ARDC
修理浮きドック(コンクリート製)

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です


※データは小型浮きドック(非自走)AFDL-35級の項を参照
艦種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ARDC-1 V. P. Loftis ◎1943/9/23 起工
ARDC-1は1943年9月の北大西洋艦隊戦時日誌 War Diary of the North Atlantic Fleetに、1943年11月に竣工し、バミューダに配属されると記載されている。1943年11月のCINCLANT War Diaryには、1944年2月に竣工し、バミューダに配属されると記載されている
◎ARDC-1は1944年2月16日にTidewater Construction Co. によって進水した
◎ARDC-1の命名式が行われたのは1944年4月20日
◎本船がウィルミントンを出発する前、乾ドックのテストが続けられていた。1944年4月20日のCom 6の戦時日誌 War Diaryは、ノース・カロライナ州サウスポートから、“セクション・ベースからの報告によると、ARDC- #1の乗組員である2名の士官と104名の兵士は、ARDC- #1の就役に向けた編成と訓練を完了し、0745時にノース・カロライナ州ウィルミントンに向けて当ステーションを出発した”と報告している
◎1944年5月27日、旧型航洋曳船アンプクァ Umpqua(ATO-25)はARDC-1のWar Shipping AdministrationのV4-M-A1型曳船ポイント・サー Point Sur(MCハル624)を支援するため、Savannahからウィルミントンに向かっていた
◎同船はARDC-1のバミューダへの移動を支援するために6月3日までウィルミントンにいたが、同船の曳航は延期された。護衛駆逐艦ダニエル Daniel(DE-335)の戦時日誌の記録によると、1944年6月3日にポイント・サーをバミューダまで護衛し、1944年6月11日に到着している
補助航洋曳船ATA-121の戦時日誌によると、1944年6月17日から1944年6月27日にかけて、ATA-121はバミューダのOrt Royal BayのARDC-1に停泊し、船尾チューブのベアリングとメイン・シャフトの後部を修理し、損傷したソナー機器を交換した。バミューダでの修理のためにARDC-1に入渠した船の報告は数多くある。1944年11月1日、CINCLANT War Diaryによると、ARDC-1はバミューダにいたが、“CZ”に向かい、CinCPacに報告する予定であった。同船は太平洋戦争に向かう途中であった。護衛駆逐艦ガントナー Gantner(DE-60)の戦時日誌は、1944年11月2日に艦隊航洋曳船ピント Pinto(ATF-90)とARDC-1とともにパナマ運河地帯に到着したと報告している。1944年12月45日、補助航洋曳船ATA-199は1501時にARDC-1を曳航し、1755時にパナマ運河ガトゥン閘門の通過を完了、18:21にARDC-1をガトゥン湖に停泊させた。1944年12月15日、曳船BayouはBalboaを出航し、サン・フランシスコに向かった。そこから真珠湾に向かった。1945年3月以降、真珠湾のARDC-1に停泊した船舶の記録が多数ある
◎1945年6月20日、ARDC-1は真珠湾からエニウェトクに向かい、艦隊航洋曳船アタカパ Atakapa(ATF-149)とともに1945年7月10日に到着した
エニウェトクのLCI群 LCI Groupの戦争日記によると、歩兵揚陸艇(大型)LCI(L)-879555は1945年8月27日にARDC-1の乾ドックに入った
◎終戦後のある段階で、グアムに移送された。1946年6月25日の乗組員変更報告書 Crew Change reportによると、1946年6月にグアムにいたことが記録されている
◎1946年8月1日、艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-34)に改める。AFDLはAuxiliary Floating Docks, Light(補助浮きドック、軽)の呼称で、“クラス”には以前から指定されていたAFDが含まれており、ARDCよりも小型で、1,900tという低い吊り上げ能力を持っていた
ARDC-2 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-35)に改める
ARDC-3 V. P. Loftis 1944/7/3 ◎1944初め Tidewater Construction Co. にて進水、竣工
◎1944年10月30日、曳船Point VincenteがARDC-3をBalboaから真珠湾まで曳航していると報告された
◎1944年12月10日、掃海艇デヴァステーター Devastator(AM-318)が真珠湾に横付けされた。真珠湾でARDC-3は修理を必要とし、1944年12月17日から22日までかかった
◎1945年2月7日から8日にかけて、真珠湾でロケット中型揚陸艦LSM(R)-199が入渠
◎1945年5月3日には、護衛駆逐艦ドネフ Doneff(DE-49)が医療士官を乗船させるため、グアムのアプラ港にいた。7月8日から11日まで沿岸輸送艦APC-48が入渠し、1945年8月12日から25日までグアムの駆潜艇(木製船体)SC-654が入渠した
◎1946年1月1日、同船はグアムにいた。「The Times-Tribune」は、真珠湾とグアムで65隻の艦船に勤務したと述べている。
◎1946/8/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-36)に改める
