日付 |
主な出来事 |
1937 |
VMFA-211は1937年1月1日にカリフォルニア州サン・ディエゴ海軍航空基地 NAS San Diegoで第4海兵戦闘飛行隊(Marine
Fighting Squadron 4: VF-4M)として就役した。以前のVF-4Mは1931年に就役し、1933年に閉隊したが、1935年にVF-8Mとして再指定された。1937年7月1日、VF-4Mは第2海兵戦闘飛行隊(Marine
Fighting Squadron 2: VMF-2)に再指定され、その年の終わりまでに、F3F-1とさらに古いF2F-1に取って代わるグラマンF3F-2を完全に装備し直した。飛行隊はサン・ディエゴにいる間、毎年恒例の艦隊問題 Fleet Problemsに参加し、 映画「急降下爆撃隊 Dive Bomber」の製作にも参加した。ヘンリー・エルロッド Henry Elrod、ロバート・ゲーラー Robert Galer、グレゴリー・ボイントン Gregory Boyingtonなど、のちに名誉勲章 Medal of Honorを受章する数名がこの時期に飛行隊に所属していた。1941年1月、飛行隊はハワイのエワ海兵航空基地
MCAS Ewaに移転し、1941年7月1日に第211海兵戦闘飛行隊VMF-211に再指定された |
1941/11 |
1941年11月、VMF-211は24機のF4F-3ワイルドキャットのうち12機と29人のパイロットのうち13人を航空母艦エンタープライズ Enterprise(CV-6)に乗せ、飛行隊の英雄的戦いの舞台となったウェーク島へ移動した。そののち2週間にわたり、残りの5機は数々の攻撃を撃退し、敵に多大な損害を与えた。この防衛の過程で、海兵隊地上部隊とVMF-211は、太平洋戦争中に撃沈された最初の主要な日本海軍艦艇を含む、少なくとも4隻の敵軍艦を喪失させた。また、飛行隊は8機の航空機を撃墜した。最後の航空機を失ったのち、飛行隊は地上部隊となり、環礁降伏まで戦った。 第二次大戦で名誉勲章を授与された最初の海兵隊飛行士は、VMF-211のヘンリー T. エルロッドである。ウェーク島を強化するために計画された作戦は、艦隊司令部によって危険すぎると判断され、12月23日、ウェーク島はついに数で勝る敵に制圧された |
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エワ海兵隊航空基地にあった飛行隊の後方部隊は、真珠湾攻撃で12機のF4F-3のうち1機を除いてすべてを失い、この唯一の生き残りさえも海軍に移管されたときに失われた。1942年2月、この飛行隊は後に名誉勲章を受章するハロルド
W. バウアー Harold W. Bauerの指揮下に入った。人員と航空機が利用可能になるにつれてゆっくりと再建され、ルーサー S. ムーア少佐
Major Luther S. Mooreの指揮下に入った飛行隊は、1942年4月にロープ諸島のパルミラ環礁に配備され、ウェーク島で死亡または捕虜となった飛行隊員を記念して“アヴェンジャーズ
Avengers”という名称を採用した。最初に配備されたとき、VMF-211はブリュースターF2A-3を装備していたが、飛行隊の装備を変更するのに十分な数のグラマンF4F-4ワイルドキャットが利用できるようになったのは7月になってからであった。太平洋戦争が続く中、飛行隊は戦争の残りの期間、F4Uコルセアに移行した。VMF-211はトレジャリー-ブーゲンヴィル作戦、ビスマーク海の戦い、北ソロモン、レイテ湾の戦い、南フィリピン作戦に参加した |
1948/12 |
第二次大戦後、VMF-211は中国占領作戦に参加し、1948年12月の共産党政権樹立前に中国から撤退するアメリカ軍の援護を行った。この行動後、同部隊は1949年にノース・カロライナ州イーデントン海兵補助飛行場 MCAAF Edentonに戻った。1952年6月30日に大型航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVB-43)に乗艦中、飛行隊はAD-4Nスカイレイダーへの移行時に第211海兵攻撃飛行隊(Marine Attack Squadron 211: VMA-211)に改称された。1957年に、飛行隊は最初のA4D-1スカイホークを受領し、そののち1958年に日本の岩国海兵航空基地に移転。VMA-211はスカイホークのいくつかの派生型を飛行し、1958年にA4D-2(A-4B)、1960年にA4D-2N(A-4C)、1964年にA-4E、1976年にA-4Mを受領した |
1965 |
ベトナム戦争の激化に伴い、VMA-211は1965年に岩国へ移転し、南ヴェトナムのチュー・ライ基地 Chu Lai Air Baseへの4回の派遣のうちの最初の派遣を開始した。1967年8月25日、F.
