救難航洋曳船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略。ドッグ・ウォッチ(Dog Watch)とは、海上監視システムにおいて、標準的な監視期間の半分の長さの作業シフト(“ウォッチ”としても知られる)である。この場合、16時から18時までが“第一”ドッグ・ウォッチ、18時から20時までが“第二”または“最終”ドッグ・ウォッチとなる。この時計が存在するのは、乗組員が全ての時計を回るためには、1日のうち奇数個の時計が必要だからである。1つの当直を半分に分けることで、毎晩1つのチームが中番をする代わりに、船員は別々の当直をすることが出来る。また、2つの時計がある場合、両方の時計がほぼ同じ時刻に夕飯を食べることができる。語源はオックスフォード英語辞典によると、“ドッグ・ウォッチ”という言葉は、ドイツ語またはオランダ語の類似語を直訳したものである。また、シリウス Siriusが夜間に見ることのできる最初の星であるという主張から、“犬の星”であるシリウスに由来するとも言われている。別の民間語源としては、これらの“半”見張りを任された者が“見張りをかわす”と言われ、“かわし番”をする、または立っていたと言うことからこの名前が生じたとする説がある。これが短縮されて“ドッグ・ウォッチ”と呼ばれるようになった。また、寝ている人はこの時計では“ドッグ・スリープ dog sleep”しか得られないというヴァリエーションもある。“ブラック・ギャング black gang”とは米俗語で機関室配属の船員のこと
軽荷排水量:852t 満載排水量:1,312t(1,360tともいわれる) 全長:50.44m(50.47mともいわれる、ATR-10は50.36m) 幅:10.18m(ATR-10は10.36m) 吃水:4.75m(ATR-10は5.86m) 主缶:バブコック&ウィルコックスType D缶2基 主機/軸数:フルトン鉄工所式vertical triple-expansion機関/1軸(2軸ともいわれる) 出力:1,600馬力 速力:12.0kt(12.2kt(公試)ともいわれる) 兵装:50口径76mm単装両用砲1基、20mm単装対空機関砲2基 乗員:32名(52名ともいわれる)
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、1234

↑ATR-10 off Boston, 16 October 1944, painted in Measure 31, Design 16 AX, camouflage. The darkest color is dull black, the medium color Navy Blue (formula 5-N), the lightest color Haze Gray (5-H). All decks and horizontal surfaces were painted Deck Blue (20-B). Note how her identification number is rendered in low-contrast camouflage instead of white or black. (U.S. Navy Bureau of Ships Photograph, RG-19 LCM Box 176, National Archives and Records Administration, Still Pictures Branch, College Park, Md.)
↑Ormoc Bay Landings, December 1944. USS Lamson (DD-367) afire off Ormoc, Leyte, on 7 December 1944, after she was hit by a Kamikaze. The tug assisting with firefighting is probably USS ATR-31. Official U.S. Navy Photograph, now in the collections of the National Archives.

↑BAP Condestable Selendon (21). ex-USS ATR-31. Image courtesy of Shipbucket.

艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ATR-1 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
ATR-2 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
ATR-3 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
◎第二次大戦中、ヨーロッパアフリカ中東戦域に割り当てられる(Task Group 122.3 - Salvage and Fire Fighting Group所属)
◎1944/6/6 ノルマンディへの侵攻(〜1944/6/25)
戦車揚陸艇LCT(5)-362とATR-3、1944年6月6日、ノルマンディの“ユタ・ビーチ”にて。これらの画像は、少し知られていない歴史を変えるものである。LCT(5)-362は悪天候の影響により失われたと報告されていた。これらの画像と関連する報告書は、LCT(5)-362が当初沈没から救われ、そののち“ユタ・ビーチ”への任務を再開したことを証明するものである。LCT(5)-362に何が起こったのか謎であり、公式報告書はLCTが機雷に覆われたと仮定していいた。ATR-3がLCT-362を発見、救助するATR-3はLCT(5)-362を曳航しているLCT(5)-362は水面下で航行している。報告によると、多くのフォースU(ユタ)LCT(5)は危険なほど過負荷であったATR-3はLCT(5)-362を右舷に係留するために横付けして引っ張っている。LCT(5)-362の最後の画像
フォース“U” Force "U"“ユタ・ビーチ”資料A COMTASKFOR 122 Act Rep of Ops, 6/6-17/44, Invasion of Normandy, France. より
0620--LCT(5)-362が輸送区域で天候のストレスから沈没したと報告された
資料B USS ATR-3 戦争日誌、6/1-30/44 1944年6月6日
0622--沈没状態のLCT(5)-362を支援するために、攻撃輸送艦ベイフィールド Bayfield(APA-33、旗艦)の派遣状#060615に従って航行中である
0655--LCT(5)-362を右舷に横付けし、ランディング・ラインを確保する
0709--錨泊し、救助活動を開始した。ポンプを停止。アンカーを引きずり、左舷アンカーに30rpmで操舵を開始した
0730--LCT(5)-362の後方から引きずられた5インチのラインがスクリューに巻き付いた。エンジンを停止した。LCT(5)-362を軽量化するために、可動貨物の投棄を開始した
1006--...サルヴェージ・ダイヴァーがスクリューの障害物を取り除くために潜航した
1038--ダイヴァーが浮上、スクリューを外すことが出来ない
1225--艦隊航洋曳船バノック Bannock(ATF-81)がLCT(5)-362に横付けされた
1235--バノックは、車両を撤去するためにLCT(5)-362を曳航して、横付けしている。LCT(5)-362には6インチ・ポンプが1台残されている。この船のブームは、車両を撤去するほど重くない
資料C 参考 USS BANNOCK (ATF-81) - War Diary, 6/1-30/44 1944年6月6日。 1142--右舷に沿ったRHF 24(Rhino)部隊とともに航行中で、RHF 24にLCTを降ろすためにLCT(5)-362と並んで待機している
1224--LCT(5)-362と並んで停泊している
1250--LCT(5)-362は左舷に突っ込み、フレーム46と47の側面に12"×15 "の穴を開け、水位線から6インチ上である
1300--LCT(5)-362をRHF 24の後方の右舷側に移動させ、RHFユニットに米軍の兵員とトラックを降ろす準備をする
1355--大波のため荷降ろしを開始できず、RHF 24部隊への手放し線の準備を行った
1452--戦車揚陸艇LCT(5)-11(戦車揚陸艇(装甲)LCT(A)-2011)がRHFユニットの右舷側に沿ってやってきて、これを曳航した。LCT(5)-362は航行中で、海岸に向かって待機している
資料D 参照 COMTASKFOR 122 - Act Rep of Ops, 6/6-17/44, フランス、ノルマンディー侵攻
既知の死傷者及び損失 LCT(5)-362、6月6日、沈没、原因不明、おそらく機雷(LCTは危険なほど過積載されていた)。 “NORMANDY INVASION RELIGIOUS SERVICE BEFORE D-DAY”と名付けられたショートフィルムからのフレーム画像、National Archives Identifier: 81598、Local Identifier: 428-NPC-20783、国防総省、海軍省、海軍写真センター(Naval Photographic Center)。NAIL Control Number: NWDNM(m)-428-NPC-20783
◎1947 キューバに貸与され20 De Mayoと命名(12
◎1960年代 処分
ATR-4 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
◎1946 キューバに貸与され10 De Octubre(R6)と命名
◎1952 MontrealのMarine Industries, Ltd. に売却されLouise Simradと改名
◎のちにケベックのG. Vezina Soresに売却
◎1960 処分
ATR-5 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
◎1948 カナダに売却されAlgerineと命名
ATR-6 Wheeler Shipbuilding Corp. 1946 ◎1943 起工
◎1947 マニラのLuzon Stevedoring Co., Inc. に売却されEdward E. Grimmと命名
