日付 |
主な出来事 |
1977/7/15 |
HS-12は1977年7月15日、合衆国太平洋艦隊 U.S. Pacific Fleetの一部として設立された。同年、スプルーアンス級駆逐艦がシー・キング・ヘリコプターを運用できるかどうかの試験のため、駆逐艦ポール F. フォスター Paul F. Foster(DD-964)に2個分遣隊を派遣した |
1979 |
1979年、CVW-11の一員として汎用航空母艦アメリカ America(CV-66)に乗って地中海に初空母派遣を行った |
1980 |
飛行隊はノース・アイランド海軍航空基地を拠点に演習に参加し、汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)と汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)に2つの分遣隊を派遣した |
1981 |
アメリカとCVW-11による2度目の派遣が行われ、海上で15名の船員を救助した |
1982 |
HS-12はCVW-14に移動し、汎用航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CV-43)に配属された最初のASWヘリコプター飛行隊となった |
1983 |
サン・フランシスコのアラメダからノーフォークへのワールド・クルーズがコーラル・シーで行われ、HS-12も史上唯一同船した。これはFLEETEX83-1に参加することも含まれており、その時点で第二次大戦後最大のASW演習であった。11月には、珊瑚海の姉妹艦である汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)に配属される最初のASW部隊として、CVW-5に参加するために日本へ移動することが告げられた |
1984/7/15 |
正式にCVW-5に参加した。ミッドウェーへの最初の配備は1984年後半になる |
1986 |
ミッドウェーが改装される間、HS-12は駆逐艦オルデンドルフ Oldendorf(DD-972)に3つの分遣隊を派遣した |
1990 |
1990年8月2日、イラクによるクウェート侵攻に伴い、ミッドウェーとCVW-5は、すでにペルシャ湾に到着していた汎用航空母艦インディペンデンス Independence(CV-62)とCVW-14を救援するためにペルシャ湾に展開した。この展開に先立って、ミッドウェーとCVW-5は海上自衛隊と演習を行っており、当時ソヴィエト軍のフォックストロット型潜水艦を4時間9分に渡って追跡し対馬海峡を横断させるなどの訓練をしている |
1990/10/2 |
10月2日に正式に派遣が開始され、約1ヶ月後には“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”の一環としてホルムズ海峡に到達した。ペルシャ湾での期間中、HS-12は6機のヘリコプターのうち4機がASW装備を取り外し、銃に換えるなどの演習を行った。
1991年1月17日、砂漠の嵐作戦が開始されると、飛行隊は作戦を開始した |
1991/1/17 |
“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”が開始されると、飛行隊は1月24日のカーウ島 Jazirat Qaruh占領を皮切りに支援活動を開始した。これはHS-12による16名のネイヴィー・シールズ
Navy SEALsの旧クウェート島への投入を含むものであった。クウェート陸地の最初の解放では、3名のイラク人が死亡し、29名のイラク人が捕らえられた。この後、1991年2月27日の停戦前日の襲撃を含め、いくつかの襲撃が続いた。クウェートの解放がようやく手近となり、HS-12は1991年4月17日にようやく厚木海軍航空施設に復帰した |
1991 |
1991年のフィリピン・ピナツボ山 Mount Pinatubo噴火後の“フィエリー・ヴィジル作戦 Operation Fiery Vigil”に参加した後、HS-12はミッドウェーへの最後の派遣を行い、横須賀から真珠湾へ出港し、インディペンデンスとCVW-14と入れ替わった |
1994/8/29 |
1994年8月29日、CVW-5の一員としてインディペンデンスに搭乗して最後の派遣を終えたのち、3ヶ月後の1994年11月30日に閉隊し、17年間の任務に終止符を打ち、飛行隊はSH-60FとHH-60Hを搭載したHS-14“チャージャーズ Chargers”に交代する |