備艦隊に編入 |
LCIL-545 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/2 | 1949/2/10 | 1957/2/7 | ◎1943/12/31 起工 ◎1944/1/20(1944/1/26?) 進水 ◎1949 艦種を歩兵揚陸艦(大型)(LSIL-545)に改める |
LCIL-546 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/3 | 1946/10/22 | 1946/12/13 | ◎1943/12/31 起工 ◎1944/1/28 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-546)に改める ◎1945/9/10 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-546)に改める ◎1947/11/5 海事委員会に移管 |
LCIL-547 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/5 | 1946/11/1 | 1946 (1947/3/14?) |
◎1944/1/1 起工 ◎1944/1/28(1944/2/2?) 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-547)に改める ◎1945/9/10 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-547)に改める ◎1947/10/29 海事委員会に移管 |
LCIL-548 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/7 | 1946/11/1 | 1946 (1947/3/14?) |
◎1944/1/1 起工 ◎1944/2/2 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-548)に改める ◎1945/9/10 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-547)に改める ◎1947/8/19 海事委員会に移管 |
LCIL-549 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/8 | 1949/1/20 | 1946 (1948/12/22?) |
◎1944/1/1 起工 ◎1944/2/4 進水 ◎1949/8/19 売却 |
LCIL-550 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/10 | 1946/5/13 | 1946/6/19 | ◎1944/1/11 起工 ◎1944/2/5 進水 ◎1948/2/17 海事委員会に移管 |
LCIL-551 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/11 | 1945/7/26 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1944/1/12 起工 ◎1944/2/7 進水 ◎1945/7/26(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-3に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-552 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/14 | 1946/5/16 | 1946/7/3 | ◎1944/1/13 起工 ◎1944/2/8 進水 ◎1947/3/19 海事委員会に移管 |
LCIL-553 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/15 | ― | ◎1944/1/14 起工 ◎1944/2/10 進水 1944/6/6 ノルマンディにてドイツ軍の88o砲の砲撃により損傷、放棄 |
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LCIL-554 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/16 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
◎1944/1/15 起工 ◎1944/2/11 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-4に改める ◎1945/8/17 喪失 |
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LCIL-555 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/18 | 1946/4/18 | 1946/6/5 | ◎1944/1/15 起工 ◎1944/2/14 進水 ◎1947/7/10 海事委員会に移管 |
LCIL-556 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/19 | 1946/12/19 | 1946 | ◎1944/1/19 起工 ◎1944/2/16 進水 ◎1945/7/10 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-556)に改める |
LCIL-557 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/21 | 1945/7/28 (1945/7/29?) |
1955/12/2 | ◎1944/1/18 起工 ◎1944/2/17 進水 ◎1945/7/28(1945/7/29?) Cold Harborにてソヴィエトに貸与され艦種記号をDS-5に改める ◎1955/6 ソヴィエトより返還 |
LCIL-558 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/22 | 1946/5/22 | ◎1944/1/24 起工 ◎1944/2/18 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-558)に改める |
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LCIL-559 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/24 | 1946/6/3 | 1946/6/19 | ◎1944/1/24 起工 ◎1944/2/19 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-559)に改める |
LCIL-560 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/25 | 1946/6/25 | 1946/7/31 | ◎1944/1/24 起工 ◎1944/2/22 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-560)に改める |
LCIL-561 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/26 | 1946/6/4 | 1946/7/3 | ◎1944/1/26 起工 ◎1944/2/23 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-561)に改める |
LCIL-562 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/2/28 | 1944/3/26 | 1946/4/17 | ◎1944/1/24 起工 ◎1944/2/24 進水 ◎1944/12初め 本国にて修理、オーヴァーホール ◎1945 サン・ディエゴのNaval Repair Baseにて修理改装 ◎1946/12/12 売却 |
沿岸警備隊員が乗員していた期間 1945/1/10〜1946/3/26 |
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LCIL-563 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/1 | 1946/6/8 | 1946/6/19 | ◎1944/1/25(1944/1/26?) 起工 ◎1944/2/25 進水 ◎1945/7/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-563)に改める |
LCIL-564 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/2 | 1946/6/20 | 1946/8/15 | ◎1944/1/26 起工 ◎1944/2/26 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-564)に改める |
LCIL-565 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/3 | 1946/7/3 | 1946/8/15 | ◎1944/1/29 起工 ◎1944/2/28 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-565)に改める |
LCIL-566 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/4 | 1946/2/14 | 1946/6/5 | ◎1944/1/29 起工 ◎1944/2/29 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-566)に改める |
LCIL-567 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/6 | 1946/6/17 | 1946/7/31 | ◎1944/2/4 起工 ◎1944/3/1 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-567)に改める |
LCIL-568 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/14 | 1946/6/18 | 1946/7/31 | ◎1944/2/5 起工 ◎1944/3/2 進水 ◎1944/6/15 艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-568)に改める |
LCIL-569 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/14 | 1946/6/12 | 1946/7/31 | ◎1944/2/8 起工 ◎1944/3/3 進水 ◎1944/12/31 艦種を歩兵揚陸艇(隊旗艇)(LCFF-569)に改める |
LCIL-570 | ニュー・ジャージー・シップビルディング社 | 1944/3/15 | 1946/4/19 | ◎1944/2/9 起工 ◎1944/3/6 進水 ◎後に艦種を歩兵揚陸艇(砲艇)(LCIG-570)に改める ◎1945/9/30 艦種を歩兵揚陸艇(大型)(LCIL-570)に改める ◎1947/8/15 海事委員会に移管 |