◎1950年代 Wallace R. Grayと改名
◎のちにTowage & Lighterage Corp. に売却されTakapunaと改名
ATR-7 Frank L. Sample Shipyard 1946 ◎1943 起工
◎除籍後、MarseilleのEnterprise Jean Negri & Filsに売却されGloriaと改名
◎のちにMarseilleのSomatra Soc. Marseillaise de Travauxに売却
◎のちにBrindisiのImprese Fratelli Barretta Domenico e Giovanniに売却されArdimentosoと改名
◎1981 解体のため売却
ATR-8 Frank L. Sample Shipyard 1946 ◎1943 起工
ATR-9 Frank L. Sample Shipyard 1946 ◎1943 起工
ATR-10 Frank L. Sample Shipyard 1944/10/4 1946/7/19 1947/3/14 ◎1943/9/3 起工
◎1944/7/20 進水
◎Atlantic Fleet Service Force所属
◎1944/11/3 ノーフォーク海軍工廠のPier 3, Berth 109にてPSA(〜1944/11/9)
1944/11/9 ノーフォーク海軍工廠にて溶接の不備により乗組員用トイレの消火メインが破断(すぐに修理したが、1時間弱後(1945時)、乗組員スペースの収納区画で電気火災を発見した。この火災は、火災用主管の破裂が原因であったため、直ちに修理が行われた)
1944/11/13 マイアミ・ビーチにてマイアミの海軍訓練センターへ向かう準備を行う途中、1インチのワイアがスクリューに絡んでいるのを発見、ワイアを取り除く
11月16日の朝の当直明けに沿岸警備隊のH. F. ヴァーデン中佐 Lt. Cmdr. H. F. Verden, USCGを乗船させ、デラウェア川を水先案内してもらった。船長のロバート P. グリフィング Jr. 中尉 Lt. Robert P. Griffing, Jr., D-V(G), USNRが悪天候を考慮して錨を降ろし、デラウェア川のShip John Shoal停泊地に移動したため、2回目の“ドッグ・ウォッチ”の間に曳航船を横付けした。17日、Cape Henlopenの警備船から海上進出の禁止を命じられたATR-10は、海峡を避けて進み、左舷車両運搬船(非自走)(YCF)の後端が誤ってベル・ブイ“C”の灯火を消してしまった
ATR-10は、“ドッグ・ウォッチ”中に運河地帯(C.Z.)に向かう途中、エンジン・トラブルに見舞われた
1944/12/28 パナマのPorto Bello harborに到着し1326に錨を下ろした。しかし、この船は不幸にも、停泊後すぐにモーター救難ボート(捕鯨船型)を降ろす過程で、後部ダヴィットが持ち去られ、ボートは約8フィート下がり、船尾がメイン・デッキのキャップ・レール cap railに衝突した。乗組員はなんとかボートを水に浮かせたが、すぐに船尾に浸水してしまった。ATR-10はブームを使ってボートを回収し、ファンテイル fantailに降ろしたが、点検の結果、右舷1/4付近に2つの穴があり、シャフトとプロペラはひどく曲がっていた
1945/1/4 本船は主甲板後方のサルヴェージ・ホールドで小さな電気火災に見舞われた。この事故は、ドック・クレーンで船台を移動する際に、船の動きで電気のリード線が切断されたために起こったもので、作業員がすぐに修理して電源を回復させた
◎1945/1/19 サン・ディエゴの海軍修理基地にて修理
1945/2/6 トレジャー・アイランド〜真珠湾を航行中(中間監視 mid watchの間)、ATR-10は減速し、0232に潤滑油ポンプのガスケットが破裂し、エンジン・ルームで修理に25分かかるという事故が発生したため停止した。修理が完了し、航海を再開したこの船は、午後の当直明け15分後にボイラーが浸水して再び減速し、停止した。“ブラックギャング black gang”(米俗語で機関室配属の船員の事)は20分強でボイラーを清掃し、船速を3分の2に上昇させることが出来た(Task Unit (TU) 06.12.8所属)
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1945/2/27 真珠湾のバースB-8にてボイラー整備(〜1945/3/3)
◎1945/4/17 グアムにてボイラーの清掃、航海中の修理(〜1945/5/10)
◎1945/4/21 大型修理浮きドック(非自走)ARD-27にて入渠(〜1945/5/29)
◎1945/5/13 沖縄群島への強襲、占拠(〜1945/6/30)
◎1945/9/2 極東にて占領作戦の任務(〜1946/1/9)
◎1945/11/21 日本にて内燃機関修理艦ルソン Luzon(ARG-2)により修理(錨巻き上げ機、前廊手すり、ブリッジ・ウィング)
◎1946/1/2 名古屋にて内燃機関修理艦ビーヴァー Beaver(ARG-19)によりボイラーのオーヴァーホールと小修理
◎1946/2/4 サン・ペドロ湾にて主機修理
1946/2/11 グアム〜真珠湾間を航行中、機械の異常とそれに伴う故障
◎1946/3/5 主コンデンサのオーヴァーホール
◎1946/3/9 アプラ港にて第1発電機の航海修理(〜1946/3/23)
