HS
対潜ヘリコプター飛行隊 Helicopter Anti-Submarine Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第14海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron 14: HSC-14)“チャージャーズ Chargers”は、カリフォルニア州ノース・アイランド海軍航空基地 NAS North Island(米国)を拠点とする米国海軍の航空部隊。HSC-14は、1984年に第14対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-Submarine Squadron 14: HS-14)として設立され、2013年にHSC-14に改称された。飛行隊はシコルスキーMH-60Sシーホークを装備していまる。HSC-14は、全天候型、昼夜多用途ヘリコプターであるMH-60Sシーホーク・ヘリコプターを運用している。この飛行隊の主な任務は対水上戦闘(Anti-Surface Warfare: ASUW)。さらに、この飛行隊は、捜索救難(Search and Rescue: SAR)、MEDEVAC、戦闘捜索救難(Combat Search and Rescue: CSAR)、海軍特殊戦作戦(Naval Special Warfare operations: NSW)、対艦ミサイル防衛(Anti-ship Missile Defense: ASMD)、およびVERTREPを含む艦隊兵站支援を実施するための訓練と装備を受けている

↑Squadron insignia, 1984–1994. Image courtesy of en.wikipedia.org.

↑Squadron insignia, 1994–2013. Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS North Island 1984/7/10
NAF Atsugi 1994/10
NAS North Island 2013/3
航空機の割り当て 初受領日
SH-3H 1984
SH-60F/HH-60H 1993/10
MH-60S 2013/3
日付 主な出来事
1984/7 第14対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-Submarine Squadron 14: HS-14)は、1984年7月10日にカリフォルニア州サン・ディエゴのノース・アイランド海軍航空基地 NAS North Islandで設立され、当初はシコルスキーSH-3Hシー・キングを運用していた。1984年から1993年まで第2空母航空団 Carrier Air Wing TWOに配属され、“チャージャーズ Chargers”は汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)に配備された。1989年、南シナ海のヴェトナム沖に配備されていたHS-14は、配備されたヘリコプター隊による史上最大の救助活動の1つに参加し、沈没船に閉じ込められていた37人のヴェトナム難民を救助した
1991 1991年、HS-14は“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”に参加。“砂漠の嵐作戦”中、“チャージャーズ”はクウェート沖の小さな島で4人のイラク特殊部隊員を捕らえる作戦に参加。さらに、HS-14はイラクの砲艦1隻と対船舶機雷2基の破壊に重要な役割を果たした。1992年、この飛行隊は“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”の支援としてペルシャ湾北部に展開し、“希望回復作戦 Operation Restore Hope”の支援としてソマリア沿岸に展開。1992年12月、飛行隊は“希望回復作戦”の最初の11日間を支援するために急派され、その決意と効率性は作戦指揮官が“HS-14 なしでは“希望回復作戦”の最初の10日間は実現できなかっただろう”と記している
1993/5 1993年5月、飛行隊は175名の隊員と7機の航空機、および全ての支援機器を4日間でサン・ディエゴからフロリダ州メイポートに移動。この大陸横断移動は、南米を回ってサン・ディエゴに向かう 汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)に乗船するために実行された。この移動中、飛行隊は南米のいくつかの海軍との協調対潜水艦戦(anti-submarine warfare: ASW)に参加した
