第7艦隊の主要基地
Major Naval Bases of U.S. 7th Fleet

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横須賀

↑U.S. Fleet Activities Yokosuka logo. Image courtesy of en.wikipedia.org.

※横須賀はいうまでもなく旧日本海軍の基地で、東洋一の軍港であった。現在米海軍に提供されているのは、旧海軍の横須賀鎮守府、海軍工廠、海兵団、学校などのあった地域2,291,000m²である。正門を入った正面の旧鎮守府庁舎は在日米海軍司令部になっている。第7艦隊にとって最も重要な基地機能は横須賀海軍修理廠が担当している船体、武器、機関の修理能力である。旧海軍ドックは6基とも健在であるが、そのうち1号~3号は海上自衛隊が共同使用し、米海軍は4号(旧巡洋艦ドック)、5号(旧戦艦ドック)および旧海軍が戦艦信濃建造のため掘削した6号ドックを使用している。4号および5号ドックについては、住友重機械工業が共同使用を認められている。6号ドックは容積が220,000立法mもあり、汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)が入渠できる。ミッドウェーの20世紀末までの使用が決定されると、同艦を本国に帰すことなく横須賀基地で延命・改装工事を行うこととしたのは、横須賀海軍修理廠の技術水準の高さを示すものであろう
※2025年11日13日、日米共同使用の検証の一環で海上自衛隊の護衛艦いかづち(DD-107)が米海軍横須賀基地の5号ドックにて入渠検証作業(12

↑1号と2号乾ドック。U.S. Fleet Activities Yokosuka, 6 December 2008. Photo by VANDY-1.

↑6号乾ドック。入渠中の艦はEDSRA(Extended Drydock Selected Restricted Availability)中のミサイル駆逐艦ジョン S. マケイン John S. McCain(DDG-56)。U.S. Fleet Activities Yokosuka, 12 October 2015. Photo by VANDY-1.

↑小海東岸壁竣工記念碑。U.S. Fleet Activities Yokosuka, 12 October 2015. Photo by VANDY-1.

管理人がフレンドシップデー(一般公開)時に横須賀基地内を撮影した

カーティス・ウィルバー訪問記

ロナルド・レーガン訪問記

マスティン訪問記

フィッツジェラルド訪問記その2

フィッツジェラルド訪問記

ジョージ・ワシントン訪問記その2

ラッセン訪問記

ジョージ・ワシントン訪問記
※係船バースは17あり、1966年以来原子力潜水艦が入港するようになった小海地区および港内所要の場所には放射能漏れを監視するモニターリング・ポストが設けられている。なお、横須賀港第1区(横須賀本港)は一般船舶の立ち入り禁止区域である。補給は横須賀海軍補給廠が担当しているが、艦艇、航空機用の燃料は主として基地外のタンクに貯蔵されている。神奈川県基地対策課によれば、港内の吾妻島には大小のタンク37基、397,000klの貯油能力がある。また補給廠燃料部の鶴見支部が管理している横浜の小柴貯油施設は面積526,000m²、タンクは26基で426,000m²の貯油能力がある。この施設には長さ708mと138mの桟橋があり、タンカーで燃料の受け入れ、積み出しを行っている。貯油施設は旧海軍の施設をそのまま使っているものも多く、老朽化が進んでいるといわれている

↑EDSRA中の揚陸指揮艦ブルー・リッジ Blue Ridge(LCC-19)。U.S. Fleet Activities Yokosuka, 7 April 2018. Photo by VANDY-1.

※横須賀基地にいる米軍の部隊は、横須賀艦隊基地隊、横須賀海軍施設本部、在日米海軍通信隊、在日米海軍地区医療センター並びに第7艦隊司令部、旗艦ブルー・リッジ以下第7艦隊の戦闘艦、第7潜水艦司令部、海兵隊(警備)などである。横須賀はアルフレッド・セイヤー・マハン Alfred Thayer Mahanのいった基地の3条件(位置(相対位置のことで通商路との距離)、強度(港の防御力と港の条件および修理補給などの支援能力)、兵資)を備えている