1946/3/27 荒波にて最初の“ドッグ・ウォッチ”(1615時)の15分後に、波が右舷の救命筏を艤装から引き剥がし、シー・ペインターだけがそれを船に固定したまま持ち去られた。曳船の船員は45分かけて救命筏を回収し、艤装品に固定。しかし、嵐の猛威は増し、真夜中過ぎ(1946年3月28日)に機関室の時計から、メイン・デッキと船体から漏れた塩水によりエヴァポレーター復水ポンプ・モーター evaporator condensate pump motorが浸水したとの報告があった。その後、28日0230に操舵不能に陥り、手操舵で進路を戻すことを余儀なくされたが、ファンテイル(船尾の張り出し部)が水浸しで損傷の内容を判断する術はなかった。20分後(0250時)、主機関が凍結した。曳航ケーブルが単軸スクリューに絡み、舵がワイアを拾い上げ、大波の中の船の動きでスクリューに絡みこんだ。船長チャールズ H. デイヴィス中尉 Lt. (j.g.) Charles H. Davisは機関室で補助見張りをし、ボイラー1基を確保した。ATR-10は嵐とともに漂流した。正午の当直開始から4分の3が経過した頃、曳航していた宿泊船(非自走)APL-21の主曳航索が切れ、バラック船は数分の内に“山に近い海、強風と大雨の中で視界から消える”ように漂流した。不吉なことに、ATR-10は“非常に大きく左舷に傾き、水平なキールに戻るのが非常に遅かった”のだ。風と海を観察し、船のドリフトが徐々に変化し、レーダーに映る“10マイル離れた円形の雲の固まり”を見て、デイヴィス中尉は船が台風のまさに中心に追いやられる暴風雨を目の当たりにした。1030までにデイヴィスは、ATR-10が“平坦な軌道に戻るのが遅いのを修正しない限り、台風の中心で生き延びることはできない”と判断した。26フィート型モーター救難ボート(捕鯨船型)、20mm機関砲とその弾薬庫、上部の準備ロッカーから50口径3インチ砲弾を全て投棄、航海士の倉庫にある全てのルース・ギア(ワイアロープ、フックなどの揚貨装置に用いる遊動器具)を投棄にした。このような必死の対策が功を奏した時、この船の戦時日誌係の安堵感が伝わってくる。“回復の早さが一目瞭然になった”。1055、トップサイド topsideの重量を直ちに大幅に減らす事が船を救う事になるとわかってから30分も経たない内に、ATR-10の“ブラック・ギャング”がメイン・エンジンを停止し、牽引ケーブルからスクリューを解放しようと再び試みた。正午にワイアはスクリューから外れ、30分後に曳船の船員はワイアと短索 pendantを回収した。短索はAPL-21に向かって接続された端から6フィート離れていた。ATR-10は再び推進力を得て、嵐の軌道を避けながら前進したが、操舵はまだ困難な状態だった。その時点では、嵐によって舵、スクリュー、シャフトにどの様な損傷があったとしても、それを判断する術はなかった。翌日(1946年3月29日)の夜明けには、ATR-10は“このエリアをクリアするために航行”し、エンジニアリングチームは“蒸発器コンデンセート・モーター evaporator condensate motorの乾燥と設置”を続けていた。この船は、1つのボイラーで12時間の蒸し運転が可能な水を持っていた。前午の当直(1155)の残り30分で、ボイラー給水の開始を可能にする蒸発器凝縮モーターを設置し、同船のエンジニアの努力に成功を収めた。その後、タグは“低速で”グアムに向けて進路を取った。しかし30日、マリアナ諸島司令官からの指令290845により、ATR-10の目的地がエニウェトクに変更され、それに従ってエニウェトクに進路を取った
◎1946/4/6 エニウェトクにてデイヴィス中尉はスクリュー、シャフト、舵を点検するために2度潜水した
1946/4/27 機関室からメイン・エンジンの“ノック”の報告があった。速度を変えて騒音を抑えようとしたが、騒音は続いた1315、ATR-10は主機関を停止し、船員が軸路に入り、その区画のビルジ・ポンプ bilge pumpを清掃して、吸引と除水を行えるようにした。この作業には4分の3時間を要したが、船員がシャフト路地から出てきてビルジの吸引が解除され、ブリッジがKwajaleinへの航海を続けるためにコースと速度を再開させた時、主エンジンが停止し、船員の修理努力に逆らった。主機関を固定し、クランクケース crankcaseに人が入ったところ、ひどく腐食しているのを発見した
◎1946/5/4 ジョンストン島へ救難航洋曳船ATR-33が曳航
◎1946/5/13 真珠湾海軍造船所にて修理
◎1946/6/24 アラメダのベスレヘム・スチール社にて入渠(〜1946/6/26)
◎1948/3/31 Suisun Bayにて保管
◎1948/8/4 海事委員会に移管、ポート・シカゴにてGardiner Manufacturing Co. に引き渡される
ATR-11 Frank L. Sample Shipyard 1946 ◎1943 起工
ATR-12 Frank L. Sample Shipyard 1946 ◎1943 起工
ATR-13 デラウェア・ベイ・シップビルディング社 1946 ◎1943 起工
ATR-14 デラウェア・ベイ・シップビルディング社 1946 ◎1943 起工
ATR-15 Jakobson Shipyard 1944/6/19 ノルマンディにて座礁
ATR-16 Jakobson Shipyard ◎1948 処分
ATR-21 Camden Ship Building & Marine Railway Co. ◎1947 アルゼンチンに売却されEl Rio Janoと命名
◎1948 処分
ATR-22 Camden Ship Building & Marine Railway Co. ◎1946 処分
ATR-23 F. L. Fulton Shipyard ◎1946 処分
ATR-24 F. L. Fulton Shipyard 1944/2/9 ◎1946 処分
ATR-25 F. L. Fulton Shipyard 1944/4/11 1946/3 ◎1944春 西海岸にて修理
1947 ペルーに売却されOlayaと命名
ATR-26 F. L. Fulton Shipyard ◎1946 処分
ATR-27 F. L. Fulton Shipyard ◎1946 処分
ATR-28 F. L. Fulton Shipyard 1946末 ◎1946 処分
ATR-29 Wheeler Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-30 Wheeler Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-31 ノースウェスト・シップビルディング社 1943/10/30 1946 ◎1942 起工