ARDC-4
12
Tidewater Construction Corp. 1981/1/12 ◎1944/10/3 命名式
◎1944年12月4日、ARDC-4はARDC-6/11/12とともにまだ港内に留まっていた。艦長にはC. J. ダイアー少佐 Lieutenant Commander C. J. Dyer, USNRが就任すると発表された
◎大西洋艦隊補給部隊司令官 Commander Service Force, Atlantic Fleetの12月の戦時日誌 War Diaryには、艦隊航洋曳船アチョマウィ Achomawi(ATF-148)がARDC-12ではなくARDC-4を曳航することになっていたと記されている
◎1945年2月のアチョマウィ戦時日誌によると、同艦は1945年1月25日にBalboaを出航し、カリフォルニア州サン・ペドロに向かった。平均時速6.2ktで2,994マイル(約4,794km)を航海したのち、2月15日に任務を遂行した
◎1945年4月26日までにARDC-4はサン・ディエゴの米海軍修理基地 U.S. Naval Repair Baseへ移動し、4月27日には戦車揚陸艦LST-131が入渠した。 LST-131は1945年5月5日時点ではまだそこに入渠していた。1945年5月31日から6月2日にかけては、戦車揚陸艦LST-928が入渠していた
◎COM 11の1945年7月の戦時日誌には、駆逐艦グレゴリー Gregory(DD-802)が1945年6月4日に入渠したこと、そして同年7月21日現在もドックに入っていることが記録されている
◎ARDC-4は第二次世界大戦中カリフォルニアにいたため、太平洋の前進基地には配属されなかった
◎1946/8/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-37)に改める
ARDC-5 Tidewater Construction Corp. ◎1944 建造
◎1944/9 運用開始
◎1946/8/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-38)に改める
ARDC-6 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-39)に改める
ARDC-7 1987/6/30 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-40)に改める
ARDC-8 Tidewater Construction Corp. ◎1944 建造
◎1944/12 引き渡され運用開始
◎ARDC-8がHoustonに浮かんだのは1944年5月8日であった。 高速輸送艦タルボット Talbot(APD-7)戦時日誌 War Diaryによると、ARDC-8は1944年8月4日にドックから出航し、1944年8月にサン・フランシスコの33番埠頭 Pier 33に到着した。1944年12月の第11海軍区戦時日誌 11th Naval District War Diaryは次のように報告している:E. G. ラウ中尉 Lieutenant (jg) E. G. Rau, CEC-V(S)、ARDC-8大尉、J. E. Haddock Engineering, Ltd. のプロジェクト・マネージャー、ウェルズ氏 First Lieutenant ARDC-8, Mr. Wells, Project Manager, J. E. Haddock Engineers, Ltd. は、工廠用浮きドック(非自走)YFD-61から出渠した船舶のドッキング・ブロックの再設定に立ち会った。入渠可能な船舶はなかった
◎1945年1月21日、1533時にサン・ペドロ海軍基地に到着。1945年6月のCom 11の戦時日誌によると、同船はまだカリフォルニア州サン・ペドロ海軍基地におり、1945年6月30日に就役した
◎1945年5月のComWestSeaFron War Diaryには、前線基地での乾ドックの必要性について特に述べられている
◎ARDC-8は1945年7月13日にサン・ペドロを出航し、南カリフォルニア沖で曳船Two Harboursに曳航されサン・フランシスコへ向かっていたことが記録されている
◎1946年2月21日、ARDC-8はワシントン州ブレマートン造船所への入港を待っていた
◎1946/8/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-41)に改める
ARDC-9 J. E. Haddock Engineering 1974/5 ◎ARDC-9が“出征”したという記録はなく、入手可能な記録によると、サン・ペドロのターミナル・アイランド海軍工廠に配備されていたようである
◎1946/8/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-42)に改める
ARDC-10 Tidewater Construction Corp. ◎1944/9 進水
◎1944/12 引き渡され運用開始
◎1945/2/1 艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-43)に改める
ARDC-11 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-44)に改める
ARDC-12 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-45)に改める
ARDC-13 ◎のちに艦種を小型浮きドック(非自走)(AFDL-46)に改める


Update 25/05/06