CM
一等機雷敷設艦、機雷敷設艦

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※1920年7月17日、艦種記号CMが各艦に与えられる。PSAは試験航海後の有用性(Post Shakedown Availability)の略。馬力にはメートル馬力(1PS=約735.5watt):メートル馬力は別名仏馬力とも呼ばれ、現在の日本を初め多くの国で採用されている。昔の日本馬力とはまた違うことに注意すること。英馬力(1HP=約745.7watt):英馬力はヤード・ポンド法を使用する国で使われている。公称馬力(Nominal Horse Power: NHP):機関の課税および売買上の目安として示される馬力。図示馬力(Indicated Horse Power: IHP):機関内部で発生する馬力。別名指示馬力とも呼ばれる。制動馬力(Brake Horse Power: BHP):機関外部に取り出すことのできる馬力。軸馬力(Shaft Horse Power: SHP):スクリューを回す軸での馬力
※データは防護巡洋艦ボルティモアの項を参照
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ボルティモア
12
Baltimore CM-1 ウィリアム・クランプ&サンズ・シップ&エンジン・ビルディング社 1890/1/7 1922/9/15 1937/10/14 ◎1920/7 艦種を一等機雷敷設艦(CM-1)に改める
◎1942/2/16 解体のため売却
◎Pacific Fleet 1919-1922.


※データは防護巡洋艦サン・フランシスコの項を参照
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
サン・フランシスコ
123
San Francisco CM-2 ユニオン鉄工所 1890/11/15 1921/12/24 1937/6/8 ◎1912/12/19(1916/9/16?) 艦種を一等機雷敷設艦に改める
◎1916/6/6 退役、ポーツマスにて保管
◎1916/10/18 再役
◎1917/8 ポーツマス海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1917/12 オーヴァーホール(〜1918/3)
◎1919/1上旬 ハンプトン・ローズにてオーヴァーホール
◎1921 不活性化工事
◎1931/1/1 タホー Tahoe、のちにヨセミテ Yosemiteと改名
◎1939/4/20 解体のためボルティモアのユニオン・シップビルディング社に売却
◎Laid North Sea Mine Barrage 1918.


排水量:3,800t(CM-4は3,746t) 全長:120.39m(CM-4は117.65m) 幅:15.91m 吃水:4.87m(CM-4は4.78m) 主缶:ホワイトフォースター缶3基 主機/軸数:クランプ式vertical triple-expansion機関2基/2軸 出力(指示):7,000馬力 速力:20.0kt(CM-4は14.0kt) 兵装:51口径127mm単装砲1基、50口径76mm単装対空砲2基(CM-4は1938年には50口径76mm単装砲1基。1945年には38口径127mm単装両用砲1基、50口径76mm両用砲4基、40mm連装機関砲2基、20mm機関砲8基)、コルト式7.62mm機銃2基(CM-3のみ) 乗員:313名(314名ともいわれる)
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
アルーストゥーク
12
Aroostook CM-3 ウィリアム・クランプ&サンズ造船所 1917/12/7 1931/3/10 1943/2/5 ◎1918/7/16 艦種を一等機雷敷設艦に改める
◎1919/4上旬 海軍工廠ノーフォークで水上機母艦に改装
◎1919/7上旬 ブルックリンにて修理
◎1919/12 サン・ディエゴにてエンジンをオーヴァーホール
◎1920/6中旬 サン・ディエゴにてエンジンをオーヴァーホール
◎1920夏 メア・アイランド海軍工廠にて修理改装、艦種記号CM-3を与えられる
◎1923 メア・アイランド海軍工廠にて入渠、修理、オーヴァーホール(1234
◎1924 メア・アイランド海軍工廠にて修理、改装
◎1925/11/24 メア・アイランドにてオーヴァーホール
◎1927/9中旬 メア・アイランド海軍工廠にてオーヴァーホール
◎1941/5/20 艦種を貨物輸送艦(AK-44)に改める
ショーマット
1234
Shawmut CM-4 ウィリアム・クランプ&サンズ造船所 1917/12/7
(1918/1/7?)
1946/7/11 1946/7/12
(1946/11/13?)
◎1920 艦種を一等機雷敷設艦(CM-4)に改める
◎1928/1/1 オグララ Oglalaと改名
1941/12/7 真珠湾にて日本海軍機の雷撃により沈没
◎1942末 退役?、引き揚げられ、カリフォルニアにて修理、改装
◎1943/5/21(1943/6/15?) 艦種を内燃機関修理艦(ARG-1)に改める
Pearl Harbor.


