VF
戦闘飛行隊 Fighter Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※ABは飛行場(Air Base)の略。MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NAFは海軍航空施設(Naval Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※第51戦闘飛行隊(Fighter Squadron 51: VF-51)は、“スクリーミング・イーグルス Screaming Eagles”の愛称で知られるアメリカ海軍の飛行隊だった。同部隊は1943年2月1日にVF-1として編成され、そののちVF-5(1943年7月15日)、VF-5A(1946年11月15日)、VF-51(1948年8月16日)へと順次改称・改編を経て、1995年3月に閉隊。閉隊されるまで、VF-51は太平洋艦隊 Pacific Fleetにおいて継続的に運用されていた部隊の中で、最も歴史の古い戦闘飛行隊だった

↑VF-51 squadron patch. Image courtesy of en.wikipedia.org.

所在地 駐留日
NAS Alameda
航空機の割り当て 初受領日
FJ-1 1947
F9F-3
F-8
F-4 1971
F-14A 1978
日付 主な出来事
1927 VF-51のルーツは1927年にまで遡る。当時、カーチスF6C-4を運用していたVF-3S“ストライキング・イーグルス Striking Eagles”において、“スクリーミング・イーグルス Screaming Eagles”の部隊章が既に使用されていた
1947/10 1947年10月、“スクリーミング・イーグルス”はノース・アメリカンFJ-1フューリーの受領に伴い、海軍で初めてジェット機を運用する飛行隊となった。同隊はこの戦闘機を使用し、1948年3月10日に航空母艦ボクサー Boxer(CV-21)艦上で、米海軍初となるジェット機による実戦的な洋上着艦を実施した。そののち、VF-51はグラマンF9F-3パンサーへと機種を更新した
1950/7 1950年7月3日、VF-51は航空母艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(CV-45)から発艦し、艦上ジェット機を実戦に投入した最初の飛行隊の一つとなった
1950/7 同日、レナード H. プログ海軍中尉 LTJG. Leonard H. Plogは、離陸中の北朝鮮軍機Yak-9に命中弾を与えてその主翼を吹き飛ばし、朝鮮戦争における海軍初の空中戦撃墜を記録した。この出来事は、彼を含むVF-51の11機が、英空母トライアンフ Triumphの艦載機と共同で行った攻撃作戦の一環として、平壌近郊の飛行場を機銃掃射した際に起こったもの
台湾(中華民国)への侵攻の恐れがあったため、VF-51を含むヴァリー・フォージの航空団およびトライアンフは警戒のために南へ移動したが、7月18日にはふたたび戦闘に復帰した。なお、のちに宇宙飛行士となり人類で初めて月面を歩くことになるニール・アームストロング Neil Armstrongも、この時期、VF-51の海軍飛行士として任務に就いていた
1964/6 ヴェトナム戦争中、VF-51はF-8クルーセイダーの対地攻撃能力を最初に評価した飛行隊であり、その実績から1964年6月にはラオスへの極秘阻止攻撃任務を担う部隊に選定された。1965年には、攻撃航空母艦タイコンデロガ Ticonderoga(CVA-14)を拠点としてF-8クルーセイダーを運用し、ヴェトナムおよびラオスでの任務に従事した。そののち、1968年に北ヴェトナム軍のMiG-21を2機撃墜し、“MiGキラー”の称号を手にした
1971 1971年、VF-51はF-4ファントムIIへ機種転換を行い、MiG-17を4機撃墜した。同隊は1971年11月から1975年7月にかけて、攻撃航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CVA-43)を拠点に運用された
1976 1976年、VF-51を含む第15空母航空団(Carrier Air Wing 15: CVW-15)は、汎用航空母艦フランクリン D. ルーズヴェルト Franklin D. Roosevelt(CV-42)に搭載され、平時の地中海デプロイメントを行い、1977年4月に帰投した。まもなく退役予定であったこの空母での展開は、米海兵隊のAV-8Aハリアー飛行隊を初めて洋上運用させることを目的としてした