佐世保

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
※日露戦争で連合艦隊の策源地となった旧海軍の軍港。終戦後、周囲の軍事施設とともに接収されて米海軍基地となった。最盛時は佐世保港の大型係船岸壁の82%を米軍が専用し、港域の85%は米軍使用水域となっていた。1975年5月在日海軍司令部は米海軍佐世保基地の縮小を発表。ニクソン・ドクトリンを踏襲し、ヴェトナム戦争のドル防衛を最優先課題とするフォード大統領 President Fordの決断であった。佐世保を母港とする艦船はなくなり、旧海軍の1号ドックも返還され、貯油所と弾薬庫、佐世保艦隊基地隊の一部を残し、約3,600,000m²が返還され、基地は佐世保弾薬庫廠長の管理下に置かれることになった。1970年代のデタントの国際環境に加え、朝鮮半島の38゚線から新鋭ジェット機なら十数分という防衛上の視点と、艦船修理の技術水準が横須賀基地に劣ることが横須賀に統合される原因となったのである。ところがレーガン大統領 President Reaganになると、アメリカの外交・軍事政策は一転積極的になり、佐世保基地も21世紀へ向けての役割が再検討さることとなった。横須賀よりもインド洋や南シナ海に近く、ウラジオストックとカムラン湾を結ぶソヴィエト海上交通路の脇腹に位置し、横須賀地区より環境状況のよい燃料、弾薬の貯蔵施設の価値が見直されたのであろう
※貯油施設、弾薬庫を除いた佐世保基地の広さは594,000m²で、佐世保艦隊基地隊が管理している。貯油所岸壁のほか平瀬岸壁も米軍専用となっているが、立神地区(提供施設)の1~6号岸壁は佐世保重工業が恒常的に共同使用し、7~9号岸壁は米軍専用となっている。ドックは旧海軍の2号ドックのみ提供施設となっており、現在は海上自衛隊が共同使用している。残りの旧海軍工廠の施設は佐世保重工業に払い下げられ、かつては米軍が優先修理の権限を保有していたが、現在は解除されている。貯油施設としては貯油能力5,400,000バレルの赤崎貯油所のほか庵崎、横瀬両貯油所があり、弾薬庫は前畑の佐世保弾薬補給所と総面積1295,000m²の針尾島弾薬集積所がある。佐世保基地所属艦船は1976年以来なくなっていたが、2025年現在は強襲揚陸艦(汎用)トリポリ Tripoli(LHA-7)ドック型揚陸艦ラシュモア Rushmore(LSD-47)ドック型輸送揚陸艦ニュー・オーリンズ New Orleans(LPD-18)サン・ディエゴ San Diego(LPD-22)が所属する第11両用戦隊 Amphibious Squadron 11所属艦船初め、数隻の艦船が配属されている
2026年1月現在の佐世保基地配置図rimpeace 「追跡!在日米軍」より

↑USFA Sasebo looking south, 2008. Image courtesy of en.wikipedia.org.


ホワイト・ビーチ
※沖縄本島勝連半島の先端にあり、嘉手納基地 Kadena Air Baseの沖縄艦隊基地隊が管理している。文字通り白砂の美しい海岸で、基地の面積は1,567,000m²ある。前面は中城湾で、大艦隊を収容することができる。この基地の生命は人員、車両を一時収容するための広い空き地と2本の桟橋である。短い方は通称陸軍桟橋、長い方は海軍桟橋と呼ばれている。海軍桟橋の長さは250mあり、強襲揚陸艦も横付けできる。沖縄駐屯の海兵隊にとって、派遣交代時はもちろん、装備品、車両の揚塔、演習や有事の出動のため死活的に重要な両用作戦基地である


