海兵戦術電子戦飛行隊 Marine Tactical Electronics Warfare Squadron
| アイコン | 意味 |
| 戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
| 戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
| 映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
| 参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
| インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
| 不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第1海兵戦術電子戦訓練飛行隊(Marine Tactical Electronic Warfare Training Squadron 1: VMAQT-1)は、EA-6Bプラウラーで編成されたアメリカ海兵隊の電子戦訓練飛行隊である。同飛行隊はノース・カロライナ州チェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointを拠点とし、第14海兵航空群(Marine Aircraft Group 14: MAG-14)および第2海兵航空団(2nd Marine Aircraft Wing: 2nd MAW)の指揮下に置かれていた。VMAQT-1の徽章は、死を予言するアイルランド神話上の存在“バンシー Banshee”であった。そのモットーは“Tairngreacht Bas”(ゲール語で“死の予言”を意味する)であった
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
| 所在地 | 駐留日 |
| K-3 | 1952/9/15 |
| 日付 | 主な出来事 |
| 統合部隊司令官の指示に基づき、海兵隊部隊作戦または他部隊を支援するため、空中電子戦を実施する。これには、電子妨害および高速対放射性ミサイル(High-Speed Anti-Radiation: HARM)を用いた敵レーダーおよび地対空ミサイルの制圧、ならびに受動的電子支援任務における戦術的電子情報収集が含まれる (↑AGM-88HARM) |
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| 1952/9 | 第1海兵混成飛行隊(Marine Composite Squadron One: VMC-1)は1952年9月15日、第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)第2海兵航空管制群 Marine Air Control Group 2の一環として、韓国・K-3空軍基地 K-3 Air Baseにて編成された。その任務は戦闘作戦を支援するための空中早期警戒および電子戦活動の実施であった。 |
| 1960年代 | 1960年代から1970年代初めにかけて、VMCJ-1はヴェトナム戦争において広範な任務に従事した。1964年4月14日から1965年12月16日にかけて、同飛行隊は攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)、コンステレーション Constellation(CVA-64)、コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)、オリスカニー Oriskany(CVA-34)からRF-8Aクルーセイダーを運用し、写真偵察任務を遂行した。1965年4月、VMCJ-1は日本の岩国海兵隊航空基地 MCAS IwakuniからEF-10Bを移送し、ダ・ナン空軍基地 Da Nang Air Baseの第16海兵航空群 Marine Aircraft Group 16に合流。ヴェトナムにおける地対空ミサイルの増加に対抗した。同年7月には、VMCJ-1所属のEF-10Bスカイナイト6機が史上初の地対空ミサイル基地攻撃作戦を支援した。1966年11月、グラマンEA-6Aエレクトリック・イントルーダーがダ・ナンに配備され、ハノイやハイフォンまで北上する戦闘任務を遂行。やがてEF-10Bは段階的に退役した。VMCJ-1はRF-8Aクルーセイダーを退役させ、写真偵察任務遂行のためRF-4BファントムIIを受領した。ふたたびVMCJ-1は、朝鮮戦争で第5航空軍 5th AFに対して写真偵察を行ったのと同様に、USMACV(米国軍事支援司令部)のための地域偵察および電子戦任務の大部分を担当した。VMCJ-1はB-52の護衛、戦術空爆支援、あらゆる形態の電子情報収集を実施した。写真偵察分野では、VMCJ-1は“画像情報 imagery intelligence”と呼ばれる高度に洗練された科学技術を活用して活動していた。ヴェトナムからの撤収後、VMCJ-1はふたたび海軍空母から任務を遂行した。1973年9月11日から1975年12月31日まで、VMCJ-1およびVMCJ-1第101分遣隊 VMCJ-1 Det. 101は攻撃航空母艦ミッドウェー(CVA-41)から任務を実施した |
