日付 |
主な出来事 |
飛行隊の最初の徽章 insigniaはウォルト・ディズニー Walt Disneyによってデザインされ、スカル&クロスボーン skull & crossbonesが描かれた黒い魚雷と、“リトル・ブッチ Little
Butch”というニックネームの緑色のヘルメットをかぶった翼の生えたケルビム cherubから成っていた。新しい飛行隊章は1956年9月17日に承認され、現在も使用されている。飛行隊は1950年代から1979年まで“アラブ
Arabs”として知られ、その後 “イーグルス Eagles”と改名された。1989年に同飛行隊がインド洋に派遣された際、アラビア海で活動中の士気を高めるため、一時的にニックネームを“アラブ”に戻した |
1943/1/1~2/1 |
飛行隊から6機の航空機がフェニックス諸島 Phoenix Islandsのカントン島 Kanton Islandに派遣され、対潜防衛と捜索任務に従事した |
1943/4~7 |
飛行隊はガダルカナル Guadalcanalに上陸し、“ソロモン(ニュー・ジョージア)作戦 Solomons (New Georgia) Campaign”に参加した。ソロモン諸島 Solomon Islandsの目標に対して哨戒、捜索、索敵、攻撃、夜間掃海任務を行った |
1944/5/5 |
飛行隊の航空機がハワイ島ヒロ Hilo沖で対潜攻撃に参加。敵潜水艦に対する攻撃は、飛行隊長により可能性が高いと評価された。 |
1944/10/10 |
飛行隊は“レイテ作戦 Leyte Campaign”開戦の一環として、沖縄に対する最初の攻撃に参加した |
1944/10/25 |
日本艦隊は上陸作戦に対抗するため、3つの要素に分かれてレイテ島に集結した。レイテ島から340マイル(第二次大戦の空母機の通常の戦闘半径を超えている)離れている間に、飛行隊の航空機は日本艦隊の中心的要素への攻撃のために発進した。そのTBMは、敵艦隊がサマール沖海戦 Battle Off Samarという交戦を打ち切ったのち、アメリカの護衛空母と駆逐艦が揚陸艦と補給艦を守る中、敵艦隊上空に到着した。TBMは退却する日本中央艦隊を攻撃し、戦艦1隻と巡洋艦2隻に命中させた。飛行隊の全機が帰還し、往復600マイルの戦闘飛行を完了した。この交戦中の行動により、以下の飛行隊員が海軍十字章 Navy Crossを授与された:ウィルバー J. エングマン大尉 Lieutenant
Wilbur J. Engman、メルヴィン L. テグジ大尉 Lieutenant Melvin L. Tegge、トーマス B. アダムス大尉
Lieutenant Thomas B. Adams、リチャード W. ラッセル中尉 Lieutenant (jg) Richard W. Russell、ローレンス
E. ヘルムート中尉 Lieutenant (jg) Lawrence E. Helmuth、ジョン M. デイヴィス中尉 Lieutenant
(jg) John M. Davis、ウィリアム・マイヤー中尉 Lieutenant (jg) William Maier |
1944/10/26 |
日本艦隊に対する攻撃は続き、リロイ H. グラウ大尉 Lieutenant Leroy H. Grauは日本の軽巡洋艦に対する魚雷攻撃の成功により海軍十字章を授与された |
1944/11 |
飛行隊はレイテ島占領の支援を続け、ルソン島の標的を攻撃した |
1944/11/13 |
飛行隊長であったR. デニストンJr. 少佐 Lieutenant Commander R. Denniston, Jr. がマニラ湾上空での戦闘任務中に行方不明となる |
1944/12 |
飛行隊の航空機はミンドロ島上陸作戦を支援するため、ルソン島の標的を攻撃した |
1944/12/18 |
フィリピンの東で作戦中、任務部隊は異常に激しい台風に襲われ、駆逐艦3隻を失い、軽空母4隻を含む数隻に損害を与えた |
1945/1/9~20 |
飛行隊は南シナ海での作戦に参加し、アメリカ任務部隊が開戦以来初めてこの海域に入った。戦隊は仏領インドシナのカム・ラン湾 Cam Ranh Bayとクイ・ニョン
Qui Nhon沖の輸送船団、ペスカドール島 Pescadores Islandの船舶、香港を攻撃した |
1950/9/12~18 |
同飛行隊は9月15日の朝鮮インチョン Inchon上陸に備え、インチョンとその周辺の目標に対する攻撃前攻撃に参加した。侵攻中および侵攻後、飛行隊はインチョン周辺地域への深部支援任務を継続し、機会ある目標を攻撃した |
1950/11/9 |
飛行隊が初めてMiG-15と遭遇したのは、朝鮮半島の新義州 Sinuijuに対するミッションの時であった。全機は無事にフィリピン海に帰還した |
1950/12 |
飛行隊はチョウセン貯水池地域 Chosen Reservoir areaでアメリカ軍の近接航空支援を行った |
1952/2~7 |
この時期の飛行隊の韓国での戦闘任務は鉄道阻止が中心で、北朝鮮の輸送、通信、工業、補給施設に対する攻撃もあった |
1952/6/23~24 |