◎1943/7/30 進水
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1944/7/3 ニュー・ギニア島西部にて作戦の任務(第7艦隊司令官 Commander 7th Fleetにより指定された作戦の支援と統合、〜1944/9/9)
◎1944/9/14 レイテ島にて揚陸作戦(〜1944/9/29)
◎1944/12/7 オルモック湾にて揚陸作戦(〜1944/12/8)
1947 ペルーに貸与されCondestable Selendon(Q 01)と命名(12
◎のちに艦種記号を21に改める
◎のちにSelendonと改名
ATR-32 ノースウェスト・シップビルディング社 1944/1/19 ◎1946 処分
ATR-33 ノースウェスト・シップビルディング社 ◎1946 処分
ATR-34 ノースウェスト・シップビルディング社 ◎1946 処分
ATR-35 Lynch Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-36 Lynch Shipbuilding 1944/7/27 1946/1ごろ ◎就役後、メイン・エンジンの状態が非常に悪いことが判明し、サン・ディエゴ修理基地 San Diego Repair baseでメイン・エンジンのオーヴァーホールが行われた
1945/9 フィリピン〜韓国間にて台風により損傷、のちにSubic Bayにて修理
ATR-37 Lynch Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-38 Lynch Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-39 Lynch Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-40 Lynch Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-50 Colberg Boat Works 1944/5/5 1946 ◎1944/5/5 進水
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1947 アメリカの業者に売却されToni Bと命名
1955/2/26 Colonにて沈没したといわれる
ATR-51 Colberg Boat Works ◎1946 処分
ATR-52 Colberg Boat Works ◎1944/5/5 進水
◎1946 処分
ATR-53 Colberg Boat Works ◎1946 処分
ATR-54 Dachel-Carter Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-55 Dachel-Carter Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-56 Dachel-Carter Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-57 Dachel-Carter Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-58 デラウェア・ベイ・シップビルディング社 ◎1946 処分
ATR-59 デラウェア・ベイ・シップビルディング社 ◎1946 処分
ATR-60 Wheeler Shipbuilding Corp. 1944/5/31 1946/5/10
ATR-61 Wheeler Shipbuilding Corp. 1944/6/24 1946/7/1 1946/7/31 ◎1943/5/22 起工
◎1944/5/10 進水
◎1946 処分
ATR-62 Wheeler Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-63 Wheeler Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-64 Wheeler Shipbuilding Corp. 1944/8 ◎1944 建造
◎1944/8 引き渡される
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に割り当てられる
◎1948 British Columbia州VancouverのCanadian Transport Co., Ltd. に売却されLogmacと命名
◎1950 British Columbia州VancouverのGriffith Steamship Co., Ltd. (船主はCanadian Transport Co., Ltd.)に売却されMogulと改名
◎1950 主機交換工事(4 SA 10-cyl. Fairbanks, Morse & Co., Chicago (205 x 255) (1944) )
◎1961 British Columbia州VancouverのIsland Tug & Barge, Ltd. に売却されIsland Monarchと改名
◎1972 Seaspan International Limitedに売却されSeaspan Chinookと改名
◎1990年代 British Columbia州VancouverのMaritime Heritage Societyに売却されLa Lumiereと改名
2008/5/9 沈没、全損(British Columbia州Britannia BeachのMarine Heritage Parkにて係留(12345)、埠頭にて沈没)
ATR-65 Wheeler Shipbuilding Corp. ◎1946 処分
ATR-66 Jakobson Shipyard ◎1946 処分