1993/10 1993年10月、“チャージャーズ”はシー・キングからSH-60Fシーホークへの移行を開始した。そののちすぐに、軍の縮小により、日本の姉妹飛行隊であるHS-12が退役することになった。HS-14にとって、これは1994年10月までに駐留基地を日本の厚木に変更するための移行スケジュールと訓練プログラムを加速することを意味した。この取り組みにおける飛行隊の進歩は、当時の海軍作戦部長フランク B. ケルソー大将 Chief of Naval Operations, Admiral Frank B. Kelsoの直接訪問という形で報われた
1998 HS-14は1998年と1999年に連続してペルシャ湾にデプロイメントし、“サザン・ウォッチ作戦”に参加。さらに、この飛行隊は二国間演習である“フォール・イーグル Foal Eagle”とANNUALEXに毎年参加し始めた。1998年、チャージャーズは汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)を恒久的な海上基地とし、7月に汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)に乗ってハワイに向かい、複雑なクロスデッキ移動 cross-deck moveを行った
2002初め 2002年初め、HS-14はキティ・ホークに分遣隊をデプロイメントしアフガニスタンの“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”を支援した。このデプロイメント中、キティ・ホークはアメリカ陸軍のエリート特殊作戦部隊の移動式拠点として機能した。 2003年3月、イラク情勢が悪化する中、HS-14とキティ・ホークは“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”に参加するよう命令を受けた。“チャージャーズ”は、SEAL作戦を支援するために前方作戦基地に海軍特殊戦(naval special warfare: NSW)能力を提供する任務を負った。この飛行隊は、敵地で撃墜されたCVW-5戦闘攻撃機パイロットの救出にも貢献した
1999/3 ペルシャ湾から戻ったのち、HS-14は、歴史的なPULSE EX 2004を含むいくつかの訓練および作戦展開に参加した。この演習は、海軍の方針が、定められた“準備”期間と展開スケジュールから、迅速に対応し、増強可能な部隊へと移行したことを表している。PULSE EXの間、海軍は新しいドクトリンの下で利用可能な戦力の投射を実証するために、6隻の空母を同時に世界中に展開した。この展開中に、CVW-14のS-3Bヴァイキングが、人里離れた険しい北硫黄島に墜落した。HS-14は、捜索と回収活動を行うため、3時間以内に 2機のシーホークを硫黄島に派遣した。米国空軍第33救助飛行隊 33rd Rescue Squadronのパラレスキュー隊員、ミサイル巡洋艦レイク・シャンプレーン Lake Champlain(CG-57)ミサイル・フリゲイト・ゲアリー Gary(FFG-51)と緊密に連携し、HS-14は残骸の位置を特定し、航空機の部品を回収し、ヴァイキングの乗組員の遺体を帰還させることができまた。この功績は、ジョージ W. ブッシュ大統領 President George W. Bushが亡くなった飛行士の妻に宛てた個人的な手紙に記されている
2004秋 2004年秋、HS-14分遣隊は、“フィリピンの不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom Philippines”を支援するため、貨物輸送艦フレッド W. ストックハム特務曹長 GySgt. Fred W. Stockham(T-AK-3017)の艦上に2機のHH-60Hヘリコプターを配備した。全体的な取り組みは成功し、HSコミュニティは世界対テロ戦争の主導的参加者としての地位を確立した。2004年12月の第1週には、台風“インブド Imbudo”と“ナマンド Namando”がフィリピンを襲い、大きな被害をもたらした。HS-14 のヘリコプターは人道支援を提供した。この飛行隊は、台風で最も被害を受けた被害者に即時の救援を提供し、100人以上の難民を救助することができた。同時に、別のHS-14分遣隊がミサイル巡洋艦ヴィンセンズ Lake Champlain(CG-49)に配備され、日本の海上自衛隊(JMSDF)と連携して、第7艦隊 7th FleetのいくつかのASW演習を支援した。さらに、この飛行隊は日本の厚木から第3の派遣隊を運用した
2004 2004年の12か月のうち11か月はデプロイメントまたはデプロイメント解除されていたが、HS-14は2005年1月にキティ・ホークから日本南東海岸沖で活動した。2005年2月、飛行隊は沖縄艦隊作戦区域 Okinawa Fleet Operations Areasで通常の訓練作戦を展開した。同時に、HS-14は1機の派遣隊と18名の人員を駆逐艦カッシング Cushing(DD-985)に派遣し、韓国海軍との二国間ASW作戦で第15駆逐隊 Destroyer Squadron 15と連携した。香港でしばらく休息したのち、キティ・ホークは“フォール・イーグル作戦 Operation Foal Eagle”のために韓国に向かった。HS-14は、その年のほとんどをデプロイメントし、“タリスマン・セイバー Talisman Saber”、“オレンジ・クラッシュ Orange Crush”、JASEX、SHAREM、MULTI-SAIL、ANNUALEXなどの演習に参加した