H. サーストン中佐が飛行隊長 LtCol. F.H. Thurstonに就任 |
1972 |
VMA-211は1972年の春に那覇空軍基地 Naha Air Force Baseに展開し、1972年5月16日に南ヴェトナムのビエン・ホア空軍基地 Bien Hoa Air Baseに再展開した。この飛行隊は、A-37Bドラゴンフライを運用する米空軍第8特殊作戦飛行隊 USAF 8th Special Operations Squadronと、ショー空軍基地 Shaw AFBから派遣され、北ヴェトナム人民軍(PAVN)によるイースター攻勢への作戦支援に従事するF-4戦闘機部隊の増援となった |
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ビエン・ホアに駐留していたもう一つの部隊は、AH-1コブラ・ガンシップ飛行隊だった。 3つの軍種を代表する4つの飛行隊は、アンロック包囲における北ヴェトナム軍の攻勢を鈍らせ、そののち撃退する上で大きな貢献を果たし、戦争で初めて投入された北ヴェトナム軍の装甲車両を多数破壊。VMA
211のA-4Eは、アン・ロック An Lộcとその周辺地域で包囲された地上部隊への近接航空支援において非常に貴重な存在だった。1976年8月、飛行隊はエル・トロ海兵航空基地
MCAS El Toroに帰還 |
1987/9 |
1987年9月、飛行隊はマクドネル・ダグラスA-4スカイホークの飛行30周年を祝った。VMA-211はウェストパックへのUDPローテーションののち、1987年12月10日にアリゾナ州ユマ海兵航空基地
MCAS Yumaに移転し、第13海兵航空群(Marine Aircraft Group 13: MAG-13)に合流した。1989年にA-4Mスカイホークでの最後の海外派遣を成功裏に終えたのち、VMA-211はAV-8B(NA)への移行準備のため、これらの航空機を第4海兵航空団 4th Marine Aircraft Wingに移し始めた。1990年6月、飛行隊はハリアーIIの夜間攻撃型に乗り始めた。 この間、“アヴェンジャーズ”は1995年、1996年、1998年の3回、海兵隊航空協会の“年間最優秀攻撃飛行隊 Attack Squadron
of the Year”に選ばれた |
2000/9 |
2000年9月、同飛行隊はハリアーIIの最新型、AV-8BハリアーII+レーダー機の導入を開始した。同飛行隊は間もなく、レーダー攻撃機と夜間攻撃機両方のハリアーIIを配備した |
2001/9 |
9月11日の同時多発テロののち、飛行隊は強襲揚陸艦(多目的)ボノム・リシャール Bonhomme Richard(LHD-6)とともにアラビア海に展開した。“アヴェンジャーズ”は“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”に参加し、2002年1月から3月までアフガニスタンの標的に対する戦闘任務に就いた |
2002/1 |
しばらくの休暇の後、翌年1月、“アヴェンジャーズ”はボノム・リシャールに乗艦した。このとき飛行隊は、“イラクの自由作戦 Operation Iraqi
Freedom(OIF)”を支援するため、ペルシャ湾に向かった。ヶ月の戦闘飛行で、飛行隊は360回以上出撃し、飛行時間は640時間を超えた。同飛行隊は2003年5月にユマ海兵航空基地に帰還した |
2004/10 |
同飛行隊は2004年10月から2005年2月まで強襲揚陸艦(多目的)エセックス Essex(LHD-2)からイラクに展開し、アル・アサド空軍基地 Al Asad Air Baseを拠点とした。2005年10月から2006年1月まで、OIF支援のため強襲揚陸艦(汎用)タラワ Tarawa(LHA-1)からふたたびアル・アサドに展開した |
2006/9 |
2006年9月、“アヴェンジャーズ”はふたたび“イラクの自由作戦”を支援するため、アル・アサド空軍基地に派遣された。2009年1月から8月まで、“アヴェンジャーズ”飛行隊は第31海兵遠征部隊の一員としてエセックスに搭載され、ふたたび派遣された |
2012/4 |
2012年4月、“アヴェンジャーズ”は“不朽の自由作戦”を支援するために派遣され、7月にカンダハール飛行場 Kandahar Airfieldから英国が運営するキャンプ・バスティオン
Camp Bastionに移動した。 |
2012/9 |
キャンプ・バスティオン滞在中の9月、“アヴェンジャーズ”は基地への攻撃でハリアーII6機が破壊され、2機が大破した。また、中隊長のクリストファー