ATR-67 Jakobson Shipyard ◎1946 処分
ATR-68 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. ◎1946 処分
ATR-69 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. ◎1946 処分
ATR-70 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. ◎1946 処分
ATR-71 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. ◎のちにウルシー環礁にて入渠(1234
◎1946 処分
ATR-72 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. ◎1946 処分
ATR-73 Bellingham Marine Railway & Boat Building Co. 1944/1/1 ◎1943/12/11 起工
◎1944/5/25 進水
◎第二次大戦中、アジア太平洋戦域に配属された
◎1945 ニュー・ヨークのMeseck Towing & Transportation Co., Inc. に売却されJudith Meseckと改名
◎1946 係船
◎1950年代 ニューアークのWitte Yardにて解体
ATR-74 Camden Shipbuilding Co. ◎1946 処分
ATR-75 Camden Shipbuilding Co. ◎1946 処分
ATR-76 Camden Shipbuilding Co. 1944/10 ◎1946 処分
ATR-77 Camden Shipbuilding Co. ◎除籍後、Lake Charlesにて係船
◎のちに海事委員会に移管
◎1945〜1946ごろ ニュー・ヨークのFordham Trading Co. に売却
1945〜1946ごろ この間、Calcasieu Riverにて沈没
ATR-78 Camden Shipbuilding Co. ◎除籍後、シアトルにて海事委員会に移管
◎1948/3/30 John G. & Robert Pohlに売却
ATR-79 Camden Shipbuilding Co. ◎除籍後、シアトルにて海事委員会に移管
◎1948/6/23 John G. & Robert Pohlに売却
ATR-80 Kruse & Banks Shipbuilding ◎1946 処分
ATR-81 Kruse & Banks Shipbuilding 1944 ◎1947 海事委員会に移管
ATR-82 Island Dock Shipyard 1944 ◎1947 海事委員会に移管
ATR-83 Island Dock Shipyard ◎1946 処分
ATR-84 Island Dock Shipyard ◎1946 処分
ATR-85 Island Dock Shipyard ◎1946 処分
ATR-86 Kruse & Banks Shipbuilding 1944 ◎1947 海事委員会に移管
ATR-87 Kruse & Banks Shipbuilding 1944 1946 ◎1947 海事委員会に移管
ATR-88 Berger Boat Co. 1944/8/1 1946 ◎1944/8/1 引き渡される
◎1948/4/20 売却
ATR-89 Berger Boat Co. 1944/9 ◎1947 ジャクソンヴィルのMutual Ocean Transportation Co. に売却されHilaと命名
◎2000年代ごろ Staten Island Boat Graveyardにて放棄


軽荷排水量:852t(ATR-43〜は835t) 満載排水量:1,360t 全長:50.44m(ATR-43〜は43.58m) 幅:10.16m(ATR-43〜は10.31m) 吃水:4.60m(ATR-43〜は4.01m) 主機/軸数:直立三段膨張式レシプロ蒸気機関2基(ATR-43〜はジェネラル・モータース式12-278Aディーゼルエレクトリック1基、ATR-90〜はジェネラル・モータース式12-278Aディーゼルエレクトリック2基)/1軸 出力:1,600馬力(ATR-43〜は1,500馬力) 速力:12.0kt(ATR-43〜は13.0kt) 兵装:50口径76mm単装両用砲1基、20mm単装対空機関砲2基(ATR-43〜は50口径76mm単装両用砲1基のみ、ATR-90〜は50口径76mm単装両用砲1基、20mm単装対空機関砲4基) 乗員:52名(ATR-43〜は士官5名、下士官兵40名)
※5tクレーンを搭載
↑ATR-47 underway, date and place unknown. US Navy photo. Image courtesy of NavSource.
※緑枠はイギリスに貸与され戦後返還された艦
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ATR-41 Levingston Shipbuilding Co. 1946/4/12 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-41)に改める
◎1942〜1943 建造
◎1943/4 イギリスに貸与
◎1943/4/23 Advantage(W.133)と命名
◎1945末〜1946初め イギリスより返還
◎除籍後、売却
ATR-42 Levingston Shipbuilding Co. 1946/5/1 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-42)に改める
◎1942〜1943 建造
◎1943/5/3 イギリスに貸与されAspirant(W.134)と命名
◎1946/3/20 イギリスより返還
◎1948/11/18 海事委員会に移管
