海兵戦闘攻撃飛行隊 Marine Strike Fighter Squadron
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※MCAAFは海兵航空補助施設(Marine Corps Auxiliary Air Facility)の略。MCASは海兵航空基地(Marine Corps Air Station)の略。NASは海軍航空基地(Naval Air Station)の略。NAASは海軍航空補助基地(Naval Auxiliary Air Station)の略。NSは海軍基地(Naval Station)の略(ABC順)
- ※第112海兵戦闘飛行隊(Marine Fighter Attack Squadron 112: VMF-112)は、アメリカ海兵隊のF/A-18予備飛行隊である。テキサス州NASJRBフォート・ワース NASJRB Fort Worthを拠点とし、第4海兵航空団(4th Marine Aircraft Wing: 4th MAW)、第41海兵航空群(Marine Aircraft Group 41: MAG-41)の指揮下にある。テイル・コードは“MA”。第二次大戦中、同飛行隊は太平洋作戦地域全体で広範囲に活動し、特にカクタス空軍 Cactus Air Forceの一員としてガダルカナルの戦いで活躍した。終戦までに140機の撃墜数は海兵隊の飛行隊の中で第3位となった。ニックネームはWolfpack、のちにCowboys
↑Image courtesy of en.wikipedia.org.
所在地 | 駐留日 |
MCAS Miramar | 1942/3/1 |
NAS Dallas | 1946/7/1 |
NAS Fort Worth Joint Reserve Base (JRB) | 1996/9 |
航空機の割り当て | 初受領日 |
F4F-3 | 1942/7 |
F4U-1 | |
F9F | |
AF-1E | |
F8U-1 | |
F-8D | |
F-8E | |
F-4 | |
F/A-18A | 1992/10/8 |
F/A-18A+ | 2002 |
F/A-18C+ | |
F8U-1の呼称は1962年にF-8Aに変更された |
日付 | 主な出来事 |
1942/3 | 第112海兵戦闘攻撃飛行隊(Marine Fighter Attack Squadron 112: VMFA-112)は当初、第112海兵戦闘飛行隊(Marine Fighter Squadron 112: VMF-112)として1942年3月1日にカリフォルニア州サン・ディエゴで活動を開始した |
F4Fでソロモン諸島のガダルカナル Guadalcanalにあるヘンダー・ソンフィールド Henderson Fieldに配備された直後、“ウルフパック Wolfpack”は第11海兵航空群(Marine Aircraft Group 11: MAG-11)とともにカクタス空軍に合流した。1943年1月31日、ジェファーソン J. デブラン Jefferson J. DeBlancは1回の任務で5機の敵機を撃墜し、この行動により名誉勲章 Medal of Honorを授与された。VMF-112は、ガダルカナルでの任務における勇気と勝利への貢献が認められ、1942年8月7日〜12月9日の期間、大統領単位勲章(アメリカ合衆国 Presidential Unit Citation (US))を授与された | |
VMF-112は休息のためガダルカナルからエスピリトゥ・サント Espiritu Santoへ撤退。VMF-112はそこでF4U-1への乗り換えを開始した。VMF-112は1943年9月5日にアメリカに戻り、サン・ディエゴ郊外のミラマー海兵航空基地 MCAS Miramarで任務に就いた。そこでVMF-112はVMF(CVS)-112と再指定され、飛行隊が空母の資格を持つことを示した | |
1944/12 | 1944年12月、VMF-112は航空母艦ベニントン Bennington(CV-20)搭載の第82航空群 Air Group 82に配属され、2度目の戦闘任務に就いた。1945年5月中旬、ロバート・クック中尉 Lieutenant Robert Cookは九州上空で阻塞気球を撃墜し、海兵隊飛行隊による戦時中の唯一の撃墜記録を樹立した。 第二次大戦終結までに、“ウルフパック”は空中戦で140機の日本軍機を撃墜し、敵機撃墜数では海兵隊飛行隊の中で第3位にランクされた。日本降伏後、VMF-112はアメリカに帰還し、1945年9月10日に活動を停止した |
1946/7 | 飛行隊は1946年7月1日にテキサス州ダラス海軍航空基地 NAS Dallasの海兵航空予備訓練司令部海兵航空分遣隊 Marine Air Detachment, Marine Air Reserve Training Commandとして再活性化された。VMF-112はコルセアとともに再活性化されたが、最終的にはF9Fパンサー、AF-1E、F8U-1を飛行させた |
VMF-111が活動停止すると、その航空機はVMF-112に引き継がれ、海兵隊最大の予備飛行隊となった。クルーセイダーの全天候型D/Eモデルを受領すると、同飛行隊はVMF(AW)-112と改称され、1975年後半までF-8のいくつかのヴァージョンを飛行させたが、F-4に変更され、VMFA-112と改称された。1992年1月18日、VMFA-112は海軍の現役最後のF-4S飛行隊を退役させた(ただし、一部のF-4ファントムIIはこののちも海軍の試験施設に残っていた)。VMFA-112は1992年10月8日、F/A-18Aを初飛行させた。VMFA-112は1996年9月にフォート・ワース海軍航空・予備役合同基地 NAS Fort Worth Joint Reserve Base (JRB)に移転し、現在もそこで運用されている | |
2002 | 2002年、VMFA-112の航空機はF/A-18A+に再構成された。“カウボーイズ”は、朝鮮戦争以来初めて西太平洋演習に派遣された予備役飛行隊となった |
2004夏 | 2004年夏、同飛行隊は日本、グアム、オーストラリアを出発し、“ジャングル・シールド作戦 Operation Jungle Shield”と“サザン・フロンティア演習 Exercise Southern Frontier”を支援した |
2005 | 2005年、VMFA-112は多国間演習のためノルウェーのエーランド・メイン航空基地 Oerland Main Air Stationに派遣された。“多国間演習バトル・グリフィン multinational exercise: Battle Griffin”である。この演習は多国籍軍間の結束力を高め、空対地戦闘技術を磨くために実施された。海兵隊は演習中、寒冷な天候と過酷な状況を体験した |
現在、VMFA-112は姉妹飛行隊であるVMGR-234と密接に協力し、"Herc/Hornet Expeditionary Package "と呼ばれているものに取り組んでいる。このコンセプト・プログラムは、F/A-18A+が急造された滑走路に着陸し、現在の運用手順のように基地に戻ることなく燃料補給と再武装を迅速に行うことを可能にするものである。このプログラムは、自給自足という海兵隊の性質に沿ったものだろう | |
2009 | 同飛行隊は2009年後半、イラクのアル・アンバー州 Al Anbar Provinceのアル・アサド空軍基地 Al Asad Air Baseに配備された。展開中、“カウボーイズ”はイラクの主要都市からの地上撤退を支援し、数々の任務で特殊部隊を支援し、諜報活動のために重要な空中監視を行った。同飛行隊はイラクを去る最後の戦闘機/攻撃機飛行隊となり、イラク戦争の幕を閉じた |
VMF-112のこれらの海兵隊員は、空中戦で5機以上の敵機を撃墜した飛行エースである Archie Donahue→14.0機 Jefferson J. DeBlanc→9.0機 Robert B. Fraser→6.0機 James G. Percy→6.0機 Joseph B. Lynch→5.5機 John B. Maas→5.5機 Wallace E. Sigler→5.33機 Paul J. Fontana→5.0機 Wayne W. Laird→5.0機 Donald C. Owen→5.0機 Stanley T. Synar→5.0機 |
Update 24/02/12