K. レイブル中佐 Lt. Col. Christopher K. Raibleを含む2名の海兵隊員が死亡した |
2003/1/15 |
2014年9月、“アヴェンジャーズ”は2015年4月までイラクとシリアでのテロとの戦いを支援するためにバーレーンに展開した |
2016/5 |
“アヴェンジャーズ”は2016年5月6日にAV-8BハリアーIIの最後の飛行を実施し、5月9日に最初の2機のF-35BライトニングIIを受領した。2016年6月30日、VMA-211はVMFA-211として再指定され、F-35BライトニングIIを主力機として運用する海兵隊で2番目の艦隊飛行隊となった |
2018/9 |
2018年9月、VMFA-211は米国中央軍作戦地域に展開するエセックス両用即応群 Essex Amphibious Ready Groupの一部としてエセックスに配備された。2018年9月27日、エセックスのF-35Bがアフガニスタンのタリバン陣地に対して精密誘導爆弾を使用した空爆を実施し、F-35の米国初の戦闘使用となった |
2020/9 |
2020年9月4日、同飛行隊は10機のF-35Bとともにイギリスのマーハム空軍基地 RAF Marhamに配備された。同飛行隊はイギリス空軍の第617飛行隊
617 Squadronとともに訓練を行い、2021年のイギリス空母打撃群のデビュー配備の際に、両飛行隊が航空母艦Queen Elizabeth(R.08)に乗艦する固定翼部隊を構成する配備に備えた |
2025/5 |
海兵隊はユマ海兵航空基地から、VMFA-211のF-35Bを岩国海兵航空基地にUDP(Unit Deployment Program)展開させた。2025年5月10日に現地入り、6
ヶ月間の派遣任務を予定している。これで日本には海兵隊のF-35B飛行隊が4個となる |
VMA-211のこれらの海兵隊員は、空中戦で5機以上の敵機を撃墜した飛行エースである
ジョン C. ハンドリー John C. Hundley→6.0機
ジュリアス W. アイルランド Julius W. Ireland→5.333機 |
受賞歴
大統領部隊表彰、ブロンズ・スター3個 Presidential Unit Citation with three bronze stars
海軍部隊表彰、シルヴァー・スター1個、ブロンズ・スター1個 Navy Unit Commendation with one silver and
one bronze star
功績部隊表彰 Meritorious Unit Citation
“BASE”クラスプ付アメリカ国防功労勲章 American Defense Service Medal with "BASE"
clasp
“WAKE ISLAND”クラスプ付海兵隊遠征章 Marine Corps Expeditionary Medal with "WAKE
ISLAND" clasp
アジア太平洋キャンペーン・メダル、バトル・スター7個 Asiatic-Pacific Campaign Medal with seven battle
stars
第二次大戦勝利勲章 World War II Victory Medal
中国功労勲章 China Service Medal
国防功労章、ブロンズ・スター3個 National Defense Service Medal with three bronze stars
 ヴェトナム従軍記章、シルヴァー・スター2個、ブロンズ・スター2個 Vietnam Service Medal with two silver
and two bronze campaign stars
 アフガニスタン・キャンペーン・メダル、キャンペーン・スター1個 Afghanistan Campaign Medal with one campaign
star
 イラク・キャンペーン・メダル、キャンペーン・スター4個 Iraq Campaign Medal with four campaign stars
 世界テロリズム戦争遠征章 Global War on Terrorism Expeditionary Medal
 世界テロリズム戦争従軍章 Global War on Terrorism Service Medal
 ヴェトナム勇敢十字章 Vietnam Cross of Gallantry with palm
 ヴェトナム共和国キャンペーン・メダル Republic of Vietnam Campaign Medal |