ATR-43 Levingston Shipbuilding Co. 1943/5/29 1955/7/1
(1961/7/1?)
1961/9/1 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-43)に改める
◎1942/9/7 起工
◎1942/10/19 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-121)に改める
ATR-44 Levingston Shipbuilding Co. 1943/6/10 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-44)に改める
◎1942/10/19 起工
◎1942/10/17(1942/10/27?) 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-122)に改める
◎8 November 1943 - Pearl Harbor Arrived - Arrived - 19 October 1943, Complete - 10 November 1943. Oil grooves of pistons in main engines were modified to eliminate excessive use of oil. Sea trial was held 3 November and oil consumption was still excessive. Oil was found in blowers. Sealing rings in blowers are being renewed. All work (hull) completed.
◎15 November 1943 - Pearl Harbor Arrived - 19 October 1943, Complete - 15 November 1943. A satisfactory dock trial was held 12 November 1943. All work completed. Ship to depart this date.
ATR-45 Levingston Shipbuilding Co. 1943/6/30 1947/11/26 1962/9/1 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-45)に改める
◎1942/11/21 起工
◎1942/12/20 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-123)に改める
ATR-46 Levingston Shipbuilding Co. 1943/7/24 1947/9 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-46)に改める
◎1942/11/27 起工
◎1943/1/29 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-124)に改める
ATR-47 Levingston Shipbuilding Co. 1943/8/12 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-47)に改める
◎1942/11/27 起工
◎1943/1/3 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-125)に改める
ATR-48 Levingston Shipbuilding Co. ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-48)に改める
◎1943/2/7 進水
◎1943/8/31 引き渡される
◎1943 イギリスに貸与されMindful(W.135)と命名、イギリス海軍にて就役
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-126)に改める
ATR-49 Levingston Shipbuilding Co. ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-49)に改める
◎1943/10/2 引き渡される
◎1943 イギリスに貸与されVagrant(W.136)と命名、イギリス海軍にて就役
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-127)に改める
ATR-90 Gulfport Boiler & Welding Works 1943/1/20 1946/7/10 1984 ◎1943/1/5 艦種を救難航洋曳船(ATR-90)に改める
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-146)に改める
ATR-97 Gulfport Boiler & Welding Works 1943/12/7 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-97)に改める
◎1943/4/9 起工
◎1943/8/21 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-170)に改める
ATR-98 Gulfport Boiler & Welding Works ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-97)に改める
◎1943/6/8 起工
◎1943/11/6 進水
1944/4/12 アゾレスにて艦隊航洋曳船アブナキ Abnaki(ATF-96)と衝突し沈没
ATR-99 Gulfport Boiler & Welding Works
(Levingston Shipbuilding Co.?)
