日付 |
主な出来事 |
1952/6 |
第9海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron 9: HSC-9)は1952年6月18日、ノース・カロライナ州エリザベス・シティ海軍航空施設
NAF Elizabeth Cityに第3対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-submarine Squadron 3:
HS-3)として設立された。“トライデンツ Tridents”はパイアセッキHUP-2Sリトリーヴァー・ヘリコプターで運用を開始し、のちにシコルスキーHO4SとシコルスキーHSS-1シーバット・ヘリコプターに移行した。1959年、飛行隊はシコルスキーHSS-1Nシーバットを受領し、夜間作戦が可能となった。HS-3は1961年にガスタービン式のHSS-2シー・キングを運用する最初の大西洋艦隊作戦飛行隊となった。1962年9月、HSS-2シー・キングは1962年の米国三軍機呼称システムに従い、SH-3Aシー・キングに再指定された。1967年にはSH-3D、1979年にはSH-3H TACNAVヘリコプターを受領。さらに1982年、HS-3はAQS-13Eソナー・データ・コンピュータを配備した最初の飛行隊となった |
1956後半 |
HS-3は1956年後半に対潜航空母艦アンティータム Antietam(CVS-36)と対潜航空母艦レイテ Leyte(CVS-32)に初めて配備され、HSS-1シーバットに搭乗した。続いて1958年から60年にかけて、対潜航空母艦レイク・シャンプレーン Lake Champlain(CVS-39)、対潜航空母艦タラワ Tarawa(CVS-40)、対潜航空母艦ヴァリ・フォージ Valley Forge(CVS-45)に配属された |
1960 |
1960年から1970年まで、HS-3は第56空母対潜航空群(Carrier Anti-Submarine Air Group 56: CVSG-56)に配属された。CVSG-56は、1961年に対潜航空母艦ランドルフ Randolph(CVS-15)に移る前に、まずヴァリ・フォージに配属された。HS-3はそののち、シコルスキーHSS-2/SH-3Aシー・キングに移行した。1962年、対潜航空母艦ワスプ Wasp(CVS-18)の艦上で、HS-3はキューバの海上封鎖に参加した。航空群は1962年に対潜航空母艦イントレピッド Intrepid(CVS-11)に配置転換され、1966年に攻撃型空母としてヴェトナムに派遣された。“トライデンツ”は、1962年5月24日、隊長のJ. M. ワンダージェム中佐 CO Commander J. M. WondergemがM. S. カーペンター少佐 Lieutenant Commander M. S. Carpenterをオーロラ7宇宙船からピックアップし、イントレピッドに引き渡したときから、宇宙計画で積極的な役割を果たすようになった。カーペンター、グリッソム Grissom、ヤング Young、コリンズ Collins、ゴードン Gordon、コンラッド Conrad、マクディヴィット McDivitt、スコット Scott、シュヴァイカート Schweickartの各宇宙飛行士は、HS-3ヘリコプターに乗って宇宙での旅を終えた |
1967 |
1967年、CVSG-56とHS-3はSH-3Dシー・キングを受領し、ふたたびランドルフに配備された。2年後、CVSG-56は対潜航空母艦ヨークタウン Yorktown(CVS-12)に、そして1970年にはイントレピッドに配置換えとなった。そののち、HS-3は汎用航空母艦フォレスタル Forrestal.(CV-59)の第17空母航空団 Carrier Air Wing Seventeenに配属された。1970年代初頭、同飛行隊はチュニジアの洪水被害者の救援に参加し、630人を救助または移動させるとともに、43,000ポンド(20,000kg)を超える食糧と医療品を輸送した。この人道支援が認められ、同飛行隊は功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendationを受けた。1976年7月、HS-3の分遣隊はフォレスタルに乗艦し、ニュー・ヨーク港で開催された合衆国建国200周年記念式典 United States Bicentennial celebrationsに参加した。飛行隊員は、1976年7月4日に実際にフォレスタルの鐘が鳴らされるまでの宣伝イヴェントに参加した。HS-3は、1974年と1978年にイスベル・トロフィー Isbell Trophyを受賞したほか、1973年と1978年にバトル“E” Battle
"E"を獲得。1979年、HS-3はSH-3Hシー・キングを受領 |
1984 |
1984年から1991年まで、CVW-17とHS-3は汎用航空母艦サラトガ Saratoga(CV-60)に配属された。HS-3は、1985年から86年にかけてのサラトガでの地中海およびインド洋展開において、作戦上の功績と優れた整備作業により、2度の海軍部隊表彰
Navy Unit Commendationを受けた。“トライデンツ”は1985年、1986年、1987年と3年連続でバトル“E”アワードを受賞。また、1986年と1987年にはイスベル・トロフィーを連続受賞した。1990年、トライデンツはサラトガ艦上で紅海に展開しながら、イラク貿易に対する国連制裁を実施した。HS-3は、“砂漠の盾作戦
Operation Desert Shield”/“砂漠の嵐作戦 Operation Desert Storm”において、敵対する商船を“拿捕”するために、特殊部隊の乗船チームとともにヘリコプターによる訪問・乗船・捜索・押収(Helicopter
Visit, Board, Search and Seizure: HVBSS)を実際に実施した。HS-3はこの作戦での戦闘支援により、海軍部隊表彰を受けた。同飛行隊は1991年初めに帰国し、シコルスキーSH-60F/HH-60Hシーホークに移行した最初の大西洋飛行隊となった。 |
