HSC
海上戦闘ヘリコプター飛行隊 Helicopter Sea Combat Squadron

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です
※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
※1956年1月3日に第5対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-submarine Squadron 5: HS-5)として設立される。2014年1月24日に第5海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron 5: HSC-5)に改編。ニックネームはNightdippers
所在地 駐留日
NAS Key West 1956/1/3
NS Norfolk 2014/1/24
航空機の割り当て 初受領日
HSS-1N/SH-34J 1956/1/3
SH-3A 1963
SH-3D
SH-3H 1979
SH-60F/HH-60H 1995/2
MH-60S 2014
HSS-1Nの呼称は1962年にSH-34Jに変更された
日付 主な出来事
1956/3 第5対潜ヘリコプター飛行隊(Helicopter Anti-submarine Squadron 5: HS-5)は、1956年1月3日、フロリダ州キー・ウェスト海軍航空基地 NAS Key Westで、シコルスキーHSS-1Nシーバットを飛行させるため設立された。そのおもな任務は、敵の潜水艦の有効利用を阻止することであった。1959年に第44対潜空母航空群(Carrier Antisubmarine Air Group Fifty-Four)に配属されたHS-5は、ロード・アイランド州クォンセット・ポイント海軍基地 NAS Quonset Pointに移動し、同飛行隊は幾つかのASW展開を完了し、アメリカ初の宇宙飛行士アレン B. シェパード中佐 CDR Allen B. Shepardを含む2機のマーキュリー宇宙船の回収に参加した
1962 1962年、飛行隊の航空機は、1962年の米国三軍航空機呼称システムに従い、SH-34Jシーバットに再指定された。1963年、HS-5は初の双発ジェットタービン・ヘリコプターであるシコルスキーSH-3Aシー・キングに移行し、攻撃航空母艦インディペンデンス Independence(CVA-62)に配備された第7空母航空団(Carrier Air Wing SEVEN: CVW-7)に配属された。この10年の終わりまでに、“ナイトディッパーズ Nightdippers”はSH-3Dシー・キングに移行した。
1978 1978年、HS-5とCVW-7は、当時海軍で最も新しい原子力空母であったドワイト D. アイゼンハワー Dwight D. Eisenhower(CVN-69)に配属された。1979年に終了した地中海への長期展開ののち、HS-5は最新の対潜水艦戦(anti-submarine warfare: ASW)技術を取り入れたSH-3Hシー・キングに移行した
1986 1986年、4隻の空母での作戦を含む長期のターンアラウンド訓練が行われた:汎用航空母艦コーラル・シー Coral Sea(CV-43)汎用航空母艦サラトガ Saratoga(CV-60)原子力汎用航空母艦ニミッツ Nimitz(CVN-68)原子力汎用航空母艦セオドア・ルーズヴェルト Theodore Roosevelt(CVN-71)。そののち、HS-5とアイゼンハワーは、1988年の地中海派遣に向けた大規模な整備を行った。駆逐艦ピーターソン Peterson(DD-969)に1機のヘリコプターが搭載され、コミュニティはASWのために単一のSH-3Hを6ヶ月間派遣した。由緒あるシー・キングは、数々の多国間演習や繊細な黒海作戦で、その実力をふたたび証明した。1988年、同飛行隊はその卓越した活躍を高く評価され、4度目のアーノルド・ジェイ・イズベル大佐トロフィー Captain Arnold Jay Isbell Trophy、6度目のCNOセーフリー賞 CNO Safely Award、功労部隊表彰 Meritorious Unit Commendationを受賞した
1990/3 HSWING ONEメンテナンス・トロフィー HSWING ONE Maintenance Trophieを2度獲得し、成功を収めたHS-5は、1990年3月、ふたたびアイゼンハワーで地中海に派遣された。ドワイト D. アイゼンハワー大統領 President Dwight D. Eisenhowerの生誕100周年にちなんで“100周年記念クルーズ Centennial Cruise”呼ばれたこの展開には、Dデーのノルマンディ侵攻を追悼する式典に参加するため、珍しい展開の途中での英仏海峡への航海も含まれていた。1990年8月、IKEはふたたび地中海を離れ、スエズ運河を通過し、“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”の開始時にサウジ・アラビアに対するイラクの侵略の可能性を抑止するために紅海に配置された
1992/7 1992年7月、HS-5とCVW-7は原子力汎用航空母艦ジョージ・ワシントン George Washington(CVN-73)に配属され、スエズ運河を経由してペルシャ湾に2回、最初は南方監視作戦に参加し、ふたたびクウェート国境付近でのイラクの侵略に対抗するために“ヴィジラント・ウォリア作戦 Operation VIGILANT WARRIOR”に参加した。この派遣期間中、HS-5は14年、44,000時間の無事故飛行を達成した
1995/1 1995年1月、最後のSH-3Hシー・キング・ヘリコプターがジャクソンヴィル海軍航空基地 NAS Jacksonvilleから移送されたとき、“ナイトディッパーズ”はひとつの時代の終わりを告げた。シー・キングは整備している隊員よりも古かったが、何度かのアップグレード、改造、耐用年数の延長によって、H-3はASW、電子機器、発電所システムにおける最新の技術進歩に対応していた。同飛行隊は30年以上もの間、10万8,661時間もの間、その年代物のヘリコプターを飛行させ、24時間いつでも発進できる状態を維持した
