海兵戦闘攻撃飛行隊 Marine Strike Fighter Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第242海兵戦闘攻撃飛行隊(Marine Fighter Attack Squadron 242: VMFA-242)は、F-35BライトニングII STOVLステルス戦闘機に搭乗するアメリカ海兵隊の飛行隊である。“バッツ Bats”の名で知られるこの飛行隊は、日本の岩国海兵航空基地 MCAS Iwakuniを拠点としている。第12海兵航空群(Marine Aircraft Group 12: MAG-12)と第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)の指揮下にある。無線コールサインはProfane
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAS El Centro | 1943/7/1 |
MCAS Cherry Point | 1960/10/1 |
MCAS El Toro | 1970/9初め |
MCAS Miramar | |
MCAS Iwakuni | 2008 |
航空機の割り当て | 初受領日 |
TBM | 1943 |
A4D/A-4 | 1960/10 |
A-6A | 1966/11/1 |
A-6E | 1977/9 |
A-6E TRAM | 1982/4 |
F/A-18D | 1991/2 |
A4Dの呼称は1962年にA-4に変更された |
日付 | 主な出来事 |
1943/7 | 第242海兵雷撃爆撃飛行隊 (Marine Torpedo Bombing Squadron 242: VMTB-242) は1943年7月1日にカリフォルニア州エル・セントロ海兵航空基地 MCAS El Centroで就役した。飛行隊はTBMアヴェンジャーに乗り、エル・セントロ海兵航空基地で訓練を開始した。1944年2月15日に南西太平洋のエスピリトゥ・サント Espiritu Santoに到着した。こうして飛行隊の長い戦闘の歴史が始まり、北ソロモン諸島から始まり、のちにサイパン戦とテニアン戦に移り、最終的に硫黄島戦で飛行隊はD+17に上陸し、第二次大戦が終わるまで対潜哨戒を行った。1945年11月5日、飛行隊はグアムからサン・ディエゴに向かい、18日後の1945年11月23日に活動を停止した。第二次大戦中、ワーナー・ブラザースとディズニーは、魚雷に乗るバッグス・バニーが描かれたVMTB-242のワッペンをはじめ、多くの軍用ワッペンをデザインした |
1960/10 | 1960年10月1日、ノース・カロライナ州チェリー・ポイント海兵航空基地 MCAS Cherry Pointで、飛行隊はA4Dスカイホークに乗る第242海兵攻撃飛行隊(Marine Attack Squadron 242: VMA-242)として再活性化された。1962年10月のキューバ危機の間、VMA-242はフロリダのキー・ウェスト海軍航空基地 NAS Key Westに配備され、ソヴィエトがキューバから攻撃兵器を撤退させるまで準備態勢を維持した。1963年9月、VMA-242は第1海兵航空団(1st Marine Aircraft Wing: 1st MAW)の任務のために乗艦した。1964年9月にチェリー・ポイント海兵航空基地に戻るまで、この飛行隊は日本の岩国海兵航空基地 MCAS Iwakuniで運用され、その時にA-6Aイントルーダーに移行し、VMA(AW)-242と再指定された。移行訓練はヴァージニア州オシアナ海軍航空基地 NAS Oceanaの東海岸A-6艦隊代替飛行隊 East Coast A-6 Fleet Replacement SquadronのVA-42によって行われた。VMA-242の主要人員の先遣隊は、1963年の夏にオシアナに到着し始めた。彼らはVA-75に次いでA-6Aを飛行させる2番目の飛行隊であった |
1966後半 | 1966年後半、VMA(AW)-242はヴェトナム共和国ダ・ナン基地 Da Nang Air Baseの第1海兵航空団に参加し、同年11月までに解放戦線とヴェトナム人民軍に対する戦闘作戦に参加した。当初、同飛行隊は同盟国の地上部隊を支援していたが、1967年4月、北ヴェトナム上空での“ローリング・サンダー作戦 Operation Rolling Thunder”の最初の任務にも就いた。同飛行隊はA-6のユニークな能力を活用し、1968年後半の爆撃停止まで北ヴェトナム上空をパトロールした。1971年4月下旬に飛行隊がヴェトナムを離れるまで、飛行隊は南ヴェトナムの連合軍を支援し続け、北ヴェトナムとラオス中部のホー・チ・ミン・トレイル Ho Chi Minh Trailに対する出撃も行った。VMA(AW)-242飛行隊はヴェトナム共和国での任務中、16,783回の戦闘出撃と85,990tの兵器を輸送した。戦争中、飛行隊は“バットメン Batmen”として知られていた。戦後のある日、これは“バッツ Bats”に変更された |