フィリピンのスービック湾
※マニラの西90km、バターン半島の西側スービック湾に臨むオロンガポ市 Olongapoにある。元来、スペインが開発した軍港で、米西戦争以後米海軍が拡張した。スービック湾は奥行25km、幅は2.8km~9.3kmもある天然の良港で、湾内には米海軍用の指定錨地が80もある。海軍基地は湾の東側にあり、海軍航空基地も含めた基地の面積は5,830ヘクタール、横須賀基地と厚木航空施設を合わせた面積の約8倍である。海上エリアも含めると、スービック湾米海軍基地の総面積は78,000ヘクタールになる
※1947年に締結された在比米軍基地協定は1991年まで有効であったが、1979年の改定でフィリピンが完全な主権を行使することとなり、基地司令官にはフィリピン軍参謀総長が就任した。フィリピンではクラロ M. レクト基地という。そののち1983年6月新協定が調印され、米側が施設・器材の使用、自由な作戦行動を保障される代わり、それまでの有、無償援助$500,000,000が5年間に$900,000,000の経済、軍事援助を供与することに改められた
※基地所在の主要部隊は在比米海軍司令部、スービック湾艦隊基地隊、海軍修理廠、海軍補給廠、海軍通信隊、海軍医療センター、海軍航空基地隊などで1985年時には米軍人約7,000人、軍属など約600人、フィリピン人26,000人が勤務していた。海軍修理廠は米海軍西太平洋最大の規模を誇っており、ヴェトナム戦争最盛時の1973年には月平均110隻の修理を行った実績がある。しかし、全般的技術水準は横須賀の方が高いと見られており、空母の本格的修理は米本国に回航して行っている。浮きドックは小舟艇用の1,900t型、巡洋艦・駆逐艦用の10,000t型および能力各10,000tのピースを結合した大型艦用の大型浮きドック(非自走)アーティザン Artisan(AFDB-1、ピース7基連結)があり、12隻程度の同時修理が可能。海軍補給廠は、第7艦隊の全艦艇に対する補給が可能で、基地の貯油能力は2,400,000バレルである。60kmのパイプラインにより、クラーク空軍基地 Clark Air Baseへも航空燃料を送油している。またインド洋のディエゴ・ガルシア基地に対する建設・補給支援も行っている。海軍の弾薬庫はキャマヤン・ポイントにあり、9棟で107,000立法mの容積を持つ。また弾薬運搬用桟橋も備えている。基地内の係留用バースは約40

↑Aerial view of Olongapo Naval Station (later the U.S. Naval Base Subic Bay), 1928. Image courtesy of en.wikipedia.org.

↑An aerial view of Naval Base Subic Bay, 1981. Image courtesy of en.wikipedia.org.

※スービック湾海軍航空基地はオロンガポ港の南キュービ・ポイント Cubi Pointにあり、滑走路の長さは2,700m、第7艦隊空母打撃部隊の主要基地である。当基地は空母在泊中の艦載機訓練支援のほか、P-3対潜哨戒機による哨戒、監視が主要任務であった。基地隊には航空機エンジン修理工場をはじめ各修理ショップが完備しており、46,000tの弾薬貯蔵能力、40,000バレルの貯油能力がある
※スービック湾は日本および韓国から約3,000km、カムラン湾から1,300kmの距離にあり、南シナ海からインド洋に通じる自由陣営のシーレーン防衛上の要衝である。この戦略的位置に加え、あらゆる型の戦闘を演練する陸上訓練施設、射爆場、ゲリラ戦訓練施設など艦艇、航空機、海兵隊の訓練施設が完備している。レクリエーション施設も海軍基地、航空基地およびグランデ島に完備している。スービック湾北西の南シナ海寄りにあるサン・ミグエル基地の海軍通信所は1,500浬の範囲内にとどく高周波無線送信施設である

↑An aerial view of Cubi Point, and in the background, Naval Station Subic Bay. Image courtesy of en.wikipedia.org.

※両基地は1991年11月26日に返還された。1992年のクラーク空軍基地の閉鎖後、フィリピン政府によってスービック湾自由港区域 Subic Bay Freeport Zoneに転換された。2022年後半、フィリピン海軍が基地の一部を再占領し、米国の投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメント Cerberus Capital Managementが残りの港を購入したのち、強化防衛協力協定に基づいて基地を再開する計画が浮上した。1992年のクラーク空軍基地の閉鎖後、フィリピン政府によって スービック湾自由港区域 Subic Bay Freeport Zoneに転換された。2022年、中国との緊張が高まる中、米国とフィリピン政府は米軍の施設復帰に向けた準備をひそかに開始した


グアムのアプラ基地


英領チャゴス島のディエゴ・ガルシア基地


Update 26/01/02