飛行隊は北朝鮮の水力発電所に対する連携攻撃に参加し、これらの施設に対して行われた最初の激しい攻撃であった。第2、7、11、19空母航空群 Carrier Air Groups 2, 7, 11, 19および第5航空軍 5th Air Forceの部隊によって、9つの異なる水力発電所が攻撃された |
1955/2 |
同飛行隊は、1月に中華人民共和国の砲撃を受けた大陳群島 Tachen Islandsから26,000人以上の要員を避難させる際、航空援護任務を行った |
1958/8~9 |
同飛行隊は、中国共産党による金門島 Quemoy Island群への砲撃の際、中華民国を支援した任務部隊の一員であった |
1964/5~6 |
ラオス危機の際、同飛行隊はラオス上空で戦闘空中哨戒と捜索救助活動を行った |
1967/8~1970/1 |
この期間、飛行隊は活動停止状態にあった。航空機はなく、数名の管理要員が配置されていただけであった。この活動停止状態は、飛行隊が活動状態に移行し、A-6イントルーダーを受領する時期を待つ過渡期であった。これは、飛行隊が閉隊されずに、不活発な状態で現役飛行隊目録に残った唯一の例である。1970年1月1日、飛行隊は活動を再開した |
1972/5~10 |
同飛行隊は“ラインバッカーI作戦 Linebacker I operations”に参加し、物資の流れを阻止するために北ヴェトナムの目標に対して激しい空爆を行った |
1975/4~5 |
同飛行隊は、南ヴェトナムのサイゴンが共産主義に陥落した際、アメリカ人をサイゴンから避難させる“フリークエント・ウィンド作戦 Operation
Frequent Wind”に参加した |
1976/8~9 |
北朝鮮による非武装地帯での米軍兵士殺害事件を受けて、飛行隊は朝鮮半島付近で活動 |
1979/4~5 |
VA-115を乗せた汎用航空母艦ミッドウェー Midway(CV-41)は、南北イエメン間の戦闘勃発とイラン国王の失脚を受けて、汎用航空母艦コンステレーション Constellation(CV-64)を支援し、米空母のプレゼンスを維持するため、アデン湾に展開した |
1979/10 |
イランの反米デモへの対応として、VA-115を含むミッドウェーとその航空団は、1979年2度目のインド洋派遣を命じられた |
1972/11~12 |
イランの暴徒によるアメリカ大使館とその職員の占拠を受け、ミッドウェーはアラビア海に戻った |
1980/5~6 |
韓国の光州 Kwangju市で数百人が虐殺された事件を受け、危機が収まるまでミッドウェーから韓国沖で活動 |
1981/12 |
韓国での騒乱ののち、飛行隊は数日間、韓国沖のミッドウェーから活動した |
1988/2/29 |
シャム湾 Gulf of Siamでの演習中、飛行中隊の航空機がヴェトナム難民のボートを発見し、ミッドウェーに救助された |
1988/9 |
韓国のソウルで開催された夏季オリンピックの期間中、飛行隊はミッドウェーに乗艦し、日本海で平和的なオリンピックに対する米国の支持を示すために活動した |
1990/11~1991/1 |
同飛行隊は、イラクによるサウジ・アラビア侵攻の脅威に対抗するためにアメリカ軍と連合国軍が展開した“砂漠の盾作戦 Operation Desert
Shield”を支援する任務を遂行し、イラクのクウェートからの撤退を強制するための経済封鎖の一翼を担った |
1991/1/20~3/9 |
同飛行隊は“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”に参加し、イラクの海軍目標と基地、飛行場と橋、通信センターを攻撃し、連合軍地上部隊の近接航空支援を行った |
1992 |
1992年、A-6E SWIPイントルーダーのModex No. NF-515は、VA-115がA-6飛行隊として初めてAGM-65マーヴェリックを外洋の目標に発射した。同飛行隊はイラク上空で115の戦闘任務を遂行し、功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendationを受けた。1993年、VA-115は“サザン・ウォッチ作戦
Operation Southern Watch”を支援するためペルシャ湾に展開し、1994年には暗視装置機能を備えた4機を受領した。1996年、VA-115は台湾周辺での有事作戦を支援した |
1996/10 |
1996年10月、同飛行隊は母港をカリフォルニア州リムーア海軍航空基地 NAS Lemooreへ変更し、5機目となるF/A-18Cホーネットへの移行を開始した。1996年9月30日に第115戦闘攻撃飛行隊(Strike Fighter Squadron TWENTY FIVE: VFA-115)と改称。同飛行隊は6カ月で12機のF/A-18Cを受け入れ、原子力汎用航空母艦エイブラハム・リンカーン Abraham Lincoln(CVN-72)艦上のCVW-14に合流した。1998年6月、同飛行隊は“サザン・ウォッチ作戦”を支援するためペルシャ湾に展開 |
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“C”モデル・ホーネット "C" model Hornetでの2度の派遣ののち、同飛行隊はF/A-18Eスーパー・ホーネットトに移行する最初の海軍飛行隊に選ばれた。VFA-115はまた、先進戦術前方赤外線照準ポッド Advanced Tactical Forward