2006/6 2006年6月、HS-14にとってキティ・ホークに乗ったもう一つの波乱に満ちた夏の展開が始まった。展開前に、HS-14は航空団で最も優れた整備部門を持つとして“ゴールデン・レンチ賞 Golden Wrench Award”を獲得した。“チャージャーズ”がこの賞を獲得したのはこれで3回目で、CVW-5のほかのどの飛行隊よりも多くなっている。整備が最大限に機能し、飛行員が戦闘準備を整えた“チャージャーズ”は、クルーズを開始する準備ができている。展開は、日本の北海道の札幌郊外にある小樽への短い寄港から始まった。小樽ののち、キティ・ホークの第5空母打撃群 Carrier Strike Group Fiveは、原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)率いる第9空母打撃群 Carrier Strike Group Nine、USSロナルド・レーガン空母打撃群 USS Ronald Reagan Carrier Strike Group、海兵隊、空軍、およびさまざまな外国軍と合流し、10年以上で最大の作戦である“ヴァリアント・シールド Valiant Shield”に挑みました。この演習には30隻以上の船舶、280機の航空機、22,000名の水兵、海兵隊員、空軍兵が参加し、複数の潜水艦や水上艦の脅威にさらされながらも、攻撃グループが非常に強力な空襲スケジュールを維持する能力に焦点が当てられた。HS-14は素晴らしいパフォーマンスを発揮し、アメリカ、オーストラリア、シンガポールの攻撃潜水艦に対して多くの模擬魚雷攻撃を成功させ、一方で空母キティ・ホークに対する攻撃をほとんど許さなかった。模擬潜水艦攻撃から空母を守る一方で、HS-14はグアムで活動する専用の戦闘捜索救難部隊も配置した。この部隊は、NSWの挿入と回収を行う際にHS-2との共同作戦に重点を置いた。また、この部隊は乗組員に、低照度の戦術環境で活動する際のさまざまなテクニックを学ぶ機会を与えた。HS-14は、その年の残りの期間、さまざまな軍種や国の他のいくつかの部隊と協力した。その他の演習には、“Allies in the Outback”、ANNUALEX、厚木CSAR派遣隊などが含まれていた
2007 2007年、HS-14は4機のヘリコプターからなる分遣隊を日本の沖縄島にある嘉手納基地に派遣し、武器の使用と地形飛行の訓練を行った。乗組員は、その地域の武器射程を利用して、AGM-114ヘルファイア・ミサイル2発とMk. 46練習用魚雷3発を発射した。さらに、HS-14は複数の司令部や部隊と共同作戦の訓練を行った。HS-14は、第4哨戒飛行隊 Patrol Squadron 4のP-3Cオライオン航空機とともに、対潜水艦戦の追跡と攻撃の技術を訓練した。HS-14はまた、米国陸軍第1空挺レンジャー部隊第1部隊 1st of the 1st Airborne Rangers, U.S. Armyとともに、高速ロープ降下、ラペリング、高高度低空降下 High Altitude Low Opening、および静的ライン・パラシュート降下 static-line paradropsを訓練した。第320戦術飛行隊 320th Tactics Squadronも HS-14と協力し、同様の技術を訓練した。キティ・ホークは5月に再度の展開を開始し、グアム、シドニー、ブリスベン、ふたたびグアム、クアラルンプールに立ち寄った。HS-14は展開中に“タリスマン・セイバー”、“ヴァリアント・シールド”、“マラバール2007 Malabar 2007”など、複数の演習に参加した。10月に日本北部の室蘭に寄港した際、HS-14は2機のHH-60Hと4名の乗組員を派遣し、FLIR/ヘルファイア訓練のため三沢基地 Misawa Air Baseに向かった。この派遣隊は、より大規模な日米合同演習の海軍部分であるANNUALEX 19Gの前にキティ・ホークに再合流した。この演習後、第5空母打撃群は感謝祭の休暇のため香港港への入港を拒否され、国際的な注目を集めた。HS-14は12月初めに厚木に戻った