1991 |
1991年にSH-60FとHH-60Hシーホークに移行したのち、HS-3は1993年に原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)の第8空母航空団 CVW-8に配属された。1995年の地中海派遣の準備は、“トライデンツ”がハイチへの軍事介入中に“民主主義擁護作戦 Operation
Uphold Democracy”を支援するよう要請されたため中断された。HS-3は海軍唯一の海上SAR、CSAR、特殊作戦支援を提供した。“トライデンツ”は“民主主義擁護作戦”の完了後1週間後に展開し、ボスニアヘルツェゴヴィナ上空での“デナイ・フライト作戦
Operation Deny Flight”を支援した。この展開の間、HS-3はヴェトナム時代以来初めて、HS飛行隊による実際のCSARミッションも飛行し、墜落したフランスのミラージュ戦闘機の乗員を捜索した。1997年、HS-3は汎用航空母艦ジョン F. ケネディ John F. Kennedy(CV-67)で地中海とペルシャ湾に展開 |
1999/3 |
“トライデンツ”は1999年3月、セオドア・ルーズヴェルトにふたたび配備され、そのまま2つの紛争のうちの最初の紛争に突入した。“ノーブル・アンヴィル作戦
Operation Noble Anvil”の間、HS-3はコソヴォでのセルビアに対する戦闘活動を支援した。停戦が合意されると、セオドア・ルーズヴェルトはペルシャ湾を通過し、海上阻止活動を支援し、イラク南部の飛行禁止区域を実施した。8月、HS-3は国連制裁違反の貨物船に対するHVBSSを成功させた。この作戦で$3,500,000のイラク密輸品を押収した。この厳しい展開の間、HS-3は1,800,000ポンド(820,000kg)以上の貨物を持ち上げ、2,000回以上の小型甲板への着艦を完了した。HS-3は1999年のバトル“E”を授与された |
2001/4 |
2001年4月、HS-3は原子力汎用航空母艦エンタープライズ Enterprise(CVN-65)に配備された。世界貿易センターとペンタゴンへのテロ攻撃を受けて、“トライデンツ”はアフガニスタンでの“不朽の自由作戦 Operation Enduring
Freedom”を支援するために持続的な作戦を実施した |
2003 |
“トライデンツ”は2003年、セオドア・ルーズヴェルトに配備された。展開中、HS-3は“イラクの自由作戦 Operation Iraqi Freedom”を支援するため、ASW、ロジスティクス、SAR活動を行った |
2008/9 |
2008年9月、長期の訓練サイクルを終えた“トライデンツ”は、アフガニスタンでの戦闘活動を支援するため、セオドア・ルーズヴェルトでアラビア海に展開した。その途中、HS-3は南アフリカのケープタウンへの歴史的な訪問に参加した。セオドア・ルーズヴェルトは、40年以上ぶりにケープタウンを訪れた米空母であった。
CENTCOM AORに到着した“トライデンツ”は、2008年から2009年の展開期間中、“不朽の自由作戦”と海上安全保障活動を直接支援するため、飛行機警護、対テロ戦力防護、対地戦、兵站、対潜水艦戦を飛行した。トライデンツはまた、3機のHH-60Hをドック型輸送揚陸艦サン・アントニオ San Antonio(LPD-17)に、そののち貨物弾薬補給艦ルイス・アンド・クラーク Lewis and Clark(AKE-1)に2カ月間派遣した。この分遣隊は、アデン湾での第151統合任務部隊 Combined Task Force 151の海賊対処活動を支援した。“トライデンツ”は16名の海賊容疑者の逮捕に貢献し、同地域での今後の活動への道を開いた。2008年、HS-3はCNAF Aviation Battle Efficiency、Commander, Naval Aviation Safety
Center Safety "S"、CAPT A. J. Isbell Trophyを受賞 |
2009/4 |
2009年4月16日、“トライデンツ”はヘリコプター対潜飛行隊としての最後のクルーズを終え、フロリダ州ジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleに帰投した。この年、トライデンツ飛行隊は対潜水艦戦における優秀な飛行隊に贈られるジミー・タック賞 Jimmy Thach awardを受賞し、対潜水艦飛行隊としての歴史に幕を下ろした。5月、“トライデンツ”飛行隊はジャクソンヴィル海軍航空基地からヴァージニア州ノーフォーク海軍航空基地
NAS Norfolkへの常駐地変更とMH-60Sシーホークへの機体変更を開始した。2009年6月1日、“トライデンツ”は第9海上戦闘ヘリコプター飛行隊に名称変更 |
2010/1 |
2010年1月13日、“トライデンツ”は2機のヘリコプターを“ユニファイド・レスポンス作戦 Operation Unified Response”に派遣し、壊滅的なハイチ地震の人道支援と災害救援を行った。飛行隊員は3カ月間、原子力汎用航空母艦カール・ヴィンソン Carl Vinson(CVN-70)と強襲揚陸艦(多目的)バターン Bataan(LHD-5)に乗艦してハイチ沖に派遣され、280,000ポンド(130,000kg)を超える災害救援物資を届け、被災した島で240回のMEDEVAC任務を遂行した。“トライデンツ”はまた、556,000ポンド(252,000kg)以上の支援物資を陸上に運び、1,300名の乗客の移送を行い、作戦を支援した |
2011 |
HSC-9は原子力汎用航空母艦ジョージ H. W. ブッシュ George H.W. Bush(CVN-77)に乗艦する第8空母航空団 Carrier Airwing 8に配置転換され、2011年、2014年、2017年に地中海とペルシャ湾に展開した。2021年、CVW-8は原子力汎用航空母艦ジェラルド R. フォード Gerald R. Ford(CVN-78)に再就役した |