1978/6 地中海デプロイメントを終えてミラマー海軍航空基地 NAS Miramarに帰投したのち、VF-51はF-4ファントムIIを順次退役させた。1978年6月16日、VF-51はF-14Aトムキャット(Block 100仕様)への機種転換を完了し、1979年5月には汎用航空母艦キティ・ホーク Kitty Hawk(CV-63)搭載の第15空母航空団の一員として、F-14による初の洋上デプロイメントを行った。CVW-15の構成部隊として、VF-51は同じくF-14を運用する姉妹飛行隊VF-111と連携を続けた。当初1979年12月初めに終了予定だったこのデプロイメントは、同月に発生したイラン米大使館占拠事件およびそれに続くイラン人質事件を受け、11月下旬にフィリピンでキティ・ホーク戦闘群 Kitty Hawk Battle Groupが最後の寄港を行っていた際、大統領の指示により期間が延長された。両飛行隊はイラン国内の米国人人質救出に向けた準備活動に参加し、同地域でイランやソヴィエトの航空機を頻繁に迎撃したが、“イーグル・クロー作戦 Operation Eagle Claw”が実行される前の1980年2月にインド洋を離れ、任務を空母ニミッツ戦闘群 Nimitz Battle Group(VF-41およびVF-84を擁する第8空母航空団 Carrier Air Wing 8)に引き継いだ。この1979年から1980年にかけてのデプロイメントにおいて、VF-51は太平洋艦隊 Pacific Fleetの最優秀戦闘機飛行隊としてバトル“E” Battle "E"賞を授与された
1981/9 1981年の航海中の9月7日、VF-51所属機であるModex No. NL-106が、VA-22所属のA-7EコルセアII(Modex No. NL-306)と衝突する事故が発生した。両機の搭乗員は無事だったが、この事故でVF-51のデッキ作業員1名が死亡した。キティ・ホークでの航海を終えたのち、同航空団は短期間東海岸へ移動し、1983年3月から10月にかけて、新造艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)での運用を行った。この期間中、同艦は世界一周航海を行いながら、新たな母港であるカリフォルニア州アラメダ海軍航空基地 NAS Alamedaへと向かい、太平洋艦隊 Pacific Fleetへの配属が予定されていた
VF-51は、F-14のTCS(Television Camera Sight)を使用し、ソヴィエトのTu-22Mバックファイア爆撃機や、武装したMiG-23フロッガー、Su-15フラゴンを最初に迎撃・識別した飛行隊として知られている。TCSは、電波を発することなく(パッシヴに)目標を識別し、敵味方を判別することを可能にした
1986 カール・ヴィンソンでの1986年から1987年にかけての航海中、VF-51は冬季のベーリング海で任務に従事した。VF-51を擁するカール・ヴィンソンおよび第15空母航空団は、1988年6月15日に同艦にとって4回目となる海外デプロイメントに出発した。現地での任務中、同艦はペルシャ湾における米国籍タンカーの護衛作戦である“アーネスト・ウィル作戦 Operation Earnest Will”を支援した。同艦は1988年12月16日に帰国し、1988年度の航空安全に関するフラットリー提督記念賞 Admiral Flatley Memorial Awardを受賞した。1990年2月、カール・ヴィンソンは西太平洋およびインド洋で任務を行った。VF-51とVF-111は、シンガポール、マレーシア、タイなどの地域の空軍と数多くの演習に参加した。同航空団は7月29日に帰投した
1991/12 当初、海軍はVF-51とVF-111をF-14Dスーパー・トムキャットへ機種転換する最初の実戦部隊とする計画を立てていたが、この計画は1991年12月に撤回された。第15空母航空団とともにキティ・ホークへ戻ったのち、VF-51は1992年6月から7月にかけて行われた環太平洋合同演習(RIMPAC)に参加した。同飛行隊はCVW-15のほかの部隊とともに、1992年11月3日に西太平洋(WESTPAC)デプロイメントへと出発した
