DESRON
駆逐戦隊 Destroyer Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※1973年6月30日まで、アメリカ海軍では艦隊内の区分は昇順であり、空母戦隊、戦艦戦隊、巡洋艦戦隊、駆逐隊、および潜水隊はDivision、駆逐戦隊および潜水戦隊などはSquadronと呼称していた。さらに駆逐艦および潜水艦は2~3個戦隊で隊群、Flotillaを編成した。現在のSquadronはかつてのDivisionに相当するものである
※第23駆逐艦隊(Destroyer Squadron 23: DESRON 23)は、カリフォルニア州サン・ディエゴを拠点とするアメリカ海軍の駆逐隊。この隊は第二次大戦中の活躍、特に当時の司令官アーレイ・バーク Arleigh Burkeの指揮下で行われたセント・ジョージ岬沖海戦 Battle of Cape St. Georgeで最もよく知られている。現在、DESRONは第9空母打撃群 Carrier Strike Group Nineに所属しており、この部隊には原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)ミサイル巡洋艦チョーシン Chosin(CG-65)レイク・エリー Lake Erie(CG-70)、そして第11空母航空団 Carrier Air Wing Elevenが含まれる

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

構成
(駆逐隊本部 Squadron Headquartersはサン・ディエゴ海軍基地 Naval Base San Diego)
ジョン S. マケイン John S. McCain(DDG-56)
ラッセル Russell(DDG-59)
チャフィー Chafee(DDG-90)
ピンクニー Pinckney(DDG-91)

↑アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦ピンクニー(DDG-91)
ハルゼー Halsey(DDG-97)
ダニエル・イノウエ Daniel Inouye(DDG-118)
日付 主な出来事
1943/5 第23駆逐戦隊 Destroyer Squadron 23は1943年5月11日、ボストン海軍工廠でM. J. ギラン2世大佐 Captain M. J. Gillan IIの指揮の下、編成された。当初の所属艦艇は、駆逐艦フート Foote(DD-511)チャールズ・オースバーン Charles Ausburne(DD-570)スペンス Spence(DD-512)オーリック Aulick(DD-569)クラックストン Claxton(DD-571)ダイソン Dyson(DD-572)コンヴァース Converse(DD-509)サッチャー Thatcher(DD-514)であった

↑フレッチャー級駆逐艦(1942年時)
1943/6 1943年6月29日、第23駆逐戦隊はウィリアム F. ハルゼー大将 Admiral William F. Halsey率いる第3艦隊 Third Fleetに編入された。オーリックを除き、第23駆逐戦隊は南西太平洋における哨戒および護衛任務に就いた
1943/10 第23駆逐艦隊は、1943年10月23日に指揮を執ったアーレイ・バーク大佐 Captain Arleigh Burkeの指揮下で、その名声と大統領部隊表彰 Presidential Unit Citationを獲得した。1943年11月24日、セント・ジョージ岬沖海戦 Battle of Cape St. Georgeにおいて、同隊は敵駆逐艦2隻と駆逐輸送艦3隻と交戦。戦術家によって“ほぼ完璧な水上戦闘 near perfect surface actions”と評されたこの戦闘で、同隊は敵駆逐艦3隻を撃沈し、1隻に損傷を与えたが、自らは損傷を受けなかった。1943年11月から1944年2月にかけて、“リトル・ビーヴァーズ Little Beavers”は22回の戦闘に参加し、日本軍の巡洋艦1隻、駆逐艦9隻、潜水艦1隻、小型艦艇数隻、そして航空機約30機を撃沈
1945 第23駆逐艦隊の太平洋における作戦活動は、フィリピン解放まで継続。1945年10月19日に本国に帰還した第23駆逐戦隊は、バーク大将 Admiral Burkeとジェームズ・フォレスタル海軍長官 Secretary of the Navy James Forrestalから大統領部隊表彰を受けた
1946/2 1946年2月、第23駆逐戦隊は閉隊され、艦艇はサウス・カロライナ州チャールストンに停泊
1956/4 1956年4月4日、第231駆逐隊 Destroyer Division 231として再編成され、E. K. ウェイクフィールド大佐 Captain E. K. Wakefieldの指揮の下、駆逐艦ピッキング Picking(DD-685)スティーヴン・ポッター Stephen Potter(DD-538)プレストン Preston(DD-795)アーウィン Irwin(DD-794)が所属。1956年12月12日、カリフォルニア州ロング・ビーチで行われた式典において、アメリカ太平洋艦隊巡洋艦駆逐艦部隊司令官チェスター・ウッド少将 Rear Admiral Chester Wood, Commander Cruiser Destroyer Force, U.S. Pacific Fleetによって、この隊は“リトル・ビーヴァーズ”として再出発した
1986 ミサイル・フリゲイト・マックラスキー McClusky(FFG-41)は1986年にこの隊に所属していた。ヴァンデグリフト Vandegrift(FFG-48)は2015年に退役するまでこの隊に所属
現在、第9空母打撃群 Carrier Strike Group Nineに所属
第23駆逐戦隊のマスコットキャラクターはリトル・ビーヴァーで、フレッド・ハーマン Fred Harmanの漫画「Red Ryder」で有名になった。この漫画は第二次大戦中の駆逐戦隊の活動中に非常に人気があった。南太平洋での作戦行動はテンポが速かったため、艦艇の乗組員はしばしば“ビーヴァーのように忙しい”と言っていた。この感情が、ジェームズ・ボウラー James Bowlerという乗組員による、クラックストンの魚雷発射管の側面に描かれた絵につながった。この絵には、リトル・ビーヴァーが日本の東条英機首相に矢を放つ様子が描かれていた。クラックストンの視察中、当時のアーレイ・バーク司令官はこの絵を目にした。彼はこのロゴを大変気に入り、東条を除くこのロゴを全戦隊で使用し、2021年まで使用された。人種差別的な風刺画が引き続き使用されているという苦情を受けて間もなく、新しいロゴの募集が開始された。2021年1月1日、公式Facebookプロフィールは新しいロゴに変更された。新しいロゴには、大きな“23”とその背後に交差する矢印、そして円で囲まれた“リトル・ビーヴァーズ”、そしてその下に“駆逐隊”の文字が表示されている。 そののちまもなく、第23駆逐隊の艦艇と司令部も新しいロゴへの移行を開始した

↑Image courtesy of Shipbucket.


Update 25/09/18