軽荷排水量:5,875t 基準排水量:8,640t 全長:138.27m 吃水線長:134.11m 幅:18.33m 吃水:5.96m 主缶:コンバッション・エンジニアリング缶4基 主機/軸数:ジェネラル・エレクトリック式二軸減速ギアード蒸気タービン2基/2軸 出力:11,000軸馬力 速力:20.3kt 航続力:15.0ktで7,000浬 兵装(建造時):38口径127mm単装両用砲4基、28mm4連装機関砲4基、20mm対空機関砲4基、Mk. 6機雷800個(1942年8月には38口径127mm単装両用砲4基、28mm4連装機関砲4基、20mm対空機関砲11基、Mk. 6機雷800個。1943年5月には38口径127mm単装両用砲4基、40mm4連装機関砲4基、20mm対空機関砲14基、Mk. 6機雷800個。1945年には38口径127mm単装両用砲4基、40mm4連装機関砲6基、40mm連装機関砲1基、20mm連装対空機関砲8基、Mk. 6機雷800個) 乗員:481名
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12

↑Caption: The large minelayer Terror (CM-5), the only ship of her type built by the U.S. Navy during World War II. (80-G-411681). Image courtesy of Naval History and Heritage Command.

艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
テラー
12
Terror CM-5 フィラデルフィア海軍工廠 1942/7/15 1956/8/6 1970/11/1 ◎1940/9/3 起工
◎1941/6/6 進水(12345
◎フィラデルフィア海軍工廠にて艤装(12
◎1942/8/25 フィラデルフィア海軍工廠にてPSA(〜1942/9/16)
画像解説:1942年10月、ヴァージニア州ヨークタウンの海軍機雷基地でカサブランカでの作戦のためにMk. 6機雷を積み込んだ。ブリッジ・スポンソンの4連装1.1インチ・マウントに注目。テラーは10月27日0700時に機雷基地を出航した。デポ戦争日誌 Depot War Diaryには同艦がいつ到着したかは記録されていない。海軍歴史遺産司令部写真NR&L(M) 35192 Naval History and Heritage Command photo NR&L(M) 35192 from Shipscribe.com
◎1942年10月30日にニュー・ヨークに到着し、初の大規模作戦に備えた。第38.3任務群 Task Group 38.3とともに、この新型機雷敷設艦は11月2日にニュー・ヨーク港を出撃し、北アフリカへと向かった。突風、強風、そして荒波のため、船団は進路変更を余儀なくされたが、その目的は変わらず、“トーチ作戦 Operation Torch”の支援と増援であった。11月14日の夜明け、テラーは船団と別れ、駆逐艦1隻の護衛を受けながら、新たに占領したカサブランカ港へ20ktで進路を取った。沈没船が港湾の混雑をさらに悪化させる中、テラーはマイアントノマー Miantonomah(CM-10)に燃料補給と機雷の補給を行った。そののち、テラーはカサブランカでの主要任務、そして本来の任務である機雷敷設に備えた。16日朝、港湾の混雑が続いたため、出撃は延期された。そののち、テラーの乗組員が出航準備を整えていたところ、大型で“旧式”の錨と重い錨鎖が船の右舷錨鎖に絡まっているのを発見した。この問題を解決したのち、テラーは2隻の掃海艇とともに出航し、すぐに港内の船舶を守るための機雷原の敷設を開始した。同日日没直前に完成した機雷原は、エルハンク灯台から7マイル(約11km)におよぶカサブランカへの航路入口を連合軍船舶に確保し、敵潜水艦の侵攻を阻む強力な障壁となった。テラーは16kt(約24km)の速度で航行し、夜が明けるころに港へと帰還した。翌日、陸上の簡素な荷役設備と艀の極度の不足という困難にもかかわらず、テラーは回収した戦車用艀と数隻の木造艀を用いて爆雷と弾薬を降ろした。任務を終えたテラーはカサブランカを出航し、アメリカ東海岸行きの船団と合流した。しかし、強い向かい風、荒波、そして船団の速度低下により、テラーは停泊を維持するのが困難となった。ヴァージニア岬沖でテラーは船団から切り離され、ヨークタウン海軍機雷処 Naval Mine Depotに向かった。11月30日に到着し、オーヴァーホールと訓練を開始した