1992/12 12月18日に汎用航空母艦レンジャー Ranger(CV-61)およびCVW-2と任務を交代したのち、VF-51を含む同航空団は“希望回復作戦 Operation Restore Hope”の一環としてソマリア沖での任務に就いた。1992年12月27日、米空軍のF-16Dがイラク軍のMiG-25を撃墜したことを受け、VF-51とCVW-15はペルシャ湾へ移動するよう命じられた。1月1日までに、同飛行隊およびCVW-15のほかの部隊は合計51回のCAP(戦闘空中哨戒)任務を遂行した。1993年1月13日、VF-51とVF-111は、イラク南部にある地対空ミサイル(SAM)陣地を標的とした空爆の護衛任務に、それぞれF-14Aを2機ずつ提供した。3月18日に原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)およびCVW-9と任務を交代したのち、VF-51は1993年5月3日に帰投した
1994/6 VF-51とCVW-15は、1994年6月24日に最後のデプロイメントを開始した。当初は“サザン・ウォッチ作戦 Southern Watch deployment”への参加が予定されていたが、核危機や北朝鮮の指導者である金日成(キム・イルソン)の急死といった情勢を受け、同航空団の派遣先は朝鮮半島に変更された。1994年7月11日、VF-51所属のF-14A(Modex No. NL-102)が、荒天の海域でキティ・ホークへの着艦を試みた際、同艦のフライト・デッキ後部に激突して機体が二つに折損した。パイロットとRIO(レーダー迎撃士官)は炎上する機体から脱出(射出座席を使用)したが、パイロットは炎の中に着地してしまった。重度の火傷を負ったものの、パイロットは一命を取り留めた。同年10月15日には、ジョン H. ダルトン海軍長官 Secretary of the Navy John H. Daltonが同艦を訪問し、パイロットの命を救った関係者らを表彰した。VF-51は1994年12月22日に最後の航海から帰還し、1995年3月31日に閉隊された
1985年、VF-51は映画「トップ・ガン Top Gun」の撮影に参加した、ミラマー海軍航空基地を拠点とする複数の飛行隊の一つだった。撮影にあたり、VF-51およびVF-111所属の一部の機体は、架空の飛行隊のマーキングを施すよう塗装が変更された。撮影では、F-14の機体下部(フェニックス・ミサイル用パレット)や主翼下のパイロンにポッド形式のカメラを装着したほか、地上設置のカメラも使用された。撮影終了後、使用されたVF-51の機体の一機(Bu.No. 160694)はテキサス州コーパス・クリスティ Corpus Christi,にあるUSSレキシントン博物館 USS Lexington Museumへ送られ、現在も映画撮影時に施されたマーキングのまま展示されている。映画の終盤、トム・スケリットTom Skerritt演じる登場人物が、主人公の父親とともに攻撃航空母艦オリスカニー Oriskany(CVA-34)を拠点とするVF-51で飛行したと語る場面があり、エンドロールにもVF-51のパイロット数名の名前が記載されている。実際には、F-4ファントムIIは空母オリスカニーで運用するには大型すぎたため、VF-51が同艦からF-4を運用したことはない(VF-51がF-4の運用を開始したのは1971年、コーラル・シーでのこと)。しかし、映画の序盤で主人公マーヴェリックが提示した写真に記されていた1965年の航海において、VF-51はオリスカニーからF-8を運用していたため、その発言には一定の事実に基づいた説得力があると言える
続編の「トップガン マーヴェリック Top Gun: Maverick」では、ロバート“ボブ”フロイド Robert "Bob" Floyd(NFO=海軍飛行士官であり、トップガン卒業生かつ任務候補者)という登場人物が、VFA-51の記章やヘルメット・バッグを身につけている姿が描かれている。これは、VF-51がF/A-18への機種転換を行うことなく閉隊されたことを受け、同飛行隊へのオマージュとして架空の部隊名が採用されたもの

↑F-4Bs in the 1972 Screaming Eagle (also known as the Supersonic Can Opener) paint scheme. Image courtesy of en.wikipedia.org.

↑VF-51 F-14A intercepting a Tu-142 "Bear". Image courtesy of en.wikipedia.org.


Update 26/08/14