1995/2 1995年2月、飛行隊がSH-60FHH-60Hシーホーク・ヘリコプターに移行したとき、“ナイトディッパーズ”の歴史に新たな章が始まった。13ヶ月という圧縮されたターンアラウンド・サイクルの中で厳しい移行を完了することに直面したHS-5の男女は、予定より3ヶ月早く移行を完了し、配備前のワークアップ・スケジュールの中で全ての作戦上のコミットメントを達成した。ネヴァダ州のファロン海軍航空基地 NAS Fallonに分遣されていた間、“ナイトディッパーズ”は配備に備えて戦闘捜索救助(Combat Search and Rescue: CSAR)手順を完成させた。HS-5はNATOの“ディサイシヴ・エンデヴァー作戦 Operation DECISIVE ENDEAVOR”を支援するために第7空母航空団に復帰した
2002 2002年、HS-5はJFKBATGRU統合任務群02-1 JFKBATGRU Joint Task Group 02-1およびCVW-7に参加し、2002年2月から2002年8月まで“不朽の自由作戦 Operation ENDURING FREEDOM”を支援した。HS-5の活躍と努力はふたたび報われ、2002年のバトル“E” Battle "E"とタッハ賞 Thach awardの両方を受賞した。当然の報いではあったが短い休養ののち、“ナイトディッパーズ”は2003年にふたたび活動を再開し、来る2004年のクルーズに備えた。2004年8月、空母をジョージ・ワシントンに変更し、CVW-7と“ナイトディッパーズ”はファロン(ネヴァダ州)へ。それから12月までの間、“ナイトディッパーズ”はGW打撃群 GW Strike Groupとともに、IDRCを締めくくるために2回の洋上任務をこなした。休暇を挟んで、ペルシャ湾での“イラクの自由作戦 Operation IRAQI FREEDOM”の支援に向かった。新たなミッションの達成、99%の出撃完了率、70名以上の戦技資格取得者、そして“ナイトディッパーズ”が海軍随一のヘリコプター飛行隊であることを改めて証明した。本国に戻ってからも、“ナイトディッパーズ”は“報道”の手を緩めることなく、洋上でのサージ・サステインメン Surge Sustainmentト期間と、訓練司令部 Training Commandと艦隊代替飛行隊 Fleet Replacement Squadronのための2つの空母資格 Carrier Qualificationを完了した。2004年12月のサージ・サイクル終了まで、高レヴェルの戦闘態勢を維持した
2005 2005年、HS-5は2機の航空機と37名の要員を提供し、大規模なハリケーン“カトリーナ”の救援活動に参加した。“ナイトディッパーズ”は93.6時間以上の飛行時間を記録し、遭難者41名を救助し、ハリケーン被災者に14,860ポンドの食料と水を届けた。またその年の夏には、約30名の整備員、乗員、パイロットが、拡大海上阻止作戦(Expanded Maritime Interdiction Operation: EMIO)の活動拠点に6カ月間派遣された。“ナイトディッパーズ”は、海上におけるテロリストやテロ関連物質の動きを抑止、遅延、混乱させることで、世界規模の対テロ戦争と戦う海上部隊の一員として、海軍のEMIO任務を効果的に遂行した。“ナイトディッパーズ”は、米海兵隊の反テロ警備チーム(Fleet Anti-Terrorism Security Team: FAST)中隊や第7機動警備隊(Mobile Security Squadron Seven: MSS-7)、さまざまな同盟国の部隊とともに活動した
2009/1 2009年1月から7月まで、HS-5は“不朽の自由作戦”を支援するために派遣された。その7カ月後、HS-5はふたたびアイゼンハワーに配備され、乗艦初日の夜には警戒機を発進させ、危険な気象条件の中、長距離外洋救難を実施した。同飛行隊はそののち、北アラビア海で遺棄を余儀なくされたE-2Cホークアイから3人の生存者を救出した。2012年6月、HS-5とCVW-7はふたたびアイゼンハワー艦上で第8空母打撃群(Carrier Strike Group EIGHT: CSG-8)とともに展開した。展開の12日後、HS-5は地中海で脱出したフランスのラファール・パイロットの救出に成功し、フランス海軍原子力航空母艦シャルル・ド・ゴール Charles de Gaulle(R 91)に帰還させた。HS-5は2013年7月までアイゼンハワーにふたたび配備される前に2ヶ月間帰国した。その2回目の派遣の2ヵ月後、HS-5はペルシャ湾でF/A-18Fから脱出した2名のアメリカ海軍飛行士の救出に成功した。派遣中、飛行隊の母港はMH-60Sシーホークへの移行を控え、正式にヴァージニア州ノーフォークに変更された

↑フランス海軍原子力航空母艦シャルル・ド・ゴール(R 91)
2014/1 2014年1月24日、第5対潜ヘリコプター飛行隊はMH-60Sへの移行を完了し、ノーフォーク海軍基地 NS Norfolkでの式典で第5海上戦闘ヘリコプター飛行隊(Helicopter Sea Combat Squadron 5: HSC-5)に再指定された。HSC-5は現在、第7空母航空団(CVW-7)に所属し、原子力汎用航空母艦ジョージ H. W. ブッシュ George H.W. Bush(CVN-77)に配備されている
2023/1 2023年1月、ブッシュ空母打撃群 Bush carrier strike groupが地中海にいる間、HSC-5はアルバニア中部のビゼ Bizëの射場を使用してアルバニア軍と訓練を行った
1992年から2013年にかけて、HS-5はアドミラル・タッハ賞 Admiral Thach Awardを5回、1992年、1995年、2000年、2002年、2005年から2010年、2013年にはCOMNAVAIRLANTバトル“E” COMNAVAIRLANT Battle "E"を受賞した。また、2006年、2011年、2012年にはASW優秀賞のイズベル・トロフィー Isbell Trophyを受賞している


Update 24/03/31