2008/2 HS-14は2008年、2月初めから沖縄の嘉手納基地への別の武器派遣で幕を開けた。分遣隊は4機のヘリコプターを使用してヘルファイア・ミサイルを発射し、魚雷を投下し、海兵隊、空軍、陸軍の人員とともに ASW、CSAR、NSW、近接航空支援(close air support: CAS)の訓練を実施した。分遣隊B Detachment "B"は 2008年1月にミサイル駆逐艦ラッセン Lassen(DDG-82)に加わり、3月まで独立した作戦を実行した。HS-14の主力は3月にキティ・ホークに乗艦して海上試験を行い、続いて4月に香港への寄港を含む訓練が行われた。分遣隊A Detachment "A"は2月から5月までミサイル巡洋艦シャイロー Shiloh(CG-67)カウペンス Cowpens(CG-63)に乗艦した。5月には第5空母打撃群が横須賀を出発し、キティ・ホークは日本を最後に出航した。この航海では、A分遣隊がキティ・ホークに乗って主力飛行隊に再合流し、B分遣隊は厚木基地に戻った。この攻撃隊は6月にグアムを訪れ、そののちハワイの真珠湾に向かった。寄港の最後に、HS-14分遣隊A“ミスフィッツ Misfits”はキティ・ホークから出動し、RIMPAC 2008演習 exercise RIMPAC 2008の航空部隊としてミサイル・フリゲイト・ロドニー M. デイヴィス Rodney M. Davis(FFG-60)に乗り込んだ。HS-14分遣隊Aは別の水上行動グループで集中的なASW作戦を実施し、“突撃”航空機として支援を提供し、また同艦を支援するために複数の補給飛行を行った。キティ・ホークに乗ったHS-14の主力部隊は、同様の支援を第5空母打撃群に提供した。RIMPAC ののち、キティ・ホークは原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に交代し、サン・ディエゴに向かった。サン・ディエゴに到着する前に、HS-14はキティ・ホークの弾薬積み下ろしのためのVERTREPを提供しました。この飛行隊は2日間で900個以上の弾薬を運んだ。CVW-5は8月6日にカリフォルニア沖でキティ・ホークから最後の飛行を行った。HS-14は飛行の写真撮影プラットフォームを提供し、そののち8月7日にノース・アイランド海軍航空基地に飛び立った。HS-14がその朝ノース・アイランドに着陸したとき、この飛行隊が日本に前方展開してから14年が経っていた。キティ・ホークがノース・アイランド海軍航空基地に駐機したのち、CVW-5はジョージ・ワシントンに乗艦するために必要なクロスデッキ・オペレーションズ crossdeck operationsを直ちに開始した。8月の2週間、HS-14はキティ・ホーク、ジョージ・ワシントン、および陸上のHS-4飛行隊スペースに分かれていた。ジョージ・ワシントンは8月21日にCVW-5を乗せてサン・ディエゴから撤退しました。HS-14はその日の午後に搭乗し、そののち数週間にわたる外洋航行認証 Blue Water Certificationと作業を経て、空母は西方への航海を開始した。翌月はHS-14の激しい飛行作戦で、CVW-5とジョージ・ワシントン航空部が団結したチームとして協力し合うことになった。ジョージ・ワシントンは9月25日に横須賀に到着した。2008年秋のクルーズは9月30日に始まった。HS-14は10月の間、厚木航空施設 NAF AtsugiにCSAR派遣隊を残した。派遣隊Bとともに、複合派遣隊は数名のパイロットと乗組員にCSARカリキュラムの資格を与えた。HS-14の主力部隊は、打撃群が釜山、韓国、グアムを訪問する間もジョージ・ワシントンにASWとSARサーヴィスを提供し続けた。グアム港訪問後、分遣隊Aはミサイル巡洋艦カウペンスに乗り込むため艦を離れ、分遣隊Bはラッセンに乗り日本を出発した。両艦はジョージ・ワシントン打撃群 George Washington Strike Groupに加わり、ANNUALEX 20G演習に参加した。これは日米の水上、潜水、航空部隊が参加する演習である。演習中、HS-14は24時間体制で対潜水艦攻撃をカヴァーし、ジョージ・ワシントンのヘリコプターが日中を、分遣隊のヘリコプターが夜間をカヴァーした。同飛行隊は多数の潜水艦を撃沈し、分遣隊のコンセプトを実証した。HS-14とCVW-5は11月21日に厚木に戻り、2008年の同航空団の航海期間はほぼ9か月となった。
2009夏 2009年の夏季派遣中、HS-14は“タリスマン・セイバー2009 TALISMAN SABRE 2009”に参加した。HS-14の主力部隊がオーストラリア西海岸の航空部隊を支援する一方で、ミサイル駆逐艦マスティン Mustin(DDG-89)の分遣隊ブラヴォー Detachment Bravoは多国籍作戦を支援する継続的なASWミッションを実施した。2つの常設分遣隊と連携して、“チャージャーズ”はオーストラリアのダーウィンに臨時分遣隊を派遣し、オーストラリア特殊部隊と協力した。夏季派遣が終盤を迎える中、HS-14は7月10日に25周年を迎え、25年間の勤務と50,000時間のクラス“A”事故なし Class "A" mishap free飛行を達成した。秋季デプロイメント(2009年10月~11月)、HS-14はさらに500時間以上のクラス“A”事故なし飛行を達成した。ジョージ・ワシントンに乗艦した“チャージャーズ”が“タリスマン・セイバー”のASWに従事する一方、分遣隊ブラヴォーはロシアのオスカー型潜水艦を追跡する実際のASW作戦を実施した。この飛行隊は、主な任務分野である対潜水艦戦(ASW)と対水上戦(ASU)における比類のないパフォーマンスにより、2009年の対潜水艦戦および対水上戦優秀賞であるアーノルド・ジェイ・イズベル大佐賞 2009 Captain Arnold Jay Isbell Trophyを受賞した