| ヴェトナム戦争後、混成部隊は再編成され、第2海兵戦術電子戦飛行隊(Marine Tactical Electronic Warfare Squadron Two: VMAQ-2)と第3海兵写真偵察飛行隊(Marine Photo-Reconnaissance Squadron Three: VMFP-3)に分割された。VMCJ各部隊の要員と航空機は分割され、より大規模なVMAQ-2/VMFP-3飛行隊内のアルファ〜チャーリー分遣隊 detachments Alpha through Charlieとして再編成された。EA-6Aを運用するVMAQ-2分遣隊A VMAQ-2, Detachment Aは、ミッドウェー空母航空団 USS Midway Carrier Air Wingを支援するため、トンキン湾から朝鮮半島にかけて作戦を展開する姉妹分遣隊と交代で任務に就いた。EA-6Bを運用する分遣隊Aは分遣隊X detachment Xに改称された。“砂漠の盾作戦/砂漠の嵐作戦 Operation Desert Shield/Desert Storm”期間中、分遣隊Xは西太平洋監視任務を維持するため、通常6ヶ月のローテーションを13ヶ月に延長するよう要請を受けた。“砂漠の嵐作戦”終了後、電子攻撃戦力の重要性と不足がようやく認識された。これにより、元の3つの電子戦飛行隊体制への再編が決定された。さらに、予備の第4海兵戦術電子戦飛行隊(Marine Tactical Electronic Warfare Squadron Four: VMAQ-4)を活性化することで第4飛行隊が追加された。岩国海兵航空基地(日本)に展開中、VMAQ-2分遣隊X-rayは1992年7月1日に第1海兵戦術電子戦飛行隊 Marine Tactical Electronic Warfare Squadron 1として再編成され、海兵隊部隊および連合作戦/合同作戦を支援する電子戦任務を遂行することとなった | |
| 1995/9 | 1995年9月、VMAQ-1はイタリアのアヴィアーノ空軍基地 Aviano Air Baseに6か月間展開し、1996年3月までボスニア・ヘルツェゴヴィナ上空での“デナイ・フライト作戦 Operation Deny Flight”および“ディサイシヴ・エンデヴァー作戦 Operation Decisive Endeavor”を支援した |
| 1997/7 | 1997年7月、VMAQ-1は“ノーザン・ウォッチ作戦 Operation Northern Watch(ONW)”支援のため、インシルリク空軍基地 Incirlik Air Baseへの初の6ヶ月間EA-6Bデプロイメントを実施。1,000時間以上、200回の戦闘出撃を遂行した |
| 1998/12 | 1998年12月、VMAQ-1はふたたびONW支援のためインシルリク空軍基地に7ヶ月間デプロイメントし、1,100時間以上、236回の戦闘出撃を遂行。展開中、VMAQ-1はアヴィアーノ空軍基地へ再展開し、連合軍作戦支援のためVMAQ-2を支援するよう要請を受けた |
| 2000/9 | 2000年9月、VMAQ-1は共同EA-6Bデプロイメント計画の一環として、“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch(OSW)”支援のためサウジ・アラビアのプリンス・スルタン空軍基地 Prince Sultan Airbaseに展開した |
| 2001/8 | 2001年8月、VMAQ-1は“ノーザン・ウォッチ作戦”支援のためインシルリク空軍基地に展開。530時間以上、160回の戦闘出撃を記録。この間、イラク防空施設への複数回の攻撃を支援 |
| 2002/5 | 2002年5月、VMAQ-1は統合EA-6Bデプロイメント計画の一環として、“サザン・ウォッチ作戦(OSW)”支援のためサウジ・アラビアのプリンス・スルタン空軍基地に展開した |
| 2004/4 | 2004年4月、VMAQ-1は日本・岩国海兵航空基地にデプロイメントした |
| 2003/2 | 2003年2月、VMAQ-1は“サザン・ウォッチ作戦”支援のためプリンス・スルタン空軍基地にデプロイメントし、到着後間もなく“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”支援に移行した。7週間で飛行隊の航空要員と航空機は1,129時間の戦闘飛行と197回の戦闘出撃を遂行した |
| 2005/8 | 2005年8月、同飛行隊は第2海兵遠征軍(II MEF)の一員としてふたたびイラク・アルアサド基地 Al-Asad Air Baseにデプロイメントし、地上部隊の海兵隊員および陸軍兵士を保護するための非殺傷性火力支援を提供した。プラウラーは搭載の特殊装備を用いて敵の通信を妨害したり能力を無力化したりする攻撃を行う。このデプロイメント期間中、800回以上の戦闘任務を遂行し、3,000時間以上の戦闘飛行時間を記録。整備班は41,000時間以上の整備を実施した。同飛行隊は2006年2月上旬までにチェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointへ帰還した |
| 2007/1 | 2007年1月、同飛行隊はふたたびイラク・アルアサド空軍基地へデプロイメントした |
| 2008/7 | 2008年7月、同飛行隊はふたたびアルアサド空軍基地へデプロイメントした |
| 2009/9 | 2009年9月、同飛行隊は初めてアフガニスタン・バグラム飛行場 Bagram Airfieldへデプロイメントした |
| 2011 | 2011年、リビアにおけるNATO“ユニファイド・プロテクター作戦 Operation Unified Protector”支援のため、飛行隊はイタリア・アヴィアーノ空軍基地へデプロイメントした。そののち、2011年11月には“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”支援のため、ふたたびアフガニスタン・バグラム飛行場へ再デプロイメントした |
| 2013 | 2013年、VMAQ-1は訓練飛行隊に再編成され、2016年までプラウラー作戦を支援した |
部隊表彰または部隊表彰状とは、特定の行動に対して組織に授与される勲章である。当該行動に参加した部隊員は、授与された部隊表彰を制服に装着することが認められる。VMAQ-1は下記の勲章を受章している: |
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Update 25/11/02