◎1942年11月3日から12日、UGF.2船団を率いてトーチ作戦のため北アフリカへ出航
◎1942年11月16日から17日、モロッコ沖に2つの機雷原を敷設
◎1942年11月18日から29日、第34.9任務群 TG 34.9とともにノーフォークへ帰還
◎1943/1? ノーフォークにて修理、オーヴァーホール
◎1943/5 改装
◎1943年10月2日から25日、パナマ運河とサン・フランシスコを経由して真珠湾へ出航
◎1943年10月から1944年1月まで、フナフティ、タラワ、Espiritu Santo、ガダルカナル、マキンにて機雷敷設と測量を実施
◎1944年2月13日〜26日、真珠湾からサン・フランシスコへ旅客を輸送し、真珠湾へ帰還
◎1944年3月〜5月、マジュロ、クェゼリン環礁、エニウェトク環礁にて機雷敷設と測量を実施
◎1944/4下旬 ハワイにて修理
◎1944年5月〜8月、マジュロ、クェゼリン環礁、エニウェトク環礁、グアムへ弾薬、機雷、郵便を輸送
◎1944/8下旬 サン・フランシスコにて入渠、オーヴァーホール
◎1944年8月25日〜9月1日、カリフォルニア州オークランドのムーア・ドライドック社で軽微なオーヴァーホール
◎1944年9月〜11月、真珠湾、エニウェトク環礁、ウルシー環礁、サイパン島、グアム、マヌス島へ弾薬と機雷を輸送
◎1944年11月25日〜1945年1月4日、真珠湾海軍工廠にて太平洋機雷敷設司令官 Commander Minecraft Pacificの旗艦となるための改修
◎1945年1月22日〜2月3日、真珠湾を出航、エニウェトク環礁経由でウルシー環礁へ
◎1945年2月8日〜10日、エニウェトク環礁からテニアン島へ出航
◎1945年2月13日〜19日、硫黄島侵攻作戦に参加
◎1945年2月〜3月、機雷の給油と整備
◎1945年3月19日〜5月8日、沖縄侵攻作戦に参加
1945/5/1 沖縄県慶良間諸島にて日本陸軍の特攻機(飛行第19戦隊の飛燕)の攻撃により損傷(戦死41名、行方不明7名、負傷123名。テラーの周辺に1機が現れ、これに沿岸警備隊揚陸指揮船ビブ Bibb(WAGC-31)が砲火を浴びせるもテラーの右舷に命中。搭載していた爆弾の1発は通信甲板で爆発。もう1発は甲板を貫通して爆発。艦自体の損害は大きかったが弾薬庫に火は到達しなかった。ビブはすぐに軍医を支援のために送り込もうとするもテラーに乗り込む際に負傷。ビブから別の軍医が送り込まれた「日米史料による特攻作戦全史 航空・水上・水中の特攻隊記録」(並木書房)より)、攻撃輸送艦ナトロナ Natrona(APA-214)により緊急修理
◎1945年5月8日〜6月1日、サイパン島、エニウェトク環礁、真珠湾を経由してサン・フランシスコへ修理のため出航
◎1945年6月2日〜8月14日、カリフォルニア州リッチモンドのカイザー造船所第1工場およびメア・アイランド海軍工廠で修理とオーヴァーホールを受ける(123
◎1945年8月15日〜9月8日、サン・フランシスコから沖縄のバックナー湾へ出航
◎1945年9月〜12月、Buckner Bayにて太平洋機雷敷設司令官旗艦 ComMinPac flagshipとして運用(123
1945/9/16 沖縄のBuckner Bayにて台風により雑役艦パトカ Patoka(AG-125)と衝突し損傷、のちに修理
◎1945年12月〜1946年2月、沖縄からサン・フランシスコへ出航
◎1946年2月〜1947年2月、米国西海岸で運用
◎1947年2月〜6月、パナマ運河を通過して東海岸へ航行し、カリブ海および東海岸沿いで運用
◎1947/7 チャールストン海軍造船所にて不活性化工事
◎1947/9/1 チャールストン海軍造船所にて退役
◎1950ごろ チャールストン海軍造船所にて保管
◎1955/2/7 艦種を艦隊機雷敷設艦(MM-5)に改める
◎Damaged by kamikaze, Okinawa,1 May 1945 (48 killed). 4 Battle Stars: Gilbert Is., Guam, Iwo Jima, Okinawa.
キャッツキル Catskill CM-6 Willamette Iron & Steel Corp. 1944/6/30 1970/12/1 1970/11/20
(1970/12/1?)
◎1941/7/12 起工
◎1942/5/19 進水
◎1943/5/1 艦種を兵員輸送艦(AP-106)に改める
オザーク Ozark CM-7 Willamette Iron & Steel Corp. 1944/9/23 1970/2/6 1974/4/1 ◎1941/7/12 起工
◎1942/6/15 進水
◎1943/5/1 艦種を兵員輸送艦(AP-107)に改める


