WAGC
揚陸指揮船

アイコン 意味
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です
インターネットやTVゲームに登場する事柄です
UFOなど超常現象に遭遇した事柄です


※データは砲艦トレジャリー級の項を参照

↑Image courtesy of Shipbucket.
船名 NAME 船種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
ビブ
12
Bibb WAGC-31 チャールストン海軍工廠 1937/3/10 1985/9/30 ◎1944/10/17(1944/11?) チャールストン海軍工廠で揚陸指揮船に改装(〜1945/1/29)、船種を揚陸指揮船(WAGC-31)に改める
◎1945/1/29 消磁(〜1945/1/30)
◎1945/12 船種を砲艦(WPG-31)に改める
◎Pacific 1945. Okinawa.
WAGC-32 フィラデルフィア海軍工廠
デュエイン
12
Duane WAGC-33
(ただしWAGC-6も一時的に使用された可能性がある)
フィラデルフィア海軍工廠 1936/8/1 1985/8/1 ◎1944/1/17 ノーフォーク海軍工廠、ポーツマスで揚陸指揮船に改装(〜1944/3/6)、船種を揚陸指揮船(WAGC-33)に改める(7日に海軍造船所を出発し、一連のテストを受けたのち、19日に造船所に戻り、28日まで使用可能な期間となり、1944年4月3日までノーフォークのN.O.Bに移動、1234
◎1944/4/3 第66任務部隊が護衛する輸送船団UGS-38の一員としてノーフォークを出港。18日、地中海第8揚陸軍司令官 Commander, 8th Amphibious Force, Mediterraneanに任務の報告を行う。20日に切り離され、護衛のもとAlgiersに向かった。22日に海軍北西アフリカ海域司令官 Commander, U.S. Naval Forces, Northwest African Watersの視察を受けた。23日にAlgiersを出発し、25日にNaplesに到着、翌日地中海第8揚陸軍司令官F. J. ローリー少将 RADM F. J. Lowry揚陸指揮艦ビスケイン Biscayne(AGC-18)からデュエインに旗を移した。デュエインはビスケインと掃海艇シア Seer(AM-112)に護衛されて28日にNaplesを立ち、29日以降は単独でビゼルトに進んだ。5月5日にPalermo、9日にNaplesに向かい、20日にビゼルトに帰港した。11日、ビゼルトを出航。14日から21日にかけてPalermo、サレルノ、Naplesを回り、1944年7月29日まで滞在した。 30日にはジョン W. オダニエルズ陸軍中将 MAJGEN John W. O'Danielsとそのスタッフが乗船し、31日の突撃訓練に参加することを報告した。デュエインは1944年8月9日までNaplesに留まり、オダニエルズ中将と作戦参謀が乗船して報告した。その日の午後、デュエインはLCT輸送船団SS-1の案内役として出航した。10日にはSardiniaと無線交信し、11日にはイギリスの掃海艇5隻が輸送船団に先行してボニファシオ海峡を掃海した。 12 日、輸送船団はコルシカ島のAjaccioに入り、停泊した。13日夜、LCT輸送船団の案内役としてAjaccioを出航し、司令官と第84任務部隊長を乗船させた。14日にポイント“AN”に到着すると、LCT輸送船団SS-1を離れ、1325に輸送船団SS-1Bのガイドを務めることになった。15日もLCT輸送船団SS-1Bのガイドとして航行中であった。0451にデュエインのいるレッド・ビーチの外洋輸送海域のLCT輸送船団に“STOP”の指令が出され、同船はガイドを解除された。デュエインは0506に出航し、0531にエンジンを停止してQueen Red基準船に着岸した
◎1944/8/13 1612にデュエインは進水し、Baie de Cavalaireに向かい、35分後に同地に錨を下ろした
◎1944/8/16 朝、デュエインは別の停泊地に向けて出発し、その晩2100に艦内の全砲台が敵と確認された飛行機に向けて発砲した。17日、デュエインは再びBaie de Cavalaireに錨を下ろした。 第8艦隊司令官ヒューイット中将 VADM Hewittが乗船し、ローリー少将を訪問した。18日から21日にかけて様々な警報が出され、陸上と艦上の砲台が未確認機に対して頻繁に発砲する中、デュエインも発砲した。25日に第3輸送師団が、30日に第1輸送師団と第5輸送師団が錨地に立ち、その日の夕方に出発した。デュエインは1944年9月10日までBaie de Cavalaireに停泊したまま、翌日コルシカ島のAjaccioに数時間停泊して出航した。12日にはNaplesに停泊した。19日までそこに留まり、9日間ビゼルトを往復し、28日にNaplesに戻ったのち、1944年10月1日までそこに留まり、そののちBaie de Cavalaire、Toulon、Marseillesに進み、10月8日にビゼルトに戻り24日までそこに留まる。その日にPalermoに向かい、10月29日にビゼルトに戻り、11月13日までそこに留まりまる。14日にビゼルトを出航し、ナポリ、Palermoに寄港し、20日に帰港。11月30日から再びNaplesとPalermoに寄港し、1944年12月5日にビゼルトに帰港した。デュエインは1945年6月までビゼルトに停泊し、バミューダ経由でチャールストンに向けて出発、1945年7月10日に同地に着いた。そののち、兵装の大半を撤去するなど、平時の姿に戻すための改修が行われた(〜1946/2)。上部構造も戦前の形状に戻され、同型船の327フィート型と同様に第二次大戦中に確立された外洋気象観測所での運用という、平和時の主要任務に就く為の準備が行われた。戦後の大西洋横断航空路の隆盛により、沿岸警備隊の気象観測所の運用はより重要なものとなり、より沖合に新しい観測所がいくつも追加された
◎のちに船種を砲艦(WPG-33)に改める
WAGC-35 フィラデルフィア海軍工廠
WAGC-36 ニュー・ヨーク海軍工廠
WAGC-37 フィラデルフィア海軍工廠


※データは小型水上機母艦バーネガット級の項を参照
船名 NAME 船種記号 建造所 就役日 退役日 除籍日 備考
デクスター
123
Dexter WAGC-18 海軍工廠ピュージェット・サウンド 1946/9/20 1968/1/18
(1968/7/9?)
◎1946/7/19(1946/7/29?) Coast Guard Yardにて沿岸警備隊に移管
◎1946/9/20 船種を揚陸指揮船(WAGC-18)に改め、デクスターと改名
◎1948/11上旬 修理(〜1949/2/12)
◎1949/5下旬 ボストンにて修理
◎のちに船種を小型飛行艇母船(WAVP-385)に改める


Update 23/10/21