1944/2/23 1947/2/20 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-99)に改める
◎1943/8/24 起工
◎1943/11/25 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-172)に改める
ATR-100 Gulfport Boiler & Welding Works
(Levingston Shipbuilding Co.?)
1944/4/12 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-100)に改める
◎1943/11/7 起工
◎1944/3/12 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-173)に改める
ATR-101 Levingston Shipbuilding Co. 1944/7/20 1947/1/16 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-101)に改める
◎1943/10/5 起工
◎1943/11/18 進水
◎1944/7/20 艦種を補助航洋曳船(ATA-174)に改める
ATR-102 Levingston Shipbuilding Co. 1944/8/3 1946/11/8 1962/9/1 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-102)に改める
◎1943/12/9 起工
◎1944/1/29 進水
◎1944/4/13 艦種を補助航洋曳船(ATA-175)に改める
ATR-103 Levingston Shipbuilding Co. 1944/8/19 1947/6/30 1961/8/1 ◎艦種を救難航洋曳船(ATR-103)に改める
◎1944/1/30 起工
◎1944/3/1 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-176)に改める
ATR-104 Levingston Shipbuilding Co. 1944/9/2 ◎1944/4/27 起工
◎1944/6/5 進水
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-177)に改める
ATR-105 Levingston Shipbuilding Co. 1944/9/15 1947/9/23
(1947/12/23?)
1962/9/1 ◎1944/5/10 起工
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-178)に改める
ATR-106 Levingston Shipbuilding Co. 1944/9/22 1968/12/14 1968/12/14 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-179)に改める
ATR-107 Levingston Shipbuilding Co. 1944/9/27 1948 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-180)に改める
ATR-108 Levingston Shipbuilding Co. 1944/10/7 1972/6/29 1986/3/31 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-181)に改める
ATR-109 Levingston Shipbuilding Co. 1944/10/16 1955/7/22 1961/9/1 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-182)に改める
ATR-110 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-111 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-112 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-113 Levingston Shipbuilding Co. 1944/11/24 1976/4/15 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-186)に改める
ATR-114 Levingston Shipbuilding Co. 1944/12/7 1972/2/10 1975/2/1 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-187)に改める
ATR-115 Levingston Shipbuilding Co. 1944/12/14 1971 1975/2/28 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-188)に改める
ATR-116 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-117 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-118 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-119 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-120 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-121 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-122 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-123 Levingston Shipbuilding Co. 1945/3/6 1971/7/1
(1976/4/15?)
◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-196)に改める
ATR-124 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-125 Levingston Shipbuilding Co.
ATR-126 Gulfport Boiler&Welding Works
ATR-127 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-128 Gulfport Boiler & Welding Works 1944/11/22 1962/9/1 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-201)に改める
ATR-129
12
Gulfport Boiler & Welding Works 1944/12/8 1947/2/27 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-202)に改める
ATR-130 Gulfport Shipbuilding Corp.
ATR-131 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-132 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-133 Gulfport Shipbuilding Corp.
ATR-134 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-135 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-136 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-137 Gulfport Boiler & Welding Works 1945/4/18 1972/2/10 1975/2/1 ◎1944/5/15 艦種を補助航洋曳船(ATA-210)に改める
ATR-138 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-139 Gulfport Boiler & Welding Works
ATR-140 Gulfport Boiler & Welding Works


Update 24/08/20