軽荷排水量:5,300t 満載排水量:6,150t(CM-11、CM-12は6,525t) 全長:107.59m(CM-11、CM-12は106.68m) 幅:17.37m 吃水:5.18m(5.33mともいわれる) 主缶:スコッチ缶4基(single-ended) 主機/軸数:ウィリアム・クランプ式vertical triple-expansion機関2基/2軸 出力:2,700馬力 速力:12.0kt(CM-12は12.0kt(公試)) 兵装:50口径76mm単装両用砲3基、40mm連装機関砲2基、20mm対空機関砲10基、12.7mm機銃4基、7.62mm機銃2基(CM-11は50口径76mm単装両用砲3基、20mm対空機関砲18基〜19基。CM-12は50口径76mm単装両用砲3基、20mm対空機関砲4基) 乗員:278名(CM-11は219名、CM-12は290名)
※メジャー迷彩(アメリカ海軍歴史センターのサイトから、12
艦名 NAME 艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
キオカク Keokuk CM-8 ウィリアム・クランプ&サンズ造船所 1942/2/28 1945/12/5 ◎1942/5/18 艦種を機雷敷設艦(CM-8)に改める
◎1943/2 Hobokenにて修理
◎1943/10 ノーフォークで設網貨物輸送艦に改装
◎1943/11 艦種を設網貨物輸送艦(AKN-4)に改める
◎Sicily.
セイレム
12
Salem CM-11 ウィリアム・クランプ&サンズ造船所 1942/8/9 1945/12/6 1946/1/3 ◎1942/6/8 1916年9月25日進水の商船Joseph R. Parrottを取得し、改装
1942/11/10 ブルックリン海軍工廠にてイギリス海軍歩兵揚陸艇(大型)LCIL-166と衝突
◎1943/10下旬 ノーフォークにて修理
◎1943/11上旬 真珠湾にて暫定的な設網貨物輸送艦に改装(〜1945/2/10)
◎1945/6/24 エニウェトクにて網を修理(〜1945/7/31)
◎1945/8/15 ショーマット Shawmutと改名
◎1945/9中旬? 不活性化工事
◎1946/6/20 海事委員会に移管
◎1947/3/7 Port EvergladesのWest India Fruit & Steam Ship Co. に売却されフロリダ〜キューバ間のフェリーJoseph R. Parrotとなる、ホンジュラス船籍となる
◎1969 Bilbaoにて解体
◎Sicily, Okinawa.
ウィーホーケン Weehawken CM-12 ウィリアム・クランプ&サンズ造船所 1942/9/30 1945/12/11 1946/1/3 ◎1942/6/15 1920年11月6日進水のFlorida East Coast Car Ferry Companyの商船Estrada Palmaを取得し、Hobokenのベスレヘム・スチール社で改装
◎1942/7/18 ウィーホーケンと改名
◎1943/2中旬 ノーフォーク海軍工廠にて修理(〜1943/3中旬)
◎1943晩春? 修理
◎1943? ノーフォーク海軍工廠にて修理
◎1944/4 修理改装
◎1944/7上旬 アラメダのジェネラル・エンジニアリング&ドライドック社にて改装
◎1945/1中旬 真珠湾海軍工廠にて改装、修理
1945/10/9 沖縄にて台風“ルイーズ”により座礁
◎Sicily, Okinawa.


Update 26/02/22