VFA
戦闘攻撃飛行隊 Fighter Attack Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)。Fighter Attack Squadronは1983年にStrike Fighter Squadronに改称された
※1952年5月1日に設立。2005年2月に第103戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron 154: VFA-103)に改編。ニックネームはSluggers(1952年~?)、Flying Cougars(?~1957年)、Sluggers(1957年~1995年)、Jolly Rogers(1995年~)

↑Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Cecil Field 1952/5/1
NAS Oceana
航空機の割り当て 初受領日
FG-1D 1952/5/1
F9F-6
F9F-8B
F8U-1 1957
F8U-2
F-8E 1964
F-4B
F-4J 1968
F-4S 1981
F-14A 1983/1
F-14B 1989
F/A-18F 2006
F8U-2の呼称は1962年にF-8Cに変更された
日付 主な出来事
1952/5/1 VF-103(“スラッガー Sluggers”)は1952年5月1日に活動開始し、FG-1Dを装備。同飛行隊は第10空母航空群(Carrier Air Group 10: CVG-10)に配属され、1952年末に攻撃航空母艦レイク・シャンプレーン Lake Champlain(CVA-39)で短期クルーズを行った。そののち、VF-103はF9F-6に移行し、“フライング・クーガーズ Flying Cougars”の愛称を採用した。CVG-10は攻撃航空母艦ランドルフ Randolph(CVA-15)のシェイクダウン・クルーズに参加し、1953年8月から11月にかけてカリブ海で再活性化。そののち、航空団は攻撃航空母艦コーラル・シー(CVA-43)に配置転換され、VF-103はF9F-8Bを装備した。空母は1956年8月から1957年2月にかけて地中海に展開した。これが、VF-103がストレートデッキの空母から運用された最後の機会であった
1957 1957年、VF-103は超音速機F8U-1に移行する最初の飛行隊の1つで、“スラッガーズ”と改名された。移行が完了すると、彼らは攻撃航空母艦フォレスタル Forrestal(CVA-59)艦上でVF-102とチームを組むことになった。クルーセイダー導入以前は、イギリス空軍(RAF)のイングリッシュ・エレクトリック・キャンベラが米空母への模擬攻撃を平気で行っていたため、連合軍の演習で米海軍空母戦闘群はしばしば英国爆撃機に恥をかかされていた。当時、米軍の戦闘機は単に抵抗ができないだけだった。1958年の地中海クルーズでは、模擬攻撃を開始する前にVF-103がキャンベラの編隊を切り裂いたので、イギリスのパイロットたちは驚いた
1958 フォレスタルとVF-103は1958年のレバノン危機の際に地中海に派遣されたが、空母が駐留地に到着する前に危機は去っていた。そののち、1958年9月から1959年3月にかけて定期配備が行われた。のちに宇宙飛行士となるジョン W. ヤング John W. Youngはこのクルーズ中に飛行隊員として参加していた
1960 VF-103はF8U-2(1962年以降はF-8C)を再装備し、フォレスタルに所属しながらもCVG-8に再配属。1960年、1961年、1964年~1965年の3回、地中海に派遣
1964 1964年、飛行隊はF-8Eに再装備された。1964~1965年のクルーズは、VF-103がF-8Eと新しく導入されたF-4Bの両方を飛行させたため、重要なものとなった。VF-103は19年間ファントムIIを飛行させることになる
1965 1965年から1980年まで、VF-103はVF-103は第3空母航空団(Carrier Air Wing 3: CVW-3)に配属。1984年からは第17空母航空団(Carrier Air Wing 17: CVW-17)の一部として、1965年から1994年まで攻撃航空母艦サラトガ Saratoga(CVA-60)に配属。VF-103はサラトガで地中海に15回、さらに1982年にフォレスタルに1回配備された。VF-103は、1968年にF-4Jに移行するまでF-4Bを使用。1981年、同飛行隊はF-4Sを再装備した
1972/8/10 北ヴェトナムが南ヴェトナムへのイースター攻勢を開始したとき、サラトガはヴェトナム沿岸に配備され、ラインバッカー作戦に参加した。1972年8月10日、ロバート・タッカー中佐 Lieutenant Commander Robert Tuckerとスタンリー・エデンス中尉 Lieutenant Junior Grade Stanley Edensは、夜間迎撃時にAIM-7でMiG-21を撃墜した。これはスパローを使用した最初の夜間ミグ撃墜であった
1983/1 1983年1月、VF-103はF-14Aに移行する最後の戦闘飛行隊のひとつとなった。同飛行隊は1ヵ月後、東海岸初の戦闘飛行隊による低空AIM-54射撃を実施した
1985/1 VF-103とVF-74はクルーズ船アキレ・ラウロ Achille Lauroのハイジャック犯を乗せたエジプトのボーイング737のインターセプトに参加した。VF-74とVF-103による長距離夜間迎撃の際、737はシチリア島の海軍航空基地シゴネラに強制着陸させられた。テロリストはイタリアの拘束下に置かれ、裁判にかけられ、判決を受けた
1986春 VF-103と他の飛行隊は、1986年春、“アテイン・ドキュメント作戦 Operation Attain Document”と“エルドラド・キャニオン作戦 Operation El Dorado Canyon”に参加