2010/2 2月19日から3月5日まで、HS-14は沖縄の嘉手納空軍基地 Kadena AFBに分遣隊を派遣した。この分遣隊は、2010年の派遣に備えて250時間以上飛行した
2011/3 2011年3月12日、HSC-14のシコルスキーSH-60シーホークが、2011年の東北地方太平洋沖地震と津波で浸水した仙台港の上空を飛行し、市民に食料と救援物資を届けた。HS-14とHSL-51は、2011年3月11日以降、“トモダチ作戦 Operation Tomodachi”の一環として、三沢海軍航空施設 NAF Misawaから日本上空で人道支援飛行を行った
2013/3 2013年3月、HS-14は厚木基地の第5空母航空団(Carrier Air Wing Five: CVW-5)を離れ、ノース・アイランド海軍航空基地に常駐任務地を変更した。HS-14はMH-60Sシーホーク・ヘリコプターに移行し、7月に第14海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron 14: HSC-14)に再編成された。HSC-14は現在、原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-75)に配備されている第9空母航空団(Carrier Air Wing Nine: CVW-9)に配属されている
HS-14は、2009年8月に13年を超え、事故のない飛行時間が50,000時間を超えたことを祝った。この飛行隊の輝かしい歴史は、次のような多くの賞によって際立っている
海軍部隊表彰メダル Navy Unit Commendation Medal-1991年(砂漠の嵐作戦 OPERATION DESERT STORM)、1998年 (USS インディペンデンス USS Independence(CV-62))
功労部隊表彰メダル Meritorious Unit Commendation Medal-1989年、1994年、1996年(CVW-2、USS レンジャー USS Ranger(CV-61)、USS インディペンデンス(CV-62)戦闘グループ USS Independence (CV-62) Battle Groupに所属)
7つの戦闘効率賞 Seven Battle Efficiency Awards-1989年、1992年、1998年、1999年、2003年、2004年、2010年
国防軍遠征勲章 Armed Forces Expeditionary Medal-1987年、1989年、1991年、1992年、1998年、1999年、2003年
統合功労部隊賞 Joint Meritorious Unit Award-1993年
人道奉仕勲章 Humanitarian Service Medal-2001年(USS ゲアリー USS Gary(FFG-51))
南西アジア奉仕勲章 Southwest Asia Service Medal-1991年
9つの海軍作戦部長安全賞 Nine Chief of Naval Operations Safety Awards-1989年、1991年、1992年、1993年、1998年、1999年、2001年、2006年、2010年
第7駆逐隊“ゴールデン・アロー”賞2回連続受賞 Two consecutive DESRON SEVEN "Golden Arrow" Awards
ASWおよびASUW優秀賞9回 Nine Arnold J. Isbell Awards for ASW and ASUW excellence-1993年、1999年、2001年、2002年、2003年、2005年、2007年、2009年、2010年
ジョン S. サッチ大将ASW優秀賞 Admiral John S. Thatch Award for ASW excellence-2003年
CVW-5メンテナンス優秀賞“ゴールデン・レンチ”賞3回 Three CVW-5 Maintenance Excellence "Golden Wrench" Awards-2003年第2四半期、2004年第2四半期、2004年第4四半期、2006年第1四半期

↑SH-3H Sea Kings of HS-14 in 1990. Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 24/12/09