Looking InfraRed targeting podを受領した最初の飛行隊でもある |
2002/7 |
2002年7月、同飛行隊は初のスーパー・ホーネット艦隊戦闘配備に乗り出し、“不朽の自由作戦 Operation Enduring Freedom”と“サザン・ウォッチ作戦(Operation
Southern Watch: OSW)”を支援するため、214の戦闘任務に就いた。同飛行隊はイラクで14の標的に22発のJDAMを投下したのち、“イラクの自由作戦
Operation Iraqi Freedom”に参加した。2003年4月9日に敵対行為が停止する前に、同飛行隊は170t(370,000ポンド)の兵器を投下し、タンカー支援の役割で1,200,000リットル(3,500,000ポンド)の燃料を通過させた。この戦時中の活躍により、同飛行隊とエイブラハム・リンカーン戦闘群は海軍部隊表彰 Navy Unit Commendationを受けた(VFA-115に授与されたのは6回目) |
2004/5 |
2004年5月、飛行隊は原子力汎用航空母艦ジョン C. ステニス John C. Stennis(CVN-74)に配備された。“艦隊対応計画 Fleet Response Plan”を支援するため、同飛行隊は“ノーザン・エッジ Northern Edge”、“環太平洋 Rim of the Pacific”、“合同空海演習 Joint Air and Sea Exercise”、MiG-29通過演習 MiG-29 passage exerciseなど、さまざまな合同演習に参加した。さらに、VFA-115は海上阻止のための包括的な共同ドクトリンを作成した。この文書は太平洋艦隊司令官 Commander Pacific Fleetと海軍作戦部長 Chief of Naval Operationsによって共同作戦のモデルとして採用され、今日ではアメリカ西海岸に展開する打撃群の主要な訓練の焦点となっている。同飛行隊は2004年に海軍航空太平洋司令部戦闘効率賞 Commander Naval Air Pacific Battle Efficiency
Awardを受賞 |
2006/1 |
2006年1月、同飛行隊は“イラクの自由作戦”を支援するため、原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)に搭載されてペルシャ湾に展開した。VFA-115は、米陸軍と米海兵隊への近接航空支援、空母艦載機への給油、打撃群への海上阻止を提供し、数百回の戦闘出撃を行った |
2007/1 |
2007年1月、VFA-115はふたたびロナルド・レーガンに配備され、2007年4月にはリムーア海軍航空基地での陸上飛行訓練を再開した。2008年5月19日、VFA-115はふたたびロナルド・レーガンに乗艦し、西太平洋とインド洋へのデプロイメントを開始した |
2009/5 |
2009年5月28日、VFA-115はロナルド・レーガンに搭載された第14空母航空団 Carrier Air Wing 14とともに第7艦隊と第5艦隊の責任区域
7th and 5th Fleet Areas of Responsibilityにデプロイメントした。2009年12月13日、VFA-115は1996年以来初めて厚木海軍航空施設
NAF Atsugiに戻り、VFA-192に代わってCVW-5の前方展開飛行隊 forward deployed squadronとなった |
2006 |
2006年1月から7月6日まで、VFA-25は第14空母航空団(Carrier Air Wing Fourteen: CVW-14)とともにイラク戦争を支援し、原子力汎用航空母艦ロナルド・レーガン Ronald Reagan(CVN-76)の処女航海で“ヴァリアント・シールド Valiant Shield”に参加した |
2015/7 |
2015年7月中、VFA-115はオーストラリアとの“タリスマン・セイバー2015演習 Exercise Talisman Sabre 2015”に参加した。翌月2015年8月9日、VFA-115はロナルド・レーガンが在日米海軍の前方展開空母として原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)から任務を引き継いだため、“3隻の空母ハル・スワップ Three Carrier Hull Swap”に参加した。 |
2017/11 |
2017年11月28日、同飛行隊はロナルド・レーガンでのパトロールから帰還すると、岩国海兵航空基地 MCAS Iwakuniへ移動した。2019年7月11日から7月24日にかけて、VFA-115とCVW-5は珊瑚海での“タリスマン・セイバー2019演習
Exercise Talisman Sabre 2019”に参加した |
2021/5 |
2021年5月19日、VFA-115はCVW-5とともにロナルド・レーガンで北アラビア海に展開した。展開中、アフガニスタンからのアメリカ撤退に参加した。そののち、10月16日に帰還した |