1989 1989年、VF-103はF-14A+(のちにF-14Bと再指定)に移行した
1990/8 クウェートがイラクに侵攻された1990年8月、汎用航空母艦サラトガ(CV-60)は地中海におり、すぐに紅海で原子力汎用航空母艦ドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)と合流。VF-84は、“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”と“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”の際、原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)空母戦闘群(Carrier Battle Group: CBG)の一員となった。VF-103とVF-74は、湾岸戦争で使用された戦闘機の戦術を開発するために協力し合った。1991年1月に戦争が始まると、VF-103は航空団のストライク・パッケージの戦闘機護衛、偵察と爆弾被害評価、戦闘航空哨戒を実施。戦争開始4日目、護衛任務中のVF-103のF-14A+がSA-2地対空ミサイルと思われるものによって撃墜された。機体から脱出したレーダー迎撃士官(Radar Intercept Officer)のラリー・スレイド大尉 Lieutenant Larry Sladeはイラク軍に捕らえられ、捕虜としてバグダッドで終戦まで拘束された。パイロットのデヴォン・ジョーンズ大尉 Lieutenant Devon Jonesは捕虜となることを免れ、敵地深くで8時間後、アメリカ空軍特殊作戦部隊 USAF Special Operations Forcesに救出された
1995/10/1 VF-84は解体され、“ジョリー・ロジャース Jolly Rogers”は終わりを告げた。“ジョリー・ロジャース”の徽章がアメリカ海軍航空隊から消えてしまうことを嫌ったVF-103は、“スラッガーズ”の名称を廃止し、VF-84が以前使用していた“ジョリー・ロジャース”の名称と徽章を採用することを要請した
1995 VF-103はアメリカ空軍のターゲット・ポッドLow Altitude Navigation and Targeting Infrared for Night: LANTIRNのフリート・フィージビリティ・テストを実施し、ラピッド・プロトタイピング・イニシアチヴとして、トムキャット・コミュニティに“LANTIRN”を採用することになった
1996 1996年夏に原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)と一緒に配備されたとき、VF-103は“LANTIRN”ターゲティングポッドを運用サーヴィスに導入した最初のトムキャット飛行隊となった。“LANTIRN”は、自律的な精密打撃能力を提供することで、F-14の打撃能力を根本的に向上させた
1997 VF-103はエンタープライズからドワイト D. アイゼンハワーに移る
1998/6 コソヴォでのNATO活動を支援するために旧ユーゴスラヴィアに出航。11月には、イラクの攻撃的な姿勢に対応するため、ペルシャ湾に移動
2002/6 2002年6月、VF-103と原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)は北アラビア海とペルシャ湾に展開し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”と“サザン・ウォッチ作戦 Operation Southern Watch”に参加した。VF-103はアフガニスタンで連合軍を支援し、近接航空支援 flying Close Air Support、前方航空管制 Forward Air Controller、TARPSの任務を遂行。2003年初頭の“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”開始時には、VF-103はすでに帰国の途に就いていた
2004/7/10 2004年7月10日、VF-103は汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)とともに最後のトムキャット・クルーズのためにペルシャ湾に戻り、その10日後に反乱軍の陣地を爆撃した
2004/10 2004年10月には“ファントム・フューリー作戦 Operation Phantom Fury”に参加し、第1海兵遠征軍 1st Marine Expeditionary Forceとイラク軍兵士のためにファルージャ上空で航空支援をおこなった。あるミッションでは、VF-103のF-14がAH-1WのAGM-114をレーザーで指定し、反乱軍が身を隠している建物を破壊。この作戦は、これまでヘルファイアで試みられたことはなかったが、ミサイルはビルに命中し、アメリカ軍が受けていた敵の攻撃を無効化することに成功した。F-14のクルーは、GBU-12レーザー誘導爆弾の追加投下を命じられ、建物を平らにした。別のミッションでは、地上で戦う海兵隊に航空支援が要請された。VF-103のF-14は近接航空支援を行ったが、油圧ラインの破裂に見舞われた。F-14は飛行中の緊急事態を宣言し、アル・アサド飛行場 Al Asad Air Baseに無事着陸した。右側エンジンを取り外す必要があったため、基地での修理には数日を要し、そののち、クルーはF-14をジョン F. ケネディに帰還させた
2004/12 VF-103はCVW-17と共にジョン F. ケネディに最後の派遣を行い、2004年12月にオシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaへ戻ったのち、F-14Bを退役させてF/A-18Fへの移行と第7空母航空団(Carrier Air Wing 7: CVW-7)への移行を始めた。F/A-18Fへの移行に伴い、2005年2月に正式にVFA-103として再指定された
