駆逐戦隊 Destroyer Squadron
- ※米海軍の駆逐戦隊 Destroyer Squadronの略称はDESRONで、3隻以上の駆逐艦またはフリゲイトで構成される。通常、作戦部隊ではないが、艦艇の訓練、装備、管理を担当する。駆逐艦を含む混成部隊は巡洋駆逐群 cruiser-destroyer groupである。例えば、DESRON SIXの指揮官は、第6駆逐隊司令官 Commander Destroyer Squadron Six、略してCOMDESRON SIXと呼ばれる。第二次大戦中と同様、全戦力のDESRON(当時はこう略されていた)は、4隻ずつの2つの駆逐隊 Destroyer DivisionまたはDesDivと、戦隊旗艦で構成され、これらは作戦部隊であると同時に管理部隊でもあった。1950年代後半から1962年初めにかけては、1つの戦隊(DESRON)は2つの4隻からなる隊(DesDiv)で構成され、1隻が旗艦に指定された。旗艦には戦隊司令官 Squadron Commodoreと艦長が乗っていた。戦隊は通常、任務群または艦隊内のユニットとして活動し、その主な任務は空母の対潜スクリーンであった。しかし、戦隊の各部隊が別々の任務に就くこともしばしばあり、時には2隻の艦船が個別の任務に就くこともあった。旗艦は提督を乗せただけでなく、戦隊医師 Squadron doctorと従軍牧師 chaplainも乗せた。1962年4月1日から、大西洋および太平洋艦隊 Atlantic and Pacific Fleetsの巡洋艦駆逐艦部隊 Cruiser-Destroyer forcesは巡洋駆逐隊群(Cruiser-Destroyer Flotillas: CRUDESFLOTs)で編成された。これらの編成には、太平洋の第1巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla One、パークス Parksを含む)、太平洋のロング・ビーチの第3巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Three、一時期ドレイパー・カウフマン少将 Rear Admiral Draper Kauffmanが指揮)、大西洋の第2巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Two、駆逐艦母艦ヨセミテ Yosemite(AD-19)を含む)、大西洋の第4巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Four、アルファ任務部隊 Task Force Alfa対潜水艦実験に艦船を提供し、一時期駆逐艦母艦シェナンドー Shenandoah(AD-26)を旗艦とした)などがあった。コーネリアス S. スノッドグラスCornelius S. Snodgrassは1974年に退役するまで、CRUDESFLOT 4の参謀長を務めた。大西洋の第6巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Six、一時はミサイル・フリゲイト・マクドノー Macdonough(DLG-8)を旗艦とし、駆逐艦母艦イエローストーン Yellowstone(AD-41)も含まれていた)。第6巡洋駆逐戦隊群は、1971年にジョンソン Johnsonとともに第4駆逐戦隊 Destroyer Squadron Fourを含み、チャールストン海軍基地 Charleston Naval Baseに母港を置いていたようである。第7巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Seven)はサン・ディエゴに母港を置き、1962年4月からワルデマー F. A. ヴェント大将 Admiral Waldemar F. A. Wendtが指揮を執り、1961年10月から11月にかけて太平洋巡洋駆逐部隊司令官 Commander, Cruiser-Destroyer Force, Pacificを兼務した。CRUDESFLOT SEVENは、エルモ・ズムウォルト少将 Rear Admiral Elmo Zumwalt(当時)が指揮した時期もあった1969年12月、ロバート S. サルザー大将 Admiral Robert S. Salzerが第3巡洋駆逐戦隊群 Cruiser Destroyer Flotilla 3の指揮官に就任。サルザーは1970年9月に第7巡洋駆逐戦隊群の指揮官に就任し、1971年3月16日に同戦隊群が閉隊されたのち、第3巡洋駆逐戦隊群の指揮官に復帰した。他の戦隊群には、大西洋の第8巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Eight、一時は第22駆逐戦隊 Destroyer Squadron Twenty-Twoも含まれていた)、太平洋の第9巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotilla Nine)、太平洋の第11巡洋駆逐戦隊群(DesDiv 152、DesRon 15と一緒か?)、大西洋の第10巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotillas Ten)と第12巡洋駆逐戦隊群(Cruiser-Destroyer Flotillas Twelve)があった。1973年6月30日、巡洋駆逐戦隊群 Cruiser-Destroyer Flotillaは巡洋駆逐群(Cruiser-Destroyer Groups: CRUDESGRUs)と改名された。アメリカ西海岸の水上戦艦の全責任は海軍水上部隊太平洋司令官(Commander, Naval Surface Forces Pacific: COMNAVSURFPAC)が負い、東海岸では同じ責任が海軍水上部隊大西洋司令官(Commander, Naval Surface Forces Atlantic: COMSURFLANT)にある。以前は、このシステムの下で、巡洋駆逐群司令官(Cruiser-Destroyer Group Commander)は通常、展開時には空母戦闘群(Carrier Battle Group: CVBG)を指揮することになっていた。巡洋駆逐群は、2004年10月1日から空母打撃群 Carrier Strike Groupに取って代わられた。駆逐隊が例えば空母打撃群の一部として展開する場合、全体的な指揮権はその地域の地域司令部(例えばCOMNAVCENTや米海軍中央軍司令部 Commander US Naval Forces, Central Command)の海軍部隊司令官に移譲される
Update 24/09/15