1970/9 | VMA(AW)-242は1970年9月初めにカリフォルニア州エル・トロ海兵隊航空基地 MCAS El Toroに到着し、第3海兵航空団(3rd Marine Aircraft Wing: 3rd MAW)の最初のA-6A飛行隊となった。1977年9月、飛行隊はA-6Eに移行した。エル・トロ海兵隊航空基地で10年過ごしたのち、6ヶ月のユニット・デプロイメント・プログラム(Unit Deployment Program: UDP)の一環として、ふたたび岩国海兵航空基地に海外派遣された。この派遣期間中、飛行隊はフィリピン、沖縄、日本、韓国などに派遣され、訓練を受けた。1981年4月22日にエル・トロ海兵隊航空基地に帰還したVMA(AW)-242は、1982年4月の岩国海兵航空基地への再派遣に備えて、最新型のイントルーダー、A-6E TRAMの受領を開始した。 1983年8月、VMA(AW)-242はソマリアのベルベラ Berberaで行われた“イースタン・ウインド作戦 Operation Eastern Wind”の一環として、アフリカ大陸に展開した最初の海兵隊となった。現地ではソマリア陸軍防空軍や米海軍・空軍と共同作戦を展開した。1984年4月と1985年11月、飛行隊は3回目と4回目の西太平洋へのUDP派遣に参加した。1986年5月にエル・トロ海兵隊航空基地に戻った同飛行隊は、1986年の年間最優秀海兵隊攻撃飛行隊 Marine Corps Attack Squadron of the Year for 1986としてローソン H. M. サンダーソン・トロフィー Lawson H. M. Sanderson trophyを授与された。1987年4月、同飛行隊は5度目の西パックUDP配備を行った。1988年10月、VMA(AW)-242はA-6Eイントルーダーとともに6回目、そして最後のWestPac UDPのために日本の岩国海兵航空基地に再派遣した。 |
1990/8 | 1990年8月、飛行隊は当初第70海兵航空群(Marine Aircraft Group 70: MAG-70)の一部として“砂漠の盾作戦 Operation Desert Shield”に参加したが、1990年8月の数日間はチェリー・ポイント海兵航空基地に到着しなかった。10機がチェリー・ポイント海兵航空基地に飛ばされ、4機の3-G制限機とVMA(AW)-224の無制限機を交換することで、飛行隊は翼疲労制限プログラム wing fatigue limitation programの影響を受けない10機を持つことになった。しかし、直前になって飛行隊の配備は見送られることになった。飛行隊の全機は米海兵隊と米海軍の飛行隊に譲渡され、当初の予定より1ヶ月早くF/A-18Dホーネットへの移行を開始するためにエルトロに戻った。1990年12月14日、VMA(AW)-242は第242海兵戦闘攻撃飛行隊(全天候)(Marine All Weather Fighter Attack Squadron 242: VMFA(AW)-242)に再指定され、F/A-18Dホーネットへの転換を開始した。VMFA(AW)-242は1991年2月に最初の航空機を受領し、同年8月に最後のホーネットを受領した。同飛行隊が“Mors ex tenebris”というモットーを採用したのは、F/A-18Dへの移行中であった |
2004/8 | 2004年8月4日から2005年3月18日まで、飛行隊はイラク戦争を支援した。VMFA(AW)-242は“Profane”というコンバット・コールサインを使用し、イラクのアル・アサド空軍基地 Al Asad Airbaseから7ヶ月間飛行した。この間、“ファントム・フューリー作戦 Operation Phantom Fury”で第1海兵師団 1st Marine Divisionの近接航空支援を行った。飛行隊の各部隊は、市街地を制圧する地上の海兵隊と兵士を支援するため、300,000ポンド以上の兵器を投下する任務を繰り返し行った。この戦闘では、精密誘導兵器が友軍の近くに投下され、友軍の誤射はゼロだった。そのわずか2ヵ月後の2005年1月には、イラク初の民主的選挙を台無しにしようとする反政府勢力の動きを阻止するため、飛行隊の航空機が5日間にわたって24時間体制で空中を飛び回った。2005年10月、同飛行隊はロバート M. ハンソンから年間最優秀“海兵戦闘機隊”賞 Robert M. Hanson "Marine Fighter Squadron" of the Year awardを授与された。海兵隊航空部門の再編成により、VMFA(AW)-242は2008年にミラマー海兵航空基地 MCAS Miramarの第11海兵航空群(Marine Aircraft Group 11: MAG-11)から現在の岩国海兵航空基地の第12海兵航空群(Marine Aircraft Group 12: MAG-12)に移転した |
2020/10 | 2020年10月16日、同飛行隊はF/A-18DホーネットからF-35BライトニングIIに移行したのち、第242海兵戦闘攻撃飛行隊(Marine Fighter Attack Squadron 242: VMFA-242)に再指定された。2021年10月3日、同飛行隊の2機が日本の護衛艦いずも Izumo(DDH-183)の飛行甲板で運用された。これらの航空機は、F-35の運用を可能にするいずもの新しく完成した改修をテストしており、固定翼機が日本の軍艦から運用されたのは第二次大戦以来初めてのことであった |
VMA(AW)-242のA-6Aイントルーダーは1974年の映画会社Cinemobile Productionsの映画「The Disappearance of Flight 412」に登場した。機体(Modex No. 8)が警戒発進のためにタキシングしているのが見える。コックピット内からのショットでは、爆撃/航法士(Bombardier/Navigator:
BN)と給油プローブが写っている。これも複数の機体が1つの機体に使用されたケースである:A-6のタキシングと飛行(コックピット内)、F-4ファントムIIの離陸、F9Fパンサーの飛行(外部からのショット) VMA(AW)-242はプロパブリカ ProPublicaの調査「Faulty Equipment, Lapsed Training, Repeated Warnings: How a Preventable Disaster Killed Six Marines」と題し、主に2018年12月の死亡事故を取り上げた。この記事は海軍と海兵隊に関する調査記事のパッケージの一部で、2020年にピューリッツァー賞の国家報道部門を受賞した |
↑VMFA-242 F-35B, in April 2021. Image courtesy of en.wikipedia.org.
Update 24/10/13