2006 F/A-18Fとの最初の配備は2006年に開始され、2007年の春に終了
2001 ドワイト D. アイゼンハワーとのクルーズ中、VFA-103とVFA-143はイラク自由作戦、不朽の自由作戦、ソマリア沖での作戦を支援し、VFA-131とVFA-83と合わせて140個の精密誘導武器を投下し、70近くのストラフティング・ラン strafing runsを行ってる。この展開での優れたパフォーマンスにより、VFA-103は2006年と2007年にAIRLANT Battle "E" および2007年にアメリカ海軍最高の攻撃隊としてWade McClusky Awardを獲得
2008 ジョージ・ワシントンが汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)と交代で太平洋を航行するため、VFA-103は一時的にCVW-17に乗り込んだ
2009/2/1 VFA-103とCVW-7はドワイト D. アイゼンハワーに乗艦し、ペルシャ湾での不朽の自由作戦と海上安全保障活動を支援するために展開した。2009年7月30日、ドワイト D. アイゼンハワーはほぼ6ヶ月間の展開後ノーフォーク海軍基地 Naval Station Norfolkへ帰艦した
2010/1/2 2010年1月2日、VFA-103とCVW-7はドワイト D. アイゼンハワーに乗艦し、第5艦隊と第6艦隊 5th and 6th Fleetの作戦を支援するために6ヶ月間派遣された。2010年7月27日、飛行隊は最新の展開を終えオシアナ海軍航空基地に帰投
2012 メンテナンスとワークアップサイクルを成功させたのち、VFA-103は2012年6月22日にCVW-7とともにドワイト D. アイゼンハワーに乗艦し、第5艦隊作戦地域での9ヶ月間の派遣を予定していた。しかし、作戦要件の変更により、VFA-103、CVW-7、ドワイト D. アイゼンハワーは2012年12月21日にオシアナ海軍航空基地へ戻り、そののちすぐに海へ戻るための整備を実施。VFA-103は短いターンアラウンドののち、2013年2月21日に海に戻り、CVW-7と第8空母打撃群(Carrier Strike Group 8: CSG-8)とともに、第5艦隊作戦区域での作戦を支援。不朽の自由作戦とペルシャ湾プレゼンス作戦を支援するため、合計11ヶ月間海上で活動したのち、2013年7月3日にオシアナ海軍航空基地に帰還
“ジョリー・ロジャース”の70周年を記念して、同飛行隊は非常によく知られているドクロとクロスボーンの徽章の大規模な再設計を行い、オリジナルのVF-17パッチ、カラー、尾翼を採用することを選択
2016/6 ジョリー・ロジャースのF/A-18Fは、2016年6月に原子力汎用航空母艦ハリー S. トルーマン Harry S. Truman(CVN-75)から発進し、イラクとシリアのダーイッシュ Daeshの標的を攻撃する“インヒアレント・リゾルヴ作戦 Operation Inherent Resolve”に参加しているのが目撃されており、複数の航空機が戦闘空爆で投下された弾薬を表す爆弾シルエットで機体前部を覆うという、激しい戦闘の痕跡を示している
ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズの映画「プレーンズ Planes」に登場する架空の飛行隊“ジョリー・レンチズ Jolly Wrenches”は、同じカラーリングを使用しているが、ドクロとクロスボーンがピストンヘッドとレンチに置き換わっている

↑ATLANTIC OCEAN (Dec. 6, 2023) - An F/A-18E/F Super Hornet from Strike Fighter Squadron (VFA) 103 performs a touch and go aboard the Nimitz-class aircraft carrier USS George Washington (CVN-73), Dec. 6, 2023. George Washington is underway in support of carrier qualifications. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class August Clawson)

↑ATLANTIC OCEAN (Sept. 24, 2023) - An F/A-18F Super Hornet from Strike Fighter Squadron (VFA) 103 flies over the Nimitz-class aircraft carrier USS George Washington (CVN-73) during friends and family day in the Atlantic Ocean, Sept. 24, 2023. George Washington is homeported at Naval Station Norfolk and is undergoing an inspection and survey, a comprehensive evaluation of the material condition of the ship to ensure its fully prepared for sea operations. (U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist Seaman August Clawson)


Update 23/12/12